酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

弥生の遺跡

2009年08月30日 | コミュニケーション・セミナー
8月25日早朝の富士山・・・最高の眺めです



窓側の席を確保してくれたS・H嬢に感謝です



素晴らしい天候に恵まれました

ANA451便は 揺れることもなく 雲海を下に見ながら快適に飛行を続けてくれました



国東半島です  羽田から1時間少々で九州上空です


今回の「お出かけ」は佐賀県でした  先月の「日食研修」に続いての佐賀入りでした

佐賀空港からJR佐賀駅まではバスを利用 ホテルに荷物を預けて早速お出かけです

そこは かねてより 一度は行ってみたかった場所でした



佐賀駅から三つ目の駅 吉野ヶ里公園駅です  弥生の遺跡です

夏休みも終盤 平日のためか閑散としていました



可愛い弥生の子供たちのお出迎えです



入園料は400円  日よけの編み笠 タオルの無料貸与はありがたかったですね

11時ともなると かなりの陽射しでしたから・・・



まずは 腹ごしらえです  ここの茶蕎麦は旨かった 

佐賀茶の味が絶品 蕎麦とほどよくマッチしていました 公園内のレストランです


11時30分 いよいよ施設内を歩き始めます



まず目に映ったのが 兵士が登り 四方に目を配りながら 集落に近づくものたちの様子を監視していた「物見やぐら」と竪穴式住居です

住居は 支配者層の住まいです


これらの遺跡が大規模に発掘された吉野ヶ里遺跡・・・

大正時代の末期から昭和のはじめには 地元の佐賀県や福岡県の研究者だけが注目していました

1986年(昭和61年)に工業団地計画による発掘調査が開始され その結果 大規模な環壕集落 墳丘墓が「魏志倭人伝」に書かれている「卑弥呼の集落」と同じ等と報道されました

以来 一躍全国的に注目を集める弥生時代の遺跡となりました



物見やぐらからの風景①・・・村の周囲を囲む二重の環壕です



物見やぐらからの風景②・・・南のムラ 一般の人たちの居住地です



物見やぐらからの風景③・・・右遠方が「主祭殿」です



主祭殿の入り口です まっすぐに入ってこられないように 道が鍵型に折れ曲がった構造をしていました

この方式は 古代中国の城郭都市のつくりに多く見ることができます



主祭殿です

吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり 祖先の霊への祈りや
まつりを行ったりした 中心的な建物と考えられています

そして こちらが王の墓・・・



「北墳丘墓」(きたふんきゅうぼ)です

14基の棺が発掘され ガラス製の管玉や 銅剣が一緒に収められていました


吉野ヶ里遺跡は 約700年続く弥生時代(紀元前5世紀~紀元3世紀)における

日本最大規模の集落遺跡です

公園内には 98棟の建物が発掘調査の結果を基に復元整備されていました


その発掘作業はいまも続けられています




地元のお母さん方が 1年中 ほとんど休むことなく発掘に精をだしていました

近い将来 また新しい建築物が復元されることでしょう


炎天下でのこれらの作業に頭がさがります

歩いているだけでも全身が汗まみれになります 身体が水を求めています



運がよかった  実にタイミングよく「オアシス」を発見しました



それは 竪穴式住居の中にありました



まるで タイムマシンにでも乗ってきたかのような自販機

なぜか竪穴式住居に溶け込んでいました



生活用品取引の場 穀物の倉が並ぶ市の中心地を眺めながら出口に向かいました


見学時間は正味3時間に及びました

まだまだゆっくりしたかったのですが この暑さです

畑仕事で 暑さには慣れていても限度でしたね



駅までの帰路です

弥生遺跡を目の当たりにした余韻を残しながらのゆっくり歩きでした


邪馬台国の所在地にはいくつかの説があります

佐賀市には 古くから春日山 愛宕山 清水の滝の名称が残っています

先月の日食時にも佐賀市に滞在していたためでしょうか

「女王 卑弥呼」は皆既日食の責任をとらされ殺害された・・・

邪馬台国 九州説に傾いたオヤジな私でございます



市内のスナック風居酒屋「ちあき」です

ママさんと 一昨年の高校野球優勝の佐賀北高 衆議院選挙 邪馬台国の話題で盛り上がりました


翌日の研修ですか?

ハイ おかげさまで前日のテンションを維持しながらの楽しい研修になりました


自転車オジさん その後・・・

2009年08月25日 | コミュニケーション
先日ご紹介した元気な自転車オジさんのHさん

10月に古希を迎えます

お会いした当日 名刺をいただいたので写真を郵送しました

22日にお礼状が届きました



20日に自宅に帰ったそうです

少なくも 2週間以上ペダルを漕ぎ続けていたんですね

道中 トラックや観光バスの「いやがらせ」にも遭ったようです

それでも元気なうちは決してやめない「自転車オジさん」でした

残暑でへばりがちな今日この頃・・  ニンニクなしでも Hさんからの刺激を受けて元気回復です


またお会いしたいと思っています


* ブログ仲間にも 自転車オジさんが増えてきました

 人生を楽しんでいるオジさんたちです  青春を謳歌しています

 ドライバーのみなさん やさしく見守ってください 

 戦中戦後の苦労 復興に頑張ったオジさんたちです *


ちょっと お出かけしてきます


トラタヌ

2009年08月23日 | 無農薬野菜作り


これが「トラタヌ」ではありません  ご存知 ニンニクです

14個のニンニクの塊りです  青森産です  野菜の種屋さんで購入しました

ひとつの塊りにそれぞれ5個づつのニンニクを抱えていました

〆て70個!

値段は 税込み1キロ3150円でした


9月になったら 塊りを解して70個のニンニクの「種」を畑に埋め込みます

ニンニク栽培は 初めてです

うまく育てば 収穫時には・・70個の塊りになる予定です

するってえと・・・5倍ですから  3000円×5=15000円!

ニンニク長者!

あくまでもトラタヌ 取らぬ狸のなんとやらですが 新たな挑戦をしてみましょうか

売るわけではありませんが 気分は爽快 お裾分けの花形になるでしょうね




畑にも 秋の気配が漂ってきました  猛暑との闘いもいましばらくでしょう

お馴染みの「渋い家」が チョコッと顔を覗かせていました


やつがしら・里芋

2009年08月19日 | 無農薬野菜作り
8月17日の畑です

この日は友人のSさんが同行しました



やつがしらと 里芋が隣同士で仲良く葉を茂らせています

外見は全く似ています

どちらが 里芋やつがしら?



答えの見分けは茎にありました

こちらは やつがしら・・茎が赤紫色になりつつあります

暮れの収穫頃には 全ての茎が赤紫に変色します

この茎は「芋がら」とも言われ 滋養に富んだスグレものです

味噌汁の具 酢の物にすると絶品の味を醸し出します



これが里芋の茎です

「芋がら」にはなりません

そして 左の小さな茎にご注目です

脇芽を切りました  大きな茎だけの一本仕立てにしました

これで収穫される里芋は 充分な大きさに成長してくれるでしょう

やつがしらは そのまま・・

どちらも葉は似たようなやつがしらと里芋  外見は同じようでも「手入れ」は全く異なりました。

私たちに なにかを教えてくれる「兄弟」たちでした

そして 流石に「兄弟」です  同じものがありました

それは水遣りと追肥です  これからは 畝と畝との間に水遣りと追肥をしていきます  

似ている芋でも・・・畑仕事は 実に奥が深いものですね


この日の気温は・・・

さすが 昨年 日本一の暑さ(40,8度)が測定された熊谷の近くでした



まだまだ新記録には至りませんでしたが全身汗ビッショリ!  水は2リットルは飲んだでしょう

こんな旨いは飲んだことがない

素晴らしい晩酌になりました  だから畑仕事はやめられません


* 農業初体験 友人のSさん



猛暑のなかでの奮闘でした

果たして彼は「実年農業」に目覚めるでしょうか


畑からの 残暑お見舞い

2009年08月15日 | 無農薬野菜作り
みなさま いかがお過ごしでしょうか

今日は戦争の終わった日  畑より残暑お見舞い申し上げます

梅雨が明けて以来 真夏の太陽もままならぬまま 地震・台風と今日まで過ぎてしまいましたね

蒸し暑い毎日です


そんなとき 畑では すでに秋の準備が進められていました



雑草を整理して 大根 玉葱 キャベツの種蒔き準備が始まりました

9月の上旬に種を蒔きます



野菜たちの「ご馳走」 馬糞の用意も整いました


秋・冬野菜の季節まで いましばらく残暑が続きます

みなさま 体調に気をつけてお過ごしください



ひまわり画像が続きますが・・・

我が家の ネコの額の空き地に咲いたひまわり

マダムが 残暑お見舞いのハガキ絵に精を出していました


64年前の今日  疎開先の新潟で ひまわりの咲く日ざしの眩い正午・・・

ラジオの「玉音放送」を親戚一同で聞いた記憶が鮮やかに蘇りました


幸福の 赤いヌノ・ゾーリ

2009年08月12日 | 広島東洋カープ
昨日「招福ぞうり」を送っていただきました  手作り布草履です

 あら 不思議!  

 玄関に履物を飾ると 福の神がやって来るとか!

山形県酒田市のブログ友「手作り工房久松」のば~ばさんからの嬉しい贈り物でした

早速 玄関に飾りました



玄関が華やかになって カエルたちも喜んでいます


幸福の黄色いハンカチならぬ「赤い」布草履です

アカ 赤・・赤ヘル  広島東洋カープ!

最近 ちょっと調子が上がってきたカープです

今夜から 地元で対G3連戦!

そういえば カープの4番 栗原選手は山形の出身でした





山形の草履を履いて 応援に駆けつけたいのですが 残念


しかし タイミングはズバリでした

野球以外にも きっと幸せを運んでくれるでしょう  (ご覧になった皆様にも・・・)


早朝の地震で驚かされましたが 台風も去っていきました

これでやっと夏本番でしょうか


下町少年の夏・・

2009年08月09日 | オヤジのつぶやき
やっと梅雨が明けたと思ったら 一昨日は立秋・・・  

暦の上では 早くも秋の気配です

それでも 近所の下町少年たちは元気でした

つかの間の太陽が顔を出した日



昔だったら 西新井橋の欄干から川に飛び込んだものです

赤フン一丁で・・

学校のプールは 古橋選手を真似て「第4のコ~ス 古橋君~ 日本大学」

第4コースの取り合いをしたものです

(橋爪四郎選手は 5コースでしたか?)

古橋会長は亡くなりましたが 現代の「古橋選手」たちは 赤フンでなくシャツは着ていても人工池で水遊びでした

勉強オンリー 室内ゲームもいいでしょうが 夏休みこそ外遊び

仲間との絆を深めるいいチャンスです



こちらは 独楽遊びでした

チッチノチ!

バケツの床に テント布のベーゴマではありませんでしたが 機械の力を借りたとはいえ 立派な独楽回し!


夏休みは多いに外で遊びましょうか

下町オジさんのDNA しっかり受け継いでくれてる少年たちでした



畑の向日葵も いまが最盛期です

子供たちと同じように つかの間の夏を謳歌していました




異説の面白さ

2009年08月06日 | オヤジのつぶやき
書店でなにかに導かれるように その本の前におりました

昔から関心のある戦国時代です



どちらも 本能寺の変を描いています

2冊を一気に読破しました


本能寺といえば 信長に謀反をはたらいたのは 部下の明智光秀

これは事件後 秀吉時代からの通説です

従来の小説・映画もそのように描かれてきました

この2冊の作家は 観点・視点を全く変えています


高野山 忍者群 公家 天皇家 秀吉 さらには本能寺にあったとされる抜け穴!

あらゆる想像力を駆使して 光秀の無実を「証明」していくのです

光秀には事件当日にアリバイがあった

427年前の本能寺の変を 作家の想像力と膨大な資料を駆使して語っていきます

異説といえば全くの異説です

しかし 歴史は勝者によって作られていくという一面があります

案外 異説が本質を捉えたという出来事もあったかもしれませんね



こちらも 異説の中の異説「意外史」です

最近流行のレキジョたちも さすがに八切止夫氏には入ってきてないようです

光があれば影がある  小説の異説は面白いものです


今日は 広島に原爆が投下されて64年・・

米国の世論は「戦争を終結させるためには仕方がなかった」が60パーセントを越えたそうです

この「異説」には断固反対します





暑さ乗り切りの元気を貰う!

2009年08月04日 | 無農薬野菜作り
東京の梅雨明け宣言は正しかったのでしょうか

ムシムシムンムンの毎日です

家の中にいて ジッとしていてもアッチッチーです

まして この時期の畑は暑いの暑くないの 暑いです

それでも 雑草刈り 残りのじゃが芋堀りひと畝が待っています


そこで夏の元気の源 三つのご紹介をしましょう

まずはこちらです



今年はじめてです 畑の向日葵が元気な花を咲かせてくれました

害虫退治にも効用のある向日葵の黄色い花です

見てるだけで元気が伝わってきました

そして 二つ目はこちらです



雑草と仲良くしてますが 赤紫蘇です

甘酸っぱい赤紫蘇ジュースにして 冷やして飲みます

元気の出る夏限定のジュースです


そして最後は こちらのお方でした   自転車オジさん(ブログ写真ご了解)



畑の近くのコンビニで休憩中のところを声をかけました 名前はHさんです 

どこから来たのか伺ってビックリ仰天しました

東京世田谷区からでした 名刺をいただきました

夜中の3時に出発したそうですが いったいここまで何キロあるのでしょうか

さらに話を伺って驚きました

いったんペダルを漕ぎだせば 300キロくらいまでなら平気だそうです

まさか1日の行程ではないでしょうが 修善寺 芦ノ湖などは平気の平左ぇ門

なるほど 身体全体が自転車のように細くて強靭 スリムなHさんでした

そして 彼の歳を聞いてただただ唖然・・・

私より 誕生日が1ヶ月だけでも先輩だったのです  もうすぐ古希です
ペダルををコキコキ漕ぐ なんてダジャレをいってる場合ではありません  負けてはいられません


先日の たぬき猫さんご夫妻をはじめ この日は向日葵 赤紫蘇 自転車古希オジさんから元気を貰いました

元気を貰って 昨日も頑張ってきました  雑草退治 ナスたちへの追肥でした


じゃが芋をはじめ 野菜の値段が上がっていますね

消費者としては困りますが 「生産者」としては嬉しくてウキウキ気分で帰ってきました

販売するわけでもありませんが これが一番の元気の基になりましたね

お裾分けの楽しみが倍になりました





壁の力

2009年08月01日 | 広島東洋カープ
プロ野球 東北楽天イーグルスの野村監督は捕手の出身です

1954年(昭和29) 契約金ゼロのテスト生として南海フォークス(現ソフトバンク)に入団しました

当時の監督 山本一人氏のひとこと「カベ用にでも入れとけや」で入団が決まったといいます

カベ・・壁です

ブルペンで投手の投げるボールを壁のように受けるだけ・・・試合には一切出場しません

まさに「壁」ですね  当時は平気でこんな言い方をしていました


7月28日の神宮球場です

三塁側内野席のすぐ前のブルペンで 先発前田健太投手の投げるボールを黙々と受けている捕手がいました

背番号が110!

いわゆる「壁」・・ブルペン捕手ですね

試合直前 石原捕手(正捕手)に代わるまで自分の役目を果たしていました



選手名鑑に記載がありません

MATSUMOTOとありますね  松本捕手でしょう

石原捕手と交代 植田バッテリーコーチと談笑する松本捕手

私は 彼の表情をかいま見てハッとしましたね

なんと穏やかな いい笑顔でしょうか

仕事を終えた満足感に満ち溢れています

カープの全試合に「出場」して 投手のボールを受ける・・・

各チームの成立は 彼のような「壁」の存在があればこそなのでしょうね

スター選手にだけ目を奪われがちな私ですが いい光景を見ることができました


試合はヤクルトに負けましたが なにか清々しい気分 余韻の残った夏の夜になりました



おまけです



赤い帽子をかぶっていますが なぜか カープの応援席に陣取ったヤクルトファンの外国人です

大きな背中が 壁のようでした