酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

弥生式土器 危機一髪!

2014年08月28日 | 坂道
「自転車散歩」の達人 中村雄昴氏曰く

「文京区はひとつの城である いたって堅固な要塞に見える

理由は 全体の大半が台地にあって あたりを見下ろしているからだ」

なるほど 文京区は23区の中央にあって高台に位置して 坂の多い街です

区がまとめた冊子「ぶんきょうの坂道」によれば 坂の数はなんと113

”下り坂は人生最高”(火野正平さん)であっても上り坂の自転車は難儀をします


113か所の坂のひとつ ここは暗闇坂です



なだらかな下り坂で 右は東京大学です

道幅も広く 穏かな坂ですが 江戸時代は暗く恐ろしげな坂だったのでしょう

なにしろ名称が「暗闇坂」ですからね

そしてこちらが暗闇坂の近くにある「弥生坂」 明るい春の息吹を感じさせる坂です



この坂は根津 谷中 鶯谷~ 浅草の言問橋に通じています


ところでご存じ「弥生式土器」

縄文時代の次が稲作の時代で「弥生時代」になります

土器・時代の名称は 実はこの地の町名から採られました

ここの町名は 新住居表示(町名変更)以前は文京区向ヶ丘弥生町・・・現在は文京区弥生です



明治17年 東京帝国大学の三人の学生が 弥生坂付近の根津谷に面した貝塚から

縄文式土器とは異なる赤焼きの壺を発見 弥生式土器と命名されました

以来 ”縄文の次なる時代”は発見地の町名に定着しました 弥生時代の誕生です


ところが 昭和40年頃 弥生時代と弥生式土器危機一髪の事態が発生!

時代は旧町名を改める”新住居表示”の嵐が吹き荒れていました

都内の由緒ある町の名が消えていきます

ここ向ヶ丘弥生町も 隣接の”根津”に統合される計画が判明します

立ち上がったのが 当時文京区の住民であった詩人のサトウ ハチローさんと作家の玉川一郎さん

当時の首長さんの部屋に駆けつけ直談判です

「弥生の町名を残していただきたい」

首長さんも即決断されて”弥生”の町名が復活することになったのです

あわや”根津式土器”になりかかった弥生式土器でした



いまに残る閑静な住宅街の文京区弥生地区です

ハチローさん 一郎さんに感謝してるような佇まいでした


米 カテゴリーの「坂道」 久しぶりの登場でした オジ3号活躍のチャンス 坂道尋ねる自転車紀行を続けてみます ※

浅草 真夏の酒脳会談

2014年08月26日 | コミュニケーション
浅草サンバ・カーニバルの前日の昼下がり

猛暑のホッピー通りの馴染みの店に集合したオジさん二人

ブログ友の「清遊人」さんです



久しぶりに 遠方から浅草まで駆けつけてくれました

待ち合わせ時間前から店に入って ビールと枝豆で待機していた清遊人さんです

まずは その元気を証明してくれました


それからの2時間半 話題もアルコールもほどよく途切れることなく オヤジ・パワー全開になりました

ブログからの「対面コミュニケーヨン」の実現は難しい

開始当初に”忠告”してくれた友人がいましたが 清遊人さんはじめ 多くの方々との交友を楽しんでいます

長期にわたる相互信頼が基になっているのでしょう



店員さんたちとも馴染みになりました


下町情緒をたっぷりと満悦した昼間の浅草

異常気象に負けないよう 互いの健闘を誓い合いました


那珂湊 お魚市場

2014年08月21日 | オヤジのつぶやき
猛暑続きの厳しい日が続いています

広島では土砂災害が発生 多くの方が犠牲になりました

お見舞い申し上げます

いつ どこで発生するかわからない豪雨による災害です

恐ろしい世の中になりました


当方は ボランティア活動 仲間たちとの暑気払い 友人の見舞い 新規研修のデモの準備 住宅計画の打ち合わせ・・・

なにかと せわしい毎日を送っていました

ブログも しばらく夏休みでした

その間 毎日があっという間に過ぎていきます

そして ふと気づけば ここしばらくはオジ3号の活躍の場が多く 車の使用が皆無でした

バッテリーは替えたばかりなので健在 エンジンも快調です


家人の希望もあって 全く久しぶりに真夏のドライブを楽しむことにしました



出かけた先は茨城県 那珂湊漁港です



今回で3回目の訪問になります

お目当ては・・・新鮮魚介類の購入と回転寿司です



那珂湊が誇る お魚市場です 安くて旨い!



昼食の前に まずは買い出しです

1時間ほど 各店を巡って店員さんとの会話を楽しんだり試食をしたり 

先日までの お盆の期間は大混雑で店員さんたちにも余裕はなかったでしょうね



「東京から来たなら 築地に行けばいいのに・・こんな遠くまで来ないで」

浅草出身という生ガキ売りのオヤジさんの変なセリフでした

ポンズをかけて ペロリ ひと口で平らげました これは旨かった



今回の回転寿司は 有名人の色紙が多い「森田屋」さんでした

110円~1080円までの10種類のお皿が楽しめます

ちなみに1080円はエビでした

エビの種類はなんだったのか ひと皿だけの所望のうえ 一瞬でツルリと胃袋に収まったので不明のまんまでした


発泡スチロールの箱に氷を詰め込んで持ち帰った各種魚介類は しばらくの間 我が家の食卓を”魚屋さん化”してくれました

これからの猛暑 魚パワーで乗り切っていく所存です


米 ここへきて カープの調子が上がってきました これも 元気の素になってます ※

勧誘電話

2014年08月09日 | オヤジのぼやき


恒例 銀座ライオンでの同期会です

今年も 昨年の夏から順調に歳を一歳獲得した面々

オジ・オバ15名が参集しました

出てきた仲間は元気な証拠 欠席通知には「あちこち痛くなった・暑いので静かにしてます」

これからの人生のため これも仕方のないことでしょう

2時間飲み放題 30分もたったころから賑やかになってきました

溜まりに溜まった話が飛び交いまいたが 誰が言い出したか「勧誘電話」の話題です


「最近 やけに電話がかかってこない? 霊園案内」

「オれにも」「私にもかかってくる 「そうそう」

それまで隣席同士・ご近所同士で弾んでいた会話が これを機に15名が一斉に共通の話題で盛り上がりました

♪ レ~エン レ~エン レ~エ~ン 霊~園~ ローハイドッ!♪

興に乗ったM君が唄いだしたり・・・フェイバーさんじゃないでしょっ!


「そんなときの電話対応はどうしてる?」

こちら火葬場です(古式豊かな対応ですな)  間に合ってます・まけてくれる?・来客中です

うちはお寺です・墓石業を営んでます・空中葬海中葬を考えてます・ポイントはつくの?

石はダイヤモンドにしたいんだけど・


もっといろいろな珍対応の発言がありましたが そこはまぁアルコールが回ってきたので・・・

印象に残ったのが 諸般の事情で現在ひとり暮らしのS君でしたね

「いいチャンスだよ 退屈凌ぎ 相手と会話を楽しんでるよ 世間話から集団的自衛権

そのうちいっぱいやりませんか? 相手は無言になってくる 相手が先に通話を切る場合もあるが

こちらが切るまでそのままの場合もある これは誠実な会社だね 感心する」

これには一同笑ってしまいました ”誠実な会社”も二度とかけてこないでしょう


それにしても 霊園関係の勧誘が多いですね~~

世の中 親切な人がいるものです よくこちらの年齢事情を把握してらっしゃる

さきに報道された 名簿漏洩したあのお方から流れたのでしょうか


この日 霊園関連の話題で盛り上がり むしろ若さを挽回したメンバー

年末の定例会を楽しみに 夕暮れの銀座通りで散会となりました

二次会ですか? ご想像にお任せします

地下鉄漫才に答える

2014年08月04日 | 地下鉄に乗って・・・
”地下鉄漫才”で一世を風靡したのは 春日三球・照代さんの夫婦コンビです

「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えてると一晩中眠られないの」

トボけた味の三球さん 妻の照代さんがやさしく応じていました

どこから入れるのでしょうか


いまでこそ「銀座線」の名がある地下鉄ですが 戦後のしばらくまでは日本で唯一の

地下鉄でした 昭和2年12月開通 当初は上野~浅草往復

当時 地下鉄といえばこの路線のみでした

夏は涼しく 冬は暖かい地下鉄

小学生時代 浅草~渋谷 全線の乗車賃が15円!

警笛がポオ~ン 黄色い三両編成 電車がポイントに差し掛かると 一瞬車内の灯りが消えます

電力取り入れの第三レールが途切れるためですが それが楽しかった


現代の地下鉄は 地上部分が多くなりましたが

浅草~渋谷間で地上に姿を現すのは渋谷駅を出発してからしばらくの高架部分だけです

ならば 地下鉄車両はどこから入れるのか?

小学生だった私たちにも 三球さんと同じ疑問が湧きましたね


しかし そこはよくしたものでした

当時の小学生たちの遊び仲間は年齢差がまちまちで 先輩がいっぱいいましたね

あるとき 先輩のひとりが教えてくれました

「それはおまえ 上野にあるんだよ 連れてってやろう」

少し自慢げに鼻を膨らませて 後輩たちの顔を見回した先輩でした


みんなで 自転車で繰り出したのがこちらでした



正面の昭和通りの上に架かるのは高速道路で その先は渥美清さん誕生の地 車坂です

手前の通りを横切るレールが四本

その踏切から左を見れば・・・



上野駅に至るトンネルが見えますね



危険防止のフェンスがあります

そして右側を眺めれば・・・



真夏の太陽に全身をさらして 日光浴中の最新鋭の車両が待機していました

車両基地です

周辺の景色は一変しましたが 踏切・トンネル・車両基地は往年のままの位置にありました

この日は 当時と同じ 自転車オジ3号に乗っての65年ぶりの訪問になりました

三球・照代さんも訪れたであろう”地下鉄の出入り口”です

ゆったり ほのぼの漫才が受け入れられた日々

異年齢のこども集団の中で 社会のルールを学んでいった日々

どちらも 懐かしい記憶が蘇るオジ3号”上野散歩”になりました