酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

言問橋 桜橋界隈

2011年06月29日 | 隅田川
梅雨の合間の曇天の日 浅草演芸ホール前で集合 PM3;45

この日は 友人との寄席見物の約束時間までの間 カメラをかついで歩いてみました

今回も 隅田川界隈をご紹介しましょう



こちらは 隅田川にかかる言問橋(こととい橋)です

 

スカイツリーが傾いて見えますが レンズの影響でしょう  大丈夫です

そして こちらが「桜橋」です  言問橋のすぐ脇にあります





隅田川に架かる橋で 一番新しい橋です

特徴は 上空から見るとⅩ字型をしてるのと 人と自転車のみが通行可能の 人にやさしい橋です

この橋も 夏の花火見物には 一等地の場所になります



池波正太郎さんの生家の近くにある「待乳山聖天」です



浅草七福神詣で・・三番目に待っててくれるのが毘沙門天です


そして 言問橋で忘れてならないのが団子屋さんですね



その名も「言問団子」 明治4年開業の老舗で 言問橋命名の由来になったという説まであります

近年 TBSアナウンサーの外山恵理さんの実家としても有名になりました

現在の彼女は ラジオで永六輔さんと絶妙なコンビを組んでいます

そして この団子屋さんのすぐ隣がまた世界的有名人誕生の地でした



隅田公園少年野球場です



かって 中学時代の王さんは この野球場で草野球に熱中していました



大柄の少年で 投手と4番バッター  かなり目立った存在でした

それを金網越に見て 王さんの才能を見抜いたのが早稲田の荒川さんでした

以来 師匠と弟子の物語は みなさまご存知のとおりです

世界の王の発祥の地 地元の方々の自慢の野球場です



いまに残る土手の常夜灯です

江戸時代 渡し舟の目印になっていました



日本提「いまどばし」跡です  前回ご案内のとおり この川は吉原大門に続いていました


腰痛の具合もよく 約2時間の散策でしたが 今回も旧き佳き時代にめぐり合いました



浅草演芸ホール近くの路地です

いまでは珍しくなったリヤカーが無造作に置かれていました

待ち合わせた友人と寄席の世界に浸る前  散策ですっかりレトロムードを身に纏ったオヤジな私です


4時間の落語で大笑い  終演後の屋台のホッピー この日も最高の味でした

今回も 笑いと適度なアルコールが ふたりにとって明日への大きな活力になりました

浅草のホッピー通り 万歳  Wコロンのねづっち 木曾さんちゅうさんもも贔屓にしています

ブラック スワン

2011年06月26日 | オヤジのつぶやき
先輩のWさんに誘われて都心にでかけました

小絵さんの絵画展以来 久し振りの銀座です



あのとき素晴らしい作品を堪能した絵画展会場  ブログ友の小絵さんと初めてお会いしました
 
今回は Wさんとの絵画ならぬ映画鑑賞でした



いつもの下町映画館と違って さすが銀座です  まずはエスカレーターの規模に圧倒されます

ここは昔の日本劇場 日劇の跡地ですね

日劇といえば 昭和33年のウェスタンカーニバルが懐かしいです

ミッキーカーティス・平尾昌晃・山下敬二郎 ロカビリーご三家でした

劇場にこそ足を運びませんでしたが 世はロカビリー旋風が吹き荒れ「戦後」は完全に終わった・・

そんな感じが漂ってきた30年代でした


そして あれから50数年後 日劇は変わりました  地上からエレベーターで11階の映画館です



この日 観た映画は東宝シネマの「ブラックスワン」 若き美貌のバレリーナの物語でした

全くの予備知識のなかった映画で 草刈民代さんの主演?とカン違いしたほどの間抜けぶりでしたね

新進バレリーナの出世物語・・洋画です

はじめ 軽い気持ちで観ていましたが 途中からびっくりの場面の連続です

ヒチコックのスリラー映画とは少し違いますが 想像を絶する物語の展開に目を離せなくなりました


「友人に 怖い映画と言われたけど そのとおりだった」

映画終了後の 隣席のご婦人同士の感想でした

フィナーレは衝撃的です  これから観る方のため黙秘しますが


映画の後 Wさんとニュートーキョウの生ビールで乾杯

「映画って 本当に素晴らしいものですね~」

水野晴夫さんが ふたり誕生していました


都心の映画館もいいもんです  今回は都会の風に吹かれてきました

Wさんに感謝です


芋ひと筋 時の鐘の街

2011年06月23日 | オヤジのつぶやき


梅雨の合間 畑・研修の合間を縫って 友人A氏と出かけてきました

蔵造りの街並みが美しい川越「小江戸川越」です





火事と喧嘩は江戸の華・・・

川越の土蔵造りの店舗は 類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で 江戸の町家形式として発達したものです

ここ 一番街は いまの東京では見ることのできない江戸の面影をとどめていました



ちょっと小路に入れば洒落た喫茶店





人力車のお兄さんも どこか江戸人の風情が感じられます



約400年前から 城下町に時を知らせてきた川越のシンボルです

現在のものは4代目といわれ 櫓の高さは奈良の大仏と同じだそうです

この「時の鐘」 今も一日4回 午前6時・正午・午後3時・午後6時に時を知らせていました

そして 川後といえば・・



芋一筋 さつま芋ですね

少し歩けばさつま芋に当る おそらくさつま芋店舗の占有率は日本一でしょう

そういえば 浅草の「舟和の芋羊羹」の工場 この川越の近辺にありましたね


そして 忘れてならないのがこちらです





喜多院です

平安時代に創建され 慶長4年(1599)27世を継いだ天海が 家康の厚い信頼を得たところから

大いに栄えました

家光誕生の間 春日野局化粧の間が 江戸城から移築されたのは寛永15年(1638)です

江戸幕府の信頼が厚かった証しでしょう



ゆっくり散策しての3時間でした

新宿 池袋からも小1時間で来られる川越です

Aさんともども すっかり江戸時代の雰囲気を味わうことができました





川越からひとっ走り 昼食のあとの畑です

じゃが芋を掘ったり 古民家の囲炉裏でコーヒーを楽しんだり



オジさんふたりの まことに優雅な一日になりました

梅雨明け後の猛暑に備えて あれこれ気力のエネルギー溜め込んでます


「三陸海岸大津波」

2011年06月17日 | オヤジのつぶやき
5年前 79歳で亡くなった吉村昭さんは 私の地元出身の作家です

その吉村さんが 昭和45年に出版したのが「三陸海岸大津波」

いま 再評価されてる本です

知人に薦められて読みました

明治29年の津波 昭和8年の津波 昭和35年のチリ地震津波の記録が克明に記されています



作品については 巻末の高山文彦氏の解説にお任せしましょう

 吉村氏は徹頭徹尾「記録する」ことに徹している 

 だから 付け焼刃的なフォークロア(風習など)の甘いアプローチはしない

 情緒的な解釈もしない 

 圧倒的な事実の積み重ねの背後から それこそ津波のように立ち上がってくるのは

 読む側にさまざまなことを考えさせ 想像させる喚起力である


 彼らは「津波が来るからといって 宝の海を捨てられるものか」と私の耳で囁き 津波に襲われる

 までの暮らしぶりについて 話しかけてくる

 そうした多くの死者たちに支えられた本書は そのときどきの人間の過ちをふくめて

 私たちに「こうしたほうがいい」と智恵を授けてくれる


吉村昭さんの奥様は 芥川賞受賞作家の津村節子さんです

5月に増刷されたこの第11刷 印税は全て被災地に寄付されます

一読をお薦めします


                    

差別するか! 

2011年06月15日 | 無農薬野菜作り
梅雨の合間を縫っての畑行きでした

最近 O町の天候については テレビが知らせてくれるようになりました

リモコンで郵便番号を入力すると 3時間おきの現地の天候が ピンポイントで画面に表示されます



おかげさまで 畑は予報通りの曇天でした  寒くも暑くもありません

絶好の畑日和のうちに 葉物の収穫が出来ました



こちらはYさんの奥さんと 新しい戦力に加わった息子さん・・・



奥さんはトラクターの運転 息子のM君は雑草刈りです

亭主のYさんは きゅうりの収穫に精を出していました


ところで「基地」での昼食時でしたが 愉快な話題で盛り上がりました

差別問題が生じたのです  話題の主役は「か」です

差別するか! いや「差別する蚊!」の話です

というのも 半日の畑仕事で顔や手に八ヵ所も蚊に刺された23歳のM君

それにひきかえ なんと一ヵ所も食われなかったオヤジな私

最近の蚊はグルメになったのでしょうか  それとも前から

(顔が厚くなった・・楽屋からの声)

渋い味を知らないとは誠にもって不幸な蚊です  渋さは 侘びと寂びの世界ですからね


どちらにしても面白くありませんでした  少しは食ってくれ! 渋い味の血!

亭主のYさんと奥さんですか?  食われたか?

ここでは答えないほうがよろしいでしょう

とにもかくにも大笑いになった「蚊事件」でした



きゅうり 茄子の初収穫です

茄子は雉にかじられていました(かじられた部分は下にしてます)

ここでも 若い茄子が狙われました 



帰路 休憩した富士見市の田圃です

田圃風景はほのぼの 見てるだけで落ち着きます


天丼界のツワモノ

2011年06月11日 | 酒の席
ブログ友の東京老人さんと訪れて以来の「土手の伊勢屋」でした

店は 吉原大門の”見返り柳”の前にあります



時間も 午後一時を過ぎると並ぶ列もこのとおり・・待ち時間15分で天丼にありつけます

お腹を空かせるために 集合場所の三ノ輪から歩いてきたオジさん三人でした



値段別天丼イロハの"ロ” 1900円也の天丼です

いか、海老、穴子の三種類が丼からはみ出しています

数年前より 小ぶりになったような気がしたのは気のせいか

ま こちらも歳をとったので 大きさはちょうどいい塩梅といえます

とは言っても いまもって 天丼界の丼 いやドン あるいはツワモノといってもよろしいでしょう

なにせ この天丼を食べると 2~3日は油ものを必要としません

数日間 顔がテラテラ光っています

胡麻油で揚げた天婦羅の味 石塚君ならずとも思わず「マウイ!」でしょう

三人でビール二本も ほどよい酔い心地でした

店を出て またも歩きだします  足腰の蝶つがいも潤滑油の効果か 滑らかになりました



迎えてくれた紫陽花たちです



そうです ここが往年の日本堤(にほんづつみ)大川(隅田川)からの掘割があったところです

大川から「猪牙船」(ちょきぶね)でやってきた吉原の客は この土手で舟を降ります

向う先は 馴染みの吉原花魁だったのでしょう  仁の野風さんもいたかな


猪牙にも乗らず 見返り柳にも振り返らずに 土手跡をひたすら歩いたオジさんたちでした

そして向った先は浅草寺です

三人揃っておみくじは中吉  みんな多いに気をよくしました

少なくなっていた外国人観光客も ボチボチ戻ってきた浅草でした


仲見世通りで人形焼きを買ったあと 下町美人の呼び声に誘われて入った店は「高橋」です

いつもの「やまや」は満員でした



この店 愛想のいい下町娘がいましたよ  なかなかの勧め上手

定番のホッピー 塩辛 焼き鳥 奴豆腐で時事放談に花が咲きました

二時間あまりの ちょっと過激な放談を続けて お代は割り勘の1900円ポッキリ! この日は1900円に縁がありましたね

これからもオジさん会合が続きます 今回は 喜寿を迎えた先輩にも喜んでもらえた天丼デーになりました

次回は鰻デーになりそうです  土用丑の日あたりの「尾花」が候補地です

その折の時事放談が 今より穏かな話題になることを願ってますが 果たして?

あろうことか 嘘つき男にペテン師呼ばわりされてる今の政権ではね


<おまけ>

怒涛(?)の10連敗中であった我が広島カープ! 一昨夜 連敗阻止に成功しました

昨夜は引き分けました

浅草寺のおみくじ効果が やっと出てきたようです  さぁ これからだ~


散策 そして同級会

2011年06月08日 | 酒の席
友人に誘われて行ってきました 巣鴨とげ抜き地蔵尊!

毎月四のつく日は縁日です

大混雑が予想されるので 従来から縁日は避けていましたが 友人M君 S嬢のたっての希望 ふたりの巣鴨初体験に付き合いました



商店街の混雑は さほどではありませんでしたが・・



こちらの列はすごい!  (露出に失敗 暗い画面になりました)

列の最後尾に並んで 観音様の石像をタワシで洗い終えたのは なんと一時間後!

みなさん 非常に元気です!



これだけ苦労したので きっとご利益があるでしょう  その効果か 塩大福が旨かった


巣鴨地蔵参拝のあとは 都営地下鉄三田線の白山で下車です

これはM君のリクエストでした



お七坂です



八百屋お七を祀っています

お七の慕った小姓の吉三は 近くの吉祥寺にいました

もう一度会いたい 乙女心が招いた放火によって処刑されたお七です


こちらでも丁寧にお参りをしました  火の用心

そして いよいよこの日のメインエベント同窓会です

場所はいつもの湯島天神下の居酒屋Tでした



心臓病を見事克服したT君  軽い脳梗塞でリハビリ中のS君

みんなみんな笑顔で参加してました


ここ 居酒屋Tも 区画整理で秋には閉店します

ちょっと寂しくなりますが オジ・オバ連合はまだまだ健在です  皇潤飲まなくても

これからも 軽い運動しながら元気一杯 再会を期しての散会になりました


会の最後を締めたカラオケは 相変わらずのナツメロ合戦 プロ級の喉を聞かせたT君でした♪

大変身!

2011年06月03日 | 隅田川
今日から新しいカテゴリー「隅田川」が仲間入りしました

近くを流れる隅田川です これからも よろしくお願いします


さて その第一回目ですが この川に架かる「白髯橋」(しらひげばし)からスタートしましょう





この白髯橋には 忘れられない想い出の映画があります

昭和33年春に公開された 東宝映画「ふたりだけの橋」

主演は 当時の青春スター久保明さんと新人の水野久美さん

下町を舞台に 見習い職工と石鹸工場に働く少女の 貧しくも心温まる恋物語でした

恋文を橋の欄干の隙間に入れて交換しあう 携帯電話もPCもない時代の微笑ましいシーンがありました

原作は 反戦作家早乙女勝元さんの「美しい橋」です 

大学入学前のオジさんは 浅草の映画館で三度も観てしまいました

端役の俳優さんたち 憶えているだけでも三井弘次・加東大介・石井伊吉(毒蝮三太夫)さんと実力派が脇を固めていました

石井さん扮する工場の先輩のセリフ 「自分は長男だ 長い難があるから長男」が 可笑しかった


この白髯橋・・黒いガスタンクがスマートになった以外 当時の風景とさほどの変わりはありませんが・・

大きく変化したのがふたつありました・・

ひとつは交通機関です 橋を渡っていた亀戸~池袋間のトロリーバスが廃線になったことです

それと もうひとつはこちらの景色です



隅田川沿いの高速道路とスカイツリー

あれから50年たって こんな景色になろうとは思ってもみませんでしたね


しかし これで驚いてはいけません

もっと大変身した場所がありました  それはこちら・・



白髯橋近くの泪橋(なみだばし)交差点です  ホテルが立ち並んでいます



脇道に入ってもこのとおりです  小奇麗な宿泊所がいっぱい!



しかも宿泊料が安い!  ここは一泊1800円! 



食堂 定食屋さんも軒を連ねます



上野「大統領」のように 昼間から一杯やってるオジさんたちです

この風景 ちょっと昔の名残があります・・と言うのは

そうなんです ここは昔の山谷(さんや)の街です

日雇い労務者の人たちでゴッタがえしてた時期がありました

集団騒動・喧嘩が マスコミに報道されたのもその頃です 

当時の宿泊施設は「ドヤ」と称されていましたが それがこのような簡易ホテル街に大変身しました

いまでは 日本観光の外国人 それも若者たちの人気スポットになったのです

ネットで知られるようになりました

震災の影響で いまは少なくなった外国人ですが いずれ活況を呈するでしょう

街角に 各国の言葉が飛び通う日が戻ることを願っています


それにしても 半世紀とは 人間も下町も大変身する時間なんですね~

東宝映画に感動した映画好き青年も すっかりオヤジに変身しました



  < おまけ >



お江戸日本橋  橋の上を覆うのは高速道路です  スッキリ変身するのはいつのことやら・・・