酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

いつもの花見

2018年03月28日 | 都電 荒川線を誉める
今年の桜 実は諦めていました

長い入院になったので 足腰が弱くなり 到底無理だと・・・

これは執念でしたね

徒歩と自転車をうまくリレーしてやってきました いつもの都電沿線



昨年のように やさしく迎えてくれた桜



そして都電荒川線でした

昨年まで 春になれば 何十年も同じ光景を繰り返してきましたが

当たり前のことが出来る尊さ ありがたさ 喜び

病気になって 改めて認識も新たにしたオヤジな私でございました


 区立荒川遊園

2017年04月15日 | 都電 荒川線を誉める


23区唯一の区立遊園地「荒川遊園」



まだ 桜が頑張っています

平日のこの日 春休みが終わったので 園内は閑散としてました



強風のため 観覧車も停止です

 

            小動物園の日本猿とミイヤキャットです

              どちらも手持無沙汰のようですね



こちらは 停車中の豆汽車と・・・



客車です


実は この客車には 忘れられない想い出があります

あれは この遊園地が開設された昭和25年 小学校5年の夏でしたね

この年に開園した遊園地のプールで はじめてクロールで泳げたのです

それまでは 平泳ぎだけで クロールは苦手でした

この時代の英雄は 水泳界の古橋選手・橋爪選手

クロール泳法で世界記録を更新中でした


平泳ぎからクロールへの”転身”

プールから上がって 喜び勇んで 豆汽車に飛び乗ったのでした

客車の最後尾に乗って 園内を快走 

嬉しさのあまり 目に入ってきたすべての人に 手を振ったものです



あれから67年たちました 子供たち 孫たちとも遊びました

日本一遅いジェットコースターをはじめ 利用者にやさしい荒川遊園です

※ 財布にもやさしいですよ ※



都電 荒川線に乗ってのご利用 お薦めします

人世 都電の如く

2017年01月01日 | 都電 荒川線を誉める


あけましておめでとうございます

いろいろありましたが 新しい年を迎えることができました

今年はどんな一年になるのでしょうか


こちらは 都電荒川線の始発駅 三ノ輪橋です

ここから終点早稲田に向かって 下町・山の手の街並みを

縫うようにガタコト走っていきます

慎重に ゆっくりと ルールを守って 途中 車に追い越されても

あわてず騒がずマイペース  古老の風格を滲ませながら我が道を行きます

見習いたい人生の過ごし方です


そして この都電には様々な乗客が乗ってきます

人との出会いの中から学ぶ楽しい人生劇

主役は その都度変われど みな 小説より奇なり

不遇も苦労も笑いにしてしまえば”はなまる”です


”早稲田到着”までの一年 人との出会いを楽しみながら過ごして参ります

今年も どうぞよろしくお願いします 

都電の街で 紙芝居

2016年09月06日 | 都電 荒川線を誉める


都電:荒川線の「荒川車庫前」停留所です

こちらは↓ 友人のI君が描いた同停留所の水彩画です



4日の日曜日 この荒川車庫前停留所近くにある老人施設に行ってきました

施設に入所している知人のAさん(女性 80歳)

何事にも感謝の気持ちを持つ穏かで素敵な女性です

ひょんなことから 彼女が紙芝居を懐かしがっているのがわかりました

最近 紙芝居の演者に関心を持っているオヤジな私です

ご縁とは 不思議なものですね

早速 施設長のHさんに相談しました

快く承諾をしていただきました

ボランティア紙芝居の開催です


わが師匠のTさんの快諾もいただき 二本立ての上演となりました



参加者15名 私の出し物は 最近やっとモノになってきたらしい「安寿とずし王」です

喫茶店での反省会 師匠からお褒めのお言葉を賜りました

これで 今後のやる気がモリモリ



師匠は リクエストの多かった「愛染かつら」です

入所者の方々に喜ばれましたね~~

昭和13年制作の松竹映画

主演の上原謙 田中絹代を思い出されたのでしょうね

師匠の名演によって みなさんは一気に数十年前へのタイムトラベル!

上演後に全員で唄った主題歌の「旅の夜風」♪

♪ 花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道

  泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 

  月の比叡を 独り行く ♪


この施設での 紙芝居公演は継続しそうです

みなさんの笑顔が忘れられません

我々も みなさんから元気をいただいてきました

都電 荒川線に幸あれ!

2015年05月30日 | 都電 荒川線を誉める
最盛期には 都内を41系統もの多くの路線で活躍していた都電でした

銀座・新宿・渋谷・池袋・上野・浅草の繁華街をはじめ 

板橋・北千住・荻窪・品川・向島・錦糸町等の周辺区 都内どこへ出かけるにも都民の足として世話になったものです

かく云う私も高校時代は都電3系統の乗継で 今では地下鉄利用で30分の所を1時間以上かけて通学していました

電車賃は どこまで乗っても8円の記憶があります 学割の定期代は忘れました  とにかく安かった

その都電の全盛期と活躍も 東京オリンピックころまでだったでしょうか

目覚ましい経済の発展 自動車の急激な普及とともに都電が邪魔者扱いされてきたのです

路面の軌道内は車に占拠され 都電の大きな車体が立ち往生

その姿は 武蔵坊弁慶の悲劇を彷彿させたものでした


次第に姿を消してゆく都電

41系統すべての路線が廃止の予定でした

我が街の4系統も風前の灯でした

ところがどっこい 生き残ったのですね~27系統と32系統が

理由はふたつ 都電以外交通の便が悪かったことと住民の陳情でした

東京都の英断といいたいところですが 理由は違うところにあったと思います

二つの系統は 他の路線・系統と異なって車と一緒の路面を走行せず 普通の電車のように

専用軌道を利用していたのでした

自動車の邪魔にならない


かくして 27系統の三ノ輪橋~赤羽 32系統の荒川車庫~早稲田間の路線を再編成して現在の三ノ輪橋~早稲田の

荒川線が誕生しました

民間会社時代の(王子電気鉄道 通称王電)旧型車両から逐次新型車両に入れ替えての現在があります

発時の合図 チンチン音を残したのは正解  昭和の郷愁を誘います


都電全盛時には 旧型車両ばかりで肩身の狭い思いをしてた車両の100型たちですが

いまでは全て最新型が配備され 全国の鉄道ファンの熱い眼差しを浴びています

この日は 地元荒川区と都電営業所が素敵なイベントを提供してくれました



この時期 都電の沿道を飾る薔薇 ボランティアさんの労作です



町屋駅前では 即売会「薔薇の市」が開かれました



我が家の猫の額にもスター誕生!


都電と薔薇のコラボを見るにつけ想うことがあります

一度廃止の運命にさらされたこの都電も ひょんなキッカケから見事に復活!

稀な幸運であったけれど これは人生にも言えることではないか

最後まで旧型車両で毎日精一杯頑張って走り続けた2系統です

最後の最後にご褒美をいただきました

これからもこの荒川線 下町人種の貴重な足として また風物として長い余生を送ることになるでしょう


都電荒川線に幸あれ!

噛みつくな 前へ進め!

2015年01月17日 | 都電 荒川線を誉める
元気すぎる京都のオジさんがいましたね

74歳 週に3回ジムに通って身体を鍛えていたオジさんでした

それが あろうことか 喧嘩をして同じジムに通う71歳のオジさんの耳に噛みつき

耳を食いちぎってしまいました

幸いにも 被害者の耳は"復元"されましたが 凄い事件でした

74歳 きっと入れでなかったのでしょう  それもスゴイことですね


そこで 我が家人の先日の出来事です

たまたま利用した都電荒川線でした

停留所で友人とお喋りしてたので 到着した電車に乗る時は乗車カードを用意していなかった

そのため 乗車口でスムースにカードが出せなかったのです

するとまさにその時でした

家人の後ろから乗ってきた白髪の男性 推定74歳

家人の背中を両手で押しながら「なにをもたついてんだ! こののろま!」

怒鳴りながら電車の奥へ入っていったそうです

唖然とする家人と友人でした

文句を言っても逆に難癖をつけられるかもしれない

友人ともども黙っていたそうです 悔しかったけど・・・


と その時でしたね

「くわばらくわばら あの手のオヤジが耳に噛みつくんだね 奥さん よく我慢しなすった」

車内に聞こえるような声で応援してくれた紳士がいました

スポーツマンのように体格のいい男性だったそうです

さすが人情下町を走る都電荒川線です

強い味方が乗っていました

件のオヤジにも聞こえていたはずですが 音なしの構え

力でも勝てないと悟ったのでしょうね

この紳士の応援ですっかり気分を良くした家人でしたが後日談があります


「事件」から数日後の商店街です

夕飯の買い物に出かけた家人でしたが 忘れもしない”噛みつき候補のオヤジ”を目撃しました

八百屋の店先で主人と言い合っていたそうです

なんの争いだったか聞きそびれましたが 大変な剣幕

野次馬もかなり集まっていたようでした


”暴走老人”出現といわれて久しい昨今です

お互いに 苦しかった戦後を乗り越えてきた70年

同じ苦難の経験・体験同士ではないですかご同輩!

好期好齢者は スクラム組んでいつまでも元気で前進しなければ!

怒りをぶつけるには相手が違いますぜ ジャンジャン!!



       前進あるのみ 今日も元気な都電荒川線


荒川線の薔薇

2014年05月22日 | 都電 荒川線を誉める


都内で唯一の都電 荒川線が最も誇らしげに走る季節になりました

そうです いまや 全国的に有名になった沿線を飾る薔薇に彩られた荒川線です



                  (三ノ輪橋 停留所にて)

都電と薔薇を撮影する老若男女のカメラマンの数は 年々多くなっています


新幹線 リニアモーターカーにはない なにか不思議な魅力を秘めた都電荒川線です

民家の軒先をかすめて通る”昭和の風景”も魅力のひとつなのでしょうね


薔薇を背景にした都電を見てると・・

先週の二泊三日研修出講の疲労も 完全に吹き飛びました

元気な都電たちに負けていられませんからね

そして研修後のいま 都電や自転車に乗ってのボランティア活動が続いています


※  過日 テレビ東京で 23区唯一の区立遊園地「あらかわ遊園」が紹介されました  

荒川線の「荒川遊園地前」で下車 徒歩3分です  もんじゃの香りが漂ってます 

子どもたち 孫たちの幼い頃 都電・自転車で頻繁に遊びに行ったものでした  ※

女性専用車?

2013年11月19日 | 都電 荒川線を誉める
久しぶりに登場した都電荒川線ですね



三ノ輪橋始発の早稲田行がまさに出発進行~~チンチン!

そして カンカンカン! 警報機の音とともに手前の遮断機が下りてきます

ガッタン ゴットン ゆっくり通りすぎていきました


ブログ登場は久しいのですが 実はこの都電荒川線

最近になって 頻繁に利用するようになりました

そうです 福祉ボランティアのために週に二回は乗るようになりました

昼間の乗客は圧倒的に中高年 というより高年 高高年男女 

いや まてまて 正しくは高高年女子が幅をきかせてます

電車の女性専用車ならぬ 高高年女性専用車といっても過言でないでしょう

特に 4のつく日は巣鴨のお地蔵さんの縁日です

巣鴨からは はるかに遠方のはずの三ノ輪あたりからでも高高年女子が乗り込んで

今日のお買いもの 願い事 嫁の話題でそれはそれは大賑わい

お酒を召さないでも これほどの「会話力」には尊敬してしまいます


そのお酒の話題ですが 最近になって車内にこのような暖簾が出現しました ↓



”お酒 のんだら のれん”暖簾です

地元の警察がアイディアを出し 都電の営業所に寄付したようです

”飲んだら 乗るな”から一歩前進 スマートだな・・・しかしこれは男子の思いでした

「あたしたち お酒飲まないよね~」

「飲んでも養命酒か梅酒 酔っ払わないわよね~」

「ノンアルコール知ってる? いいわよ~」

「お酒に飲まれちゃダメよ」

近所のダレソレさんは酒癖が悪い・・・


ボランティアおじさんの立ってる前の席で 暖簾談義に怪気炎の下町女子たち

誠に元気で結構でした


それにしてもオジさんたちの姿が少ない

オジさんどこ行った もっともっと外に出ようではないか

蓑虫状態では心身の衰えは目に見えてますぞ 


※ 歩きは続いていますよ ※

昭和の残像 さくら新道

2013年03月01日 | 都電 荒川線を誉める


都電荒川線の軌道です

正面に見えるのが王子の飛鳥山  かっては将軍家の鷹狩りの場でした

八代将軍徳川吉宗が 江戸庶民のために多くの桜を植え 花見の場所として開放しました

以来 江戸時代の花見時には無礼講の場として また仮装が許可され 庶民の人気を博していました

現在も桜の時期の人気スポットです



明治の世 都電の前身 王子電気軌道時代 ここ飛鳥山~大塚駅間が開通 ”郊外電車”の誕生です

その後 路線が延長され いまでは最新型の車両も登場し都民の大事な「足」になっています



遠くに 黄色い旧型都電が展示されている飛鳥山公園

冬は寒々してますが 季節になれば桜の満開となります

「花見は上野より飛鳥山だね」 江戸通を自任する花見客で大賑わいです



ところで 花見には早い王子飛鳥山の今日の話題ですが・・JR王子駅に通じる坂を下ると・・・

実に渋い木造建築物が迎えてくれます



JR王子駅ガード横の”さくら新道”飲み屋街です



飲み屋街の入口 これまた渋いお地蔵さま





新幹線の高架脇で 王子電気軌道時代そのままの雰囲気を残した飲み屋街!

近代化された王子の町並みですが

ここには昭和というより大正時代の雰囲気 息遣いが感じられます

昼下がりのひとときを建物を眺めながら行ったり来たりでした


若い頃はよく飲みにきました 経営者の多くが高齢者というのがよかった

王子駅前の映画館の帰り 映画の話題で盛り上がりアルコールのピッチがあがったものです

古き佳き時代の佳き飲み屋街 


ところが昨年 この「さくら新道」の奥の店で火災が発生

類焼して3分の2もの多くの店が焼失しました

かろうじて残ったこれらの店も営業が定かでありません

日を改めての再訪が求められます

「営業しててくれ!」

祈る気持ちで”現場”を後にしました



帰路 都電荒川線はいつに変わらぬ元気さでガタゴト快走

周りの風景は変わっても 運転台と車内には 昭和の景色が残っていました


※ 公園内にある三博物館 渋沢史料館・紙の博物館・北区博物館は必見です ※


祝 100歳!

2011年10月11日 | 都電 荒川線を誉める
日野原重明先生が 100歳の誕生日を迎えられましたね  おめでとうございます

先日のNHKテレビでは ますます元気な先生の日常生活を紹介していました

先生が誕生した明治44年といえば 亡き母と同年です

母は85歳で亡くなりましたが 先生の次の目標は110歳!

いまの状態ならば 実現可能なお歳でしょう

我々若輩ものは 先生に負けてはいられませんね


ところで やはり今年見事に100歳のバースディーを迎えた下町の人気者がいました

そうです・・こちらの御方です



ニューフェースの赤い電車も今日だけは「露払い」・・


午後2時20分 いよいよ主役が現れました




Happy birthday box がんばろう日本!

都電荒川線の前身 王子電気軌道(通称王電)誕生が明治44年です

奇しくも 日野原先生と同年でした  満100歳 よくぞここまで!

しかし 人生と同じです ここまで来るには様々な辛酸をなめてきました

関東大震災 大東亜戦争の空襲 そして昭和40年代の”都電廃止令”

特に”廃止令”は人為的な最たるもので 41系統あった仲間たちが次々に姿を消していきました

理由は 路面電車は「自動車の邪魔になる」

荒川線(当時の27系統 32系統)は唯一生き残りました

”自動車の邪魔”にならない専用軌道を走っていたからでした 前身・王子電気軌道のおかげです


そういえば 都電黄金時代には なぜか旧型電車ばかりが集められた「荒川線」です

しかし 苦労はしてみるものですね

生き残ったばかりでなく いまでは毎年のように新型車輌が投入され都電ファンを楽しませてくれてます



決して派手さはなく たった一台で荒川線誕生100年を祝った花電車・・

宣伝された「花電車」のイメージよりも 白いイチゴショートケーキ電車のようなバースディーイベントでした


いま 路面電車が見直され復活計画があるようです

日野原先生が110歳になられたとき 荒川線の仲間は誕生してるでしょうか

みんなで見届けませんか?