酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

なんだか・・なぁ

2015年02月23日 | オヤジのぼやき


風もなく 陽射しの強い散歩日和の一日になりました

有料老人施設に入って2年目を迎える友人のAさん

月に2度の面会を続けていますが この日も車椅子での散歩を所望されました

 

施設から10分ほどの公園で休憩です

草餅 豆大福 ミカンのオヤツで機嫌の良いAさんでした

いつもよりお喋りが多かったようです

楽しかったのでしょう

それが証拠に施設への帰路は歩くというのです

「お~! えらい!」 笑顔で励ます仲間の三人でした  外出はいつも車椅子で 自力で歩いたことは皆無でしたから・・


しっかり歩く彼の両サイドはふたりでがっちりとガードしました

5分ほど歩いたとき 気づいたことがあります

施設に訪問時 フロアを歩いてきたAさんは 左足を少し引きずってました

それがどうでしょう 歩道を歩く左足がしっかり上がっているではありませんか

本人は気づいたかどうか?  我々三人は歓声をあげました

そのまんまの雰囲気で施設にトウチャコ

出迎えた施設の担当者に伝えました

「今日のAさん 公園の帰りは歩きましたよ」

てっきり 一緒になって喜んでもらえると思ったところ・・

この女性 眉間に皺が寄りましたね~~

「車椅子での外出許可です 困りましたね~~」


ほかにも なにやら苦情を言ってましたが よく聞こえませんでした

施設としたら 怪我 転倒を恐れての対応なのでしょう

それもわからないではないのですが 普段のリハビリはどうなってるんでしょうね

あれだけしっかり歩けたAさんですからね

訓練次第では もっと回復するのでは?


あくまでも素人の感想ですが 施設の言い分もわかるけど なんだかなぁ~

三人の正直な気持ちでした

ウクレレ フェスティバル

2015年02月17日 | 高田純次の年金生活


8チーム51人が舞台に勢揃い

全員がウクレレを抱えています


この日 下町にひと足先にやってきた夏 8チームの面々が日頃の訓練の技を競い合いました

♪ エーデルワイス 若者たち 恋のフーガ 五番街のマリー 昴 亜麻色の髪の乙女

  お嫁においで アロハ・オエ ダイアナ ♪

3回目の発表会ともなると 各チームそれなりの実力がついてきたようでした

 

        8チームを巡回指導しているO先生   ↑

家人を含めて全くの素人をここまで”仕上げて”くださいました  感謝!  

演奏者も観客も 昭和30年代の青春時代に 戻っていったウクレレ・フェスティバル

心身ともに若返ってきました



復活! 戦前の五色桜

2015年02月14日 | 隅田川


遠くにスカイツリーを望む荒川土手

若い桜の木が根付いてきました

実はこの桜の若木 明治から戦前まで「荒川の五色桜」として有名だった桜並木の復活を目指して植樹されたものです

最盛期は 3000本以上が6キロにわたって咲き誇っていました



1912年には この桜の苗木が東京市からワシントンに贈られ いまもポトマック公園の名所になっています

足立区では この伝統のある桜並木を再現させようと90年代に整備事業に着手



           ( おじいちゃんから孫への贈りもの )

1本につき3万円の寄付によって 名前・メッセージ入りのプレートが取り付けられた桜の木



見頃になるには 20年ほどかかるといいます

5年後の東京オリンピックどころではありません

歴史に立ち会う五色桜は諦めか


ところが ところがですよ

昨日の朝刊でしたが なんともまぁ・・・



墨田区在住のGさん 明治36年生まれの111歳!(ご長男 87歳)

ご自身の人生と作品を紹介された本を出版されました


素晴らしいこの先輩からのお裾分け 著書に記された健康の秘訣などを学べば 五色桜観覧 もしやもしや?

八岐大蛇

2015年02月10日 | ボランティア
東京が薄い雪景色の装いをした寒い日でした

読み聞かせボランティア研修第二弾の「紙芝居」の実習が行われました

外は寒くても研修会場は熱気に溢れていました

各自が図書館で選んだ紙芝居の実演をするのです


私が選んだのがこちらです ↓



スサノウのミコトが主人公のご存じ「八岐大蛇

物語は みなさまご存じ通りのハッピーエンドです

演じてみて 苦労したのが登場人物のセリフでしたね

特に 八岐大蛇の犠牲になりかけた娘さんのセリフです

お婆さんはなんとかなりましたが 若い女性の声は

ウラ返ったりして・・・

「練習すれば大丈夫ですよ がんばってください」 やさしい先生の励ましの言葉に救われました


それにしても みなさん上手に演じていました

紙芝居は初めてという方がほとんどでしたが 演劇をやっていた 教師だった 納得です

あわてず ゆっくりついていきましょう

その日のうちに 後輩が主催する紙芝居ボランティアグループに参加させていただきました

新しい仲間たちとの交流がはじまります



紙芝居実習の前にお参りした スサノウ所縁の神社「スサノウ神社」です

コツ通りの ご紹介

2015年02月04日 | 江戸検定
日光街道スサノウ神社からJR南千住駅にかけての通り

その名を「コツ通り商店会」といいます

いまでこそコツ通りですが 昔はたしか骨通りと称していました



なぜか?

理由はどうもこちらにあるようです



商店会近くにある延命寺の首切り地蔵です



江戸時代 南の処刑場は東海道の鈴ケ森 (品川区)

そして 北の処刑場はここ延命寺のある小塚原(荒川区)でした

どちらの刑場にも 近くに同じ地名「泪橋」(なみだばし)が今も残っています

受刑者と親近者が 泣きながら最後の別れを惜しんだ場所なのでしょう

吉田松陰も ここで首を刎ねられています


そこで 骨通りですが 多くの罪人が処刑されたため 明治維新後もこのあたりは地面をちょっと掘ると

やたらに人骨が出現した

それが理由の骨通り命名のようです(諸説あるようですが)

戦後 これでは露骨(あ 骨ですね)すぎる

さりとて 全て変えるには忍び難し

賢い長老がいたのでしょうか

カタカナ文字でコツ通りとなりました

以来 トンコツを売る精肉店をはじめ 商店会が存続しています



今回久しぶりに訪問したコツ通り商店会でしたが 

なんともユニークな名称をもって開業してたのが・・・



治療効果抜群と思わせる整骨院です コツ骨ですからね

胸突き坂で鍛錬?

2015年02月02日 | 坂道


文京区目白台にある「胸突き坂」です

名称のとおり かなりの急坂です



愛車の電動アシスト自転車”オジ3号”も押しながらゆっくり下ります



胸突き坂を下れば神田川

神田川といえば松尾芭蕉です (かなり強引な展開になりましたが)


というのもこの神田川  芭蕉が延宝5年(1677)から8年にかけて神田川改修工事に参画し

「龍隠庵」と呼ばれる庵に住んだと伝えられているのです

後に世人は「関口芭蕉庵」と呼びました





深川の芭蕉庵に移る前 奥の細道出立に備えて この胸突き坂で足腰の鍛錬をしたのではないか?

江戸時代 深川は埋め立て地で平坦な土地でしたからね


愉快な想像をしながら 帰路 椿山荘でコーヒータイムを楽しんだ冬の一日になりました


なお その後の「芭蕉論争」ですが AR区はJR常磐線の南千住駅前に「芭蕉奥の細道出立の石像」を建てることになりました

広報の一面は芭蕉だらけ 果たして相手のAD区はどう出てくるか

今後とも目が離せません