酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

ブックオフでの学び?

2014年09月30日 | オヤジのぼやき
〆て980円也!


中型のダンボール箱 4箱に整理よく納められた古本でした

本の内訳は 単行本42冊 コミック25冊 文庫21冊 新書10冊

近隣の大型古書店「ブックオフ○○店」に持ち込みました

書店のあるビルの地下に車を止め 電話で台車のお願いをしました

やってきたのは若い女性店員さん

彼女に導かれて 台車と共にエレベーターで4階に上がります


待つこと30分 ビルの周辺を散歩していました

携帯電話の呼び出しで書店の受付へ行き 提出されたレシートの買い取り価格を見て・・・

その額が冒頭の価格980円でした

持ち込みの本の数が98冊ですから 1冊10円なんですね

(瞬時に脳みそが高速回転です ガソリン代はどうなる? 駐車料金は?)


ま お蔭様でリサイクルに回る本はなく 駐車料金も無料の計らいでした

汚れた本はなく 彼等本たちも新しい”主人”に買われて第二の人世を送ることになるのでしょう

以来ですね 自販機で缶コーヒーを買っても「これで本12冊分!」

お金に対する認識が変わったようです

ケチケチするのもなんですが お金のありがた味を学んだブックオフ初体験になりました


この体験の翌日でしたね

NHKの「老後破産」を視聴して 忘れかけていた1円 5円 10円玉を改めてじ~と眺めたものです

考えさせられた番組でした

犬も歩けば犬○○に当たる

2014年09月27日 | 酒の席


JR中央線 中野駅前に聳える「中野サンプラザ」です

夕方から強い雨が降ったこの日

今年の同期会忘年会の会場下見に訪れました

会場候補のひとつ サンプラザの20階も夜景が映えて なかなかの施設と料理でしたが

昨年が東京スカイツリー隣接の高層会場だったため 幹事3人の意見は今年は居酒屋がよかろう

意見が一致したため 中野サンモール商店街を歩き回り瀟洒な飲み屋さんを見つけました

試飲・試食の結果◎ 会費も手ごろな値段になりました


そこで 表題の「犬も歩けば・・」ですが

幹事のメンバーのひとり Iさんが地元中野区の住人でした

お酒を酌み交わしながらの雑談のなかで おっと膝を乗り出す話を聞きました


さきほど視察したサンプラザの周辺ですが戦前までは かの「陸軍中野学校」がありました

中野学校は 陸軍の諜報員養成機関でしたね

市川雷蔵主演の大映映画の強烈な印象が残っています

それは知っていましたが 実は江戸時代

5代将軍綱吉は”生類憐みの令”を制定した犬公方として後世に名を残しました

その綱吉が設置したのが野犬の収容所 その収容所がサンプラザ付近にあったというのです

Iさんの説明によると 住居表示改正前の町の名が「囲い町」

犬を囲っていたそのものズバリの町名ですね

幹事会は即 歴史談義に移行しました


それにしても思わぬ話題の習得でした

”かねやす”迄が江戸のうち 現在の文京区本郷3丁目までが江戸だったようですが

果たして 当時の中野は?

新宿(当時のにいじゅく宿場)から かなり離れていますからね

野犬たちは 住み慣れた江戸を離れ 甲州街道を運ばれてきたのでしょうか


それにしても やはり歩いてみるもんです

”犬も歩けば棒”ならぬ”犬も歩けば犬公方に当たる”

思わぬ収穫のあった忘年会幹事下見になりました



米 弥生といい 囲い町といい 歴史ある町名が消えかかったり消えたり まことに残念ではあります 米

振袖火事 本妙寺の変だな

2014年09月23日 | 坂道
江戸の大半を焼きつくし およそ10万人が焼け死んだといわれる明暦の大火

通称 振袖火事は明暦3年(1657年)に起こりました 火元は本郷にあった本妙寺といわれています

名刹本妙寺には江戸後期の町奉行 遠山の金さん 北辰一刀流の祖千葉周作の墓もありました

寺は 明治43年に豊島区へ移転しています



現在 本妙寺坂の跡地にはマンションが建っています


明暦の大火がなぜ振袖火事と呼ばれるのか 伝承されている由来によれば・・・

① 麻布の質屋の一人娘梅野が母親に連れられて 菩提寺の本妙寺にお参りをした

  そのときすれ違った寺小姓風の美少年に魅せられた

  梅野は母親にねだって その少年が着ていたのと似た振袖をあつらえて 少年を恋し続けるが

  明暦元年1月16日哀れにも17歳で亡くなってしまう

  両親は梅野の棺を振袖で覆い本妙寺に納めた

  住職は前例に従って古着屋にこれを売った

② ところが 翌年の梅野の命日に上野山下の紙問屋の娘の葬儀があったが 奇しくも同じ振袖が

  本妙寺に納められた

  住職は同様に古着屋に売った 娘は梅野と同じ17歳だった

③ 翌々年の梅野の命日 今度は本郷元町に住む娘の葬式があり またその振袖が寺に納められた

  この娘も17歳であった


住職はあまりの偶然に驚き 3人の娘の親と相談して明暦3年1月18日 大施餓鬼をして

最後に振袖を供養のために焼いたのだが その振袖が空中に舞い上がって 本堂内の経文や

障子などに燃え移り 屋根を焼きたちまち周囲に燃え広がったという

江戸城天守閣まで焼失したこの大火は 3日間燃え続けた


以上の挿話が 現在まで伝承されている「振袖火事」です



しかし これだけの大火災の火元であったにかかわらず 何故か本妙寺にはなんのお咎めもなし

本能寺の変ならぬ「本妙寺の変だな」

誠に変な話ではあります なにか裏があるのではないか? 勘ぐりたくなりますね


やはりありましたよ ある噂が・・・

実は火元は本妙寺に隣接した さる大名の屋敷ではないかというんですね 火の不始末 お粗末

対面を考え 犯人を本妙寺にすり替えた?

本妙寺は失火の身代わり?

幕府も真相を知っていた?

さらに 噂には尾ひれがついて 明治維新までの長い間 本妙寺には毎年その大名家から

莫大な寄進があったというのです  200年以上にわたって寺へのお礼が引き継がれてきのでしょうか


いまとなっては かの本能寺の変と同様「本妙寺の変だな事件」の真相は深い霧の中です

これが歴史の面白さでもありますね

跡地に建てられたマンションを眺めながら しばし瞑想にふけるオヤジな私でございました

傾聴ボランティア 「花燃ゆ」

2014年09月20日 | ボランティア
現在 傾聴ボランティアで訪問している方のお一人が Nさん(女性72歳)です

彼女の誕生日は昭和16年12月9日 大東亜戦争勃発の翌日でした

ご主人を早くに亡くされ 女手ひとつで息子さんを育て上げました

軽い認知症の症状があり同じ話を繰り返すこともありますが 日常生活にはほとんど影響はありません

ときには明るく笑い お孫さんの話題には表情がイキイキしてきます


そんなNさんですが あるキッカケで歴史に興味をお持ちであることがわかりました

驚いたことに 幕末 長州藩でこの人ありと謳われた久坂玄端に多大な関心・興味があるというのです

吉田松陰の愛弟子で 高杉晋作と並び称された松下村塾の逸材玄端です

維新を前に戦死したため 小説 映画 テレビでは取り上げられることの少なかった英傑です

明治維新史で マイナーな存在であった久坂玄端に興味と関心・・・素晴らしいことです

Nさんの過去にいったいなにがあったのかはいまのところ不明です

久坂玄端のこと いずれ伺うチャンスを待っていたところでした


思わぬ機会が巡ってきました

なんと 来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公が杉文!

吉田松陰の妹であり 久坂玄端の妻であった文の生涯が一年にわたって描かれます

「八重の桜」の新島八重以来の女性が主人公の物語 

歴史ものが苦手という 同行の傾聴ボランティア仲間Kさんですが これを機会に大河ドラマを全編視聴して

Nさんとの共通の話題に備えるそうです


月に二回の訪問に 新たな展開が期待できる来年になりました

Nさん どんな話を聞かせてくれるのでしょうか

思わぬ僥倖に感謝です

弥生美術館 赤毛のアン

2014年09月15日 | オヤジのつぶやき
さきにご紹介した暗闇坂・・

坂の途中に瀟洒な美術館があります

「弥生美術館」「竹久夢二美術館」です 昭和59年の開館で高畠華宵の挿絵3500点を中心に

著明な挿絵画家の作品(約2万7000点)が収められています



久しぶりに出かけてきました

三連休の中日の14日 館内はいつになく混雑していました



「村岡花子と赤毛のアンの世界展」が開催されていました

ドラマ「花子とアン」の視聴率は最高25パーセントを超えたという人気番組です

かくいう我が家も 毎朝の楽しみにしている番組です


娘が小学生時代 村岡花子さん翻訳の単行本「赤毛のアン」を娘と一緒に読んでいました

一昨年は カナダで制作されてNHKが販売したディスク7枚セットを購入 ときおり家人と楽しんでいます



村岡花子役の吉高由里子さんもはまり役ですが カナダ映画界のアン役 ミーガン・フォローズがまさに適役

少女時代から青春時代 結婚に至る長い物語の主人公を演じています

 

赤毛のアンの読者は圧倒的に少女が多いようですが 意外にもオジさん族にも人気があります

友人のAさんですが アンを取り巻く人間模様 特に孤児のアンを引き取った兄と妹

マシューとマリラと 自分の環境・境遇が似てるというのです

彼との酒席では 一度は赤毛のアンの話題になり 周囲をかせています


会館内は老若男女で大混雑でした 会期が28日までということもあるのでしょう

列は遅々として進まない状態でした

写真 書簡 作家が使っていた日用品・・・

遺族が大切に保存していたのでしょう お孫さんたちが祖母を想う気持ちが偲ばれました


弥生美術館と通路でつながっているのが竹久夢二美術館です

こちらは比較的すいていましたので美人画を堪能

大正ロマンに浸ることができました



「花子とアン」もいよいよ最終章を迎えます

主人公の孫 村岡恵理さんの著わした「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」を読みました

ドラマの原案です 明治 大正 昭和の三代にわたる激動の時代を懸命に生きてきた

人間村岡花子さんの姿が 亡き母親と重なって見えてきたものです


明治の女性は実に強し

再認識の「村岡花子と赤毛のアンの世界展」でした

本郷金魚坂

2014年09月11日 | 坂道


樋口一葉ゆかりの本郷「菊坂」の一角を右に曲がったところにある その名も「金魚坂」です

細い道で先は ゆるやかな上り坂になっています

実は この坂には名前がありません  「金魚坂」というのは 坂を上がり切ったところにあるカフェの名です



「カフェ金魚坂」 食事 コーヒー 中国茶が楽しめます  なぜか葉巻も・・

経営者の本来の仕事は 金魚の卸売りと小売りです



カフェの奥で ランチュー りゅうきん ピンポンパールなど約30種類 5万匹の金魚が飼われています

最近 姿を見せなくなった”金魚売り”のオジさんたち 昔はここが出発点だったのでしょう

「金魚~エ~~きんぎょ~」 風鈴の音とともにオジさんの売り声が懐かしい

夏の風物詩でした その鍛えられた声を聞いただけで涼しくなったものです



というのもこの店 江戸時代からなんとなんと350年続き 当代は7代目の女将です



カフェは14年前から始めました

「金魚にもっと親しんでほしい」というオーナーの思いが カフェ開店につながりました



散歩のTV番組で 若大将加山雄三さんが立ち寄っていました


それにしても金魚坂 坂の名称を個人で命名したかのようです 

一見 あの細い坂道が金魚坂かと思わせますね

もちろん公の地図には載ってませんが 坂の名前でなくカフェの名前なのだから まぁよろしいのでしょう


これぞ 近くに住んでいた樋口一葉にも愛されたであろう 金魚業350年の歴史と貫録というものですね

5年振りの ものもらい

2014年09月08日 | オヤジのぼやき
久しぶりに「ものもらい」ができました

眼科の診察券をみると 5年ぶりの”開花”でした

”現場”は 左の目の下です

赤いポックリが生じています

気付いたのは数日前で そのときの感覚は「あれ? 小さなゴミでも入ったかな?」

応急的な目薬も効果なく イタガユイ状態が進行します


これはイカン 眼科の女医さんに診てもらいました

即 切開!

麻酔の注射も結構痛く それでもポックリは消えました

食後の飲み薬二錠づつ 目薬は一日6回指すよう指示がありました


昔は 母親の柘植の櫛をこすって患部に当てる

そんな治療法があったような気がします

さらに なにかもらう あるいは なにかあげると治る

そんな”治療法”が囁かれていたような?


切開から3時間限定の眼帯にも世話になり 沁みる目薬にもようやく慣れてきました

車の運転はもちろんのこと オジ3号にも乗らないで謹慎の二日間を送っています

本が読めないのが辛いです テレビも短時間

眼の有難味を痛感しています


米 落第カープも横浜から勝ちをふたつ”ものもらい”2位に返り咲きました 

  ところで ものもらいの語源はなんでしょうね 正式な病名なのでしょうか ※

落第横丁

2014年09月05日 | 広島東洋カープ


東京大学赤門前にある「落第横丁通り」入口の看板です

昔は 今よりかなり規模が大きかったようで バーや玉突き場がありました

ここで遊び過ぎると落第するというわけです

現在の「落第横丁」は レストラン 美容院など10店舗ほどで構成されています

定食屋「大島や」 チキンごまだれハンバーグが好評の「ピグ」

ぶっかけ冷やしそばの「瀧の家」が学生の人気を博しています


ところで我が「広島カープ」

首位のジャイアンツにあと一歩の位置(2位)におりましたが

今回 あえなく3連敗 3位に後退してしまいました

”首位試験に失敗” つまり落第です

ここでガックリして ズルズルとさらに落ちていくか

それとも 往時の落第学生のように発奮して這い上がっていくか

ここが正念場でしょうね


一学年下がってしまいましたが(3位)今日の横浜戦から再試験に挑戦です

稲荷か? 閻魔か!? 

2014年09月02日 | 広島東洋カープ
現在の町名は小石川2丁目になっていますが かっては小石川柳町 粋な名前の町でした

そして 商店会の名前は「えんま商盛会」といいます

商店会の命名由来は 商店会の一角に”こんにゃく閻魔”こと「源覚寺」があるからです

今回は こんにゃく閻魔の説明はいたしません いずれかのご紹介になるでしょう 理由はのちほど・・・


ところで この商店会は”ジャイアンツ”の聖地ともいうべき かの東京ドームから徒歩7~8分のところにあります

ドームの地元のため 商店会のオヤジさんたちは 圧倒的に巨人ファンであり まさに「巨人命」「ナガシマは神」

いまでも町に残る伝説によると・・


豆腐屋のオジさんが 巨人の試合のある朝は 必ずこんにゃく閻魔参り  必勝祈願です

そして勝利の暁には 店の売り物の「こんにゃく」を奉納してのお礼参り・・・

これでは巨人が 9連覇もするわけですね


今年 我が広島カープが躍進しています 今日現在で首位ジャイアンツにピタリとつけての2位にいます

23年振りの優勝が現実味を帯びてきました

そこで思い出したのが この商店街近くにある有名なお稲荷さんでした

昭和50年代のカープ黄金時代・・・

時間をみつけては カープの戦勝祈願に詣でたものです

その名も「沢蔵司稲荷」(たくそうすいなり)です

作家 青木 玉さんの家からの坂の途中にあって 大きなムクの木に沢蔵司が宿っているのだといいます



東京ドームから15分ほどとは思えない静寂な佇まい



30年前も この赤いエプロンがカープ祈願の象徴でした  今だに健在です



偶然でしょうが このキツネさん ドーム方向に顔を向けていました

挑戦的な姿勢 表情!



22年間 ほとんどBクラスに甘んじてきた垢を洗い流しての新たなお願いでした

悲願が成就すれば こんにゃくならぬ 稲荷ずしを奉納しましょう


さてさて 今日から今季の優勝を占う広島VS巨人の3連戦です

ドームではなくて 長野 前橋 宇都宮と転戦します

涼しさを吹き飛ばすであろう三球場での熱気!


そして こちらも「沢蔵司稲荷VSこんにゃく閻魔」 稲荷か 閻魔か? ゴングが鳴りました


後日 余裕をもって商店会と 閻魔さまのご紹介をしたいものです