酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

樋口一葉 (2)

2014年10月28日 | オヤジのつぶやき


東京大学 赤門です  本郷通りの銀杏並木が続いています

その赤門前にある法真寺・・・

  

「樋口一葉 桜木の宿」 

明治9年から14年まで 一葉が4歳~9歳まで住んでいました

本郷学校・吉川学校に通い 孟子の四書を読破

さらに 南総里見八犬伝 全98巻106冊を三日で読破したと伝えられる”伝説の家”です



境内の駐車場あたりが旧居跡で 233坪の土地と45坪の家がありました

当時 警視庁に勤務していた父親が28か月分の給料で購入しました

鞠つき 羽根つき 少女たちが好きな遊びは一切なし!

蔵の中で本を読みふけっていたそうです

そのため 極度の近眼になりました

  

本堂の前にある桜の木 桜木の宿 一葉が命名した所縁の樹木です



作品「ゆく雲」に”腰ごろもの観音さま濡れ仏にておはします 御肩のあたり膝のあたり はらはらと

花散りこぼれて”・・と描かれた仏像 本堂の前に安置されていました

そしてこちらが↓



本堂の裏にある「文京一葉会館」です この史料館は改修中でした


ところで 毎年11月23日の命日には一葉忌が開催されています

ここ 法真寺本堂で法要のほか 一葉にまつわる講演や朗読などが実施されていますが 本堂も改修中のため

今年の会場は「文京シビックセンター」になりました

作品の朗読は女優の幸田弘子さん 解説は佐山氏です  参加します いまから楽しみにしています


※ 樋口一葉が台東区より長く住んだ文京区です 立派な森鴎外記念館を所有する文京区ですが

  お寺さんが強くかかわっているためでしょうか 一葉の功績を顕彰する公の施設がありません

  なにか いい知恵はないものでしょうか ※

樋口一葉 (1)

2014年10月23日 | オヤジのつぶやき
文豪 森鴎外をして「このひとに まことの詩人といふ称を おくることを 惜しまざるなり」

最大級の賛辞をもって明治の文壇に迎えられたのが 24歳6か月の若さで世を去った樋口一葉です

事業に失敗した父親を早くに失くし 17歳で家長を継いで母と妹を養っていた極貧時代・・



一葉の暮らしぶりを物語る共同井戸 (昔は 釣瓶式だったでしょう)

 

今に残る 明治時代が蘇ったような本郷区(文京区)菊坂界隈です

当時 一家はこの辺りに住んでいました



一葉が 毎日のように通った質屋の「伊勢屋」です 菊坂通りに現存しています

裁縫 洗濯などの手伝いだけでは生計が立たなかったのでしょう

この伊勢屋ですが 万延元年(1860)に開業して昭和57年に廃業しています

当時のままに残してくれている持ち主には ただただ感謝です

案内板には”一葉が24歳の若さで亡くなったとき 伊勢屋の主人が香典を持って弔ったことは

一葉とのつながりの深さを物語る」と書かれていました


そして 極貧の本郷菊坂時代から 下谷区(台東区)龍泉寺町に引っ越したのが明治26年7月

駄菓子屋と荒物の小さな店を開きました

「たけくらべ」の構想は竜泉で練られました

しかし ここでの暮らしはほぼ10か月で終わります

一葉一家は明治27年5月 またまた本郷区(文京区)へ移転します

丸山福山町4(西片1-7-18)の一戸建ての借家で ここが一葉の終の棲家になりました





借家の跡地 紳士洋服のコ○カの前に碑がありますが なにか寂しい感じですね


一葉一家が10か月ほどの短い”滞在”だった台東区には「樋口一葉記念館」

あって観光客で賑わっていますが”本家本元”の文京区としてはいかがなものか?

多くの文豪に所縁のある「ふみのみやこ」としては一葉に冷たいのでは?

なにかありそうですね


その理由らしきもの オジ3号に乗って奔り回った結果 あることが推察されました(?)

オジ3号の探偵推理 次回の樋口一葉(2)でご披露しましょう

果たしてその推理とは!

アド街ック天国

2014年10月20日 | 広島東洋カープ
今年の我が広島東洋カープですが

9月上旬までは 首位を伺う位置につけていましたが 終盤見事に失速!

昨年同様の3位に終わりました

しかし 同じ3位でも昨年は勝率5割にも満たないグリコのおまけのようなAクラス入りでしたが

今季はどうしてどうして74勝68敗の2引き分け

久しぶりに勝ち越しての堂々3位でしたからね

日本シリーズ出場権を賭けたクライマックスシリーズでは 2位阪神に2試合連続の完封負けを喫しました

ま 実力からいっても順当な成績でしたね


問題は来年です

大方のファンには その采配振りで人気がイマイチだった野村監督が辞任して

新たな監督には カープ生え抜きの元スラッガー緒方孝市氏が就任しました

現役時代の勝負強さ 佐賀人の粘り強さが発揮できるか

若い選手たちを引っ張っていくリーダーシップは?

課題は少なくありませんが「優勝を目指す」という就任時の挨拶・決意に期待したいものです


ところで 表題の「アド街ック天国」ですが これはテレビ東京で放映され「なんでも鑑定団」に次ぐ?人気番組の名称です

各地の街を集中的に取材して その街の特徴・名物を紹介する番組です

18日は我が地元の町屋が紹介されました 題して「京成町屋」

お約束の名物飲み屋・匠の紹介・伝統芸・老舗の和菓子屋・名物八百屋・もんじゃ屋・・・

日頃見慣れた光景 人物の登場に頬を緩めてましたが ある場面で思わず「ハィ~イ~イ~?」

つづいて出てきた言葉が「私としたことが・・」

まさに杉下右京さんになってしまいました


それは数年前に放送された場面の再放送場面でした 父と小学生の息子が狭い室の中でトスバッティングをしてます

室内での打撃練習です

野球アニメ「巨人の星」 父の星一徹と息子の飛雄馬を彷彿させる特訓場面でした

さすが下町町屋 こういう親子が存在してたのか 

そこまではよかったのですが 場面は急展開して広島カープのある選手のクローズアップ

新人内野手 今年そこそこに活躍した「鈴木誠也」選手が出てきたではありませんか!

ナレーター氏曰く・・・

「あのときの少年が プロ野球選手になりました 夢をかなえた下町少年 いまでももんじゃが大好きな鈴木選手です」


鈴木選手が東京出身は知ってましたが まさかまさか町屋とは

これもアド街ック天国のおかげです



父と息子で乗ったであろう 町屋近辺を走る都電荒川線



”町屋銀座”商店街は 今日も活況を呈していました


広島カープの応援 来年はいままで以上の熱が入ります  下町の星飛雄馬ならぬ下町の☆ 頑張れ鈴木誠也選手

三世誕生

2014年10月14日 | 無農薬野菜作り


秋も深まり 今年も柿が実をつけはじめました

台風19号が鹿児島に上陸した12日



家人ともども 久しぶりに畑の景色に再会しました



今にして思えば 片道2時間半の道のりの畑行き

17年の長きに渡っての無農薬野菜作りを楽しみ 収穫の喜びに浸ることができました

腰痛の発症のため 残念ながら昨年末に「引退」しました

借用した畑は4か所の変遷を経ましたが それぞれの場所に深い思い出があります

初心者だったときのビギナーズラックのような「人参」の大収穫!

二番目の畑では「ジャンボさつま芋」の出現にびっくり!

三番目は軽度の坂がありましたが 「里芋・大根・たまねぎ・なす」の”良品”に自信を得ました



腰痛後は面積も狭く 比較的楽な農作業の畑でした

それにしても 全くの素人だった人間に 野菜作りの基本から手ほどきをしてくれたYさん夫妻のおかげです

当時 小学生だった息子さんのM君は紆余曲折の末に農業を継ぐことになりました

栃木県の農家の娘さんと結婚して 9月26日に無事に第一子男児誕生に恵まれました

野菜農家 第三世の誕生です

私たち夫婦の顔をしっかりした表情で見つめる三世I君でした

息子さんへの厳しい指導より きっと手心を加えるに違いない祖父のYさん

孫を見つめるやさしい目が語っていましたね


これからも 時折訪れることになるでしょう

三世のI君の成長が楽しみです



お馴染みの「渋い家」 こちらも変わらず健在でした

江戸を守った日本堤

2014年10月08日 | 隅田川


台風18号一過 隅田川左岸(右側)の光景です

浅草桜橋から遠く白髭橋を望む箇所からの撮影です

夏の花火大会で賑わった場所ですが 

秋になって人も疎らになりました



見上げれば首都高速道路で 東北道・常磐道に繋がっています


実はこの隅田川の左岸堤防 かの明暦の大火以降 川幕府によって改めて整備されました

江戸の「都市計画」ですね

この事業で いよいよ下総の国が江戸に編入 武家屋敷・町屋が建ち並びました


大川(隅田川)の氾濫 洪水を防ぐためのインフラはここ墨堤だけではありません

右岸には 全国の大名に命じて 浅草から三ノ輪まで高さ3米・幅8米の土堤を築きました

いまも 地名に残る「日本堤」です (全国の大名に普請を命じたので日本堤)

その痕跡がこちらです ↓





これで江戸市中は 大川の洪水の危険から守られ 世界一の100万人都市に発展していきました


信長・秀吉に比べて なにかと人気度の低い家康ですが現在の東京の基礎つくりをした貢献を忘れてはなりませんね

暴れる利根川を江戸湾から 銚子に移す (利根川東遷事業)

歴史小説には顕われない家康の功績です


以来 明治・大正・昭和と続いた河川管理のお蔭で今回の大型台風18号の被害がありませんでした

ただし江戸時代 我が住居地域は「日本堤」から離れた湿地帯の農村でした 

荒川(大川)の氾濫・洪水は日常茶飯事で 農作物に多大な被害を与えたようです


それも今では昔の話・・・



日本堤(土手)の近くで明治22年に開業した老舗の天丼屋「土手の伊勢屋」です

時折 出かけています

丼の蓋からはみ出すアナゴ エビ カキ揚げ  

ご先祖様に成り代わって 当時の思いを込め舌鼓を打っています

墨堤・日本堤 土手の伊勢屋 いまでも江戸の香りを漂わせていました