酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

ブログ初年で感じたことなど

2005年12月31日 | コミュニケーション
昨日30日は 今年最後の畑ゆきとなった

年が明ければ 10年目を迎える野菜作りだ

現役時代の晩年に始めた農作業 いまではやっていてよかったと思っている



ここ「松浦」での昼食 もつ煮込み定食740円

10年前と全く味が変わっていない

ドライバーに人気の県道沿いの店だ



我々のハウスも 移転新築して5年を経過した



これは 師匠Yさんの本拠地の内部だ

ここで 野菜作りのなんたるかを教えてもらってきた

まさに1対1の対面によるコミュニケーションだった


そこで またしても感じることがある

今年の2月から始めた ブログのコミュニケーション

後輩のH君からの紹介だった

相手の顔 表情 声が全く不明のままのブログのコミュニケーション

以前述べたように 懐疑的な私だった

相手のブロガーの方々との意思疎通 伝達は果たして可能なのか

コミュニケーション研修に携わる者としても 興味があった


今日は今年の最終日だ

1年近く続けたこの「ブログ」について 率直な気持ち 感想を書いてみましょう

結論はグーでした


その理由は3ツある

(1)”対面同様”のコミュニケーションが取れたこと

これは本当に意外な結果だった

クセ字もない いつも同様の字体 顔 声も聞こえない無機質なコンピューターが

表示する活字の羅列 電光ニュースのような文字の並びといってもいいだろう

この文字から 突如 人の息吹き 体温を感じはじめたのはいつの頃からだろうか

長く続けるうちに現れる性格 クセ ものの考え方 そして見方など

共感 納得 人柄も分かってくる

当初の戸惑いから 10年もの知己だったように感じる方々になってきた

長く続けるうちに生じた お互いの人柄への理解と親近感がなせる結果と思う

対面コミュニケーションに勝るとも劣らない ブログの成果だった


(2)共感と協同力が生まれたこと

これにも素晴らしい力を発揮したブログだった

夏 後輩のH君が子どもたちのために「キアゲハ救出大作戦」を企画

このブログで紹介したところ 実に多くの方々からの情報提供と協力を得た

さらに「行方不明の少年」を捜そう!の呼びかけ

最近では 難病の8ヶ月のあかちゃんを救おう!

全国レベルでの協力が実現して 手術に成功したことは記憶に新しい出来事だ

他人に関心をもたなくなった現代人と言われて久しい

しかし こういった事実を見る限り まだまだ希望が持てることはうれしいことだ

共感 協同の清々しさを思い起こしてくれた ブログの新発見になった


(3)新しい知識を得られたこと

人間の知識には限りがある

1日24時間 自分ひとりだけでの情報収集では ままならない

読む 聞く 見る

ブログは「未知」を「既知」に変えてくれるありがたい存在になってきた

北国 南国の風景 風習 珍しい出来事 うまい酒の情報 詩の紹介

そして なによりも嬉しかったのは いまのいままで全く関心のなかったこと

例えば 私にとっての「花」だ

野菜作りは好きなくせに 植物 特に花の類は興味が皆無

少しだけでも 関心を持てるようになったのも ブログを始めたおかげだろう

話題の範囲 話題のひきだしが多くなった


2月当初は 半ば冷やかし気味で開始したブログ

使い方によっては 素晴らしいコミュニケーション手段になり得ると確信しました

コメントで誉められたときの喜び

思わぬことの指摘を受けたときの 納得感 これも嬉しいものでした

パソコンで 素敵な意思疎通が出来ることを実感した私たちです

生身の 対面コミュニケーションも同じでしょう

新しい年を迎えるに当たり これからの対人折衝に思いを巡らすオヤジな私でした



とり年が去り 明日から犬年ですね

今年はいろいろ ありがとうございました

来年も よろしくお願いします

みなさま よいお年をお迎えください















 













"生きているうち はたらけるうちの" お餅つき

2005年12月29日 | 無農薬野菜作り


風は冷たかったが 晴天に恵まれた28日

ここ 埼玉県O町のYさん宅の庭で 毎年恒例の餅つきが行われた

今年は 後輩のT夫妻 H夫妻が仕事の関係で参加できなかった

そのため 人手不足が不安な私たちだった

以前のような働きに自信がない 風邪気味でもある

この 不安感はYさんのひと言で吹き飛んだ

来春 大学の推薦入学が決まった 末息子が頼りになるという

これでひと安心 安堵感と期待を胸に 高速道路を奮発 9時半に到着した



奥さんの母親 82歳になるおばぁちゃんを筆頭に 皆さん準備の真っ最中 



前夜から準備をしていた新米の白さが 目にまぶしい



かまどの火加減にも ウンチクのコメントを発するYさん



ウンチクが功を奏してか ほどよい炎で炊き上げる



さぁ いよいよ開始だ

餅つきは 最初の”こねる”のが一番大事であり「力」と「コツ」が求められる

うまく こねれば8割方は出来上がってしまう

息子さんへの伝授をするためか 今日のYさん 例年より気合が入っていた



おばぁちゃんの見守る中 Yさん夫妻による見本演技の開始

さすが 息が合っている



ひと臼つき終わって おやじさんは休憩

息子のM君と交代した

娘と孫とをやさしく見つめるおばぁちゃん



はじめから最後まで 我が息子がつきあげた餅を 愛おしそうにまとめるT子さん



ビニール袋に収めるのは おばぁちゃん 私たち夫婦の仕事だ

これは 簡単そうで結構むずかしい



永年の年季か おばぁちゃんの手際は82歳とは思えない出来栄えだ



M君もすっかり技術をマスターしたようだ



最後の8臼目 縁起もののため10回ほど杵を持ち上げた私

おばぁちゃんが 不安そう(?)に覗いていた



ひと臼2升 3枚ののし餅になる

24枚の苦労と喜びの作品群





最後のひと臼は お供え用と おばぁちゃん特製のあんを使った”あんころ餅”



大根おろしに醤油をつけての からみ餅

つきたての餅のうまさは格別だった

みんなニコニコ顔で頬張る


今年の餅つきも無事終了した

Yさんのうれしそうな表情 奥さん おばぁちゃんの喜びもいかばかりか

今日の主役は 息子のM君だ

日頃 私にさえ野菜つくりに口やかましい指導のYさん

「はじめてついたにしては いいほうだ 初心者がやってしまう杵を臼にぶつける

これが一度もなかった バレー部に入っていたお蔭だ 球技は一点集中に役立つ」

そして おばぁちゃんのひと言

「餅つきは 夫婦よりも親子が息が合っている 夫婦は雑念が多い」

これには Yさん 私たちも大笑い

ごもっともでした


この日 このおばぁちゃんが 何度も何度も私たちに話してくれたこと

「おじいちゃんも私も いつまでも元気でホントによかった

知り合いが 年賀状で贈ってくれた絵手紙 ”生きているうち 働けるうち”

そのとおりだと思う 来年も 再来年も元気でいたい」

今日も 娘の家の餅つき 自転車で颯爽と現れたおばぁちゃんだ

相田みつをの「こころの暦」にあったこの言葉 



明日は 今年最後の畑行きになる

たまたま家にあった新しいこの「こよみ」

おばぁちゃんへのプレゼントにしよう

”生きているうち はたらけるうち”のお餅つき

いよいよ 今年も 押し詰まりましたね

















                                                                                    




相田みつを美術館

2005年12月27日 | コミュニケーション
近くにありながら まだ行っていない場所というのがある

いつでも行ける そのうち行こうという気持ちが働くのだろう

私にとっての この「相田みつを美術館」が それにあたる

先日 親しい方から 招待券を贈っていただいた

うれしい贈り物だった 風邪も収まったようなので 出かけてみた


テーマは ”かんのん讃歌 もう安心 あなたの顔がみえたから”



会場は 有楽町駅から見て正面の建物

東京都庁舎の跡地に建設された「国際フォーラム」の地階にある


美術館の入り口



冬休みのためか 母と子の入場者が多かった



”そのときの出逢いが 人生を根底から 変えることがある よき出逢いを”

まず 記念撮影コーナーが出迎えてくれた

妻は他のサークルの予定があり 今日の私は単独行だ

”よき出逢いのあった”女性群のカメラ撮影を依頼された

そのあと 私のカメラでも写していただいたが 病み上がりのため これはカット




展示場は 5つのコーナーに分かれている

その5つのコーナーを 約2時間かけて見学をした

印象に残ったことが3つあった


*その第1



             (時・1989年)

最近 つとに実感していたことを ズバリ表現していただいた

このブログを書き込んでいるいまも 一生の中でのいっしゅんだ

大切にしなければならない



             (迷い・1986年)

いまだ 迷いの着物も脱げず 悟りの着物すら着ていない私としては・・・


このふたつには 大げさでなく 目から鱗が落ちた気がした

モヤモヤ感がストンと落ちたようだった


*その第2

かんのん讃歌だった



          (かんのん讃歌・1986年)





     十一面観世音菩薩立像(兵庫県 歓喜寺)

”十一の顔みな観音さまなれど われは見つむる やさしき顔を”

そして 少し長くなるが 次の説明がされていた

「十一の窓口  行革行革と 世間は行革ばやりですが 千手観音を行革整理すると 十一面観音になるのではないかと思います
世の中が 複雑になればなるほど それに比例して 人間の要望や苦情も複雑になり 役所の窓口もふえるばかりです
が 無制限というわけにはゆきませんね

そこで登場したのが 11面観音
四方 八方 上下と正(本)面
合わせて十一方
つまり あらゆる角度からくる人たちに対応し 迷いや願いを聞いて テキパキと処理するためには 最小限十一の窓口 十一の顔が必要
どんな問題や 悩みを持ち込まれても 相手の立場になりきって 本気で相談に応じてくれる人
それが 十一面観音ではないでしょうか」  (禅の友 1986年6月号)


これは スンナリ納得できた 相手の立場になる・・

研修で 職員方に説いている私としては 我が意を得た相田みつをの観点だった


*そして最後の第3



暗い映像になったが 白黒画像の相田みつをが語ってくれる

テープの再生された 相田みつをの声

しゃべりは やさしい声・間がある・語尾の「~ね}が聞く者の心に響く

内容は これも人とのコミュニケーションに関することが 印象に残った

「話には 聞く人がいる 人の話を聞くことは 宝だ

聞く側に立ったときが観音さまになれたとき」

さらに 「やわらかい心がなければ感動できない 感動は心の燃焼であり

この感動が 人を説得させる」

説得の極意 ここにありだ


以上の3ツが 深く心に刻み込まれた私でした



人の心の深遠を極めた感のする相田みつを

1924年(大正13年) 栃木県足利生まれ 本名 光男

1991年(平成3年)12月17日 脳内出血のため没 享年67歳



生涯の坐右の書は 正法眼蔵(しょうぽうげんぞう)だったという




相田みつを「こころの暦」

”土の中の水道管 高いビルの下の下水 大事なものは表に出ない”

これが一番好きな言葉だった

今日の美術館では また新たな言葉に出会うことが出来た

人生 死ぬまで勉強

有楽町駅へ向かう道すがら 招待券の贈り主への感謝の気持ちで一杯の私でした                                                             



























マダムたちのクリスマス・忘年会

2005年12月25日 | コミュニケーション
ショートケーキ2コだけのイブから一夜明けた今日

昼から下町の「一心」で クリスマス・忘年会があった 



一見 変哲もない しもた屋風のこの入り口の「一心」

実は 知る人ぞ知る 家庭会席の名店だ

以前は医院だったが 先生が亡くなった後

奥さんが 息子さんと始めたユニークな家庭的雰囲気を誇る料亭だ

                                      

100メートル先に 都電が走っているとは信じられない 静謐な庭



そして 室内の模様は このようになっていた (なぜか 1人分だけ 後から追加となる)

                   



                     



ひとつ ひとつの調度品 小間物にまで細心の気配り 心配りがしてあった



アンティックな箪笥の中を見やる 5人のマダム


今日のメンバーは 地元医院のベテラン看護師さん二人と その友人の二人

それに 我々夫婦が加わった総勢6人だった

いわば 私はクロ一点  全員が下町生まれの下町育ち

すぐに 皆の会話がはずむ 共通の話題がすぐに見つかったからだろう

戦後の闇市 焼け跡 ギブミーチョコレート 今はなき映画館 演芸場

そして 食の話題は アイスキャンディー 学校給食の脱脂ミルクに代用食

「私たちも やっとここまできたわねぇ」

メンバー最年長のK看護師さんがつぶやいた

「今日くらいの贅沢は 神様も許していただけるでしょう」

全員が 大きく頷きあった



待ちに待った家庭会席がはじまった

今日のおしながきを見る

さーもんのさらだ じゃがいものおーぶん焼き ちらしすし かにしんじょう椀
ゆば豆腐揚げ おつくり ぶいやべーす なす おろし煮 香のもの ごはん
ぽーくすてーき こうひい けーき くだもの 緑茶 甘味 (まま)

全部 ひらがなと漢字 思わず泣けるくらい感動した

これでなくてはいけない 最近 カタカナ文字が多すぎるぞ

このブログでも 主張したばかりだ

どの料理も実においしかった ただすてーきだけは 全員がお持ち帰りとなった

流石に満腹になった


そこで 折角なので(なにが?)何品か写真でご紹介しましょう

いま 空腹な方には誠にすまない気持ちがしています

いましばらくのご辛抱を

 かにしんじょう椀



          おつくり

      

 ぶいやべーす (かき)



こうひい けーき くだもの

                                   

 緑茶  甘味



ちなみに 今日の飲みもの

マダムは ワイン 

私は 熱燗の『高清水』を2合

ほどよい気分を持続した


この一心には 店のこだわりがある

お客は 1日に2組だけだ 昼席1組 夜席1組

そのため 予約は1年先まで埋まっていた

今回は 妻が懇意にしている 看護師さんたちに加えていただいた

日頃のコミュニケーションのなせる結果であろうか

もちろん 私は初めての参加だ

男たちの酒席とは またひと味違った今日の家庭会席

正午からの3時間 いい経験をさせてもらいました

妻は 1月8日に 手芸サークルでまた訪れるという

いつの間に申し込んでいたのだろうか

ま 私も飲み会があることだし よしとしよう

ホントに生まれて初めて いいクリスマス・忘年会になりました














 




Xマス IN ハラジュク

2005年12月24日 | コミュニケーション
今日のクリスマス・イブ

みなさまは どんなイベントで楽しまれましたか

私は この日は 例年の通り ハラジュクへでかけました

ハラジュクですよ ハラジュク!

なんという魅力的な響きをもった地名でしょうか

聞くだに 若者ならずとも ワクワクしてきませんか?

しかも 圧倒的に女性の多い街です


人々の賑わい 行き交う顔の笑顔 買い物 そして食事

お土産を買うのも 楽しみのひとつです

今日のハラジュクは特別の日でした

人出もいつもより多く 5万人が集りました

交通整理と警戒のため 警察官もいつもより多く出動していました

最寄の駅 JR山手線の駅前もご覧の通りの賑わいを見せていました



駅前の アーケードのある商店街を進んでいきます

ここです 入り口



原宿の「竹下通り」ならぬ「巣鴨地蔵通り商店街」の入り口です

昭和60年 読売新聞の記者により命名された 晴れある「おばぁちゃんの原宿」

本物の原宿を期待されたあなた ゴメンなさい

ガッカリされたことでしょう サギだ! 金返せ! わかります

でも 折角ここまで来たのです

もう少しだけお付き合い下さい なにかホッコリするはずですよ


地蔵通り商店街は 南北に約780メートルに伸びています

そして そこに190もの商店が軒を連ねています

「とげぬき地蔵」の愛称で親しまれている「高岩寺」は商店街の中にあります

今日は24日 毎月4の日は縁日です


まずは 高岩寺で参拝をしましょう



最近は 若者もチラホラ

将来の”予備軍”でしょうか



そして これも近頃の風景

オジさんが多くなってきました

数年前には 決して見られなかった 貴重な映像です



境内に露出されている 観音様です

水とタワシで清める善男善女

並んで順番待ちです

時計で計ってみたら 12分かかりました

この寒空に・・です



本人の干支にちなんだ 金(?)の指輪を売っていました

なにやら 縁起のいいことを言いながら 買い主の指にはめていました

550円でした



一見 どちらが相談者なのか迷ってしまう 占い風景

近づいて 左の女性が占い師さんと判明しました

「よく当たるのよ 佐野さん・・」

隣で歩きながら おばぁちゃんが連れの”佐野”さんにささやきます



こちらのオジさんも 縁起ものの小物を 路上販売しています

手品師のような器用さと フランク永井張りの低音が魅力でした



歌といえば カラオケバー

一度 仲間と入ったことがあります

ナツメロ専門 じじばばが 気楽に入れる超安さ

ストレス発散 嫁の悪口言いたい放題 駆け込み寺ですね

ま 出てからはスッキリ お嫁さんと仲良くしてくれれば 効用はありますね 



衣食住の衣

越後屋です

定番の モンスラ(モンペ風スラックス)は 既に売り切れか 見当たりません



食 

誰がなんといっても ここ うなぎです

ハラジュク名物の”にしむら”の「八ツ目うなぎ」です

いまさら これ以上元気になってどうすんの しかし よく売れていましたね



住の代わりの 医

さすが 薬屋さんが多いのには 驚きます

ここは 漢方薬の老舗 笹屋さん

高校時代 父母のために 自転車で買いに来たものでした



孫とご近所へのお土産?

あるいは自分のオヤツか

賑わう 塩大福の店



これも 数年前までは 決して見られなかった光景です

携帯電話 ”小林桂樹”ものが人気があるようでした


歩き疲れた高齢者には 店先のベンチ お茶のサービス

話し相手を務める 若い店員

装飾類を一切排除した 昔ながらの商店街

会話を求めて巣鴨へ集る人々

「とげぬき地蔵商店街来客アンケート」(竹内 宏著 とげぬき地蔵経済学より)

この著書によると 1人で来たものが47パーセントを占める

人は1人では生きられない コミュニケーションを求めて行動する

ハラジュクには 現在の店舗が忘れかけた人間らしさ 交流が脈々と生きていた

知らない者同士が すぐに語りあえる街 私が好きな場所だ

まだ 多少 風邪気味だが 身体と 心のトゲがすっかり抜けた気分の半日でした



                         国道17号線 巣鴨駅を望む


駅前に ケーキ屋さんがあります

ショートケーキをふたつ買いました つましいイブになりました























 

親と子 2態 (病院にて・・)

2005年12月23日 | オヤジのつぶやき
昨日は病院の定期検診だった

内視鏡検査は風邪のため2月に延期 問診だけの通院となった


この都立病院の混雑は相変わらず凄まじい

11時の予約が 待合室で待つこと3時間半

3時近くになって やっと私の順番がきた

前回の採血検査の結果も 医師の説明では 全ての項目異常なし ホッとした

とりあえず 新年を支障なく迎えられそうだ


          待合室には 実にさまざまな人々がいる

        3人掛けの椅子 私の前の席に3人の人物が座った

          75歳くらいの父親らしき人物が真ん中

       毛糸の帽子をかぶり セーター 首にマフラーを巻いていた

 娘らしき女性は 35歳くらい 目が大きく まつ毛の長いハッキリした顔立ち

           そして こちらは息子らしき男性 30歳?

        ブルゾンにジーンズ この青年も目が大きくまつ毛が長い

               姉弟であろうか

             3人の会話が聞こえてくる

            やはり 父と娘・息子であった

              母親は 家にいるらしい


  この後 約1時間  私は ほのぼのとした 暖かい光景を目撃することになる

  父親は かなり疲れていた 座っていても か細い背中が小刻みに震えている

              「お父さん 横になろうか」

               笑顔で声をかけたのは娘

                 「だいじょうぶ・・・」

                父が小さな声で応じる

          自分が横になれば 子どもたちを立たせることになる

               父親の 遠慮だったのだろう

             「それがいい 俺たちなら平気だよ」

                  弟が姉に同調した

         父親がうれしそうに ゆっくりと身体を動かす  緩慢な動作だった

                   娘が 靴をぬがせた

                   息子が 頭を支える

            父は 3人分の椅子にゆっくりと横たわった

     息子が すばやく自分の着ていたブルゾンを脱いで 父の身体にかける

     娘は 帽子を頭に被せる 自分のコートを枕代わりに頭の下に敷いた

               どちらも ニッコリ顔だった


       二人は 横たわる父親の前にしゃがみこみ 盛んに語りかける

       父は 黙ってうなづくだけ  それでも姉弟は満足なのだろう

                顔を見合わせ 微笑んでいた

           二人は 交代で父の背中 腕 足をさすっている

         義務感は全く感じられない 心を込めてさすっているのだ


このあたりから 私は胸になにかがこみ上げてくるのを感じてくる

なんという父子だろうか

どういう家庭なのだろう どういう教育をされてきたのだろう

身なりをみても それほど裕福とは思えない  この父と子の絆はなんだろうか


一昔前には ごく当たり前だった この光景

周りの患者たちにも 感動が伝わったらしい

隣の老婦人が しきりにハンカチで目をふいていた

私も 正直 目頭が熱くなった


診察を終わって廊下に出た

二人の女性が 看護師さんの説明を受けていた

         「お分かりになりましたか?」看護師さんの質問だった

       「ええ、すみません 採血の場所がよくわからないんですが・・・」

           「あ それなら・・」答えようとする看護師さん

           「いいのよ!お母さん! 私が知ってるわよ!」

              声を荒らげ 母を睨み付ける娘(?)

             母を置いて サッサと足早に歩いて行った

             ひとり残された母親の淋しそうな俯いた顔

            顔なじみの看護師さんと顔を見合わせる私だった


美人の部類に入るであろうこの娘

さっきの父親思いの娘は 容貌では到底敵わないだろう

でも この歴然とした差はどこからくるのだろうか


人生後半の真っ只中のいま 我が家ではどんなドラマが待っているのだろう

いまさら考えても仕方がないことだが あのお父さんに嫉妬を覚えたオヤジでした



























クレームは宝物?

2005年12月22日 | コミュニケーション
研修のカリキュラムのひとつに「クレーム対応」がある

誰でもクレーム・苦情の類は避けて通りたいものだ

しかし よくよく考えてみると これは なかなか面白い要素を含んでいる

ときには クレームに似て実はクレームでないものまで 混同しているようだ

怒鳴られるので すくんでしまい オタオタしてしまう

これではもったいない


東京S区の広報課の電話が鳴った

70歳 男性からの「苦情」だった

「この区の広報紙はどうなっているんだ! 年寄りをバカにしているのか!」

電話を受けたのは 新卒の女子職員だ

「あの どういうことでございますか」

「どういうこともないもんだ これでは読めないよ!」

この区民の言いたかったことは 広報紙のカタカナ文字だった

指摘されたのは”S区はシルバーエイジのアメニティーライフをサポートします”

一瞬 女子職員は返答に困った

彼女にも 意味が通じなかったからだ

ガチャン! 乱暴に通話を切った高齢の区民だった


通常は ここで終わる

なんてうるさいジイさん 放っておけばいい 理解できない相手が悪い!

この女子職員は違っていた 握り潰さなかった

上司に報告した

上司も偉かった

役所の 部課長会に報告 全員で協議をした

結果 立ち上がったのが「区民にわかりやすい言葉検討委員会」だった PTだ


1年たった

役所全体の職員に 小冊子が行き渡った

広報紙が変わっただけではない

窓口・電話応対が変化した

「役所のことが わかりやすくなった」

区民の評判も上々だ


70歳の男性区民の電話 あれはクレームではない

では何か? そう 情報提供 提案に分類されるべき内容だ

新卒の女子職員は そこまで考えなかったかも知れない

しかし 的確な上司への「報告」が功を奏した


そして2年目の今年の秋 

小冊子が 出版社「ぎょうせい」の目に止まった

S区だけで使用するのはもったいない 広く活用して欲しいとの思惑だ


苦情・クレームは ときには組織の財産にもなり得る  宝物と言ってもいい

クレーマーは問題解決のパートナーだ

役所だけでなく 一般社会 日常生活にも応用していきたいものだ


* シルバーエイジのアメニティーライフをサポート

  「中高年の快適な生活を援助」だそうです










ケ・セラ・セラ~

2005年12月21日 | オヤジのつぶやき
明日は 2ヶ月毎の定期検査の日 そして年1回の大腸内視鏡を受ける日だ

2ヶ月前に決まっていた検査日 咳が完全に収まらないので延期することにした

「主治医は自分」とアドバイスをしてくれた友人がいる

病気だけは我慢 なんとかなるは禁物だ 自分で延期を申し出た


思えば 来年1月7日は大腸癌の摘出手術をして 12年目を迎える記念の日だ

同じ干支が巡ってきた

改めて考えると よくぞここまで・・の感がある

その年から 新たに加えられた職場健康診断のメニュー 大腸癌検診

受診すれば なにかを言われるのがイヤで それまでの受診を拒んでいた私だった

ほんの気儘に受けてみての結果 それがいわゆる早期発見につながった

偶然 運命といったものを感じざるをえない

あとは オマケの人生 儲けものといってもいいほどだ

その後の人生観が 大きく変化したのも否めない

第一に クヨクヨと悩むことが少なくなった

ケ・セラセラ なるようになる 昔 ドリス・デーが唄ってた好きな歌だ

現在のこの心情は このとき以来形成されたようだ

人に迷惑かけずに 気儘に生きる知恵だと思っている


ところで このインスタントラーメン

なにを隠そう(大げさな・・)



昨晩の忘年会 2次会で行ったカラオケ・スナックの賞品だ

3曲唸った

「銀座カンカン娘」「東京ブギウギ」 そして雪村いずみの「ケ・セラセラ」

この「3種の神器」 若者たちと一緒のときに唄う 私の裏ワザだ

新しい歌を唄えないオヤジが 煙に巻くにはうってつけの終戦直後の歌謡曲

これで リーダーシップを取り戻せる 必殺の3番勝負!

(カンカン娘を昨日のコメントで いっこんまさんに当てられた?のにはタマゲタ)


オジサン お嬢さんの前での”銀座”と”ケ・セラ”が機械の判断で85点!

そのご褒美がコレです ラーメン2ツ



          (奥飛騨慕情を熱唱のIさん)
          
内視鏡の前日は ほとんど絶食状態を保つ

腸内をキレイにするためだ

検査終了後まで 我慢をきめこんだラーメンだった

検査の延期 ほっとしたような がっかりしたような しかしそこはケ・セラセラ

なるよう~になる~さァ~

これから 高峰秀子 雪村いずみを思い出しながら食します

を飲みながら・・・


しかし あの85点

どう考えても オマケだったろうなぁ!?













飲みたい一心 風邪をも飛ばす!

2005年12月20日 | 酒の席
昨夜からの風邪が治らず のどが痛い

咳もはげしい

2年ぶりに 掛かり付けのA医院にでかけた

なんという混雑だ!

狭い待合室は患者で大混雑だった

平日のこの時間帯 私を含めて圧倒的に高齢者が多い

入り口を入ったとたん 声をかけてきたご婦人がいた

「あら もしかして風邪? 鬼の霍乱ね ホホホ・・」

近所に住むWさんの奥さんだった

ご本人は ユーモアのつもりのこの挨拶

曖昧に言葉を濁しておいたが 少し傷ついた私の心

若いうちなら 最高のほめ言葉だが この歳になるとなにか切なさがこみあげる

鬼? 霍乱?

変なところで コトバにこだわってしまった


やっと席が空いてソファーを確保した

目の前に 雑誌をはじめ本が並んでいる

背表紙に魅かれて 池波正太郎の「男の作法」を手にした

*この本の中で私が語っていることは かっては”男の常識”とされていたことばかりです 時代は変わっても 男をみがくという問題を考える上で 本書はささやかながら ひとつのきっかけぐらいには・・・*

なんと魅力的な 読書欲をそそる書き出しだろうか

寿司屋 うどんや 贈り物 姑 チップ つま楊枝 旅行 ネクタイetc・・・

細やかな男の日常を 『作法』を原点にやさしく薀蓄を傾ける

「鬼平犯科帳」「剣客商売」で主人公に託した男の夢の姿

池波正太郎節が語られていく


なかでも 今日の待合室読書で 最大の関心をもって読み進んだ箇所があった

*コップに3分の1くらい注いで 飲んじゃ入れ 飲んじゃ入れして飲むのが
 ビールの本当にうまい 飲み方なんですよ*

ビールの次には 酒の飲み方

この2箇所の『作法』は手帳にメモをしておいた

実は 今夜ある忘年会が予定されている

風邪がなおれば 是非とも参加したいメンバーだ

池波流のビール・酒の飲み方をするチャンス

そして 付け焼刃もなんのその 覚えたてのウンチクを傾けるチャンス

このイメージに酔ってしまった オヤジな私でした 


そのためにも 風邪なんぞに負けていられない!


そして 6時間後



会場近くの 都電「町屋」駅に降り立つ私がいた 意気揚々



忘年会場の大多福



”風邪”を全く信じてくれない今夜のメンバー

一番右が 区役所ロビーマネジャーを勤めるIさん  北海道出身の好漢だ

いつものように話に花が咲く

そして 酔わないうちに ビール・酒のウンチクを披露した

にわか仕込みの付け焼刃にしては 説得力があったようだ

感心して聞いてくれた3人の仲間たち

この一瞬の喜び! 自己満足! 恍惚感にも似たムードに浸った

飲みたい一心 風邪をも飛ばす

まだ 若いかな? 

うれしくなった 下町の夜でした





 

新人登場 (そしてまた 新人が・・)

2005年12月19日 | オヤジのつぶやき


玄関の紙人形  細君の趣味のひとつだ

先日から なにやら作っていると思っていたが これが出来上がった

そのため 登場人物の変更があった

マツケンさんには 退場をお願いした

新たに 意気揚々と舞台を踏んだのが 歌舞伎の連獅子だった

来年の干支とのトリオを組んで 堂々とした布陣だ


不思議なもので 玄関の雰囲気がガラリと変わった

マツケンサンバの華やかなムードから 一転

鼓と太鼓の歌舞伎の世界に変化した

チャカポコから コン・ポンの厳かな玄関


そして ご近所の韓国の方にいただいたのが この品だ



冷凍された 韓国風お好み焼きと 本場キムチのびん詰めだった

歌舞伎界から 一瞬の間に「チャングムの誓い」

韓国風に変化した

我が家のふたりは 環境・ムードにすこぶる影響されて生きてきた

キムチある限り 連獅子の存在感は 希薄になるに違いない

ただし このキムチ 年内には食べてしまう可能性が高い

さすれば 政権の交代だ 

新年は 玄関トリオが主役にカンバックすることでしょう


*バカなことを書いてたもんだから 咳がひどくなってきました
 今日は これまで・・・*