酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

こんなとき あなたなら・・・

2008年09月28日 | コミュニケーション
今年になって 二回の体験をしています

どちらも 結構混んでた電車の中です

「どうぞ・・・」

座っていた若い女性から席を譲られたのです

一瞬 なんともおもわゆい 嬉しいような 照れくさいような はたまた軽い口惜しさのような・・・

複雑な心境になりました

そして 二度とも出てきた言葉は同じでした

「いや 結構です」

断られたときの 彼女たちの戸惑いの表情が忘れられません

しまった なにか他の言い方はなかったか


これからの歳月の流れの中で 望まなくても こんな機会は増えていくんでしょうね~~

疲れていたら 感謝して遠慮なく座るつもりでいます


しかし やせ我慢でもなくて 断るときの言い方

あなたなら どのような言葉でお断りしますか

若い方々は 将来を想像してください


ご意見 大募集です


広島市民球場

2008年09月26日 | 広島東洋カープ
昭和32年(1957) 広島復興のシンボルとして開設された広島市民球場です



幾多の熱戦 激戦を見守ってきた球場です

広島というものを感じる大切な「場」であったこの球場は いま 51年の歴史に幕を閉じようとしていました

焦土の中から突如現れたナイター照明付きの球場・・   

その姿は 広島の人々にとって「希望の光」として受け止められました


思えば 広島カープ球団の創設は昭和25年(1950)・・・

弱小球団としての暗黒時代が続きます

昭和49年までの24年間は 3位が一度だけ  4位~最下位の常連でした

初めて優勝したのが昭和50年(1975)です

10月15日 後楽園球場でジャイアンツを破っての優勝でした

まさに 苦節25年! 弱者に希望を与えてくれた広島カープです

この初優勝をはじめ 昭和50年代には優勝4回 2位が2回 黄金時代を迎えます

オジさんも「花の現役時代」 数少ない職場のカープファンと美酒を酌み交わしたものでした


そのカープも昭和61年(1986) 平成3年(1991)に優勝してから「第2次暗黒時代」に”突入”します

2位が1回 3位が3回  特に平成10年(1998)以降は5位が指定席になってしまいました

17年間もの長期低迷です 

そのカープが今年は燃えています 有力選手の相次ぐ移籍にもかかわらず頑張っています

子飼いの 若い選手たちの発奮もさることながら 今年限りで閉鎖される市民球場に「感謝」の気持ちが原動力になっているのでしょう

ベテラン・若手が一丸となってAクラス(3位まで)を目指しています 




永年親しんできた球場と 別れを惜しむファン 連日の大盛況です



選手たちも 溌剌としています


プロ野球界も 選手の処遇について いろいろな制度が導入されました

球団の選手指名に対して選手からの逆指名 FA制度・・・

我がカープには逆風が吹き荒れています


しかし 今年のこの健闘 頑張りはどうでしょうか

「格差社会」なにするものぞ! の意気込みが伝わってきます

これぞ広島東洋カープの魅力でしょう



広島駅近くに建設中の「新球場」です  来年の開幕試合がお披露目です

新生カープの活躍が期待されています

51年間の市民球場には 感謝を込めていいお土産を置き そして「新居」には カープのよき伝統を引き継いでもらいたいと願っています


鯉の子は鯉  この写真は中日3連戦のうち 友人と2試合を観戦してきた息子が写したものです

彼は 応援で興奮したのでしょう

我がコンデジの液晶画面を破損してきました


修理代? 弁償すると言ってますが そーもいきませんね

オヤジの太っ腹の見せ所です



帰りの広島空港で こんな素晴らしい「バイブル」を土産にしてくれましたから・・

もちろん もみじ饅頭もでした


残り 9試合です


唐箕

2008年09月22日 | 無農薬野菜作り
唐箕・・とうみです

むずかしい読み方です  いったいなんでしょうか


21日は 小雨の中での畑仕事でした

冬野菜の王者 白菜の苗を植えました  33個 冬の鍋の主役です



予定通り 葉物の種も蒔いて Yさんのハウスに寄りました

そこで出合ったのが「とうみ」でした



不思議な「機械」です  木製で風格が感じられます

Yさんの奥さん T子さんの説明によると・・・


 本来は稲作で使われた選別用具で 脱穀したばかりの籾を 藁やゴミ 実のない空籾 籾がらをわける作業をします

上にある如雨露状の口から穀物を入れ ストッパーを調節しながら少しずつ穀物を落下させます

円筒の風洞の中には 4枚の扇板があって手動で回転させます

その風力によって 重い米粒は手前の一番口から・・

未熟な米粒は二番口から・・

軽い藁や ゴミは大きな口から出てきます

作業は ふたりで行い ひとりは送風機を回し ひとりはストッパーを調節しながら穀物を落とします

この唐箕は 古く中国から伝わったといわれ「会津農書」貞享元年(1684年)に記されています


稲作はやっていないYさんです

いったいなにに使うのでしょうか

いぶかる私に説明してくれたT子さんでした



今年 大豊作だった胡麻です



一俵ほどの収穫のあった色艶のいい胡麻でした

友人から譲っていただいた唐箕で 胡麻の選別作業をするそうです




先人たちの知恵に感心し Yさん夫妻が仲良く胡麻の選別をする光景を微笑ましく想像した 小雨の畑でした


 こりゃ ひょっとするって~と !?

2008年09月20日 | 広島東洋カープ
あの猛暑も さすがに影をひそめ 涼しい秋風の季節がやってきましたね

この季節になると 秋の風を腹いっぱいに吸い込んで 5~6位を「怪泳」する鯉の勇姿・・

これは 10年以上も続いた 日本の秋の風物詩といってもいいでしょう

昭和50年代の栄光はどこへいってしまったのでしょうか

ごぼうのようにエースを抜かれ 毎年のように4番バッターを引っこ抜かれ あとには雑草も生えないといわれた(畑なら万々歳ですが・・)広島カープ

今年の下馬評も だれが何と言っても怒涛の最下位に決定!

かくいうオジさんも 半分はあきらめていましたね

それがどーでしょーか!

なんと 勝率5割に到達しました

それも 我が目前で!

今年 初めての神宮観戦でした                                                            

9月15日 wakasamaさんとの 数ヶ月前からの約束でした



エースの黒田が抜けたあとの大黒柱 ルイス投手の力強いフォームです



7回表の外野席 風船が乱舞しています

そして なんと!



2-1という 誠にもって渋~いスコアで 鯉がツバメに勝ちました


wakasamaさんは大のヤクルトファンです

苦労人のヤクルト外野手 福地選手が目の前にいたばかりでなく 彼がファンサービスで投げたボールを見事にキャッチ!

気持ちの上では 一勝一敗だったことでしょう


どちらも気分をよくした 神宮の夜でした


* 我が息子 友人と一緒に広島市民球場に出かけました

  蛙の子は蛙 いや鯉の子は鯉でした 3位を維持できれば楽しみが待っています


阿吽の呼吸

2008年09月15日 | 無農薬野菜作り
コミュニケーションが伝わりにくい時代のようです

日本人が馴染んできた 察しの心 以心伝心 阿吽の呼吸が影を潜めています

かろうじて残しているのは 芸人さん 職人さんの世界だけでしょうか


ここ 畑の世界で 阿吽の呼吸が見事に「復活」しました



3日がかりで畝を整理しました

我が世の春を謳歌していたジャングル状態の雑草を退治・・枯れた雑草の整理・・マメトラで土を耕す

一輪車(ネコ)で馬糞を運ぶ・・マメトラとレーキで土と馬糞をブレンドする

種を蒔く・・水やり

この一連の作業は ゆるい坂道の往復が基本にあります

運動にはなりますが 年々辛くなってきましたね 

ハウス 肥料置き場 水に近いほうがいいな~

心に抱いていた気持ちが通じたのでしょうか

現役時代の後輩 畑に誘ってくれたTさんが昼食時のラーメン屋で言ってくれました

「来年から 場所を変えましょうか」



なんという察しのよさ 気配り目配り場の空気を読む・・・

持つべきものは「良き後輩」です



彼らふたりが丹精をこめて管理している「近間の畑」です

来年の 春のじゃが芋から交換します

”畑寿命”が延びた阿吽の呼吸です

世界に誇るべき 察しのコミュニケーション・・・

ここ O町の畑で見事に開花しました


すぐやるか!

2008年09月10日 | コミュニケーション 10則
千葉県松戸市といえば思い出すのが すぐやるか! いや「すぐやる課」ですね

昭和44年 当時の市長さんだった松本清氏が創設して 全国的に名を馳せました

(薬のマツモトキヨシは 市長さんの息子さんさん(?)のストアです)


なにかといえばお役所仕事・・ (”おやくしょしごと”を入力したら即変換!)

”たらいまわし” ”担当部署が違う” ”仕事が遅い”のが役所の定説でした

それを覆したのが松戸の「すぐやる課」です

臼井課長をはじめ 精鋭職員で構成されたこのユニークなチームは 全国の自治体でも注目されました

「どぶが詰まっている」「道路が凹んでいる」「カラスがうるさい」

ありとあらゆる問い合わせ 要望が寄せられました

職員の制服は作業着に長靴です

即 現場に飛び出していきました  すぐやる課の面目躍如でしたね~

縦割り組織ではこうはいきません  着々と業績が上がっていったすぐやる課でした


なかでも 忘れられないエピソードが”日露戦争おじいちゃん”です

あるお嫁さんからの相談電話でした

「義父の話し相手 話を聞いてあげてください」

このお義父さん 日露戦争の体験者でした 自慢話をしたくてしかたがありません

それも 同じ話しばかりです

近所の人たちも 顔を見ると逃げ出します

いまでは 息子の奥さんだけが 日露戦争話の唯一の聞き役なのでした

やさしいお嫁さんですが 家事の妨げにもなっていたのも事実です

なんでもやります すぐやる課・・・

市報で知ったお嫁さんが すがる思いで臼井課長に電話をしてきたのです

自転車で駆けつけた 臼井すぐやる課長でした  なんでも聞きます すぐやる課・・・

縁側に座って話に興じるおじいちゃん  お嫁さん以外の相手に話すのは何年ぶりでしょうか

目が輝いていました


何回か伺っているうちに すっかり気に入られてしまった課長でした

同じ話を 初めて聞く表情・態度をしていました  なかなか出来ないことですね

おじいちゃんは 日露戦争の話ばかりではなかったようです

戦前の松戸市の話は多いに参考になりました

話ををヒントに 現在の市の施策に反映させたものも少なくありません

話を聞くことの効用ですね

話し手から好意をもたれ 知識も豊かになる


すぐやる課の影響は全国に広がりました  

市長さん 初代課長の臼井さんも亡くなりました


全国の役所に大きな影響を与えた「すぐやる課」

”お役所仕事”の入力が「すぐやる」に変換されるよう 市長さんたちも祈ってるでしょうね



8日~9日にかけて開催されたS県の研修会でした



市民の要望をしっかり聞いて「すぐやる職員」を目指す若手職員の面々です

たとえ「住民満足度」は100%得られなくても キチンと説明して「住民納得度」を得られる職員に育ってほしい・・・

担当講師の願いでした


ターベルモーノ

2008年09月07日 | コミュニケーション
パ~プ~ ♪

昔懐かしいラッパの響き!  

そうです 豆腐屋さんの引き売りでした

若いお兄さんが いなせにラッパを吹いていました

最近 下町で噂になっていた これが築地の「ターベルモーノ社」の豆腐の引き売り 野口屋です

聞けば 同じ曜日と同じ時間に リヤカーを引いて行商をしているという

家から飛び出してきた人たちとのコミュニケーションも活発のようでした



なっと なっと~ なっと  あさり~しじみよ~  きんぎょ~え~きんぎょ

思えばちょっと前までの下町では 行商さんたちのプロの声が街々に溢れていましたね

我々の世代では 郷愁にも似た想い出があります

アルバイトのお兄さん お姉さん300人にも及ぶ 引き売りの若い人たちです

下町で忘れかけていた道端での立ち話し風景を 復活させてくれました

パ~フ~ ♪


* ちなみにターベルモーノという会社名

  食べるものという意味でした


かぼちゃに想う

2008年09月04日 | 無農薬野菜作り
3日は 久しぶりの畑になりました

気温は32度 真夏日です

炎天下での雑草刈りは 予定通りに終了しました

来週から 大根 キャベツ たまねぎ 白菜などの畝作りの準備にかかれそうです


新しい畑は やはり痩せていたのでしょう

しっかり肥料を施し 雑草の処理も万全だったのですが 収穫はいまいちでした

特に悲惨だったのが かぼちゃでした

苗のまま 蔓を伸ばすこともなく 見事に枯れてしまいました

蝶よ花よの環境整備は抜群だったのに・・です

お坊ちゃんかぼちゃだったのでしょうね


それに比べて・・



肥料置き場に 誇らしげに 見事に生育してきたかぼちゃです

立派な実をつけていました

どうやら 落ちていた種から育ったようです

逞しく育ってくれました


かぼちゃも人も 底辺から生え上がってきたものの 力強さを感じました

肥料に覆いかぶさるような姿が印象的です

つくづく 畑道の奥深さを感じさせてもらいました