酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

楽引 辞書

2005年06月30日 | オヤジのつぶやき
学生時代 先輩方の 教えのひとつにあったもの

単語を覚えたければ 辞書を飲み込め!

暗記で憶えた辞書のページを 丸めて飲んだ経験のある者は 少なくない

それで 試験に対して 変な自信に繋がったものだった

いま思えば 三省堂にはつくづく お世話になった


27日が 10回目の誕生日だった孫娘

アゲハ作戦のため 祝いが29日に伸びた

誕生祝いは 本人のたっての希望で辞書になった

電話で望みを聞いた時は 「三省堂」を思い浮かべた私

詳しく聞くと ゲームの任天堂作成の「楽引辞典」だという

電子辞書とも 違った機能があるとのこと

遊びのゲーム機と違って 漢字・熟語が楽しみながら習得できるすぐれもの

よし!じいちゃんがプレゼントしよう

例によってヨーカ堂に直行した

「10歳だから 英語に直せばテン歳 天才だ」オヤジギャグにも 付き合ってくれるS嬢

やさしい子だ


ゲーム機もやはり時の流れだ 否定はしない

然し与える側からすれば 多少の不安が生じる

ちょっとは 勉強してもらいたい

この「楽引」は その微妙な感覚を 見事にクリアーした

なにしろこれは 勉強の立派な道具になり得る

遊び感覚で漢字を覚える

その昔 辞書を破って飲み込んだのも 思えば遊び感覚そのものだ

時代は紙から コンピューターに変化した

しかし 勉強のやりかたは 遊んで学ぶ

変わりはないようだ

7月2日に生まれた いま年長さんの 男孫の誕生祝い品も併せてプレゼントをした

じいさまの これは感想でした











いきいき健康麻雀 初参戦

2005年06月28日 | オヤジのつぶやき
5月31日に様子を見に行った じじ・ばば麻雀教室

今日 初参加を果たした

今回は雀荘を借り切っての いい環境でのお手合わせだ

開始の前 貸しビル・雀荘のオーナーからレクチャーがあった

女性11名 男性7名の参加者が神妙に聞く

初心者のために説明するS氏の話は 非常にわかりやすい

時にユーモアを挟んでの話術は 参考になった

それもそのはず 紹介者のT女史の話によれば このオーナー兼指導者

なんと 往年のNHKの名スポーツアナ S村氏の甥っ子だという

納得できた

私の麻雀暦は学生時代からのもの

S氏の解説で 麻雀にはまだまだ知らなかった作法があった

まさに 麻雀道だ  これは参考になった


ゲームが開始された

事前のアンケート 聞き取り調査の結果 ベテラン組に入れられた

緊張したが まずリーチ 幸先がよい

しかし 結果的にはこれが裏目にでた

五萬を切っての カン二萬待ちのせこい役

すぐに北家の女性Kさん(推定68歳)が振り込んだ

傍目にも つくり笑いの頬ピクピク 目がこわい

大人気ないことをした 反省する私

闇討ちにひとしい

案の定 その後ツキが逃げての 最終3位

トップは会社リタイヤの男性Yさん(推定71歳)が栄誉に輝いた


かけない のまない すわないの「いきいき健康麻雀」

負ければくやしい 勝ちすぎてもいかがなものか

バランス感覚が求められそうだ

88歳のおばあちゃんは 34度の暑さのためか 今日は欠席

指と頭 負けん気をフツフツと湧き起こすこの会合

たまには参加してみよう

次は小細工なしの 役萬をねらってみようと 心に誓いました




キアゲハ救出大作戦!

2005年06月27日 | 無農薬野菜作り
6月8日に このブログでご協力をお願いした「キアゲハの幼虫」

後輩のH夫妻と その仲間のお母さん方主催の事業が 成功裡に無事終了した

題して ”キアゲハ救出大作戦”

集まった子どもたちは A区立小3年生の40名

まずH君の簡単な説明を聞いてから グループを作り 畑の見学だ

あちこちで歓声があがる きゅうりがなっているのを初めて見た子

ニンジンを欲しがる子 さまざまだ

一番の興味は やはりアシタバの葉についていた 1ミリ以下のキアゲハの卵

「10日たつと幼虫が生まれ 5回の脱皮を繰り返し さなぎになります」

説明をしっかりメモしていた


畑見学後の勉強にも熱がはいった

たまご 幼虫をしっかり育ててくれる子には 里親になってもらう

成虫になったら 学校で空に放してもらう

そのための育て方の勉強もしてもらった 子どもたちの瞳が輝いた

食欲が旺盛なので食べ物は一杯あげること

アシタバ ニンジンの葉 パセリなどセリ科の植物

農薬の入っているものでは 死んでしまう

人間とキアゲハが共存できる環境つくりに努力すること

そのためには ”食べ物を残さない”作る人がいなくなり 薬を使うようになる

”安全な食べ物をさがすこと”近くで出来たもの 時期のものを食べること

H君の説明はわかりやすい 子どもたちに環境保全の大切さを 無理なく説いていた

付き添いの母親も しきりに頷いていた


開始前のエピソード

ケーブルテレビのカメラマンが取材のリハーサルをしていた時

カメラの前のアシタバに 突如 キアゲハが産卵のため現れた

あとで確かめると シッカリと黒い卵を産みつけたいた

あの蝶の前身は役者か!

大喜びの カメラマンとスタッフ一同だった


T君たちの活動はまだまだ浸透しにくいものがある

しかし 近年 環境問題に真摯に取り組む 若い世代が出現しつつある

きょうの取り組みも 子どもたちには 印象深い記憶となることだろう

持ち帰った幼虫が 成虫となり 大空を飛び回る光景を願って帰路につきました

ブログ友のみなさま ありがとうございました









 

お化け煙突

2005年06月26日 | オヤジのつぶやき
義兄の法事のあと 隅田川に架かる「尾竹橋」で渋滞にあった

ふと左側に顔を向ける

そこには 護岸が整備され マンション群が立ち並ぶ 近代的な見慣れた風景があった


中学時代の20年代後半 日本がまだ貧しかった頃

ここには通称「お化け煙突」と呼ばれ 下町住民に親しまれた4本煙突が立っていた 

当時の電力会社の 火力発電所だ

4本の煙突は 上から見ると ひし形に位置していた

そのため 煙突をみる場所によって 本数が変化した

4本 3本 2本 そして1本に見えるところでは 流石に一番太く見えたものだった

見る場所によって本数が変わるので だれがつけたか お化け煙突


23区内に発電所!

後の家庭電化製品の3種の神器 テレビ 洗濯機 冷蔵庫が高嶺の花のこの時代

電力供給も これで充分だったのだろう

娯楽の王者はラジオと映画

ラジオでトニー谷が ソロバン片手に ”ざんす ざんす さいざんす”と一世を風靡

映画は 笛吹き童子に紅孔雀 アラカンの鞍馬天狗も 同じものを何回見たことか

いまではなつかしい 学校の映画教室では 上原謙(加山雄三のお父さん)田中絹代 高峰秀子

浦辺粂子が出演した その名もズバリ「煙突の見える場所」を見せられた

                                            

渋滞中のしばしの瞑想の後

家に帰り 記憶をたよりに古いアルバムをさがす

やはりあった お化け煙突の白黒キャビネ版

写真の裏に 1954年夏とある

構図のなにも考えないこの写真 手前は清掃車だろうか


秋元治さんの「こちかめ」で主人公の両さんがよじのぼった お化け煙突

50年前の一場面を追憶することのできた 法事帰りでした

        








後輩の夢

2005年06月25日 | 無農薬野菜作り
一週間振りの畑作業だった

とにかく暑い! ここ埼玉は 予報どおり34度だった

管理機で畝の雑草を除去し 収穫を急ぐ

大きくなりすぎたきゅうり 少し赤みが増してきたミニとまと ピーマン

ブロッコリーは 今日が最後の収穫か

お目当ての茄子は一株に2~3個 色つやはいいようだ

81コについては まだまだ?マーク


昼食は後輩夫妻と 共通の友人とで いつもの定食屋に行った

モツ煮こみ定食がうまい店

あまりにも暑いので 少し店内で涼むことにした

常連なので 多少の無理がきく


「5年後 ここに引っ越してきます」

後輩のT君が熱っぽく語り始めた

私の畑の師匠 T君の”農民暦”は15年になる

よくも続けてきたものだ

その彼ら夫婦が 退職後ここO町に住むというのだ

都会はいやだという

なにものにも邪魔されず 自然を相手に一生を過ごしたい

それが いまの望みであり 夢だ

私はもろ手をあげて賛成した

5年後の自分の年齢を思えば うれしい彼の人生設計だ

「そしたら 泊めてくれる?」

もちろんです! うれしい答えがかえってきた

暑さが一瞬 吹き飛んだ

持つべきは よき後輩です  時々ムッとしあうこともあるけれど・・・です

体力勝負のこの趣味 先が楽しみになりました




野村 謙二郎

2005年06月24日 | 広島東洋カープ
プロ野球 広島カープ内野手 野村謙二郎38歳

昨23日の対ヤクルト戦で2000本安打の大記録を達成した

プロ野球史上33人目の快挙だ

達成者の先輩には 張本・野村・王・長嶋・川上等の天才打者がいる

カープでは現監督の山本浩二・解説者の衣笠祥雄につぐ3人目という大変な記録だ

今回 達成した野村はすごい

他の2000本記録保持者を けなすわけでは決してない

しかし 野村の場合は特に賞賛に値すると思う

野村選手の所属球団の ここしばらくの事情だ

平成3年以来 優勝から遠ざかっている 順位も下位だ 

対戦した投手は当然 優位な位置の最強投手たち

さらに プロ8年目には左足に大怪我 ヘルニア 肉離れとハンディに見舞われた

それでもくさらず 若手とのポジション争いに打ち勝って獲得した2000の数字だ


かのイチローをして「メジャーには野村さんが先に行くと思ってたのに」とまで言わせた野村

駒沢大学時代 カープから ドラフト1位で指名された恩義を忘れないと言う

入団当初から骨を埋める覚悟だった

好きな言葉は「和」 大リーグの夢よりチームの和を選んだ野村選手

愛すべき 古くさい男というコメントを載せた 読売新聞

まさにそのとおりだ


地味、寡黙、実力、静かな闘志 そして部下に慕われるリーダーシップの発揮

多くの日本の組織とリーダーが失いつつある 旧くも 良き風土と景色

好漢 野村謙二郎から感じ取ったオヤジな私でした







彩の国 プレゼンテーション研修

2005年06月23日 | コミュニケーション
彩の国 埼玉県の中堅都市 H市の職員研修だった

H市の名物は 焼き鳥やさんの多いこと

飲み屋さん 店頭売りの店は100軒を下らない

住宅街にも店が散在している


「プレゼン」は大勢の人の前で 説明して 聞き手にその気になってもらうこと

提案型説得スキルを実習主体に学んでもらう

住民説明会で 効果を発揮してもらうことを目的としたものだ

「わかりやすく」「簡潔に」「印象深く」がキーポイントになる


初日の講座開始の当初から やけに気になる受講者がいた

最前列にいた50代の男性係長Yさん 俳優のベンガルに似ている

他の受講者全員が顔を向けてくれて メモなどとってくれている中で

ひとり むしろ毅然として 無表情、メモをとるどころか 顔も向けてくれない

久しぶりに出会ったタイプの受講者だ

こんなとき 講師としてムッとしたことも過去にはあった

なんとか 気をひかせようと 勝負をしてしまう

わざと質問を仕向けたり 揶揄したりする

結果は無残だ よけい反発されるのが落ちだった

人間の行動には理由がある

Yさんの態度にも なにか理由があるはずだ


やっと2日目になり 気を許してくれたようだった

研修室の扉が開いたまま開始してしまったとき 席を立ち 率先して扉を閉めてくれたYさん

全員が 驚きの表情 その後に湧いた拍手 照れて頭に手をやるYさん

いい光景だった


Yさんの実家は専業農家 田んぼが2000坪ある

この時期 毎朝4時起きで田んぼに「水ひき」をするという

それから役所に出勤する

”こんな忙しい時になぜ研修なんだ” 研修参加を指名されたときから反発心があったという

日頃からも 人付き合いが苦手のほうだともいう

もちろん 人前で話すなんて 以ての外

そんなYさんが 最後の感想発表を たどたどしいながらも 一所懸命取り組んでくれた

「きのうはイヤな研修が終わったあと 焼き鳥やで飲もうと思っていた 

しかし 研修の宿題があったので まっすぐ帰った 今夜は飲みたい」

「立て板に水」が 人の心を動かすとは限らない

訥弁のYさん 一番拍手が多かった


このブログの友人 「編集長」さんのコメントを思い出す

”いま 親しくしている友人は 第一印象の悪かったものが多い”

つくずく人間関係の不思議さ 機微を感じずにはいられない 研修の2日間でした


週刊こどもニュース

2005年06月20日 | オヤジのつぶやき
NHK土曜日夕方6時10分の 週刊こどもニュースが面白い

はじめは こども相手のニュース番組だと思っていた

どこぞの動物園で パンダが産まれたとかの報道の類い

違っていた

実に面白い ためになる そしてなんといっても 見ている大人が理解できる

秘密は番組スタッフの隠れた努力にあった

番組で子どもたちに説明をする お父さん役の 池宮 彰さん

12年前はNHKの記者だった人だ

池宮さんを中心として スタッフが毎回苦労している

むつかしい世界の出来事、政治、経済などを むつかしい言葉をやさしく言い換えて伝える

また 大人の世界では”当然”と思われているしきたり 慣行を噛み砕いて説明している

まさに 聞き手が小学生であることを考えて話す

ときには よりわかりやすさを求めて模型が登場することもある


むつかしいことを わかりやすく説明する

実はこれが一番やっかいなことだ

ある自治体の首長の感想

30分の子ども議会での首長答弁で難儀をしたという

プロの議員相手の答弁では 議員役の子どもには伝わらない

いかに苦労したかを 汗を拭いながら苦笑して話してくれた


聞く相手をしっかり頭においた 週刊こどもニュース 素敵な番組だ

「アルカイダ」・・・この番組で よく理解できた私でした









ブログのコミュニケーション

2005年06月19日 | コミュニケーション
自然環境問題に取り組んでいる後輩H君

彼に進められ始めたこのブログだ

はじめた頃は ある種の疑問が付き纏っていた

ブログでのコミュニケーション 意思の疎通は可能なのか

「話す」ことは普通3つの要素から成り立つ

まずコトバ つぎに声だ そして忘れてならないのが 話し手の表情であり態度だ

カリフォルニア大学の 社会心理学者メラビアン博士が説いている

初対面の場合 我々が相手から受ける プラスマイナスの刺激の割合だ

コトバからの影響力は7% 非常に少ない

つぎに声は38% コトバの5倍強だ

残りは 表情・態度の55% これはスゴイ数字だ

これは どんなに丁寧な そして敬語なんぞを駆使したコトバ使いであっても

聞き取りにくい声では 相手の評価はマイナス38%

聞く気がしなくなる

さらに 表情が暗く 態度が大柄 いばる 落ち着かない 気取ってる 馴れ馴れしい

などは 相手にとってはマイナス55%の評価となる

全く聞いてもらえないのが現実だ

つまり 話す・聞くの日常のコミュニケーションでは 表情と態度 視覚の影響力がものをいう

プラスのイメージの人の話は聞きたくなる

ブログはコトバだけだ それも癖字すらない活字だけ これが疑問だった


果たして意思疎通は可能なのか

いま 考えが変わりつつある 声は聞こえない 顔も見えない

それでも 文字を通じて 多くの方との交流をしている自分がいる

本音も出る 息吹きも聞こえる 温もりすら感じられる時もある

一昔前まで 考えられなかった このコミュニケーションスキル

研究する価値が多いにあると思う

あらためてH君夫妻に感謝するのみです

 


ふたりの師匠

2005年06月18日 | 無農薬野菜作り
今日の畑は久しぶりに後輩のT夫妻と一緒になった

師匠のYさん夫婦は末息子のバレー試合の応援で留守

思えば9年前のこと

行き付けの飲み屋でT君から薦められた「畑」だった

そのとき 彼のあまりの色の黒さに「ゴルフ?」と聞いたおぼえがある

「いや、畑です」「ん?」

そんなやりとりから 要は酔っ払っての口約束で始めた野菜つくりだった

いつまでつづくやら・・私もそう思っていたし おそらくはT君も同じ気持ちだったにちがいない


おずおず始めた新米畑人に もう一人師匠がいた

いまではすっかり仲良くなっているプロのYさん

この人は厳しかった

すくなくも Y君は職場に戻れば 私が上司

畑の先輩でも 多少の遠慮をしてくれる

Yさんは違った いつ悲鳴をあげて尻尾を巻いて逃げていくかもしれないオジサンだ

”趣味”なのになんでこんなことまで・・

真面目なYさんの特訓が 2年は続けられただろうか


今日の収穫は きゅうり・茄子・ししとう・ブロッコリーにじゃがいもだ

自宅でジックリ自分の野菜を眺めている
                                            
人間は偶然に支配されるものだ

飲み屋でのT君との会話がなければ リタイヤ後の私はいまと違っていた

Yさんとも会っていない

きっとこのブログも存在しなかっただろうと思う


これからの人生 どんな偶然が待っているのやら

願わくば 畑のようなうれしい出来事にめぐり合いたいものだ