最盛時 41系統もの路線を誇り
都内を網の目のように縦横に疾走した都営電車
S40年代に惜しまれつつ姿を消していった
いま 唯一残っているのが 荒川線だ
三ノ輪と早稲田間を約50分で走り抜く
ガタゴト走る電車を見るとき
いまの我が身と つい置き換えてしまう
一時は他の仲間と運命を共にして
引退・定年を迎えそうになった荒川線
路線のほとんどが 専用軌道だったことが幸いした
いまや 交通局のドル箱に成長
廃止論者の顔が見たい
人も同じだ
みんな なにかを持っている
その人だけのものを大事にしたい
前身の王子電気鉄道以来 95歳を迎えた荒川線
30歳若い私の「都電を誉める」の序章でした。
(写真は 本拠地 荒川車庫)
都内を網の目のように縦横に疾走した都営電車
S40年代に惜しまれつつ姿を消していった
いま 唯一残っているのが 荒川線だ
三ノ輪と早稲田間を約50分で走り抜く
ガタゴト走る電車を見るとき
いまの我が身と つい置き換えてしまう
一時は他の仲間と運命を共にして
引退・定年を迎えそうになった荒川線
路線のほとんどが 専用軌道だったことが幸いした
いまや 交通局のドル箱に成長
廃止論者の顔が見たい
人も同じだ
みんな なにかを持っている
その人だけのものを大事にしたい
前身の王子電気鉄道以来 95歳を迎えた荒川線
30歳若い私の「都電を誉める」の序章でした。
(写真は 本拠地 荒川車庫)