![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/6a/ff473d36857f0f67a00a3f0ca737788b.jpg)
大分県宇佐市の宇佐神宮です
全国四万余社の八幡様の総本宮として有名です
この宇佐の地に 初めて八幡宮が御示顕になられたのは欽明天皇の御世です(571年)
奈良時代ですね 宇佐神宮の始まりとされています
やがて朝廷は国の重要な事柄について 八幡様にうかがいをたてるようになりました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/18/13a2df3c118881be646ebebaf92ea064.jpg)
宇佐神宮の存在を知ったのは「逆説の日本史・古代言霊編」(井沢元彦著)でした
戦前の教育を受けたものなら誰でも知っているといわれる”宇佐八幡神託事件”
第四十八代称徳天皇に仕えていた道鏡が 宇佐八幡の神託と称して次代の天皇の座を”我が物にしよう”と企みます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/1f/b5e66bd113d7e268be6846e431335b1e.jpg)
称徳天皇は 和気清麻呂を宇佐に派遣 神のお告げを確認させました
宇佐から帰った清麻呂は 道鏡の前でも臆することなく「君臣の分をわきまえぬ無道のものは すぐにも除くよう・・これが宇佐の神のおつげです」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/b8/4dd207eef81e1b846d5c8a2ff70cb15a.jpg)
激怒した道鏡により 清麻呂は”穢麻呂”と改名されますが やがて名誉を回復
道鏡は下野の国(栃木県)へ流されました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/8a/a6116f629cb70606c3fe0709278fcb9c.jpg)
これが宇佐八幡神託事件の概要ですが ときは古の奈良時代です
江戸時代には 盛んに揶揄された事件も 明治時代になって様相が変わってきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4f/2d0a1b28b0a2a9c15104626918011616.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ae/2dc349eca579a5d76493f1d754ec3619.jpg)
寒風のなかを歩き回った宇佐八幡近辺・・
奈良から瀬戸内を舟で渡り 九州上陸してから馬と徒歩であったであろう和気清麻呂
気分はすっかり清麻呂でした
一度は訪ねたかった宇佐神宮です 想いが叶いました
そしてこの地では 思いもかけなかった”ふたつの事柄?発祥の地”であったことを発見
そして69という数字の重みを刻んだ街だったのです
これらは 次回に譲りましょう
その昔、宇佐神宮の八幡神が、「われは誉田天皇」だと宮廷に近寄り、仏教が盛んになると「自分は昔インドの霊神」と託宣し、新時代に調和しました。
大仏を東大寺を建立するとき、八幡神は自ら賛同の託宣をして聖武天皇を喜ばせました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5a49f2f0f673dde220c70383ffd76375
戦前生まれでも学校で習わなかった宇佐神宮事件です(笑)
みっつのキーワードで私のブログが。
69がおわかりになったようですね。
昨年12月に横綱白鳳が神社で土俵入り式典を行ったそうです。
「宇佐神宮 和気清麻呂 69」で検索したら、オヤジな私さんのブログが出て
69の意味も分かりましたが次回の楽しみにしますね。
眠っていないと思いますよ(笑)
私の世代が習っていませんからmさん世代ならなおのことでしょう。
検索されると次の答えが出てきたでしょうか。
明日アップしますね。
弓削の道鏡は作られた印象が強いですね。著者の井沢氏は、新しい角度からの解釈をしています。明治以来の国策で教科書が作られたようですね。
和気駅、金光駅。
岡山には歴史を刻む駅名がありますね。
今頃は北の大地で熱燗、蟹三昧でしょうか。
いいですね~ こちらは家で固まっています。
大分はいいところでした。
人の気持ちが平らです。
セカセカしてない落ち着いた街でした。
ちょっと寒かったですね。
お~ 先輩でしたか。
この日は平日でしたが、外国人をはじめ、参拝客が多かったようです。
歴史はロマンです。
元気なうちにいろいろ見聞を続けたいと思っています。
anikobeさんの代参で宇佐神宮に行ってきましたよ(笑)
本を読んで宇佐神社を始めて知って以来、機会があったら是非参拝したかったのです。
今回、思いもかけず実現しました。
赤毛のアンではないですが、かなりの空想に浸ることができました。
何事も神のお告げの奈良時代だったのですね。
この神託がすんなり通っていたら・・
その後の歴史は?
宇佐市は住みやすく、人の心も平らなところでした。下町のナポレオン、「いいちこ」の誕生の地でもあります。
さて、誰でも知ってる”もの”とはなんでしょうね(笑)
あっと思いますよ。
意味深ですね(笑)
果たしてこの数字の実態は?
明日アップしますね。
我々にはお馴染みの記録です。
宇佐市には和気姓が多いですね。和気清麻呂の顕彰碑も建立されていました。
この事件は戦前の小学校の教科書に載っていて、こどもたちなら誰でも知っている事柄だそうです。
私は、終戦の翌年が一年生なので、おそらく黒い墨で塗りつぶした教科書だったのでしょうね。井沢元彦の著作で知りました。
岡山、兵庫。全国的な神社なのですね。
知りませんでした。
奈良時代ね。。。寝てたのかも(笑)
これから検索してお勉強しまーす。
次はなんでしょうか・・楽しみです。
女帝の寵を受け権勢をほこっていたんですね
岡山と兵庫の間に“和気”という駅があり、和気清麻呂ゆかりの地です
宇佐神宮にはまだ行ったことがありません
次回の話が興味津々です
しかしこんな歴史が……少し恥ずかしく感じています
でもチョットだけ物知りになったかな?
次は何でしょう??
「行ってみたい事」が叶えられて本当によかったですね。
私は、反対に是非行ってみたい宇佐神宮だったのが、とうとう行く機会をなくしたお宮さんなのです。
この時の和気清麻呂の働きがなければ・・・
宇佐市とは大分県のどのあたりかしらと地図帳を開いてみました。国東半島の根っこ。東京から空港までも遠く感じるのに、あの時代に奈良からですからね~。
願いが叶ってよかったですね~。
発祥の地とは何でしょうね~。
気になります。
大分別府マラソン?食べ物?
でも六十九という昔の表記では、
意味はないかも(笑)
私もその本読みましたよ。
母が読んでてそのお下がりでしたが
おもしかったです。
和気清麻呂 縁の神社が岡山と兵庫の境にあります。
藤で有名な神社です。
名前を見て、思い出しました。