酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

都電 荒川線に幸あれ!

2015年05月30日 | 都電 荒川線を誉める
最盛期には 都内を41系統もの多くの路線で活躍していた都電でした

銀座・新宿・渋谷・池袋・上野・浅草の繁華街をはじめ 

板橋・北千住・荻窪・品川・向島・錦糸町等の周辺区 都内どこへ出かけるにも都民の足として世話になったものです

かく云う私も高校時代は都電3系統の乗継で 今では地下鉄利用で30分の所を1時間以上かけて通学していました

電車賃は どこまで乗っても8円の記憶があります 学割の定期代は忘れました  とにかく安かった

その都電の全盛期と活躍も 東京オリンピックころまでだったでしょうか

目覚ましい経済の発展 自動車の急激な普及とともに都電が邪魔者扱いされてきたのです

路面の軌道内は車に占拠され 都電の大きな車体が立ち往生

その姿は 武蔵坊弁慶の悲劇を彷彿させたものでした


次第に姿を消してゆく都電

41系統すべての路線が廃止の予定でした

我が街の4系統も風前の灯でした

ところがどっこい 生き残ったのですね~27系統と32系統が

理由はふたつ 都電以外交通の便が悪かったことと住民の陳情でした

東京都の英断といいたいところですが 理由は違うところにあったと思います

二つの系統は 他の路線・系統と異なって車と一緒の路面を走行せず 普通の電車のように

専用軌道を利用していたのでした

自動車の邪魔にならない


かくして 27系統の三ノ輪橋~赤羽 32系統の荒川車庫~早稲田間の路線を再編成して現在の三ノ輪橋~早稲田の

荒川線が誕生しました

民間会社時代の(王子電気鉄道 通称王電)旧型車両から逐次新型車両に入れ替えての現在があります

発時の合図 チンチン音を残したのは正解  昭和の郷愁を誘います


都電全盛時には 旧型車両ばかりで肩身の狭い思いをしてた車両の100型たちですが

いまでは全て最新型が配備され 全国の鉄道ファンの熱い眼差しを浴びています

この日は 地元荒川区と都電営業所が素敵なイベントを提供してくれました



この時期 都電の沿道を飾る薔薇 ボランティアさんの労作です



町屋駅前では 即売会「薔薇の市」が開かれました



我が家の猫の額にもスター誕生!


都電と薔薇のコラボを見るにつけ想うことがあります

一度廃止の運命にさらされたこの都電も ひょんなキッカケから見事に復活!

稀な幸運であったけれど これは人生にも言えることではないか

最後まで旧型車両で毎日精一杯頑張って走り続けた2系統です

最後の最後にご褒美をいただきました

これからもこの荒川線 下町人種の貴重な足として また風物として長い余生を送ることになるでしょう


都電荒川線に幸あれ!

孫と出かけた 浅草 三社祭

2015年05月27日 | 隅田川


今年の浅草三社祭です



前日 孫娘から連絡があって 急遽 研修の合間をみての祭り見物となりました

彼女は大学2年生 薬学部はとにかく忙しいらしい

土曜・日曜も研究や実験のため 学校へ行っているようです

そのため アルバイトの暇がない

従って 財布の中はいつもカラッケツ

そこで 財布の中身充当は”じじ ばば”のお役目となります

これは嬉しいお役目で じじばば馬鹿振りを大いに発揮しています



スカイツリーに向かって手を上げる担ぎ手の面々

展望台から景色を楽しんでいた観光客にも素敵な贈り物になりました


いつもなら ここまで歩いて汗をかいた後は「高橋」にはせ参じてホッピーで喉を潤します

孫娘は来月末の誕生日までは未成年

本人の希望で 甘い団子に付き合うことになりました

 

隅田公園手前にある「言問団子」(ことといだんご)です

江戸時代からの老舗の店で TBSアナウンサー外山恵理さんの実家でもあります

江戸の風味を楽しみ 熱い渋いお茶で気分はすっかり江戸人でした



こちらは長命寺の”桜餅”

塩漬けの桜の葉につつまれた白い餅 言問団子と微妙に異なった甘さです

留守部隊の御土産として買い求めました


三社祭も終わって いよいよ初夏です

昨日 気温30度を超えた東京です

猛暑対策 今年も油断なく!




浅草神社 なにを占うのか 孫娘でした


大阪城 落城400年

2015年05月15日 | コミュニケーション・セミナー
あれやこれやで身辺忙しく 又もや久しぶりの更新になりました



大型連休のしっぽ 最後の6日にはここ大阪城におりました

回りは自分も含めて観光客だらけ 特に外国人の多さには圧倒されました

海外旅行は3度しか行ってませんが まるで大阪城が海外の観光地に変身したような錯覚を覚えました

浅草 仲見世通りの混雑を彷彿させる人の列

連休とはいえ 大阪城がなぜにこんなに人を引き寄せるのか?

理由がありました



400年前の慶長20年(1615)5月7日 秀吉が築城した天下の名城「大坂城」が夏の陣によって落城しました

天下分け目の関ヶ原合戦から15年・・・

”啼くまで待とう”粘りの家康でしたね 

これで 豊臣は滅亡 260年にも及ぶ川の時代が続きます


大阪城見学者には 記念品を配布していました

夕方のテレビでは 記念品を翳して大喜び・大はしゃぎする若者たちの姿が放映されていました

無邪気といえば無邪気で ことさら文句を言うこともありませんが 一方では・・

堺市に住む知人「400年前のことといえばそれまでだが この戦いでは武士だけでなく多くの民衆が虐殺されている

大阪人としては祭りのように浮かれてばかりはいられない」 

う~ん ごもっともです

今回も・・・

 

落城の翌日 5月8日に自刃したと伝えられる場所に建つ 淀君と秀頼母子の碑の周りは人影もなく 寂しいかぎりでした

運命に翻弄された親子 豊臣家にかかわりなければ平凡でも幸せな生涯を送れたかも? 戦争とは悲惨なものです


混雑の大阪城を避けて ゆっくり向かったのが・・

 



大阪歴史博物館です (右の建物はNHK大阪放送局)

ここでの新発見は掛け軸の秀吉像

従来の見慣れた大袈裟にデフォルメされた秀吉像と異なり 自然体の姿でした



実像に近いと思いたいものですね 親近感を覚えました


こちらは やはり初めて見た秀頼の直筆!



なんと読むのか メモ紛失のため不明です

六歳にしてこの字体 家康が秀頼の将来に恐怖を感じたのもわかる気がしました


大阪には二泊してきました

大阪都構想の是非を問う住民投票を間近に控えた大阪

出会った方々の 人懐こさに触れることのできた滞在になりました

二日間の研修成果も まずまずだったでしょうか

GWあれこれ・・・

2015年05月05日 | オヤジのつぶやき
久しぶりの更新になりました

Gwは若い人たちにお任せして 静かに過ごしています

それでも この10日間を日記風に記せば・・・


施設に入所中の友人Aさんの面会から始って 神宮球場でヤクルトVSジャイアンツの観戦



その朝 信州から急遽の上京 ヤクルトファンのブログ友wakasamaさんからのお誘いでした

熱戦は9回 ヤクルトのサヨナラ勝ち!



wakasamaさんは ギリギリその日の特急列車で信州に帰っていきました

大満足だったでしょう

気仙沼から修学旅行中の中学生たちが区役所を訪れて・・



災いを払うという「虎舞い」を披露してくれました

復興支援のお礼に訪れたとのことでした



こちらは東京芸術劇場です

絵画展が開催されて 友人のKさんが出展されていました





1年ぶりの再会でした お互い元気でなにより・・

そして 元気といえば豊橋から上京のKさんとは東京駅地下街の「ライオン」で軽く一杯やりました

あっという間の2時間でしたが 今月の再会を期してのお別れでした

そして この日の銀座メルサでは・・・



家人の俳画展が開かれて 搬入・搬出の手伝い方々の鑑賞





今年の作品の達磨です



じっと静かに過ごすGWの象徴になりました


これは ネコの額に咲いた花たちです

 

 

きょうは「子供の日」 午後から孫たちがやってきます

そして明日からはちょっとお出かけです


今回はコメント欄を閉じさせていただいています

みなさまへのご訪問は帰京後になります よろしくお願いします

近況のお知らせでした