酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

回 想

2008年06月27日 | オヤジのつぶやき


千駄ヶ谷の東京都体育館です

この春 中学生になった孫娘たちの体育祭が行われました

じじばばは 朝も早くから起きて駆けつけました



12歳から18歳までの まさに青春前期の彼女たちです

総勢 1530人! 



平成7年産まれ 猪年産まれの中学1年生たちです



高校3年生による 扇のウェーブです

これは美しかった


女子だけの運動会を見るのは 娘が学生だった頃の昭和53年以来・・

実に 30年振りのことです

思わず 隣の席で応援している娘(母親)の横顔を眺めてしまいました

いろいろな想いが胸を過ぎります

そして 競技会場に目を移せば・・・



なんと そこには30年前の娘がおりました


彼女たちも30年後 こんどは 観覧席から自分の娘の体育祭を眺めるのでしょうか

そして その娘もまた・・


思えば 体育館に隣接された屋内プール

48年前の学生時代に 泳ぎにきたものです

日本初のボーリング場では バイトの学生が 倒されたピンを手で立て直していましたね

さらに バイトといえば国電ホームでの乗客尻押しバイト・・

池袋駅で ラッシュアワーの時間帯だけの小遣い稼ぎでした


青春前期の彼女たちを見て 高年前期(?)のオジさんは つい回想にふけってしまいました

昨日の出来事のようです


じっとマダムを見る・・・これからもよろしく


オジさんたちの宴 ( うたげ )

2008年06月22日 | コミュニケーション
またも集まりましたよ 箱根・三ノ輪遠太オジさんグループです  今回は七人でした

みんなリタイヤしましたので お金はありませんが時間はたっぷりあります

お出かけ先は 取手の花季でした

昨年も 訪れています

今回の写真展は Aさん夫妻の台湾旅行が主題でした



商社を定年で辞めたマスターの経営する 喫茶風の店です

まずは 四国の詩人 坂村真民のお出迎えでした



まるで 七人のオジさんにピタリの真民さんの詩でした

全員が 深く頷きましたね  全く同感 そのとおりです  今こそ大切です

真民さん ありがとう  勇気をいただきましたよ




それにしても 今回の写真展 台湾の景色もさることながら 台湾料理の写真が多かったですね~


オジさん オバさんのツワーにしては かなりの食欲ですね

ま 元気な証拠でしょうが・・・見てるこちらも お腹が空いてきます

てなわけで 早速の宴が開始されました



この笑顔 よく食べ よく飲み よく語り合いました

疎外感 孤独感  寂寥感に耐えかねて 暴走してしまうオジさんが多くなったそうです

喋り相手がいなくて 口の中が渇いてしまうオジさん・・

リタイヤしたいまだからこそ 人とのコミュニケーションが 今後のキーワードになってくるでしょうね


この日 一眼レフ友の会が急遽発足しました

カメラ教室に通っているAさんを指導者として 三人でカメラの勉強をすることになりました

第1回の実地勉強会には 月島・佃島が選ばれました

そのときは もんじゃも登場するでしょう



楽しかったコミュニケーションの余韻を残して帰路につきます

夕暮れの利根川土手を歩く ほろ酔いのオジさん三人です

映画 小津作品のラストシーンのようですね

ん? 寅さんですか?  ごもっともです


上野戦争

2008年06月20日 | 広島東洋カープ
今日のカテゴリーは「広島東洋カープ」です 

今年は調子がよさそうなカープですが 上野とはなにか関係があるのでしょうか

まずは お読みくだされば幸いです



この日は日光街道に面した 南千住の円通寺に行きました

自転車で ほどよい「散歩コース」です

寺は 延暦10年(791年) 坂上田村麿将軍により開創されたという名刹です

徳川時代には 三代将軍家光が鷹狩りの折に立ち寄り 鷹が松の木に止まったそうです

名づけた名前が「鷹見の松」

いまでも 存在していました  ご紹介は後ほど・・・


円通寺が 一躍有名になったのは かの「上野戦争」以来のことです

慶応4年5月15日・・・

薩長土肥を中心とする新政府軍に対して江戸で抵抗した「彰義隊」です

戦闘地は上野でした

相手は 長州の大村益次郎指揮下の官軍です  新兵器に歯が立たなかったのでしょう

闘いは1日で終結しました  



彰義隊々士たちは 千駄木から三河島 町屋 尾久へと敗走しました

刀 槍 鉄砲などの武器 鎧などをかたに当時の農民たちに助けを求めたと伝えられています

逃げのびて 後に会津戦争に加わった隊士もいたようです

私が 幼い頃は横丁の古老が語っていたものです

”わしたちのご先祖さまは 彰義隊の味方だった・・怪我の手当てもしたもんだ・・”

この地方は 天領だからでしょうか  徳川幕府に恩義を感じていた農民たち

彰義隊を匿ったものも 逃走を助けたものも多数いたそうです



さきほどの錦絵に描かれていた「上野黒門」です  補修されたとはいえ本物です

東照宮大鳥居の東脇にあった上野黒門  ここは激戦地でした

この門は 明治40年に 帝室博物館から円通寺に移設されたものです

理由は 戦争で亡くなった彰義隊士の266遺体を上野で火葬し 当寺に収骨したからです

さらに 太政官許可によって 堂々と「賊軍」の法要ができる 当時としては日本で唯一の寺として有名になりました

住職はじめ なかなか勇気のいることだったでしょうね



激戦を物語る鉄砲の弾のあとです  大きな穴があいています



彰義隊士の墓石です


敗れた彰義隊の戦士たちを匿い 逃亡を助けた下町住人のご先祖さまたち・・・

弱いものの味方をする・・・

その気概がDNAで残存しているのでしょうか

広島カープファンになって53年になります

今年は なんとか3位に食い込んでもらいたい

彰義隊の戦士たちに祈ってきました


< お約束のおまけ >



意外や意外 小ぶりでした  やはり この松も三代目でしょうか


変わる下町風景

2008年06月18日 | 都電 荒川線を誉める


朝の隅田川に建ち並ぶマンション群・・



すべて「億ション」の噂があります

NHKの朝ドラ「瞳」の舞台の月島でしょうか

いいえ こちらには こういう嬉しい電車が走っています



そうです お馴染みの京成電車です

柴又から乗った寅さんも 渡ったであろう隅田川鉄橋です

従って ここは月島ではなく れっきとした下町  我がふるさとなんです


近年の街の変貌ぶりには ただただ驚くばかりです

いずれご紹介しますが 汐入地区も まるで都心のようになってしまいました 

昔は せいぜい二階建ての家がポチポチ・・

すべて 木造平屋でしたね


でもね・・

このマンション群から5分も歩いてごらんなさい・・

残っていますよ  下町が・・




畑の渋い家にも負けない「超渋い家」

少し前までは 幅を効かせていた木造家屋です

いずれ 都市計画によって変貌していくのでしょうが しばしの「三丁目の夕日」風景です


そして おそらくは 何十年たっても変わらないであろうこの光景・・・



やっぱり 都電荒川線は偉かった

これからも 下町のシンボルとして 毎日ガタゴト走ってくれるでしょう

マンション群 近代化された街並みの間を縫いながら・・・


* 都電の後ろの倉庫の建物  王子電気鉄道時代の車庫でした *


畑の様子

2008年06月15日 | 無農薬野菜作り
最近の畑はどうなっているか・・・

同好の諸氏には 気になるところでしょう  



さつまいも・・  生き延びてくれました

やはり 戦後の日本の食糧難を支えてくれた恩人は強かった

紅あづまです



男爵 キタアカリ メイクイーンの じゃがいも群・・

土盛りをしてもらって 嬉々としていました  収穫も間近です



そして茄子です・・

孫のH君が耕してくれた畝で 颯爽とデビューしました


今日は「父の日」でした



娘から 花束が届けられました

息子からは 先日の東北旅行のお小遣いを貰っています  今回はビールだけ・・


欽ちゃんのテレビ番組が 大内宿を放映していました

広島カープも3連勝


いい父の日を満悦しています


東北旅行  終わり

2008年06月14日 | オヤジのつぶやき
飯盛山駐車場脇の食堂で 喜多方ラーメンをいただき 出発しました



天寧寺 新撰組・近藤勇の墓所です

この表示板から かなりの道のりのところ 山の上に「新撰組の局長」は眠っていました



土方歳三が 会津に来援したときに建立したと伝えられています

その土方歳三も 右側に少し下がって静かな刻を過していました

幕末京都の治安を一身に任された新撰組・・

衰退しつつある幕府に殉じて 消えていきました

カープファンのオジさんとしては ここでもその特徴を発揮です

会津藩お預かりの団体だった新撰組に どうしても関心がいってしまいますね

若い頃ですが 司馬遼太郎の”燃えよ剣””新撰組血風録”を 夢中になって読んだものです


そして 次の訪問先はこちらでした  会津武家屋敷です



会津藩二十三万石は 幕末動乱期に戦火にさらされ 多くの施設が焼失しました

このことを惜しんだ地元の方々が 会津の歴史・文化・精神を現代に蘇らせたのが会津武家屋敷です





この光景を眺めていると 心に浮かんでくるのが 会津藩什のおきてでした

什(じゅう)のおきて・・・  什というのは「地域」というような意味らしいです

一 年長者の言うことに 背いてはなりませぬ

一 年長者には お辞儀をせねばなりませぬ

一 嘘をいうてはなりませぬ

一 卑怯なふるまいをしてはなりませぬ

一 弱いものをいじめてはなりませぬ

一 戸外でものを食べてはなりませぬ

一 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ


ならぬことはなりませぬ

ご婦人とのコミュニケーションを除けば いまでも立派に通用する什のおきてでした

特に ひとつ ふたつ目のおきてには大納得でした

電車の中 特に 地下鉄霞ヶ関駅構内にでも 大々的にポスターを貼っておいてもらいたいと思ったのは オジさんだけだったでしょうか

あ エライ人は電車に乗らず タクシークーポンだから目に入らないか

これも税金 分かったら タクシーの中で ものをねだってはなりませぬ



水車を利用した「精米所」



「お酒製造機」です  やはり 印象に残りましたね~



近藤勇に会いに 山道を往復したマダム・・

ちょっと 膝を痛めましたが 頑張ってくれました


そして ホテルは「東山温泉 グランドホテル」

大浴場の展望が素晴らしく お酒 料理も満足できました



白虎隊の舞踊で楽しみ・・・



フィナーレは ホテルの女将の指導で みんなで「会津磐梯山」

おじさん おばさんたちに 一体感が芽生えましたよ


そして 翌朝です

そのまま 高速に乗って東北道経由で帰る予定でしたが 急遽計画変更です

国道49号線で いわきに行こう!

それから 常磐道というコースを選びました

那珂湊で 寿司を食べて有終の美を飾ろうというものでした


49線をひた走ること数時間・・

見覚えのある交差点風景でした



そうです

ブログ友の 郡山はいっこんまさんのお店でした

加登屋酒店です  ときどき注文させていただいています

マダムと覗いてみました

お忙しいみなさんですが たまたま ご家族全員がいらっしゃいました

ご夫婦とは 一年振りの再会でした

茶の間で話が弾みます  お義母さんは83歳・・  まだまだお元気な方でした

髯のご主人も元気一杯 お嬢さんのM子さんは 想像通りの可愛い方で いっこんま家の「宝物」でしょうね


二泊三日の 東北旅行・・

楽しい最後になりました  また節約して 努力して 貯金して訪れたいと思っています

長い記事 お読みいただき ありがとうございました

ふたりで暮らしてきた 43年の一番の記念になりました


東北旅行  その3

2008年06月10日 | オヤジのつぶやき
会津の旅 二日目はあいにくの小雨になりました

何事にも 自分に都合よく解釈する 得な性格なじじ・ばばふたりです

カンカン照りで暑いよりいいだろ・・・雨の会津もまた良し・・・畑も喜ぶ

勇んでホテルを飛び出しました

ここもpochikoさんに当てられてしまいましたが そのとおりです 会津城 鶴ヶ城です



気分は すっかり松平容保公です 



天守閣から眺めた 小雨の会津”城下町” 

城内は撮影禁止でしたが 資料は豊富で 飽きることはなかったですね

塩蔵の再現 歴代藩主の紹介 江戸時代の会津 錦絵で描く会津戊辰戦争 城下の風物・・・



ここで突如 お姫さま(?)に扮したマダムです  アップに耐えられないので これが限度でしょう



そして 白虎隊の聖地 飯盛山でした

高齢者にやさしい 動く登山道のエスカレーター



エスカレーターの終点 こちらが 白虎隊十九士の眠る墓です

火に包まれた城下を望みながら 16~17歳の少年たちは若い命を散らしていきました



白虎隊自刃の場所です



この場所で 彼らが眺めた城下町です

遠くに 鶴ヶ城が望めます  火に包まれた城を見て 絶望して自刃したと伝えられています

日新館で 教育を受けてきた少年たちの絶望感はいかばかりだったでしょう

家族を想い 友を想い 若くして亡くなっていった少年たち

いまの時代が 忘れかけているなにかを教えてくれました



そして こちらが「さざえ堂」です  やはり飯盛山にありました

江戸時代中期の仏堂で 上り下りが螺旋状になっていて 同じところを通らずに見物できる世界にも珍しい建物でした

その名のとおり さざえのような「さざえ堂」

国の重要文化財に指定されていました


飯盛山を降りて 駐車場脇の食堂で注文した喜多方ラーメン・・

これは旨かったですよ~値段も安い!

これからお出かけの方には絶対のお奨めラーメンです


ここまで 順調な旅が続いています  喧嘩もなく

次回は 最終章です  またご覧ください


東北旅行  その2

2008年06月07日 | オヤジのつぶやき


新緑に覆われた塔のへつりの最寄り駅です  手前のこけしが光ります

その渋さに惹かれての一枚パチリでした  駅名は不明です


平日だったせいか 南会津の道路はどこも空いていました

やがて 到着したのがこちらです    地元の方ご想像どおりです



まるで 時代劇のオープンセットのような街並みですね

江戸時代にタイムスリップしたかの錯覚さえ憶えます

会津の殿様も 参勤交代で通過 宿泊した「大内宿」です





江戸時代に宿場町として栄え 一度は失いかけた風情でしたが みなさんの熱意と努力で着実に復活の兆しをみせています



この日も 茅葺の屋根に変える工事が行われていました

完成すると 屋根の上からお餅を投げるそうです  会津の風習でした

現在 約40軒の茅葺の民家が 山あいにひっそりとたたずんでいます



私が気に入ったのは やはりこちらの畑風景です

本陣屋敷をバックに ネギたちが元気に育っていました

長ネギを箸代わりにして それをまた薬味として齧りながら食べる高遠蕎麦・・

大内宿の名物のひとつです  ねぎ蕎麦  美味でした~



こちらは マダムのお気に入り「小間物屋」さん・・・

今後の”作品”の参考にするのでしょうか

かなりの時間を費やして 観察に余念がありませんでした

ひとつも買わずに・・


第九代会津藩主松平容保公も歩いたであろう大内宿・・・

しっかり踏みしめながら 駐車場に向かいました  (何時間停めても300円)


そして 一泊目はこちらです



芦ノ牧温泉 「不動館 小谷ノ湯」 (写真は 小谷ノ湯からの風景です)

懐石料理と 桧風呂が売り物の素敵なホテルでした


その3に続きます  また見てください


東北旅行  その1

2008年06月05日 | オヤジのつぶやき
仕事の関係で 西方の旅が多くなっています

そこで 今回は久しぶりに東北の旅にでかけました

昨年の夏 奈良・名古屋方面以来のマダムとの「夫婦旅」になりました

今回選んだところは いまだ行ったことのない会津です


藩祖の教えを忠実に守り 徳川幕府に殉じて 140年前の戊辰戦争で鮮烈な終焉を迎えた会津藩です

一度は訪れて会津の風に触れてみたい・・会津の歴史を肌で感じたい・・

やっと望みが叶えられました



この方面に お住まいのブログ友の方々が名所・旧跡をご案内されています

そこで 二泊三日の旅  まずは初日はこちらでしょう



地元のみなさんにも 紹介された「塔のへつり」です



大川沿いの擬灰岩が 川の流れによって侵食と風化を重ね 100万年という気も

遠くなるような長い年月をかけてできた溶岩群です

「へつり」とは 崖・急斜面という地元の呼び名でした

仏塔のような岩があることから「塔のへつり」と名づけられました



どっこい 生きている

対岸の 固い岩にどっしりと根をはっていた 周囲を睥睨するかのような巨樹です

その風格 風貌はまさに会津の樹木に恥じませんでした


見晴らし絶景の店で 薦められるままに食した味噌汁の旨かったこと
ガソリン高騰のいま 具もたっぷり 一杯100円とは これはでした

マダムも すっかりご満悦  幸先きよいスタートになりました


その2に続きます