「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

原発震災から1年

2012年03月17日 | 脱原発
 今日は久しぶりにカレンダーに何も予定のない一日。朝から雨降りなので、家でゆっくりしている。去年のあの衝撃的な原発震災から1年たった。1年たっても、原発の状況はいまだに収束には程遠いし、原発事故さえなければもっと復興が進んでいるはずなのに、いつまでも先の見えない避難生活を強いられている大勢の人たち。そして、食品汚染やがれき処理の問題など、放射能への不安は事故による放射性物質がほとんど飛来しなかった地域にまで広がっている。原発は電力の3分の1を占めているから原発がないと電気が足りなくなると、これまでさんざん脅されていた割には、今、稼働中の原発は2基になったけれども、別にみんな普通に生活できている。先日の朝日の世論調査でも定期点検で止まっている原発の再稼働に57%の人が反対していて、特に女性は賛成15%に対して、反対が67%にもなっている。にもかかわらず、政府は何とか再稼働を図ろうとしている。
 この1年、原発がこれまでいかに安全性をないがしろにして進められてきたかということが次々に明らかになってきた。先日も、文科省の地震調査研究推進本部で、宮城県沖では貞観地震津波のような巨大津波が繰り返されてきた可能性を指摘する評価が完了していたのを、3月11日の地震の直前に事務局が電力会社と会合を持って、電力会社の要望によって表現を修正していたことが明るみに出た。もしこの評価結果が地震前に公表されていれば、原発の津波対策は間に合わないにしても、もっと高い所に逃げて助かった人もいたことだろう。今日の東京新聞では、原発事故に備えた防災重点区域の拡大を検討していた原子力安全委員会に、保安院長が直接圧力をかけていたという話が報じられていた。
 あるいは、今回の原発震災で特にひどいと思ったのは、SPEEDIで北西方向に放射能が拡散することが予測できていたにもかかわらず、知らされなかったために、かえって放射能汚染の深刻なところに逃げてしまった人たちさえいたこと。チェルノブイリのときに情報が隠されていたために被曝量を多くしてしまった経験が何も生かされなかった。本当に何のためにSPEEDIにお金をつぎ込んだのかと思う。(R-DANはそうした事態を見越して、自分たちで放射線を測定するネットワークを持とうとしたわけだけれども、残念ながら圧倒的に少数だった)。政府や原子力村、マスコミ等々への不信が膨らむばかりの1年だった。
 
 一方、各地の脱原発デモには、これまでデモなどに参加したことのない人もたくさん集まっている。世界各地と比べれば、まだまだ少ないと思うけど、東京の杉並のデモなど、子どもたちからお年寄りまで、右翼も左翼も無党派も、脱原発の一点で本当に多様な人たちが集まり、多様な形で脱原発の思いを表現していたみたいだ。長野県でも松本、長野では、市民団体が前面に出る形で、原水禁系と原水協系の人たちが一緒に参加したとか。「さようなら原発1000万人アクション」の署名はまだ目標数に達しないため、5月まで継続することになったそうだが、やはり、いろいろな立場の違いを超えて「脱原発」の一点で思いを合わせていかないと、本当に原発を止めるための大きな力にはなっていけないだろうと思う。

 村では、ちょうど3月11日に「福祉と健康の集い」で放射線の健康への影響についての講演会が行われた。講師はベラルーシへ医療支援に行かれてもいる長野県立こども病院副院長の中村先生。放射線はDNAを傷つけたり、体内の水分子に当たると活性酸素を発生させる。DNAは特に細胞分裂のため二重鎖が1本になっているときに危険が大きいので、細胞分裂が盛んな胎児や子どもは影響を受けやすい。南アルプスに遮られて放射性物質はほとんど飛来していないと思われるこの地にあっても、検査体制の粗い網をくぐり抜けて、広域流通網に乗って汚染食品が出回っている可能性はある。妊婦や子ども、授乳中のお母さんには、現在の測定体制では、安全を期すには産地で選ぶしかないので、地元産の安心なものを食べさせたい。子どもを守ることは日本や地球の未来を守ることだと強調されていた。
 今、問題になるのは主にセシウムだが、セシウムは体が必要とするものではないので、排せつされる。セシウム137の物質的半減期は30年だけれども、体内半減期は109日。放射性物質を外部から取り込まないようにするには、手洗い、うがいなど冬の感染症の予防と同じ、あるいは、野菜をよく洗い、皮をむくなど、農薬の害を減らす方法と同じといった分かりやすい説明。あと、内部被曝の影響を減らすためには、セシウムはカリウムと似た性質を持っているので、カリウムが不足していると、セシウムを取り込みやすい。あるいは、ストロンチウムはカルシウムと似ているので、カルシウム不足だとストロンチウムを取り込みやすい。カリウムを多く含む野菜や果物、食物繊維をたっぷり含むもの、カルシウムをたくさん含む物を食べるとよいというお話だった。りんご2個分のペクチンは放射性セシウムを4.5倍排泄するとも。
 農地についても、やはりカリウム不足の田んぼで汚染米が出ているというお話を紹介いただいたが、ちょうど講演会前日のETVで放映していた農業再生の話(「放射能汚染からの農業再生~福島・南相馬市~」)でも、チェルノブイリ救援中部の河田昌東さんの助言で稲への放射性物質の移行を減らす取り組みを行ってきたことが紹介されていた。その中でも、カリウム肥料をまいたり、また用水の取り入れ口にゼオライトを置いたりしていた(これは後ほどリポートとして詳しい内容が載るみたいだ)。
 夢なら覚めてほしいと思うけど、現実に3・11が起こってしまったわけで、日本に住む私たちは多かれ少なかれ放射性物質と向き合って生きていかざるを得ない状況に置かれている。そのことを、1年たった今、あらためて重い現実として受け止めつつ、決してこれ以上、処理のめどのたっていない放射性廃棄物を増やしてはいけないし、そのためにも原発をもう動かしてはならないと強く思う日々です。
 

脱原発関連二日連続

2012年01月30日 | 脱原発
 一昨日の土曜日は松本市で開催された「NO!原発 脱原発 サラバ原発」県民集会に、昨日の日曜日は飯田市で開催された「食卓の放射能汚染から子どもを守るには」という講演会に参加。どちらも会場いっぱいの人が集まり、熱心に耳を傾けていた。

 土曜日の県民集会は、主催者「サラバ原発・変えよう暮らし方」の会の代表が民俗・日本思想史家の田中欣一さんが82歳、基調提言のお一人、信大元学長、宮地良彦さんは86歳、参加者の平均年齢もかなり高めで、高齢の方々のパワーを見せられた気がした。一方、飯田の集まりは「子どもを守るには」のタイトルなので、やはり若いお母さんたちが多く、原発問題への関心が世代を超えて広がっていることを実感する。横浜の脱原発世界会議にも本当にさまざまな世代の人たちが集っていた。

 県民集会の大会宣言では、原発事故について、政府、企業、科学者たちの責任を問うだけでなく、「同時に、私たち市民もまた自らの責任から目を背けることはできません。原発が生命の安全と相容れないことを知る機会は、これまで何度もあったはずです。にもかかわらず原発を容認し、あるいは無関心を決め込んで、電気を浪費する快適・便利な生活を享受してきたという事実への自覚、それに対する厳しい反省なくしては、ここから一歩も踏み出すことが出来ません」と言い、横浜の会議での福島の小学生のスピーチ「大切なものは僕たちの命ですか?それともお金ですか?」という問いに、大人たちは胸を張って「君たちの命に決まっている」と言う資格があるかと自らをも問う。その上で、
 「今全国各地で、大地から沸き立つように市民が立ち上がり、草の根的運動として声を上げていることは、大いなる希望です。多くの人がこの震災と原発事故をきっかけに、今までの暮らしを変えようと真剣に考え始めました。一人一人がどんな生き方を選ぶかを考え続けることによって、私たちはもっと健全で公平な新しい社会を作ることができるはずです。
 誰かを犠牲にしなくては産み出し得ない原発の電力に頼る生活は、もうやめましょう。すべての原発を停止し廃炉にすること、外国への原発輸出の計画を直ちにやめることを、政府に強く求めます」と続けている。

 基調提言のお二人の発言の中では、そうした生活のあり方、文明のあり方を問う中で、例として電気をたくさん使うリニア新幹線についても言及された。

脱原発へ県民集会 「生活変えよう」宣言(朝日)

 信毎主筆の中馬清福さんは、やはり基調提言の中で、この脱原発の動きが盛り上がっている今、行動に移さなくてはいけない、今はまだ点の状態であるものを線に、線から面に広げていかなくてはいけないとして、全国組織を作ることや、政治に働き掛けることなど、具体的に何をすべきかという行動提案もされた。

原発周辺の報告や避難者発表 「サラバ原発」の会松本で県民集会 (信毎)

 そして、「サラバ原発 3・11長野県大行進」の呼び掛けがなされた。

 日曜日の飯田の講演会は、先日発足した市民測定室の主催。長野県内でもここ飯伊地域では、原発事故による放射能はほとんど降ってきていないため、測定室での測定でも、この地域で生産された農産物からは不検出であることなどが、まず主催者から報告され、そういう地域で気をつけるべき点は何かという視点で講演が行われた。その点では、まずいたずらに不安を抱く必要はないのだということを、市民側の立場の専門家から聞けて安堵できる部分も多かったのではないかと思う。農業者が多い地域なので、土壌からの移行が気になるところだけれども、根を通してのセシウムの移行はとても少ないというお話もあった。今、市民測定室は全国で30くらいあり、もちろん行政や生協、流通業者、大手スーパーなど、いろいろなところでたくさん測定しているので、だんだんある種の傾向みたいなものも見えてきているそうで、重点的に測らなければいけないもの、ほとんど測定する必要もないものなど、測定の効率化につながる研究も今なされているとのこと。ただ、海の汚染は厄介だとも。
 その他、とても参考になるたくさんの情報があった。この講演はしっかり録画されているので、録画が公開されたら、リンクを貼り付けます。

【追記】参加者のメモより
 

脱原発世界会議

2012年01月16日 | 脱原発
 1月14~15日の二日間にわたって横浜で開催された脱原発世界会議に、15日のみ日帰りで行ってきた。世界各国から大勢のゲストを迎え、脱原発をめぐるさまざまな視点からの会議をはじめ、写真展やポスター展、トークライブ、シアター、たくさんのもちこみ企画、ブース展示等々、本当に盛りだくさんの内容で、初日も6000人の人が訪れたそうだが、昨日も5500人の人が参加、合計11500人もの参加者で大盛況だった。特に印象的だったのは、若い人たちが大勢参加していたことで、子ども連れの人たちもいっぱいいて、子ども企画もとても賑わっていた。
 3階のメインフロアに設置されたネット中継「脱原発世界テレビ」のスタジオ。


 303号室に並ぶブースの様子。


 経産省前テント広場のブース。


 ジュゴン保護キャンペーンセンター。いろんなジュゴンのグッズがかわいい。


 こちらは3階ホール横のブース展示。


 通路には脱原発のポスター。


 交流広場に設置されていた「どこで○○やってるマップ」。参加者が「ここでこんなことをやってるよ」ということを書いたものが、日本地図にたくさん貼り付けてある。


 どの話を聴きに行こうかあれこれ目移りしてしまいながらも、一通り展示などを見て回った後、メインホールのセッションを聴きにいった。午後一のセッション「原発は止められる」では、浜岡裁判の弁護団長など長年各地の原発訴訟にかかわり、脱原発弁護団全国連絡会代表の河合弁護士が、まずパワーポイントで大きく映し出された世界の地震地図をバックに、地震大国である日本に原発をつくってはいけないということを世界の人に訴えたいとアピールされた。3・11以後、これまで裁判で訴え続けてきたことが現実になってしまい、裁判官の顔つきが変わってきたそうだ。そして、各地で原発差し止め訴訟、株主代表訴訟、さらに地元の知事や市町村の首長への働き掛け、国会議員に対する働き掛け、公開質問状、あるいはこうした集会やデモなど、みんながそれぞれできることをやっていくことが大事だとおっしゃっていた。本当にそう思う。

 私はもちこみ企画の発送電分離プロジェクトの中で、6月の一般質問で取り上げた大鹿村の電力事情について紹介してほしいと言われていたので、ごく簡単に、企業局の水力発電所があるので自然エネルギー自給率785.9%でありながらも、大雪などで全村停電が起こってしまうこと。非常時には切り替えられるようになってはいるものの、切り替えにも時間がかかる。山に囲まれた大鹿村では、村内で作られた電気が村内で使えるようになってほしいという話をさせていただいた。都市部のPPSから電気を購入する話とはまた違った視点から。
 それが終わってから、メインホールの首長会議に行ってみたら、整理券配布は終了していて、1000人入れる会場は既に満員で、通路にも人がいて入れない状態だった。同行者の中で私だけあらかじめ整理券をゲットしてあったので、様子だけのぞく。福島から南相馬の桜井町長と双葉町の井戸川町長も出席していた(写真、右のお二人)。


【追記】
 会議直後の公式発表。「原発のない世界のための横浜宣言」などが発表された。

がんばろう!さようなら原発1000万人署名

2011年12月11日 | 脱原発
 昨日はちょっと東京方面に所用ができて、せっかく東京まで行くならということで、9・19の6万人集会にも行けなかったので、さようなら原発1000万人アクションの集会に行ってきた。
 この冬一番の冷え込みとなった朝、かなり山裾の方まで白くなった中央アルプスが朝日を受けて染まっていた。寒暖計は見なかったけれども、水たまりの氷の厚さも1センチくらい。


 中央道からは、澄んだ青空の下、冠雪した南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳、富士山、どの山々もとても美しい。境川PAを通過するときは、リニアトンネル工事の残土をその向こう側に埋め立てている堤をしかと見る。山の間をフードに覆われたリニア実験線が見えるところも。

 会場の日比谷公園に着くと、東京はまだ紅葉が見頃。脱原発集会とは関係ない人たちがのんびり散策している。

 しかし、野外音楽堂に行くと、既にたくさんの人で埋まっていた。主催者発表によると5500人集まったとか。下の写真は大江健三郎さんがスピーチをされているところ。大江さんは、原発輸出を可能にするヨルダン、ベトナム、ロシア、韓国との原子力協定が国会で承認されたことを受けて、「わずか9カ月で政治家たちの原発に対する感覚が3月11日以前に戻ってしまった」と強く批判されていた。そして、先日の6万人集会は、これまでにご自身が参加した中で2番目にたくさんの人が集まった集会だったとして、1番目は沖縄での教科書検定をめぐる県民集会、11万人(2007年)。沖縄で11万人なら、全国から集まる東京なら1000万人だろうということで、署名の1000万人という数字が出てきたとおっしゃっていた。


 福島からはお二人の方のスピーチがあった。ハイロアクション福島原発の大賀さんは、いくら除染しても、山から吹き下ろしてくる風によって空間線量が上がっているところもあるといったことなど、本当に切々と福島の状況を訴えておられた。  
 所用のため集会のみ参加して、送り出しの館野公一さんの歌を聞いた後、東京電力のところまでパレードの横を歩いて、そこで失礼しました。1000万人署名は、まだ集計されている数は200万人とか。何とか来年3月24日の署名集約集会までに1000万人集めたい。


さようなら原発1000万人アクション


放射能測定伊那谷市民ネットワーク始動

2011年11月29日 | 脱原発


 昨日は放射能測定伊那谷市民ネットワークの開所式に行ってきた。
 福島第一原発事故以来、空間線量は低いここ長野県南部にあっても、内部被曝をもたらす食品の放射能汚染は、特に小さい子どもを育てるお母さんたちにとっては気にせざるを得ない状況だけど、国などの測定体制は全く不十分だ。そのため暫定基準値を超えた食品が市場に出回ってしまっている可能性もあるし、一方で、全く汚染されていないのに、産地だけで避けられてしまう、いわゆる風評被害もある。もちろん国の暫定基準値自体が高いので、例えば499ベクレルかもしれないものは子どもに食べさせたくないということもある。放射能汚染については、どれくらいの値なら安全で、どれくらいなら危険という閾値があるわけではないので、最後の判断はそれぞれの人に委ねられるわけだけど、それにしても、その根拠となる正確な情報を知りたいと思うのは当然だ。国や自治体等の測定体制が不十分であるならば、もっと細かな測定体制を働き掛けるとともに、やはり自衛手段としては自分たちで測定体制を持ちたい。チェルノブイリ事故の後でも、食品などに気をつけた人と、そうでない人のその後の健康状況には明らかに有意差があるという。
 私たちはチェルノブイリの事故後に、R-DANという空間線量(CPM)を測って情報共有する体制は作っていたけれど、R-DANの測定器では食品は測れない。今、空間線量を測る線量計はかなり安価なものもあるけれども、食品を測るとなると、測定器の値段はけたが違ってくる。伊那谷の仲間たちが何度も会合を持ち、検討を重ねて選んだ測定器はベラルーシ製のアトムテックスというもので、送料などの諸経費込みで約200万円かかったそうだ。その費用を市民みんなの出資金で賄いたいという。入会金は、個人5000円、法人5万円。もちろん、別途カンパも歓迎。会員になると、自分で測りたいものを持ち込んで、無料で測定することができる。
 この、基本的に自分で持ち込んで自分で測るというところが、このネットワークのコンセプト。人任せにしないで自分で動く、そして、さらに言えば、自分で測って自分だけ安心というのではなくて、放射能の勉強会等を等して市民の知識の向上、行政への測定体制整備の働きかけや、放射能汚染地域に住む人たちへの支援活動、他の測定室との連携など、いろいろなことに取り組んでいきたいという。昨日の開所式でも、第2部ではチェルノブイリ救援中部の人たちから、チェルノブイリの状況のお話を聞く。
 私も昨日、早速会員になってきた。目標額200万円に対して、今のところ到達度18%だそうです。規約等、詳細はホームページが立ち上がっています。自分の測定結果を知るだけでなく、他の人が測定した結果もホームページ等で公開されます。

キセノン

2011年11月02日 | 脱原発
福島第1原発で核分裂の可能性 キセノン検出、ホウ酸注入

福島第1原発2号機で核分裂か ホウ酸水を注入

 玄海原発4号機が昨日の午後11時に運転を再開した。3・11の福島第一原発の事故以来、止まっていた原発の再開は初めて。そうした中、今日未明、福島第一2号機のキセノン検出。半減期が9時間のキセノン135が検出されたということは、現在進行形で核分裂が連続して起こる「臨界」が起こっているということ。福島の原発事故が「年内に冷温停止」どころか、いまだ収束には程遠い危険な状態にあることを示すニュースと一緒に、運転再開のニュースが流れ、原発輸出のニュースが流れる。本当に、この国のいまだに原発にしがみついている人たちは、一体どういう感性をしているのかと思う。

 福島、あるいは周辺の東北、関東の放射線量の高くなっている地域では、子どもの健康被害に怯えながら、一方で、家族や友人、仕事などのつながりの中で、逃げる、逃げない、食べる、食べないといった場面場面での選択に心を引き裂かれながら、日々暮らしている人たちが大勢いる。先週、東京の経産省前では、福島の女たちと、それを応援する多くの人たちが座り込み、福島の女たちに続いて全国の女たちが今も(5日まで)座り込みを続けている。9月19日の6万人集まった「さよなら原発5万人集会」での、「ハイロアクション福島」の武藤類子さんのスピーチを紹介しつつ、確とした決意を込めて書かれた池田香代子さんのブログに強く共感。

【追記】キセノンの検出は極微量で、「臨界でなく自発核分裂」ということらしい。でも、いずれにしても、溶けた燃料がどこでどういう状態に状況になっているのかも分からないし、原子炉が依然として不安定な状態であることを示している。

飯舘村報告会など

2011年08月08日 | 脱原発
 お隣の中川村で、8月5~7日の2泊3日、原発事故で全村が計画的避難区域になった福島県飯舘村の人たちを夏祭りに招いた。
故郷離れた気持ち共有を 中川の夏祭りに飯舘村民招こう
飯舘村民 中川村の竹灯籠がお出迎え 祭りに合わせ招く
福島県飯舘村の住民を招き「中川どんちゃん祭り」
 同じ「日本で最も美しい村」連合の一員でもあり、大鹿村、大鹿村議会も報告会を共催という形でかかわった。せっかくだから、報告会だけでなく、できるだかかわりたいと思って、お迎えのキャンドルナイトから参加。

 横向きになっているけれど、ガラスびんに入れたキャンドルを飯舘村のマークの形に並べてある。真っ暗になる前の薄暮の時間帯、柔らかなみつろうキャンドルの光がとてもきれい。


 竹灯籠がたくさん並べてある。節のところを目の形にくり抜いて、かわいらしい笑顔のよう。


 こちらのオブジェには、右側は「絆」、左側は「結」の文字が彫り込まれている。
 これらの約1000個のキャンドルの優しい光に包まれて、ミニコンサートが行われた。フルートや歌やらいろいろあったけど、西洋のこぎりのような楽器の不思議な響きが面白かった。最後には、大きな輪になって、飯舘村の村歌をみんなで歌う。

 6日の午前中は、菅野村長と、よさこいソーラン「いいたて愛」の長谷川さんのお話をお聴きする。
 菅野村長からは「『おカネの世界』から『いのちの世界』へ」と題して、飯舘村がこれまで進めてきた「までい」(※)という言葉に象徴される村づくりの話、原発事故を受けてのお話をいただいた。外から見ていると、ホットスポットになってしまった飯舘村から、なぜもっと早く遠くに避難しないのかと心配になるけれども(もちろん、汚染状況が分かっていながら知らされず、当初、避難区域にもされなかったことの、政府の対応のひどさは言うまでもないが)、何せ6000人の人口の村に3000頭の牛がいたところだ。仕事の問題や、家族がばらばらになってしまうことの大変さ。周囲の先に避難したところの状況を見ると、特養や病院などの高齢者は、避難自体の大変さで亡くなられる人も多かったとのこと。それでも、今はほぼ全村避難が完了し、県外に500人くらい、移転した役所近辺に5000人くらいが移り住んでいるという。村の消滅は何とか避けたいということで、特養など屋内作業の事業所が8~9社残り、また防犯パトロールも実施しているそうだ。そういう話を聞くと、従事される方の被曝量が気になってしまったりもするし、本当に状況は厳しい。
 せめてあの原発事故が、経済優先、足し算の世界ではなく、引き算の豊かさ、いのちの世界、人の絆の素晴らしさが気付く一つのきっかけになっていただかないと、私たちの苦しい厳しい避難生活があまりにも空しくなるというお話に頷きながら、改めて、何としてもこの「3・11」を、みんなで日本の社会のあり方を変えていくきっかけにしないといけないという思いを強くする。
 長谷川さんは、かつて「若妻の翼」という、若いお嫁さんたちをヨーロッパ研修旅行に派遣する事業でヨーロッパに行かれた方で、「村が人を育ててくれた」という言い方をされていた。村長さんのお話が概括的、理念的なお話が多かったのに対して、長谷川さんのお話は原発事故時の具体的な状況が伝わってきて、涙がこぼれる。報告会には役場の車で行ったので、いったん大鹿に帰ったけれども、ぜひとも彼女たちの踊りを見に来なくてはと思って、夕方また「どんちゃん祭り」に出かける。


 飯舘村の虎捕太鼓の皆さん。女性ばかりの太鼓のグループ。


 「いいたて愛」の皆さん。
 どちらも、避難生活でばらばらになっていたのを、中川村のお祭りがきっかけで再び集まって練習されたという。


 飯舘村のみこし。いろいろなメッセージが寄せ書きされている。
 
 両日とも、大鹿村を出るときはどしゃぶりの雨だったけれども、ダムの所のトンネルを抜けると、路面が乾いていて、5日は虹もかかったとか。6日の夜は一時少し雨も降ったけれども、大したことなく、お天気もちゃんと応援してくれているのだなと思った。

※「までい」については、ぜひ本棚にも登録した『までいの力』をご覧ください。本の帯に「繋がっていれば、決して負けない」という言葉がある。飯舘村の人たち同士の繋がりとともに、今回みたいな飯舘村をはじめとする被災地の人たちと他地域の人たちの繋がり、ネットワークが広がっていくことが、きっと大きな力になるに違いないと思った。

飯舘村報告会

2011年07月29日 | 脱原発
 お隣の中川村で、同じ「日本で最も美しい村」連合の仲間である飯舘村の皆さんを「どんちゃん祭り」に招待する企画が進められている。そのプログラムの中で、原発事故による放射能被害の現状をお聞きする飯舘村報告会が、大鹿村、大鹿村議会も共催の形で開催されることになった。
 
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福島県飯舘村報告会

 福島県飯舘村は、「までいの力」(*)で地域の絆を大切にして村づくりを進めてきた人口約6千人の自然豊かな農村で、昨年10月に「日本で最も美しい村」連合の仲間入りをしました。しかし、半年も経たない今年3月、東北地方を襲った大震災に伴って発生した東京電力福島第一原発事故により、全村が計画的避難区域に指定され、住み慣れた故郷を離れて避難生活を送っている状況にあります。
 今回、美しい村連合の繋がりの中で、飯舘村の皆さんに中川村へお越し頂くことになり、この機会に併せて、震災や原発事故による計画避難の状況、復興再建に向けた思いなどをお聞きするため、報告会を開催することになりました。被災地の皆さんの声を直接お聞きし、想いを共有して復興を支援するとともに、いつ起こるかわからない大震災時の対応や課題などを考える機会にしていきたいと考えます。是非、多くの皆さんのご参加をお願いします。
(*「までい」とは、東北地方の方言で、「両手で」「ていねいに」「しっかりと」という意味。私たちの「まてー」に近い言葉です。)

日時 8月6日(土)午前10時~(開場・受付9時30分~)

場所 中川村 望岳荘 大広間

内容 飯舘村からの現状報告
   (報告者)飯舘村 菅野典雄村長他

主催 中川村、大鹿村、中川村議会、大鹿村議会、までいの力ネットワーク

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 までいの力ネットワークによる全体の招待スケジュール・内容としては、
 8月5日(金)~7日(日)の2泊3日。大人、子ども合わせて60名ほど。

 5日(金)7時~ キャンドルナイト
          1000個の竹灯籠でお出迎え。ミニコンサート

 6日(土)10時~ 報告会
      14時~ どんちゃん祭り 
          飯舘村より太鼓連、よさこいも登場! 飯舘みこしも。

 この企画運営のため、協賛金を受付中。
       竹灯籠 1口 1000円
 (受付窓口:望岳荘、中川村図書館、カフェセラード、ふじ屋、ガーデンカフェかたつむり
       山のパン屋さん、そば処吉笑楽(渡場)、伊藤豊子(横前)
       大鹿村役場)


内部被曝の影響

2011年07月08日 | 脱原発
 少し前になるけど、6月28日にチェルノブイリ救援・中部の河田昌東さんの講演会に行った。そして、昨日は松本市で国連軍縮会議のプレイベントとして行われた池田香代子さんの講演会に行ってきた。池田香代子さんの講演会のテーマは「世界がもし100人の村だったら」だったけれども、3・11後、「hahako」という母子疎開の支援をされたりしている池田香代子さんだから、やはり原発事故絡みの話から始まる。
 内部被曝についての話では、池田さんは控えめに、マスコミ等でよくいわれているICRPの「100mSvで0.5%癌死が増える」という数字を挙げて、しかし、それは年齢によって感受性が違い、子どもたちはもっと大きな影響を受けるのだという話をされた。これについては、しきい値があるとする学者、ないとする学者もいるし、さらに、癌死の割合はゴフマンの1万人シーベルトで4000人など、もっと厳しく見積もる研究者もいる。原発を推進・維持したい勢力が言う数字が甘すぎる数字であることは自明であり、子どもたちを守るためには厳しめの数字で考えておきたいところ。でも、いずれにしても、癌死の話。
 先日の河田さんの話で衝撃的だったのは、チェルノブイリの経験から言えば、問題は癌だけではないということだ。チェルノブイリ事故後には、心臓病、脳血管症、糖尿病、先天異常など、さまざまな病気が増えたそうだ。癌や白血病などは1割以下だという。免疫力が低下して、感染症も増えた。もちろんそれは公式にはチェルノブイリ事故の影響だということは認められないだろうけれども、確実にそうした病気が増えており、癌だけを取り上げるのは間違いだというお話だった。放射線がDNAを損傷するといわれているが、そのメカニズムとして、放射線が直接的にDNAを破壊するだけでなく、水分子を壊してフリーラジカルを発生させ、それがDNAを損傷する。つまり、放射線の影響の一つは、フリーラジカルによって加齢を促進することだとも言えるとおっしゃっていた。 (チェルノブイリの犠牲者は、WHOの公式見解の4000人ではなく、100万人近いとする研究結果も報告されている)
 そんなことを考え合わせると、やはり低線量といえども、内部被曝はできるだけ減らした方がいいに決まっている。そのためには食品の基準が重要で、ウクライナではチェルノブイリの経験から内部被曝の重要性が分かって、飲料水は2ベクレル、パンは20ベクレル、イモは60ベクレルといったように、たくさん飲食するものは基準を厳しくしている。ところが、日本のセシウムの暫定基準は飲み物200ベクレル/L、野菜500ベクレル/kgと、あまりに機械的。そんな緩い値では、基準値内だからといっても、子どもたちには安心して食べさせることはできない。そうすると、今の状況では、とりあえず産地で選択するしかなくなってしまい、いわゆる「風評」被害も生んでしまう。でも、例えば自主基準50ベクレルを決めた福島の生産者のグループなどもあるそうで、本当にきめ細かな測定体制が望まれるところ。

脱原発100万人アクション

2011年06月13日 | 脱原発
「6月11日は、福島原発震災から3ヶ月。
 今なお放射能の放出は続いています。
 私たちは、人や自然を傷つける電気はいりません。
 全国各地域の人々とともに、
 6月11日に脱原発を求める100万人アクションを呼びかけます。
 6月11日は、声をあげましょう!
 今こそ脱原発へ!!」

 ネット上でのこうした呼び掛けのもと、6月11日は全国各地、 のみならず世界各地でも連動して、脱原発のさまざまなアクションが行われた。長野県内で近いところでは松本市でもサウンドデモが行われたけれども、伊那谷界隈では特に呼び掛けはなかったので、うちではつれあいが浜岡とかかわりが深いので、静岡に行くことした。ちらしには雨天延期と書いてあったけど、前日にネットで午後には雨が上がる予報なので実施するとのことを確認。
 どしゃぶりの雨の中、国道152号線をひたすら南下。途中、袋井の野草社に寄り、多分10年ぶりぐらいに石垣さんに会ってから、静岡へ向かう。石垣さんは、今、発売元だった新泉社の社長になっていて、本の内容によって新泉社の名前で出したり、野草社の名前で出したりしているらしい。最近、昨年亡くなった立松和平さんに生前託されていたエッセイをまとめた本を3冊、野草社から出版することになったいきさつなどお聞きする。前から欲しかった『天竜川の神人―生と死の祭り』と、ごく最近出たティク・ナット・ハンの『ブッダの〈気づき〉の瞑想』の2冊を入手。
 野草社に着いたときはまだ降っていた雨も、出るころには上がっていた。パーク&ライドができる愛野駅に車を駐めて、東海道線で静岡まで。静岡は4月の菜の花パレードには1000人くらいの人が集まったそうだけど、今回は浜岡がとりあえず止まったせいもあるのか、天気のせいもあるのか、主催者発表250人くらいで、かなり少なめ。パレード出発前に千葉から来たという遠井地下道さんが「静岡はもっと集まっていると思ったのに」と言いつつ、「電気より元気を!」と歌い、戻ってから、大鹿の内田ボブが原発葬送歌を歌う。

 帰宅後、他の会場はどうだったのか気になって、ネットで情報を探す。新宿アルタ前には2万人ぐらい集まったとかで、すごい人波。チェルノブイリ原発事故後の88年に日比谷公園で2万人集まったけど、今回は新宿だけで2万人。全国、世界を合わせると、何万人の人が動いたのかな。ネットでも各地からの中継が流されたから、直接参加できなくても、ネット視聴という形で参加した人も大勢いたことだろう。「原発は要らない」とただ思うだけでなく、社会に向けて意志表示する人たちが確実に増えている。