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ここの14年、アクセスなど変遷史   文科系

2019年08月18日 11時36分45秒 | その他
 このブログが始まって14年。週間累計のブログアクセス数などを僕はずっと記録してきましたが、この変遷などを振り返ってみたら、なにか、とても感慨深いものがありました。今でこそ、アクセス2000~3000、閲覧数1万を超えていますが、この14年間は、こんな高低の波を辿って来ものでした。

05年に始まって、最初に週間累計端末数が1000を越えたのは、08年4月13日の週の1048で、その週の閲覧数は2580でした。この時はまた同時に、ほぼ1000を越えるのが当たり前になっていった時期でもあります。

・1500を越えることになったのが、09年6月28日からの週。一挙に1792アクセスで、閲覧数は6117になっています。この時はほぼ同時に2000アクセスも越えて、これが当たり前、普通になっていきました。同時に、このブログの特徴である閲覧数の多さがはっきりしてきたのもこの頃です。約2000のアクセスに対して、時に1万近い閲覧数を弾き出すようになっています。つまり、1人のアクセス者が何か興味ある過去ログを探し出すことによって、1人5面を遙かに超えて閲覧していく。この状態は、11年の夏まで続きますが、この間のピークは、こんな調子でした。

・11年5月の4週のアクセスと閲覧数を書き写してみます。2882の16826、3426の18306、2816の13235,2637の12613。なお、この時期がおそらく第二のピークである今現在以上、ここの最盛期だったのだと振り返ることが出来ます。なにしろ、今は亡くなった方も含めて、書き手が何人もおられましたから。只今さん、まもるさん、あんころもちさん、キャッチホンさん・・。

・ところが、11年夏過ぎから、また2000を割り、14年夏過ぎからは1000も割るようになっていきます。ただこういう時でも、ここの閲覧数の多さは変わっていません。アクセス数が1000を割る週でも、閲覧数が1万を超えるなどはこの間中たびたび起こったことでした。1人10面以上などと、多くの過去ログを読まれる人が多いという特徴がずっと健在だったということ。このアクセス減少はやはり、書き手が居なくなったことが関わっていると思います。

・その後、翌15年の夏以降はまた基本1000を越えるようになり、閲覧数はやはり5000~10000だったと言えます。が、18年半ばからはまた2000前後になり始めて、18年末からはこれを越えるようになり、現在は2500前後、第3回目の山を迎えていると言えるのではないでしょうか。この3週はこうなっています。
 7月28日~ 2452の9451
 8月4日~  3099の11182
 8月11日~ 2900の12617



 ここを訪れるブログ同業の方々、やはり継続は力だと思います。ただし、以上の数字にロボットによる応答が多いというのが実際の話と見てきました。が、この何割か?が実際に読んで下さっていると思うから、まー続けることが出来たわけですね。
 ただ僕、文科系個人として、ここにこんな大きなメリットをずっと感じ続けてきました。まず、ここに書くのが、いろんな勉強の励みになって来たということ。随分いろんな本を読ませて貰ったものです。それと、自分の文化的活動の記録も残せるということ。ランニング日誌、教室に通っているギターやその仲間のこと、そして、同人誌活動の作品掲載などなどのことです。僕としては生活記録、日記の意味も大きいわけでした。
「生きて学んで、それを書き残して、それをまた読みつつまた生きて、書く」
 ここが僕にとって活動年齢を長くする原動力にもなってきたわけです。ということは、こういうこと。自分の活動記録だからこそ、シビアに真面目なものと。上辺だけの真剣ではないことなど、到底書く気にはなれないということです。読んだ本やその内容紹介なども含めて。なんせ、この過去ログ14年間をめくり出せば、自分の文化活動や学んだことをいつでも引っ張り出せるというのは、この年になると凄い力と感じます。記憶力減衰を補ってくれるし、忘れていた知識、大事な自他の事件なども思い出させてくれるわけです。そして、明日の自分や世の中をより詳しく、正確に考えることも出来ていく。一言で言えば、ここが僕の諸活動の原動力になっているということです。願わくば、去年93歳だかで死んだ直前までよい仕事が出来たロナルド・ドーアにあやかりたいものというような気持。これがなければ、ほとんどロボット相手にこんな長文を書く気にはなれなかったと思います。
 ここを定期的にお読み下さっている皆さん、これからもよろしくお願いいたします。
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改めて、「太平洋戦争の大嘘」という大嘘   文科系 

2019年08月18日 10時54分50秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 いつもここのアクセス・ベスト10のトップに出てくるように誰かがしてくださっているこの拙稿には続編があって、これの掲載が18年4月1日、以下続編は2日と6日に載っている。今日は、この後者二つを併せて再掲させていただきます。


 拙稿の「太平洋戦争史」が気になる人々が多いようだ。藤井厳喜さんとやらの「日本人が知らない、太平洋戦争の大嘘」という本の広告がこのブログに再三掲載されてくる。調べてみたら、安倍首相のブレーンの1人のようで、国会議員選挙に2度も出て2度とも落ちているお人。政治学者とあるが、政治学よりもどうも保守政治家になりたいお方らしい。それも、安倍周辺の政治家。加えてこの御本、無料で配布しているとあった。どこかからお金が出ているのだろう。
 
 さて、この本の概要が宣伝文句に書いてあって、その事を一つ一つ批判してきたその2回目である。『 』内は、その本の宣伝文句。

・『日本は終戦まで、アメリカに何度も何度も和平提案を送っていた。それを完全に無視し続けた上での原爆投下…瀕死の日本に、どうしてそこまでする必要があったのか?「原爆が正義だ」という狂気のデタラメを生み出した世界の力関係とは?』
 日本がアメリカに和平打診をしたかどうかなどは、ここでは大した問題ではない。現に、敗勢著しくなってもポツダム宣言を受けなかったという世界史的事実があるのだから。この全面降伏勧告を受けなかったことが、原爆投下という惨劇に繋がったという事の方こそ、日本国民も世界も周知の事実である。

・『日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった「ハル・ノート」。なぜ、そんな重要な内容を私たち日本人は教えられないのか?アメリカ大物議員すらも「国民への裏切り」だと絶句した、その内容とは?』
 ハルノートが『日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった』というのが、大嘘である。大嘘というよりも、「ハルノートに怒り心頭! 開戦やむなし」とは、当時の日本側が戦意高揚のために最大限宣伝に使っただけのこと。
 この文書は、開戦原因として『そんな重要な内容』なのではない。ハルノートは、12月8日の開戦直前の11月末に日本に送られてきたもの。日本は既に、開戦準備を密かに、すっかり終えてしまった段階で届いたものである。戦争原因については、それ以前にこういう経過があった。満州事変・国連脱退から、中国南下を続けた日本に、国連、アメリカが再三の警告と、「制裁措置」を与えてきた。「国際不法行為」と「強制・制裁措置」とのエスカレートと言えば、今の北朝鮮と国連との関係のようなもの。「石油禁輸も含めて」日本がほぼ全面的に悪かったから起こったことなのだ。いきなりポーランドに進撃して非難されたドイツとの、兄弟国だけのことはある。

 以上の太平洋戦争の原因論争と、これについての右流ねじ曲げ論批判とは、このブログには無数にあるが、最も最近のものでは以下のエントリーを参照されたい。18年1月29日「太平洋戦争、右流ねじ曲げ理論に」。


(以下が、この連載3回目の18年4月6日分)

 さっき、こういうコメントを付けた。これをやや詳論したい。

『 戦前日本を庇う人が、その国連脱退を何も見ず、ハルノートのような太平洋戦争直前の「不当性」を問題にしているのが、笑える。要は、こういう話なのだから。
「国連をさえ脱退した国際的無法者が、それらの記憶も薄れた今になって何を言うか! その無法者ぶりには頬被りして・・・」
 大東亜共栄圏が出来たら、アジア人は日本天皇の臣民にされたろう。天皇制を批判したら、死刑である。これは、もしもドイツが勝っていたら世界がこうなっていたのと同じ事だ。ユダヤ人、身障者、黒人などの皆殺し。
 こんな世界を誰が望んだろうか。だからこそ、日独が負けたことが、世界にとってどれだけ良かったことか! 今の世界のみんながそう考えるはずである。』

 このコメント前半部分は、右論者の常道の一つ。1931~3年の満州事変、国連脱退を何も語らないのである。現代世界では、北朝鮮でさえ脱退していないのに。国連を脱退すれば、国連法に縛られなくなる代わりに、独立国として認められる国連の庇護が無くなるわけである。戦前日本はこれ以降の事実として、どんどん無法者になっていった。その結末が不意を突いた騙し討ちのような真珠湾奇襲攻撃だった。

 コメント後半の「もし日独が大戦に勝ったら」という問いも、大戦をどう見るかにとって極めて重要なものだろう。
 日本には国民はいなくて臣民(天皇の家来である民)だけが存在したのだから、大東亜共栄圏とはこういうものになったはずだ。日本の天皇が支配するアジアに。日本天皇制度を批判したら、先ず死刑という「共栄圏」である。今も日本が折に触れて批判されている戦前の朝鮮や、中国の一部やのような歴史遺産を考えてみればよい。安重根のようなその国の愛国人士が殺されたとか、南京大虐殺兵士のように反日勢力は無差別皆殺しにあったとか。

 また、ヒトラーの世界支配など今の誰が望むのだろうか。鬼畜と言われた米英は、日独にも自由を与えた。原理としては黒人も有色人種も安心して住める社会であったし、戦後社会は事実としてもどんどんそう進んでいった。 こういう事実を前にしたら、右論者がよく語るこんな理屈も全くの屁理屈で、噴飯ものとなろう。
「日本、太平洋戦争は、植民地解放に貢献した」

 
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何度でも、『「太平洋戦争の大嘘」という大嘘』   文科系

2019年08月17日 17時50分45秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 このブログなどにも「太平洋戦争の大嘘」という本の宣伝が何度も載ってきたから、これ自身が嘘だということをエントリー文章にしていろいろ教えて上げた、すると、その僕の文章を一日に何度もクリックして、ここのアクセスベスト10のトップに、いつも載せてくれる人々がいるようだ。僕のエントリーを支援してくれるわけだからまー感謝はしているが、改めてこの嘘っぷりを書き直してみたい。

・太平洋戦争が日本の勝利になっていたら、アジアの人々は大東亜共栄圏の盟主、大日本帝国天皇の「臣民」にされたはずだ。天皇を批判したら死刑である。そもそも日本がそうだったのであって、日本自身に国民はいなくて、臣民だけがいたのであるから。こんな事をアジアの諸国民の誰が喜んだろうか。

・同じく、米国参戦がなくってイギリスもフランスのようにナチスに占領されていたら、ヨーロッパ全体でユダヤ人や身障者がゲットーの中で殺されたはずだ。ナチスの選民・「優生奨励」思想によって。地球が地獄になっていたはずで、これもそうならなくてよかった。

・何度でも言うが、そういう二つの国がポーランド電撃進入と満州事変・上海上陸戦・中国南下戦略などで始めたのが第二次世界大戦である。

 こういう戦争を、戦争の直接記憶が薄れてきた今になって「大嘘」などと庇う議論はどこを探しても、泥棒にも三分の理の類である。思想、表現は自由にしても、全くいただけないやり口、語り口である。また、こういう人々こそが、慰安婦(表現)を非難してきたのだろうから、呆れることである。
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書評「アメリカ帝国の終焉」⑤最終回  文科系

2019年08月17日 00時35分07秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年1月刊)の要約・書評第5回目、最終回になった。今回は、全4章「勃興するアジア」の第3節「太平洋トライアングルからアジア生産通商共同体へ」と最終章「同盟の作法──グローバル化を生き抜く智恵」の要約である。

 東アジアの生産通商状況が世界一の地域激変ぶりを示している。80年代中葉から2000年代中葉にかけて一度、2000年代中葉から後にもう一度。前者は太平洋トライアングルから東アジア・トライアングルへ、後者は「三様の新機軸」という言葉で説明がなされている。

 太平洋トライアングルというのは、日本、東アジア、アメリカの三角関係だ。日本が東アジア(主として韓国、台湾)に資本財、生産財などを輸出してそこの物作りを活発にし、日本、アジアがそろって米国に輸出した時代である。その「日本・アズ・ナンバーワン」の時代が、世紀の終わり20年程でこう換わったと語られる。アジアの生産、消費両方において、アメリカとの関係よりもアジア域内協力・互助の関係が深まったと。最終消費地としてのアメリカの役割がカジノ資本主義・超格差社会化によって縮小して、中国、東南アジアの生産と消費が急増し、東アジア自身が「世界の工場」というだけでなく、「世界の市場」にも変容したと述べるのである。
 例えば日本の東アジアへの輸出依存度を見ると1985年、2000年、2014年にかけて17・7%、29・7%、44・5%と増えた。対して対米国の同じ依存度は、46・5%、29・1%、14・4%と急減である。
 ちなみに、世界3大経済圏(の世界貿易シェア)という見方があるが、東アジアはアメリカを中心とした北米貿易協定をとっくに抜いて、EUのそれに迫っているのである。2015年の世界貿易シェアで言えば、EU5兆3968億ドル、東アジア4兆8250億ドル、北米2兆2934億ドルとあった。


 次にさて、この東アジアが2000年代中葉以降には更にこう発展してきたと語られる。
 東南アジアの生産性向上(従って消費地としても向上したということ)と、中国が主導役に躍り出たこと、および、インド、パキスタンなどの参加である。
 この地域が世界で頭抜けて大きい工場・市場に躍り出ることになった。
 例えば、世界からの直接投資受入額で言えば2013年既に、中国・アセアンの受入額だけで2493・5億ドル、EUの受入額2462・1億ドルを上回っている。
 これらの結果リーマンショックの後には、世界10大銀行ランクもすっかり換わった。中国がトップ5行中4つを占め、日本も2つ、アメリカは1つになった。


 さて、こういう世界経済の流れを踏まえてこそ、日本のあるべき発展、外交、防衛策も見えてくる。最終章「グローバル化を生き抜く智恵」というのは、そういう意味なのだ。世界経済発展の有り様と東アジア経済の世界的隆盛とを踏まえれば、日本の広義の外交の道はこうあるしかないだろうということだ。
 最初の例として、中国への各国直接投資額が、2011年から2015年にかけてこう換わったと指摘される。増えたのが、韓国、フランス、ドイツ、EU4か国などからの投資額で、それぞれ、58・0%、58・4%、38・0%、24・4%の増加。減ったのがアメリカ(11・8%減)と、日本に至っては49・9%減なのである。

 次に、新たな外交方策として、アジア重視のいろいろが提言される。アジア各国の生産と消費との良循環を作ることを通して得られる様々なものの指摘ということだ。今のアジア各国にはインフラ充実要求もその資金もあるのに日本がこれに消極的であることの愚かさが第一。この広域インフラ投資を進めれば、お互いの潜在的膨張主義を押し留めるという抑止力が働くようになるという成果が第二。こうして、アジアが経済的に結びつくことによって不戦共同体が出来るというのが、最後の意義である。

 最後に述べられるのがこのこと。日本が見本とすべきだと、日本と同じアメリカの同盟国カナダの対米外交史を示していく。アメリカと同盟関係にありつつも、中国との国交回復では米国に先行してきた。この時の元首相トルドーはアメリカのベトナム戦争に反対したし、その後のカナダもまたアメリカのシリア軍事介入に反対した。このように、カナダの対米外交は対米同盟絶対主義ではなく、国民民生重視の同盟相対主義なのだと解説される。その対中累積投資額は580億ドルとあって、カナダにとって第2位の貿易パートナーが中国なのである。アメリカ帝国の解体と日本の対中韓孤立状況を前にして、カナダのこの立場は極めて賢いものと述べられる。


 さて、この書の結びに当たるのは、こんな二つのテーマだ。英国のEU離脱とは何であり、現在のグローバル化は過去とは違うこういう積極的なものであると。
 英国のEU離脱を引き起こした『(EUの難民)問題はだから、(エマニュエル・トッドが語るような)EUではない。中東戦争の引き金を引いた米欧の軍事介入だ。それを支える米国流“民主化”政策だ」
 そして、現在のグローバル化とはもはや、米英流金融マネーゲームのそれではなく、こういうものだと語られる。
『一方で先進国の不平等を拡大させながらも、他方で先進国と途上国間の不平等を限りなく縮小させているのである』

(終わり)
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喜寿ランナーの手記(259)入院10日、退院後の回復  文科系

2019年08月17日 00時22分17秒 | スポーツ
 先月26日に胃腺腫という、癌細胞を含んでいることもある出来物を検査するために内壁を3センチ四方ほど切り取る内視鏡(検査)手術で入院して、この4日に退院。癌細胞は全くなかったと一安心したの上で、入院中から病院階段往復、スクワットとか片脚つま先立ちなど補強運動を様子を見ながら少しずつ強めてきた後、初めておそるおそる走ったのが先回書いたように10日のこと。おそるおそるというのは、この年になると約半月の完全空白がどれほどの衰えに繋がるか全く計算できないからだ。

 はてこの10日はスピードが遅い割に心拍数が異常に高かったが、1時間走れたのだ。トレッドミルを30分2回で合計7・6キロまで行った。まー歩いているのとそんなにかわらなかったのだけれど。

 これに勇気を得て、次に走ったのが中一日置いた12日。この時は2回目の30分を15分過ぎには切り上げてしまい、合計6キロほど。2回目の時全身疲労感が酷いなーと感じたから、無理せずリタイアーを決めたわけだが、中1日おきがまだ難しかったのだろうと判断した。次には中2日おきで15日、終戦記念日に走った。さて、以下その日の報告になる。

 この日は、12日とは打って変わって、思いの外ちゃんと走れた。それもほぼ調子を落とした通常時ほどだが、前半が4・1キロ、後半はセーブしてやはり4・1キロ。前半では、ウオームアップ含めた走り出し7キロ時を10分以上と長く取ったから、この前半の後のほうは最高9・5キロ時まで様子を見つつ次第に上げていくことになった。この前半が4・1キロと出て、10日3・7、12日3・9キロと比べてもほとんど疲れを感じなかったのである。ここまで出来たのが何よりも嬉しかった。心拍数も160以内に納まったし、心臓と血液の酸素運搬能力がほぼ復活していると感じたもの。

 ランの調子の好不調とか復活とかについて、心臓・血液の機能が最重要要素とは良く理解していた積もりだが、これほどのものとは考えていなかった。心臓次第でランの調子が決まり、その回復力がまだまだ結構健全な身体だと、確認できた気がしている。

 半月ほどの完全空白も、筋トレに加えて、中2日おきの3日ほどの走りでカバーできる!
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随筆 ギター悪癖修正に見えた光  文科系

2019年08月16日 16時07分43秒 | 文芸作品
 先回発見したと書いた「ima指アルペジオ悪癖」修正に励んできた。imaで3、2、1弦と弾くときに、iのポイントが下がってこれにmが重なるように弾いてしまうから、そこから離れたa指が特に不安定になるという、非常に希な例と思われる悪癖だ。この悪癖アルペジオ自身の修正トレーニングに励みつつ、他方でこの癖が出ていそうないろんな暗譜群曲の箇所を確かめてもみた。案の定「なぜか分からぬが何度やっても上手く行かなかった、易しそうな箇所」がこの「ima指アルペジオ悪癖」に起因していたと分かって、本当に驚いた。大聖堂第3楽章第1パートに二回出てくる何でもない箇所とか、魔笛第4バリエーションの高音と低音の掛け合い部分で、その低音の速いアルペジオ箇所とか。

さてそして、この悪癖が以前修正に苦闘してきた悪癖(左小指などの他指との連動を断ち切り、それぞれ独立させてこそ速く動かせるようになった、など)よりも割と早く直せそうだと、都合20日ほどの観察、努力で確信が持てるようになっている。元々「a指の動きに何か違和感が付いて回る」という形で半分は気付いていて長くあれこれ意識して手を打ってきたのが無駄ではなかったとも、今は分かった。例えば、細かくいうとこういうことでもあるし。amiと(つまり、1、2、3弦と)弾くときには生じずに、imaの時に出るという、ややこしい癖なのだ。

 20日ほど(と言っても、入院で10日ほど間に完全ブランクがあるから、その前後の20日ほど)あれこれとやってきて、既にたくさんの成果が生まれている。暗譜曲の従来の「易しげなんだけど何度やってもうまく弾けない『僕の』困難箇所」がいくつも修正されつつあるし、大聖堂第3楽章を以前より速く弾いてもa指アポヤンドが楽に鳴らせるようになってきた。それも、前よりもかなり脱力できつつのことだから、ちょっと嬉しい。セゴビア編ソルのエチュード20曲集第17番、これのa指アポヤンド旋律にも、この修正の効果がとても大きい。

 それにしても、こんな悪癖付きでカルカッシ教本冒頭の22のアルペジオを毎日のように練習していたとは、つまり、悪癖の練習に長く熱心な年月を費やしていたとは、驚きを通り越して唖然、呆然。特にその、9番、14番、19番などが下手で、この癖の発祥地だったと今改めて分かったわけだ。
 それでもやはり、「過ちを改めるに遅いということはない」。先の長くないギター人生に、大きな楽しみを持てたと考えればよい。ただでさえ日々不規則ミスが増えて楽しくなくなっていく時も通り越したやの喜寿高齢者なのだから、規則的ミスを生み出す悪癖を発見したら、その修正は、直せば大きな喜びになるというもの。ということで、また毎日2時間以上は頑張っている。
 今の課題曲と決めたのは、大聖堂第3楽章。これに挑戦するのは2010年が第1回目で、それから3度目のことだったか? 好き嫌いが激しい僕の大好きな曲ベスト5に入るものだから、暗譜曲群(今は25曲ほどある)の中に入れて月に数回りずつ弾き回しながらそこに数曲残っている、どうにか人前でも弾けるという日を夢にまで見てきた曲の一つだ。こういう姿勢がまさに「音楽」なのだと、自分に言い聞かせつつ。ちなみに、大好きな曲5つというのは、この他こんなところだろう。タレガの「エンディーチャとオレムス」、バリオスの「郷愁のショーロ」、前記ソルのエチュード・セゴビア編17番、バッハの「998プレリュード」だ。このうち、本当に下手な演奏なのだが、998と大聖堂以外は近年の発表会でなんとか弾いている。
 
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8月15日  らくせき

2019年08月16日 08時48分32秒 | Weblog
きのう東京で開かれた全国戦没者追悼式に天皇陛下が即位後初めて出席し、「おことば」を。
そして「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と、
平成の時代の表現をほぼ受け継いで不戦を誓った。

安倍首相の式辞には今年も「反省」の文字はなく「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、
謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」との思いが。

この二つの方向がお互いを尊重しあうことを願ってやみません。

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書評、「アメリカ帝国の終焉」④  文科系

2019年08月16日 00時44分55秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」の要約、書評第4回目だ。
 今回要約部分各節の表題を上げておく。第3章「勃興するアジア──資本主義の終焉を超えて」全3節のうち、1節「ジャカルタの夏」、2節「勃興するアジア資本主義」の二つだ。と言ってもこの部分はこの書全220頁ほどの内40頁程を占める。次の第3節「太平洋トライアングルからアジア生産通商共同体へ」とともに、「アメリカ終焉」と並んで、本書のもう一方の「アジアという柱」なのである。
 ちなみに、「資本主義の終焉を超えて」というのは、近ごろこの終焉が語られるのを意識して、「どっこい、こう続いている」という意味である。「知名のエコノミスト、水野和夫教授や榊原英資氏は、・・・『資本主義の終焉』を示唆し強調する」(P137)という問題意識なのである。さて・・・・


 2014年のIMF報告によると、「新興G7」のGDPは37兆8000億ドル、いわゆるG7のそれ(34兆5000億ドル)を追い越したと言う。前者は、BRICs4国に、トルコ、メキシコ、インドネシアを加えたものだ。ちなみに後者は、米日独英仏伊加である。なお、2011年には南アが加わって、BRICsはBRICSと5か国になっている。この国連合が2015年に作ったのがBRICS開発銀行、同年12月にはアジアインフラ開発銀行(AIIB)も設立された。発足時加盟国57,17年度には82か国になる見込みだ。因みに後者には日本の鳩山由紀夫氏が国際顧問に就任したとあった。
 この「南北逆転」にかかわって、2012年の日本エコノミスト誌「2050年の世界」は、有名なアンガス・マディソン(フローニンゲン大学)の資料に基づいて、「アジアの隆盛、欧米の沈滞」という予想をしている。また同じことを、近ごろ有名なユーラシア・グループ代表イアン・ブレマーの言葉を採って「Gゼロの世界」とも呼んでいる。このグループは、世界政治の危険因子研究などを通して、企業の世界戦略策定への売り込みを糧にしようとした企業と言って良い。

 次に出てくるのが先述の「資本主義の終焉」論争である。「金利生活者の安楽死」を予言したケインズを採って、利子率の長期的低下からこの終焉到来を述べてきた水野和夫氏らの論に対して、著者はこんなことを語る。先進国はゼロ金利でも、新興G7はずっと5%金利であると。ただし、中国だけが16年にやや下げたと、断りが付いている。こうして、プラント輸出なども含めて日米の金も、水とは違ってどんどん高い所へ流れていったと。なお、国際銀行の貸付金にこの逆流が起こったのは04年のこと、アメリカなどのゼロ金利政策が固定化され始めた頃であるのが面白い。また、08年のリーマン後は、アジアへのこのお金の流れが激増した。こうして、
「資本主義の終焉ではなく、資本主義の蘇生だ」(p141)

 次にアジア資本主義の勃興ぶりだが、情報革命が物作りを換えたという。資源労働集約型から知識資本集約型へ。次いで、東アジア単一経済圏という「地理の終焉」。東京・バンコック間は、ニューヨーク・ロス間と変わらないのであって、「早朝東京を発てば先方で重要な商談をやって、その日のナイトフライトで翌朝東京本社へ」という解説もあった。

 さらに、EU統合などと比較して、こんな特徴も語られる。EUは法優先の統合だったが、アジアは事実としての統合が先に進んでいると。これについては、ある製品を面、部分に分けていろんな国で作ってこれを統合するとか(モジュール化)、その単純部分は後発国に先端部分は日本になどと発注してコストをどんどん下げるとか、後発国の所得水準をも上げることに腐心しつつ一般消費市場を拡大していくとか、等などが進んでいる。この結果としての、いくつかの製品、輸出などの国際比較例も挙げてあった。

 先ず2015年の自動車生産シェア(%単位)。アジア・北米・欧州の比率は、51・2、19・8、20・2であり、アジアの内訳は、中国27・0、日本10・2だ。
 結果として例えば、インドが、新日鉄住金を2位に、中国企業を3~5位に従えた鉄鋼世界一の企業を買い取ったというニュースも、何か象徴的で面白い。ルクセンブルグの本社を置くアルセロール・ミッタル社のことである。
 
「東アジア主要産業の対世界輸出における各国シェア」という資料もあった。電気機械、一般機械、輸送機械三区分の世界輸出シェアで、1980年、2000年、2014年との推移資料でもある。三つの部門それぞれの、1980年分と2014年分とで、日中のシェアを見てみよう。電気は、日本69・7%から11・1%へ、中国は、0・7%から42・8%へ。同じく一般機械では、日本88・6から19・1と、中国1・5から51・7。輸送機械は日本が最も健闘している部分でそれでも、97・4から44・8、中国0・2から18・5。なお、この最後の輸送機械については韓国も健闘していて、0・6から20・8へと、日本の半分に迫っているとあった。

(最終回へ続く)
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米中冷戦、様々な選択論   文科系

2019年08月15日 10時04分49秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 「トゥキディデスの罠」、「大国の興亡」などなどにも例えられるこの冷戦はもう始まっている。米国側の貿易保護主義、関税、経済制裁含みなどの仕掛けによって。話題の香港デモにもアメリカの影があることは、中国側から証拠写真付きで既に暴露もされている。この冷戦の行方は、それにどう関わるかによって日本の明日あさっての在り様を大きく決めるようなものだから、この行方、選択が日本の明日の運命岐路になるだろう。ちなみに例えば、スペインの後オランダ隆盛に追随してやがてオランダとともにイギリスに敗れたかたちで、落ちていったベルギーのようにならなければよいのだが。今の時代に金融に頼るというのは、そういうことだという気がする。もっとも、日本の金融は官製金融にも等しいのだが。

 さて一昨日は、ニューズウイーク日本語版最新号に載った元日本外交官、河東哲夫の「米中冷戦、日本の選択」をご紹介した。この論議内容は、アメリカで言えばアーミーテージなど、ネオコンのいわゆる日本ハンドラーが行ってきた論議のごく稚拙な複写ものに過ぎない。ちなみに、こういう稚拙な議論が、日本マスコミではほとんどと見える。

 ところで、もちろん、アメリカにも全く別の議論がある。ロナルド・ドーア著「日本の転機── 米中の狭間をどう生き残るか」(ちくま新書)に紹介されていた有名政論人らの議論を紹介しよう。まず、日本でも有名になった「大国の興亡」(1988年発行)を書いた、ポール・ケネディ。

 ケネディは、大国の興亡で「過去、大国が入れ替わった時とは、旧大国が手を広げすぎた時だ」と述べて、米ソ冷戦の双方にそういう警鐘を鳴らした。その後ソ連が、東ドイツ崩壊を機に降参と諸手を挙げた時に、米外交論壇はケネディに対してこんな勝ちどきを吠えたということだ。
「それ見ろ、米への警鐘は余計な心配だったろう!」
 ところが、ご当人のケネディは、その後も一向にその議論を引き下げず、米中冷戦の行方についてウオール・ストリート・ジャーナルにこんな記事を投稿したと、ロナルド・ドーアのこの本が教えてくれる。

『西洋からアジアへの、権力の地殻の変動のような移行は逆行させにくい。しかし、米国議会およびホワイトハウスがもし合理的な政策を取れば、このような歴史的な転換期の浮き沈みの度合い、暴力の度合い、不愉快さの度合いをかなり軽減できる。私のような「斜陽主義説の輩」にとっても、まあ慰めになると思う。』

 ケネディのこういう議論に対して、ネオコン論客が猛反発するのは、言うまでもない。その典型、ロバート・ケーガンはこう語るという。
『国際的秩序は進化の産物ではなく、強制されるものである。一国のビジョンが他国のビジョンとの葛藤においての勝利に起因する。・・・現在の秩序は、それを是とし、その恩恵を蒙っている人たちが、それをとことんまで防衛する意思及び軍事能力があってのみ、存続できる』


また、著名な外交官、キッシンジャーはこう語っているそうだ。
『外向的丁寧さを剥ぎ取って言えば、米国戦略の究極的目標は中国の一党支配権力制度を取り除き、自由民主主義体制に変えさせる革命(なるべく平和的革命)を早めることとすべし』
『中国が民主主義国家になるまで敵対的に「体制転換」を中国に強いるように、軍事的・思想的圧力をかけなければならないとする』
 
 こうして、米中冷戦議論には、二つの理解、やり方、立場があると分かる。ケネディのそれ、米ネオコンのそれと。これを敢えて定義するなら、こういうものとなるだろう。
①「基本的人権と民主主義」の世界旗手の立場を何があっても「守り抜く」べく、みずからの「意思」を第一とする、これがネオコンの立場。
②大国の興亡、移行は今度も逆行させにくいという意味で必然だから、暴力抵抗など止めて、合理的な政策を取ろう。これがポール・ケネディや、ロナルド・ドーアの立場。

 この二つの立場では当然のことながら、日本への要求も全く違う物になってくる。ちなみに、新大国スパルタが旧大国アテネに戦争をしかけた本家「トゥキディデスの罠」以来の過去とは違って、中国から仕掛けるという議論は将来を見通すものも含めてどこにも起こっていない。これは、核という地球破壊兵器が双方にあるからとも言えるが、金融以外のグローバル経済、世界の有効需要が中国にどんどん傾いていきつつあるからだとも言える。よって、アメリカだけが焦っているというのも、現在の歴史の必然。イラク戦争、イラン、ベネズエラへの戦争挑発も、そういう焦りの一つと観ることも出来る。その時に備えて、反米の芽を全て摘み取っておきたい・・・。
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書評、「アメリカ帝国の終焉」③  文科系

2019年08月15日 09時54分40秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一・筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年2月20日の第一刷発行)の要約、書評第3回目だ。

今回要約部分、各節の表題を上げておく。第1章2節「解体するアメリカ」、3節「過剰拡張する帝国」、第4節「情報革命の逆説」、第5節「失われていく覇権」。そして、第2章に入って、その1~3節で、「テロリズムという闇」、「テロリズムとは何か」、「新軍産官複合体国家へ」。

オバマは、アメリカの荒廃に立ち向かおうとしたが、全て破れた。金融規制も医療制度改革も骨抜きにされた。その結果が、今回の大統領選挙の荒れ果てた非難中傷合戦である。2010年に企業献金の上限が撤廃されて、この選挙では70億~100億ドルが使われたという。1996年のクリントン当選時が6億ドルと言われたから、政治がどんどん凄まじく荒廃してきたということだ。

帝国は、冷戦に勝ってすぐから、その世界版図を広げ続けてきた。1991年、湾岸戦争。1992年はバルカン・東欧紛争から、95年のボスニア紛争。01年にはアフガン戦争、03年にはイラク戦争。11年がリビア空爆で、14年がウクライナ危機、シリア戦争。

「専制国家を民主主義国家に換えて、世界の平和を作る」とされた、帝国の「デモクラティック・ピース論」は全て破綻しただけではなく、3重の国際法違反を犯し続けてきたこともあって、帝国への憎しみだけを世界に振りまいてしまった。第1の違反が「平和を作るアメリカの先制攻撃は許される」。そして、ドローンなども使った「無差別攻撃」。最後が「国連の承認無しの加盟国攻撃」である。この3様の国際法違反などから、イラク戦争開始直前に行われた中東6か国の世論調査にも、こんな結果が出ている。「イラク戦争は中東にデモクラシーを呼ぶ」を否定する人69%で、「イラク戦争はテロを多くする」が82%だ。「米国に好感」に至っては、エジプト13%、サウジ4%である。つまり、その後の自爆テロや難民の激増は、必然だったとも言えるのである。

一体、テロとは何だろう。シカゴ大学の「テロと安全保障研究調査班」が、ある大々的な調査を行った。1980~2013年に起こった2702件のテロを対象にして、様々な要素(候補)との相関関係を出していく調査である。その結論はこうなったと紹介されていた。
『問題は占領なのだよ!』

喧伝されるように「文明の衝突」などでテロ起こるのではなく、祖国の占領、抑圧、困窮、それらへの恨みなどが生み出した「弱者抗議の最終手段」が自爆テロなのだと。ちなみに、占領地の現状はこんなふうだ。
バグダットの米大使館は国連本部の6倍以上の規模であり、加えてイラクには数百の米軍基地がある。と、こう報告したのは、クリントン政権下の大統領経済諮問委員会委員長、ジョセフ・スティグリッツ。基地には、3000~3500メートルの滑走路各2本、トライアスロン・コースあり、映画館やデパートまでも。米軍関係者が、要塞並みの防御壁の中で、これらを楽しんでいるとも続けている。かくて、06年の米軍海外基地建設費用は12兆円。

次に続くのは、この帝国の終焉が3様の形を、経済力の劣化、社会力の脆弱化、外交力の衰弱を取るということだ。
経済力は、高値の兵器に企業が走って、民生技術が劣化しているということ。
社会力は、戦争請負会社の繁盛。米中心に世界にこれが50社以上あって、総従業員は10数万人。冷戦後の軍人の新たな職業になっていると語る。ここで問題が、新傭兵制度。高い学資、奨学金によって年1万人以上生み出されているという借金漬け大卒者が食い物になっている。学生ローンの総残高が実に144兆円とあった。自動車、カードとそれぞれのローン残高さえ、各120兆円、80兆円程なのだ。かくして、中東からの帰還兵は累計200数十万人。言われてきたように、PTSD、自殺者も多い。

外交力の衰弱については、2例があげられている。一つは、外交即戦争ということ。この象徴が中東関連の戦費であって、今や累計9兆ドルに膨れあがった。先のスティグリッツ報告が出た当時08年には3兆ドルと報告されていたのだ。外交衰弱の2例目は、TPPの挫折。膨大な年月と人、費用を費やして追求してきたものをトランプが破棄した。

こうして、第2章の結びはこんな表現になる。
9・11とアフガン戦争から15年。イラク戦争から13年。戦争がアメリカをすっかり換えてしまった。もはや世界秩序維持を図るどころか、破壊するだけ、世界の憎まれっ子国なのである。
こういう観点からこそ、トランプのいろんな「強がりの言葉」を解釈してみることも可能だろう。
『世界の警察はやめた。その分、同盟国に応分の軍拡を求めたい』
『中東7か国国民は、米国に入ってはならぬ』
『日中は保護貿易を止めろ』
『IMFの言う事など聞かぬ。むしろ脱退したい。国連からさえも・・・(と言う雰囲気を語っている)』
これが、ここまで読んだ来た僕の、最も鮮やかな感想である。
 
(続く)
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書評、「アメリカ帝国の終焉」②  文科系

2019年08月14日 03時00分55秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今の世界には、ポピュリズムとテロという二匹の妖怪がうろついているという。そして、この二匹が同じように出没した世界が過去にもあったと。19世紀末から20世紀初頭にかけて世界のグローバル化が進んだことによって大英帝国が崩れ始め、アメリカが勃興し始めた時に。なおこのポピュリズムには、著者は独特の定義を与えている。形はどうであれ「民衆が民衆の手に政治を取り戻すという意味でのポピュリズム」(P21)と。
 ストライキを巡って市民と軍隊が市街戦を繰り広げたような米ボルテイモア。世界でも、ロシア皇帝やフランス大統領の暗殺、1901年には米大統領マッキンリー、1909年には安重根による伊藤博文暗殺。米フィリッピン戦争もあったし、中国では義和団蜂起も。

 さて、20世紀初頭のアメリカ・ポピュリズム時代も、現在と同じ三つの社会本質的特徴を持っていたと、次に展開されていく。①新移民の急増、②巨大資本の誕生、③金権政治と、印刷発達による日刊新聞や雑誌などニューメディアの登場、である。ただ、20世紀開始当時のこの3点は、今のトランプ時代とはここが違うと述べて、ここから著者はトランプ政治の正確な規定をしていくのである。

 なによりもまず、往時のこの3点はアメリカを帝国に押し上げたのだが、今はその座から降ろそうとしているのだとのべて、その上で各3点の違いを展開していく。
①往時の新移民は白人人口に算入される人人であって、アメリカ社会に包摂され、帝国建設の原動力になって行った。
②過去が大工業国になっていったのに対して、今は金融だけ、物作りは縮小している。物作りが縮小して金融がマネーゲーム中心に空回りしたら、まともな職など無くなってしまう。この点で筆頭国といえるのが米英日だと思う。
③は、ニューメディアとの関わりでこれを文化問題とも観ることができて、今の米国内は文化戦争になっていると言う。国民的文化同一性が崩れているとも換言されている。つまり、国民分断が極めて深刻だと。
 この③の国民分断について、今回の大統領選挙の得票出口調査結果分類を例に取っているのをご紹介しよう。トランプ対ヒラリーの各%はこうなっている。黒人8対88、ヒスパニック29対65。ところが、白人票、男性票ということになると実に各、58対37、53対41とあり、女性票でも42対54と、トランプが結構善戦しているのである


「トランプのつくる世界」とはこんな物として描かれている。普通に新聞で触れられていない記述を中心にまとめてみる。
 まずこのこと。30年前に新自由主義を初導入したレーガン政権と「ポピュリズム右派」など非常によく似た点が多いのだが、ソ連の斜陽が始まった時に数々「成功」したように見えるレーガンに対して、トランプが国力衰微の中で生まれた政権だという例証として、以下が述べられる。
 IMF報告の購買力平価GDPで、2014年には中国に抜かれた。その傾向から17年、19年には各、2500億ドル、4500億ドルという差が広がっていくと予測されている。つまり、中国が「世界の工場」になっているだけでなく、「世界の市場」にもなっていることの意味の大きさを強調している。
今の有効需要が少ない世界で大市場というのは、アメリカが日本の王様である理屈と同じような意味を持つのである。世界金融資本にとってさえ。つまり、マネーゲーム以外のまともな投資先がなければ、所詮金融もまともには活躍できないということである。
 また、軍隊重視には違いないが、「世界の警察を返上した」ことに伴って他国にも強力にそれを求め、国内経済第一主義の中でも国内インフラ整備には邁進して行くであろうということなど。これもトランプの大きな特徴である。

 こうして、結ばれる著者の世界政治用語は、「米英中ロの多極化」という「新ヤルタ体制」ができるだろうと書かれてあった。


 さてでは、次にアメリカの衰退ぶりを改めて確認していく部分の紹介。世界一安全な日本(人)では考えられないような内容である。
 まず、物作りの大工業国家・旧アメリカの象徴デトロイトの荒廃ぶりだ。
 荒廃した旧市街地へ入りかけると、道路脇にこんな看板が立っていたという。「これから先、安全について市は責任を負いません」。警察が安全責任を持てないから、自分は自分で守れと警告しているのである。ちなみに、市域の3分の1が空き地か荒れ地で、街灯の30%が故障中、警官を呼んで来る時間が平均27分というのだから、無理もない。全米都市中2位の殺人発生率を誇るデトロイトのすぐお隣には、殺人発生率1位都市もあるのだ。GM発祥の地フリント市である。
 デトロイトの人口も最盛時185万から70万に落ちて、9割は黒人。普通の会社の従業員などは郊外の「警護付き街区(ゲイテッド・シティー」から通勤してくると続いていく。

 
 このデトロイトを象徴として、米国二重の困窮という事項が次に解説されていく。一つが物作りの零落、今一つが連邦政府が地方政府を支援不能となったのに市民の互助活動も廃れたという、連邦赤字と市民社会劣化である。食うに困る人々だけの貧民街に公共財が何もなくては、政治など吹っ飛んでしまうということであろう。


(続く、ここまでで約4分の1。あと、3回続くと思います)


 追加としての感想
 なお、この本を読んでいると、ここ「9条バトル」で僕が書評で紹介してきたいろんな著者が出て来て面白い。まず、その国連調査報告を紹介したノーベル経済学賞受賞者ジョセフ・スティグリッツの言葉が出てくるし、最近長々と紹介した「金融が乗っ取る世界経済」、ドナルド・ドーアの言葉も。さらには、最も最近の書評、エマニュエル・トッドへの言及。これは、トッドの学問の限界を指摘した学問的内容をもって、1頁近く言及されている。この内容は、僕がここでトッドの書評を書いたときに言及したことと同じ内容だと思われたものだ。トッドの「専門領域」からすると、各国のことについては何か言えても、その相互作用や世界・国連の動きなどは語れないはずなのである。例えば、経済についてはピケティやスティグリッツ、クルーグマンらを読めばよいとトッドは語っているし、国連のことは門外漢だと自認しているようだ。
 そして何よりも、この書の「おわりに」に、こんな献辞まであった。
『最期に、出版のきっかけを作って下さった孫崎享先生と・・・に深謝します』
 孫崎の著書もここで何回扱ったことだろう。
 ただし、これらのこと全て僕にとって、この本を読み始めてから分かった、偶然のことである。

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書評「アメリカ帝国の終焉」 ①  文科系

2019年08月14日 01時56分05秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 次の書評予告をしたい。ここでの僕の書評は、ご存知の方も多いはずだが、ただ感想,意見などを述べるものではなく、最近は先ず要約を何回にも渡って行う。そして最後に少しだけ意見を述べてみると、そういったものだ。今回は「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一・筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年2月20日第一刷発行)。
 著者略歴だが、1939年生まれで、京都大学大学院法学研究科で法学博士をとって、専門はアメリカ外交、国際政治経済学。ハーバード大学、プリンストン大学などでも研究員を務めて来られたアメリカ政治経済学専門のお方である。

 先ず初めに、例によってこの書の目次をご紹介する。

はじめに──晩秋の旅から
序章 トランプ・ショック以降
第一章 衰退する帝国──情報革命の逆説
第二章 テロリズムと新軍産官複合体国家──喪失するヘゲモニー
第三章 勃興するアジア──資本主義の終焉を超えて
終章 同盟の作法──グローバル化を生き抜く智恵
おわりに


 さて、今日第一回目は、「はじめに」を要約して、その主要点を本書内容でもっていくらか補足することにしたい。言うまでもなくこの書は、トランプが当選した後に書き上げられたもの。そういう「最新のアメリカ」を描き出す著作全体をこの「はじめに」において著者が上手くまとめ上げている、今回はそういう「はじめに」の紹介である。

 「はじめに」はまず、『この40年近く、何度も往復した太平洋便で見たこともない光景』の描写から始まる。
 15年晩秋に成田で搭乗した「マニラ発、成田経由、デトロイト行き」の『デルタ航空便でのことだ。乗客の九割以上がアジア系などの非白人だ。ネクタイを締めたビジネスマンではなく、質素な服装をしたごく普通のアジア人たちだ』と書いて、アメリカの非白人が全人口の38%に上ることが紹介されている。
 次に、この訪米「第二の衝撃」が続くのだが、それは全米随一の自動車都市だったデトロイトの光景である。
『ミシガン中央駅は、かつて世界一の高さと威容を誇り、米国の物流と人口移動の中心を彩り、「工業超大国」アメリカの偉大さを象徴していた。しかしその駅舎は廃虚と化し、周辺は立ち入り禁止の柵で囲まれている』
 そして、最後「三つ目の衝撃」は、『首都ワシントンに入って見た大統領選挙の異様な光景だ』そうだ。『広汎な民衆の不満と反発が、職業政治家と縁の遠い候補者たちを、大統領候補に押し上げているのである』。
『既存政治を罵倒する共和党候補で富豪のドナルド・トランプも、民主党候補で「社会主義者」を標榜するバーニー・サンダースも、党員歴を持っていない』・・・と語られてある。

 そしてこの『大衆の反逆の源は、二つのキャピタル、資本と首都──の有り様である』と続けられる。「金融に買われた」、『その醜悪な首都の政治の実態』という二つのキャピタルだ。こういう政治が『「世界の警察官」として二十世紀に君臨した大米帝国の終わりと二重写しになっている』として、次の文脈へと展開されていく。

『人を納得させる力、イデオロギーを不可欠の要件とする』と形容が付いた『ソフトパワー、理念の力』も失われて、デモクラシーを広める力もないと。その下りには、こんな傍証が付いていた。
『かつて米国はベトナムで、「デモクラシーを広める」ためとして、一五年の長きにわたって、自陣営に一〇〇万人もの死傷者を出し、敗北した』が、アフガニスタンから始まった中東戦争はこの一五年を既に超えているが、
『多くの人命を奪い、膨大な予算を投じたにもかかわらず、アフガニスタンでもイラクでも、リビアやシリアでも、デモクラシーを樹立できず、内戦とテロを進化させ、テロと混乱を中東全域に広げている』
 こうして、この「はじめに」の結びは、こうだ。
『二〇一五年、晩秋のアメリカで見た風景は何であったのか。トランプの登場とは何であったのか。それは欧州の動向とどう結び合って、世界をどこに導こうとしているのか』


(続く)

 補足 なおこの進藤榮一氏の書評がこのブログに既に一つ存在している。「アジア力の世紀」(岩波新書)を、14年5月5、8日に要約、紹介しているから、例によって右欄外の「バックナンバー」から、年月日で入ってお読み頂けるようになっている。ちなみにこの書は、このブログ11年ほどの数十冊に及ぶいろんな読書・学習の中で、世界情勢を学ぶ上で最も参考になったベスト5に入る1冊である。例えば、僕の中では、ノーム・チョムスキーの「覇権か、生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来」(集英社新書)に、比肩できるような。数字を挙げた実証を中心に書かれているという意味では、チョムスキーよりも現代的説得力を持っているとも付け加えておきたい。
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米中冷戦、ある「日本の選択?」論   文科系

2019年08月13日 12時08分33秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ニューズウイーク最新号にこんな論文が載っていることは、8日の「米中衝突諸様相・・・」に書いた。論文名は『急速発展の中国かアメリカか 日本が迫られる究極の選択』、書き手は『元外交官、外交アナリスト 本誌コラムニスト』と肩書きが付いた河東哲夫氏。

 これがまた抽象的な言葉を羅列しただけの、実に稚拙な「論文」なのである。抽象的な言葉ほど厳密な定義と、その語を当てはめてもよいという実証とかが必要なのに、それが全くないから、自分で語っていること、語ろうとしていることが分かっているのかというような。日本外務省というのは、こんな拙劣な議論を操るだけの、幼稚な連中ばかりなのだろう。ここで何度も元次官にして現在の初代国家安全保障局長・谷内正太郎氏の人格下劣を証明し、笑ってやったように。なお、この論文は、上の検索に彼の名前を入れて「このブログ内で」を検索すれば出て来る。

 さて、河東氏はここで、アメリカをこう語り、中国をこう語って、そこからもちろんアメリカに軍配を上げるのである。

 まずアメリカ
『アメリカと中国とどちらのほうが、日本の人権と民主主義維持に有利かと言ったら、それは断然アメリカだろう』
 このようにただ、基本的人権と民主主義という抽象言葉をただ振り回す擁護、議論だけなのである。

 対する中国には、この人権と民主主義が無いと言ってみせるだけではなく、もう一歩突っ込んで非難の度を高めていく。まー、日本マスコミお馴染みの議論なのである。
『だがもし中国が勝利すれば、今の日本人が空気のように無意識に享受している人間としての権利、そして民主主義が奪われ、我々は窒息するだろう』
 さらに、こんな中国非難も続く。
『強すぎる国家は、人間の権利と民主主義を踏みにじる。ナチスドイツ、そして戦前の日本がいい例だ』
『中国は増えた国家歳入を軍備につぎ込み、世界に「中国流秩序」──を主権国家を構成員とする国際法ではなく、中国を頂点とする長幼の関係に基づく──を構築しようとする。200年遅れでやってきた帝国主義だ』 

 さて、こんな論法で対立する2国家を論じたら、どんな論議だって出来る。敢えて一つの実例をお目にかけよう。
『日本人に空気のようになっている平和を、アメリカは世界中で散々乱し、破っている。しかも、二つの世界総力戦の反省から生まれた世界平和組織・国連が存在するこの21世紀において。アフガニスタン、イラク、シリア、そして今はベネズエラとイラン。まるで、国連もあってなきがごとくに無視しつつ150万人だかの人を殺し、難民で世界中を乱すとは、200年遅れの帝国主義そのものである。対するに中国は、こんな戦争はずっとやっていない。平和になれた日本国民は断然中国に着くべきである』

 さらに一言。この文章は、何の現状分析も、それに基づく将来予測もないから、論者の願望だけの言わば子どものような内容とも言える。「人権と民主主義が欲しい」と語っているだけなのだ。この定義も、これをめぐる米中の現在と未来、特にどちらかの国が世界制覇を遂げた時にこの人権と民主主義がどうなるかなどには、何も触れていないのである。暴力でもって国連規則も無視する国は、世界の人権と民主主義を守る意志もない国なのに。覇権国を巡る対立を論ずるなら、どちらが勝ちそうで、国連規則を守りそうかという現実論は特に欠かせないはずだが、その見通し論議がまた、全く欠落している。だから、ここでもまた、子どもの文章。


 河東氏が、人権と民主主義の一言で全てを美化しているアメリカについて、僕の疑問をほんの少々。
 人権と民主主義の国が、あれだけの軍事を持って、かわりに、相対的貧困世帯が日本と並んでなぜこれだけ多いのか。その秘密も、冷戦が終わった後でよく分かった。自己の要求を通すために世界各国に暴力をちらつかせるためなのだ。そんな国だからこそ貧困世帯が多く、あれだけ人を殺している銃の規制も出来ないのだろう。さらに、そもそも、アメリカが勝ったら米金融の世界制覇になるが、この大きすぎる世界的将来弊害をどう考えているのか、これが僕の最大関心事である。それこそ、世界の人権と民主主義のために。 
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米中冷戦が必然かつ急ならば・・・   文科系

2019年08月12日 13時20分24秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 浜矩子が11日の中日新聞コラム「視座」で、こんなことを書いている。まず、これの見出しは『求む、経済怪談特集』。この特集は4例が集められているのだが、その2で曰く。
『グローバル・ホラーには事欠かない昨今だ。どこから行くか。選択に困るが、やはりインパクトが大きいのは「恐怖の米中衝突」だろう。この激突、戦域が広がる一方だ。関税引き上げ合戦に始まって、ハイテク・ウオーズの様相を帯び、そして、通貨切り下げ競争の領域に踏み込む気配が見えてきた。アメリカが意図的にドル安を追求するようになるか否か。それが見ものだ。その瞬間に、アメリカは国際基軸通貨としての位置づけの最後の建前をみずからかなぐり捨てることになる。この建前仮面の下から、どんな形相が顔を出すのか。・・・・・(中略)
 四つの経済怪談に通底する不気味な影が一つある。それが「国家」という名の影だ。国家主義というものが前面に出る時、全ての経済物語がホラーになる。この暑過ぎる夏、それを思い知らされる』
 

 さて、標記のように、この冷戦が必然で、しかも風雲急を告げているということを以下改めて実証してみたい。

①仕掛けられる方の中国は時間稼ぎをするだけで、斜陽著しいアメリカに対してその分強くなるだけ。アメリカの方は、急ぎたい理由が無数。

②米の斜陽例とは、こういうもの。GDPの4倍の国家累積赤字。これは、金融以外は衰えた国家経済の半分が軍隊、軍事関連という従来国家方針の結末。ちなみに、この金融が、F35、オスプレイ、ボーイングの相次ぐ欠陥など、兵器も含めて物作りをすっかりダメにしてきた。G7で相対的貧困率が日本と並んで高いという格差社会は、内需もダメにしたということ。米の高すぎるミサイルを敬遠して、トルコ、インドが、ロシアの同種ミサイルを半額ほどで買ったという有様。サウジまでが、このミサイルに手を上げているというニュースまであった。世界の中の米国ということでは、嘘の理由イラク戦争、イスラエルへの異常な肩入れ、トルコ、ベネズエラ、イランなど米の革命輸出はあまりにも有名になりすぎた。身勝手な物貿易保護主義などなどで国連各国の信用もすっかり無くしている。

③受ける側の中国には、有効需要はまだまだ存在するし、さらにこれを生み出している。「農村人口が10%を切るまでは、安い労働力がある」という資本主義国としての発展法鉄則に対して、まだ35%ということ。二つの絹の道など、自国以外にも有効需要を作り出していこうという戦略的動向もある。原材料では、いち早くアフリカ諸国などと友好関係を結んできた。結果として、今の中国は年々、まだまだ貿易累積黒字が貯まっていく。つまり、累積赤字がGDPの4倍というアメリカに対して、時が経つほど金が貯まっていく中国という対決図が、相変わらず続いている。


 さて、こんな時に日本安倍政権の基本外交方針は、相変わらずこんなもの。中国に対して南京虐殺、尖閣など、韓国に対しては慰安婦、徴用工、竹島などなど、歴史修正主義と領土問題で敢えて喧嘩を売り、トランプ・アメリカは今でも「基本的人権、民主主義、自由主義など、普遍的価値を共有する」同志国。物貿易で保護主義を決め込まれようが、世界一の米軍援助予算をさらに何倍かに上げよと迫られようが、通貨戦争で15兆円も奪い取られようが、そうなのである。これだけの「親米同志国」が明日の仮想敵中国との最前線に存在するというのが米にとって至上の価値という、今やそんな立場にありながら、これを何も生かせない政権である。

 ただし、この安倍政権にも流石、重大変化が少しずつ見えている。去年安倍が中国に行き、さらにこの12月にも訪中を計画中のようだし、10月の天皇即位儀式に副主席訪日予定に次いで、来春には習を日本に呼ぶと発表された。対イラン戦争有志国募集にも、独自行動を表明して、アメリカにやんわりと断りを入れた。
 そう、こんなアメリカの無謀戦争(挑発、脅迫を含む)の最前線尖兵に日本がなるなど、愚の骨頂。むしろ、世界第3の経済大国としては、双方から成果を上げる絶好機ではないか。その成果も、経済利益と言うに留まらず、アメリカがますます無視に努めている国連の規模の大義ある世界平和に向かって。

 と語るのが例えば、先日93才だかで亡くなったロナルド・ドーア、「日本の転機 米中の狭間でどう生き残るか」(ちくま新書、2012年11月)。伝統的イギリス政経学の大家にして、20代前半と若くして来日、東京大学で江戸の教育制度を学ばれて以来という、日本を愛して止まない大の親日家である。ロンドン大学名誉教授、同志社大学名誉文化博士であり、英米の学士院会員、日本学士院客員。 なお、彼への言及はこのブログには無数にあります。ノーム・チョムスキーと同じぐらいでしょうか。右最上段欄外の検索空欄に名前を入れて、その右を「このブログで」とし、虫眼鏡印を来リックすれば出てきます。
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イランでCIA17人逮捕  文科系

2019年08月11日 11時38分49秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 日本マスコミに僕が求める海外記事が余りにも少ないので、週刊誌ニューズ・ウイーク日本語版を取り始めた。折りしも、米中衝突が、世紀の全面冷戦に拡大し始めているとき、この衝突の行方が分からなければ日本の明日がなにも見えてこないからだ。日本の貧困化・少子化や、国家予算の軍隊重視、官製バブル(弾け)なども、この動向次第というように。


 さて、最新号に、今ホットなイランの、この表題関連・映画のようなニュースが載っている。さらには、イランのこのCIA逮捕事件も中国が起こしたに等しいとして、元CIA幹部(米国家情報分析会議情報分析次官)が、こんなことを書いている。

 この7月イランが、CIA関連17人を逮捕と発表したと書き出して、こう展開する。
『トランプ米大統領とポンペオ国務長官はこれを「真っ赤な嘘」と全面否定、イラン政府の発表は「眉にたっぷり唾を付けて」聞くべきだとまで言い放った。
 どちらが本当か』


『この件ではイランは信憑性を裏付けるべく、映像や個人の名前、検証可能とおぼしきファクトを提示している。(中略)イランにおけるCIAの情報網が壊滅的な打撃を受けたのは事実とみてよさそうだ』

 さらに、この事件には中国が裏にいるとして、こんなCIA対中国防諜当局の間に起こったある事件との関連を暴露していく。
『2011年前後に中国で起きた同様の事件と関連がある。複数の報道によれば、中国の諜報当局は当時、CIAに情報を提供していた30人超の中国人を特定し、逮捕・処刑したという。CIAが情報提供者との連絡に使用していた通信システムのたった一つのセキュリティー上の弱点を、中国のサイバー諜報活動のプロ集団が見抜き、通信網に侵入したのだ』

『中国とイランの防諜当局の成功は、CIAの情報収集能力に深刻な打撃を与えた。完全な修復には何年もかかるだろう』

 イラン問題と、これに被せるように中国冷戦が急浮上して来たのも、案外以上のことが関係しているかも知れない。CIA要員が17人とか、30人とか逮捕されたら『CIAの情報収集能力に深刻な打撃を与えた。完全な修復には何年もかかるだろう』というのだから、何年ももう待てない、今突入だ、やってしまえ、万一失敗しても「トランプという愚かな大統領を選んだからこんなことになったのだ」とすればよい。そういうことかも知れない。
コメント (3)
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