今の世界には、ポピュリズムとテロという二匹の妖怪がうろついているという。そして、この二匹が同じように出没した世界が過去にもあったと。19世紀末から20世紀初頭にかけて世界のグローバル化が進んだことによって大英帝国が崩れ始め、アメリカが勃興し始めた時に。なおこのポピュリズムには、著者は独特の定義を与えている。形はどうであれ「民衆が民衆の手に政治を取り戻すという意味でのポピュリズム」(P21)と。
ストライキを巡って市民と軍隊が市街戦を繰り広げたような米ボルテイモア。世界でも、ロシア皇帝やフランス大統領の暗殺、1901年には米大統領マッキンリー、1909年には安重根による伊藤博文暗殺。米フィリッピン戦争もあったし、中国では義和団蜂起も。
さて、20世紀初頭のアメリカ・ポピュリズム時代も、現在と同じ三つの社会本質的特徴を持っていたと、次に展開されていく。①新移民の急増、②巨大資本の誕生、③金権政治と、印刷発達による日刊新聞や雑誌などニューメディアの登場、である。ただ、20世紀開始当時のこの3点は、今のトランプ時代とはここが違うと述べて、ここから著者はトランプ政治の正確な規定をしていくのである。
なによりもまず、往時のこの3点はアメリカを帝国に押し上げたのだが、今はその座から降ろそうとしているのだとのべて、その上で各3点の違いを展開していく。
①往時の新移民は白人人口に算入される人人であって、アメリカ社会に包摂され、帝国建設の原動力になって行った。
②過去が大工業国になっていったのに対して、今は金融だけ、物作りは縮小している。物作りが縮小して金融がマネーゲーム中心に空回りしたら、まともな職など無くなってしまう。この点で筆頭国といえるのが米英日だと思う。
③は、ニューメディアとの関わりでこれを文化問題とも観ることができて、今の米国内は文化戦争になっていると言う。国民的文化同一性が崩れているとも換言されている。つまり、国民分断が極めて深刻だと。
この③の国民分断について、今回の大統領選挙の得票出口調査結果分類を例に取っているのをご紹介しよう。トランプ対ヒラリーの各%はこうなっている。黒人8対88、ヒスパニック29対65。ところが、白人票、男性票ということになると実に各、58対37、53対41とあり、女性票でも42対54と、トランプが結構善戦しているのである。
「トランプのつくる世界」とはこんな物として描かれている。普通に新聞で触れられていない記述を中心にまとめてみる。
まずこのこと。30年前に新自由主義を初導入したレーガン政権と「ポピュリズム右派」など非常によく似た点が多いのだが、ソ連の斜陽が始まった時に数々「成功」したように見えるレーガンに対して、トランプが国力衰微の中で生まれた政権だという例証として、以下が述べられる。
IMF報告の購買力平価GDPで、2014年には中国に抜かれた。その傾向から17年、19年には各、2500億ドル、4500億ドルという差が広がっていくと予測されている。つまり、中国が「世界の工場」になっているだけでなく、「世界の市場」にもなっていることの意味の大きさを強調している。今の有効需要が少ない世界で大市場というのは、アメリカが日本の王様である理屈と同じような意味を持つのである。世界金融資本にとってさえ。つまり、マネーゲーム以外のまともな投資先がなければ、所詮金融もまともには活躍できないということである。
また、軍隊重視には違いないが、「世界の警察を返上した」ことに伴って他国にも強力にそれを求め、国内経済第一主義の中でも国内インフラ整備には邁進して行くであろうということなど。これもトランプの大きな特徴である。
こうして、結ばれる著者の世界政治用語は、「米英中ロの多極化」という「新ヤルタ体制」ができるだろうと書かれてあった。
さてでは、次にアメリカの衰退ぶりを改めて確認していく部分の紹介。世界一安全な日本(人)では考えられないような内容である。
まず、物作りの大工業国家・旧アメリカの象徴デトロイトの荒廃ぶりだ。
荒廃した旧市街地へ入りかけると、道路脇にこんな看板が立っていたという。「これから先、安全について市は責任を負いません」。警察が安全責任を持てないから、自分は自分で守れと警告しているのである。ちなみに、市域の3分の1が空き地か荒れ地で、街灯の30%が故障中、警官を呼んで来る時間が平均27分というのだから、無理もない。全米都市中2位の殺人発生率を誇るデトロイトのすぐお隣には、殺人発生率1位都市もあるのだ。GM発祥の地フリント市である。
デトロイトの人口も最盛時185万から70万に落ちて、9割は黒人。普通の会社の従業員などは郊外の「警護付き街区(ゲイテッド・シティー」から通勤してくると続いていく。
このデトロイトを象徴として、米国二重の困窮という事項が次に解説されていく。一つが物作りの零落、今一つが連邦政府が地方政府を支援不能となったのに市民の互助活動も廃れたという、連邦赤字と市民社会劣化である。食うに困る人々だけの貧民街に公共財が何もなくては、政治など吹っ飛んでしまうということであろう。
(続く、ここまでで約4分の1。あと、3回続くと思います)
追加としての感想
なお、この本を読んでいると、ここ「9条バトル」で僕が書評で紹介してきたいろんな著者が出て来て面白い。まず、その国連調査報告を紹介したノーベル経済学賞受賞者ジョセフ・スティグリッツの言葉が出てくるし、最近長々と紹介した「金融が乗っ取る世界経済」、ドナルド・ドーアの言葉も。さらには、最も最近の書評、エマニュエル・トッドへの言及。これは、トッドの学問の限界を指摘した学問的内容をもって、1頁近く言及されている。この内容は、僕がここでトッドの書評を書いたときに言及したことと同じ内容だと思われたものだ。トッドの「専門領域」からすると、各国のことについては何か言えても、その相互作用や世界・国連の動きなどは語れないはずなのである。例えば、経済についてはピケティやスティグリッツ、クルーグマンらを読めばよいとトッドは語っているし、国連のことは門外漢だと自認しているようだ。
そして何よりも、この書の「おわりに」に、こんな献辞まであった。
『最期に、出版のきっかけを作って下さった孫崎享先生と・・・に深謝します』
孫崎の著書もここで何回扱ったことだろう。
ただし、これらのこと全て僕にとって、この本を読み始めてから分かった、偶然のことである。
ストライキを巡って市民と軍隊が市街戦を繰り広げたような米ボルテイモア。世界でも、ロシア皇帝やフランス大統領の暗殺、1901年には米大統領マッキンリー、1909年には安重根による伊藤博文暗殺。米フィリッピン戦争もあったし、中国では義和団蜂起も。
さて、20世紀初頭のアメリカ・ポピュリズム時代も、現在と同じ三つの社会本質的特徴を持っていたと、次に展開されていく。①新移民の急増、②巨大資本の誕生、③金権政治と、印刷発達による日刊新聞や雑誌などニューメディアの登場、である。ただ、20世紀開始当時のこの3点は、今のトランプ時代とはここが違うと述べて、ここから著者はトランプ政治の正確な規定をしていくのである。
なによりもまず、往時のこの3点はアメリカを帝国に押し上げたのだが、今はその座から降ろそうとしているのだとのべて、その上で各3点の違いを展開していく。
①往時の新移民は白人人口に算入される人人であって、アメリカ社会に包摂され、帝国建設の原動力になって行った。
②過去が大工業国になっていったのに対して、今は金融だけ、物作りは縮小している。物作りが縮小して金融がマネーゲーム中心に空回りしたら、まともな職など無くなってしまう。この点で筆頭国といえるのが米英日だと思う。
③は、ニューメディアとの関わりでこれを文化問題とも観ることができて、今の米国内は文化戦争になっていると言う。国民的文化同一性が崩れているとも換言されている。つまり、国民分断が極めて深刻だと。
この③の国民分断について、今回の大統領選挙の得票出口調査結果分類を例に取っているのをご紹介しよう。トランプ対ヒラリーの各%はこうなっている。黒人8対88、ヒスパニック29対65。ところが、白人票、男性票ということになると実に各、58対37、53対41とあり、女性票でも42対54と、トランプが結構善戦しているのである。
「トランプのつくる世界」とはこんな物として描かれている。普通に新聞で触れられていない記述を中心にまとめてみる。
まずこのこと。30年前に新自由主義を初導入したレーガン政権と「ポピュリズム右派」など非常によく似た点が多いのだが、ソ連の斜陽が始まった時に数々「成功」したように見えるレーガンに対して、トランプが国力衰微の中で生まれた政権だという例証として、以下が述べられる。
IMF報告の購買力平価GDPで、2014年には中国に抜かれた。その傾向から17年、19年には各、2500億ドル、4500億ドルという差が広がっていくと予測されている。つまり、中国が「世界の工場」になっているだけでなく、「世界の市場」にもなっていることの意味の大きさを強調している。今の有効需要が少ない世界で大市場というのは、アメリカが日本の王様である理屈と同じような意味を持つのである。世界金融資本にとってさえ。つまり、マネーゲーム以外のまともな投資先がなければ、所詮金融もまともには活躍できないということである。
また、軍隊重視には違いないが、「世界の警察を返上した」ことに伴って他国にも強力にそれを求め、国内経済第一主義の中でも国内インフラ整備には邁進して行くであろうということなど。これもトランプの大きな特徴である。
こうして、結ばれる著者の世界政治用語は、「米英中ロの多極化」という「新ヤルタ体制」ができるだろうと書かれてあった。
さてでは、次にアメリカの衰退ぶりを改めて確認していく部分の紹介。世界一安全な日本(人)では考えられないような内容である。
まず、物作りの大工業国家・旧アメリカの象徴デトロイトの荒廃ぶりだ。
荒廃した旧市街地へ入りかけると、道路脇にこんな看板が立っていたという。「これから先、安全について市は責任を負いません」。警察が安全責任を持てないから、自分は自分で守れと警告しているのである。ちなみに、市域の3分の1が空き地か荒れ地で、街灯の30%が故障中、警官を呼んで来る時間が平均27分というのだから、無理もない。全米都市中2位の殺人発生率を誇るデトロイトのすぐお隣には、殺人発生率1位都市もあるのだ。GM発祥の地フリント市である。
デトロイトの人口も最盛時185万から70万に落ちて、9割は黒人。普通の会社の従業員などは郊外の「警護付き街区(ゲイテッド・シティー」から通勤してくると続いていく。
このデトロイトを象徴として、米国二重の困窮という事項が次に解説されていく。一つが物作りの零落、今一つが連邦政府が地方政府を支援不能となったのに市民の互助活動も廃れたという、連邦赤字と市民社会劣化である。食うに困る人々だけの貧民街に公共財が何もなくては、政治など吹っ飛んでしまうということであろう。
(続く、ここまでで約4分の1。あと、3回続くと思います)
追加としての感想
なお、この本を読んでいると、ここ「9条バトル」で僕が書評で紹介してきたいろんな著者が出て来て面白い。まず、その国連調査報告を紹介したノーベル経済学賞受賞者ジョセフ・スティグリッツの言葉が出てくるし、最近長々と紹介した「金融が乗っ取る世界経済」、ドナルド・ドーアの言葉も。さらには、最も最近の書評、エマニュエル・トッドへの言及。これは、トッドの学問の限界を指摘した学問的内容をもって、1頁近く言及されている。この内容は、僕がここでトッドの書評を書いたときに言及したことと同じ内容だと思われたものだ。トッドの「専門領域」からすると、各国のことについては何か言えても、その相互作用や世界・国連の動きなどは語れないはずなのである。例えば、経済についてはピケティやスティグリッツ、クルーグマンらを読めばよいとトッドは語っているし、国連のことは門外漢だと自認しているようだ。
そして何よりも、この書の「おわりに」に、こんな献辞まであった。
『最期に、出版のきっかけを作って下さった孫崎享先生と・・・に深謝します』
孫崎の著書もここで何回扱ったことだろう。
ただし、これらのこと全て僕にとって、この本を読み始めてから分かった、偶然のことである。