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ここの14年、アクセスなど変遷史   文科系

2019年08月18日 11時36分45秒 | その他
 このブログが始まって14年。週間累計のブログアクセス数などを僕はずっと記録してきましたが、この変遷などを振り返ってみたら、なにか、とても感慨深いものがありました。今でこそ、アクセス2000~3000、閲覧数1万を超えていますが、この14年間は、こんな高低の波を辿って来ものでした。

05年に始まって、最初に週間累計端末数が1000を越えたのは、08年4月13日の週の1048で、その週の閲覧数は2580でした。この時はまた同時に、ほぼ1000を越えるのが当たり前になっていった時期でもあります。

・1500を越えることになったのが、09年6月28日からの週。一挙に1792アクセスで、閲覧数は6117になっています。この時はほぼ同時に2000アクセスも越えて、これが当たり前、普通になっていきました。同時に、このブログの特徴である閲覧数の多さがはっきりしてきたのもこの頃です。約2000のアクセスに対して、時に1万近い閲覧数を弾き出すようになっています。つまり、1人のアクセス者が何か興味ある過去ログを探し出すことによって、1人5面を遙かに超えて閲覧していく。この状態は、11年の夏まで続きますが、この間のピークは、こんな調子でした。

・11年5月の4週のアクセスと閲覧数を書き写してみます。2882の16826、3426の18306、2816の13235,2637の12613。なお、この時期がおそらく第二のピークである今現在以上、ここの最盛期だったのだと振り返ることが出来ます。なにしろ、今は亡くなった方も含めて、書き手が何人もおられましたから。只今さん、まもるさん、あんころもちさん、キャッチホンさん・・。

・ところが、11年夏過ぎから、また2000を割り、14年夏過ぎからは1000も割るようになっていきます。ただこういう時でも、ここの閲覧数の多さは変わっていません。アクセス数が1000を割る週でも、閲覧数が1万を超えるなどはこの間中たびたび起こったことでした。1人10面以上などと、多くの過去ログを読まれる人が多いという特徴がずっと健在だったということ。このアクセス減少はやはり、書き手が居なくなったことが関わっていると思います。

・その後、翌15年の夏以降はまた基本1000を越えるようになり、閲覧数はやはり5000~10000だったと言えます。が、18年半ばからはまた2000前後になり始めて、18年末からはこれを越えるようになり、現在は2500前後、第3回目の山を迎えていると言えるのではないでしょうか。この3週はこうなっています。
 7月28日~ 2452の9451
 8月4日~  3099の11182
 8月11日~ 2900の12617



 ここを訪れるブログ同業の方々、やはり継続は力だと思います。ただし、以上の数字にロボットによる応答が多いというのが実際の話と見てきました。が、この何割か?が実際に読んで下さっていると思うから、まー続けることが出来たわけですね。
 ただ僕、文科系個人として、ここにこんな大きなメリットをずっと感じ続けてきました。まず、ここに書くのが、いろんな勉強の励みになって来たということ。随分いろんな本を読ませて貰ったものです。それと、自分の文化的活動の記録も残せるということ。ランニング日誌、教室に通っているギターやその仲間のこと、そして、同人誌活動の作品掲載などなどのことです。僕としては生活記録、日記の意味も大きいわけでした。
「生きて学んで、それを書き残して、それをまた読みつつまた生きて、書く」
 ここが僕にとって活動年齢を長くする原動力にもなってきたわけです。ということは、こういうこと。自分の活動記録だからこそ、シビアに真面目なものと。上辺だけの真剣ではないことなど、到底書く気にはなれないということです。読んだ本やその内容紹介なども含めて。なんせ、この過去ログ14年間をめくり出せば、自分の文化活動や学んだことをいつでも引っ張り出せるというのは、この年になると凄い力と感じます。記憶力減衰を補ってくれるし、忘れていた知識、大事な自他の事件なども思い出させてくれるわけです。そして、明日の自分や世の中をより詳しく、正確に考えることも出来ていく。一言で言えば、ここが僕の諸活動の原動力になっているということです。願わくば、去年93歳だかで死んだ直前までよい仕事が出来たロナルド・ドーアにあやかりたいものというような気持。これがなければ、ほとんどロボット相手にこんな長文を書く気にはなれなかったと思います。
 ここを定期的にお読み下さっている皆さん、これからもよろしくお願いいたします。
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改めて、「太平洋戦争の大嘘」という大嘘   文科系 

2019年08月18日 10時54分50秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 いつもここのアクセス・ベスト10のトップに出てくるように誰かがしてくださっているこの拙稿には続編があって、これの掲載が18年4月1日、以下続編は2日と6日に載っている。今日は、この後者二つを併せて再掲させていただきます。


 拙稿の「太平洋戦争史」が気になる人々が多いようだ。藤井厳喜さんとやらの「日本人が知らない、太平洋戦争の大嘘」という本の広告がこのブログに再三掲載されてくる。調べてみたら、安倍首相のブレーンの1人のようで、国会議員選挙に2度も出て2度とも落ちているお人。政治学者とあるが、政治学よりもどうも保守政治家になりたいお方らしい。それも、安倍周辺の政治家。加えてこの御本、無料で配布しているとあった。どこかからお金が出ているのだろう。
 
 さて、この本の概要が宣伝文句に書いてあって、その事を一つ一つ批判してきたその2回目である。『 』内は、その本の宣伝文句。

・『日本は終戦まで、アメリカに何度も何度も和平提案を送っていた。それを完全に無視し続けた上での原爆投下…瀕死の日本に、どうしてそこまでする必要があったのか?「原爆が正義だ」という狂気のデタラメを生み出した世界の力関係とは?』
 日本がアメリカに和平打診をしたかどうかなどは、ここでは大した問題ではない。現に、敗勢著しくなってもポツダム宣言を受けなかったという世界史的事実があるのだから。この全面降伏勧告を受けなかったことが、原爆投下という惨劇に繋がったという事の方こそ、日本国民も世界も周知の事実である。

・『日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった「ハル・ノート」。なぜ、そんな重要な内容を私たち日本人は教えられないのか?アメリカ大物議員すらも「国民への裏切り」だと絶句した、その内容とは?』
 ハルノートが『日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった』というのが、大嘘である。大嘘というよりも、「ハルノートに怒り心頭! 開戦やむなし」とは、当時の日本側が戦意高揚のために最大限宣伝に使っただけのこと。
 この文書は、開戦原因として『そんな重要な内容』なのではない。ハルノートは、12月8日の開戦直前の11月末に日本に送られてきたもの。日本は既に、開戦準備を密かに、すっかり終えてしまった段階で届いたものである。戦争原因については、それ以前にこういう経過があった。満州事変・国連脱退から、中国南下を続けた日本に、国連、アメリカが再三の警告と、「制裁措置」を与えてきた。「国際不法行為」と「強制・制裁措置」とのエスカレートと言えば、今の北朝鮮と国連との関係のようなもの。「石油禁輸も含めて」日本がほぼ全面的に悪かったから起こったことなのだ。いきなりポーランドに進撃して非難されたドイツとの、兄弟国だけのことはある。

 以上の太平洋戦争の原因論争と、これについての右流ねじ曲げ論批判とは、このブログには無数にあるが、最も最近のものでは以下のエントリーを参照されたい。18年1月29日「太平洋戦争、右流ねじ曲げ理論に」。


(以下が、この連載3回目の18年4月6日分)

 さっき、こういうコメントを付けた。これをやや詳論したい。

『 戦前日本を庇う人が、その国連脱退を何も見ず、ハルノートのような太平洋戦争直前の「不当性」を問題にしているのが、笑える。要は、こういう話なのだから。
「国連をさえ脱退した国際的無法者が、それらの記憶も薄れた今になって何を言うか! その無法者ぶりには頬被りして・・・」
 大東亜共栄圏が出来たら、アジア人は日本天皇の臣民にされたろう。天皇制を批判したら、死刑である。これは、もしもドイツが勝っていたら世界がこうなっていたのと同じ事だ。ユダヤ人、身障者、黒人などの皆殺し。
 こんな世界を誰が望んだろうか。だからこそ、日独が負けたことが、世界にとってどれだけ良かったことか! 今の世界のみんながそう考えるはずである。』

 このコメント前半部分は、右論者の常道の一つ。1931~3年の満州事変、国連脱退を何も語らないのである。現代世界では、北朝鮮でさえ脱退していないのに。国連を脱退すれば、国連法に縛られなくなる代わりに、独立国として認められる国連の庇護が無くなるわけである。戦前日本はこれ以降の事実として、どんどん無法者になっていった。その結末が不意を突いた騙し討ちのような真珠湾奇襲攻撃だった。

 コメント後半の「もし日独が大戦に勝ったら」という問いも、大戦をどう見るかにとって極めて重要なものだろう。
 日本には国民はいなくて臣民(天皇の家来である民)だけが存在したのだから、大東亜共栄圏とはこういうものになったはずだ。日本の天皇が支配するアジアに。日本天皇制度を批判したら、先ず死刑という「共栄圏」である。今も日本が折に触れて批判されている戦前の朝鮮や、中国の一部やのような歴史遺産を考えてみればよい。安重根のようなその国の愛国人士が殺されたとか、南京大虐殺兵士のように反日勢力は無差別皆殺しにあったとか。

 また、ヒトラーの世界支配など今の誰が望むのだろうか。鬼畜と言われた米英は、日独にも自由を与えた。原理としては黒人も有色人種も安心して住める社会であったし、戦後社会は事実としてもどんどんそう進んでいった。 こういう事実を前にしたら、右論者がよく語るこんな理屈も全くの屁理屈で、噴飯ものとなろう。
「日本、太平洋戦争は、植民地解放に貢献した」

 
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