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随筆 ギター、悪癖苦闘また一つ  文科系

2019年08月07日 12時00分58秒 | 文芸作品
 楽器などの習い事は、身についた基本的悪癖との格闘無しには、決して上達できないと思う。老人の場合は特にそうで「急がば回れ」、長く苦闘してもこれに気付いたら直すべきと、僕はやってきた。年を取るとただでさえ予期せぬ不規則ミスが増えるのに、「悪癖が生む規則的ミス」が重なれば、結局こんな悪循環から、楽器活動年齢を縮めることになっていく。ミスが増えて気持ちよく聴けない・練習から遠のく・さらに下手になる。
「加齢に悪癖が輪を掛けて下手にしていくのに、それを単に年のせいだと考えている」。

 さて、僕のクラシックギターも今までに多くの悪癖を直してきた積もりだったが、その内一つはずいぶん中途半端な改善だったと最近改めて分かって、今悪戦苦闘している。
 因みに、なんとかほぼ治せたかという癖の方は、左手各指の分離。小指と薬指それぞれの他指との連動を長年かけてなんとか断ち切れたかということだ。これができなかったら、定年後教室通いを始めた身で、ソルのエチュード・セゴビア編17番とか、バリオスの郷愁のショーロとかを発表会で弾く気には到底なれなかったろう。もっとも、その出来はいつもの3割も出ない酷いものだったが。

 さて、直したつもりがまだ基本的に駄目だったと最近改めて自覚できた悪癖が、右手薬指aの「違和感」。これが直ったから、大聖堂第3楽章などのa指アポヤンドも何とか弾けるようになったと考えていたが、何となくまだ残っていた「a指違和感」を探っていて、きわめて具体的なある癖が今も残ってこれに絡んでいると分かった。人差し指iの使い方がおかしいから、これが薬指の「違和感」に繋がっていたと今回改めて色々観察して分かった。それは、こういうこと。

 人差し指iの弾弦ポイントが、中指mのそれにほぼ重なるほどに、つまり、弦上をブリッジ側へと下がる癖があった。この癖が出た後に弾くa指はまるで迷い子になってしまう。随分ややこしい弾き方を無意識にやり続けていた訳だが、初めの頃から今も日々熱心にやっているカルカッシの22のアルペジオとか、カルリの10パターンのアルペジオ・プレリュードとかの練習で身につけ、残ったままにしてきたものなのだろう。amiと弾く時には起こらず、imaと弾く時に起こる癖とも分かったからである。

 こうしてさて、i指の弾弦ポイントを上の方に意識・修正するようにしたら、「a指の違和感」が劇的に減ってきたから、以上全てを初めて理解できたわけだ。文字通り目から鱗が取れた思いの今の実感は、こんな所。
『とんでもなく不自然な悪癖があって随分不便さを感じていても、「ま-こういう難しさが普通なのだ」と思い込んでいる場合も多いもんなんだな』
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書評 「白鯨」   文科系

2019年08月07日 03時11分01秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 アメリカの文学史にひときわ輝いているこの金字塔長編小説を、10日ほどの入院生活中に初めて通し読んだ。

 内容は言わずと知れた、白鯨に片脚先半分を食いちぎられたエイハブ捕鯨船長の白鯨に対する復讐物語。それが白鯨の逆襲で大失敗、語り手イシュメルのみを残した30人近くの乗組員が船とともに太平洋のど真ん中に沈められて終わるという結末である。
 これが分厚い文庫本たっぷり3冊に及ぶ長い物語になっているその内容は、こういうもの。

 まず、大西洋からホーン岬、喜望峰に、インド洋、太平洋と、その南北に及ぶまで(太平洋はほぼ北半球の中の、日本近くまで南半分だが)、世界の海とそこに活躍する捕鯨船の様子や活動やを細々と描写、紹介していく。乗組員もアメリカ東部の白人の他に、ポリネシア人、アメリカインディアン、黒人と、地域も人も当時としては凄まじく地球規模と言った内容である。そんな世界的な異国情緒溢れた体験記、ルポにも見える作品が1851年に出たというのだから、それだけでも価値があるうえに、山場に向かって手に汗握る復讐劇と来るから面白いのも、もー当然。
 なんせこの1851年とは日本で言えば、明治維新の15年ほど前、まだ鎖国が解けていない時代(解けたのは1854年)であって、この日本鎖国についてもこの本には言及があるという、そんなユニバーサルな異国情緒たっぷりの博覧強記を見せてくれる。ちなみに、この1851年を合衆国史で言えば、イギリスからの独立(戦争)が70年前、南北戦争の10年前ということになる。 

 さて、この小説に象徴性とか哲学とかを読み取る向きもあるようだが、それには僕は賛成できない。エイハブ船長の人生、その回顧らしいものが第132章になって初めて出てくるのだし、白鯨に何かを象徴させているとしたらむしろ、それが成功しているとも思われなかった。代わりに、ここまでにも書いたようにただこう読めばよい。世界の海と捕鯨などの地理や風俗をも紹介して見せた大海洋小説・エイハブ晩年の人生を掛けた復讐活劇と。

 ただし一言。エイハブの復讐心の根深さ、凄まじさには、作者が何かを付与しているのかもしれない。例えば実存主義的な人間意志をデフォルメして賛美したものとか。もしそうなら、世界的にこの思想の先頭近くを切ったことになる。同じ人間意志のデフォルメをやって実存主義の元祖とも言われるフリードリッヒ・ニーチェは、この小説発刊のほんのちょっと前、調べてみたら1844年の生まれだったから。というように、この凄まじさこそこの小説のテーマ、モチーフと言える。このこと自身については小説全編、その構成・表現すべてに徹底されてある。

 また、この小説には西欧近代民主主義感覚の生新な息吹といったものが満ち溢れ、人間のやり取りなど何のひっかかりも古さも感じずに、ごく自然に読みすすむことができた。明治維新のちょっと前、フランス革命の60年後に書かれた古い小説とは、とても思えないのである。当時のアメリカの英仏と並ぶ世界最先端のヒューマンな民主主義感覚を描いていると読めばよいのだろう。だからこその、米文学史に輝く金字塔ということでもあるはずだ。
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