先回発見したと書いた「ima指アルペジオ悪癖」修正に励んできた。imaで3、2、1弦と弾くときに、iのポイントが下がってこれにmが重なるように弾いてしまうから、そこから離れたa指が特に不安定になるという、非常に希な例と思われる悪癖だ。この悪癖アルペジオ自身の修正トレーニングに励みつつ、他方でこの癖が出ていそうないろんな暗譜群曲の箇所を確かめてもみた。案の定「なぜか分からぬが何度やっても上手く行かなかった、易しそうな箇所」がこの「ima指アルペジオ悪癖」に起因していたと分かって、本当に驚いた。大聖堂第3楽章第1パートに二回出てくる何でもない箇所とか、魔笛第4バリエーションの高音と低音の掛け合い部分で、その低音の速いアルペジオ箇所とか。
さてそして、この悪癖が以前修正に苦闘してきた悪癖(左小指などの他指との連動を断ち切り、それぞれ独立させてこそ速く動かせるようになった、など)よりも割と早く直せそうだと、都合20日ほどの観察、努力で確信が持てるようになっている。元々「a指の動きに何か違和感が付いて回る」という形で半分は気付いていて長くあれこれ意識して手を打ってきたのが無駄ではなかったとも、今は分かった。例えば、細かくいうとこういうことでもあるし。amiと(つまり、1、2、3弦と)弾くときには生じずに、imaの時に出るという、ややこしい癖なのだ。
20日ほど(と言っても、入院で10日ほど間に完全ブランクがあるから、その前後の20日ほど)あれこれとやってきて、既にたくさんの成果が生まれている。暗譜曲の従来の「易しげなんだけど何度やってもうまく弾けない『僕の』困難箇所」がいくつも修正されつつあるし、大聖堂第3楽章を以前より速く弾いてもa指アポヤンドが楽に鳴らせるようになってきた。それも、前よりもかなり脱力できつつのことだから、ちょっと嬉しい。セゴビア編ソルのエチュード20曲集第17番、これのa指アポヤンド旋律にも、この修正の効果がとても大きい。
それにしても、こんな悪癖付きでカルカッシ教本冒頭の22のアルペジオを毎日のように練習していたとは、つまり、悪癖の練習に長く熱心な年月を費やしていたとは、驚きを通り越して唖然、呆然。特にその、9番、14番、19番などが下手で、この癖の発祥地だったと今改めて分かったわけだ。
それでもやはり、「過ちを改めるに遅いということはない」。先の長くないギター人生に、大きな楽しみを持てたと考えればよい。ただでさえ日々不規則ミスが増えて楽しくなくなっていく時も通り越したやの喜寿高齢者なのだから、規則的ミスを生み出す悪癖を発見したら、その修正は、直せば大きな喜びになるというもの。ということで、また毎日2時間以上は頑張っている。
今の課題曲と決めたのは、大聖堂第3楽章。これに挑戦するのは2010年が第1回目で、それから3度目のことだったか? 好き嫌いが激しい僕の大好きな曲ベスト5に入るものだから、暗譜曲群(今は25曲ほどある)の中に入れて月に数回りずつ弾き回しながらそこに数曲残っている、どうにか人前でも弾けるという日を夢にまで見てきた曲の一つだ。こういう姿勢がまさに「音楽」なのだと、自分に言い聞かせつつ。ちなみに、大好きな曲5つというのは、この他こんなところだろう。タレガの「エンディーチャとオレムス」、バリオスの「郷愁のショーロ」、前記ソルのエチュード・セゴビア編17番、バッハの「998プレリュード」だ。このうち、本当に下手な演奏なのだが、998と大聖堂以外は近年の発表会でなんとか弾いている。
さてそして、この悪癖が以前修正に苦闘してきた悪癖(左小指などの他指との連動を断ち切り、それぞれ独立させてこそ速く動かせるようになった、など)よりも割と早く直せそうだと、都合20日ほどの観察、努力で確信が持てるようになっている。元々「a指の動きに何か違和感が付いて回る」という形で半分は気付いていて長くあれこれ意識して手を打ってきたのが無駄ではなかったとも、今は分かった。例えば、細かくいうとこういうことでもあるし。amiと(つまり、1、2、3弦と)弾くときには生じずに、imaの時に出るという、ややこしい癖なのだ。
20日ほど(と言っても、入院で10日ほど間に完全ブランクがあるから、その前後の20日ほど)あれこれとやってきて、既にたくさんの成果が生まれている。暗譜曲の従来の「易しげなんだけど何度やってもうまく弾けない『僕の』困難箇所」がいくつも修正されつつあるし、大聖堂第3楽章を以前より速く弾いてもa指アポヤンドが楽に鳴らせるようになってきた。それも、前よりもかなり脱力できつつのことだから、ちょっと嬉しい。セゴビア編ソルのエチュード20曲集第17番、これのa指アポヤンド旋律にも、この修正の効果がとても大きい。
それにしても、こんな悪癖付きでカルカッシ教本冒頭の22のアルペジオを毎日のように練習していたとは、つまり、悪癖の練習に長く熱心な年月を費やしていたとは、驚きを通り越して唖然、呆然。特にその、9番、14番、19番などが下手で、この癖の発祥地だったと今改めて分かったわけだ。
それでもやはり、「過ちを改めるに遅いということはない」。先の長くないギター人生に、大きな楽しみを持てたと考えればよい。ただでさえ日々不規則ミスが増えて楽しくなくなっていく時も通り越したやの喜寿高齢者なのだから、規則的ミスを生み出す悪癖を発見したら、その修正は、直せば大きな喜びになるというもの。ということで、また毎日2時間以上は頑張っている。
今の課題曲と決めたのは、大聖堂第3楽章。これに挑戦するのは2010年が第1回目で、それから3度目のことだったか? 好き嫌いが激しい僕の大好きな曲ベスト5に入るものだから、暗譜曲群(今は25曲ほどある)の中に入れて月に数回りずつ弾き回しながらそこに数曲残っている、どうにか人前でも弾けるという日を夢にまで見てきた曲の一つだ。こういう姿勢がまさに「音楽」なのだと、自分に言い聞かせつつ。ちなみに、大好きな曲5つというのは、この他こんなところだろう。タレガの「エンディーチャとオレムス」、バリオスの「郷愁のショーロ」、前記ソルのエチュード・セゴビア編17番、バッハの「998プレリュード」だ。このうち、本当に下手な演奏なのだが、998と大聖堂以外は近年の発表会でなんとか弾いている。
次に行けると、いいね。
・・行かなくても、オイラ的には、楽しいからいいけど。
・とにかく、i指を上の方で弾くこと。それも、弾き下げないで横に弾く。
・a指は、m指に全体的に軽く密着させつつ弾く。
・この右手の軽化が、左手のそれに結びつくように意識する。
以前、医者からはこう診断が語られて、片耳だけの補聴器を付けた。左はまだ良かったからである。
『この難聴は、普通の高齢化難聴ではない。あなたから聞いた話を併せて考えると、騒音性難聴。クラシック・ギターは、思ったより耳への圧力が高いのです。それを1日に何時間も弾いていれば、高齢者ならこうなります』
以来補聴器の調整をほんのたまにしかしなかったのがいけなかった。ちなみに、ちゃんと調整できない店もあるようで、この点は要注意であるともお伝えしておきたい。
とにかく、両耳の補聴器を20日ほども色々試した末にある品を注文し、29日以降から付けることになった。が、心配はこのこと。
〈あれだけ大きな音になると、悪化を早めるから、もう弾けなくなるのでは?〉
ともあれ、補聴器を付けてギターの音を聞くと、特に「普通の」高音がいかに大きなものかを再発見した思いだった。それだけ僕の耳が、高音を捉えられなくなっていたということである。
エントリーに書いたa指の難しさも、高音が小さすぎて、強く弾かねば聞こえないという点からも起こっていたようだ。ところがa指というのは最も力が入らない指と来ているから、雑音も嫌な音も出てしまうという理屈である。
ギターを1日2時間も弾いている高齢者は、確実に騒音性難聴になるのだと思う。医者が、ギターの音波は意外にきついのだと言っている。