棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

鼻水ポチョリ

2008-10-11 17:22:28 | 山郷の暮し
昨日の汗ばむ秋晴れの一日とは大違い。
陽が傾いたとたんに風は冷たく、坊主頭にピリピリと刺す。
朝から鼻水がポチン・ズズズ゛ーー
くしゃみのたびに腰にビリビリと痛みが走る。
製作に気合が入っていたのですが、いっぺんにすっ飛んでしまいました。
賢犬サクラも丸くなってソファーの上。
チラッチラッと私の様子をうかがっていましたが、寝言をいいだした。

先ほどお隣から、お赤飯と煮物をいただきました。
時々いたたくのですが、減塩料理でいて豊かな味わいは、とりたての野菜とやはり年期でしょうか。
今夜も美味しく晩酌ができます。

突然ナニカを

2008-10-11 11:03:46 | 山郷の暮し
昨夜はいつものバターンで、芋焼酎の晩酌を楽しむ。
本を読むのだが、一時間もせぬうちに寝てしまった。
ところが、10時にパッチリと目が冴えだし、ナンカスッカ!!と。
製作はしんどいし、読書もいいのだがもっと行動的なナニカ。
出来れば賢犬サクラと散歩がいいのだが、まだ足腰が不自由。
今読んでいる「新約仏教経典」の影響もあったのか、頭髪を切ることにした。
電気バリカンは持っているので、6mmのアタッチメントを装着して、夜中に鏡を見ながらジョリジョリ。
しばらくやっているうちに、何か冷たい。
?????  触ってみると、もろに地肌になっている。
なんのことはない、アタッチメントが外れてしまい、つるつる坊主。
どうにもなるものではなく、お坊さんスタイルになりました。
其れが原因なのか、鼻かぜでムズムズしています。
我ながら間抜けなことですが、突然、まったく違うことをおっぱじめるのは珍しいことではなく、後で????
制作の絵は、佛眼が思うようなものではなかったので修正中。坊主頭とは無関係

誘惑の絵

2008-10-10 11:15:27 | エッセイ・随筆
イワシ雲がちぎれ、ぼつんぽつんと飛んで行き、それも光の中に溶けていく。
朝から素敵な私の空です。
私のブログを読んでくれる方々、ありがとうございます。
もし、昼間に目を通しておられましたら、素敵な空を見上げてください。
夜でしたら、オッ月様を見てください。
大きく息を吸って、「うれしいなー」と思ってください。
それでは、
誘惑の絵などというと、またまた春画の続きかといわれてしまいますが、同じ誘惑でもズット深刻で、哲学的なテーマの作品のことなのです。
画家ボッシュやブリューゲルの作品は、皆さんがなんとなく見聞きしていると思いますが、なんとも奇怪な画面ともいえます。
作品の意味は日本人にはおよそわからない。
それも当然で、ヨーロッパにおけるタブーごとや民話・寓話などがキリスト教、倫理でこねられている。
当のヨーロッパのキリスト教徒だって、作者の作意はわかっていないといいます。

美術館でボッシュやブリューゲルの本物を観た時は、正直なところ予備知識はすっ飛んでしまった。
細かな描写に、かなりの大サイズの作品とばかり思っていたが、予想よりも小さな画面に、ビッシリト描かれた様にびっくりしてしまった。
なによりも、写実力の確かさと、想像力はすごさを感じた。
ブロック的な画面構成は、物語の意味は図録解説に頼るしかなかったが、全体からのイメージは必ずしも強いものではなかった。
では、なにをテーマにしているかというと「聖アントニーの誘惑」という、苦行事に起きる悪魔の誘惑なのです。

仏教では、ブッタが6年間の苦行中に、様々な悪魔の誘惑に悩まされた末に、克服し降魔した。
仏教美術では数々の名品が生まれてきました。
そうです。キリスト教ではイエスが同じような試練があり、そのテーマの作品もあるのですが、なぜかあまり人気がありません。

聖アントニーは紀元251から356年頃の人で、修道院を創立した元祖らしいのです。
彼の苦行の方がなぜか有名になり、多くの芸術家が、想像の天使を羽ばたかせ、無数の名画を描き出してきたのです。
中でも特異なのが、ボッシュやブリューゲルの作品なのです。

キリストの苦行の作品があまり世にでなくなったのは、神の子を冒涜するという思いもあったのでしょうか。
そこへいくと、仏教は本当に人間本来を追求してゆく宗教かと思います。
   続く

いっぱいの秋

2008-10-09 16:51:41 | 山郷の暮し
穏やかな秋晴れの一日。
傾いた陽光が走る中に、漂うように飛ぶトンボの羽が、白く輝いています。
東の空には、上弦の月がポカンと浮かんでいます。
「あーーーあきだなーー」
窓ガラスには、いっぱいの秋空が広がっています。

思い切って運転免許書の更新にいってきました。
時々ビリビリといたみが走りましたが、以前のようなことはありませんでした。
腰をさすりさすり並んでいましたら、係りの人が「申し出れば優先します」と言ってくれた。
ビデオを視聴のうえ、金帯の免許書をもらいました。
次回は5年先になっています。

運転免許書の書き換え

2008-10-09 09:11:59 | 山郷の暮し
今朝は暖かで、予報の通りの秋晴れの一日になってくれるかなー。
いつの間にか、「暖かでいい。とか、寒くなった」などの会話になってしまいました。
免許書の書き換えのタイムリミットがせまってきました。
腰痛のまっただなかの上、車がぶっ壊れてしまい、ともかく自由な動きができない。
調子が良くなったら・・・と思いつつ、延び延びになってしまった。

電話で問い合わせる。
記載されているタイムリミットを過ぎても、3年間は有効とのこと。
ただし、運転は出来ない。無免許運転になってしまうとの事だ。
リミットを過ぎた後は、診察書などの書類が必要になってくるとか。
出来れば、あまり無理をしない範囲で、手続きをしたほうが楽であるといわれた。
ごもっともなことだ。
こんなときは、山里の暮らしは多少不便さを感じる。


ぼくのバオバブ始末記

2008-10-08 10:42:56 | 大人の童話
ボクが「バオバブだ!」と思わず叫んでしまった「コンニャク」
そのお話は、大人の童話 8-11--15にしましたね。
居間に置いて家族で楽しんでいた。
お隣の「バオバブおばさん」も「アーラ、おもしろい観葉植物の樹だことねー」と、いつもながらスットンキョな声をだす。
樹ジャーなくて草なんだけど・・・。

家族全員あきっぽいというか、興味が旺盛でメンテナンスがついていかない、というか・・・
ボクも、夏休みが終わり、何かと忙しい二学期が始まると、すっかりバオバブのことを忘れてしまった。
ともかく、居間から庭に移されてしまった

学校に行くのに鼻の頭が少し冷たく感じる、今日このごろ、庭に置かれた鉢植えのバオバブがないのにきずいた。
ただし、植木鉢は置かれたまま。
「オオオ母さん!!バオバブが溶けちゃった」
「私何にもしていないわよ。栃木のおじいちゃんにきいてみるから」
「あらまーー。お水をやらなかったのかしら・・ククククク」
いつのまにか、お隣のバオバブおばさんが気になる笑い方をする。

「そうか、もう枯れてしまったか。やはり辰雄の住む信州は寒いんだ。
心配することは無い。ほりあげて、新聞紙でくるんで暖かいところへおいておけばいいし、コンニャクを作るのも面白いだろう。
でも、まだ小さいから、来年植えなおすほうがいい」
植木鉢をひっくり返すと、大人のこぶしくらいのごつごつした「コンニャクイモ」がでてきた。

そうか、バオバブは熱帯地方の大木、ボクのバオバブも寒さには弱いんだ。
よし、来年はしっかり育てるぞ!・・のつもりだけど。


STUDY IN JOKE

2008-10-07 12:30:18 | 大人の童話
小話本を睡眠薬かわりに呼んでいたら、ひねりのきいた面白いのがあった。

「コウノトリが赤ちゃんをもってきて、ヒバリが私生児をもってくるけど、赤ちゃんをぜんぜんもってこない鳥はなーんだ」
「つばめ!!---SWALLO」
swalloには「呑み込む--吸い込む」という意味があります。
オワカリデスね。
また、偶然かもしれませんが「燕--つばめ」には、呑む・たのしむ・という意味もあります。

小話というのはほとんどがシモネタばかりです。
まーー当たり前でしょうが、かえって本質が見え隠れします。
ついでに、セックスの本場フランスの、ひねりのきいた小話を。

新婚の初夜、花婿がワクワクして寝室に入ると、全裸になって花嫁さんが仰向けになっている。
「びっくりした。ボクはベットに坐って待っているとばかり思っていた」
「あら、私はそんな種類の女じゃないわ!。それにアレをやると頭がいたくなるんだもの」
「・・・・・・・」
この話には、二つの落ちがあります。さーーー考えよう。
正解者には、楽しいで出来事がありますでしょう。

筆が止まるとき

2008-10-06 14:55:30 | 創作活動
メッセージ性の強い作品を制作中に「今はコレまでだ」と思うときがあります。
技術的なことと、精神的なことに大別できます。
油彩色の場合、「半乾き」させるための日にち(季節・温度によって違う)が必要になります。
チューブから生絵の具を塗り重ねる技法は、さほどでもないのですが、
「おつゆ描き」と称される古典画法などは、乾かせながら塗り重ねていきます。
当然発色も重厚で、いわゆるヨーロッパのアカデミックな名画がソレです。
次いでですので・・溶油で伸ばした絵の具の、一筆の厚みは3ミクロンほど。
数回の塗り重ねによって、深みの在る色彩になるのです。

技法上の一休みと違う、筆が止まってしまうのが、最初から作意の練が甘かったことなどから、精神的にとまってしまうことです。
こいつはすこしやっかいで「この作品の製作する意味はナンなのだろう??」
などとなってしまうと、サー大変です。
つまり、根っこから自己否定になってしまうことがあります。
少し大げさに聞こえるかもしれませんが、創造仕事は、自分の創造をいかにに具体化する肉体的行動があります。
ときとして、自分の創造に、具体的な精神力が追いついていかないことがあるのです。
良く言われる「かべ」とまではいかなくても、製作意図がしっかりと自分のものになっていなかったときなどに生じます。
私は昔から、製作意図を文章にして本当に伝えるべき事々を整理してから製作に入ります。
若い衆にも、文にすることによって、意図がはっきりし、無駄が整理されるので、進めています。
作品製作とは、自己とのにらめっこみたいな作業です。
ただいまの製作「弥勒来迎図」140-112 の一休みは、絵の具を落ち着かせる時間です。

タントラ--インドの根っこ

2008-10-05 08:55:30 | 海外紀行文
インドの精神世界の根っこになっている教えにタントラがあります。
知識をひろげる--という意味らしいのですが、膨大な資料にはほとんど著者は不明です。
ヒンドゥー教・仏教にもとりいれられ、インドばかりでなくネパール・チベット・中国・日本・東南アジアなどなどに、影響が及んでいる。
タントラって何だ!!となりますと、解説などできませんが、この世界は男性原理と女性原理の二元論で成り立っている。
そこで、男女の結合によって、完全なるパワーが生まれ、精神的に肉体的に解脱でき「非二元性になる。
究極的に一つの原理になってしまう。ということです。
お分かりですか・・・。「わからない」それでいいのです。
さらに、セックス・ヨーガの業法とは、歓喜の局地を味わうことによって、宇宙パワー的なエネルギーを内在できる。
と、ダンダン難しくなってきましたが、「好きだ・愛しているよ」の範囲ではないことは確かです。
先に書いた、中国の帝王学としての性書とも違います。
当然、セックス産業の担い手(売春・買春など)の方々の、ご修行・お楽しみとは、まったく違う次元です。
あっけらかんと、明るい性への教えは、性をタブー視している多くの宗教から、邪教だとそしられてきていました。
しかし、新しい世界思想の模索が始まっている今、多くの哲学・思想家が注目をしているといいます。
もう一度言います。インドは性へのモラル意識は高く、日本のようなだらしなさは決してアリマセン。

男女の交合は2にして1なるものとして、シンボル的な精神と肉体の一体なので・・・ゴンス。
ウンウン・・・とうなずく姿が見えますが、チョット違うかもしれません。

?足長蜂の集会

2008-10-04 08:47:46 | 山郷の暮し
ブルッ!とした朝、気温は7度。
夜露が雨後のように、強い朝日に輝いています。
今日は一日きっといい日になるでしょう。
朝飯後、早々にアトリエに入る。冷やーとした空気に、油彩の溶油(リンシード)の匂いが漂っている。
このアトリエはもと養蚕室で、その広さに魅力を感じ移り住んでから20数年近くになります。
二階ということもありますが、ほとんど開けっ放し。でなくとも隙間だらけですが・・・
啄木鳥がはいってきたり、コウモリがぶら下がっていたり、ブログにも書きましたがリスのつがいが住んだり
もーー家の中だか外だか・・・
3年ほど前から気がついたのですが、秋になるとなぜかきまった額縁に足長蜂が団子になります。
それも、場所がきまっているのです。
以前に殺虫剤を吹き付けたのですが、またまた別の集団が群がっています。
巣作りをするのでもなく、かといって舐めているふうでもありません。
ドクガスを吹き付けて駆除するのもかわいそうのような・・・・
そんな事を言ってはいられないのですが・・・
今はまだ寒すぎるのか、ジーーとしています。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本