棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

キノコ狩りの時期ですが

2008-10-12 16:58:33 | 賢犬さくら
いつもは静かな国道254も、連休になると川の流れのように、ザーザーと乗用車が過ぎていきます。
棚田に並んでいた、はぜかけの稲も次々と脱穀され、今は稲殻を燃やす煙が西日に赤く染まっています。
腰の状態が正常だったら、例年はキノコ狩りをして、当然、宴会となりますが、誰も来ません。
チョット寂しい気もしますが、それも友の思いやりだと感じます。
賢犬サクラもこのごろは「さんぽにいこー」と誘うこともなく、周辺をウロウロしているのみ。
それでも私が「散歩にいくかー」というと、全身に喜びを表します。
やはり、一人ではつまらないのでしょう。

誘惑の絵--続き

2008-10-12 08:43:31 | 創作活動
2-誘惑の絵
奇態な悪魔がどっさり描かれている「聖アントニーの誘惑」の題材は、アタナシウスが著したたった一冊の本から、おおくの芸術家が触発されて、自由奔放に悪魔の誘惑図を描き出した。

悪魔はあらゆる手練手管を駆使し、アントニーを騙そうとする。
しかし、彼はイエスに全霊をささげ、これらの誘惑の炎を消し去ったのである。
例えば、妙麗な女たちによる酒肉の饗宴。
古今東西、野郎にとってもっとも弱いところとみえ、誘惑の定番で、絵にもなる。
奇怪な化け物による、肉体的な脅しや、甘いささやき。
権力・金力・欲欲欲への誘惑。

悪魔の誘惑の絵や彫刻などは、宗教にはつきものであるが、写実性の違いはあるが東と西では中身といいますか性格がかなり違う。
ヨーロッパは具体性があり、残酷だ。
話はそれるが、スペインで有名なサクラダ・ファミリーによる聖堂は、全体が森の様相に見え、おどろおどろしたデーモンがそこかしこに潜んでいる。
教会の壁面のそこかしこにいる、デーモン像の方に興味を惹かれてしまう。
ヨーロッパは、長い冬のどんよりとした思い空の下、悪魔たちが次々と生れでたのだと感じた。
話を戻そう。
西洋の「誘惑図」は、仏教の「地獄図」のように、肉体への責め苦は極めて残酷。
釈迦が苦行中に出現した「悪魔の誘惑」等は、どこかユウモアがあり人間的だ。
苦行における「心の迷い」を悪魔という姿で現したことは同次元だか、西洋はキリスト教以前からの、デーモン信仰と結びついている。

日本の悪魔感覚と、西洋の悪魔とは性格がまったく違っている。
その違いは、政治・経済に現実的に様々な面で違いとなって現れていると思う。
日本の政治家諸士よ、感覚が本質的に異なっていることを認識し、事に当たってほしい。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本