棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

秋の黄昏時

2008-10-03 17:25:51 | 山郷の暮し
西空が淡いオレンジ色に染まっています。
ゾクッとしそうな精細な三日月と一番星があります。
我が谷は、青墨を引いたようにひっそりとしたたたずまいです。
ボーーと焦点が定まらぬまま、ドコカを観ていますと、なんだか目頭がジーンとしてきます。
こんなとき、鐘の音か、子供の声が聞こえてきたら、もう最高の舞台設定です。
そおなんです。ここしばらく一人旅をしていませんが、訪ねた辺境の地が浮かんできます。
「ごはんだよーーー」 「かあちゃーん」「またねーー」
山々にこだまし、子供たちが飛ぶように消えていきます。
オレンジ色から、ただれたような赤味のある雲に変わりました。

ポンポン・・打ち上げ花火が聞こえてきました。
そうだ、今夜は奇祭といわれる浅間温泉の「浅間神社の火祭り」
朝夕寒くなったはずです。
犬が甘え声で鳴いています。
我が家の賢犬サクラではなく、ご近所の帰宅したご主人を迎えたサクラの娘です。
オレンジ色も赤味も色を失って、谷の街燈がくっきりと見え出しました。

インドの秘画

2008-10-03 09:10:53 | 創作活動
中国の春画にかかわることを、思いつくまま書いたのですが、とても手に負える世界ではアリマセン。
ひとまず他者にゆずるとして、今ひとつの偉大な歴史を誇るインドですが、春画となると、イッパイあるのです。
ただし、日本的な意味での春画ではないのかもしれない。
ニヤニヤ・ワクワクして観ているぶんには、そのままでいいのですが、芸術家の一人としてその宗教的・哲学的な意味は・・・となりますと、冥宮殿に落ち込みオテアゲです。
インドの性典カーマースートラも秘技がびっしり。
ヨーガのポーズで、御身がぶっこわれてしまう。
だいたいこのヨーガというのが難解で、ただ今人気のヨーガ教室は健康目的。
それで十二分なのですが、ヨーガの本質は自己の精神を高め、生死を越えた世界を会得すること・・・・らしい。
さらに、インド哲学・タントラ世界の迷宮に入り込むこと必定。
とてもとても、ついていけない。まーーー健康と精力アップができたらなーーー、くらいに。
ということで、最初から解説もどきはオテアゲ。

インドをはじめて訪ねたのは、1972年だった。
日本画壇の寵児たらんと肩を張っていた自分の価値観が、根底から揺り動かされ、崩壊してしまった。
そして、時々話してきましたが、世界各地の辺境地への一人旅が始まったのです。
そんな経過で、秘画のことでフット思い出すのは、場所はタージマハールで有名なアグラ市だったか・・思い出さないのですが、どこかの宮殿でしたが、象牙に線刻・彩色された秘画がびっしりとはめこまれていました。
写真撮影は禁止(カメラはとうに飯代になっていた)で、資料が手元にありませんが、豪華でいいものでした。
さいさんお話したように、秘画は決して大っぴらにされることがない、名作たちなのです。
ヒンドウー教のインド。性に関してはおおらか・・・性交が日本のように無秩序という意味ではない。
寺院の内外の外壁には、絢爛豪華に神々が歓喜のポーズで、愛を歌い上げています。
おおよそ1m以下のブロック式の大きさで、丸彫りに近い見事なものばかり。
代表の寺院は東海岸では、太陽信仰のコンラク寺院。ほぼ中央にあるカジュラホがあげられる。
写真は1977年の拙作品。
カジュラホ寺院のあっけらかんとした、性の歓喜に触発され描いたものです。
修学旅行の女学生がサリーをなびかせ、大笑いをしている中での製作でした。


秋桜--母の命日

2008-10-02 09:04:16 | 山郷の暮し
暖かな朝日を浴びてコーヒーを飲む。
冷気が虫食いになった桜の葉っぱをわずかに揺るがします。
秋の空が広がっています。
今日は92歳で亡くなった母の13回忌になります。
母が大好きで、棺にも入れた秋桜を生け、
母の肖像画に香を焚きました。
坊主の世話になることは一切しません。

青春時代の蔵書

2008-10-01 14:29:04 | 山郷の暮し
微妙なバランスで積み重なっていた蔵書が、バサバサ・ドサーとくずれてしまった。
ホコリが鼻を突き、カビの臭いがたつ。
腰がいてーのに、かたずけとはしんどい。
昨年購入した本もあれば、青春時代(今もそうですが)に読んだすす汚れた本もある。
その一つ「堕落論」坂口安吾は、我が世代では誰でもが読んだ本のひとつであろう。
いまさら堕落論についてコメントをする気もないし、第一中身のことはアルコールの蒸発とともに消えてしまっている。
ではなんだというと、この本の発行は昭和46年改定版10
初版は昭和32年から、43年の18版発行の後だ。
この本の価値は無いのですが、今日再販されているのか知らないが、何百万人もの者が、何らかの形で影響をうけたとおもう。
写真のこの文庫本は古本屋で買ったと見え、100円の値札がついている。
正価が180円だから、たいして安くなっていない。
よほど大切にしたと見え、ナイロンて゛カバーがしてある。
私にしてはめずらしい。
今再び読み出しているが、鉛筆でアンダーラインしてある箇所が、なんとも懐かしく、改めてその意図を考えています。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本