棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

ポチポチと紅葉が始まった

2008-10-20 14:08:58 | 山郷の暮し
昨日よりも気温はあがっているのでしょうか。
真っ青な秋の空というより、銀粉を撒き散らしたごとくです。
ゆっくり流れる生暖かい風に、トンボが遊んでいるみたいです。

信州は4つの地域に大別され長野市の北信・南信。そして軽井沢が在る東信と私が住む中信に分かれる。
地域は2000M近い山筋で分かれている。
関東「花の谷」とめいめいしたこの谷は、標高750M前後。
国道254の「三才山トンネル」の山も、標高二千ちかい。
北信地域はすでに紅葉がはじまっているようですが、私の住む谷を囲む山々にも、濃い赤色が点々とみえだしました。
たぶん、山桜がいろずいてきたのではないでしょうか。
目の前の吉野桜の葉も色つき、そよ風に「さよおならーー」とクルクルと飛んでいきます。
花の谷が、燃えるような紅葉になるのも、2週間後くらいでしょう。

パフォーマンス---情報誌より

2008-10-20 09:41:39 | 創作活動
情報誌より---曼荼羅の心を読む詩人  作家 高山雷太
彷徨える魂が漂着する異次元の世界。
佛画家・岩淵龍王丸が曼荼羅と劇的な対面をしたのは、仏跡調査を兼ねてインド・ネパール。チベットを旅したときからであった。
 「仏画には心がある」躍動する諸尊像。チベット・ラマ寺院で仏画との出会いは、深い感銘を与えると同時に、龍王丸を日常の雑念から解放させ、より高潔に開眼させたのである。
以後、彼は仏画に「こころ」を求め、しばしば聖地を訪ねては、心身ともに磨き上げた。
当然のごとく絵も変貌する。自由奔放に筆がうごくようになったのだ。
そこには詩が生まれ、物語が創られる。
幾多のパフォーマンスを通じて描かれる、龍王丸の曼荼羅世界は、他にるいのないものとなった。
独自の境地を昇華させたものだ。
 一般になじみの薄い言葉かもしけないが、曼荼羅とはサンスクリット語の、本質--MANDAを、所有--LRせるものの漢字音写である。
したがって本来の意味は「宇宙の真実の姿」を自己の哲学にしたがって、立体または平面に表現することであり、そおいった面から見ても、龍王丸の描く曼荼羅は理にかなっている。決して亜流ではない。
 曼荼羅を描く仏画家・岩淵龍王丸。
彼の特異な才能に敬意を表するとともに、今後一層の精進を重ねることによって、より多くの作品の中で、独自の世界を存分に歌い上げてほしいものである。

少々てれくさいが、今こそ心して創造活動をしなくてはなるまい。
昨日の仕込みスナップより本番・神楽殿にて演奏・ペイントは三角形

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本