棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

イスラム教の断食月-ラマダーン

2008-04-23 17:45:45 | 海外紀行文
滞在中にイスラム教の断食月(ラマダーン)になってしまった。
以前に本場パキスタンで同じく断食月になり、日中は水も隠れるように飲まなければならず、そりゃーーもー辛かった。
なにごとも大様なインドネシアの人々。まーーたいしたことはナカンベーと思っていたが、さにあらず。
ミナンカバブ族は、最も敬虔なイスラム教徒の人たちだったのだ。

食堂で知り合った青年のバイクで、村々を案内してもらっていたが、いつもの気楽さで何も用意をしなかった。
ところが、どこへいっても店じまい。軒先食堂(ワルン)も火をおとしたまま。
なんと青年がパン・ジュース類を取り出し、食べろという。
彼は、慣れているから大丈夫。リュウは仏教徒だから問題ない。たたし、子供たちには見えないようにしてほしい。
いやーー感謝感激。私も断食のおつきあいなどと、絶対にいいませんでした。

ミナンカバブ族の地で、忘れられないことがあります。
大衆食堂での食事中、いつも公園の入り口にいた見慣れた盲人のオコモさんと、手を引く12-3歳の子供がやってきました。
「ああ門付けもやっているのか」と思いましたが、テーブルにつく。
店員も特別視することもなく、オーダーを受ける。
実に当たり前に、だった。インドでは絶対にない事だ。
日本だって(今はコジキもいませんが)考えられないことではないでしょうか。

イスラム教の原理主義者による、過激な行動で誤解されている面がありますが、私が知る限りイスラム教は、本当に相互扶助、平等主義なのです。
さらに、インドネシアのイスラム教徒は、南国の人々特有の能天気さと、明るさがあり「サマサマ」なんですねーー。
インドネシアでは、祈る女性たちも気軽に写真を撮らせてくれた。

花の天蓋-お釈迦様

2008-04-23 09:59:17 | 山郷の暮し
今オレはこの世で一番贅沢な時をすごしているのだ。と、桜の真下でちびりちびり。
酒の肴などなんでもいい。チクワを指に刺して、チビリチビリ。
大口をあいて、真上の花の傘を仰ぐ。
お釈迦様が悟りを開いたとき、天地が喜びでうちふるえ、沙羅双樹が一斉に開いたと言う。
きっと、こンなんだったンだと思いつつちびりちびり。
アレ! 酒がなくなってしまった。
残念だが、今夜はこのくらいにしておこうと・・。

愛犬サクラがピクッと起き、ピューと跳んでいく。
誰か来た。一升瓶かかえて。



チビリチビリが、グイグイと。
お釈迦さまの悟りは、オシャカになってしまった。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本