棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

ニッポンジン ドコヘイキマスカ

2008-04-08 18:39:42 | 海外紀行文
インドネシアの熱帯雨林に暮すダヤック族の人々の話
インド洋沖の小島ニアスの人々、そして、コーヒーで有名なトラジャ族のことをお話しました。
多民族国家インドネシアの人々は、最低二つの言語、共通語と部族語を話す。
大衆バスなどできずいたのは、まず種族名を名乗ることから始まる。
移住政策もあるのですが、遠く離れた島々の情報も互いによく知っている。

東南アジアは、民族の移動の歴史で、長い間に養われたダイナミックな感性は、外国または外人という日本的な感覚はきわめて希薄だ。
今の日本は、外国人・海外旅行など珍しくもなくなりましたが、社会構造は閉鎖的だといわれています。
日本に働きに来ている方々が、日本嫌いになってしまうことが、最もマイナスになってしまいます。

農村部に行くと、三野傘にコシマキ(サロン)姿のおばちゃんが『ナニジンだ?」と気楽に声をかける。
「日本人ダ!」の返事に「バグース ジョートーネー」と笑いこげる。
「ニッポンジン ドコヘイキマスカ」
突然の日本語にびっくりするが、60さい以上の人からは『ニホン ヘイタイ コワカッタ ビンタね」
侵略日本の傷跡が決して消えていないことを知らされる。

日本人に大人気のバリ島でのこと
「オランダによる300年近い統治で、彼らは持っていけるものはすべて持っていった。
3年間いた日本軍は怖く、民族の誇りをふみにじった。
しかし、いろいろなことを教えてくれた」
もと、教員の話はいまも忘れられない。

入学式の思い出--炭鉱節

2008-04-08 10:22:36 | エッセイ・随筆
http://ryuomaru3.web.fc2.com/akakb-1.html今日はお釈迦様の誕生会。となると、10年前に亡くなった母の誕生日です。
そして、ピカピカの一年生を見るたびに思い出すのが、「あんなに恥ずかしかったのは、後にも先にもなかった」と、老いた母からの言葉だ。

1945年、私たち一家は信州に疎開し、10数年間暮した。
末っ子の私は田舎の小学校に入学。
式の後、教室で最初の授業(と言えるか)に、男先生がオルガンでなにか弾いてくれた。
知らない。ハナッタレ小僧たちはポカンとするばかりであった。

「せんせい、そんな歌知りません」と私が声高々に歌いだしたのが
月がでたでた 月が出た  ヨイヨイ
当時 炭鉱節 という新民謡が大流行していたのだ。

カーチャン連から、東京から来た家族だと特別視されていた中、母はあわてたことだろう。
帰宅後ナニカ言われた記憶はありませんが、母もその日のことは忘れられず、思いを聞いたのは、老いた母からだった。

今日は雨模様で、残念ながら、お釈迦様誕生を祝う「花祭り」の光ではありません。

http://ryuomaru3.web.fc2.com/akakb-1.html

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本