棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

ミナンカバブ族の神話

2008-04-21 18:34:22 | 海外紀行文
「お家はしっかり守るから、ムコ殿たちはしっかり出稼ぎをして来なさい」
男たちは故郷に錦を飾らんと、インドネシアの政財界での成功者も多く、他民族のなかでも特別らしい。
マラッカ海峡を舞台とする歴史の中で、スマトラ島の内陸部にありながら、重要な役割を果たしてきたようだ。
その最大の理由は米作をはじめとする、安定した食料供給地であった。

 タンボ(伝承)によると、アレキサンダー大王の血をひくと「マラヤ編年記」にあり、そのひとこまを。
アンデラスという土地のパレンバンの都の物語である。
ここにエンポクとマリニという二人の婆さんがいた。二人は丘に田圃をもっていた。
稲が実ったある晩、丘の頂が輝くのを二人は見た。
「びっくらこいた。まるで龍の頭の宝石みたいな輝きだ。おっかねーこった」と、寝てしまった。
翌日、丘に登ってみると、稲は黄金の穂をたれ、茎は銀に変わっている。花嫁の冠が金銀の稲の穂のデザイン
そのうえ、三人の美しい青年が白象にまたがっている。
「まーーあなた方は、どなたさんで・・」
「吾らは、アレキサンダー大王の血をひくものである」

うわさはアッって間に広がり、都から王様が三人を迎えに来た。
ミナンカバブの人々は長男を王として迎え、タンジュラ・プラの住民は次男を、末っ子はパレンバンに留まりそれぞれ王となった。

二人の婆さんはてーーと、飼っていた白い牛から、バスという立派な男がうまれ出た。
この若者こそ、黄金の国の偉大な大王スリ・トリ・ブアナである・・・。

マラッカ物語 鶴見良行著 時事通信社 要約ですが、ミナンカバブ族が、水牛を神聖視すること、前記したトラジャぞくの人たちが、白い水牛をことさら神聖視することと共通します。
鼻が高く、しきしまった顔つきも似ています。
東南アジアノの島興は広大な海域でありながら、一本の筋を引き抜くと、ズルズルと各民族のエキスが、からみついてくる面白さがあります。
首都ジヤカルタの大学から帰郷していた学生。今は立派な奥様になっているのかなー。

桜の下・昨夜は満月でした

2008-04-21 18:10:21 | 創作活動
満月の光に、怪しげに浮かび上がる桜。
昨夜は満月でしたねー。風が冷たかったのですが、桜の下独酌・酩酊。

桜の花は、枝を包み込むように団子状に咲きますので、どの角度から見ても、花と目が会います。
一つ一つの花が語りかけているようで、思わず「こんにちは・・よく咲いてくれたねー」と、桜の精に出会った気分にさせてくれます。

ただ今製作に入っています「桜の絵」ですが、遅々としてすすみません。
イメージは固まりつつあるのですが、以前の作画法、いわば18番の描き方でなく、私にっての新画法で描き出したく、模索しながらの作業です。
どうして手馴れた画法で描かないかといいますと、私は18番になることへの否定があるのです。
桜に対する心象の変化とともに、ソレにあった画法を会得しなくてはなりません。
なによりも、18番と言うものに食い足りなくなってしまうのです。

寝ても覚めても、作品世界のなかに浸りきる。
今、こうして文を書いているのも、その過程であるのです。
といっても、私は一心不乱に画面に対峙するというより、むしろ逆で、突然製作と無関係なことを始めたりする。
しかし、全ての動きが、描こうとする世界の道のりなのです。
心地よい興奮状態を味わう自分が在るのです。

醒めた時、今のオレはこの作品を描くために今日まであったのだ、と思えるものになるように。
これが、なかなかそうではないので、また、描き出すのです。
写真-松本の宝/百彩展ヨリ--Photo by SHIKI .Iwabuchi

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本