団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

映画の会の世話人が心臓の病気に

2013-09-23 09:51:34 | 健康・病気

映画の会の世話人のMさん(74)が元気がありません。先日の会ではアクション映画「ホワイトハウス・ダウン」を見たのですが、映画館で何回か、足元がふらつき、転びそうになりました。会食のとき、参加した女性が「体調が悪いのですか」と尋ねました。その回答に、私は衝撃を受けました。

「心拍数が(1分間に)30程度しかないのです。医者には心臓の洞がおかしいいので、ペースメーカーを入れるように勧められているのですが‥」。心臓は興奮伝導系というシステムで電気信号が流れ、きちんと動くように制御されています。最初の信号を出すところが洞房結節(洞)というところで、房室結節→ヒス束→プルキンエ繊維→右脚・左脚に流れ、右心房・左心房、右心室・左心室が動いて、肺や全身に血液を送る仕組みになっています。

洞房結節に異常が起こるのが洞不全症候群です。発症の原因が不明なことがほとんどで、Mさんも原因はわからないそうです。通常60~70ある心拍数が少なくなる除脈を引き起こし、運動しても心拍数が上がらないため、脳に血液が回らず、失神発作が起こります。

心拍数は40以下だと治療の必要があるとされ、根本的にはペースメーカーを植え込む手術をしなければなりません。「手術は痛いといいますし、ペースメーカーを入れても電池の寿命が6~8年なので、また手術しなければなりません」と、Mさんはペースメーカーには消極的なようです。生活上の注意をしながら、ゆっくり生きようと考えているようです。このため、映画の会は当分、休むことになりました。

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その後の人生行路の行き先 私の場合は

2013-09-22 11:03:46 | 健康・病気

定年後の人生の行き先を決める場合、永六輔さんは、これまでの人生を振り返って夢中になってやったことを思い返し、それをやろうとしたら良い、とアドバイスをしていました。とくに、若い時、少年・少女期に夢中になって打ち込んだけれど、大人になってできなかったことに取り組んだらいかがですか、と話していました。それを趣味にしてもよいし、ボランティアで行うのもよいし、仕事にしてもよい、とも述べていました。

新聞記者の仕事は大変面白かったし、やりがいもありました。ただ、会社に残るとすれば、私のケースでは、地方記者でそれも4年間が限度です。4年間はあっという間に過ぎますし(もう6年が経過しました)、いずれ、次のステップを決定しなければ、定年後の10万時間を「今日は何をしようか」と毎日、悩まなければなりません。

それに「時間は一人ではつぶれない」「時間はひとりでにつぶれない」ことも十分理解していました。新聞記者時代、日曜祝日の出番があり、休みが変則的だったこともあり、山歩きや小旅行、ジョギング、サイクリングと一人でする遊びに慣れていましたので、「一人で時間をつぶす」ことはできる自信がありました。でも「一人遊びで10万時間をつぶす」のは難しいだろうと思いました。

自分が興味のある分野で、一人でできて、お金をそんなにかけずに起業できる仕事はないかな、と思っていたとき、ノンフィクション作家の加藤仁さんが書いた「おお、定年 150人の選択」を読みました。そこに、定年後、整骨院を開業した会社員の話が載っていました。健康問題には関心がありましたし、体を使う仕事なので運動にもなるし、自分の健康維持にも役立つな、と感じました。

「最良の晩年とは、死ぬまで仕事をし、しかもその仕事が年々向上してゆく場合らしい」とのことばを川崎長太郎著の「七十四の春」で見つけました。柔道整復師の技も経験を重ねるうちに向上していくことでしょう。整骨院を始めることにしよう、と考え、柔道整復師の専門学校を受験し、合格しました。3年間の学校生活を送り、卒業した年、国家試験も合格しました。

開院してもうすぐ3年。売り込み下手で商売熱心とはいえず、患者さんには「先生は道楽仕事」と言われながら、患者さんとの対話を楽しみながら、施療をしています。確かに、施術の技は年々向上してゆくのは実感しています。

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人生行路の行き先はふとした縁で決まるのかも 続

2013-09-20 09:58:12 | アート・文化

大阪版川柳欄の人気ぶりに気を良くしたこともあるのでしょうが、先輩記者は広島支局のデスクに赴任して広島版でも川柳欄をつくりました。広島県ばかりか周辺の他県の川柳愛好家が盛んに投句をし、川柳欄は人気紙面となりました。広島支局はHさんの初任地でもあります。

Hさんは理科系の人で大学の専攻は林業でした。昭和54年の正月紙面特集に野崎観音を拠点とする冠句の会を取り上げてから、句づくりの愉しみを覚えたようです。冠句から川柳に広がり、冠句川柳歴は30年以上になりました。

紙面では「虫食い川柳」欄をつくり、川柳の愛好家を広げる一方、「虫食い」に入れたことばによって句ががらっと変わってしまう、ことばの魅力を示しました。私たちの宗匠として冠句の会を主宰し、カルチャーセンターで川柳の愉しさを伝えました。

先輩記者が創設した広島版の川柳欄は、連綿として続きました。7月に亡くなるまで川柳欄の選者をしていたのがHさんでした。病魔と闘いながら、選者の仕事は最後まで務めました。ここでも、先輩記者が結果として選者への「橋渡し」をしたことになります。

亡くなる二日前、高校時代の友人が自宅に見舞いに行きましたが、これが友人、知人らと会う最後となりました。Hさんは広島から届いたばかりという川柳の投句の束を友人に示しながら、「これから選をする」と話したといいます。友人は「あんなに元気で意欲的だったのに、二日後に亡くなるなんて」と絶句していました。

微笑んで 投句の束を 友に見せ

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人生行路の行き先はふとした縁で決まるのかも

2013-09-19 10:06:39 | アート・文化

「虫食い川柳」を創案し、冠句の宗匠だったHさんが肝臓がんで亡くなってから2か月が過ぎました。66歳という若さでした。葬儀・告別式に参列した社会部時代の先輩の男性記者と話す機会がありました。Hさんが冠句に傾倒する「橋渡し」をしたのが先輩であることを知り、人生行路の行先はこうした縁から決まってくるのか、と感慨深く受け止めました。

冠句は、例えば「おもてなし」ということばに続いて七、五を加えて、俳句と同じ五、七、五の句をつくるものです。五音のことばを冠としていただき、それに七、五をつけるので冠句と命名されました。江戸時代、野崎観音(大阪府大東市)の檀家さんらが始めたといわれます。野崎観音はお染久松の恋物語でも有名な寺で、境内にはお染久松の供養塚が建てられています。

Hさんは野崎観音を取材エリアにする支局長に赴任し、冠句の催しを地方版に出稿しました。これを読んだのが、大阪版課長をしていた先輩記者でした。先輩記者は短歌、俳句欄が本紙にありますが、大阪で誕生した川柳欄がないのはおかしいと考え、大阪版に川柳欄をつくりました。川柳愛好家がこぞって投句し、秀句が次々と紙面に載りました。京都、神戸の愛好家も住所地を大阪府として盛んに投句したといいます。

冠句は川柳と同じように庶民に愛された文芸です。そこで、昭和54年1月1日付の正月紙面特集として1ページを書くようHさんに依頼しました。Hさんは野崎観音の住職、冠句の主宰、参加する人たちを精力的に取材し、江戸時代から続く庶民文芸が現代に息づいている姿を書き上げました。冠句を継承する人たちと深いつながりができました。

その後、野崎観音で開かれる冠句の会にHさんの姿が見えるようになったといいます。それと並行して川柳欄にHさんの投句が良く載るようになりました。私たちの宗匠が誕生したきっかけです。先輩記者はもう一つの「橋渡し」をしていましたが、それは次回に。

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薬が減ったら、父のお漏らしがなくなりました

2013-09-17 10:03:30 | 健康・病気

92歳の父は朝11錠、昼3錠、夜8錠の薬を飲んでいました。降圧剤、下痢止め、不整脈防止、胃液を抑える薬などいろいろです。「胃が重い」「便秘気味です」「血圧が上がった」「コレストロールの値が高い」などと症状を訴えたり、検査結果を見たりして、主治医の先生が次々と処方した結果、「薬を食べる」ようになったのです。

父は1日に合わせて22錠ですが、高齢な患者さんでは当たり前の量で、私の患者さんにも1日20錠以上服用しておられる方が何人もおられます。その頃、父はトイレで間に合わず、大便をまき散らすことがよくありました。父の特性なのか、パンツまですべて脱いでから洋式トイレで用を足しますから、下痢便のときは間に合わず、お漏らしをしてしまいます。同居する妹が「ズボンと、パンツを下げてからトイレに座ったら、ずっと早く用が足せる」と言いますが、長年の習慣なのか、父はいっこうに変えようとはしません。

今年2月、脈拍が1分間に30以下に下がり、呼吸数も10回程度となり、意識が混濁したため、救急車で運ばれ、循環器病の専門病院に緊急入院しました。そこで、服用する薬をチェックしてもらったところ、不整脈を防ぐ薬が3種類も処方され、「過剰服用」が脈拍と呼吸数の低下を引き起こしていたことがわかりました。専門病院から主治医に「薬の見直し」を依頼する文書を、妹が主治医の先生に手渡した結果、薬は朝6錠、昼2錠、夜3錠に減りました。

薬を減らした効果はてきめんでした。脈拍数は60台に戻り、呼吸数も平常通りに回復しました。そして、予想外のことでしたが、下痢したり、便秘したりで頻発していたトイレのトラブルがなくなりました。ちゃんとした便がきちんと出るようになったのです。お漏らしの回数も激減しました。

「薬の副作用がこんなに大きいとは思わなかった」と妹は言います。でも、父は緊急入院して服用する薬のチェックを循環器病の専門医がしてくれたから「過剰投与」が判明したのです。薬局の「お薬手帳」は、複数の病医院が出す薬の点検はしてくれますが、一つの病医院が差し出す薬のチェックはしてくれません。医師の処方に抗うような薬局はないからです。

「医者からもらった薬がわかる本」(医薬制度研究会編)を読んで調べる方法もありますが、薬名がわかれば、ネットで検索できます。高齢者が自分で調べるのは困難でしょうから、家族が検索して「過剰投与」を防ぐ必要があります。

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