1964年の東京五輪では、テレビ観戦で楽しみましたが、唯一スタンドで観戦したのはサッカーの決勝でした。
マイナー競技が不入りだったためか、サッカー決勝のハンガリー対チェコスロバキアのチケットが、学校か、サッカー部を通してか、忘れましたが、回ってきました。高校時代の友人もマイナー競技のチケットをもらったが、行かなかったと記憶していましたから、だぶん無料だったのでしょう。サッカーは国立競技場で観戦しましたが、ネットで確認したら、観衆7万5000人とありますから、主催者は決勝を超満員にしようとチケットをばらまいたようです。
東京五輪で12得点を挙げ、得点王に輝いたハンガリーのフォワード、ベネ・フェレニク選手は決勝でも1点を決め、その決定力を目の当たりに見ることができました。ベネ選手をはじめ、両チームの選手たちの体力、技術レベルの高さに、高校の弱小チームの弱小部員であった私は本当にびっくりしました。
そんなことを考えていたら、別の高校で同学年だった友人から、東京五輪の思い出がメールされてきました。
昭和39年10月10日の2週間前だったか、1週間前だったか、都立高校のいくつかの2年生が国立競技場に集められ、開会式リハーサルの、そのまたリハーサルみたいなことをやらされました。後から思えば時間計測のモルモットにされたようです。体育の授業に1時限か、2時限分の出席あつかいになりました。ぼくはモロッコ選手団の一員役。うつろな記憶ですが選手は5,6人しかいなかった。
それぞれの人に、いろいろな記憶が刻み込まれているようです。テレビ観戦では、開会式の各国の整然とした行進より、閉会式の各国の選手が入り交じっての歩みが、私は一番印象に残っています。