団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

その後の人生行路の行き先 私の場合は

2013-09-22 11:03:46 | 健康・病気

定年後の人生の行き先を決める場合、永六輔さんは、これまでの人生を振り返って夢中になってやったことを思い返し、それをやろうとしたら良い、とアドバイスをしていました。とくに、若い時、少年・少女期に夢中になって打ち込んだけれど、大人になってできなかったことに取り組んだらいかがですか、と話していました。それを趣味にしてもよいし、ボランティアで行うのもよいし、仕事にしてもよい、とも述べていました。

新聞記者の仕事は大変面白かったし、やりがいもありました。ただ、会社に残るとすれば、私のケースでは、地方記者でそれも4年間が限度です。4年間はあっという間に過ぎますし(もう6年が経過しました)、いずれ、次のステップを決定しなければ、定年後の10万時間を「今日は何をしようか」と毎日、悩まなければなりません。

それに「時間は一人ではつぶれない」「時間はひとりでにつぶれない」ことも十分理解していました。新聞記者時代、日曜祝日の出番があり、休みが変則的だったこともあり、山歩きや小旅行、ジョギング、サイクリングと一人でする遊びに慣れていましたので、「一人で時間をつぶす」ことはできる自信がありました。でも「一人遊びで10万時間をつぶす」のは難しいだろうと思いました。

自分が興味のある分野で、一人でできて、お金をそんなにかけずに起業できる仕事はないかな、と思っていたとき、ノンフィクション作家の加藤仁さんが書いた「おお、定年 150人の選択」を読みました。そこに、定年後、整骨院を開業した会社員の話が載っていました。健康問題には関心がありましたし、体を使う仕事なので運動にもなるし、自分の健康維持にも役立つな、と感じました。

「最良の晩年とは、死ぬまで仕事をし、しかもその仕事が年々向上してゆく場合らしい」とのことばを川崎長太郎著の「七十四の春」で見つけました。柔道整復師の技も経験を重ねるうちに向上していくことでしょう。整骨院を始めることにしよう、と考え、柔道整復師の専門学校を受験し、合格しました。3年間の学校生活を送り、卒業した年、国家試験も合格しました。

開院してもうすぐ3年。売り込み下手で商売熱心とはいえず、患者さんには「先生は道楽仕事」と言われながら、患者さんとの対話を楽しみながら、施療をしています。確かに、施術の技は年々向上してゆくのは実感しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする