団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

「最高学府まで出て、あんまになることはないのに」

2019-05-17 09:37:07 | 健康・病気

定年後、柔道整復師の専門学校に行くと告げた時、母は「最高学府まで出て、あんまになることはないのに」と言いました。両親はともに尋常高等小学校の卒業ですから、自分たちが進学できなかった大学まで出した息子が「あんまのような仕事をすることはないのに」と考えたのでしょう。

確かに、柔道整復師の世間の見方は「保険が使えるあんま」というのが多いようです。患者さんの中にはのっけから「何分、もんでくれる」と聞く人もおります。

それでも、私は定年後の生き方として柔道整復師を選びました。健康問題には昔から関心があり、この問題に関する知識は自然と頭に入ってきたからです。手先も器用でしたから、手技もなんとか修得できると思いました。

さらに、還暦を過ぎ、加齢に伴う体の衰えが目立ってくることは知識としては知っていました。でも、私にとっては初体験ですから、どのように衰えるかは身をもって知るしかありません。それに、一人院長ですから、体力や経営面で継続することができないとわかれば、自分の判断でやめることができます。

そのうえで、体の衰えた分を技術で補えれば、仕事を続けていくことができるのでは、とも考えました。作家の川崎長太郎が「もぐら随筆」の中で「最良の晩年とは、死ぬまで仕事をし、しかもその仕事が年々向上してゆく場合らしい」を書いているのを読んだとき、わが意を得たり、と感じました。

 

 

 

 

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