団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

ライバル紙に抜かれた特ダネを、先輩が知っていたとは!

2014-07-15 09:36:43 | 健康・病気

事件記者にとって午前3時ごろの電話ほど心臓に悪いものはありません。ライバル他紙に特ダネを抜かれ、すぐに追いかけるよう、叱声とともに指示する連絡だからです。各紙は最終の紙面を交換しています。それが届くのが午前3時前後なのです。泊まり班はそれを見て後追い取材が必要な記事があれば、担当記者に電話をします。

「交換紙でたたき起こされる」電話は何回か、ありますが、私にとって最も衝撃的な「抜かれ記事」は、1978年7月11日夜、山口組の田岡一雄組長(当時66)が京都・京阪三条駅前のクラブ「ベラミ」で銃撃された容疑者として、鳴海清・大日本正義団幹部(当時26)が指名手配されたという一面トップの特ダネ記事がM紙、S紙に載ったことでした。

事件の現場は京都府警、山口組の動向は兵庫県警が受け持っていますが、暴力団捜査を専従で取材しているのは大阪府警捜査四課担当のタケちゃんでした。追いかけ記事は私が中心になって書かなければなりません。捜査四課の幹部に次々と電話をして、裏付けを取った後、府警ボックスに駆けつけました。京都支局、神戸支局のデータを受け取って、追いかけ原稿を書きました。新聞記者数え唄にある「七つとせー、泣き泣き書くのを抜かれ原稿と申します。涙流れます」という心境でした。

朝夕刊に「首領(ドン)襲撃」という連載を元四課担当の先輩記者と一緒に書きながら、事件のスジを追う夜回りを続け、午前6時帰宅、午前8時出勤という勤務を続けていたとはいえ、抜かれた言い訳はできません。ベラミに行きたいと申し出たものの、キャップから「連載が先」と言われて、現場の周辺取材ができなかった悔いも残りました。

それが、先輩のK編集委員が容疑者が割り出されていたことをすでに知っていたというのです。大阪大医学部の不正入試問題をネットで検索したら、元社会部長のYさんとKさんが大事件、大事故などの背景を書いた「Becom-うぇーぶ!! トピックス」が見つかりました。Kさんの「されど、わが刑事たちよー元警視監『慨嘆の書』」を読んで、目が点になりました。そこにはーー。

私は狙撃の翌日、現場から容疑者の指紋が見つかったと聞きこんだ。次の日、容疑者が浮かび上がった。逮捕状が出た鳴海清26歳は大阪戦争で吉田正弘会長が射殺され、壊滅状態だった大日本正義団の幹部だ。(略)

これは特ダネだ。しかし、私は書かなかった。私が書いて、山口組に(警察より)先を越されたら、という危惧が脳裏をかすめたからだ。

だが、特ダネ合戦に情、容赦は通じない。「鳴海を指名手配」と一紙(最終版ではM、Sの二紙)が報じた。私はほぞをかんだ。

と書いているではありませんか。

狙撃の翌々日、7月13日には容疑者名をつかんでいたのですか。M、S紙が「鳴海手配」を一面トップで報道したのは、その数日後です。いくらなんでも、それはないですよ、Kさん。

コメント
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