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団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

栄養映画の楽しみ 続々

2011-09-25 10:25:10 | 映画

「ええぞ! 栄養映画の会」の呼びかけ人、Mさんは市川雷蔵さん主演の「忍びの者」に出演したとき、監督から大目玉を食らったといいます。忍者ですから、覆面姿です。覆面をかぶって全力で走るシーンを撮影するとき、息がしやすいように、覆面を口の下にまで下ろしました。全力で疾走するのですから、覆面を口から外した方が合理的で、忍びの者はこの覆面姿で走ったと考えたからです。それに、雷蔵さんも覆面は口の下まで下ろしています。「顔を見せる奴があるか」と怒鳴りまくる監督さんに「雷蔵さんも覆面を下ろしていますよ」と口をとがらせると、監督さんは「主役はいいんだ。観客は雷蔵の顔を見に来るんだから」と言われました。

主役は夢を売る仕事だから、お金には頓着しません。勝新太郎さんは大部屋俳優や裏方さんを連れて飲みに行くのが好きでした。勝さんが飲みに行ったと聞くと、次々と俳優や裏方さんが押し掛け、最初4、5人だったのが、あっという間に50~60人になったそうです。最上級のブランデーやウイスキーをドンドンあけ、一晩で数十万円を使うキャバレーやクラブの最上客です。支払いはすべて勝さんのつけ。昭和30年代の数十万円です。会社員の月給が「1万3800円」と歌謡曲で歌われた時代です。現在ならば、一千万円以上に上るでしょう。妻の中村玉緒さんが次々と届く請求書を、黙って支払っていたそうです。勝さんが競馬で1400万円も勝ったが、一週間で使ってしまったという週刊誌の記事を、昔読んだことを思い出しました。

主役級のお金は千円単位だったそうです。女優さんが「煙草を買ってきて」と千円札を出すと、80円のハイライト1箱を渡して、おつりはお使い賃。「おつりは、というスターさん、準スターさんはおりません。夢を売る商売の人がお金をけちってはいけません」とMさん。大衆の夢を裏切らないため、容色の衰えを感じたら、銀幕からさっさと降りる女優さんも少なくありませんでした。「女もつらいよ」ですね。

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栄養映画の楽しみ 続

2011-09-24 09:55:28 | 映画

「ええぞ! 栄養映画の会」は「映像! 栄耀栄華」をしゃれでごろ合わせをし、映画で心の栄養をつけてもらいたいという気持ちを込めて名付けたそうです。NALKの機関紙に映画の解説を綴る「ええぞ! 栄養映画の会」は7月で終了しましたが、映画を見る会は9月も続いています。ここでは、栄養映画の会で統一することにします。9月は、ジョン・キューザック、コン・リー、渡辺謙が出演した「シャンハイ」でした。太平洋戦争開戦直前の上海で、米国の情報部員、中国の抗日活動家、日本海軍の諜報機関の責任者らの暗闘を描いた映画です。渡辺謙扮する大佐が銃で撃たれて倒れたあと、米国の男性情報部員、抗日活動家の女性は、開戦の1941年12月8日、日本軍が占拠した上海から脱出するため、港に向かうと、検問する日本軍の幹部に、左腕を吊り、傷の手当てを受けた渡辺謙の姿があり、愛し合う二人の脱出を黙認するシーンがありました。「映画の肝」といえる名場面ですが、撃たれて数時間で病院に運ばれて手当てを受け、着替えをして港に駆けつけるのは到底無理なことです。「いくらなんでもリアリティー(真実性)がない」と私が疑問を呈すると、呼びかけ人のMさんは「映画ではよくあること。ショットがよければ、いいんです」と答えました。

「主役の月代、ちょんまげ姿の若侍がその後、突然月代を伸ばして浪人の髷になり、悪い奴らをばったばったと切りまくる時代劇はよくありました」とMさん。Mさんが出演した時代劇でも、大目付役のMさんの裃姿より、主役の徒目付け役の若侍の着物が一目で上等とわかる絹織物なのは「いくらなんでもおかしいのではありませんか」と監督に言ったら、「お客さんは主役を見に来るのだから、これでいいんだ」とこともなげに言われたそうです。

23日夜のテレビで、加山雄三さんが「若大将シリーズ」の映画で星由里子さん扮する恋人に「君のために初めてつくった歌を聞いてほしい」と言って「君といつまでも」を、星さんと一緒に歌うシーンが放送されました。。加山さんは「初めて歌う歌を二人で歌うのは絶対おかしい」と主張しましたが、「時間がたったので星さんと二人で歌ってもおかしくない」と押し切られたそうです。映画では、加山さんは眉間にしわを寄せ、仏頂面でギターを弾きながら「君といつまでも」を星さんと歌っていましたが、これも映像を優先したためでしょう。

「東京物語」で知られる小津安二郎監督もショットにこだわり、前の場面できちんとかけられていた掛け時計が、次の場面では斜めにかけられていたので、助監督の木下惠介さんが指摘したところ、小津監督に「このアングルからは斜めが良いのだ」と言われて、「このやり方にはついていけない」といった内容のことを書いた木下さんの文章を読んだことがあります。当時の映画界では、ワンショット、ワンショットの映像美を追求し、その伝統は「シャンハイ」でも生きているようですが、私はリアリティーに乏しい映画は、やはり好きになれません。

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栄養映画の楽しみ

2011-09-23 10:18:22 | 映画

タケちゃんは、ボランティア活動をするNPO法人、NALK(ナルク、ニッポン・アクティブ・ライフ)の会員ですが、ここで、月1回の「ええぞ! 栄養映画の会」にできる限り参加しています。第三水曜日に開催と、休診日にあたるので出席しやすいのです。映画大好きの私は映画そのものを見るのも喜びですが、最も楽しみにしているのは、映画が終わった後、昼食を取りながら、あるいはお茶を飲みながら、呼びかけ人のMさんの話を聞くことです。時間の都合がつく男女数人が、四方山話に花を咲かせるのですが、Mさんは大映のニューフェースとして市川雷蔵さんや勝新太郎さんらと共演しており、映画全盛期のスター、監督、脇役の俳優、大道具、小道具、衣装の担当者ら映画人の言動や生の姿を聴くのは心躍る喜びです。

70代の男性のMさんは背も高く、元映画人にふさわしく今でもダンディーです。当時の大映京都撮影所は、東映太秦映画村の近くにあり、スターや俳優の控え室がある映画会館は4階建てだったそうです。2階がスター、準スターらの控え室で、向かって左側の端の広い部屋が市川雷蔵さん、右側の端の広い部屋が勝新太郎さんの控え室だったといいます。ニューフェースとしてあいさつに行くとき、右を先に行くか、左を先に行くか、で運命が分かれるそうです。左に行けば「市川組」、右に行けば「勝組」に組み入れられ、両スターの人気の消長により、自分の出番はもちろん、出演料なども大きく変わってしまいます。市川組は、勝組の映画にはまず出られません。

Mさんが、東映のピラニア軍団の川谷拓三さんに聞いたところ、東映でもまったく同じで、東映会館の2階の左端が、居住地の地名から「山の御大」と呼ばれた片岡千恵蔵さん、右端が「北大路の御大」といわれた市川右太衛門さんでした。ちなみに、右太衛門の次男が北大路欣也さんで、北大路の名前はここから取られたといいます。「山の御大」に先にあいさつするか、「北大路の御大」の控え室に先に行くか、でその後の俳優としての未来が決まるというのは、実に興味深い話です。雷蔵さん、勝さん、川谷さん、千恵蔵さん、右太衛門さんの全員が故人となり、とりわけ無頼が許された映画界で、人々が生き生きとしていた時代(私はそう思っています)の出来事を伺うのは心弾むことです。

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