オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

てんこ盛り

2014-11-28 | Weblog

11/28(金) 今朝も六時から弁当作りが始まった。今週は牛・豚・鶏ときたので、今日は魚系をメインにしたい処だがめぼしい食材が無い。昨夕に買った牛小間を使うことにした。

牛小間をどう使うか?当初は牛煮にして、牛丼にしてもいいかと思ったが、丼風が三日もつづくことになると、悩み果て無し。どうするかは後回しにし、次の菜に入った。これは、大根煮をメインで豚小間を少々と蒟蒻・油揚げで煮ることにした。大根煮の旨いのを作りたかった。

                      

野菜系は、人参・ジャガイモ・ブロッコリとパスタを茹で、ゆで卵をまぶしたサラダ風にした。ペンネを使いたかっただが、小僧が喰っちまっていた。そして、鯖文化干しを焼き、卵焼きを作る。

                  

さて肝心の牛小間をどうするか?だが、豚小間が入った大根煮があるので、プルコギ風に焼肉のタレを使ってタマネギ・ネギと一緒に炒めることにした。

                      

愈々弁当箱に詰める段階になった・・・、これが上手くいかん。どう詰めても、押し込んでも如何ともし難かった。長女の弁当は焼肉丼風にして、なんとか五種の菜を詰め込むことに成功した。

                  

弁当箱を大きくすればいいのだが、それじゃあカロリーオーバーになっちまう。だからと、菜を少なくすればこれも面白くない。OYAJIは毎朝、ハムレットの心境なのだ・・・わかるかな、わかんねぇだろうな?(このセリフって、松鶴家チトセだったか?)                   

 

古い漫才師の名が出たが、昨晩は化石のような古い与太話で一時、盛り上がっていた。昨日は、三時半に会社を出て、森下町にある某社の新しい研究施設の見学会兼OB会に参加した。某社と云うのは、私のサラリーマン生活最後の会社である。

森下町のこの建物は、以前は研修施設であった。それが建て替わって、建物・設備の研究施設になった次第。研修所時代、私は研修所長も兼務していたので、週に一度は新大橋を渡って訪れていた。そんなことから、懐かしくもあり案内を貰った時は感慨深かった。あの当時のメンバーで、未だ交流があるのは、一番若かったSHIONO君だけだ。

内見会の後は、立食での懇談会(OB会)で四十人弱の出席であったが、建物の直ぐ後ろを流れる隅田川の夜景が、ライトアップした新大橋や対岸の箱崎辺りのビルの灯りが川面に映り綺麗だった。

                        

                 テラスから新大橋を望む       反対側から、橋の上に三日月            

散会後、川沿いを歩き、新大橋を渡って堀留町の事務所に戻った。途中、甘酒横丁で鯛焼き「柳家」の行列が少なかったので、スタッフのお土産に求め、閉店間際だった人形町通り沿いの肉の「日山」で、弁当用に牛小間を贖った。

 

帰社後、一服を点けながらYOSHIOと一杯やる話をしていると、FUJIKURAが鯛焼きを片手にタバコ吸場にやって来た。三人で「SEUJU」の婆さん(婆さんは酷いので、これからはママさんと呼ぼう)の店で集合となった。

一足先に会社を出、「ちょっぷく」でワインとハイボールを飲みながら、ママさんが来る8時過ぎの時間を待った。二杯を空けた頃に、ママさんが通りを店に向かう姿があった。SEIJUの前で来合わせたY&Fとバッタリ。絶妙のタイミングであった。

私が「思い出まくら」(これを唄うために来たのだ)を唄い終えると、一人客が来た。座るなりカラオケを検索し始めた。後の歌は、この客に任せて我等三人は与太話を始めた。客が一曲終わるたびに、一つの与太話をはさんで大笑いし、隣の客に早く唄うように急かした。一曲、一話、中々のタイミングだ。

頃合いよく、お姐さん二人組が入ってきた。この店では珍しい客層である。前にあるフレンチの店からの紹介だとか、唄いにきたようだ。『早く唄ってよ、上手かったら残るけど、下手なら帰るから』と、プレッシャーを掛けたが…、敵も相当に酔いが廻っているので元気なものだった。

一曲だけ聴いて、それじゃと早々に引き揚げた。なんとも、嫌みなオヤジじゃないか・・・・。

 

明日は、佐賀に行く。地球市民の会・故古賀武夫さんの物語、出版企画がようやく動く。明日の夜にその実行委員会が開かれる。発刊までを見届けなくてはならない。

 

 

 

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鶏肉のトマト煮

2014-11-27 | Weblog

11/27(木) 昨日までの冷たい雨があがり、絶好の小春日和となった。もっともそれに気づいたのは、弁当仕度も終え、風呂で身を浄めた後の出社時であったが。気持ちのいい朝を迎え、思わず鼻歌がでるよう足取りの出勤だった。

昨日の抜歯や歯の掃除の後の不快感も粗方消えた。昨夜は、20時30分過ぎの退社だったが、口腔消毒とばかりに「ローカーボ」から「ちょっぷく」と一人で渡り、安酒の赤ワインで口をゆすいだ。その成果であったか?

今朝の起床は六時、見たはずの夢は目覚めとともに霧消していた。

今日は「鶏肉」の出番である。大根と煮つけるか、イタリアン風のトマト煮にするか暫く悩んだ末、僅かな脳味噌の思考はトマト煮に傾いた。鶏肉を切り分けながら、浮かんだのが「親子煮=親子丼」だ。昨日、カツ丼が登場したばかりなのだ・・・。トマト煮をメインに、親子煮を少々作ることに至った。

トマト煮にはニンニ一片とオリーブオイル、赤ワインに塩胡椒での味付け。この日のために用意してあったトマトを刻んだ。付け合せの野菜は、ブロッコリとシメジだけである(これしかなかった)。親子煮は、タマネギだけである。こうして、二種の鶏肉料理(と云うほどのものではないが)が完成した。

                       

                            親子煮

南瓜があったので、南瓜サラダにしようと卵や人参と共に茹でた。処がこれが不出来の極み、水ぽっくてベタベタの仕上がりとなった。後の菜は、出来合のシューマイを温めて入れた。

以上が今朝のお仕事であるが、my弁当だけは「親子丼」にした。

お勝手場仕事のおまけで、久しぶりにスムージーを作った。食材は、トマト・キューイ・キャベツであったが、仕上がりの色合いは「イチゴジュース」そのものである。

                    

 

そうこうするうちに、田舎の従姉から今年初獲れの「猪肉」が届いた。これは、今年の忘年会(山賊の酒盛りor乞食の宴会)で猪汁にする予定だ。未だ、宅配便の不在通知があったが、これは妹が私の畑の柚子を絞ったものを送ってきたはずだ。田舎では、米から柚子へと移り稔りの最盛期である。

 

 

 

 

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トンカツ

2014-11-26 | Weblog

11/26(水) 朝方に夢を見ていた、その夢から醒めていたのか夢現であったろうか。夢の中のつづきを一生懸命に考えて、ああだこうだと工夫をしていた。その夢は、忘れたはずの剣道の稽古であった。

少年の私が父に剣道を教わって、稽古をしていた。未だ小学にも上がらない子供であった。不思議な夢と云うか、深層心理の中に埋もれていたものが、ふっと浮かび上がったきたのか。三歳ごろから小学校に上がるまで、関節炎でコルセットやギブスの生活だったので、とてもじゃないが剣道は出来なかったし、運動も止められていたのだ。

それが、こんな夢を見るとは・・・。挫折した道への悔恨からか、今更に、ああすれば、こうすればと修行のステップをなぞっていた。

そんな所為か、時計を見ると7時を過ぎていた。時刻は7時10分、厚いカーテン越しに来る夜明けの訪れは、未だ明け方のように暗いというに・・・。

大急ぎで台所へ向かう。家人は「今日はもう間に合わないよ」と言うが、『そんなことはねえや、鍋でご飯を炊けば二十分だ』と、弁当作りに入った。先ずは、飯を炊く。菜の方は、今日はトンカツを揚げる予定であった。

揚げ物の準備をし、タマネギとアスパラのフライを、そしてjジャガイモの素揚げ。箸休め用の茗荷とスナップエンドウも素揚げして、青シソドレッシングで和えた。最後に、トンカツを揚げてお仕舞だが・・・。時間も差し迫っていると云うに、トンカツを一枚、カツ煮にする手の入れようだった。

         

これだけじゃ淋しいので紅鮭を二切れ焼いて、今朝の弁当事を終えた・・・、やれば出来る!揚げ物から、カツ煮に転じさすとは中々の技じゃあないか?

             

                      

 

朝の一仕事を終え、雨の中を会社に向かう道すがら『今日は特段の予定が入ってないな、思い切って歯科医の予約を取ろう』と、決断をした。半年も前から、右の奥歯がグラついて塩梅が宜しくなかった。延ばし延ばしにしていたが、抜くことにした。幸いにも社の近くに何件か歯科医がある。

会社に入る前に、歯科の扉を押して予約状況を確認した。今日の11時なら予約ができると聞き、申し込んだ。歯医者に行くのは六年ぶりとなるか、抜く歯以外にもガタが来ているのは承知だ。当然、抜歯だけで帰してくりゃあしない。小一時間の予定が、歯石取やらで一時間半も椅子に縛られてしまった。

Drは、歯を弄りながら「タバコを吸いますね、タバコは歯の末梢神経を麻痺させるのでよくないですよ」とか言っている。『その分、毎日アルコールで消毒してますから…』とか、応えたかった。が、こっちやあ口開けているので声も出せない・・・・。何とも締らない姿だ。

未だに口の中に入れ歯でも詰まっている感じで、気色が悪い。暫くは、歯医者の魔手から逃れられそうもない。挙句に銭までふんだくられるとは・・・。

治療が済み、帰りに「高松でお会いしましたら、宜しく」と、Drに言われた。治療に入る前「何処からうちのことを知りましたか?」と訊かれ、『ソバの高松に行かれるでしょう。私もよく行くので、そこで先生達が見えると聞いてましたから』と応えたのだ。

見目麗しき助手が何人かいたが、汚い口を無理やり開かれて弄られたとあっては、例え飲み屋であっても一緒になれば、気恥ずかしいぜ・・・。

 

今夜は酒、控えた方がいいのか?どうなるか、実験をしてみるのもありかな・・・・。

 

 

 

 

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炒飯弁当

2014-11-25 | Weblog

11/25(火) 三連休も明け、台所に立った。天気予報では、雨は今日の昼頃からとのことであったが、雨粒のあたるポトポトと云う音が台所の締め切ったガラス越しに聴こえてきた。『もう雨になりやがったか、着ていくものは何がいいかな?』そんなことも考えながら、弁当を作り始めた。

昨日、午後から渋谷に出た。用件は、デジカメのSDカードの購入、郷里の母にレトルトか冷凍の食品を送ること、そして夕食の食材と弁当食材を購入することであった。

東横線渋谷駅から繫がっているショッピングセンターのヒカリエで母に送り、宮益坂の入り口に在るビックカメラでSDカードを、東急プラザの地下に在る店を覗いて、肉・魚・大根(何でここで重い大根を買ったのか?)、パンを調達した。この時点で、今朝の弁当メニューのメインは定まったのだ。

因みに昨夕の晩飯は、ブラックタイガ―と鯵にタマネギのフライ、安納芋とカボチャの天麩羅、鯖の味噌煮&塩焼き、南瓜煮、根菜の味噌汁である。長女一家が来ても不足が無いようにと、飯と菜は十分によういしたのだ。が、・・・来なかった。

昨晩のご飯が余って残った。これを使わなくてはと、チキンライスか炒飯かと迷った・・・。菜の方は、「焼き肉」と云うよりはプルコギ風か。それに、野菜の残りを「餡かけ風煮」、「大根煮」と、小松菜の胡麻和え・アスパラとスナップエンドウのサラダ、以上であった。野菜の残り意外は、前日に仕入れたものだ。

                        

大根煮は、土曜日の横須賀での飲み会で食べた大根煮が美味かったので、これを真似ようとした次第だが、大根に苦味が残った。改めてチャレンジだな!

焼肉は、タレに漬け込んである安い肉である。タマネギと舞茸にネギを少々加え、プルコギのタレで炒めた。大根煮は、米を一掴み入れて茹でた後に、アゴとジャコの出汁の素(料理家の神さんに頂いた代物)に、白身のさつま揚げと一緒に煮た次第。

                        

迷いに迷ったご飯の方だが、中華系の弁当にしようと「炒飯」に落ち着いた。シンプルに、タマネギ・パプリカ・ハムを炒めて具にしただけある。かくして、三人分の弁当が完成となった。

                        

未だ一人前の炒飯と菜が残ったが、これは小僧が朝飯として喰うだろう。私は、大根を煮る時に入れた米と、残りの大根煮を朝飯にした。

                   

「スムージー 晩秋とともに 遠くなり」か・・・。

 

 

 

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シニアライフ

2014-11-23 | Weblog

11/23(日) 昨日の午後、久々に横須賀は県立大学駅(京急線の旧安浦駅)に降り立った。穏やかな小春日和の中を、一駅先の堀ノ内方向へと国道沿いに歩く。此処に暫く暮らした十数年前とは、この辺りから海岸沿いはマンション等が建ちすっかり変貌した。かつての田舎臭い町から都会風になったのか?

三春町の単身赴任用社宅があった場所は、コンビニとラーメン店「幸楽」になっている。単身赴任の頃、隣にあった店「埼玉家」で食事や酒を飲んだ。この店で、当時のメンバー数名で「埼玉家会」なる飲み会を年に一度やっている。店の方は三代目が、天麩羅を中心にしたものに変えているが、当時の店主夫妻も元気に店に出ている。このご夫妻を交えての「埼玉家会」である。

店が夜の部で忙しくなる前と云うことか、それとも暇人が増えた所為か、午後三時の集合であった。安浦で知人に会っていた所為で、十分ほど遅れての参加となった。テーブルには、中トロやカニ・ウニなどの大皿が載って、宴は既に始まっていた。一年ぶりの会である、それぞれのシニアライフを聞きながらの酒盛りとなった。

今年3月で完全フリーとなったNAWAさんは、民生委員と小・中学生の家庭教師を始めており、それなりに忙しそうだ。ゴルフの方は、今年のアベレージが90.1とかで長足の進歩である。三年前からフリーのUENOさんは、地域との関わりを求めて石神井公園の生態系保護活動や仏像修復のボランティアに関わっているとか。来年3月に国立大学の先生を卒業するODAKAさんは、今年の春に脳梗塞をやったそうだが、後遺症は見られなかった。

唯一現役でNグループ社勤務、MITUHASHIさんは10月から職場が変わって総務サービスの仕事になった。彼は自宅が平塚の在なので、畑を一反ほど借りて有機野菜作りに忙しいとか。夏に彼から、トマトなどを沢山に差し入れして貰っている。

現役の大学教授、ODAKAさんを除いた共通の話題は「野菜作り」であった。肥料が害虫がと、草刈から水遣りと話が尽きない。シニアライフの愉しみとして野菜作りは共通していた。私の方も、次の帰省ではタマネギや絹ザヤの植え付けをしなくては・・・、すっかり時期が遅れているのだ。

こんな話で盛り上がっていたが、何時の間にやMITUHASHIさんが居眠り。慣れぬ職場か、畑仕事で疲れているのか?・・・・。二次会のカラオケ会にもエスケープとなった。

三時間ほど喰い飲み、河豚鍋&雑炊を満喫した後は恒例のカラオケである。堀ノ内駅に近い場末のスナックで、マイクを握るのだが、病み上がりのODAKAさんと、お疲れのMITUHASHIさんはリタイアとなった。(人数が少ないと、マイクをこっちに回されるので困るんだが・・・)

NAWA&UENOさんと店主のOONOさんは、マイクを離さないくらいに歌が好きなのだ・・・。歌を忘れたカナリヤならぬ烏(コンドルか?)の私は、大いに遠慮をしたが、それでも二時間程の間に二度唄った。皆さん、フリーになって歌の方も大いに上達している。週に二・三度はマイクを握ってるに違いない。

 

今回の話題、年金・野菜作り・病気に増毛(これはMITUHAHSIさん)と、シニアらしい話で盛り上がったねぇ~。俺もこの一員だぜ・・・まったくだ!この夜は、21時30分の帰還であった。

 

 

 

 

 

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肉ジャガ

2014-11-21 | Weblog

11/21(金) 11月も下旬に入った。時の流れの速さを実感するばかり。そんな中で、酒飲む相手は古い付き合いの方が圧倒的に多いので、振り返る話ばかりだ・・・。

昨夜は新橋の酒場で、後輩のYOSHINO君、TUGANE君とご一緒した。午後から本降りとなったので、人形町の酒場にすれば良かったかと、手前勝手なことを思いながら新橋に向かったのだった。皮底の靴に洗濯から下ろしたばかりのスーツ、雨は大敵なのだ。

店は、YOSHINO君の行きつけで、美味い日本酒と肴があるとのこと。ハイボールの後、日本酒をやりながら、肴は刺身を一切れだけ頂いた。TUGANE君が、かつての職場の同僚だったという、酒の強い女性管理職の方を同伴した。言葉どおりに、ぐいぐいと飲んでいた。

昔を、上野時代の話をしながら『また、みんなでハワイへ行こうぜ』と、振った。「そうですね、来年にやりましょうか」との応えだった。TUGANE君のお姉さんがハワイ在住なので、彼はよく訪れている。それに、コンドミニアムまで持ったとのこと。貧乏OYAJIとは、大違いだ。三時間ほど飲んで、新橋駅で賑やかに別れた。

昨夜の酒は抑えて飲んだ。その効果は今朝の体調に現れたが、帰宅後に過ごした時間は穏やかとはいえない。零時頃であったか、NHKの建さん追悼映像が流れていた。それを見ながら、何時の間にや椅子の上で眠っていた。草木も眠ると云う丑三ッ刻、寒さで目覚め、それから蒲団に入った次第。

 

そして六時頃に目覚め、お弁当の時間となったのである。

今日のメニューは「肉ジャガ」さんである。牛小間肉を冷蔵庫から取り出して、ジャガイモ・人参を乱切りにし、タマネギと蒟蒻(これは肉ジャガにはマッチしない)が加わった。後は、酒・味醂・醤油&出し汁で煮込むだけである。

                           

次なる菜は、人参・タマネギ・茗荷・シメジ・カラーピーマンを素揚げして、青紫蘇ドレッシングを掛けたお口安めの一品が登場。そして、茄子と茗荷に牛小間を刻んだ味噌炒めとなった。弁当ではなるべく避けたい、ニンニクを香り付けに使う。食事後は、要歯磨きだ!

                           

最後に、昨日と同じになってしまったが「ホウレンソウの卵炒め」が、卵焼きの代わりに登場した。以上で、お仕舞。

                           

 

 

 

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チンジャオロース

2014-11-20 | Weblog

11/20(木) 冷蔵庫の中に、これといった食材がない。唯一、チンジャオロースの出来合品があった。これは、ピーマンと筍を細切にして炒めれば出来上がりと云う代物。これをメインに使うこととした。今朝のスタートは6時であったが、昨夜の酒の所為か頭も体も重い・・・。

昨夕は品川のN社ビルOBサロンで、東京のOB会理事会があり出席。五時に終わり、今年最後の理事会だったので早い忘年会とかで、二時間ほど立食での懇談があった。思いもかけずに、弊社がお世話になっている会社の役員や部長が居られたので、酔っぱらいついでに『決裁文書で、弊社の名がありましたら、ゼロを一つ増やしてください』なんて、バカなことを願った。

二次会に五人で流れて、品川港南口の路地の居酒屋で昔話や思い出話で気焔を上げた。ハイボールは濃~いのが美味いのよと、ドボドボとウイスキーを注いだのがたたったか、今朝の頭と体の重さだ。と、昨夜のことを反芻しながら弁当作りに勤しむOYAJIである。

メインの菜はできた、後はわき役たちの出番。ホーレンソウとシメジのベーコンの卵炒め、ジャガイモと人参にロースハムを角切りにしたサラダ風、出来合のシシャモの甘露煮でオールスタッフが出揃った。

                    

炊き立て熱々の飯が出来たが、今朝は胃が受け付けようとしない。食い意地のはぅた我が身にとっては、大異変である。味見も程々で、ミルクを飲む始末。自分のベントを詰める気も起きず、サンドイッチを作ることにした。残り物の菜と、目玉焼きを潰したサンドを作り、これがmy弁当である。

                         

調子に乗って飲んじゃいかん!と、如何ともし難い朝であった。今夜の後輩との酒は、控えめにするぜよ・・・・。

 

 

 

 

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久々に弁当を

2014-11-19 | Weblog

11/19(水) 五時半に目覚め、弁当を作ることとした。MXの鳴き声が聴こえない・・・、昇天したんだと実感する。先週の木曜日以来の弁当作りになるが、食材が乏しい、滅茶乏しい。

僅かに残っていた鶏肉(三切れ)と大根・人参・油揚げで煮物を。冷凍の水餃子があったので、最後にこれも加えた。鮭の切り身を焼き、卵焼きを作る。どうにも淋しいので、小エビ(これも僅かしかない)とパプリカ・タマネギ・キャベツをオリーブオイルで炒める。小松菜を茹で、ゴマを振った。

以上で、お仕舞。何とも張り合いのない菜ばかりだが、素人の片手間仕事だ、勘弁頂くしかない。おまけに撮った写真も一枚しか残っていなかった。踏んだり蹴ったりとはこのことか?

                           

 

昨夜、HIROさんの友人のODAGIRI氏がスタッフのNOBORUと打ち合わせのために来社した。オーディオ機器の販売などのビジネスを始めて数年が経つ。が、あまり上手くはいってないようだ。ネット販売などに関しての打ち合わせだったようだ。サラリーマンが始めるビジネスは成功率2~3%じゃないかな?感覚だが。

打ち合わせの後、安酒場で一献となった。何日か振りで「ちょっぷく」に向かった。店の席はがら空きで、店主のYAMAちゃんは暇そうだ。先週、快気祝いといってYAMAちゃんが持参したミカンについて、『よくあんな不味いミカンを寄越したもんだぜ!』と冷やかした。持参した折に当人が「美味いと言うんで買ったけで、美味くなかった。騙されたよ」と言ったが、そのとおりだった。

それじゃあお詫びにと言って「司牡丹」(高知の日本酒)を三杯持ってきた。YAMAちゃんのこういう処が可愛気がある・・・。そうもいかんので、『チケット持ってけよ』と言うと、「そうお・・」と、二枚だけチケットを持っていった。

ODAGIRI氏とNOBORUの三人で、あれこれと話をしたが、果たしてこれからのビジネスに繫がるのかな?

 

今夜から土曜日まで、夜の部がつづく。体調を整えて、乗り越えるかな・・・。

 

 

 

 

 

   

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法事から葬儀と・・・

2014-11-18 | Weblog

11/18(火) 13日・木曜の午後に羽田を発ち帰省、今日の夕方に帰京した。翌金曜日は、亡父の三回忌の準備品の買い出しや、法事の飾りなどの準備で終わった。土曜日、11時に真言宗豊山派・北寺の廣中宗円住職の読経で法事が始まった。家族・従兄妹・親戚など四十人程が我が家に来てくれた。HIROさん&HANAOKA女史も遠路から姿を見せてくれた。

住職の祭壇と墓前での読経も終え、後は宴会となる。今更故人を偲ぶと云うよりは、飲み食いの場である。今一つ盛り上がりきれなかったのは、この日、早朝にすぐ前の家の親戚の小父さんが急逝したことにあるか。前日の昼間、庭先で日向ぼっこをしている姿を見かけたばかり。心筋梗塞でも起こしたのか?

87歳になる直前だったようだが、前日の法事用品買い出しの折に、我が妹に「ディサービスにでも行くように勧めたら」と、話したばかりだった。急死のために、警察の検死が入り家族は大変な思いをしたそうだ。この小父さんの通夜が昨晩で、その手伝いをしたが、今日の告別式は失礼した。予定・予測外なのが葬式だが、丁度帰省と重なったのである意味では助かったといえる。

帰京の折には空港まで送ってくれる妹夫妻は葬儀の手伝いに出た。久しぶりに一両だけの列車(ホームの自動音声案内で、列車が来ますとのアナウンスが流れるが、どうにも違和感がある)に乗って、空港に向かった。前日の月曜日、HIROさんたちを見送った同じホームに立ち、故郷を後にした。車内の乗客は三人だった。

無人の安田駅のホームから川沿いの上流を臨む。ここから4kmほど上った処に、我が実家がある。右手を見ると東島地区であるが、戦国時代ここには安田の城があったそうだ。安芸国虎の支配する地であったが、遥か1500年代に長宗我部に攻め滅ばされたたが、いまだ地名に城(じょう)の名が残る。

                    

今日が亡父の命日。未だ暗い六時に起きて(帰省すると朝が遅いのだ)、お供えの料理を作る。煮物や酢の物などだが、小さな御膳に並べて仏壇に供えた。土曜日の法事の日にも作ったので、手慣れたものと云えようか?料理を作る方は問題ないが、料理の配を忘れるので、配置図を見ながらである。

お供えの後は自分の食事となるが、暫く母が食せるようにと、品数多く・量大目に作る。年寄り好みに、煮物を中心に作った。そして朝飯だが、今朝は父の命日なのでビールを飲んでお浄めだ!と、朝からビールとたっぷりの食事を頂いた次第。

それにしても、法事から葬式までと思い掛けずに慌ただしい帰省となった。

 

 

 

 

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立ち飲みの日、Mi昇天・・・

2014-11-13 | Weblog

11/13(木) 昨夜の帰宅は23時。家の前に着くと丁度、次女夫妻が出てきた『どうしてるんだい、君たちは?』と、酔った声を掛けた。「MIXのお別れに来たんだよ」との応え。余命幾許もないMIXの姿を、見ておこうと云うことかと、思った。玄関のドアを開け、入った。

其処には、箱に入り上に毛布と花を掛けられたMIXが横たわっていた。穏やかな顔をし、安らかに眠っているようであった。今朝の、前足を開いて首が垂れたままの姿と違い、穏やかな表情で目を閉じていた。

十七年になるか、この犬が伊豆からやって来たのは。次女が飼いたいと我儘を言った結果、家人の友達の伝手でやってきた。私は横須賀に単身赴任をしていた時期で、帰ると犬が居たので驚いた。あれほど止めろと言ったにも関らず、飼うこととなった。以来、十七年になる。小さくてキャンキャン鳴いていた頃、夜中に大声で吠えていた時期、すっかり弱って散歩もままならずにクルクル回るばかりなった老年、目も耳も衰え、餌を食べるのもようようの終末期。

ここ何日かは、夜中も哭くが如くに呻いていたが、とうとう昨夕に昇天したとのこと。今朝は隣の小母さんが花束を持ってきた。散歩では随分とお世話になった、可愛がってもらった。そのMIXも冥途の旅に発った次第。

週末、亡父の三回忌があり今日の昼の便で帰省する。帰京は来週の火曜日の夕刻となる。MIXの弔いは、家人に任せよう・・・。

 

さて昨晩は、11日にから始まった「立ち飲みの日」イベントの二日目。人形町界隈のイベント加盟店を廻った。「ちょっぷく」からスタートし、加盟店を都合五軒に、番外の「ローカーボ」が六軒めとなりへとへと。何しろ、後輩のYOSHINO君が五時半に人形町に来、それからの飲みだからなあ~。下の写真は、五軒目となる正統立ち飲み店「キハ」の一コマ。ここは、鉄道ファンに知られている店なのだ。

                       

 

かくして酔っぱらいながらも、四時に目覚めた。もうMIXが鳴いて起こすこともないのに・・・。弁当はオムスビにしたが、家人は普通の弁当がいいと云う。四合の米を炊き、鮭・梅干・小エビ・鶏肉・タラコの具、ゆで卵に卵焼きまで作る。揚げ物ついでに、ポテトフライも追加した。

                        

 

オムスビのデータが無かった、それにMIXの穏やかな眠り顔も・・・・。これやあ、いかんぜよ!と云うことで、また来週。

 

           

 

 

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