オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

故郷にて

2013-03-29 | Weblog

26日(火)から昨日の木曜日まで帰省した。墓地の地鎮祭をやるとのこと、郷里を後にしている長男としては行かざるを得ない。妹夫妻が近所に居るとはいえ、何もかもを負かせて仕舞う訳には行かない。

火曜日の朝早くに家を出たが、北風が強く寒かった。妹が空港に迎えてくれ、実家に向かうすがら安芸市のスーパーや魚屋で、翌日の地鎮祭にお供えする魚・野菜・菓子などを整えた。

安田の町から、川沿いを上流へと生家に向かう。山のあちこち、川沿いの桜がきれいだった。今年の桜は花が長い、気温のせいだろう。

                   

午後、地鎮祭を行う墓地の様子を伺った後、ミカン畑に肥料を撒いた。我が故郷の桜も満開であった。私が子供の頃には無かった桜が、橋の袂や川沿いに何本があった。東京の桜と違い、綺麗に見えたのは身びいきか?

                        

ミカン畑の草も伸びていた、絹サヤなどを撒いた畑の畝にも草が・・・。草刈や草取りをしてやらなければ・・・だが、今回は時間がない。

                     

27日(水) 心配していた雨が、ポツリポツリと朝から降り出した。畑を墓地にする、おまけに昨日、平らにしたので雨が降れば泥んこになる。大急ぎでテント持って畑に駈けた。一人で四苦八苦していると、妹の旦那で私の同級生でのあるHirokatuが車で飛んできてくれた。大助かり・・・。

雨の中での地鎮祭となったが、テントが有ってよかった。昼は「直会」で、神主さんや親せきと一杯&食事であった。土佐の田舎は、皿鉢料理が定番。写真がないのが残念だ。

翌、木曜日、昨日だが昼前のJALで帰京。墓地の完成が四月下旬、5月2日に墓所の開眼式と納骨となる。

 

 

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最後の弁当

2013-03-29 | Weblog

3/29(金) 五年間にわたり、毎朝遊んできた『弁当』作りも今朝で手仕舞いとする。少し違うライフスタイルにしてみようとの思いである。このBLOG のタイトルも変更しなければならないが、暫くはこのままとする。

手仕舞いの弁当となるので、少しは気の利いたものに、手間暇を掛けたものにと、思いながら変わり映えのしない弁当となった。

明け方四時過ぎに目覚め、暫く蒲団の中で起きるべきか、眠るべきかと迷ったが、結局は蒲団から出ることとなった。早朝からの弁当作りである。明日からは、散歩かストレッチになるだろう・・・。

料理本を開いてみる気もおきず、作り馴れたメニューに走った。「牛小間と野菜の炒め物」「ホタテのフライ」「豚小間の白菜挟み煮」「出汁巻卵焼き」である。

                     

炒め物の野菜は、タマネギ・キャベツ・ピーマン・舞茸。揚げ物は、ホタテの他にエビを一つづつ、薩摩芋と舞茸も揚げる。出汁巻卵は、ホタテとエビに分葱を刻んだ。何れの菜も、濃い目の味付けとなった。

                        

最後の弁当なので、各人何時もよりワンサイズ大きい弁当にしてたっぷりと詰めた。ライの下に敷くキャベツを刻み、塩昆布をご飯に載せて完成となった。

早々と三人の弁当が仕上がった。今朝は、何故かスムージーを飲む気がしない・・・。

                    

 

 「思い起こせば・・・」

平成24年度も明日は土曜日、日曜日とつづくので実質は今日でお仕舞のようなものだ。何人かの知人が、今日でリタイアする。思い起こせば、私がサラリーマンを辞めた11年前も3月29日は金曜日であった。

サラリーマンを辞めてから始めたことが二つある。一つは日記を書くこと、もう一つは支出簿を記すことである。4月1日からのスタートと思い込んでいたが・・・先週、平成14年のものを引き出してみると、3月29日が記し始めと判明した。

14年3月29日(金) 今日で仕事納めとなった。午前中は後任への引き継ぎのメモを作成する。午後、某営業部長が席に来て、人事案件について要請される。が、遅すぎる・・・。その件について、人事担当にオーダをするが、ほとんど聴いちゃいない。まあ、そんなものだろう・・・まあ、サリーマンのポストなどはそんな程度だ。云々などと記してあった。忘れていたが、よっぽど腹立たしかったのだ・・・。

大したことは記していないが、今も続けている。流石に差し障りがあることは仮名にしたりと、後々のことに気を使ってはいる。

勤め人を辞してから、本当の人生もある。人それぞれに如何に生きるか、生きようとするかであろう。其々の人生に、幸多かれと祈るばかり・・・。

 

 

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桜・サクラ・さくら

2013-03-25 | Weblog

3/25(月) 週末、東京の桜は満開を迎えた。土曜日、思いたって都内の老人ホームに入居している九十三歳になった伯父を訪ねた。花曇りではあったが、車椅子の伯父を、ひと時桜の下で過ごしてやれたらと思ったのだ。

 「ホームで桜」

小さな缶ビールと桜餅を持参した。ホームのスタッフに桜のある場所を訊くと「すぐ前の千川通りが桜並木です」とのこと。耳もすっかり遠くなっている伯父に「散歩に行きましょう」と、呼びかけると首を横に振った。

ホームの二階ベランダ越しに桜が見えると云うので、そこまで車椅子を押した。『桜が見える場所があったんだな』と、昨年入所した伯父は初めて知ったようだ。『桜の色が何だか白っぽいな…』と呟いた。

                    

ひと時をホームで過ごした後、独り千川通りを歩いてみることにした。ホームから池袋方面に五分も歩くと桜並木が見えてきた。風が出た、少し肌寒い。伯父を連れ出さなくてよかったか・・・。富士見台から練馬駅まで、三十分程であったが桜樹の下を歩いた。

急遽、会社のスタッフ独り者のAOKIを目黒川の花見に誘った。

 「人混みの桜」

五時前に中目黒駅に着いた。ホームから改札を抜けるまで立錐の余地もないほどの人。ここ数年前から、目黒川沿いの桜が一大人気となっている。花見客の人出である。一車線と狭い川沿いの道は両側とも人波が途切れることなし。つい四日前の桜と違い満開に近い、花盛りでもあるが、人盛りであった。

                       

                          四日前の目黒川

暫しAOKIが持参した缶ビールの飲み、人出の少ない目黒へと川沿いを下った。小伝馬町にもある「いろは寿司」がここにも在り、目敏いAOKIは知り合いの店のオバサンを見つけた。ここで生ビールを手にし、歩いた。目黒の焼き鳥屋にて熱燗で冷えた体をほぐした。と、携帯が鳴った・・・。

                   

すっかり失念していた。「奈加野」にて、高知県庁の若者と送別の一献があったのだ。拙い、大急ぎでAOKIを伴い渋谷に急行した。ボケ老人であった、桜ボケか?

 

昨日の日曜日、地元の友人YAMADAさんと13時に学芸大学駅で待ち合わせ。二人の花見である。5~6人での花見予定が、公務員は週休勤務となり、ビジネスマンは大阪へ、雨が降りそうだと前々日にキャンセルしたり・・・。オジサン二人で何処へ行こうかと鳩首。

結局毎年花を見て歩くコース、かつての散歩コースを辿り、目黒川沿いに至ることとした。下馬公園~世田谷観音~駒繋神社~蛇崩れ緑道から中目黒に至った。YAMADAさんはこのコースは初めてと喜んだ。

それにしても、桜色の薄まったことよ、挙句に枝が払われ、張り出した木は伐られて、私が楽しんだあの桜並木の面影は年々に消滅の一途となる。

目黒川沿いは昨日同様の人出、崩れると思われた天気は薄日が差したりと絶好の花日和となった。が、こうも人出が多くては・・・山手通りの台湾中華店でギョーザと生ビール、コーヒー店でタバコを吸って帰宅となった。

気温の所為か、老樹になったのか?東京のソメイヨシノに桜色はない。「桜に酔う」そんなシーンを東京で求めるのは最早無理だろう・・・。東北にでも出かけるしかないのか。

 

今朝の弁当は、二人分となった。長女は今日は休みで不要となった。二人分とは、力が入らないが・・・。

メニューの方は、「鶏唐揚げ」と「エビと野菜の炒め物」、「小松菜の胡麻和え」「分葱の出汁巻卵」とした。

                  

食材は、鶏肉・人参・エビ・ピーマン・シメジ・小松菜・分葱・卵にキャベツの千切であった。

                    

早々と弁当が仕上がり、バナナン・リンゴ・イチゴ・パイン・ウコンに小松菜・キャベツ入りのスムージーを作る。ちょっとしたウコンの苦味が、何ともいえない良さであった。

                    

 

明日から高知へ行く、弁当は金曜日の一回を残すのみとなった。五年間にわたる弁当生活に一区切りを付けよう・・・。

 

 

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揚げ物

2013-03-22 | Weblog

3/22(金) 週末の金曜日を迎えた、昨夜は田町駅前の居酒屋にて送別の宴に出席。送られるのはF社剣道部のONOさんで、剣道部メンバーによる卒業祝いと云う処。

ONOさんは建築屋であるが、昭和41年に工業高校卒業して入社された。退職再雇用も含めて47年に亘る仕事を終える次第。

これからは、地元で子供たちを相手に剣道指導、これまで交わった人たちの物語を書く、そんな暮らしをするとのこと。

昨夜は、元社長のTANAKAさんも出席くださったが、これもONOさんの稀なる人柄であろう。中々面白い方である。愉しい会であった。

今夜は、岩崎通信機を先週に退職となったKAMOGASHIRAさんの退職慰労とNTT東京剣道部OB会の二本立てだが、骨伝導ホン(ライブホン)でご苦労を頂いた、KAMOさんが優先となろう。

 

さて、今朝の弁当だが「揚げ物」をメインとした。エビ天麩羅をと思ったが、小さな冷凍エビが四匹しかなかった。急遽、豚バラ肉を茄子と蓮根で挟んだ「挟み揚げ」とアスパラを追加した。

            

他には、作り置きのハンバーグと冷凍シューマイ、ホウレンソウとハム・ベーコンの胡麻・卵炒めとなった。

                 

小生の朝飯、スムージーはリンゴ・バナナ・トマト・パイン・小松菜となった。出来上がると小松菜の青がひと際目立った。

                 

 

五年間に渡った弁当作りも、来週の月・金の二回を残すばかり。火~木曜日は高知である。後二回の弁当は、せめて纏まった物を作りたいものだが・・・。

 

 

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土佐風五目すし

2013-03-21 | Weblog

3/21(木) 弥生三月、春の盛りという処か。河津桜は終わり、ゆすらんウメ・ボケ・花桃が今は盛り、チューリップやラッパ水仙も開いた。

                     

目黒川の桜も週末には見ごろ、満開となろう。

                  

 

そんな花や彼岸に準えて、今朝の弁当は「土佐の田舎風・五目すし」とした。具には、人参・筍・蓮根・油揚げ煮と焼き鮭を使う。酢は当然『てまいら酢』である。具を刻み煮る。

                        

菜の方は「里芋と蒟蒻・鶏肉の炊き合せ」と「小エビとチンゲン菜の炒めもの」、「ブリの照り焼き」とした。

              

錦糸卵焼き、茹で絹ザヤを添えて完成である。こう書けば、道のりは平たんで手早く出来たと思うのは早計。結構時間を喰ってしまった。

                    

お味見は全くしていない、どんな具合であったろうかと気掛かりではある。

最後にスムージーに取り掛かるのは何時もどおり。イチゴ・パイン・リンゴ・トマトと水菜のスムージーであった。リンゴなのかトマトの皮か、少し口中に残る感あり。

                  

 

愈々、某社のシニア向け情報誌の企画が動きだした。北陸にいる友人に電話をして情報提供を願った。何時もながら、素早い対応をしてくれて大助かり。

 余談ながら、今夜から土曜日にかけて送別会或いはご慰労会と云うべきか、退職をされる方や転勤される方との宴が三晩つづく。三月はそんなことが多いのだが、それでも以前よりは少なくなってきた。呼ばれなくなったのか、皆老いさらばえて、そんな年令はとうに過ぎ去ったか・・・。

 

 

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墓参

2013-03-21 | Weblog

3/21(木) 昨日の春分の日、九時半過ぎに家をでて墓参に向かった。先ずは、狛江・千住院の上田雄一さんの墓を訪ねた。札幌出身の上田さんが生前に好まれたサッポロビールの缶を携えた。

何時訪ねても墓前は綺麗に整えられている。只々頭を垂れて安寧を願う。千住院の本殿に立ち寄ると、この寺や天台宗の発行する書き物を下さる。これを読みながら、次に向かうのは何時もどおり。

昼すぎに東戸塚に着いた。お彼岸には、霊園への送迎マイクロバスが出ている。合掌の里・もちの木霊園にある中村正明さんのお墓に花を供えて詣。中村家は神道なので線香は添えない。

大きな霊園なので人出も多いが、大半は年配者であった。東戸塚から横浜駅に戻り、京浜急行で横須賀中央駅に向かった。

目的の駅の前に逸見駅を通過する。この駅がこれから向かう横塚さんの自宅が在る町。昔は海軍の町、今も海上自衛隊が駐屯する。戦死されたお父様が海軍であった関係でここに住んだ、と聞いたのは、間口二間・奥行一間の居酒屋「かすみ」のカウンターであったろうか。

横須賀中央駅からまじかな崖上のお寺、龍本寺が横塚家の墓所である。何日か経ったと思われる花を変えて詣。

昨年と変わり、墓所の周りの樹を切ってある。初めて知ったが、崖上から横須賀の海が望めた。彼方に猿島が見える。手前のビルで見えないが、海岸には日露海戦で活躍した戦艦三笠が記念繋留されているはずだ。

                  

日蓮宗の由緒あるこの寺の扁額を見上げる。初めて崖下につづく急な階段を下りてみた。崖の途中に日蓮上人の所縁か、祠に菩薩が安置されている。下りきって横須賀共済病院の横手から寺を臨むと急崖の高さを実感する。

                  

奥様からは逸見の家にも立ち寄り下さい、と便りも頂戴しているが・・・。 

曇り空だが暑いくらいだ、若松町・米ケ浜通り出ると午後二時半をすぎている。腹も減った、と蕎麦屋の看板が目に入った。会津蕎麦「玄武」とあった。私が横須賀に居た頃は無かった店。

会津も懐かしい地、故吉田多津夫さんを想いだす。横塚さんと同年配のはずだ。

この店・玄武に入り、野菜天・蕎麦(もり)を注文し、生ビールで喉を潤した。会津の地酒のメニューが置いてあるが、吉田さん所縁の「栄川」の銘柄はなかった。代わりに写楽なる酒を頼んだ。一合700円也。一仕事終わったような気分で、蕎麦を肴に昼酒となった。

                       

色々の出会いがあり、思い出がある。中村正明さん以外、名を記した皆さんは私の齢より先に逝ってしまった。何の役にも立たん男が、未だ生かされていると云うことか・・・。

 

 

 

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親子丼

2013-03-19 | Weblog

3/19(火) 今朝と云うよりは未だ深夜と云う方がいいのか、三時半ごろに目覚めた。どうせ禄でもないない夢なんぞをみていたのであろう。致し方なし、暫く本なぞ読んで過ごした。

6時前に台所に立った。今日は「親子丼弁当」を予定していたのでメインの準備は早い。後の菜を何にするか考える・・・和風系で攻めようと根菜煮を作ることとした。

とは云いながらも、何かこってり系もあった方がいい。そこで、豚バラ肉と「チンゲン菜の炒めもの」と「オムレツ」を用意することとした。

先ずは根菜煮、大根・人参・蒟蒻と油揚げをと冷蔵庫を覗くと油揚げが不在、代わりにソーセージを入れて煮た。豚バラ炒めは、チンゲン菜と彩のパプリカを少し使った。

オムレツは、ジャガイモの千切りとエビを刻んで入れる。仕上げで強く返した処、形が崩れてしまった・・・反省!

              

メインの親子丼には、タマネギとMasaoが届けてくれた青ネギを使った。味付けは甘濃いめである。

                         

あっという間に出来上がった、と言いたいところだがそうでもない。フィニッシュに掛かってから愚図愚図としていた。

何時もの如く、三人分の弁当である。

                     

最後にスムージーとなるが、今朝は土佐文旦・キューイ・バナナ・イチゴに小松菜とブロッコリが入った。出来上がった味は、キューイの味が勝っていた。

                     

 

「 春分の日 」

明日は彼岸、春分の日で休日となる。お世話になった方の墓参を予定している。

サラリーマン時代、最後の職場で上司だった上田雄一さんは狛江・千手院に眠る。郷里の先輩で亡くなるまでご心配を頂いた中村正明さんは東戸塚の霊園に、横須賀時代に厚誼を重ねた横塚さんは横須賀のお寺にと、お三方の墓前を訪ねる所存。

他にも訪ね行かねばならない、忘れへぬ方々がいる。が、遠く過ぎ去った月日の方には、心の中で祈ることとする。

自分は墓なんぞは要らぬと思っているが、命日や彼岸が訪れると墓前に詣りたいと思うのはなぜだろう・・・。所詮は古の習慣の中で生きてきた所為なのか?

挙句の果てに、昨年亡くなった父の墓を建てるために、来週の半ばに帰省して地鎮祭を執り行う。思想、と呼べるほどのものは持たないが、行動が一致しない・・・。

 

 

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週末のひと時&ハンバーグ

2013-03-18 | Weblog

3/18(月) 東京の桜も咲きはじめた。今年の桜は更に白っぽいように感じる、年々に色褪せたように見えるのは気のせいか?越中の熟年ライダーに言わせると「齢の所為だ」そうだが、諸兄にはどう映っているのか・・・。

土曜日、孫娘が来て「お馬さんに乗る」と言う。近所の公園でポーニーの引き馬をやっており、子供達を乗せてくれる。これまで怖がって乗らなかったが、今日は乗ると言う。致し方ない、お菓子の入った袋を手にした孫と公園に向かった。

乗るには乗ったが、思ったより目線が高くなったのか、引き馬をしてくれるボランティアのお嬢さんにすがりながらのひと回りであった。こうしながら、少しづつ慣れるのであろう。

                    

その後、碑文谷池のボートに乗せた。鯉や亀が泳ぎ、水鳥の遊ぶ姿を目の前にしながら菓子を食べて喜んでいた。公園のボートに乗るのは久しぶりであった。我が子を乗せて遊ばせたのは、ついこの前のように思うのだが・・・。

                    

土曜日夕刻、横浜馬車道まで出かけた。軽い食事と紹興酒のロックをやった後、昔馴染のダーナがやっている店へ。何年も前から一度顔を出すと約しながら今日になった。生演奏と唄を聴きハイボールを五杯程やって、古い頃の話に興じる。酔いが廻らぬうちにと引き上げたが、23時過ぎの帰宅。

日曜日、会社に出るのを止めて午後から自由が丘まで歩く。呑川緑道の桜も少し花を開き始めていた。花弁は白っぽい、眼科へ行った方がいいのかな?久しぶりの散歩、歩けなくなっていた。自由が丘の街並みは、飲食店や小物を売る店と、暫く来ないうちに増えていた。

夕食の菜など贖って帰宅。土・日と、またしても過食となってしまった。

今朝の弁当は、昨夕のハンバーグがメイン。弁当用の小さめのハンバーグである。

                      

他には、ペンネとジャガイモ・タマネギにベーコンの代用のソーセージのオリーブ炒め。そしてブロッコリのサラダ、ネギ入りの卵焼き、冷凍シューマイとなった。

           

弁当作りの方は今月で手仕舞いとする。余す処、五回でお終いだ。名残惜しい気もするが、ライフスタイルを変える。五回と云うのは数字が合わないが、来週三日ほど帰省の予定がある所為だ。

                        

最後のスムージーは、バナナ・リンゴ・イチゴ・ブロッコリとなった。

                      

 

 

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ちっと洋風で・・・

2013-03-15 | Weblog

3/15(金) 今朝も四時過ぎに目覚めた、夢の中でなにやら始末の付けづらいことをオーダーしていた。仕事のことや私的なことがごっちゃの物語であった。

昨夜も早めに床に就いたので眠くない、起き出して弁当でも作ろうと料理本を持って台所に向かう。春だ、一寸目先の変わったものをと考えていた。中華風や和風が続いたので、今朝は洋風でいこう・・・。

昨日、友達のmasaoから野菜がたっぷりと届いた、これも使いたい。
Masaoは、高校一年の時に同じクラスとなり、それ以来の付き合い。彼も東京の学校に入り、Tokyoで就職したので付き合いは途切れなかった。一昨年、某社の常務取締役を最後にリタア、今は市民農園だかで野菜作りに勤しんでいる。

先日、共通の友人でバンコク在住のNoguchiが東京に来るというので予定をするようにと連絡した。その折に、野菜作りは順調かと訊いた。「偶には君の作った野菜を持って、飲みに来いよ」と誘った。その結果が、大量の野菜が我が家に届いたという次第。

「春野菜に切り替わる時期なので、不ぞろいだが無農薬の有機野菜をどうぞ」とのことであった。

小松菜やホウレンソウ・チンゲン菜・アブラ菜・カブ・ネギがタップリ箱に詰められていた。それを見て、相当本格的にやっていることが知れた。折角の志、昨夜も一杯やって帰宅したが、野菜たっぷりの中華風スープを作り頂戴した。今朝もmasaoの野菜を頂こう・・・。

 

さて弁当だが、普段作ったこともない「ピラフ」を作ってみようとレシピを探した。パエリアと云う手もあったが、パエリヤは余り好きではない。洋風飯ということで初めてのピラフとなった。

小エビとタマネギ・シメジ・人参・ピーマンと用意した。コンソメスープの素とバター・オリーブオイルなどを整えて米を研いだ。心配は米の芯が残って失敗しないかである。用心のいい小生は、別にご飯を炊いて万が一に備えることとした。

                     

                        これは、中間地点

米や野菜・エビをフライパンで炒め、フライパンで作った「ピラフ」は上々の出来栄えとなった。

                     

                         漸く完成だ!

菜の方は、万が一に備えた鮭・タラコ焼きと春野菜たっぷりで烏賊が入った「パスタ」。挽肉入りのオムレツは、具が入りすぎて纏まらず大チョンボとなった。そして、アブラ菜のお浸しであった。

               

今日の弁当も中々旨そうである、自画自賛する。

                   

最後のスムージーは、アブラ菜とパイン・キューイ・リンゴ・バナナとした。グリーンも鮮やかに、美味い飲み物となった。

                   

昨夕、某社を訪れた後にhiroさんに会った。場所は吉祥寺のハーモニカ横丁。ここに二人で時折訪れる居酒屋がある。コの字形のカウンターがメインで、立ち飲みスペースもある雑多な店だが、落ち着く。

久々に腰を落ち着けたが、カウンターの中で立働くスタッフは、何時の間にや南アジア系と思しきメンバーばかり、日本人と思しいのは一人となっていた。別に味が変わったわけでもない、スタッフが居酒屋の雰囲気に妙に馴染んでいた。

酒とホッピーを飲み、焼き鳥とモツ煮を頂く。ここで妙薬ならぬ、取って置きの唐辛子の登場である。友人のAjiro氏特製の手作り唐辛子なのだ。先週、新作ができたと送られてきた。

「今年はピリッと辛味をきかせました」と添え書きにあった。確かに昨年の物に比べて山椒の味の利きも良い。hiroさんと、これがあると旨い、味が引き立つねと焼き鳥と煮込みを食しつつ、過ぎ越してきた人生を語りあった。こんなことができるからこそ、生きていられる私の人生?

帰路、渋谷・東横線のターミナル駅を経由するとカメラや携帯で写真を撮る人が大勢いる。今日の深夜、この東横線渋谷駅は長い歴史に幕を下ろし地下の新駅に切リ変わる。名残りを惜しむ人たちが記念に撮っているのだ。

                       

 私も鞄からカメラを取り出して一枚撮った。それにしても新駅は地下となるので、乗り換えが不便となりそうだ。

 

 

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チキンライス

2013-03-14 | Weblog

3/14(木) 昨日の午後、ダイヤモンド社創立100周年記念セミナーに出かけた。この手のセミナーに出るのは久々であったが、講師の一人である「三枝 匡」氏の話に関心があって参加した。

野中郁次郎先生の難解な経済理論や米倉誠一郎先生VS川上潤氏(GEヘルケアジャパン代表)のPRたっぷりの対談はさておき、お目当てだった三枝氏の話、と云うより檄には頭を下げっぱなしであった。

日本のビジネスマンはこれまで何をしていたのか、高度成長以降に何も生み出さず、何も学んできていない。というお叱りと受け止めた。ただただうな垂れていた。グランドがステージが、違うと逃げるわけにはいかない熱い内容であった。

そんな中身の濃い話を聴いた後、お定まりの酒場とはなんともしまらないが・・・・。

18時・学芸大学駅にてU老と落あって、酒場「こんぺいとお」に向かった。この地で、30年続けてきた店が今月22日で閉店する。ついては、是非に行きたい言う老の願いを叶える。週末から来週は、送別会やよん処のない予定が私にあり、この日しかなかった。

客は未だ居らず、老とビール・ハイボールを飲みながらママさんの話を聴く。この店のハイボールは、「ローカーボ」に匹敵する濃さである。旨いが酔いが早い、一人客が来たのを汐に引き上げた。時間が早いので、学大で一番と思う、モンゴメリーにてラーメンを食してから早々の帰宅。

 

今朝は、老犬の鳴き声で2時に目覚める。眠れなくなり本を読んで時間を潰す。が、結局5時過ぎから弁当作りで暇つぶしとなった。雨は降ったり止んだりだが、風もまだ残っていたか。

台所に立つと昨夜のご飯が多めに残っていた。新しく炊くのも半端なので、想定外ながら、暫く遠ざかっていた「チキンライス」を作ることとした。鶏肉の他に冷凍ソーセージを少々使い、タマネギ・人参・ピーマンを刻み下準備。

                        

菜の方は、蒲団の中で考えたとおり「エビ天」と「チンジャオロースー」である。青物も欲しいので「小松菜の胡麻炒め卵とじ」を作る。

             

揚げ物ついでにシメジと絹ザヤも少し揚げた。チキンライスは、卵を炒めて載せてオムライス風の仕上げとなった。

                          

スムージーの方は、珍しく金柑を入れ、イチゴ・パイン・リンゴに小松菜・ブロッコリ・キャベツなどが少しづつ入った。鮮やかなグリーンの出来栄えとなった。

                   

 

 

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