オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

愚か者

2018-03-30 | Weblog

3/30(金) 平成29年度も実質、今日でお仕舞だ。普通なら年度末処理で多忙なはずの午前、先日懇談した某社のK氏と面談。先夜ののつづきを、日比谷のレストランでコーヒーカップを手に、一時間ほど話しこんできた。

『年度末処理で忙しいんじゃないのか?』と問うと。「それが、超暇なんですよ。新年度の事業計画は2月にきまり、新年度の施策が動き出すのはこれから・・・」と、OYAJIなみに暇だとか・・・。

会社に戻るのに日比谷公園とは反対の、日比谷シャンティ側に歩いた。新しいビルが建ち、通りも様変わり。お洒落な街並みに変貌していた。観光客らしい姿がスマホを構えて撮っていたが、その数も半端じゃない。

メトロの銀座駅から乗車。混雑した車内で、スマホを見ながらニヤケているノッポの若者の姿が気色悪かった。老いも若きも、スマホの画面に見入ったり、弄ったりする者ばかり。社会現象とは云え、世の変りように暗然たる思いがするのは私だけか?。

と、こんなことを言っても、こっちも誉められたもんじゃないが。昨夜は、阿蘇の麓の高森町から上京したSEI氏と一年ぶりの再会。人形町の安酒場を三軒ばかし徘徊した。

生ビール・燗酒からハイボール、安ワインに冷酒と、大いに堪能し気勢をあげた。それは良かったのだが・・・・・。

酔っていたんだろうネ、普通にメトロに乗ったはずだが、弁当用に買った牛肉と粕漬け、おまけに頂戴した土産も一緒に入れた袋が行方知れずに・・・・。

中目黒駅に着いて駅員に揺り起こされた。何時の間にや車中で眠り込んでいたのだ。これが悪夢の始まりだった。大慌てでメトロを下り(下ろされ)、向かいのホームに入ってきた東横線に乗った。二駅目の学芸大学で無事に下車。下りてから、なにやら足りないことに気付いた・・・・。大事な大事な袋がない。見当たらない。酔いもいっぺんに冷めよう!

駅の事務所で事情を話、指名手配をお願いした。緊急手配、全車両の総チェックにまで至ればよかったが、中身をつぶさに伝えたのが悪かった。不審物があったようだ、若しかして爆発物かも・・・ぐらいに云えればよかったか・・・・。

今朝もメトロの総合案内に電話をしたが、我が荷物は消えたままだった。日山のステーキ用牛ロース二枚、魚久のギンダラ・鮭の粕漬け、お土産に頂いた熊本名物「誉れの陣太鼓」が消えてしまった。

牛肉と粕漬けは今日の弁当用に買った。今日で都立病院の勤務が終わる長女を、豪華弁当で送りだそうと清水の舞台からジャンプする思いで贖ったのに・・・・。

致し方ない、改札の目の前に在る東急ストアに入り、黒毛和牛のステーキ肉と、鮭・メカジキを買った。

自宅までの五分足らずの距離が遠~く、と――く感じる足の重さよ。愚か者の典型とは、我のこと也。これで、こんな失態は二度目だが、前回は人形町駅にあった。が、今度は消えてなくなった。

どこぞの誰れかが、天の恵み、神の思召しと喰っていることだろう・・・が。天でも神でもない、愚か者OAYJIからのプレゼントだ。心して、食されよ

                 

とまあ、そんな具合で朝を迎えた。そして、ステーキを焼き、鮭を焼き、メカジキのバターソテーと云う次第。タマネギ・シメジ・カラーピーマンのソテーも添える。

                     

一つだけいいことが有ったのを思い出した。札幌のT女史から、ずっしりと重くて立派な毛ガニが届いていた。いけねェ~、未だ、お礼を言ってなかった。

                          

年度末、月末に週末と云うのに、我が財布には三枚の夏目漱石しか残っていないのだ。OYAJIにとっては世紀末に等しい。今宵は、ハイボールを三杯だけにするしかないようだ・・・・。 ハイボール、たった三杯で夜も眠れずか・・・・・、「メトロの車中もこれなら大丈夫か」。

 

 

 

 

 

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桜吹雪の下を・・・

2018-03-29 | Weblog

3/29(木) 昼前、友人のT物産社長・OKAZAKI氏からの電話が「日本橋に来ているが、時間があるようなら桜でも・・・」との、優雅な誘いであった。否応もない、日本橋なら歩いても十数分である。来てもらうことにした。

間もなく姿を見せた氏と、事務所ビルの下で落ち合った。『墨堤でも散歩しようか』と伝え、メトロの駅に向かうことにした。十メートルも歩いたところで、昨日の陽気につづく今日の暑さに閉口した。近場にしようと再提案し「浜町公園」に向かうことにした。ここなら徒歩圏内で、隅田川縁の馴染の公園である。

人形町交差点から甘酒横丁、明治座の脇を行くと浜町公園に至る。浜町公園には桜が十本ほどか、以前に何度か利用したが、近頃は予約が取れないバーベキュウー場がある。

暑いから日陰を歩こうぜと、甘酒横丁の通りを西側の歩道に渡った。少し進んだ横道の先に出ているビルの看板をOKAZAKIさんが見つけた。「松栄堂」とあった。氏の高校時代の友人が社長を務めるお香の老舗「松栄堂」の人形町店であった。折角だからと、店を覗いて行くことにした。

ビルの通用口に「面接会場」の張り紙があった。来春の採用面接をしているようだ。店内に入ると、お香やらしく馴染んだ線香の香りに満ち満ちていた。商品をひとあたり見回すと、匂い袋や香り入りの和紙、香りを楽しむ道具など様々に並んでいた。

京都が本店なので社長は来ていないだろうが念のためにと、氏が様子を訊くと「在店しており、採用面接中です」とのこと。じゃあ名刺を置いていくので伝えて下さいと託した。

浜町公園に向かう途中にある緑道の桜は、花弁を風に舞わせていた。満開から花吹雪へと変わり、緑道に据えた勧進帳の弁慶像に散り注いでいた。

                                

明治座を横目に中央公園に入る。満開の樹の下にブルーのシート引いた花見客が数組。まだ姿のないシートは場所取のためであろう。バーベキュー場の灰皿置き場で一服し、隅田川を行き交う遊覧船を眺めた。どの船も満員のようだ。

                   

草の渡船場は、さぞや混雑していることだろうと、何年か前の花見時期に乗船した時の光景を彷彿した。初夏の陽気の中でなんとも長閑なひと時である。世の中は年度末でバタバタしてるだろうにと、二人して苦笑いである。

ランチを摂ろうというので、古風な店構えの「来福亭」でクラシックなカニ焼き飯(一番安い)を食すことにした。焼き飯が手元に来たところに、氏に着信が。松栄堂の社長からである。店まで来て貰い、一緒にランチとなった。氏から話だけは何度も聞いていたが、初見であった。

京や三百有余年に渡る香ビジネスのことなど聞きながら、ランチとコーヒータイムをご一緒した。京都の桜も満開だそうな・・・・。そんな次第で、昼前から午後に掛けてのひと時を思いがけずに過ごした。

 

                             

今日の弁当は「チンジャオロース」と「ホタテフライ」が東西の横綱。他には「小松菜と薄揚げの煮浸し」「秋刀魚焼き」「卵焼き」であった。

                           

病院勤務での長女の弁当は、今日と明日だけとなる。東西の横綱を揃えて、楽日前を祝い、明日の千秋楽は「ステーキ」で送り出そうかとバカなOYAJIは思うのである。四月の二週目から、また二つ弁当になるのだが・・・・・。母・娘で、同じ職場に同じ弁当持参と云うのもどうかと思うが・・・ネ。

                       

昨夜、後輩のSHIMAKAWA君と一献交わし、早めの帰宅。東急ストでチンジャオロース用の肉と筍を買い、家路に向かった。家に着く百メートルほど手前で「背中を丸めて前を行くのはニイサンじゃないか・・」の声が、後ろから。慌てて背中を延ばし、知らぬ存ぜぬのふりをする。

横に並んだ自転車には、長女と孫のSORAである。声を聞いただけで直ぐに分ったが、丸まった背を見られたとは不覚!。旦那の両親達と日帰り旅行に行ってきた帰りとか・・・・。お土産を貰ったが、そのうちの一つ「わさび漬け」は、「嫌いだから弁当には入れないで」と言い残して帰った。

昨夜の言葉のお返し、嫌みで、今日の弁当に入れりゃよかったか、残念

                            

 

 

 

 

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満開・・・

2018-03-28 | Weblog

3/28(水) 満開の桜に誘われ、会社のそばにある小さな公園でも近隣の会社の場所取りが始まった。陽気に誘われ、ネコも杓子も花見とは善き習慣だと思うが、社内にそんなことを言い出すものなし。年度末の処理に追われ、それどころじゃなさそうだ・・・・。

そんなスタッフと一線を画したOYAJIは、人形町界隈や中目黒、碑文谷公園と近場の桜見物と洒落込んではいるが。今年の桜は一段と白色っぽいのが気に召さない。加齢の所為か気温か、はたまた樹齢なのか。私見では樹齢だと推察するが・・・・、雨が多い年の桜は白ぽっくなるのも確か。人間の髪の毛も白くなるんだからネ!、なに?それとこれは違うって?。

そんな惚けたこと言っているうちに、後三日もすれば平成29度も終わる。六十歳定年で契約再雇用になる剣道部の後輩が二人いる。彼等の退職慰労をしようと思っているうちに、月末を迎えた。再就職祝いとセットでやろうと、昨夕、人形町に姿をみせた後輩・YSHINO君と、「ちょっぷく」の安焼酎・ワイン・日本酒を飲りながら話しをした。

一軒で酒場を切り上げればいいのだが、そうはイカンザキ。一旦会社に戻り、仕切り直して「ローカーボ」でカウンターの人となったのは八時頃か。YOSHIOとFUJIKURAを相手に罵詈雑言を投げかけ、最後は「ちょっぷく」で沈没。飲まなきゃいいのに・・・と思うが、酒じゃなくて「酒場が俺を呼んでいる」と云う次第。正確に表現すると酒場の亭主が呼んでいる! かな?。墓場じゃなくて残念!。誰だ! そんな本音を云うのは?。

今夕は、これも三十年近くもの昔に職場を同じくした後輩、SHIMAKWA君と新橋で会うことになっている。OB会の件で話をすることがあって、声を掛けた次第だが、彼も何やら話がありそうだった。

生きている、それも長く、ただなが~く生きているだけで浮世の義理や世事に関わらざるを得ないことがある。そんな世界とスッパリとサヨナラし、田舎の畑で焼芋でもしながらボンヤリと生きるのも、世間の邪魔にならなくていいのかもしれない。剣道部のOB会には、もう出ないからなと、YOSHINOに言ったが・・・・。「三月は先輩が忙しくて出れないというので、四月に変更したそうですよ」なんて言われちゃ、僕、困っちゃう・・・ワ

与太話はさておき、今朝の弁当だ・・・・。スッキリしない眠りから覚めたのは六時頃であったか。昨晩、零時前に帰宅し、リビングの椅子に座りこんだまま眠ってしまった。一時半に目覚め?起こされて蒲団に入ったが、加えて、ここ数日の夢見もよくない。これじゃお目覚めもよくないさ。よくない夢のつづきを振り払いながらオイラの職場、台所へと向かったのである。

今日のメニューは焼肉だが、これは、昼間のコーヒータイムで街を散歩した。来月のランチ会のメニューで肉を使う案が浮上し「日山」で肉の下見をした。ついでに弁当用にと、安い「タレ漬け牛肉」を買ったのだ。

メインが漬け肉の「焼き肉」と云う次第だ。タマネギも一緒に炒め、焼肉丼弁当にした。他のラインナップは小松菜の卵とじ炒め、焼秋刀魚にオムレツであった。

                         

弁当は一つだが、義母が同居したので、その朝御飯にもなる。一石二鳥の「よくできた旦那様」か?。気持ち悪いねぇ~・・・・。

                     

 

明日の夕には、熊本・高森町からSEIさんが見える予定だ。Uターンで帰農した、氏の農業物語のその後を聴けるのは愉しみだ。

浜の真砂は尽きるとも、オイラに酒のネタは尽きなし・・・・。五右衛門ならぬ、ロクデナシOYAJIだ。

 

 

 

 

 

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金曜日の話から・・・

2018-03-27 | Weblog

3/27(火) 先週の金曜日、夕。某参議院議員秘書のNISHIUCHI君が来社。直ぐに「うまし」にて懇談となった。なんと、そこにHOYA兄いが独り酒を楽しんでいたと云うおまけがついた。

紹介をし、暫し三人で懇談となった。兄いが気を利かしたのであろう。先に店を後にした。N君から最近の政治情勢など、永田町の論理の解説を聞いた後、今回、来社した趣旨が語られた。

「今月で事務所を離れ、高知に帰ります。来年の県議選に向けて準備をします」とのことである。『そうですか。秘書生活は短かったようですが、これからの政治活動のプラスになるでしょうね』と応えた。

N君は三十半ばのはずだ。県会議員を一期務め、二期目に惜敗している。今度こその思いは十二分にあるだろうと思ってはいたが、これほど早くなるとは・・・。

彼が政治家を目指したきっかけは「教育」だったそうだ。このままでは日本の教育が崩壊すると、大学院を終えた研究者の道から、舵をきって政治を目指すことにしたそうだ。なかんかユニークである。

頑張れよ、いい結果を待ってるよ。と、言いながらも『票と金はないが、応援だけはするよ』と、なんとも頼り甲斐のないオッサンであった。故郷を離れてウン十年も経つし、ましてや彼が地盤とする県庁所在地の市には後輩が一人と知り合いが一人いるだけなのだ。これが現実である。

選挙に関わる話と、生活費が課題であろうと、訊いた。すると、その当てが殆どないと云う。それが一番、心配の種だとのこと。第一秘書と云う安定した仕事を捨てても、初心を貫く思いは買いたいが・・・・。

九州の某県にいる我が友人は、応援する国会議員が落ちて捲土重来を期している間、面倒をみていたが、N君にはそんなスポンサーはいないとか。徒手空拳で頑張るしかないか・・・・。

地元の有数の進学高校から、日本では最高学府と呼ばれる大学の、大学院で学んだ男だ。拾う神も現れることだろうが、善き神に巡り合うことを祈る。

その彼が最後に頼みごとが・・・と、彼のボスが所属する大ボスの水月会なる政治パーティの券を一枚、協力頂けないかと。わざわざ来て貰ったんじゃ、それぐらいの協力はさせて貰うよと応えた。

政治家のパーティと云えば、同じ五月に横浜で開かれる「さかい学」事務所からも案内が届いていた。浮世の義理やらで、そこそこのお付き合いは村の税金と割きってはいるが・・・・。

N君からパー券と共に届いた手紙には「高知に戻られた時には、是非一献」と。そして「最高のご報告が出来るように頑張ります」とあった。若者はいいねぇ~。

若者と云えば昨夜の若者、否、かつては若者だった二人。この二人も元気だったねぇ~。その中の一人、某代理店に居る男を我が社に欲しいと思って会ったのだが・・・・、無理だろうねぇ~。ステージが違うからね。

元気な二人を相手に、霞が関のビル地下の蕎麦屋で、最後の客になるまで飲みまくったが、今朝まで酔いが残ってない。元気な酒を飲むと酔いも飛ぶようだ・・・・・。

 

そんな訳で、今朝の弁当事は快調に進んだ。

今日は「鯖の塩焼き&フリッター」と「豚小間と野菜の炒め物」、煮物は「カボチャ煮」であったが、この味が・・・濃い~。普段使わない紫醤油なんてのを使ったのが敗因のようだ。野菜は、ター菜・茄子・茗荷・タマネギにシメジ、茹ブロッコリーです。

                   

最後に何時ものように「卵焼き」で今朝のお努め?遊び事は終了した。失敗作は南瓜煮だけですよ~、他は上々のお味!。のはず・・・・。

                    

 

 

 

 

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コロッケ

2018-03-26 | Weblog

3/26(月)東京の桜も粗満開に近いようだ。東京といっても些か広いのだが・・・・。昨日今日と四月も半ばの陽気だとか。昼のコーヒータイムに、社の直ぐ傍にある堀留町公園を通ったら、ここの桜も満開の体だった。

墨堤辺りを散歩したい処だが、今週にそんな余裕が生まれればいいのだが・・・・。古賀武夫伝のタイトルが「世界を翔けた異風者(セカイオカケタイヒュウモン) 古賀武夫伝」と決まった。その再校正を、昨日も夕方から出社して漸く終えた。発行は五月二十日ごろである。

 

さて、今朝の弁当は一つ。今月末で都立病院を退職する、長女の弁当が暫らく要らないのだ。家人がやっている訪問看護ステーションに入るとのことだが、どうなることやら・・・・。

今日は手抜きで、冷凍コロッケを揚げた。これにメカジキのハラスをソテー、定番の卵焼きに煮物だった。煮物は野菜で、人参・椎茸・厚揚げを一緒に煮た。たったこれだけである。

                   

朝方五時過ぎに目覚め、六時から台所に入った。すっかり陽もながくなり、季節の変わり行くのが日々、肌身に感じるのである。散歩をしていた数年前が懐かしいよ。

                    

今夕は、日比谷にて後輩二人と懇談する。二十代だった彼等も、早や五十路となっている。こっちがジジイになるのも致し方ないか・・・・・。こうして黄昏て行くのも悪くはないかも?

 

 

 

 

 

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桜咲く・・・

2018-03-23 | Weblog

3/23(金) 江戸の桜も見ごろを迎えたようだ。出勤前、目黒区役所に立ち寄った。区役所は中目黒に在り、通勤経路の日比谷線に乗り換える駅でもある。役所で、印鑑証明を取得した後、駅に戻ったが・・・。

中目黒駅の高架下を流れる小さな川、目黒川が東京の桜名所になってから久しい。幅が十数メートルしかない川の両側に桜並木がつづき、両側から川面に枝が張り出して桜を堪能できるところがミソだ。中目黒に下りたので、ついでに桜のご様子を窺うことにした。東横線の高架下、旧山手通りを渡ってすぐが目黒川なのだ。

金曜日の十時過ぎという時間なので、未だ酔っ払いの姿もなく、人波に揉まれるような事態も心配ない。去れど、午後の人波に備えてか、警備員が十人程スタンバイしていた。空は花曇りと云おうか、どんよりと鉛色。花見の絶好スポットとなる橋の上では、早くも欄干越しに写真を撮る人で一杯になっていた。

東横線の上流側は八分咲か、下手は四・五分咲きと云う塩梅であった。桜色と云えば、薄桃色に近い色合いだろうが、桜は桜色ではなく白面の花弁であった。今年がそうなのか、或いは老境に差し掛かった古木になりつつある所為か?。曇り空と相まって、妙に寒々しく感じた桜であった。

              

短い時間であったが、今年初の花見となった。実は、今日の予定では、午後に区役所を訪れ、その後、USUI老と合流して花見をし、帰社の計画であった。処が、老の奥さんがポリープ切除の手術が急に決まり、この話は一昨日に流れた。急遽、区役所行を今朝にしたのだ。

川面を埋め尽くす花筏の頃に、もう一度立ち寄るつもりだが・・・・・。

さて、昨晩は一週間ぶりの人形町パトロール。蕎麦の「高松」を口開けに「ローカーボ」、「ちょっぷく」から「セイジュ」へ。最後に再度の「ちょっぷく」に寄り道となって、学芸大学着は、丁度零時になっていた。東急ストアで、今朝の弁当食材「焼き肉用の肉」を買ってからの帰宅であった。

ローカーボのお釣りに百円札貰ったのだ。マスターが子供の頃に貯金していた貯金箱が出てきて、その中に百円札が十枚ほど在ったそうだ。常連客の釣銭にと、HOYA兄いと一枚づつ釣銭で貰った。この百円札って値上がりしてんのかな?。マスターによるとピン札ならと云うが、古札だからね・・・。去れど、郷里の偉人?板垣退助さんが載っている札だ。大事にするか・・・、今更あやかり様もないが。

                          

そんなことで、今日のメインは「焼き肉」と云う次第に。他には「キハダマグロのソテー」「なす&ピーマンの味噌炒め」、お手軽卵焼き、ウインナー炒めということになった。

                

二つ弁当だが、写真は一点だけである。撮る前に持っていかれたのだ・・・・。

                   

余談だが、後輩のKATUTA君から留守中にデコポンが届いていた。美味しいと大好評だが、礼状も電話もしていないことに気付いた。今朝、駅に向かう途中に彼に電話を入れた。すると、元気イっパイの笑顔が見えるような応えが返った。その声を聴き、二日酔気味のダレた体に気力が湧いてきたのだ。声の持つ力、意気を実感したのであった。

今夕、郷里の代議士秘書のNISHIUCHI君が一杯飲りに来るとのことだ。大した話は無かろうが、国会の行方でも訊くしか話題はないか?。それとも、彼が合コンした結果でもネタにするか・・・・。俺のような天下の素浪人、世捨て人、同然の処に来ても益体もなかろうにと思うのだが・・・・。こっちとしては、どうせなら女性秘書ならなぁ~、残念。N君がこれを見ることはなかろう・・・・。

 

 

 

 

 

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一週間ぶりに・・・

2018-03-22 | Weblog

3/22(木) 昨日の午後便で高知を発って帰京した。高知も雨だったが、ワイシャツにジャケット姿の私には江戸の雨は殊のほか冷たかった。駅のスーパー・東急ストアにて傘を調達しての帰宅であった。

冷えた体が温まる間もなく、家人が仕事で不在であったので飯作りに勤しんだ。義母が先週末から同居するようになったので、夕食を待たせるのも気の毒と思った次第。雨続きだった帰省中も飯作りで遊んでいたが、帰宅して直ぐに飯作りに入るとは・・・・、好きじゃなきゃやらいないが・・・・・。

飯を炊き、野菜を煮た。大根&人参と鶏肉の炊き合わせに茄子煮である。そして重い思いで持参した大きくなりすぎた椎茸とアスパラのバターソテー、山女魚の天麩羅、ニロギの唐揚げ、そんな処であったか。

番外編で、もらってきた「山女魚」と「鮎」で姿寿司を作った。同じ川魚ながら、どう味が違うのか?それを知る為であったが・・・・。鮎は昨年の秋に捕ったもので脂が乗っているはず。一方のヤモメならぬ山女魚は、解禁明けで身が細いのだ。都合五匹を姿寿司にしたが・・・・。軍配が上ったのは酢飯の方であった?。

                        

                       どちらも18cmぐらいの大きさ

帰省中も連日、野菜煮(茄子・カボチャ・大根・白菜等)や小大根の葉の塩揉み、ホウレンソウのお浸しやソテーと自分で植えてあった野菜を食すのにも忙しかった。加えて、ロールキャベツ、肉じゃが、春巻きやトンカツ、フキノトオや茄子・薩摩芋の天麩羅の揚げ物、チンジャロース・ホイコーロ等の炒め物、シチュウー、親子丼、鍋に炊きこみご飯やウドンに雑炊と、食い意地の塊りのように料理をつづけたのであった。

              

サラダ在り、刺身が有り、お浸しに漬物、無いのは金ばかり也とは・・・・・。一週間の食材費は、〆て二万五千円也。掛け過ぎだね・・・・。

食材費ゼロ円の秀逸は「小鳥の焼き鳥」だった。昔は自分で撃ちに行ったこもあるが、小鳥の焼き鳥を口にしたのは三十年ぶりかも?。七輪を探しだして炭を熾し、タレを作って焼いた。味の方は・・・・さして美味いとも思わなかったが、今や珍味の部類であろう。                        

                         

それもこれも、雨・雨、又雨と、一週間のうちに五日も雨がつづいたのだから・・・。晴れたのは土曜日、一日だけであった。この一日で草刈りや有機肥料撒きを終えたので、後はなにをしようと、と云うことだが。

                         

とうてい食べきれないので、従姉や従弟も呼んだり届けたり。テーブルの上は、毎回満艦飾の賑わいであった。20日には、十五日に解禁になった山女魚をKATUOが釣って来た。四時間ばかり五十匹以上を釣ったそうだ。それを焼いて持ってきた。帰京の日には二十匹ばかり開いたのを貰った。

今回の帰郷は飯、また飯作りの日々と総括できよう。一括りで云えば「飯炊きオヤジの帰郷日記」になりそうだが、この件はこの辺りで止めておこう。

畑に植えた「枝垂れ桜」が、数十輪であろうが花を付けた。ピンクと云うよりはもっと赤に近い色合いだった。この枝垂れ桜の苗木を手に入れたのは四年前になると思うが。東北の震災後三年をテーマにした取材行に向かう途中で、滝桜の三春に立ち寄った。その折に、滝桜の末裔との触れ込みの、1mばかりの幼木を二本買い、郷里に送った。

                 

                   桜桃           枝垂れ          桜桃

一本は庭に、一本を畑の隅に植えたのだ。庭に植えた一本は背は伸びて3m以上になったが葉は繁れども花付けぬままだ。が、来年には花も咲かせよう・・・・。

畑の花と云えば、桜桃が白い花をいっぱいに咲かせていた。栗の樹の下に植えたので、伸びが悪いながら花だけは枝枝に綿毛を散らしたように付けている。そして、ソルダムの木も花を咲かせ始めた。愈々、山里に春本番の到来である。

 

かくして、飯・めし・メシの一週間が明けたが、明けた今朝も飯作り也。今朝は「弁当」飯である。

一週間ぶりの弁当は、「トンカツ」「掻揚げ」「椎茸のソテー」「秋刀魚丸焼き」「卵焼き」「竹輪胡瓜」「小松菜の卵炒め」であった。これだけあると、弁当に入りきらぬので、適用除外品がで出る。二人の好みを斟酌しながら、入れるものを決める。

                           

人生には斟酌も忖度も大事であるが、この使いようが肝要なのだ。その点、吾輩のようなベテランになると間違いないし、間違えようがない。世間から指弾されたり、証人喚問なども有りようがない。例えあったとしたら、全て自己責任。自分で判断したことは己の責任と、男は黙って縛につくのだ。せめて、弁当事ぐらいは・・・・ワッハッハ!(バカだね~俺は、なに言ってんだろう・・・・)

                            

最後に味噌汁を作ったが、これは義母のためである。優しくなっきゃ男じゃない、優しいだけじゃ男じゃねぇ、気配り金配りと忙しいいんだよ。意味不明。

                      

 

 

 

 

 

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親子煮

2018-03-14 | Weblog

3月14日(水) 出勤して気が付いたが、今日はホワイトディとか云う日らしい。先月に頂いた義理チョコのお返しをする日だそうだ。孫娘の小1のSORAから重ね重ね言われたのを思い出す。未だ、アイスのガリガリくんあたりで満足しそうだが・・・。会社の女性陣が買い置いた(皆で頂いた)義理チョコのお返しは・・・・、三越辺りで見繕ってくるか・・・・。俄然忙しくなってきたな

 そんな次第で、急遽、三越へと買い物に行ってきた。昼や午後になると、界隈のサラリーマンで大混雑するのだ。それでも、午前中とはいいながらもチョコレートやクッキーを求める背広姿が目立った。お前もそのうちの一人と言われるだろうが、あにはからんや、こっちはジャンバー姿の貧乏スタイルで店員も見向きもしない。が、ウイスキーボンボンならぬブランデーボンボンをホワイトディのお返しにした。

その帰り、中央通から一本昭和通に近い通りにある「おかめ桜」並木が、桃色の小さな花弁を未だ付けていた。この桜は二月から咲いているはずだが、今年初めて目にした。染井吉野の開花がもうすぐだと云うのに、未だ咲いていたとは・・・・。

                       

隣の八百屋が店を閉めて、小母さんの「行ってらっしゃい」の声を聞けなくなったが、代わりに家人の母親が先週末から同居を始めた。今じゃ義母の「行ってらっしゃい」に見送られて家を出るようになった。

その義母の朝食は、弁当の菜と同じものにしている。家人からは、血圧が高いので薄味にとの注意がでている。私と長女は濃いめの味付けを好むが、家人は薄味を好む。

今朝の弁当は「親子煮」となった。それと「ブリ照り焼き」と「小松菜の胡麻炒め」である。鶏肉とブリ切り身は昨夜の帰りに買った。と云うことは、前夜にメニューが決まっていたことになる。福岡空港で買った「明太子」も少し加えることになったが・・・。

                   

前夜のうちにメニューが決まると楽だ。あれこれと悩むことがない。決めたメニューでまっしぐらに進めばいいのだから。仕事も同じか・・・。

そんな次第で、今朝のお仕事は淡々と進んだのである。長女は「親子丼」弁当にしたが、家人は「親子煮」である。今日の親子には薄味だが、小松菜の方が濃い味になってしまった。

                      

 

さて・・・・、昨日のことを少し記す。

昨日は昼過ぎに「奈加野」に寄った。この店の主人から「猪肉」がないかと言われ、手持ちの猪肉を届けたのである。明日来る客から猪肉を頼まれたが、田舎の同級生に連絡しても入手できなかったそうだ。10月のベッタラ市ように冷凍保存してあったのを分けた次第。

店に品物をおいて、直ぐに新橋へと向かった。今月末で完全退職となるかっての部下、O氏から「一杯付き合ってくれ」と言われていた。その待ち合わせ時間が午後二時で、烏森神社の先にある安酒場「赤札屋」である。ここは超がつく安酒場なのだ。ジョッキチューハイが百円だからね。どんな焼酎を使っているかは押して知るべしだが・・・・。

O氏と会うのは一年振りぐらいか。この安酒場で何度かご一緒している。『ご苦労さまでした』と一応労い、行く末について訊きながらジョッキを重ねた。他所の広告会社から転職してきた彼とは、27~8年前に出向したグループ会社で二年程一緒だった。それ以来、時折一緒に飲んでいる。

『申し訳ないが、今夜お通夜に行く予定ができた。それほど深酒はできないんで勘弁な』と、伝えたが・・・・。思いで話や、壊れかかっていた家庭のことなどを聴いているうちにすっかり酔いが回っていた。ブレーキを掛けるのに苦労したが、退職してひと段落したらまた飲もうと、四時頃に別れた。

新井さんのお通夜は、上野池之端の寺で午後六時から。この間に酔いと顔の火照りを覚ますことにした。人形町に戻り、ドトールでアイスコヒーを飲み、三十分ほど帰社した。そして、丁度六時に「東淵寺」に入った。

服飾デザイナーの新井俊二さんとは、サラリーマン時代の昭和61年、電電公社が民営化された翌年になるが、ユニホームの担当として着任してお会いした。一新された制服のデザイン監修をお願いしていた。と云うことは、三十年余も経ったことになるか・・・・。

当時、先生の事務所は日本橋小舟町にあった。人形町駅から徒歩6~7分の処であった。毎月のように先生の事務所に伺い、打ち合わせなどをしていた。小舟町は、我が社がある堀留町の隣町で、先生の事務所が在ったビルと、我が社とは200m程しか離れていない。人形町にご縁があった訳だが、その当時は知る由もない。

先生の事務所はその後、本郷~神田と移るが、お付き合いはつづいた。こっちが一方的に教えを乞うことばかりだったが。温厚で語り口がサッパリしている先生の話は判り易く、経験と造詣の深さから説得力があり、かつ柔軟であった。ユニホーム担当として二年間、先生のお出ましを願って現場の声を聴きに、拾いに何か所も廻ったのでよく判る。

現場ヒヤリングでは、デザイナーさんを同伴しますと云うと、勝手に妙齢の女性デザイナーを思い浮かべそうなので『オジサンのデザイナーさんです』と付け加えるようにした。

失敗談は一つ。道東では未だ寒さが残る四月初旬、帯広に行くことになった。処が、飛行機の飛ぶ時間になっても先生は現れない。現場での時間は決まっており先行した。ヒヤリングも全て終わってから先生は到着した。その日の宿泊先、十勝川温泉の宿で風呂に入り酒を飲むだけのことになった。が、悪びれた様子もなく元気だった。

転勤後もお付き合いいただき、タイ、私が企画元であったスペイン・バルセロナの万国博覧会ツアーの旅にも参加頂いた。良き時代であった。

数年前から体調を崩されていたが、事務所には顔をだしていたとのことだ。私は一年ほどご無沙汰をしていたが、ご様子はT物産社長のOKAZAKIさんから入っていた。だが訃報が届くとは思いもしなかった。享年八十四歳とのことである。

通夜のお浄めの後、OKAZKIさんとお茶を飲みながら、先生との思い出など語りあった。

 

明日から帰省するが、今回は一週間と長い。春のお彼岸があるのでそれまで滞在し、今年第一回の草刈をせねばならぬ。この時期に草刈をしないと、四月になって大変な目に遇うのだ。帰京は、3月21日の祝日。

桜の蕾も膨らみが大きくなってきた。花見も直ぐだ・・・・・。

 

 

 

 

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佐賀~福岡、そして通夜。

2018-03-13 | Weblog

3/13(火) 日曜日、予定どおり10:05発ANA便にて佐賀に向かった。空港バスで佐賀駅前のバスセンターに着いたのは12:45分頃であったか。ステーションの喫茶&飯と云うような店で朝食を食べてないこともあり食事を摂った。

今回の旅は、佐賀では古賀武夫伝の校正―個人名がでることや佐賀弁のチェックなど― の他、販売&資金計画などの打ち合わせである。午後二時、OONOさん、YAMASHITA夫妻、本の実行委員長であるKOGA・DAISHI氏が集まり校正となった。特に人名や地名については、当地の人しかわからないことがある。

凡そ三時間に渡る校正作業も無事に終わった。刷り部数や販売価格、販売目論みなども確認した。この後は、翌日に福岡の石風社に持ち込んで、最終校正ををお願いすることになる。

 翌日、前日に佐賀に着いたと同じ時間に博多駅に降り立った。佐賀から博多までは特急電車で40分ぐらいなのだ。石風社とのアポイント時間には早すぎたのでコーヒーを飲みながら約束の時間を待った。それから三年ぶりに石風社のドアを押した。打ち合わせの方は万端整った後に、今度はTUGAWAさんの書いたものを出版する企画について相談した。

我が社の35周年となる来年7月まで一冊の本に本にしたいのだ。その相談をしたのであった。全て了解で終え、福岡空港へと向かった。16:25分ANA羽田行まで少々の時間があった。佐賀駅の書店で買った本を読み始めた処へ、携帯が鳴った。

友人のT物産社長OKAZAKIさんからだった。人形町に来たのでお茶でもどうか、のことかと思った。福岡に居るので申し訳ないがと云うと思った先に流れて来たのは「新井先生が亡くなったそうです。家族葬とのことですが、参列させて貰うことにしました。」との連絡であった。

ゼン・プランニング・コーポレーション社長の新井先生とは、三十年余も前に、サラリーマン時代にユニホームのデザイン・監修でお世話になって以来、交流をつづけてきた。それが、年に何度かであれ。服飾デザイナーの新井俊二さんが亡くなったとは・・・・。私より一回り以上の年齢であったので、分からぬでもないが・・・・。

今年の年賀状に、これからの人生を迷わぬように生きると云うようなことが記されていたが。その三月も経たぬうちに亡くなれたとは・・・・。

新井先生と思い出は後日記したい。これから上野・池之端で執り行わる先生の通夜に参列するので・・・・。限りなく思い出はある。OKAZAKIさんと一緒に行ってまいります。

 

 

 

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セイジュ会

2018-03-10 | Weblog

3/10(土) 昨夜は月例の「セイジュ会」であった。碓氷老も千葉の片田舎から出てきて「高松」で一杯やり、それから会に行く。老が来るたびに「高松」に顔を出し、支払いをするのも月例になっている。

そんな次第で、六時半頃から「高松」で老と金魚割を三四杯飲んでから「セイジュ」に向かったが、「高松」で飲んでいる間中、相席した常連のペアに「高知はいい、今度一緒に行きましょう」と、盛んにPRをした。俺は合いの手に『大したとこじゃないから、止した方がいい』と、言い続けたのだ。

                            

「セイジュ」に着くと、HOYAさん独りだった。訊くと、予約が入り奥のBOXに十人も客が来る予定とか。それじゃ早目に唄うかと、早々とカラオケを始める。暫くし、YOSHIO&FUJIKURAの会社のメンバー、NAKAMURA大将も姿を見せ俄然盛り上がった。AOKIに言って、ママさにランチ会で残ったチラシ寿しを持ってこさせた。

                         

一時間もしないうちに、BOXの客が姿を見せ始めた。十人ならぬ、十六人だとか。ママさんは嬉しい悲鳴だ!、俺たちの月会費一万円に加え、これだけの客が入ったのだから。お茶っぴきの夜が多いだろうから、こんな夜もなきゃ、やってられねえだろうが・・・。

俺は奥の客がマイクを持ったのを汐に、先に失礼した。独り「ちょっぷく」で安ワインを飲んでいると、一時間もしないうちに内のメンバーが姿をみせた。席を移って四人で飲み直しとなった。

訊けば、HOYA兄いとNAKAMURA大将は二人で何処ぞに消えたとのこと。どうせ「ローカーボ」か、「こま吉」辺りであろうと推察するが、これから追う元気はなかった。帰宅は十二時近かった・・・・。可也、酔っていた。

明日は、朝の便で佐賀に飛ぶ。午後から本の打ち合わせをし、夜は一杯会になるだろう。月曜日は、午後から福岡の出版社「石風社」で校正打ち合わせなどし、六時後には羽田に着く便で帰京予定。七時からの「モナリザ会」に、間に合うといいのだが・・・・。

 

 

 

 

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