オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

三寒四温

2014-02-28 | Weblog

2/28(金) 今日は滅茶暖かい、天候も回復して春爛漫の陽気だが、来週にはまた冷え込むとの予報。三寒四温の季節である。今日は二月の末日、明日からは弥生三月となる。春はすぐそこに居る・・・。

昨夜、渋谷に着いたのは20時過ぎ、大粒の雨が落ちていた。生憎の空模様、商売人泣かせの雨である。「奈加野」も閑散としており、客は二組しかいなく、店主のボヤキを早々から聞く羽目となった。誰も居ないカウンターに陣取り、生ビールを一口、喉を潤した。早々に用件に入った。

今夜来店予定と耳にした、K先生に渡してほしい文書を見せた。福島のセシウム軽減企画である。「先生が帰る折に、機会をつかめれば私の後輩からの頼みですが、と云って渡すよ。明日は予約客で忙しいんだよ」と、つれないことを言う。『この企画は、先生の出身地の復興に係る話だし、地域の活性化にも繋がるんだよ。頼みまっせ!』と、念押しをしたが・・・。

贔屓にしてくれるお客さんに依頼事を、それも後輩からだと、頼んで貰うのも気が引けるが天下国家(大仰だが)の為だ。お願いするしかない。そう云えば昨秋にも、某公営放送の系列の出版社の社長を紹介してもらった。大した依頼事ではなかったが、助かったことがある。

オヤジが何時もの如くに「キンキ・ノド黒」と値の張る魚を奨めるのに耳に貸さず、ヒラ鱸の刺身とカキフライを肴に伊佐美の湯割りを二人して飲り、オヤジの賄い飯の牛筋煮を摘んだ。「焼肉を奢れ」なんて言うのを戯言とばかりに受け流し、店を後にした。

飲み屋のオヤジではあるが、先輩と云うのは有難いものだ。これからは客面をしてタメ口をきくのは改めなくてはな・・・と、今朝になって思ったりするのであった。

 

  「極上唐辛子」

そう云えば、未だ礼状を出していないがAJIRO氏の贈ってくれた”唐辛子”が絶品だった。例年よりはピリッと辛味が効いて大人の味だ。今年から、麻の実を加えたとあったが、この味が効いているのかもしれない。

そこで、TVで京都人の必携と見た、my唐辛子として鞄に入れておくことにした。そういや、HIROさんがAJIRO氏の唐辛子を持ち歩いた時期が有った。奈加野で焼き鳥にこれを振り掛けた処、店主が目敏く見つけて味見「これやいい」と欲しがり、AJIさんに追加で送って貰ったことがあった。私のmy唐辛子を奈加野では見せないようにしなくては・・・。

                     

容器の方は、上手い具合に長野・善光寺の門前で贖った小さな七味の缶が空いていた。これにAJIRO唐辛子を詰めた。鞄の中にも入る手ごろ感もいい。今夕、松山から上京するHOSHIKA君と旧友たちが、恵比寿の焼き鳥店「田吾作」に集う。焼き鳥にこの極上唐辛子、いい塩梅だ。この店の飲み物、ホイスのジョッキが進みそうだ・・・。

今日には、礼状を出さなくちゃ・・・・・。

 

 

 

 

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文旦

2014-02-27 | Weblog

2/27(木) 一昨日、年末に注文してあった「土佐文旦」が会社にも届いた。通常の文旦は、年末に収穫して二月ほど熟成させてから出荷する。届いた四万十川清流農場の文旦も同様の手順で届いた。昨年夏の日照りにもめげず、大きくて綺麗な文旦で色艶・香りとも申し分ない。私の畑で実る文旦とは大違いだ。

                       

然し味見はしていない、そこで先ほど切ってみたが・・・・。形、色艶、香りは上々だが、ひと房口に運び歯触りを確かめる。舌に乗せて含んでみる・・・・何かが足りない、足りないのだ。文旦のもつ芳醇な旨さ、微かな甘みと上質の匂い、これがない。水分は上々だが、微かな酸味と渋みが口中に残った。ハズレだな、今年の文旦は良くなかった。

                       

毎年の如くに取り寄せている、昨年は熟成まで時間を要したと3月中旬の出荷で、球も小さ目であった。が、味の方は良かった。手厳しいが、今年の味には満足出来ない。自然の要素が多分にあるので、年ごとには多少の出来不出来があろう。熟成期間が少し足りなかったのか、肥料が少なかったのか?上々の外見だけにちょっと残念。来年に期待しよう。

味の方では、私の文旦でも太刀打ちができそうだ・・・と思った。

高知で誇れるものは、文旦小夏、この二つが双璧と私は思っている。勿論、生産者や産地によって味のバラツキはあるし、年ごとの気候にも左右される。農産物の生産は難しいのは確かだ。秋口から出回る温室栽培の水晶文旦もあるが、今の時期に出る土佐文旦の芳醇な香りと品の良い味わいは格別である。

そして初夏、五月頃から店頭にでる小夏の仄かな甘さと酸味のコラボレーション、甘皮のさっくり感と相俟って味わい深いものだ。こればっかりは食べてみないことには分からんな・・・・。

さておき、ちょっと残念な今年の文旦でした。来年をご期待下さい

 

昨夜、渋谷・奈加野に立ち寄るつもりでいた。或る案件で、奈加野の店主を介して醸造学の大家であるK先生に意見を、上手く行けば道筋を開いてもらう考えがある。そのお願いに奈加野に行く計画をしていた。処が、日も暮れてから、あの古本BARをやっていたHIRAISHI氏から誘いの電話がきた。

彼とは一年も会っていないはずだだが・・・「学大で、安くて、いいワインバルを見つけたから来ない」との誘いである。久々のことなので奈加野へ出向くのは翌日にして、学芸大学に帰ることとした。『遅くなっていいなら、顔を出しますよ』と、店に着いたは21時頃になっていた。

店は路地に面しており素遠しのガラス戸から店内は丸見え、中には何の飾りもない。L字型のカウンターに、硬くて不揃いな椅子が7~8脚だけの小さなお店であった。ママさんと云うよりはお手伝いさんと云う風情の女性が店主で、九か月前にオープンしたとのことである。

HIRAIHIと言うかHIMAISHIと呼ぶべきか、古本BARを閉めてからは競輪と安酒場、古本屋巡りの優雅な貧乏暮しと豪語する。地元で飲む機会が少ない私とは、出会うことも無い。

学大事情や、昨今の世情etcで小一時間付き合ったか。入ってくる客の誰彼とも親しそうで、この店の常連ぶりを発揮していた。私は数あるワインのリストから「一番安いやつを!」と、グラス550円の赤ワインを飲んだ。HIMAISHIさんは二番目に安いのがいいと、私が来る一時間以上も前から遣っていた様子。

「それじゃ、先に失礼するよ」と勘定を頼んだ。と、伝えられた金額が大きい「なにそれ?HIRAさんの分も入ってんじゃないの?」と問うと、そうだと言う。「へ~そうなの?」と云うと、勘定をしなおそうとした。今更それも気分が良くない、いいよいいよと言って店を後にした。

HIMAISHIのオッサンがあらかじめ何か伝えてあったかもしれない、或いは紳士然たる小生を見て、何処かの鷹揚なお大尽と思ったか?それなら判らんでもないか・・・。然し、お大尽が「一番安いの」と、頼むことはねえだろう・・・・・。

と、間抜けな夜であった。HIROさん流であるなら『二度と、この店のドアを開けないぜ』と云う処だが・・・。

 

 

 

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松山へ転居の若夫妻

2014-02-26 | Weblog

2/26(水) 昨夜は目黒の焼き鳥店で一杯やり、それから三鷹へと向かった。昼間、目黒の某社に勤務するT氏と夕方の打ち合わせの約束をし、その後一杯やることにしていた。夕方になって相棒のHIROさんと連絡を取ると、、土曜日の三鷹で会う予定が急遽今夜に、となった。

T氏には事情を伝え、短めに切り上げることとした。焼き鳥をつつきながら、生ビールとハイボールを遣る。T氏の自家版通信「近況通信」の最新号を貰い、内容の説明などを聞くと・・・・。銀座にできた「スタンディングのステーキハウス」のレポートであった。昨年の12月オープンの店で、客が列をなしているとのことである。

この店に、暇人のKIYOTA老に誘われて行った様子を紹介していた。肉はオージービーフだとか、肉のお値段は5円/gと6円/gとのこと。400gのサーロインやリブステーキを注文したそうだが、肉のレベルは3.5Aぐらいの味だったとか。然し、T氏に肉のレベルが判るんかな?。お値段の方は2500円弱とリーズブナルで、ドリンク類も揃っているとのことである。ものは試と云う、一度は行ってみるか。然し、列をなして客が並んでいるようでは考え物か・・・。

可笑しかったのは、K老とTの電車内でのこと。ご婦人の前に立って二人で話を続けていたようだが、そのご婦人が電車を降りる際に「面白い話を聴かせていただき、どうもありがとうございました」と、丁重に頭を下げて礼を言ったとのこと。「電車の乗客から礼を云われたのは初めてだよ」と、Tは笑った。『どうせ大声で、例の如くのバカっ話でしていたんだろう・・・・』と返してやったが。

あっと云う間に時間が経ち、三鷹に向かった。約束の待ち合わせ時間は、20時30分であった。何年かぶりに訪れる店「ストーリーズ」の場所を間違ったが、約束の時間ピッタリに着いた。私の日常からすると珍しいことである。

ストーリーズは、三鷹駅南口から中央通りを15分ほど行った所に在る。隣の酒屋さんが開いている、小さなワインバーである。何故ここに来たかと云うと、この店で働いてきたDAISUKE君が、奥さんの実家がある松山市(愛媛県)に来月中旬には引っ越すとのことで、お別れと云うべきか、又ねということなのか、そんな次第である。

HIROさんは三鷹での暮らしが長く、ストーリーズに通った時期が、通い詰めともいうべき時期があった。そんなことから、私も三鷹に行くとこの店に顔をだしていた。昼間は酒屋の配達、夜はBARでバーテンダーのDAISUKEとも親しくしていた。彼の奥さんとも知り合い、出身が四国ということから話が弾んだ。

                         

                           DAISUKE君夫妻

DAISUKEは東京で店をやるかと思っていたが、松山が気に入り住み着くつもりのようだ。そのことを知ったのは一月ほど前。HIROさんからの連絡で知った次第。ストーリーズは、カウンターだけの小さな店だ。客は皆さんお馴染さん。HIROさんは、あれだけ通っていたのだが、ある事件を契機に行くのを止めていた。DAISUKEが辞めて引っ越すことを知り、宗旨替えしたのだろう・・・。

その事件とは、数年前に勃発した。
店はドアつづきの酒屋さんが経営している。客は、その酒屋で買ったワインを持ち込むことができるそうだ。或る夜、店で買ったワインを飲んでいた客からHIROさんはご馳走になったそうだ。と、ここまではよく有る話だが・・・。

で、DAISUKEが、500円をHIROさんに請求したんだと。なんでやね?と、まあHIROさんは怒った「店の決め事で、持ち込みのワインをご馳走になると、ご馳走になった方から500円頂く仕組みです」と、言われたのだ。と、更にHIROさんが怒りを大きくした「そんなトウヘンボクな話があるかい!そんな無体な決め事は許せね~や・・・」と相成り、二度とこの店のドアは開けねぇー・・・。と、なっていたようだ。で、私もストーリーズから遠くなった。

それが、DAISUKEの都落ちで顔を出すことになったようだ。DAISUKEは、すっきりとした好青年なので松山に移っても上手く行くだろう。若い二人の門出を祝いたい・・・、そんな思いがHIROさんにはあったのだろう。

DAIちゃん、今度は松山で会おう・・・。

 

 

 

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春の兆し

2014-02-25 | Weblog

2/25(火) 今日は、春を思わせる空気で満ちている。 目覚めたのは五時頃か、蒲団の中で季節の変わり目を感じていた。そんな中で思ったのは、暦のことである。

どう考えても旧暦の暦が、日本の季節の移ろいを確かに表している。新暦では、まじゃくに合わないな等と、今更のことを感じていた。今月も後わずか、週が変われば桃の節句、啓蟄とつづく。更に翌週には初午である。旧暦でなければ、この季節感を実感できない。

田舎の畑で焚火をしがら春を感じていたが、江戸にも春が来たようだ。我が家の鉢植えの河津桜も、何時の間にやすっかりと花弁を開いていた。

                      

陽気の所為か、身も心も何気に軽くなったような気分で玄関を出た。開店準備を始めた、隣の八百屋の姉妹が「行ってらっしゃい、気をつけて」と送り出してくれる何時もの声にも春の響きを感じたのは、思い過ごしか・・・。

昨日、友人のAJIRO氏から「唐辛子」が届いていた。彼が自家製の唐辛子を作り始めてどのくらいになろうか。私が頂戴し始めてから5~6年は経つ。材料は、自家生産の農産物を中心に十種類以上を使っているとのことだが、今年は「麻の実を加えた特製。極上の味に仕上がりました」と、手紙が添えれていた。

                       

この唐辛子の大ファンの一人が、TUGAWAさんである。二袋を贈ってもらったが、一袋はTUGAWAさんに渡して欲しいとの配慮を感じる。余談だが、三年前になろうか、この唐辛子の味を知った料理屋・奈加野のオヤジが欲しがって、在庫がなくて往生したことがあった程である。

その手紙には更に「先般の雪で、車庫の屋根が潰れて車が壊れた」と、嘆きが記されていた。彼の住いは奥多摩のあきる野である。都心に比べると雪は倍返しに降ったことだろう・・・・。愈々、三月末で仕事を上がり、完全リタイアすると聞いている。彼を知ったのは三十年前、昵懇な付き合いを始めてから四半世紀となる。退職の慰労会でもやらなければならない・・・。

 

さて、今朝はスムージーとした。田舎では朝・晩と飯の喰い過ぎ。母がすっかり小食になっているのを承知しながら、あれやこれやと沢山作るのはサービス精神と云うより、貧乏魂による。自分で作って、結局は自分で食す破目となる。何時ものことながら・・・・、お蔭で腹もひと回り成長したようだ。

スムージーの材料は至ってシンプル。トマト一個・セロリ・ホウレンソウ一茎であった。ホウレンソウが入ると味に雑味を感じるので、塩胡椒を一振り加えた。グリーンが鮮やかであるが、この色合いは余り好まない、したがって青汁は避けている。

                       

これに、HIROさんから貰ったヒアルロ酸?をひと匙加えて飲んだのである。

 

 

 

 

 

 

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葬儀と蜜柑畑

2014-02-24 | Weblog

2/24 (月) 先週の20日、通夜の為に高知へと飛んだ。午後便の機窓から眺めた地上は、雲に阻まれて望めなかった。機内誌を捲りながらひと時を過ごした。再び地上に目を遣ると、薄墨をひと刷きした如くの雲間を通して紀州の山並みが微かに望めた。山々の頂きや谷筋に、雪が積もっていた。

紀州の山並みに、これほどまでに雪の残っている様を目にするのは記憶にない。海上を飛ぶ帰省の飛行機では、進行方向の右窓、海岸線や山並を臨める側の席に座るのが常である。遥かな上空から、海岸線から川沿いに山々へとつながる人跡を見て、太古からの人の営み、行き来したであろう道筋に思を馳せるのが面白い。

紀州の山並みを過ぎると、紀伊水道に至る太平洋上を飛ぶ。暫くすると、徳島と高知の県境の集落を微かに望み室戸岬の上空から土佐湾に至る。この頃から雲が途切れた。徐々に高度を下げ始めた機窓から、古の昔、都へと帰任する「紀貫之」が、羽根があれば飛んで帰りたいと詠んだ”羽根岬”が見える。

ここらは切り立った海岸線の山の上に田畑が開墾されている。ここは、イモやスイカ、柑橘類や枇杷の産地である。そして、故郷の町や川筋がはっきりと見え始める。十分もすれば空港に降り立っ・・・今度は海上に目を凝らす。

クジラの姿を追うのだが、汐を吹き上げる様を見たいと渇望するのだが。未だ、一度たりとて目にしたことがない。クジラは何処だ?ホエールウオッチングの船が出るんだから、一度ぐらいは目にしてもいいと思うのだが・・・。嗚呼また駄目だと思う間もなく着陸だ。空港は海と河口の直ぐそばに在る。

妹夫妻の出迎えで、そのまま葬祭場へと向かった。故人となった「秀道」と対面する。安らかな貌をして眠っているようだ。今月初めに体調が悪化、入院してから10日ほどで身罷ったとのこと。『入院を誰にも言うな、葬式もしなくていい』と云うのが秀道の意思だったそうだ。が、流石に葬式だけは出させて貰ったと、妹のIKUが涙ながらに挨拶した。

『いごっそう』と言う、土佐男の片りんを背負って生きた秀道らしい。一男一女と母、そして妹のIKUの家族が残されたが「全てを片付け整理をして死んだ」とのこと。57歳での死、最期の七年間は肝臓癌と共に生きてきた。身内ながら、立派に生き抜いたと誉めてやりたい。

通夜、翌日の葬儀ともに大勢の方々が参列して、その死を悼んだ。秀道がこれまで歩んできた、利他の生き方が分かる。

 

土曜日は昼前に蜜柑畑へ出た。梅の花が満開に近く微かに香っていた。この日は柚子の剪定だが、妹の旦那で同級生のHIROKATUが全部剪定をした。未だ木が小さい、大した本数でないので夕方には終わった。私は、焚火をして餅を焼いたり焼きもをして遊んでいた。

              

焼芋に魅かれた従姉達も三人寄り、それに妹夫妻と畑が賑やかであった。樹に残しておいたネーブルや、一寸時期が早い八朔などを味見させた。

                 

小夏と甘夏の収穫は3~4ヶ月先である。文旦は、未だ三分の一ほど収穫をせずに置いてある。何れにせよ、今年は裏年にあたるのか稔りが少ない。

          

         剪定した柿・枇杷は焚火に    甘夏 ・奥は八朔            小夏

日曜日は車の運転、仏具屋やから道の駅「キラメッセ」と、母と従姉妹二人を載せてドライブ?、信号の見落としをしてしまぅた。夕方近くになって畑に道具を置きに行く。黄昏が迫る中で、満開の梅の花を見ていると、梅の精が舞い降りてくるかのような気がした。

 

                      

 

通夜・葬儀と別れの儀式、従兄弟たちとも一月足らずの間に顔を合わせて「葬式や法事で顔を合わすだけじゃな、元気なうちに従兄弟会をやらんといかんな」と云う話になった。

 

 

 

 

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車内模様

2014-02-19 | Weblog

2/19(水) 今朝も寒風が吹いて、殊の外寒さが沁みた。朝の通勤電車は遅れもなく順調であった。東横線が副都心線(地下鉄)と繋がり、渋谷から新宿三丁目を経て池袋へ。更に東武や西武鉄道との直通電車が相互乗り入れをするようになり、事故や故障etcで遅れることが日常的に発生する。

便利になった利用者もあろうが、当方にとっては甚だ不便だ。先ずは、渋谷駅が地下深くなり、その上にホームが狭い。渋谷から東横線で帰るのが一苦労となった。更に副都心線との乗り入れで、日比谷線との乗り入れが廃止となり、必ず中目黒で乗り換えなくてはならない。乗り入れをしていた頃の、飲酒後の居眠りしての乗り越しは避けられるが、寒風の中を中目黒駅ホームで乗り換え待ちは面倒だ。

 横一列が・・・

そんな文句は多々あるが、今日のテーマではない。昨晩、人形町駅から帰路についたのはは22時過ぎだった。この時間のメトロは、人形町から乗車すると必ず座席が確保できる。ドアの開閉による寒風を避け、真ん中あたりに座った。茅場町・八丁堀と進むうちに、座席が全て埋まった。一様にサラリーマン・OL(これは未だ死語でないか?)の風情である。

何気に、正面の座席を眺める。九人掛けに九人が並んでいたが、その光景に思わず笑ってしまった・・・。九人全員が携帯を、多分スマホだろうが・・・スクロールしていたのだ。

勿論これまでも車内で携帯をいじっている姿は日常茶飯事に見かける。通勤の往復で目にする、携帯の使用率は60%ぐらいと思っていた。これに比べて読書派は、新聞も含めて20%程度ではなかろうか。端末で、読書や新聞閲覧をしている人もいるだろうが、こればかりは把握していない(データは何処かにあるだろうが)。

一列全員が、端末を操作するさまを目の当たりにし、思わず笑ってしまった。自分の座っている方の列を、さりげなくでは観察してしまった。こっち側は本と新聞、眼をつむり何もしてない人、携帯派は二人だった。前に座った列の一様さを面白く思う反面、なんだか気色悪い気にもなった・・・。

新聞を狭い込み合う車内で広げられるのも噴飯だが、携帯端末を胸前で弄っていられても邪魔なものだ・・・。かといって、座した人たちが全員同じ光景を繰り広げているのは異様に感じる。古い人間なのだ、私は。

 

さて、今朝のスムージーだが、バナナ・リンゴ・セロリ・人参・ウコンに何と大根まで少々加えてみた。バナナ以外は量が少ないので、どの味が勝っているかは?、ウコンだけは少量でも個性を発揮していた。

                  

出勤前、NHKのラジオを少し聴いていた。電波の関係で専らNHKなのだ。番組の中で女性アナがのたまわった『朝はスムージーにしたんだ。そしたら肩こりが治ったよ』だって。そんなに効果有るんか?。私的、粗スムージー派としては納得し難い話だったが、腹の具合はいい、胃もすっきりだ。

 

 

 

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よくない話が・・・

2014-02-18 | Weblog

2/18(火) 風水によると、今年の運気は良いとなっているのだが・・・。三週間ほど前の従弟の急逝につづき、今朝は親戚(はとこ)にあたる「名木秀道」が亡くなったとの訃報が届いた。私より十歳ほど年下である。

亡くなった秀道は、安芸市土井の名木家の総領で、彼の祖母が私の亡父の姉であった。そんなことで、子供の頃から名木の家には世話になってきた。秀道は肝臓癌を患っていたので心配はしていたが。それでも、体調がいい時は元気に働き、酒も飲んでいた。

先月末、名木家の次女のご主人の七回忌で秀道の母(従姉)に会ったおりに、彼の様子を訊くと「まあまあ」だとのことであったが。病気になってからも、休耕になった近所の田圃まで耕作し、八月・早稲の新米が獲れると必ず届けてくれた。繊細のくせに、それをがらっぱちな言葉で覆っていた。男気で、見どころのあるやつだと見込んでいた。残念である。

直宏、秀道と身近な者がつづけて亡くなった。生まれた以上は消滅するは必定だが・・・。好いやつは、早く逝く。その伝でいくと、私は長生きしそうだ。

秀道の通夜は20日、葬儀は21日とのこと。またしても、思い掛けない帰省となる。今夜は偲び酒でも遣るか・・・。

 

 

 

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日和よし

2014-02-17 | Weblog

2/17(月) 昨日の「天気晴朗なれど、寒風強し」とは異なり、今日は上々の日和となった。こう云う日は、気分も晴朗。単純明快な性格のオヤジなのだ。 

昨夕帰宅すると、入れ替わりに家人は仕事の呼び出しがあり、お出かけとなった。寒空の中をご苦労なこったが、亭主の稼ぎが悪いので致し方ない。其処で、宿六亭主は晩飯作りを受け持つことにした。

前日は雪の所為もあって一日を部屋に垂れ込めて過ごした。夕刻になり、運動代わりに晩飯の「ペペロンチーノ」を作ったから、二夜連続しての飯作り。嬉しい限りだ・・・。

寒い中を帰ってきたので、暖かい鍋料理が良いと思った。然し食材の方がパットしない、野菜中心でシンプルに「野菜鍋」に決定。こりゃあ簡単でいいぜ!メニューを決めたところで、先ずはご飯を炊く。そして冷蔵庫の食材を吟味した。

冷凍の鶏団子、豚バラ肉の残り、椎茸・白菜・水菜・ホウレンソウで鍋を、茄子と挽肉が在ったので「マーボ茄子」を、セロリ・レタス・ブロッコリに生ハムで『サラダ」、以上のメニューに追加で鮎焼き。これが昨夜の晩餐となった。

お出かけをしていた、ノー天気ママの長女が『うちの晩御飯もあるかな?』と電話を寄越した。「何んかあるだろう、来たら」と、優しい返事をした。思いがけずに晩さん会メンバーが増えたが、野菜鍋だから手早く簡単だ・・・。食事の用意が整った頃合いに、家人も帰宅。結局、大人6人と幼子が、厨房大王オヤジ作の超豪華?ローコストの晩飯で腹を満たした。

かくして、低所得家族の細やかで平穏なひと時が過ぎて行った―。こうも平和な物語、つまんネェ~か?

 

一夜明けた今朝、と云いながら目覚めたのは四時だったが。朝食代わりのスムージーを作る。材料は、バナナ・レタス・イチゴとシンプルだ。

                    

レタスが入ったので、ちょっとばかり青臭い感あり。それでも、口当たりがよくて飲み易いスムージーであった。

 

 

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雪とチョコレート

2014-02-16 | Weblog

2/16(日) 金曜の未明から降り出した雪は、この日の深夜までつづいていたようだ。通勤に利用している東横線が、この深夜に追突事故を起こして止まっているのを知ったのは翌朝の土曜日であった。雪の所為とは云え、電車が追突事故じゃしゃれにもならないが・・・。

私にとっての幸いは(予知能力が高いというべきか)、この夜は珍しく早目に切り上げ、23時頃には帰宅していたことである。電車は脱線したそうで、土曜日も終日動かなかったようだ。金曜の夜ともなれば、一軒では終わらず、馴染の安酒場を梯子するのが常なのだが・・・、KYだった(危険予知のこと)。

金曜日の夜、雪は一向に止まず昼ごろから積もり始めてひどくなっていた。が、予定どおりにY氏とTOMOKI君を引合すために「ローカーボ」で落ち合った。ボタ雪で下手な歩きをすると滑る。Y氏とTOMOKI君には「転ぶなよ」と、雪道の歩き方を電話で伝えた。雪道の歩き方は" 関東も雪"と、心配をしてくれた札幌の友人Tさんが、わざわざメールで知らせてくれた。この受け売りであったが・・・。

                   

                金曜日・23時頃学大碑文谷      日曜日・昼前の同場所

物流会社に勤めるTOMOKI君と、物流ニュース配信の編集者Y氏との意見交換と云うか、顔つなぎをセットした次第。後から弊社のスタッフF君も顔を見せ、何時もながらの貧乏酒であった。

                   

すっかり忘れていたが、この日はチョコレート・デイであった。銀座や六本木の酒場に顔を出せば、姐さんたちから後が怖い義理チョコを押し付けられる処だが、この頃はそんな元気もない。スタッからの義理チョコと、曰く因縁の義理チョコが一つであった。この程度なら、虫歯の心配はないか?

                        

日曜の今日、会社に出るとYOSHIが作業をしていた。一つぐらいチョコを分けてやろうと見せると「あっ美味そうだ、二つ貰っちゃおう」と、取りやがったぜ!

                        

チョコで思い出したが、最近の記憶で美味しかったチョコレートは二年前の早春のこと。女性登山家の「田部井淳子」さんのお宅を取材で訪れたが、この時に出して頂いたロレックスのマーク入りのチョコが殊のほか旨かった。インタビューをしているHIROさんの傍で、カメラマンのSUGITAとパクついたことを思い出す。昨年であったか、田部井さんは癌に侵されていることを公にされた、快復を祈りたい。

 

今日は快晴だが風が強い。事故から開通した東横線は、ダイヤが未だ乱れていた。高架になっている学芸大学のホームで、電車を待つ間、日差しを求めてホームの端に立ち、青い空と向のビルの広告看板を眺めた。看板は、青黒い海と沸き立つ雲、陽光の下のゴルフコース、日差しに輝くコンドミニヤムが写されていた。

沖縄・宮古島のリゾート地の広告看板である。この景色を見て、かつて訪れた宮古島のことを思い出した。あれから四半世紀以上も経つか・・・。季節は冬、一月半ばであったが、その日の平良市は蒸し暑かったように思う。

訪れた当地の電話局の係長さんが、夜の席を自宅で設けて下さった。泡盛と沖縄料理が並び『泡盛の飲み方は、ロックですよ』と教えて貰った。熱帯魚のような色の魚、豚肉料理などが大皿に並んでいた。一番記憶に鮮烈なのは、庭の芝生が青々としていたことである。

沖縄独特の家屋、庭に面して直ぐの座敷。その座敷の灯りで見た芝生の緑、その色が強烈な印象で残っている。宮古に入る前は本島に居たし、ブーゲンビリヤ・ディゴ、沖縄桜の妖艶なほどの桃色も見てきたのだが・・・。

宮古島の夜、民家の座敷から視た芝生の青さ、薄灯りをとおしてみた芝生の緑が、あれほどまでに美しかったのか。その色の柔らく美しかった記憶が、刻み込まれていた。

吹き抜ける風と、二月にしては力強く感じる日差しの下。ビルに取り付けられた広告看板を眺めながら、遥か昔、遥かに遠い地で驚いたことの記憶が蘇っていた。

 

 

 

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雪が降る・・・

2014-02-14 | Weblog

2/14(金) 出社後、YOSHIOを相手に朝の一服をベランダで点けながら、思わず口に上ったのは「雪はふる~あなたはこない、しろ~い雪がーただ降るばか~り・・・」と、アダモの歌で一世を風靡したあの名曲の一節。東京も朝からの雪である。それにしても、朝から歌が口の端にこぼれるとは優雅ではないか?

ベランダから眺める雪は、果てしなく舞っている。今日の雪は、白い蛍が群舞するが如くに舞ながら降り続く・・・。

                

昨夜も深夜に一刻目覚めたが、直ぐに眠った。明け方には夢をみていた・・・。なんとも意味不明だが、夢のシーンは今でも甦らせることができる。夢はつづけて見ているようだが、シーンの一つひとつの意味合いが違う。その一つひとつのシーンを、目覚めてから反芻すると、過去の出来事と関連があるように、意味づけられるように思う。同じ光景でフラッシュバックしているわけではないが、深く思いおこすと行為として存念として重なりあう。

明け方の夢は残っていたが、よく眠れたようだ。朝風呂の前に、外を眺めると雪が、雪が舞い、道をうっすらと化粧はじめていた。外に出ると、昨日は風に花弁を揺らせていた河津桜に重たげな雪が重なっていた。

                    

生憎の天気ながら、昼前には豊洲にある某社に向けて外出予定。ここに行く日は、荒天ばかりだ。方位が良くないのか?大雨や、雷などと悪天候の記憶しかない。ここの社に居る友人Y氏とは、話が合うし気持ちのよい時間を持てるのに、天候だけは不思議な巡り合わせとなる。

 

昨晩、故郷の母からの電話では高知も雪の予報だとか。私の小さなミカン畑にも綿毛のように雪が舞い、木々に梢に、薄く積もって凍らせるているだろうか・・・。そんなシーンを浮かべながら、今朝のスムージーを用意した。

                       

「バナナ・ポンカン・キャベツ」のシンプルなスムージーであった。これにHiroさんから頂いたグルコサミンだかの粉末を溶かせた。天候の所為か、昨日から膝の具合が良くない、暫く止めていた痛み止めを服用した。       

                           

今夜、Hiroさんの甥っこで物流会社に勤務するTOMOKI君が人形町に来る。元スタッフで、物流ニュースの編集者となっているY氏に引合すことになっている。何時もの「ローカーボ」で待ち合わす予定。雪が小止みになってくれるといいのだが・・・。三夜連続でローカーボとなる!

 

 

 

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