オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

夏休み・・・

2012-08-27 | Weblog

8/27(月) 月末を迎えたが、明日から週末まで夏季休暇に入る。これまで、毎日毎日アロハ姿で夏休みの連続じゃないかとお叱りを受けそうだが、明日からは野良着姿で本格的な休暇である。

高知に帰り、ミカン畑の草刈りと瓜・スイカや少しばかりの野菜畝の草取りが主なテーマ。夜は親父や叔父との一杯、母校の校長さんとの交歓会など・・・アッと云う間に休暇は終わるだろう。

今朝は、この時期にしては稀なるスーツ姿での出社となった。今夜、お通夜に参列しなければならないのだ。N社の後輩で、今の仕事でもお世話になったNegishi君が一年に渡る闘病の末に逝去した。倒れてから意識不明の状況がつづいてきたが、漸く安らかな眠りに付いたであろうと思いたい。享年四十九歳、まだまだ人生の途上でありながらの急逝であった。

 

 某月某夜

相棒と敢えて呼ぶHiroさんと渋谷で落ち合った。会社の期末を終えたこと、安田川の鮎を食べさせたかったことなどからである。鮎の開きを少しばかり作ってあったので、これを焼いて食せる店と云うことから宇田川町の「奈加野」とした。この日の朝、店のオヤジとは築地にご一緒した処である。

                      

少し遅れて店に着くと、Hiroさんと店主が何やら深刻に顔を寄せ合って話をしていた。病気談義で食い物の制約についてであった。双方とも齢が歳だけに病気には不自由をしていないようだ。私などは、悪いのは頭と根性だけで後は完璧であるのに・・・、気の毒と云うか自業自得と云うべきか・・・。更にHiroさんは、前日に新たな病名も頂戴したと告げた。

                      

酒は程々ならOKだそうが、食べる物は相当に制約を受けている様子。鮎の開きは大丈夫のようだが、内臓はダメだろう・・・。これまで散々人を喰ってきたから、食い物はもう十分か?と冗句を飛ばしていたが・・・。

翌日、8/21日生まれの次女の誕生祝いを遅ればせながら、家族でやる話となった。昔、社宅住まいの頃に時々行った環七沿いの焼肉店「一龍」に行ってみたいとの希望があり、焼肉となった。

                      

久しぶりに「一龍」を訪れたが満席、どっこいこっちは予約済み。長男は島に遊びに行っており不在、長女一家も参集して七名プラス幼子で次女のお祝いとなった。

                      

しかし、思ったよりは値段が張ったねぇ~、学大駅前の「東紅苑」に比べると三割増しと感じた。私にとっては、値段の割には満足度が低い食事会であった。それでも、生ビール・ハイボール・マッコリと十分に収めたのである。財布の心配をしない子等は、楽しげであった。

そんな週末であったが、地元の葡萄農園の葡萄狩りには誰も行こうとは言わなかった。そのうち、ミカン狩りをたっぷりと楽しませてやるぜ、高知でだが・・・。

 

 

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早や週末・・・

2012-08-24 | Weblog

8/24(金) 早くも週末を迎えたと云いたいところだが、通勤という連日の暑さから逃れる術のない所業から解放されるかと思うとホッとする。正直なところだ。今朝は、昔に住んでいた社宅の側を抜けて野沢龍雲寺から環七通りの野沢・碑文谷公園を小一時間の散歩であった。何処もかしこも十数年も経つと変わってくる、そんなことを実感しながらの散歩だった。が、社宅だけは変化がなかった。

                   

会社に出る前、途中の築地市場に寄った。渋谷の呑みどころ「奈加野」のオヤジと、場内で待ち合わせていた。来週の火曜日から帰省するが、先日の電話で従姉妹が「鮭が食べたい」と我儘を言った。聴いた以上は致し方ない、と築地に出かけた次第である。結局、鮭とホッケを一箱づつ仕入れて配送の手配をしたのであった。

              

それにしても、今朝の築地も暑かった。汗びっしょりとなった、とてもビールなんぞは飲む気にならぬ。そこで、旨いコーヒーを出してくれる「愛養」で、コーヒーとトースト・半熟卵を頂いた。店で、品川は旧東海道沿いにある蕎麦の老舗「吉田家」さんのご主人が隣に居り、奈加野のオヤジから紹介された。この蕎麦屋は、江戸末期の創業とか、蕎麦も料理も有名である。何度かお邪魔をしているが、随分と前になる。池の鯉や座敷の良さを誉めた、蕎麦も旨かったが、当たり前なので省略。(値段の方も結構なものである)

市場の魚屋のオヤジも、吉田家の店主も異口同音に云うのが「景気が良くない、社用の利用が減った」と、斜陽なことばかり。それにしては、最近の「奈加野」の客入りは好いようだ。こっちも、相当に貢献はしているが・・・。

そんなことをして、出勤となったのだ。

 某月・某夜

同業のInoueさん(現在は社長を甥に譲って半隠居とか)と、何年ぶりかで食事となった。店はアナゴの名店「玉ゐ」室町店であった。Inoueさんは入ったことがないと云うので、ご案内した次第。何故か混む店で、何時も予約で一杯。何とか予約が取れたので参上となった。

大いに楽しんでくれたようで、人形町に戻り安酒場の「ちょっぷく」から、カラオケの「seiju」と、フルコースを歩む結果となった。seijuでは、昔に三曲だけ習ったという歌謡曲を唄ってくれた。無理強いをして五曲ほどマイクを持って頂いたが、何れも音程はしっかりし、好い声であった。私の唄のことはさて置く。

                        

 某月・某夜

やはり、何時ものように酒場へと向かった。この夜は、元スタッフ二名が加わり、新規ビジネス検討チームの二名とともに雑談。以外に早く切り上げた、帰宅は22時前と、まるで素面のようなものであった。家でビール・・・。

 今月・今夜

今宵は、Hiroさんと「奈加野」にて会う。会社の決算のことを話、札幌のT女史から届いた「メロン」をお裾分け、安田川の鮎などを渡すこととしている。そろそろ、出撃しよう・・・。

 

 

 

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暑いね~

2012-08-21 | Weblog

8/21(火) 相変わらずに暑い日が続く、我が家の老犬はピクリともしないで死んだように横たわっている。遅まきながら、霧雨のように水が出るミスト(?)を取り付けて日中は霧雨をだすようにしてやったが効果の程は・・・。今朝も、目黒通りから呑川緑道沿いに駒沢通りまでのルートを40分ほどの軽い散歩。百日紅の花だけが元気そうだった。

                        

日曜日に植木鉢を取り替えて、実生の文旦や葡萄の苗を植え替えた。文旦は芽が出てから四年目か、葡萄は二年目にしてぐんぐんと伸びてきたので盆栽仕立てにすることとした。昨日の朝、メダカの鉢の水が半分ほどに減っていた。鉢にひびでも入ったかと焦った、がそんなことはなかった。深夜、化け物でもきて水を飲んだのか?

                        

昨日は、Uさんから連絡を貰い有楽町の外国人記者クラブで昼飯のつもりが、それが結局は飲み会となった。 夜になって「奈加野」へと行く。途中、北海道からメロンが届いたとの連絡が会社から入る。何のことはない、冷やして食べる手筈をしますよとのことである。札幌のT女史が贈ってくれた旬の果物、感謝をして有難く頂戴しよう・・・。

 

        

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散歩の後は飯

2012-08-20 | Weblog

8/20(月) 週末の土・日は家にて過ごし、朝の散歩の後は大飯を喰らう。頭は休みぱなっしだが、胃の方は休む間がない。日曜の朝は、呑川緑道から駒沢公園方面に歩き、バルセロナのガウディ公園と雰囲気が似る衾町公園に立ち寄る。

                   

何時もこの時期にぶどう狩りが始まる農園を覗いた。八雲の「小杉農園」、東が丘の「根岸農園」とあるが、ともに今月の25日(土)から葡萄狩りを始めると出ていた。何れも高級住宅地の中の農園、昔からの農家であろうが、坪単価で果実を計算すると滅茶高級品である。確かに割高感はあるが、採りたてのフレッシュさを思えば致し方なしか・・・。

朝食のメニューと云えば、下の写真の如く。シャワー後、ビールを飲みながらの遅い朝食ではあるが、夏のゆるやかなひと時が過ぎてゆく。いいね~!

                     

勿論、準備するの私ですよ。食したいものを、食したいように調理し、勝手に喰らうのだ・・・。

 

 「 祭 り」  三島大社の夏祭り

                       

 17日の金曜日、三島大社の夏祭りの最終日となる。昨年に続き今年も参拝と祭り見物、三島名物「うなぎ」を賞味するために昼の下り電車に乗った。この日「農兵節」の踊りや流鏑馬が行われた。流鏑馬をまじかに見るのは初めてであったが、中々のものであった。

                    

古式に則った衣装・装具を身に纏い、馬を走らす姿は凛々しい。当たった素焼き的の欠片を一つ貰う。何でもこれを持つと縁起がいいとか。大社に参拝し、縁起物の欠片を入手と神頼みか?と云われそうだが、縁起ものは大切するのだ・・・。

                        

大社前を出発する農兵節の踊りと唄は、長閑でいい。花街の姐さんだろうか、車上に居並び三味とマイクで唄いなが進む。踊り子隊が続くさまはお祭り気分満点である。町々で鉦・太鼓・笛のしゃぎりの音が祭りムードを盛り上げる。

               

うなぎは何時もの「桜家」である。処が前夜から腹の方がピリットしないのだ。二段重ねの棚丼はとても食えそうにない、一番軽いうな丼でお茶を濁した。二段重ねの方は、昨年より千円アップの5800円となっていた。仕入れが倍にもなったと聴けば、それも致し方なしか・・・。

                     

 

三島の駅前でも鳴り物が響き、祭り一色。短い時間であったが、祭り気分とともに「うなぎ」「農兵節」「大社」と、三島の三大名物を堪能した。

                        

 

 

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清水池公園

2012-08-17 | Weblog

8/17(金) 今朝は清水池公園コースの散歩となった。金魚鉢(入っているのはメダカ)の水を替えてから散歩となったが、昨夜に続き今朝も湿度が高い。それでも、昨夜は酒場に顔を出さないという稀なる夜だったので体調は悪くない・・・。

とは云いながらも、5時半からの打ち合わせを終えてから、スタッフの帰省土産などをつつきながら安ワインや焼酎などで社内で酒盛りであった。だが、一人早めに切り上げて地元駅に降り立ったのは9時過ぎ。本屋・ATMに寄った後、商店街裏通りや横丁をぶらつきながら帰宅した。暫く裏通りを歩かないうちに、入れ替わりや新しい店がオープンしているのに気付いた。今度は、夜の学大裏町歩きでもしようかと脳裏を過るのであった。

                      

目黒郵便局から環七通りに至る桜通りを歩く。この通りの桜も、中目黒の桜並木同様にすっかり大きくなった。大きく伸ばした枝が、夏の日差しを遮ってくれる。清水池公園は、もともとは湧水池とか。都内では珍しく釣りができる公園である。今朝も早うから太公望達が竿を出していた。

                 

そんな姿を横目に私は歩く、とぼとぼと敗残兵の如く。どうせなら颯爽と行きたかったが、途中から右の関節の具合がおかしくなった。一月ほど前から膝の調子がおかしいのである。そんな体調が気分となり、散歩が億劫になっているのかもしれない。

それにしても、夜の裏町歩きよりは朝の散歩の方が何ぼか気持ちがいいだろう・・・。

 

 

 

 

 

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お盆の酒場

2012-08-16 | Weblog

8/16(木) 朝の通勤電車は昨日までと変わり、混みあうようになってきた。こころなし朝夕に見上げる空の色が透明になってきた。昨夜・一昨日と連日酒を飲む。

いきつけの店は殆どお盆休みとなっているが、一昨日の夜は隣の蕎麦店「高松」であった。翌日から休みに入るとのこと、それに周りの会社が休みなので珍しく店は閑散としていた。客あしらいが上手で気さくな女将と人好しのご主人、修行に出ていた長男が昨春から店に戻っている。三十人も入れば満杯となるが、界隈の人気店なのだ。ここで、スタッフにも声を掛けて飯を食べさせてビールや焼酎となった。何時もの金魚酎ハイを飲んだのであった。

                     

そして昨夜、早めに会社を抜けて地元の学芸大学に着いた頃は黄昏ていた。どうしたものかと思案・・・このまま家に帰っても誰も居ない、暑いだけのことと、軽く一杯と考えた。そこで、古本BARの店主だったHIRAISHIオヤジの顔が浮かんだ・・・が。どうせ店は開いてないだろうと思いつつ「こんぺいとお」を覗くと、営業していた。

                      

店に入ると、なんとあのHIRAISHIオヤジが我が物顔でカウンターを占めていたのだ。相当入り浸っている様子。「こんぺいとお」は、学芸大学東口から4~5分の処、目黒区鷹番2-20ー19 ソシアル学芸大学2Fにある。女優の”加賀まりこ”そっくりの料理上手なママさんが切り盛りする落ち着いた店だ。

                         


とても濃~ぃハイボールを啜りながら、思い出したのが奈加野のオヤジとパートのMさんのこと。店は築地の休みに併せて一昨日から休、確か学大に遊びに来るといっていた。そこで中野さんに連絡すると「ゴルフ帰りで、渋谷で焼き鳥を喰ってるョ、これから行くよ」とのこと。我らは総勢三人となって濃~ぃハイボールを飲むのであった。

この店だけで終わればいいのだが、中野さんとMさんが”ま・めぞん”へ寄ろうと言い出した。この店が学大にオープンしてから10年ぐらいになろうか。渋谷や池袋でケーキ店やレストランなど何店舗かある。学大はちょっとお洒落な居酒屋。中野さんは、板前を紹介したりで店長とは知り合い、Mさんはここの店長からの紹介で「奈加野」でパート仕事をするようになったとか。                           

そんな訳ありで、ここで一杯、もう一杯と酒が進みすっかり酩酊した。以前には何度か来ているが、最近は中野さんと一度来たきりだ。一年も前になるか。酒精が脳まで廻り、胃へのコントロールが利かなくなっていた。喰ったね~、何を喰ったのか覚えちゃないが・・・。朝、冷蔵庫を覗くと昨夜持ち帰ったであろう秋刀魚飯なるものが入っていた。

                     

ま・めぞん 学芸大学店は、西口商店街をまっすぐに行った右手にある。駅からだと6~7分の距離か。中々の人気店で若い人が多い、二階に座敷があり宴会ができる。

                               

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酒場

2012-08-14 | Weblog

8/14(火) 昨夜、ある会で知り合った同業のご夫妻と渋谷にて懇談となった。ご主人が同郷で、夫人は東京で生まれ育ったが高知が大好きと仰る。そこで、我が郷里の先輩が営む店にご案内することとした次第。

店は、勿論渋谷・宇田川町に毅然と輝く「奈加野」さんである。このBLOGには、しばしば登場する店である。渋谷センター街を抜け、有名な宇田川町交番を左にみて東急ハンズ方向(井の頭通り)に50mほど行った左側の二階に在る。公園通りからだと、スペイン坂を下り切った突き当りとなる。

                            

二階へと階段を上がると、踊り場に石の地蔵さんならぬ「田圃の神様」が鎮座している。この神様は、薩摩の田圃で豊作万作を見守っていたであろうが、今は店の繁盛とお客さまの安寧を見守っている。昭和レトロ風の店内は、今風のチェーン店仕様とは異なり、大人がゆっくりとくつろぎながら酒肴を楽しむ場である。

                      

店主の趣味の広さか、伊万里や備前焼きの皿・壺が装飾され、宗像志功さんの絵・版画が飾られた、ちょっとレトロな造作の大人の店なのだ。座敷は二つあり20名程が入る堀炬燵部屋、10名ほどの小座敷。テーブル席は4名~8名用が6卓、12~3名が座れるカウンターとなっている。


私が、この店を贔屓にするのは郷里の先輩が経営する店と云うだけでなく、そのしっかりとした味、食材の確かさにある。食通で食材・料理の世界に造詣が深く、醸造学の大家『小泉武夫』先生がよく利用されることからも折り紙付きであろう。若者の街と化した渋谷にあって、得難い大人の店「奈加野」である。

                      

昨夜は、同業のKawamura 夫妻に店と店主を紹介し、滅茶苦茶高いと云うはしりの秋刀魚などと自慢の料理、酒を愉しんだ。ビジネスに対する真摯な姿勢と、その経営哲学・手法に敬服し、大いに学ばせられたのであった。オヤジも、時には真面目に酒を飲む!

 

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弁当をひとつ

2012-08-13 | Weblog

8/13(月) 流石にお盆の週だけあって人出が少ない。そんな中、今朝は横浜へと直行しての営業訪問。一応営業とは言ってはみるが、私が動いても何の営業にもならないのだが、時には顔出しをしないと忘れられる。

横浜の某社支店に11時頃訪問との約束である。頃と云うのが曖昧で何ともいい・・・、一年ぶりに訪ねた某社支店は何と引っ越しており、訪ねたビルには無かった。何ともはや、間の抜けた話ではないか・・・、慌てて引っ越し先を確認してタクシーを飛ばしたと云う次第。

肝心の相手と話を済ませ、若しやと思い旧知の竹村女史のことを訊くと隣のグールプとのこと。これも、久々に顔を合わせて話ができた。行動すると云うことは、こういうことの連続である。

台風の影響か風が強い、日差しはカンカン照りでおまけに蒸し暑い。こんな日は、木陰のハモックに揺られながらビールでもやっているのがいいのだが、貧乏・零細・ノータリンなオヤジには、そう云うことにはとんと縁がないのであった。仕方ないので、安飯を喰らって帰ることとした。

横浜へ直出の今朝は時間が十二分にあった。散歩は軽めにしてフレッシュな桃ジュースなどを作って飲み、栄養補給。この桃は、一昨日徳島のO先輩が金時芋と一緒に送ってくれた吉野川沿いの果樹園産の白桃で、上品な味わいである。それにしても、今年は良く桃を頂く・・・桃は長寿につながると中国では云うらしい?これで、後百年は往くか。

土曜日に贖った牛肉が残っていたので、家人用に弁当を一つ作ることとした。牛肉・タマネギ・ピーマン・モヤシなどで炒める。他には、ホーレンソウと卵の胡麻炒めだけ。ご飯の上に、AOKIに貰った琵琶湖産稚鮎&小エビ甘露煮を載せてお仕舞である。

                             

 

  句 集

私の母は、今年「卒寿」を迎えた。これまで圧迫骨折やらグロムス腫瘍やらと怪我や病を抱えて生きてきた。何だかんだと云いながらも、後十年ぐらいは生きるであろう。だんだんと呆けがみられるが、7~8年前から俳句を始めた。年老いて字も忘れ、蓄えた知識も朧となりながらも駄句を作って楽しんでいる様子。

その半呆けの母が、何を血迷ったか「句集」を作ると言い出したのは梅雨も明ける頃。帰郷してミカン畑の草刈を終えた後であった。これも呆けの成せる技と思えば致し方なしである。問題は、師匠に選句や添削とお手を煩わせることであった。幸いにも、師匠は全面的な協力をして下さるとのことで、事が進んでいる。

今、巷では自分史・マイヒストリーを残すのがブームなそうな。生い先が分からぬ齢を迎え、何か生きてきた証を残したい、自分の思いを形にして残して置きたいと、母は思ったのであろう。呆けた頭なりに。それが句集と云うことに繋がったのであろうが、拙い言葉・音であることは自覚しながらも句集という形に拘ったところに生きる欲を感じる。

来月の上旬には出来上がる予定である。これに関して、私も些かの関与・手伝いを強いられているわけだが致し方なし。どうせなら、見られるものにしてやりたいと、親を思う気持ちは少しはある。

 しかし、年寄りの冷や水には困ったもんだ・・・。我がこととしては、形にこだわらない人生を生きれたらいいな、と思っている。

 

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散歩

2012-08-12 | Weblog

8/12(日) 今朝は久々になが~い散歩となってしまった。単に歩みがのろいと云うことであるが、最近は歩く距離が短いせいで歩みがのろい、亀さんのような歩みだ。歩いていると、いろんな人に出会い、その姿をみて「こうはなりたくないな、とかずいぶん元気な人だ」とか、そんなふうにすれ違う人を観察して居る分けだが・・・。己も見られているかと思うと、ちとやばいぜ・・・。

今朝は洗足池コースへと歩いた。ちょっとこれまでと違うコースに曲がったり、少々の変化はつけるが、大体が分る描けるコースである。途中の大きな木の茂りが目についた、昨夏にも立ち寄った「清水窪の湧水」とそこに祭られている社がある。清水窪弁財天である。寄ってみることした。湧水に下りる右手に『稲荷神社』が目についた。昨年は一向に気が付かなかった。先ずは、その小さな稲荷神社に参拝した。

                          

それから、清水窪に祭られている神々に参拝。二礼二拍一礼の定まった参拝方である。神仏を頼りにするわけではないが、神仏を敬う気持ちはある。
清水窪湧水には何体かの神様・命が勧請されている。一番大きな社(と云っても小さな社だが)が弁財天である。我が庭のような碑文谷公園(ここも元は湧水池)も然り、この後に訪れる「洗足池」の社も同じである。

                    

ここの湧水は、古くから枯れたことがないとある。武蔵野台地の外れに辺り、この伏流水が湧くとか。東京都名湧水百選に一つとある。さながら大木に囲まれた小さなオアシス、蝉しぐれが神々の祠に降り注いでいた。

                         

洗足池に至り、ひと回りする。ここは中原街道沿いにある大池である。今年の春、鷹番JVC(鷹番のジュニアバレーボールチーム)のOGのオヤジ数人とこじんまりとした花見をした神社が懐かしく思えた。歩く人、ジョギングの人と沢山に行き交った。

                    

途中の夏花の写真などを撮りながら散歩を続けた。帰宅し、昨日に続いて正しい日本の朝飯を食す。鮎焼きと冷やっっこ、味噌汁、茗荷とシラス、ポテトのオムレツなどであった。余計な一品、ビールを一本グビリとやる。これも昨朝と同じである。

                      

ちなみに、昨日の朝は「ソーメン」と味噌汁、味噌汁の出汁を取った昆布を千切にしてジャコとゴーヤで炒めた甘露煮、鯖とイカナゴの焼き物、胡瓜の甘酢漬け、糠味噌漬けなどあった。(ご飯が少ししかないので、ソーメンが登場)

                         

休みの日となると、飯に走る私である。

 

 酒場にて

木曜日、何時もの人形町「ちよっぷく」にてスタッフのAKAGI を責める。其処に酒場での知り合いのH氏が登場。結局、閑古鳥が鳴いているからとスナックseijuに同伴となった。AKAGIは、さっきまでのしおいらしい態度は何処へやら、人の歌うマイクを横取りして大燥ぎ。何時もながら懲りないやつである。

                          

金曜日、K大兄からのお誘いで池袋な夜。最後は行きつけの「野武士」でカラオケとなった。大兄が唄う古い歌は味わいが深い。これを聴かないと帰れないのである。大兄の知り合いも加わっての歌合戦は、池袋な夜の定番。ここの女将は信州の出、若い頃は富士紡績でバレーボールやっていたとかで、オリンピックで花が咲いた。

                

 

と云う、週末であったが・・・他に三・四軒、顔を出さなくてならない店があった。お盆休暇の前、一度は顔出しをしなければと思いながら不義理なこととなった。昔のように一晩で2~3軒と廻る元気、パワーがないのだ。夜も12時前には帰ろうするし、これって世間で云う「齢」て云うやつかな?否、銭が無いだけのことか?なぬ!両方だって!当たりか!今、畜生・・・。

 

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散歩

2012-08-09 | Weblog

8/9(木) 今日も明け方に目覚める、が動きだせない。昨夜は、赤坂の土佐料理の店でN社の県人会長老(OB)たちとの懇談会であった。このメンバーとの酒席は日本酒が主流となる。昨晩も四合瓶の冷酒が五本空いた。瓶ビールと冷酒を交互にやりながら、かつての話に花が咲く・・・。

帰路、渋谷からの東横線に座ったのはいいが気が付けば九駅も乗り越した綱島駅だった。なんてえ様かと上りに乗り換えてまた眠ってしまい、中目黒まで行った。散々な目に遭って家に辿り着けば「酒臭い」とのお小言を喰う始末。日本酒は鬼門だ・・・。

昨晩の酒が残っているわけではないが、すっきりとしない目覚め。今朝の湿度が低いのがせめても救いであった。6時から外に出て体を動かし、40分ほどの軽い散歩。呑川緑道を歩いたが、この時分に目につく花は「木槿」ばかりであった。

                          

最後に碑文谷公園「厳島神社」に参拝し、家に戻った。小さな社の廻りは、良く手入れをされた草花で埋まっている。毎朝手入れに来ている人がいるようだ。

                          

池のボートは、土・日しか出番がないので繋がれたまま。鯉が涼しげに泳いでいるのが目に留まった。

                         

 

毎夜毎夜の酒席、このさいBLOGのテーマを「酒場歩き」にでも変えるか、と思ったりする次第だが・・・、品がないか?BSでやってる、吉田類の酒場放浪記の向こうを張ってもギャラが出るわけじゃなしか!

 

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