オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

伊豆大川と先生

2018-10-30 | Weblog

10/30(火) 昨日につづき、伊豆大川にある若山先生の墓参について記す。

13:20分ごろであったか、伊豆急下田行きの電車は熱海駅を発車した。その車中で、同行のYOSHIOとFUJIKURAに『俺、若い頃にこの駅で小荷物掛かりのバイトしたことがあるんだよ。随分と昔になるけど年末の繁忙期のことだけどさ』と、話をした。

『その時に貰った臨時定期券が重宝なもので、何処までも何処の電車でもそれで乗れたんだよ。東京の私鉄にもそれで乗ったんだ。』いい時代の時の話さ・・・と。年末で伊東や下田方面からミカンの箱が沢山送られてき、それを積み替えていた。夜は休憩室で、夜食を作って食べていた時代のことだが、そんなシーンをこの駅を通るたびに思い出す。

電車は来宮から伊豆多賀、宇佐美と網代湾に輝く陽光を浴びながら進む。伊豆急線の駅名は未だ、その大方を諳んじている。それだけ通ったと云うことだが。

                       

伊東から富戸、川奈と過ぎ、城ケ崎(ここらに差しかかると城ケ崎ブルースと海岸の吊橋の話だ・・・)伊豆高原駅で後ろ三両が切り離され、出発してトンネルを抜けたら目指す「伊豆大川駅」に着いた。ホームも駅舎も昔と変わっちゃいないが・・・、ホームの両側に植わっているはずの「エリカ」の花が無い!

二人に、『エリカの花って知ってるか?、西田佐知子がエリカの花咲く頃っていう歌を唄ったんだよ。その可憐な紫色の花が、大川駅のホームに植わってるから・・・・』道中、そんなことを言ってきたのだが、植わっていたのはストレチア、極楽鳥花とか云うやつが、線路の両側端から端まで植えられていた。

                       

一番前の車両から降りたので、運転士に訊いた。エリカの花はどうなったの?と。返ってきた答えは「土壌が合わなくてこの辺りは育ちにくいようですよ」だった。じゃあ、西田佐知子の唄った「・・・伊豆の山陰にエリカの花は咲くと云う・・・・・」この歌をどうしてくれんだの気分に。どうやら、これから先の暗雲を予測してかのようだ。今、思い返せば・・・・。

私がこの地によく通っていた当時、エリカの花が両サイドのホームに植わっていた。一メートルに満たない箒のような低木で、薄紫の小さな花を沢山つけていた。この花に出会えず、ガッカリして改札への階段を上ったら、無人駅になっていた。ここは、伊豆の山々が海岸へと迫る狭い地域なのだ。

墓に飾る花も、ローソクも線香も準備できなかった。駅前にはタクーシーもなく(以前はいたように思うが)、お店もない。覚えのない、小さな足湯が設えられており観光らしき女性が二人足を浸けていた。湯加減を訊くと「丁度いいですよ、入りませんか」と、優しい言葉が・・・、混浴は不味いのでと笑いながら返した。

駅前の閉まってる店の横で作業をしている小父さんに、タクシーのことと線香など売っている店はないかと訊ねると「タクシーは熱川から呼ぶしかないね。線香はうちの店に寄っていきな家にあるのをあげるから、電話しとくからさ」と親切だった。店は五分程、坂道を上った旧道沿いで、ここに来ていた頃から在る店だった。

 店に寄ると、小母さんが線香を一束渡してくれた、和菓子や駄菓子を商うお店だった。FUJIKURAが気を利かせてどら焼きを三っ買った。私は、帰りに寄らせてもらいますと告げ、店から200m程先に在る、先生の自宅のことを訊いた。

「若山さんの奥さんは、引っ越されましたよ。家は他所の人が買って住んでますね・・・」との話。先生の奥さんが横浜に居る、MARIKOお嬢さんのとこに行ったことは承知していた。二年ほど前まで、盆暮れのやりとりを家人がしてくれていたから。奥様がお嬢様に気を使うかもしれないからと、止めてしまったが。

然し、家まで手放されたことはついぞ知らなかった。バブルが弾ける前、先生たちは四谷三丁目の交差点に近い処に住んでいた。一族の家族が何組かいたが、詳しいことは聞いていない。先生はそこの長男であった。一族は鉄鋼所を営んでいたが、時代の波の中で土地を処分して、先生はホテル経営をしている友人が居た伊豆大川に移った。海を臨む旧道沿いの敷地に、温泉を引いた立派な邸宅を構えたのだ。その家には何度か伺い、泊まらせて頂いた。

先生自慢のその家も手放されたか・・・と、少し残念な思いがした。墓参の帰りに、家の様子を窺うつもりだったが・・・・。

そんなことがあったが、気を取り直して墓地に向かうことにした。狭いながらも山の一本道、間違えることはない。谷川が流れ、黄色く熟れた柿、道端の畑のストレチアの花、竹やぶと道路に被さるような広葉樹の下を坂道を登る。長閑な山里、振り返ると青い海の向こうに見えるのは伊豆大島であろう。

                             

伊豆大川には、若山先生が移られる前からの因縁があった。先生の知人で、整体師をされていた木村オオスケ先生が弟子たちと、この地に居られた。木村先生を紹介してくれたのは若山先生である。それは、石廊崎に先生と奥様、先生を紹介してくれた友人のMATUMOTO夫妻、我が夫婦で一泊旅行の帰りに友達が居るからと立ち寄ったことから始まった。

木村先生は八光流の柔術家で、そこから整体の道に入った聞く。木村先生たちは、旧道から墓所のある山道に入って直ぐの民家を借りていた。先生たが生活する住居の上段に古い民家もあった。そんなことから、何がきっかけであったか覚えていないが、古い民家を足がかりに、その裏に家(小屋)を建てようと、独身寮時代の後輩たちを誘って伊豆大川通いがスタートしたのは、私の二十代が終盤になった頃だった。

自由に使っていいと言われた山から、柱にする木を運び出したりの力仕事だけでほとほと疲れ、屋根をふき一部屋の板の間を貼っただけで、我等の小屋作りは、見事失敗に終わった。道具や材料を車で運び込み、当初は意気込んだ後輩たちも息切れ、私が本社転勤になったこともあろう。一年程つづいた活動は消滅したが、それからも木村先生の元を何度か訪れた。

 或る時、木村先生が弟子だか奥様に言われたらしい「ARISAWA君は、ドロップアウトするんじゃないか」と、心配されたようだ。伊豆大川では、木村先生にも随分とお世話になったのである。その後、先生たちは小笠原に移り、先生は東京で亡くなった。ある年の暑い夏、弟子の一人から電話を貰った。駆け付けたのは文京区か豊島区か記憶は定かでない斎場、少人数に守られた先生の亡骸と面会した。奥様は先に亡くなれていた。

あの夏の夜から、一体どれだけの歳月を経たことになろうか・・・・。伊豆大川での出会いと出来事、そんなことを思い浮かべながら、坂道を墓地へと向かう、流れ始めた汗を拭いながら・・・・・。この地にも幾多の思い出が埋まっている。

 

 何故か、墓地までの距離が果てしない・・・・。坂道の途中ながら、今日はここまでにします。

つづいて、今朝の弁当を軽く紹介しますと、今朝はなんと「ステーキ」がメイン。それも国産黒毛和牛と云うやつだ(賞味期限間近の割引だが)。これに、アスパラ&ピーマンのベーコン炒め、レタス&セロリ・リンゴのサラダ、卵焼きと云うのが菜です。

             

ご飯の方は、鶏ごぼうご飯の素(グリコ)を使った炊きこみご飯にしたが、牛蒡と鶏肉を追加して出汁は少々自己流で工夫?ならぬ変形にした。

                     

炊きこみご飯の類は、義母が好みのようなので・・・。味噌汁を作り、自分用のスムージーはリンゴ・ブドウ・バナナ・キューイにした。そして、体重の過剰減少に歯止めをと、炊き込みご飯・サラダ・味噌汁を頂いた。

                         

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土・日のことなど・・・

2018-10-29 | Weblog

10/29(月) 先週末の金曜日から、正確に云ううと金曜日の夕刻から慌ただしき動きに・・・・。金曜日の四時過ぎにNAKAMURA&MATUOKAの両氏から呼び出しを受けて、五時前に三越前の路地に在る小体なカウンターだけの店にて一時間ほどの懇談。

N氏が、この店を紹介したかったとの仰せによる。が、この夕は、六時から後輩のKAKINUMA君に来て貰うことになっていた。仕事の件で相談や確認したいことがあり呼んでいたので、遅れるわけにもいかず三越前の店を先に失礼した。K君と待ち合わせた「うまし」にて、営業窓口をしているITO女も交えて三人で懇談。当初の目的を果たした。二人と別れ、そこから「セイジュ」「高松」「ローカーボ」「ちょっぷく」と、サーフィンの如くに漂った。

行く先々に仲間がおり、或いは合流しで、人形町パトロールはつづいた次第。最後の「ちょっぷく」には、誰が居たのかすら覚えてない状態になっていた。が、翌日スマホの画像を見ても?だった。六時間で六軒とは、かなりの忙しさであった。

                            

翌日の土曜日、日本橋粉の会が主催する「ソバ打ち会」に参加する旨を伝えてあった。かなりしんどい状態ではあったが、出掛けた。二度目の参加であったが、前月と違って初心者らしきのは私を含めて二名。待ち時間も少なくて済んだ。二時頃から反省会?試食会?的な飲み会。ソバ打ちに参加してない地元のベテランも加わり、十四名での懇談会であった。

                

                                    先生のお手並み

ソバ打ちの方は、後、五~六回は通わないと一人で打てそうにない。かといって、家で蕎麦を打つ気はサラサラない、今の処・・・・・。

                  

               因みに、先生が打ったソバです

 

そして、昨日の日曜日を迎えた次第。この日は、会社のYOSHIO&FUJIKURAの三人で小田原港の魚食堂で飯の後、伊豆大川に向かうことになっている。当初の計画では「城巡り旅」と云うことで、小田原城に行くことになっていた。それを、小田原まで行くなら、伊豆卯大川の若山先生の墓参をしたいと、我儘を言わせてもらい、行先変更となったのだ。

上々の天気に恵まれ、東海道線の早川駅に降り立ったのは十時半を過ぎた頃、ほぼ予定通り。無人改札を抜けると、そこにRYOKO姫が待っていた。姫は小田原の実家に一時帰宅とのことで、金曜日のローカーボで小田原飯に加わることになった。実は、姫はもうすぐトルコ・カッパドギアに帰国した恋人の元に旅立つ。送別の意味もかねての食事なのだ。姫は入った店で一番高い「刺身丼」(一七〇〇円也)をしっかりと食した。

                        

早川駅からすぐにある小さな港と、その周りに並ぶ魚を喰わす店は十店舗ばかりか?、何れも小さな店が多い。少し大きめの箱は、十一時まえながら団体だろうか、予約客ありで入れない。小さな店は直ぐに一杯になる。暫くウロウロとして、小さな店のカウンター席を確保したのである。

                  

                          港の灯台は小田原提灯姿!

刺身丼に舌鼓を打ち、ビールで喉を潤して早い時間のランチ会を終えた。TVの影響であろう、どうってことのない店とメニューのように思えたが、港と魚=新鮮&安いのイメージが強いのであろう。勿論、我等は美味しく完食いたしましたよ。こんなにご飯を食したのは、実に、四ヶ月振りであろう。 

                             

                             完食の図!

十二時過ぎ、早川駅に戻った我等は、東京に向かう姫と、熱海を経由して伊豆大川に向かう我等は手を振って別れた。トルコに行って幸せな家庭を作れよ!、 との願いを込めて・・・・。

遅れに遅れた下り電車が到着、間もなく熱海駅に着いた。伊豆急線の電車に乗り換え、暫し出発をまった・・・・。

このつづきは、明日へ。

 

で、一応今日の弁当メニューを紹介しますが、何時もと違うのは唯一「卵焼き」が不在なことです。何時も最後に卵焼きを作るのだが、流石に今日は収まりきらんと諦めました。

                   

文字で云ううより、写真の方が早い。写真を先にしましたが、牛小間炒め&野菜ソテー添え、胡瓜の塩糀揉み、小カブとベーコンの味付けソテー、出来合の冷凍焼売、紅鮭焼き、以上です。

                        

中の写真は、私めの朝食「バナナ&キューイ&ブドウ&キャベツ」のスムージーと、晒柿です。スムージーは、グラスに一杯半、柿は二切れだけ頂きました。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出したこと・・・

2018-10-26 | Weblog

10/26(金) 10月最後の金曜日となった。昨夜は家の用があって酒も飲まずに18時に帰宅した。私にとっては稀有な出来事であったが、そのお陰で「たけもと のぶひろ」さんの著書「今上陛下の祈りに学ぶ」をゆっくりと読むことができた。尤も、深更までを要したが・・・。

たけもとさんの文章から、明仁天皇陛下と皇后陛下が国民皆に寄り添い、安かれと祈る。その本質を垣間見、国家・国民の象徴である天皇について改めて畏敬の念を覚えた。そして、両陛下について或る方から聞いたエピソードを思い出したのである。

それは、今年の春の夕暮れ時のことだが、お茶の水にある大学病院の院長を訪問したときのことだった。訪問の目的は取材で、院長への二度目のインタビューの時であったように思うが?。話を聞くのはTUGAWAさんで、私は陪席と云う立場である。

院長は陛下の心臓手術を執刀されており、名医と言われる心臓外科の第一人者である。手術前の事前説明を院長がされた際のことだが、説明をされる院長の話に、両陛下は膝を折り身を乗り出すようにして真摯に聞かれたそうだ。その姿に接し、院長は身を打たれたという。まさに、たけもとさんの著書に書かれている、陛下が被災者に接し国民皆と共にある姿、そのもののに触れて畏敬の念が湧いたと云うことではなかろうか。

昨日につづき、「今上天皇の祈りに学ぶ」の本のことに触れたのは、以上の経緯による。

                  

 

さて、今日の弁当だが、冷凍のコロッケを揚げ、ブリの塩焼きと粕漬け焼き、豚小間&野菜炒めにホウレンソウの卵とじ炒め、となった。何時もながらイージーとは感じつつ、脱しきれない。

                 

他には義母の為に味噌汁と作ったので、自分も一椀食した。美味かった。以上。

 

 今夕の予定だが、取引先の某社の後輩、KAKINUMA君が来てくれることになっている。或る案件で確認したいことがあると、営業スタッフから言われ、亀の甲より年の功とばかりに駆り出される。これも致し方ないか・・・・。その後は・・・・、勿論パトロールとなるが、久々に会社のスタッフが同道する。

明日は、日本橋粉の会が主催するソバ打ち会に参加予定。明後日の日曜日、今夜のパトロールに同道のスタッフと、東海道線で早川漁港で飯を喰う。その後は、小田原城散策の城廻り第三回の計画であったが、急遽、伊豆大川の若山先生の墓参に向かうことになったよりは、したが正しいか。

東海道線の下向ついでに、熱海から伊豆急に乗って大先輩の墓参に向かう旨を告げたところ、同行してくれることになった次第。伊豆大川駅には、西田佐知子(古いねぇ~、関口宏と一緒になったが)の歌にでてくる「エリカの花」が植わっているはずだ。駅に着いたら、同道のスタッフに教えてやろう ? とするかな。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

著書を頂く・・・

2018-10-25 | Weblog

10/25(木) 昨日届いた本のことを報告する前に、BLOGのテーマである弁当について先ずは紹介します。今日の弁当は煮物「鶏・大根・人参・蒟蒻煮」と、「ホウレンソウのお浸し」「卵焼き」に、冷凍シューマイ、冷凍塩秋刀魚焼、以上が今日のメニューです。

小さな弁当箱ですから、たったこれだけでも詰めるのには一苦労します。なんとか全種を詰め終える、と云う日々です。

                 

 

では、今日のタイトルにした本について紹介します。著者は「たけもと のぶひろ」(竹本信弘=滝田 修)さんです。本のタイトルが凄い、なんと「今上天皇の 祈りに 学ぶ」ですから。滝田 修 時代の竹本さんをイメージする方が見たら、驚天動地するようなタイトルじゃあないでしょうか。

実は、まだ本を全部読み切れていない。内容について詳しく述べることはできないが、捲った内容からすると、人間天皇、国民に奉仕・平和安寧を願う天皇のお気持ちを、世間に発表され、映像として流された姿、言葉から学者らしく読み解き、分析した上で、天皇が天皇として生きる姿に共感・共鳴・共振、してこれを本にしたのであろう。

初出は、本を出している出版社のサイトで、BLOG形式で掲載したものをまとめたとある。このBLOGのことは、竹本さんから以前に聞き見た記憶があるが、すっかり忘れていた。

                           

竹本さんは、京都大学で助手として勤務していた1970年代初に過激派の教祖、と云うことで指名手配され潜行。潜行から逮捕、懲役と、十数年の年月を厳しい環境で過ごしてきた。言わば、学者的なロジカルさと修羅場を潜った人間ならではの強さ、厳しさを持った人だ。おまけに、義理人情に篤い。

そんな竹本さんと初めて会ったのは、平成五年のはずだから、もう四半世紀も経ったことになる。仕事で出合い、この人の持っている真っ直ぐさと、修羅場を潜り、ほんまもんの汗をかいてきた人間らしさに共感した。

潜行中にプレス機だかで半分落とした薬指に石指輪、短尺痩身ながらもギョロリと動く大きな眼、常に本音を吐く言葉。嫌がっていた。怖がっていた面々が多い中、妙に好感を抱いた。渋谷に小さな事務所を開いてからは、何度かお邪魔をしたし、酒にも誘った。事務所を畳み、京都に戻られて十年近く経つであろうか・・・。音信の行き来だけは絶えなかった。

前にも著書を頂いたことがあるが、今回頂いた本はこれまでと違って、天皇陛下の務められてきた、いることへの、竹本さんらしい報恩と御礼の現れのように思う。是非、皆さまに読んでいただきたい一冊。天皇への、天皇制を考えるいい機会ではなかろうかと思い紹介する次第。

「今上天皇の 祈りに 学ぶ」  著者:たけもと のぶひろ。明月堂書店、平成30年11月10日初版、定価1852円。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハンバーグ&ピーマンの肉詰め

2018-10-24 | Weblog

10/24(水) 今日の弁当は「ハンバーグとピーマンの肉詰め」に、お魚は「小ヤリイカのバターソテー」がメインで、蒲鉾とタラコに卵焼きと云う陣容であった。メイン食材は、昨夜の帰りに東急ストアに寄って『翌日の弁当作りを思案しながら物色』贖ったものだ。何時もながら同じようなものになるが・・・。

              

サクサクと弁当を作り終えて、八時半過ぎに家を出た。今日は前々から計画をしていた、飯屋のオヤジ或いは飲み屋のオヤジに変身しするとなれば必要なる「食品衛生責任者」の資格取得のための講習会であった。

九時半集合、16時半終了の講習会であったが、百八十人程の受講生であった。途中、眠くなったりもしたが、一応真面目に講師の話を聞いた。最後に五問、三択の小テストがあったが難しい設問などない。84%が全問正解とかの発表があり、「食品衛生責任者手帳」なるものを頂いて戻った。

粗粗一日、狭い席に座していたが、違和感はなかった。受講者者概ね若い人が多かった。かなりの人たちが飲食店勤務で、資格を取るようにお店や会社からの指示のようだ。五年前になるか、自動車運転免許を取りに行った時のことを彷彿した。

                               

然し、受講料が一万円とは・・・・、致し方ないか。それにしても、主催者側にとっては、いい商売だねぇ~と感じた。こう云う免許ビジネスを展開できたら最高だろうね・・・・。

と云うことで、これからパトロールに出ます 。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オージービーフは・・・

2018-10-23 | Weblog

10/23(火) 今日の弁当、メインは「オージービーフ」だったが、この安い肉をどう美味しくするかが、課題。残念ながら魔法が使えるほどの腕を持ち合わせていなかった、と云うのが結果である。

一応、塩胡椒にプルコギャンのタレに出汁を少々使い、添えにエノキとタマネギを炒めたが、さほどの味を出せなかった。素材さえよければ、腕は悪くてもそこそこの味が保証できるというのが私的結論となった。今度からいい肉を買うことにしよう・・・、出来ればだが。

他には「紅鮭」を二切れ、スクランブル風の卵焼きに、小松菜と薄揚げの卵炒め、蒲鉾で、フルラインが揃った。高知から届いたばかりの新米を炊いたが、これが何とも美味そうな香り。ちょっと体重が落ち過ぎのきらいがあるので、軽くご飯を頂いた。加えてフルーツのスムージーも頂く。そんなことで、今朝のお仕事は終了。

            

 

会社に顔を出してから、新高輪プリンスホテルに向かった。と、云うのは今日は懐かしきかな電信電話記念日で、このホテルの大ホールでOBたちを招いた懇親会が開催される。二年ぶりに出席することにした。お世話になった皆様に挨拶ができるいい機会でもある。

                          

千六百人と聞いた参加者の中から、四十名近い方と言葉を交わし、挨拶することができた。中には「会報誌の記事、読みましたよ」なんてことを言って下る方も・・・。夏に発行されたOBの会報誌に『私的、終活」なんていう寄稿をしたことへの言葉である。この原稿の中で、会社を去ることや郷里の母の下へ行く予定などを記したのだが・・・。

                      

母が思いがけずに早く逝ったことから、方針の転換を説明する破目になってしまった。

一時間ほどで引き揚げ、会社に戻った。戻ったところで、私のルーチーンの仕事があるわでもないのに。家で居るよりは、馴染んだ会社がいいとは困ったものだが。今夜も酒場パトロールに勤しむしかないか、こんなことをしながら、今日も暮れ行くか・・・・。壮大なる時間とお金の浪費しているような気もするが?。

明日は、朝から或る講習会に参加する。人形町へ夕方の戻りとなる。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祭の後の・・・

2018-10-22 | Weblog

10/22(月) ベッタラ市も盛況に終わった。土曜日の夕刻からの雨には参ったが、概ね販売が出来ていたので良しとするしかない。先輩や友人たちも顔を出してくれたし、加えて料理の先生であるJINさんグループの応援もありました。賑やかで嬉しい祭となりました。私的にベッタラ市に関わるの、多分これが最後となろうが・・・・。

                      

そんなこともあり、些か草臥れていたのか昨日の日曜日は粗粗、自宅で過ごしたが、一時、郵便局に行った帰りに、青空に魅かれて生ビールを二杯程飲んだ。ゆっくりとすごした今朝は、日課の弁当を軽く作ってから出社した。が、早々に外出となった。

                   

                     チンジャオロース&粕漬け、タラコに出汁巻卵

有楽町の外国人記者クラブの寿司BARで、かつての大上司であるUDAさんとのランチ会に出掛けた。食事は抑えてきた私だが、昼酒がすすみランチコースを完食し、挙句に酔いが回った。酔い冷ましのコ―ヒーまで馳走になってから、赤い顔のままで社に戻った。と云うのも、四時からの営業ミ-ティングに出席のためだ。今更、私が出てもと云う思いはあるが・・・求められれば致し方ない。

                     

                       UDAさんの後ろ姿にも、酔いが・・・?

UDAさんの誘いは、亡母に献杯の一席と云うことのようだった。外人記者クラブは、UDAさんがメンバーなので、昼酒には時々案内を頂く。そして、郷里の酒「南」飲むのが習わしに。「南」を入れる段取りをしたのが、小生である。

日比谷線で人形町に戻り、地上に出ると交差点は秋の靑空が広がっていた。この空気の清涼は、秋を実感させる。

                    

 

ミーティングも終わり、夕刻の六時半となった。そろそろ、パトロールに出掛ける時間となった。されど、昼間呑んだ「南」の酔いが未だ残っているようだが・・・・。まあ、二三軒廻って帰ることにします。なるべく、軽めにあげるように務めて

 明日は、電電記念日なのでまたしても昼酒が・・・・。会場は、新高輪です。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベッタラ市始まる!

2018-10-19 | Weblog

10/19(金) 愈々、ベッタラ市が始まった。この時間帯(午前十時)、出店者は準備に大わらわである。概ね十一時過ぎには整い、昼の客を待つばかりとなろう・・・・。我が社(立場上、もうそうとは云えぬが)の方も、AOKIを先頭に着々と準備がすすんでいる。

ベランダで一服しようと出ると、雨がポツリポツリ・・・・。これが一番困るのだ。うちの品書きを紹介すると飲み物は「南 冷おろし」焼酎が「熟柿&利八」の芋焼酎、スタッフと客人に振舞うビール(非買)。食べ物は、ウインナー、焼き鳥各種、安納芋の焼芋、鹿串焼き、猪汁、猪鍋である。単純と云えば単純な出し物である。

お値段の方は、100円~500円だが、安納芋は大きくなったので300円にした。そして安田川産鮎は、夜だけだが一匹千円で提供するが、まあ殆ど買う客はいない。客人へのサービス品である。        

                          

 

さて、昨夜は銀座「祢保稀」において、サラリーマン時代の最後を過ごした会社の四国会があった。ここ数年、ベッタラ市とバッティングで参加できなかった。今年は久々に顔を出すことができ、懐かしい皆さんにお会いできた。元社長、現副社長ほか元監査役なども顔を揃え、三十人弱の参加者であった。

                          

会がお開きになった後、独り二次会で「順」に顔を出した。この店に顔出ししたのも数ヵ月ぶりであったが、二日ほど前に電話を貰ったこともあり日頃のご無沙汰の埋め合わせのような顔出しであった。二人連れの客が入ったのを汐に、引き揚げた。

                          

そんな次第で、この夜の人形町パトロールはお休みになった。帰宅は23時過ぎであったろうか。

で、今朝の弁当は土佐風の柚子酢を使った「五目チラシすし」、出来合の冷凍ハンバーグを焼き、添え物のマイタケ・エノキとオクラをソテー。鮭を焼、卵焼きでお仕舞であった。

              

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベッタラ市

2018-10-18 | Weblog

10/18(木) 恒例の「ベッタラ市」が、愈々明日から明後日まで開かれる。最近の祭りと云えば、日程を土日にずらして開かれることが多いが、このベッタラ市は、毎年10月19・20日と決まっている。そんな分けで、今年は金・土曜日になった。

                           

ベッタラ市に出店を始めて、早や十年以上になるだろか・・・・。記憶が定かでないが、一番最初は「焼き鳥 ゆう」のオヤジに誘われて共同出店だった。二回目はドトールの店主との共同、三回目からは単独出店になり、ここ数年は二小間を申し込んで運営している。商売人じゃないので採算は度外視、クライアントやスタッフに楽しんでもらうことが主眼だが、とは云いながらも採算が取れるがいいに決まっているが・・・、まだ一度も黒字になったことはない。

今年は、20日が土曜日なので近隣の勤め人の出を期待できない。と云うことは、酒や肴が売れない。加えて明日の金曜日が雨の予報だ。この祭りはよく雨にたたられる。祭りに雨は鬼門であるが、こればかりは如何ともし難い。

毎年赤字ながら、祭りを通じて近隣との縁が深まり、お客様にも楽しんでいただける。今年も猪肉や鹿肉の調達ができた。ジビエと安納芋、高知の地酒「南」を売りにしてきたので何とか面目が立ったようだ。残念なのは、こうまでしても、全てが原価割れなんだ。商売でやっている分けじゃないので致し方なし、と云うよりは痛し痒しか?。

そんな次第で、昨日につづき今日も食材の調理に勤しみ、味を整えた。されど、評価の方は?だ。明日からの祭りで、味見をして頂きたい

 

昨夜はNAKAMURAさんが上京したので「うまし」で合流。マッチャンにHOYA兄いの四人でああった。佐賀と東京が半々暮らしのような、Nさんの家庭事情などを肴に、揃っての酒盛りは一週間ぶりだと賑わった。二軒目は「ローカーボ」、そこから兄いと「セイジュ」、「ちょっぷく」と歩き、帰宅は前夜より早い23時15分だったか。飲みながら…、偶には早く帰った方が体が楽だね、なんて言いながらも・・・・・ 。 

                       

 

今朝の弁当は「豚バラ肉の生姜炒め風・えのき&シメジ添え」「ギンダラの粕漬け」「小松菜の煮浸し」「ホウレンソウのバターソテー」、定番の「卵焼き」であった。自分の朝飯は、ホウレン草・ ミカン・梨・キューイのスムージであった。米はなしだった。

                           

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一週間ぶりに・・・

2018-10-17 | Weblog

10/17(水) 昨日の午後、郷里から上京。一週間のご無沙汰で、昨夜の人形町パトロールでは些か飲み過ぎた感あり。四時過ぎに会社に入ったが、六時から「高松」で保谷さんと飲み始め、スタッフのITO君が何やら話がしたいと合流し、暫く彼女の話を聞いた。マッチャンが姿を見せ、交替するようにITOが帰えったが・・・・。

二軒目は「ローカーボ」、そこから「セイジュ」でカラオケとなったが、客人がローカーボに来たとの連絡が入り一時間ほどでセイジュを切り上げてローカーボにUターンした。クライアントと話をした後、仕上に「ちょっぷく」となった。一週間ぶりとあり、気合を入れて飲み過ぎたのか、今朝は体調が・・・・・。それでも手抜きながら弁当は作った。出来合の品が多いので充足感はない。

                    

すっかり食べなくなったので、体力の方は落ちていると実感するも、食べる気がしない。これはひょっとすると、拒食症?、そんなわきゃねぇか・・・・。

先週から週明けにかけての帰省は、結構忙しかった。酒造元の「南」で、ベッタラ市用の酒を手配し、亡母の最後の書類手続き済ませた。10/11は後輩のKATUTA夫妻が四時間も車を飛ばして墓参に来てくれた。翌日の夜は、高知市内で若い人たちを相手に懇談。13日・14日と、サラリーマン時代の後輩二人が来高したので、定番の桂浜や、室戸岬、日曜市等を案内した。

           

帰京の前日は、出店する「べったら市」で使う猪肉・鹿肉などを宅配した。今日は、その肉の下拵えを始めた。猪肉は脂が厚くていい肉の用意だし、鹿肉も春の肉なのできっといいだろう。猪鍋・猪汁・鹿肉の串焼きとして提供するのだ。それに鮎を少し(30~40匹かな)焼くつもりだ。

                        

                       塩抜き中のイタドリ              猪肉

何度も書いているが、今年の鮎漁は台風の影響で洪水がつづき散々だったようだ。10/15日で今年の漁期が終わった。太公望たちが竿を並べていたが・・・、芳しくないとか。それでも帰省の度に、少しづつ入手してきたものがあり、べったら市では少しは振舞うことができる。従姉や義弟に感謝である。

                            

 今夕は、佐賀のNAKAMURA社長が上京とのことで「うまし」に集合が掛かっている。昨夜の轍は踏まないように・・・、心掛ける所存! 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする