オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

年末・集大成・・・

2015-12-28 | Weblog

12/28(月) 会社は、今日が仕事納めとなる。一年の締めくくりではあ、が、集大成という訳にじゃないな。企業の集大成は、決算だろうから。ということは年が明け、七ヶ月後の七月の末。今と違って暑い盛りだ。

会社の決算のことは置いとくとして、年末というのは一年の締めくくりだ。締めくくりに相応しく、大掃除だ、やれ忘年会だとかの行事をするわけだ。個人的には年から年中、なんの区切りもなくやっていることも、年末になると一応は節目ということから、その行いは「集大成」と呼ぶようになる。

昨日の「有馬記念」と「平和島ボートレース」は、今年最後の遊び事となった。そういう意味で、集大成としたかったのだが・・・・。諸兄姉の期待を裏切らず、惨敗での締めくくりとなった。

有馬記念」は、土曜日の朝から新聞を睨み、思案に思案、検討に検討を重ねて買い目を決めた。こんなことは初めてのことだが、せめて餅代ぐらいは欲しいと微かな期待を・・・。土曜日の午後は会社に出て、YOSHIOとあれこれ話をし、夕方には「ちょっぷく」に寄って、MAちゃん店長のご高説まで伺った次第だ。

 

話は横丁ににずれるが・・・・。土曜日の夕方。YOSHIOと連れ立って「ちょっぷく」の自動ドアを開けた。ランチの片付け、掃除はあらかた済み、翌週の仕込みなどをする頃合いだ。助っ人隊のミムラッチ&スーさんが、お仕着せの黒いエプロン姿で甲斐甲斐しく働いていた・・・。

そんな最中に、競馬新聞を見ながら店長と競馬談義が始まる。俺じゃないよ、YOSHIOだよ!。なんでもかんでも、買い目に結ぶつけたがる。根拠は?有馬記念のCMに出てきた車のナンバーだとか、数字の何とかが見えるからとか・・・。馬鹿馬鹿しい与太話を聞き流し、掃除の終わりを待っ・・・。

18時半過ぎから、一杯となった。店長にチーフのヨっちゃん、助っ人隊の二人、YOSHIOと私である。YAMAちゃんはノンアルコール一本、俺たちは好きなものを飲む。生ビール・日本酒・濁り酒、ワイン、ハイボールとつづく。この酒盛りに参加するのは久しぶり、二月も来ていないはずだ。

29日は、このメンバーに二人ほど加わって、ここで5時から忘年会をやることになった(無理に押し込んだかな?)。偶々、常連客から忘年会の予約があったとのことで、そのために店を開けると聞いた。『忘年会の客は勝手にやらせて、俺たちもやろうぜ』と、身勝手な”三方一両得”論の結果である。その代り、私は猪肉と軍鶏肉の鍋を作るのだ。 随分と、横丁が長かったようだ・・・。

十時近くなった、場も盛り上がる。カラオケが始まっていた。客の居ない店は、すっかりカラオケ居酒屋に変身していた。

                     

「有馬記念」のレースがスタートする時刻、平和島競艇場の観覧席で、第十レースの様子を見ていた。隣に座っているNAKANOオヤジが「そろそろじゃないか?」と訊く。このオヤジも馬券を買っていたようだ。この日は何時もより一時間も早い11:30分にNAKANOオヤジの迎えで ― といっても、オヤジが平和島に向かう途中に拙宅がある ― 平和島に向かったのだ。余談ながら、第四レースから参戦し、九レースまでは順調であった。

やおら、カバンからスマホを取りだしてワンセグのマークを撫でる。なんと、十六頭は既に出走し、第二コーナーを廻っていた・・・。隣からオヤジが覗き込んで「どうなってる?どうなってる?」と煩い。画面が小さい上に、電波状態がよくない・・・みるみるうちに第四コーナーを廻り馬群はゴールに殺到する・・・。

どうなったんだ?7番ゴールドアクターが一着だが、二・三着がどうかな・・・。などとオヤジに言いながら・・・。俺の馬券はどうなってんだ!?

御承知のとおり、結果は二着9番サウンズオブアース、三着11番キタサンブラックであった。三連単・三連複と、三着までの馬券は買ってはいるが、組み合わせが違う!これじゃ何の意味もない・・・・。かくして、今年の集大成の結果を出すはずの競馬は、儚くも中山競馬場の砂塵に消えたのであった。

で、ボートレースの方だが、九レースまでは順調。愈々十レースから勝負を掛ける、集大成となるはずだが・・・・。なんと、それまでの堅調は何処へ!十・十一レースと荒れ、我が方程式では対応不能。

最終の十二レースに命運を託すことにした。ここで、これまでの堅実方程式から、ひと博打を打つ買い方にした。のだが・・・、それまでの方式なら取れていたものを・・・。無念にも我が舟券は、平和島の藻屑と沈んでいったのである。

                           

余す集大成は「年末ジャンボ」のみだが。これも資金不足から10枚しか買ってないからな・・・、一等が当っても7億円か?10億には届かぬ、残念!

 

と云うことで、狸の皮算用を諦めて『弁当』の集大成が今朝の予定だった。四時頃に一旦蒲団から出た。多分、今年最後のお弁当になるだろう。締めくくりだと、力を注いだわけじゃない。昨夜から始まった寝汗と咳で、眠れなかった。明け方になって少し眠ったが、一時間ほどだったか。

平和島の情け容赦ない冷たい仕打ち、潮風の所為か?余りにも軽い財布に体が反応したのか・・・。はたまた、集大成で今年も終わると気抜けしたからか?。眠れぬまま、喉・鼻不調で朝を迎えた。

今朝のメニューは「ハンバーグ&ピーマン肉詰め」「鶏肉&蒟蒻・大根?人参の煮物」「紅鮭カマ焼き」「ポテトのオムレツ風」、出来合の「シューマイイ」、以上。毎度お馴染の定番弁当ではあるが、これが美味い、旨いはずである。

                         

新年の「弁当事始めの儀」は、正月五日となろうか。大晦日から、四日の昼まで帰省する。それでは、皆さまお元気で、良きお正月をお迎えください。努々、小生のような不養生はされませぬように・・・。

 

 

 

 

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2015-12-25 | Weblog

12/25(金) 週末を迎えた、と云うよりは、年の瀬も押し迫ったと云うことか。道路もやたら混雑してきたように思える。それなのに、昨夜の「ローカーボ」も「セイジュ」も、それから「ちょっぷく」も、最後の店になったらしい「三浦」も静かであった。

尤も、「セイジュ」が静かなのは何時もどおり。「ちょっぷく」は、ピークの時間帯を過ぎてそろそろ店仕舞いを始めようかと云う時間。「三浦」に至っては、暖簾が掛かっていたので、店の戸を開けたのだが既に店仕舞いを終えていたようだ。それなのに、三浦の若い店主は、「いいですよ」と招じ入れてくれた。

はっきり言って、どの店が最後だったが記憶が怪しい。が、「ちょっぷく」まで一緒だったHOYA兄いが「あの後、ラーメン行ったの?」と、先ほど会社に訪ねて来て言った。それで、漸く巡回ルートが明らかになったという体たらく。記憶がかすみ朧だったのだ。。こうなっちゃ、人間失格、お仕舞だな。

昨夜、会社を出たのは19時半過ぎだった。19時過ぎに、御学友のHOSOKAWAから「今仕事が終わったから、これから向かうよ」との連絡。待ち合わせは「ローカーボ」と指定した。先に店に着くと、HOYA兄いと何時も静かに飲む常連客が独り、席を暖めていた。イブの晩に一人酒をやっている、哀しいオヤジが二人居た訳だ。

俺たちや違うさ、ご学友どうしが旧交を温め、来たるべく年に備えて未来を語り合おうと云う趣旨だからね・・・・。然しね、淋しいオヤジが二人もいたんじゃ、ほっとけないないわな。サンタクロースになったつもりで、赤くほてった顔で、御学友が現れるまで、お話相手をして遊んだ(反対かもしれんが、この際、その詮索は止そう)。

                         

御学友が現れたのは20時頃か、お土産のCD(彼が制作したBS番組“ちあきなおみ”特集)を持参していた。マスターに頼んで、これを映して貰いながら、ハイボールを飲む。HOYA兄いも「ちあき」はいいな、歌上手いなと絶賛。何しろ、二時間番組だそうだから全部を見るのは諦めた。

独り静かな客は引き揚げ、入れ違いに御学友の後輩にあたるMIYAKEっちが入って来た。この店で彼は、弄られキャラになっている(弄るのは俺だけかな?)。一人娘は大学一年で、コンビニでバイトをしているそうだ。大学入試の頃は随分心配をしていたが、今は虫が付かないかの心配だ・・・。そこを弄るわけだが、許容範囲が広いので笑ってくれる。なかなか善い男である。

                           

                 幕間にマスターのテンガロンハットを借りて遊ぶ!奥は御学友だ。

歌を聴いちゃ唄うしかない。と、三人してSEIJUに向かったのは、自然の成り行きと云うやつだ。客の姿はなし、我等三人だけの貸切状態がつづいた。他に客が居ないと云うのも、唄っている方にとっちゃ面白みがないな・・・・。

流れからすると、次の店は「ちょっぷく」となる。水が高きから低きに流れる道理と同じく、我等は駅に向って流れゆくのである。それも歌を唄いながら!。「ちゅっぷく」の常連助っ人隊の他には客の姿はチラホラ、もう店仕舞いをするような雰囲気。安ワインを飲み、忘年会の決行を促す、私であった。

忘年会の押し売りと云う処だ。ちょっぷく邸への討ち入り日時は、12月29日17時と決まった。獲物は、刀・槍ならぬ猪・軍鶏の土佐珍味(乞食の宴会の残り物)。陣太鼓の代わりに、大根・里芋などを提げて行こう。飲み物は、取って置きの(20年以上寝かせた)ワインならぬブランデー、それも極上品とするか?

そんな馬鹿話をして店を出た。で向かおうとしたのが「三浦」。時間も遅いので、どう考えて店は閉まっているはずだが…、御学友も噂に高い、三浦のラーメンを喰ってみたいようだ。あの美味さに魅かれたのか「行こうぜ!」と元気がいい。で、三浦へと夜道の散歩。漸く店を見つけた。

暖簾は掛かっているが、中の灯りは小さくなっていた。一応、店のガス戸越しに中を覗いた。中にいた女将さんが気付き「もう仕舞ました・・・あら、〇〇さん」と、奥の旦那を呼んだ。『火を落としたんじゃ、いいよ。また寄せてもらうよ』と言ったが、「十分待って下さい、できますから」と招じ入れてくれた。

何だか申し訳なかったが、折角の武士の情けだ。これは受けなきゃならねえと、言葉に甘えた。店主自ら、火をいれて「ラーメン」を作ってくれたのである。その間、紹興酒が死な切れで、冷酒を飲むこととなった。が、冷酒はオイラには鬼門なんだ・・・。

相変わらず美味い!☆三っだな。我が御学友も満足の体だ。冷酒をやりながら、「三浦」開店までのレストランや和食の修行話、ラーメンにした経緯など聞いたのである。が・・・・、ほぼ記憶喪失。スープは、豚骨・その他に醤油も入っているとか。

                            

時間外にも関らず、気分よく食べ飲ませて貰ったが、これも彼の「悪とくちゃんこと、マッチャン」のご利益だね。人形町パトロール隊長、夜の帝王、鉄の胃と牛の肝臓、ライオンの歯、彼に授与すべく称号は十指に余りそうだ。そのマッチャンは、葛西辺りにいる客先での忘年会とかで不在。隊長になり代わってのミニパトだったかな?

そんなことで、帰還は24時30分ごろでなかったろうか。記憶喪失である・・・・。エアコン・枕電気が朝まで点いていた・・・最悪だ。

 

今夜は、娘たちが、我が家でクリスマス会をやるとか。賑やかなことだろうが、私はいないつもりだ。煩くて叶わん、それに友人のOKAZKI氏と渋谷・奈加野で二人忘年会なのだ。長女と三女の休みが今日で、平日にしたようだ。

弁当の方は、家人のみ。「サンドイッチ」でいいと言うので、超簡単な「卵サンド」にした。体調不良、記憶喪失症のため手抜きに徹したのだ。

                             

材料は、ゆで卵一つ、刻みタマネギ四分の一、スライス胡瓜が四分の一、マヨネーズと塩胡椒。以上である。

 

 

 

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カニ飯

2015-12-24 | Weblog

12/24(木) 22日夕、社内での乞食の宴会では、予定どうりに「猪鍋」と「軍鶏鍋」を炊いた。しょっちゅう炊いている代物なので、適当な味付けだがそれなりの味に仕上がったようだ。社内での宴会後、HIROさんと、HANAOKA女史で「ローカーボ」に寄ったが、HIROさんは出来上がっていた・・・。

昨日の祝日、金沢の義妹からカニが届く。福井の越前町の漁港まで買い出しに行き、送ったとのこと。越前カニでも、いわゆる「香箱」と呼ばれるメスで小さいカニだが、この味噌が美味い。カニが届いたので、恒例の「カニ飯」を炊くことにした。小さいカニなので、身をほぐし外子をほぐしと、面倒なのだが・・・。

炊きたての「カニ飯」は流石に旨い。素人ながら、専業に等しい飯炊きのOYAJIがいるからねぇ~。土曜日といい、この日といい、美味い魚があると飯もビールも進む。最悪だな・・・・・。今年も、オイラの減量作戦は失敗。美味い飯の前に大敗を喫してしまった。連敗街道をまっしぐらだ!

今夜はクリスマス・イブだとか云うやつだが、行くところも、相手をしてくれる暇な姐さんもいない。そこで思いつくのが、我が御学友で単身暮らしのオッサン、HOSOKAWAだ。やつなら暇だろうと、今朝、留守電に誘いを入れておいた。

暫くして「いいけど、夕方に仕事が一本、赤坂で録音立ち合いがあるよ。七時頃に終わるけど」との返事が。『OKOk、終わったら電話をくれよ』と伝えた。こっちは、どうせどっかで一杯やってんだから・・・待ちますよ。

そんなことで、今夜と明日の夜の相手が決まってた。28日は、会社の仕事納めで軽く一杯。その後は、近隣の馴染の店にご挨拶の顔出しをして、大騒ぎをして悪酔いする。そんなパターンであろう。29日は、休みに入った会社に出て書類の整理。30日は、年越しそばや、スキ焼肉の買い出し。31日は夕方の便で帰省。と云う具合で、概ねスケジュールが固まってきた。

27日は、ビールでも飲みながら「有馬記念」の競馬をTVで観戦か?問題は、26日の土曜日が暇なのだ。出来れば、許されるなら、年末のご挨拶に横浜に出たいと思っているのだが・・・。相手があるので、土曜の予定はもう少し保留だ。

 

今朝のお目覚めは、五時過ぎ。台所に入ったのは6時20分。常にアリバイを明らかにする、几帳面な性格なのだ。昨晩のカニ飯」が、かなり残っていた。長女の弁当飯は、これだ。家人は、いつの頃からかカニアレルギーになった。カニ神の祟りであろうか?

そんな訳で、家人用に鍋飯を炊いた。菜の方は、「牛小間のすき焼き風」と「牛小間炒め焼肉風」、これに「ホタテバター焼き」がメインである。炊き合わせや、添える野菜は、タマネギ・マイタケ・シメジ・ピーマン・ネギである。

                        

昨夜から塩抜きをしてあった「干しタラ」を、砂糖・醤油で煮てみた。酒飲みの末娘が「タラの干物~」とか言ったので、市場だったかで、買ってきたが。少し食べただけで、ほかされていたのだ。これじゃ、タラ神さまがお怒りになると、気弱なOYAJIは成仏をさせてやろうと、念仏ならぬ鍋で煮たと云うことだ。

味付けの方にも問題ありか、小骨があって食べづらかった。にもかかわらず、二人に弁当に少し入れてみた。反応や如何に?

                           

最後に、刻みネギを入れた「卵焼き」となったが、美しく仕上がったネ 。今年一番の仕上がりか・・・・。

                             

 

 

 

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冬至

2015-12-22 | Weblog

12/22(火) 今日は冬至だ。冬至と云えば「柚子湯」ということになる。風呂は朝風呂をもっぱらとしているので、今朝の湯には柚子を入れた。先日の帰省の折に、田舎で収穫した残り柚子である。

朝から柚子湯に浸かり、これで何年か長生き息災となるはずだが?。会社のメンバー用に採り残った柚子を送ったが、今夜あたり柚子湯に入って温まってくれると、送り甲斐があったと云うものだが・・・。

明日は天皇誕生日で休日となる。そこで今夜は、社内で忘年会と称する山賊の酒盛り、或は、乞食の宴会と洒落込む。今夜の出し物で「猪鍋と軍鶏鍋」を作ることにしている。猪肉も軍鶏肉も、我が田舎から持ってきた代物だ。猪肉は田舎で鍋にして試食済みだが、軍鶏の方はどうだろうか。

食肉用に飼っている軍鶏じゃない。喧嘩用の軍鶏だ。肉は硬いだろうから、よく煮込んだ方がいい。三時頃から圧力鍋で煮込む予定だ。一緒に入れるのは、蒟蒻とネギだけの予定。猪鍋の方は、シンプルに里芋と大根で煮るつもりだ。こんなことを厭きもしないでやるような、暇なOYAJIである。社内で猪鍋や軍鶏鍋をやる会社も珍しいかろう!

昨夕、取引先の部長と担当の女性が来社。情報誌(ライフアシスト誌13号)と、そのWEB版が仕上がったので、それの挨拶とか。夕刻に来て頂くようにお願いしたのだ。折角お来し頂くなら、人形町安酒場ツアーに案内したいと云う次第だ。小ジャレタ店や、気の利いたお店は何処にでもある。人形町の人情と、貧乏オヤジの日頃を開陳すると云う企てだ。

手始めは、蕎麦の「高松」。ここで比較的珍しい“金魚わり”や、カツ煮等を賞味頂いた。ここから「ローカーボ」でハイボール、カレー&クラッカーを。常連客と冗談を飛ばして話をする。其処に、マッチャンが姿を見せた。マッチャンの姿をみて、あの旨いラーメン店「三浦」を思いだした。マッチャンに予約電話を頼むと、四人席なら取れるという。

お奨めのラーメンがあるからと、チョット強引だったが「三浦」に向かうことにした。ローカーボから十分程歩き「三浦」に到着。四人掛け席以外は、満席であった。先ずは、焼きギョーザ・牛カツ、紹興酒を注文する。そして肝心のラーメンを・・・。私は「辛胡麻ラーメン」を、辛ラーメン・中華そばと其々に注文。辛かったが、旨かった。人気店ぶりにも頷ける味である。会社からちょっと離れているのが難だが。

                        

昨夜一緒だったTOKIOが「確かに美味い店でした。今度昼に行きたいけど、入れるかな?」と訊く。『昼は3~4回転するらしいぜ』と、マッチャンからの受け売りを伝えた。

22時近くなったので客人を解放し、独り「ちょっぷく」へ。ここで安酒の赤ワインを飲んでから帰還とした。それでも帰宅は23時と早い、早いが酔いは回っていた。三浦まで、口に入れたのは高松のお通しだけだったが、ラーメンでお腹が張った。水分の方はタップリと吸収している、我がスポンジから酒精分が零れそうなくらいに・・・・。

客人も、気の毒と云えば気の毒だ。安酒場巡りに、仕上げがラーメン店。何れも甲乙つけがたい人気店であるが、安酒場い変わりはないのだから。これで、懲りてしまって、今後来てくれないかもな?

 

今朝は五時半にお目覚め、六時から弁当作りとなった。今週のメインメニューは、牛焼肉用・牛小間・挽肉・豚ロースカツ用と四種類が決まっている。昨日は焼肉だったので、今朝は「豚ロースのトンカツ」とした。フライついでに「ホタテ」も揚げることに。

                          

他には「鶏肉と大根・人参・油揚げの煮物」、卵焼き、冷凍シューマイを温めた。以上である。特段に特記することもなく、淡々と進んだ。

                     

 

さあ、次は酒盛りの準備だ・・・・。

 

 

 

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年の瀬

2015-12-21 | Weblog

12/21(月) 愈々年の瀬も押し迫った感ありだ。クリスマスなんて云うのも今週あるし、やれ忘年会だとか云うメンバーも要る。この時期、夜だけでいいから、十日ほど余計に日にちが欲しいと思うのである。

誰それへの礼状や、ご機嫌伺いもあるのだが、結果、義理を欠いてしまうことが多々。そんな中で、本日漸く礼状を出せたのが一つ。本を頂戴した御礼である。

「ある全共闘不良派の生涯」(明月堂書店発行)と云う本で、編集は「たけもとのぶひろ」さん。京都在住の”たけもと”さんから、この本が届いたのは今月の初旬であった。鎌田克己さんという、新左翼過激派で爆弾闘争の一人とされ、新潟刑務所に下獄したひとの書いたものを、たけもとさんが編集し出版したものであった。

本の内容は書籍に譲るとし、この本を読んで感じたのは『男が、おとことして生きることのつよさ、難しさ、厳しさ』、一言でいえばそういうことだった。もう一つ、たけももとさんの優しさ、ひとに寄せる強い思ひであった。

「たけもとのぶひろ」さんは、元京都大学助手で、1960年代末から1970年代初めにペンネーム「滝田 修」として、全共闘活動の理論的発信をされた。その後、自衛官が刺殺された、いわゆる朝霞事件の黒幕として指名手配され、潜行。十年余の後に逮捕され、無罪を主張するが懲役五年の刑を受けている。

鎌田さんも、潜行後逮捕されて七年余の実刑判決で新潟刑務所に下獄。その刑務所での、理不尽な扱いに抗議し、裁判闘争展開している。本は、この時の状況と、出所後の鎌田さんの思ひを、鎌田さんが書いた文書をもとに、たけもとさんが、其々の背景や状況を解説したものである。

鎌田さんは、2014年12月9日にガンのため逝去。その一年後の今年、12月9日が本の発行日となっている。きしくも、12月9日は私の誕生日と重なる。

先週、漸く読了し、遅まきながら礼状を書いたと云う次第だ。「たけもと」さんとの出会いは、仕事である。出所後、映像プロデューサの仕事に就いていた”たけもと”さんに、何本かのCM(社会派の)を発注した。それが縁となった。小柄な体ながら、迫力と真実に迫る意気込みは並々ならぬ気迫であった。歯に衣を着せぬ発言、是々非々の発言は新鮮であった。

一番の発見は「なんで、ありがとう、と言われへんのや」と言われた時。それは、あるCMが完成し、完成試写の後のことだった。二人で、別室でお茶を前にした時に冒頭の発言があった。こっちは、素直に「ありがとう」と云える心境でなかったのだ。出来栄えに、具体的ではないが若干の不満があった。

然し、その時に思ったのは『このひとは、一生懸命、身命を賭けるぐらいの気持ちでこの作品を作ったんだ』ということであった。一生懸命やってくれたことには、ありがとうといううべきなんだ。と、その時知った。こっちは、何をやってもチャランポランのいい加減だから。あの一言に、教えられた。

東京から故郷の京都に拠点を移して数年となる。その「たけもと」さんが、わざわざ謹呈下さった本だ。読み飛ばしに読むわけにはいかん、ゆっくりと味わいながら、何度も読み返した。漸く礼状を書く気分になったのは、先週末になっていた・・・。

 

金曜日の弁当も、土曜日の築地市場ツアーのことも書いてない。簡単に紹介したい。

金曜日、弁当のメインは「牛煮」、「ブリの塩焼き・照り焼き」「竹輪の胡瓜挟み」「胡瓜の浅漬け」「卵焼き」であった。

                  

前日、久しぶりに海老屋のAKIMOTO氏と会った。夕方、何時もの場所「代官山・蔦屋のカフェ」で待ち合わせ、ここで一時間ほど雑談をした。最近の野菜の市況や産地、美味い柑橘類が獲れないなどから、体のことなど・・・。AKIさんが脳梗塞をやってから、三年になるか。リハビリと節制の成果だろうが、体つきは病気の前よりずっといい。酒をすっかり遠ざけているとのこと、こっちゃぁ爪の垢でも煎じて頂かなくちゃ・・・・。

代官山からの帰り、翌朝の弁当用菜として、渋谷・ヒカリエで牛小間や寒ブリを贖った次第である。

 

土曜日、9:30分にバンコクから観光に来たNOGUCHI君一行と合流して、築地市場ツアーの案内を予定していた。時間に遅れぬようにと中目黒からメトロに乗った。時間が気になり、携帯で確認した。すると、前夜遅くにMATUMOTO君からの着信があったことに気付いた。

一旦スマホを仕舞ったが、或いは留守電があるかと取りだした。案の定、留守電が入っていた。「NOGUCHIさん一行は、観光疲れで明日の築地市場はパスさせてほしいとのこと。その連絡です」であった。なんだかそんな気がしていた・・・案の定だ。とは云いながら、電車は進む。

次いでだ、独り築地に行くことにした。場内市場をひと回りし、何時の「愛養」で美味いコヒー。その後、市場の外れに在るカウンター席の洋食店で、何か喰いながらビールを飲む。そんなことを想定し、向かった。

場内市場ひと回りで、顔見知りの店で「白イカ・アマダイ」と「マグロ」を買ってしまった。YOSHIOが知ると「まったく!無駄使いをして」と、云うに決まっている。本当に無駄使いをするOYAJIだぜ!家族は喜ぶが。

日曜日、孫のクリスマスプレゼントを買うという、家人に付き合って自由が丘へ。午後の時間を、久々に二時間ほど自由が丘を散策。買い物の付き合いだ、草臥れてしまった。

そして今朝、月曜日の弁当だ。

二合ほど鍋で飯を炊いた。菜の方は「焼き肉」「鮭焼き」「ハム・ベーコンの入り卵」「白菜・胡瓜の浅漬け」以上である。余計な菜は作らない、作り過ぎないと云うことだ。

                 

 

 

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老、来る

2015-12-17 | Weblog

12/17(木) 昨夕、元スタッフのUSUI老が一月振りに顔を出した。奥方の癌も肺に一か所と云うことで、当初の複数個所と思われた診断と異なり先ずは落ち着いたようだ。が、肝臓の方がアルコールの過剰摂取でダメージが大きく、先ずはそっちの方が落ち着いてから手術になるとのこと。長丁場になりそうだな・・・。

そんな話を聞きながら「高松」で飲み始めたのは六時頃か。前夜より二時間もスタートが早い。その分、仕舞も早いだろう。遅れてスタッフのAOKI君も参加。焼酎の一升瓶ボトルが空いた処で、店替えとした。「ちょっぷく」で、仕事を終えてから参加する予定のTOKIOと合流することにしてあった。

「ちょっぷく」に向かうすがら、「ローカーボ」の前を通るのだ。マスターに挨拶がてら、一杯だけ飲んで行くことになった。店に入ると、見かけぬ女性が、それも妙齢である。先に店に居たマッチャンが「金融関係の人」とか呟いて席を譲ってくれた。『あまり見かけないけど、よく目るの?」と声を掛けた。すると、たどたどしい言葉が返ってきた。

どっから見ても日本人のようだが、違っていた。インドネシアから、ビジネスで来ている女性だった。そんな処に、さっきまで「高松」に居たHOYA兄いが入ってきた。老は三十五年も前になるが、インドネシアに仕事で一月ほど滞在している。HOYA兄いも、一年程仕事でメダンに居たことがる。二人があれこれと訊く。それをAOKIがブロークンな英語で通訳。俄然、AOKIは張り切るが、それを見せないようにするところがいじましい。

                     

                 テンガロンハットのマスター、AOKIとマッッチャン・HOYA兄  

女性はメダン出身で、二人のオヤジの言う地名などもよく知っていた。両親とも中華系とのことで、色白なのが頷けた。ジャカルタの日本系の銀行に勤めているとか。今週の日曜日まで東京に滞在するとのことで、金曜日に店に来ると言ったそうだ。そうだと云うのは、我等は本当に一杯だけで店を出たのだ。AOKI独りが、その後も残ってそんな情報を持って「ちょっぷく」に現れた。

先に「ちょっぷく」に入った我等と、既に待っていたTOKIOとで、「AOKIはサービス精神が旺盛だからな・・・、でも詰めが甘いから首尾よくはいかんだろう。老が来てると云うのに、しょうがなぇな」なんて、ネタ話にしていた。暫くしてAOKIが来た「ビール奢っちゃいました」と。詰めが甘いね~!

「ちょっぷく」はこの夜は満席状態がつづいていた。YAMAちゃん店長のご機嫌はすこぶるいい。『忘年会の日程早く決めろよ!』と催促し、29日の夕刻と決まった。俺たちは愛唱歌「江釣子の女」をスマホで聴きながら口ずさんで遊ぶ。前夜につづいて、安ワインの赤であった。AOKIと一緒に中目黒まで。帰宅は23時と上々の時間であった。

早く帰った成果か? 今朝五時に目が覚めた。弁当タイムには早すぎる、一時間ほど時間を潰し、六時から台所に入った。男の厨房タイムだ、愉しもうぜ!

今日のメニューは「ハンバーグ」、キャベツを刻む。煮物は「鶏・椎茸・蒟蒻・人参・油揚げ」、焼き物は「紅&時鮭のカマ」、「ポテトサラダ」「茄子&豚の味噌炒め」、最後に定番の「卵焼き」、以上となった。今朝の弁当は三つ。先月から独り暮らしを始めた末娘が、家に帰り「弁当を作って」とのことだ。

                     

幾つ作ろうと問題ないが、菜が六品もあると・・・・弁当箱が写真のような状態だ。暇にあかせて作ったが、菜は、三品ぐらいが宜しいようだ。

                      

 

 

 

 

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一週間のご無沙汰・・・

2015-12-16 | Weblog

12/16(水) 司会者が、表題のような語りで幕を開けるTV番組が昔にあった。「ロッテ歌のアルバム」とか云う、番組だったと思うが。こんな古い番組が出るようじゃあ、オイラの年季の入りようも分ろうと云うもんだ。

一週間のご無沙汰ということで、昨夜は人形町酒場巡りとなった。会社を出たのは八時を回っていた。ビルの表玄関のシャッターが閉まっていたので分った。「ローカーボ」で、静かに酒精が体に沁みるのを楽しもうと思ったが・・・・。まあ、そうはいかんわな。

HOYA兄いと、MIYAKEちゃんが、カウンターの端に陣取っていた。その間に二人連れが、一つ席を置いてまた二人連れが居たが、丁度帰り支度だった。ハイボールをオーダーしようとしたところにマッチャンが登場した。五千円を置いて、オイラにご馳走すると云う。武士の情けに縋ることとなった。

最近の不動産業界の動向や、中国人の買いあさりぶりなどを聞きながら飲む。酔いが廻り始めた処で、マスターのテンガロンハットを被ったり、それに併せてピストル型のボトルを構えたりと、遊んで過ごす。勢いがついた処で、HOYA兄いとマッチャンで次の店「SEIJU]へと流れた。焼酎を飲みながら、唄を聞く。

三人組の客が隣に座った。どうせカラオケに決まっている。『今夜は、昭和の歌縛りだよ』と、釘を刺した。素直なお客だ、エントリーした歌を「これでいいですか」と、古い歌を唄った。

そんなことをして遊び、仕上げは「ちょっぷく」で赤・白の安ワイン。最後の客も帰り、店仕舞いが始まったところで、引き揚げた。帰宅は零時前のはずだが、昨夜の記憶は定かでない。

それでも、今朝も弁当だ。六時過ぎから粕漬け鮭を焼き、ジャーマンポテトを作り、椎茸をバター焼きにする。オムレツを作り、冷凍シューマイを温めた。そんな弁当の写真も当然撮ったが・・・。なんと容量が重すぎて、このBLOGに載せられなかった。

昨日、スマホを替えた。新しいのを買ったわけじゃない。TOKIOが使っていた古いスマホをもらったのだ。機種が違うので、使い方の要領を得ないのだ。慣れるまで暫くかかりそうだ。

これまで使っていたスマホが、なんとワンセグ機能がなかったのだ。よくそんな機種を(7万円はしたのに)使っていたものだ。ボートレースを見ながら、競馬の中継を見ようとして気付いた次第。遅れてるねぇ~と、スマホも持たない奈加野のオヤジに言われちまった。そんな話をTOKIOにすると、古いスマホを呉れたのだ・・・・・。

 

 

 

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バンコクより来る・・・

2015-12-15 | Weblog

12/15(火) 今年も残り半月となった。早いものだと思うが、年の瀬だという実感が湧いてこない。妙に落ち着いた師走の日々を送っている。昨晩、タイ・バンコクから、家族を引き連れてNOGUCHI君が遊びに来た。家族・娘夫妻から孫、親戚と11人も引き連れて。

郷里の同級生MATUMOTO君から連絡を貰い、人形町「ちょっぷく」で、外出をしていると云うNOGUCHI君からの連絡を待った。一時間ほどして連絡がついたが、朝成田に着き、チェックイン後都内観光に出掛けたとのことでお疲れのご様子だとか。そんなことで、我々が滞在先の湯島のホテルまで向かうことにした。

ホテルのロビーに、NOGUCHI君一行が待っていた。MATUMOTOは、NOGUCHIのカミさんや子供達とは何度か会っている。取り敢えず、一行に挨拶をし、NOGUCHIと三人で軽く飲ることにした。

ホテル近くの「寿司店」に入り、日本酒を飲りながら近況や旅の予定などを聞きながら懇談した。東京ディズニー・河口湖の温泉・銀座などで遊び、19日(土)の夜に帰国するとのこと。築地の市場も見たいが、日程的に帰国の日になるという。築地市場の案内を買って出たのは、云うまでもない。

疲れているだろうと、一時間半程でお開きにした。刺し盛りと握りを肴に日本酒・二合徳利を三本であったか。処が、この寿司が酷かった。シャリの味がしない。酢も塩も、砂糖も、なんの味も香りもしない握りだった。お値段は〆て、21000円。店を出てから「酷い味だっな、これじゃ廻る寿司の方が断然に良いぜ」と、MATUMOTO。同感である。NOGUCHIまで「ご馳走なっていながら申し訳ないが、酷かった」と言った。

小ジャレタ入り口、落ち着いた店構え。10人程が座れるカウンター、テーブル席が二卓で10人座れるか。板場が二人、フロアに二人いたか。大きな店ではないが、客は我等の他に、常連らしき姿が10人程。あの味で、常連客が居るとは・・・・、蓼喰う虫も好き好きか。いや~参ったぜ。

そんなことで、帰宅は23時前と早かった。

 

今朝は、六日ぶりの弁当を作る。残りご飯が茶碗に三杯程在った。新規に飯を炊くのを控え、残り飯で「オムライス」を作ることにする。具は、鶏肉と人参・ピーマンであった。

                          

菜の方は、ホタテ&生鮭(冷凍)をバターでソテーする。ピーマンを炒めて添える。小松菜の胡麻和え、豚肉とター菜の炒め物。以上であった。

                     

簡単明瞭な弁当の菜と、どちらかと云えば、子供向けのような飯である。

 

 ―郷関をいずるー

 さて、帰郷中の話だが、木曜日の夜から明け方にかけての大風・雨で増水した川も日曜日になると水嵩が減った。「自然薯祭り」の賑わいを尻目に、従兄の柚子畑へ。冬至も近いので、樹に残った柚子を採りに行った。採り残したのか、収穫時に青いので見逃したのか、小さいながらも黄に色ついた柚子が残っている。この柚子を採って会社に送り、スタッフに配って柚子湯にでも入ってもらおう・・・・。

                    

左側の写真、橋の下流となり右の建物は、学校跡に建った町営住宅。正弘橋を中に、上流の右手はその後移転した学校だったが、今は廃校となって「集落活動センター」になり、校庭跡では温泉の ボーリングが始まっていた。

蜜柑畑の草刈は三月の中旬頃までお休み。今年は文旦も小夏も実りが少ない。小夏は例年の半分以下、ポンカン・ネーブルはゼロに等しい。甘夏と八朔はまあまあだが、小粒である。気候の影響が大きいようだ。

                    

 

今回の帰郷で作った飯を紹介すると、次のようになる。

木曜日は地場獲れの刺身と、東京から送った「活毛ガニ」を茹でた。魚中心に豆腐の味噌汁。金曜日は鍋料理とした。地元産のフグで「河豚鍋」、活車エビとサツマ芋・茄子の天麩羅。この夕食には八人が来た。

土曜日は、従姉が持ってきた「猪鍋」であった。里芋・人参・椎茸の煮物、蕪葉を塩漬けした漬物、同じく蕪の葉と刻み薄揚げ・豆腐の炒め物。自然薯汁。ご飯は「カニ炒飯」となった。

日曜日は自然薯祭りで買ってきた寿司などに、茄子煮、野菜サラダなど。自然薯汁は三食つづけて作ったが、まったく厭きない。美味かった!

こんな結構な日々を過ごし、昨日の月曜日、高知空港を後にして帰京した次第。離陸した搭乗機は、低い雲海の上に直ぐに出た。綿をシーツのように引き伸ばした薄い雲から、室戸岬を眼下にし紀伊半島上空に差し掛かる頃には、雲は厚い氷山のように果てしなく連なっていた。

飛行機の軽い揺れの中で、束の間眠った。気が付くと、搭乗機は房総半島から東京湾に入り下降を始めていた。のんびりと過ごした日々は去り、来春に向けてエンジン始動の時を迎えるのだと、我が胸に言い聞かせた。

 

 

 

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郷里での長閑な日々

2015-12-14 | Weblog

12/14(月) 先週、木曜日の昼前に高知空港に着いた。東京を発つ時の好天から一転し、高知は雨であった。妹夫妻の出迎えを受け、実家へと向かう。途中でランチを摂ることにしたが、安芸市内に入るまで何を食べるかが決まらない。尤も時間も早かった。

安芸市内に在る何時も立ち寄る魚屋「寺尾」に寄り、夕食用に刺身などを買う。馴染の花店「一圓」で、仏壇や墓に飾る花を買い車を出した。妹が、「畑山の土佐次郎を食べさす店が、期間限定でやっている」と、土佐次郎の幟が立った店を指差した。昼はそれにしようぜと、一致した。

土佐次郎は地鶏と鶏卵用の鶏を掛けあわせて生まれた鶏らしい。小形の鶏で、一世種のみを土佐次郎として呼ぶそうだ。肉・卵とも、お値段の方は宜しい。卵は食べたことがあるが、肉の方は記憶にない。どんなものかと、楽しみにした。小さな店で、暫く外で待った。五人掛け程のカウンターに席を取り、親子丼(1000円)りと、唐揚げ(800円)をオーダーした。

                       

さて、どんなものかと興味深々であった。こっちは親子丼については、少々年季が入っているのだ。茶碗一杯ぐらいのご飯を、丼に入れて飯を押した。その上に親子を載せた。味噌汁と御しんこが盆に載って出てきた。半熟気味の卵、鶏肉は小さい。鶏が小さい所為か?これじゃ、肉の旨味が分らん・・・。肉は柔らかい、が旨味までは・・・・。卵の味は・・・、よかった。

この日、夜半から風雨が強くなった。台風並みの風が朝方まで吹き荒れた。翌日の天気予報は雨から曇りだったが、午前中から晴れてきた。川を見に行くと、昨日とは打って変わって増水していた。

                        

この日は午前・午後と、母親の介護認定やディサービスのことなどで社協の担当者などの話を聞き、今後の方針などを決めた。我儘な母親のことなので、世話が焼ける(私にではない、関係の向きにだ)。俺もこの親の血を引いているはずだ。道理で、我儘・自分勝手、人の話を聞かない、これも遺伝子の為せる技か?

土曜日、これまで放っておいた茄子・トマトなどを抜き、車庫横の小さな畑を耕した。ピーマンは真っ赤になり、色つきピーマンだ。遅ればせながら畑に少量の「絹サヤ」などを植えた。川向こうの蜜柑畑に植えたサツマイモは、ハクビシンの襲撃で全滅だった。それを考えると、家の直ぐそばの畑は心配がない。

                         

日曜日、恒例の「なかやま自然薯祭り」が、廃校跡の集落センターで開かれた。毎年この時期、12月の第二週・日曜日に行われている。老人会の主催でスタートしてから、もう二十回以上を数えるそうだ。会場に向かう橋の欄干に、前日から幟が立っていた。

                         

この山間の田舎集落に、これだけの人が来るのはこの祭りの時だけだ。ローカルTVでも、その様子が流れたはずだ。小さな会場だが、1500人程の来場があったようだ。祭りの名前どおり、自然薯の収穫時期に行われるが、この栽培自然薯が結構なお値段なんだ。でも、美味い。知り合いが届けてくれた自然薯を摺り下して、三日もつづけて喰ってしまった。

 

と云うことで、今日の帰郷編はここまで。今しがた、郷里の仲間MATUMOTO君から電話が入った。「NOGUCHIがタイから、今朝成田に着いた。今夜付き合え」とのことだ。家族そろって10人程で来ているそうだが。NOGUCHIがタイに渡って四十余年、彼の地の女を娶り国籍も取っている。数年ぶりの帰国のはずだが・・・。

そんなことで、帰京早々の出陣となった。NOGUHIは何時に来るのやら?すっかりタイ時間のはずだからな・・・・・。

 

 

 

 

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オアシス

2015-12-09 | Weblog

12/9(水) 明け方に目覚め、ふと故郷の会(N社高知県人会)のことが浮かぶ。歴代の会長の中で、顔は浮かべと名前が出てこない方が一人。護国寺で行われた、この方の葬儀にも参列しているのにどうしても名前が出てこない。これがお齢を召したということか・・・・・。

弁当をつくりながら、台所にきた家人に訊つもりで『病院の院長された、先生の名・・・・、野波先生だ』と、突然出てきた。何でもっと早くでないんだ・・・。これで、気分はすっきりした。こんな風に、人の名前が浮かんでこないのは茶飯事となった。情けなきことこの上なしである。

昨晩は20:30頃か「ローカーボ」に寄ると、客はHOYA兄さん一人。一人孤塁を死守の様相だが、先週は風邪で飲むのを控えていたとのこと。今週から酒場と云うグランドに復帰したそうだが・・・、三割を打てる状態ではなさそうだった。時折咳が出ている。引き揚げようとした直前に、オイラが顔を出したので留まったようだ。

二人で飲みながら、相変わらずの無駄話。この前、一緒に行った「三浦」のラーメンの美味さなどを話していた。そんな中で思いだしたのは、マスターが話していた「黒ラーメン」と云うやつのことだ。甘酒横丁は、軍鶏親子丼で有名な(オイラは勧めないよう)「玉ひで」の前に在ると云うラーマン屋のことだ。

ラーメンの汁が黒いとのことだ。イカ墨か?と云うとそうでもないらしい。ローカーボのマスターはいいと云う。それじゃ、HOYA兄いと、これから行くかとなった。人形町パトロール隊は、日本橋小学校から、魚久本店の角を左に曲がり甘酒横丁お通りに出た。お目当てのラーメン屋は、人形町通りの手前に在り、直ぐに判った。

間口は二件、一階と二階が在るが、厨房は一階にある。二階に通され、俺たちがオーダしたのは「小ラーメン(600円)」と生ビール、これにHOYA兄いが小炒飯を追加した。以上であった。

ビールを半分ほど干した辺りで、お目当ての、マスターがいけると云う、黒いスープのラーメンが出てきた。ネギがタップリと載っているので麺とスープの状況を把握するのに手間取った・・・・。たしかにスープは黒っぽい。麺は普通の中太麺のようだ。スープをズルズルと飲む、ネギを一緒に口に入れる。

どうってことのない味、特徴のない味だ。麺を啜ると、これも口当たり、喉越しともにどうってことのないラーメンだ。そこいらの、田舎の中華屋のラーメンがもっと特徴があるぜ、そんな口を利きたくなる味であった。但し、青ネギとチャーシュウはタップリと入っている、麺は小ラーマンながら量は十分あった。

                         

黒スープの秘密は、なんと「醤油」だそうな。黒いスープ以外は、特徴のないラーメンであった。因みに、チャーハンも黒かった。『俺たちオヤジが、これ以上腹がく黒なっちゃいかんな』と、これでこの店を訪ねるのは止めにした。

 

で、お題の -オアシスー についてだが。ひとそれぞれ、憩いの場、くつろげる場があるはずだ。それが、電車の左端の席だろか、あの公園の公孫樹の下のベンチだとか。或いは、根太の腐った三畳間の部屋であれ、くつろげる、心を開放する(ちょっとオーバーか)、そんな場をオアシスと呼ぶとするか。

そうなると、オヤジのオアシスは「酒場」と云うことになる。オアシスの中でも、最高のオアシスから三等席の、格落ちのオアシスといろいろあるだろう。要は、そのオヤジの気分次第、気の持ちよう次第で、オアシスは出現し、消える。

何を言いたいのかって?難しいことは云わんよ。夜毎の酒場巡りは、酒場と云うオアシスで、乾いた喉と心にお湿りと、一時の安らぎを与えようと云うことに如かず。夜毎酒場を廻るのは、オアシスを求める、乾いたオヤジの宿命と云えようか。

まあ、こんなおバカな話は程々にして、今朝の弁当だ。弁当作りの台所が、OYAJIにとっては最大最高のオアシスといえるかもな・・・・。

 

今朝は、昨日に断念した「ステーキ」と云うやつだが、アメリカンビーフの安いやつだ。これに、椎茸・アスパラを添えた。他には「鶏と蒟蒻・大根の煮物」「オムレツ」「ブリ焼き」と、決まりきったようなメニューであった。

                     

                  弁当用にカット!

二人分の弁当に、残った菜は小僧が朝飯で喰って行く。私は気分次第で、食べたり食べなかったりだ。今朝は、食パンを半分、これにTOKIOの手造りリンゴジャムをたっぷりと盛って頂いた。美味しいリンゴジャムだった。

                             

 

明日から帰省、母の介護認定調査の立会。来週の月曜日に帰京する。それまで、弁当はお休みを頂きます。では、ごきげんよう!

 

 

 

 

 

 

 

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