オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

夜の巷で・・・

2015-11-27 | Weblog

11/27(金) 昨夕、社内打ち合わせを終えて席に戻った処に、腐れ縁のHOSOKAWAからの電話。「何やってんだよ、軽く飯でも食べないか」との誘い。そんな次第で「ローカーボ」で落ち合うことになった。昨晩は珍しく予定がなかったが、それを見計らったようなタイミングでの電話だった。

朝から歯茎が痛み調子が良くなかったが、前回に電話を貰った時は、先約ありで断った。歯が痛くても、アルコールは飲めると多寡を括った。ローカーボのカウンターに陣取り、おいらはハイボールを啜り、HOSOの野郎は俺の三倍もするモルトウイスキーを飲みやがった。

二人で話をしているうち、思いだしたことがあった。『そういや、先日BS放送でお前がやってる番組を見た。ちゃんと名前が出てきたぜ』と。伝えた。「昭和は輝いていただろう。そう云えば一月ほど前に、”ちあきなおみ”をやったけど、数字(視聴率)が良かったよ」「そのDVDがあるんだけど、今日はもって来なかった」と言った。

何時だったか、珍しくHOSOと「SEIJU」で飲み、オイラが”ちあきなおみ”の歌を唄った。それがきっかけで、彼がプロデューサをしている、昭和・・・・の番組で彼女を取り上げることになったはずなのだ。いわば、オイラは恩人じゃないか。「ちあき」ファンとすれば、見たいよ・・・・。オイラの唄の上手さが功を奏したか?そんなことはないな。今度は忘れるなよと、念押しした。

 

そうこうすうるちに、HOYA兄いが姿を見せた。更に悪徳不動産と揶揄されながらも繊細な気配りをするマッチャンが現れる。四人で駄法螺を吹いているうちに食い物の話になった。と、マッチャンが「ここらで一番旨いトンカツは”生駒”だ」と言い出した・・・・。『それじゃ行って喰おうじゃないか』と衆議一決、酒場ならぬトンカツ屋に向かった。

                          

                            HOSOの向こうに、HOYA兄い

処が店は開いていたが、トンカツは売り切れ、品切れ?。飲むだけならいいとのことで、キャベツを肴に一杯だけ飲んで退散となった。これじゃ収まらない・・・。先日行って食べれなかった、これもマッチャンお奨めのラーメン店「三浦」に向かうことになった。

人形町夜のパトロール・水先案内人マッチャンの先導で三浦へ。この店は、開店して三年ぐらいとのことだが超人気店とのこと。九時半頃であったろうが、店は満席。顔利きのマッチャンの予約電話で、席の確保がされていた。一口餃子を肴に焼酎や紹興酒をてんでに飲る。逃げられたトンカツの敵だと、牛カツをオーダーしたが、880円にしては美味かった。

さて、肝心のラーメンは青とんがらしそば・辛胡麻そば・中華そばの三種だったか?。私は辛胡麻ラーメン(900円)、HOSOKAWAはラーメン(720円)を注文した。

日頃は食いものに関して美味いとは感じない鈍感OYAJだが、ここのラーメンは美味かった。一見するとコッテリ、しつこそうな感じだが、意外や意外でほど良いスープのコッテリさ、麺は細麺(広島から取り寄せだそうな)で口当たりがよく、食べやすい。ここ数年で入ったラーメン店では、NO1だった。

                           

HOSOKAWAも同様に感心していた。野郎二人は、途中で丼を交感して舌鼓を打ったのであった。人形町、夜の巷を十二分に満足した次第であった。

帰宅は23時30分、就寝は零時半であった。ラーメンにも満足し。十分な睡眠を取るつもりであったが、目覚めたのは星もまたたく4時頃であった。酔いが醒めた所為かな?

六時過ぎ、弁当作りの為に蒲団から出た。さて、今朝のメニューは・・・・。

早くから準備を始めたのだが・・・。世の中上手くいかないものだ。

菜の方は、「鶏肉と牛蒡の煮物」「蕪と薄揚の煮物」「焼き鮭」、卵焼きであった。が、なんと電気釜にスイッチを入れるのを忘れていたのだ。後の祭りとはこのことだ。大慌てでスイッチを入れたが、長女出現の15分前ではとても間に合わぬ・・・・・。

                    

『弁当作っておくから、夜にでも食べてよ・・・』と云う次第になった。

今夜も人と会うのだが、歯茎の上が腫れてきた。歯の方の痛みはなくなったが、鼻の脇がずきずきするぜ。酒飲むと治るかも?

 

 

 

 

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人気商品

2015-11-26 | Weblog

11/26(木) 今朝も寒い、その所為か昨夜の酒の所為でか、起床時間は7時を15分も過ぎていた。雲が垂れ込め、陽も上がらぬ朝は時間の感覚が狂ってしまう。

流石に今朝は、長女の弁当が間に合わ、なかった。ご飯が炊きあがる前にタイムアウトなのだ。仕事場が1㎞圏内にあり、家を出るのが遅い家人の弁当だけは準備することができた。連夜きこしめる酒精が、じわじわと沁みこみ脳味噌と細胞を侵しているのだろう。

一つだけの淋しい弁当の菜は、「里芋とイカの煮物」「ピーマンの肉詰め」「茄子味噌炒め」「茹でブロッコリ」以上であった。卵焼きを作ろうと思ったが、弁当に収まらぬと思い断念したが、これは大正解だった。

                       

里芋とイカの煮物は、昨晩「高松」で飲んだ折にサービスしてくれたものに触発されてのこと。何処に居ても、弁当に結びつくのはご愛嬌と云えよう。ピーマンの肉詰めは、前日の予定からのスライド。茄子味噌炒めは、肉詰めの挽肉が少し残ったことから連投となった。

                   

                          両方、同じ弁当です・・・

ブロッコリは、友人のMASAOが山のように送ってきた野菜の中に在った。我が故郷、中芸高校の同級生MASAOに敬意を表して登板となった。余談ながら、先ほどMASAOにお礼の電話がてら連絡をした処・・・。

『野菜クラブだか酒飲みクラブだか区分けが付かないクラブで丹精込めたであろう野菜を沢山にありがとう』と、伝えた。彼が参加している、練馬区の市民農園のメンバーで、しょっちゅう酒盛りをしていると聞いていたからだが・・・。MASAOは酒好きの、渋い(黙って座ってればだが)男前なんだ。

と、「酒飲むのを止めた、また野菜を送るつもりだ」とのこと。『どうしたんだよ?Drストップか?』と訊いた。「肝硬変で飲んじゃいけねぇてことになったんだよ。少しだけならいいそうだが」と、情けない返事が返ってきた。これまで散々肝臓を傷めつけてきたからな・・・、然しMASAOが飲めなくなっちゃな。野菜作りに専念するしかねぇか?気の毒だな~。酒ぐらい飲みたいよな、仕事もリタイして暇なんだから・・・・同情するぜ。

 

 -人気商品-だが、次の写真の商品「練歯磨き」である。この商品を、工場のあるタイから安く仕入れて、国内でネット販売すると云うのが昨夜訪ねてきた知人、二人からの話であった。これに関して、当社で関れないか?と云うのが主題だったが「定款」にないので出来ないよ、と返した。タイで買ったその同品を貰った次第。

                           

この商品が若者の間で人気だと云う。そのセールストークが「朝起きだしで、Kissができる」だとか。要は爽やかな朝を迎えると云うことか?ネット上で評判だそうだが、こっちゃあそんな相手もいねえや、と笑い飛ばした。

本業で世話になっているし、付き合いも長い。この話が終わって、三人で懇談となった。「高松」から「ローカーボ」と、何時のもコースを転戦したが・・・。「ローカーボ」には、HOYA兄いと顔見知りのお姐さんが二人連れで飲んでいた。その姐さんに、この歯磨きのことを訊いた。

と「私も持ってますよ」と、バックから取り出したのが同じ商品。但し、こっちの方は日本語で、商品説明が書いてある、正規代理店経由の品だが、デザインもパッケージも同じだ。

『こんなの持って、お泊り起き抜けの・・・・。なんじゃねえだろうな』と、冗談を言ったが。結構売れている商品らしく、1200円だそうな。詳しいね、と言うと薬局に勤めている二人で、「お店でも売ってるよ」だった。

ローカーボから「ちょっぷく」で、赤ワインを飲んで散会した。帰りは雨で寒かったな・・・、ご帰還は零時まであった。明日は、早く起きるぞ!

 

 

 

 

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それ、違うだろう・・・

2015-11-25 | Weblog

11/25(水) 昨晩から寒くなったようだ、おまけに今日は雨。昨夜は、某氏とその知人のライターさんと会った。ライターの女性とは初見、当社の概要など話、ライター氏の得意分野やこれから取り組みたいことなどを聞く。

大人の話に酒は付きもの。お酒を飲むのは、鎧をぬき、胸襟を開くと云うことの証し。但し、女性の場合は余り胸元を開かせては失礼になる。そこいらの兼ね合いに気を使うのが肝要だ。然し、昨夜お会いした方は、滅法にお酒が強く、かつ健啖であった。

神田の安酒場で下地を拵え、二軒目はホームグランドの人形町「ローカーボ」で美味いハイボールとなった。ここいらで相当に廻っているはずだが、昨夜は未だ正気。ローカーボのカウンターには悪徳チャンと称している(我らが)、不動産業ののMATUOKA大先生がどくろを巻いていた。昼間、不動産関係の情報を頂戴していたのでその礼を云う。

入居ビルの競売情報などを聞き、雑談を重ねるうちに、一緒に飲むことになった。彼のお奨めは「うまし」という店。早速「これから行くけど、大丈夫?」と、確認をしていた。そろそろ店仕舞いの時間だが、そこは常連・馴染客の強さで押し込んだ。

ローカーボのマスターが「みんないっちゃうの?」と、ほろ酔いの表情で残念そうだった。「うまし」に初見参となった。カウンターと座敷の店構えで、板さんが三人に仲居さんで切り回しているようだ。店仕舞い前なので、摘みも限られていたが、お奨めの刺身(マグロ・イカ」を頂き、焼酎を飲んだようだ。ここらの記憶は怪しい?

中々いい店であった。今後は、人形町安酒場巡りのルートに加えよう・・・・・。そんなことで、学芸大学に着くと零時を若干廻っていた。ノー天気に暇人の小生はさておき、遅くまで同伴した二人には済まぬことであった。

中目黒で乗り換えの間に、明日の弁当メニューを考えた。そこで、学大に着いてからスーパーでお買い物となった。「鶏肉」「茄子」「ピーマン」を買っての帰宅。飲んでいる間は殆ど摘まないのが貧乏オヤジの習い。帰り着くと急に腹が減るのだ、止せばいいのに鍋の残り物を喰ってしまった。喰うと眠くなる…、気が付くと、一時間ほど椅子で寝ていた。

 

今朝の起床も七時前と大幅な寝坊。急いで弁当作りだが、弁慶少しも慌てず、騒がずで悠々と取り掛かった。今日のメニューは「鶏唐揚げ」「茄子と挽肉の味噌炒め」「塩秋刀魚焼き」、これにピーマンの挽肉詰焼きを予定していたが、流石にここまでは手が廻らなかった。最後に炒り卵でお茶を濁した。

長女が「弁当ある?」と、現れたタイミングで飯が炊きあがった。ギリギリでセーフであった。今朝は長女の出現がいつもより早い、どうしたんだと訊くと「何時もこの時間に出たいと思ってるのよ」ときた。呆けオヤジの血を引いたのか、時間に余裕がない、ルーズだねぇ・・・。

                    

オイラのサラリーマン時代の定時出勤率は2~3割と云う処か(二割打者じゃレギュラーは取れないな)、その分だけ出世も給料も上がらなかった。因果応報とはこのことさ!

 

表題の「それ、違うだろう」だが、或る鉄道線のアナウンスに関することだ・・・・。

今朝もそうだったが、ホームに上がると電車遅延の表示が出ていた。何度かこのことについては文句を並べてきたが、今朝も十二分遅れとの車内アナウンス。都会の通勤電車は、十二分遅れといってもその十二分電車が来ない訳じゃないのは御承知のとおりだが・・・。            

 「今朝は、〇〇〇のために電車が遅れています。ご迷惑をおかけし申し訳ありません」こんなアナウンスがよく流れる。よくと云うよりは、しょっちゅうだ。埼玉の西部にまで地下鉄経由で繋がったことで、頻繁に電車の遅れ・事故が出現する。その度に冒頭のアナウンスが流れる分けだ。

で、それ違うだろうと言いたいのは、「今朝」じゃねえだろう「今朝」だろう、と云うことだ。日本語が乱れているとよく聞くが、これんなんかも最たるもので、使い方が間違っていると云うよりは、確信犯的にニュアンスを変えていると思うね

今朝も・・・・の為に、電車が遅れており大変申し訳ございません」と、ちゃんと深い反省を込めて、明日からこのようなことがないようにしっかりやります。との思いこめて、深く・潔く反省しないから毎朝同じことを繰り返すんじゃねえか、とボケオヤジは思う次第だ。

渋谷駅は地下深くなり、ホームは狭く大混雑・不便になるし(お蔭で渋谷で飲む回数が半減したんで財布は助かっているが)、鉄道屋の利便・利益優先の新線と改定じゃなぇかと、私が使う路線に関しては断定したいね・・・・。

こんなことを書いてるようじゃ、俺もブチ切れやすい老人の一角を占めていると云うことか・・・・(葡萄ならぬ、怒りのOYAJI?)。嗚呼、やだやだ。

 

 

 

 

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食材不足

2015-11-24 | Weblog

11/24(火) 目覚めたのは7時前、もうこんな時間になっていた。昨夜、二時過ぎの就寝となったのが響いたか。休日に何でそんなに遅くなるの? と、訊かれそうだが・・・。週刊誌のパズルをやっていたんだ、四文字の熟語や慣用語を拾い出すのだが、これがさっぱり解けなくて最後は諦めた。

7時からの飯作りとなったが、30分あれば仕上がるだろうと、先ずは鍋でご飯を炊く。菜の方は「白菜の豚挟み煮」「冷凍コロッケ揚げ」「豚小間とキャベツのオイスター炒め」「小松菜の卵炒め」「焼き鮭」、以上になった。

                    

慌てず騒がず、悠々としながらも急ぐ。こうして作った二つの弁当だが、なんと長女は今日は休みとの連絡。それでも「弁当は後から取に行きます」と、メールが続いた。

                            

 

PCの受信を開くと、Facebook から「岡堂賢司さんの誕生日です」の情報が・・・。岡堂君は一昨年のゴールデンウィークに、51歳で急逝している。彼亡き後も、毎年こうして誕生日の情報が届く。不思議な気がするが、亡くなっても彼が誕生した日であることに違いはない。

この情報がつづく限り、Facebookで繋がっている友人・知人に、岡堂君のことが甦る。これも悪くないなと、思ったりしている。OKADOUは、あっち側で元気よく姐さんを構っているだろうな?・・・・。

 

 

 

 

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小宴

2015-11-22 | Weblog

11/22(日) 昨日の土曜日の午後、HIROさん宅にお邪魔した。この日午前中は持参する「鮎甘露煮」と「鰻の蒲焼き」作りに追われていた。鮎は前夜に素焼きし、少し味付けを始めていた。

メインの「鰻」はKATUOからゲットした安田川天然鰻の丸を、前夜やに捌いて焼くばかりにしておいた。このウナギの他に、秋田八郎潟天然ウナギと高知空港近くの養鰻所が販売してる鰻(生)を準備した。三種競技ならぬ、三種食べ比べと云う趣向である。こう云うことは中々できないのだ。秋田の鰻は、先週に届いたやつを冷凍しておいた。

養殖ウナギは、安芸市内の魚屋「寺尾」で、鰹のタタキとともに帰京の日に贖った。最近は帰省するとこの魚屋に立ち寄るのだが、地元産の新鮮な魚が多種揃っているので便利なのだ。何時もは、空港から実家に戻る途中で買うのだが、この日は逆だ。田舎寿司や魚と、荷物が重くて閉口したが・・・・。

HIROさん宅での小宴用に「南の大吟醸」「土佐の田舎寿司」「釜揚げシラス」「鰻三種」「鰹タタキ」を用意した。他に搾りたての「柚子酢」を持参する予定でいたが、13時半まで待ったが、宅配便が届かなかった。シラスも、安芸の浜で作り卸している店があるので、ここで贖うのが常。高知県安芸地方の産物の揃い踏みだ。

                

それにしても、鰻を焼くのには疲れた。小さなコンロに炭を熾し、換気扇の下で焼いた。この前のように、火事です・火事ですと報知器が鳴りだすと大ごとだからね・・・・。

         

                    安田川の鰻は80cmぐらいあるのかな?俎板は40~45cmのはずだが。

午後三時に三分前、武蔵小金井駅到着。TUGAWAさん宅へ、その前にカツオタタキ用の分葱をスーパーで探したが無い。八百屋を訊こうとHIROさんに電話すると家に沢山あるとのこと・・・・、家庭菜園の発泡スチロールで綺麗な分葱が育っていた。偉い!

と云うことで、三時過ぎから九時前までHIROさん女史の三人で、あれこれと話を聞きながら過ごした。鰻の講釈を長々と垂れたことは云うまでもない。

                 

辞去後、そのまま帰ればいいのだが、吉祥寺で井の頭線に乗り換えて渋谷へ。渋谷となれば「奈加野」だ。帰省中に店主から電話があり、柚子酢を取り寄せたいの、米代を取来ないが要らねえのか、と煩かったのだ。米代と云うのは、従弟が店に米を送っており、その代金の回収のことだ。私が仲立ちで、支払いや回収役なのだ。

店に行くと、早々に「ラーメン屋へ行こうぜ。この前の競馬が当ったからご馳走するぜ」ときた。最近よく通っているラーメン屋が在るとのことだ。それに付き合って、餃子・豚骨焼きを肴にハイボールと生ビール、仕上が博多ラーメン。これじゃ体に良いわけないな・・・・・。

そんな次第で、大変充実した土曜日を過ごしたのである。

 

 

 

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帰京

2015-11-20 | Weblog

11/20(金) 今日の午後に帰京。高知は、17日・18日と雨であった。18日は親父の命日だが、雨で墓掃除もできなかった。仏壇にお供えの膳を供え、前日に買ってきた花を飾って終わった。

19日の天気を心配していた。若し雨なら畑仕事の柚子の収穫ができないのだ。もう収穫時期も終わりに近い、今回採らないと熟れ過ぎて、水分が抜けるのだ。柚子酢を絞るのに水気が抜けては意味がない。そんなことで心配をしたのだ。

19日、目覚めると曇り空ながらも東の空は明るい。止し、畑に出れると喜んだ。若し、雨だったら帰京を延ばさすともりでいたのだ。この日、11ケースの柚子を午前中に収穫。午後からそれを絞ったが、これが手間が掛かった。

                       

                          柚             小ミカン

一つひとっ、手動の搾り機に挟んで押し絞る。力は要らないが、時間が掛かるのだ。結局、五時まで掛かった。収穫から、搾りまで妹が手伝ってくれたので大助かり。

                    

都合、20リットル程搾れたか。最後は柚子酢を入れる瓶が足りなくなり大騒ぎ・・・。樹も小さいし、実が少ないと思っていたのでこれほど採れるとは計算外。採れ過ぎるのは困るんだ、始末に負えない・・・。来年はもっと採れるだろうから、売るか?

帰省中に従姉や親せきのKATUOを晩飯を共にした。何時ものことだが、この時にKATUOが、ポロリと「この前の大水の時に、鰻をすくった」と話した。しまったと言いながらも、ウナギを獲れと言われていたので、その鰻を持って来るとのこと。今時分の洪水では、鰻が下るそうな。

大水の中に入って、大きな玉網で掬うのだが、大洪水になると流されるので川に入れない。魚が増水とともに下る、人が水に入っても流されない、程々の洪水でないと掬いに入れない。丁度頃合いの増水・洪水があったようだ。鰻の大きさは650グラムとのことで、捌かないで丸のまま冷凍してあった。これを貰って帰京した。

                               

安田川は前日からの雨で水量が増え、河底が見えないぐらいの薄鼠色になっていた。鮎漁も終わり、鮎は産卵のために河口に下っている。今回の鰻ゲットは、果報と云うしかない。

                           

と云う、慌ただしく短い帰省であった。

 

 

 

 

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帰省

2015-11-17 | Weblog

11/17(火) 今日の午後、13:40発にて帰省する。毎月のことなのでどうってこともないが、先月が早い帰省だったので45日ぶりとなる。明日が亡父の命日で、丸三年となる。墓掃除をしたいが、天気が悪いとの予報。明後日は柚子の収穫と搾りをしたいが、これもどうなることやら・・・・。

そんな心配をしながらの帰省。高知空港への迎えは、何時もの通り妹夫妻。実家に向かう途中、安芸市内で花や食料を買い込むのも何時もどおりだろう。何時もと同様の田舎での数日を過ごし、慌ただしく帰京するのが20日の午後一便。そして、そのまま某所での飲み会に参加することになりそうだ。KIYOTA大兄から配慮のお誘いだ、断る分けにはいかぬだろう。

一献と云えば、昨夜は元居た会社の後輩YAMAWAKI氏が人形町まで来てくれた。それも彼の部下を同道してのことだったが、この同伴したSEKINE君と云う方が剣道部の後輩にあたる。そんな関係とは・・・、剣道部のことでメールなどを何時もくれる。直ぐに判りそうなもの、俺も耄碌したものだ。

三人で、「高松」「ローカーボ」と歩き、愉しいひと時を過ごした。Y氏は、地方で苦労をされていたが、それが報われて本社に栄転した。他人事でなく嬉しかった。無理に時間を作って来てくれたのだろうが、こんな酒は何時飲んでも、嬉しいねぇ~。

 

爽やかに飲んで、二人と別れた後、またしても「ちょっぷく」にふらりと立ち寄った。但し、赤ワイン一杯に止め、奇麗に引き上げた。こんな酒なら、連夜でも大丈夫だな。帰宅は、十時過ぎと超早だった。

                         

 

今朝は五時半に目覚め、新聞にじっくりと目を通してから弁当作りとなった。今朝も鍋でご飯炊く。菜は、牛小間を使って「肉じゃが」である。糸蒟蒻・ジャガイモ・タマネギが入った。

                            

そして、冷凍秋刀魚焼きと茸オムレツ、竹輪&蒲鉾の煮付。以上であった。今日も長女は休みとかで、弁当は一つだけ。それが物足りないが・・・・。

                    

それでは、来週の連休明けにお会いしましょう

 

 

 

 

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鰻騒動

2015-11-16 | Weblog

11/16(月) さて、昨日の日曜日、11時に「秋田市民市場」の魚屋に注文した「八郎潟天延鰻」が届いた。1、2Kgものが二匹であった。本当なら、700~800gものが欲しかったが、1kg超しかないと電話の返事はつれなかった。先般買ったものも同じ大きさ、ちょいと皮が厚いのでもう少し小さ目が欲しかったのだが・・・。

取り敢えず、昼前からこのウナギの調理に掛かることにした。午後から平和島競艇場のボートレースに出掛ける心算でいたのだが・・・。獲らぬ狸の皮算用寄り、獲れた鰻の方を優先するしかないと果断なる決断をした次第。

鰻の方は捌いてあるので、適当な大きさに切り分け串を打って焼く準備だ。皮が厚くて串を指すのも一苦労だった。漸く炭火を熾す段になったら、これがまた手間取った。土佐産のウバメ樫の上炭だが、出しっぱなしにしてあったので熾きるまでが手間。それと、自家製のタレ作りでひと手間掛かった。

串の数にして、15~6本。この前は、蒸さずに焼いたが、今回は蒸し・焼くと江戸前の鰻調理風でやろうとのことだ。何しろ皮が厚し、身も厚いのだ。この調理法が分らなかったので、土曜日に埼玉屋のご主人に訊き、ネットでも調べて凡そのことは掴んだ心算だが?

                       

調理法はこうだ、串を打った鰻を先ずは素焼きする。次いでセイロで蒸すのだが、この蒸して落ちた鰻の脂をタレに加えよとあった。蒸し上がった後、もう一度素焼きし、それから何度もタレを漬けて焼く。鰻の焼き方は、一にも二にも、返しだと云う。返しては焼き、焼いてはタレを漬け、着けては焼く。この繰り返しだ。

                                 

焼き方もネットで見ると、其々なんだ。先ずは皮から焼け、身から先に焼けと・・・・・一体どっちなんだ?と言いたいが、いづれも真なり、と云うことにして両方試してみた。今回の鰻では、皮から先に焼く方が良かった。

                        

               ショートホープの長さ7㎝、幅5.2㎝、厚さ1.7㎝、タバコの蒲焼きをしようってか?ある分けねえだろう!

で、蒸しては焼き、タレを漬けては焼きと、うんざりしながらやりましたよ。身幅は一番太い処で12~14Cmぐらいあるか、身の厚みは同様に1.5~2Cmぐらいか。これを、10Cm幅ぐらいに切って串に刺した分けだ。そしてひたすら焼、蒸し、焼く。タレに浸す、焼くと・・・・。

                        

焼くと、身幅も厚みも三分の二ぐらいに縮んだ。なんだか損をした気分であった。全ての行程を終えたのは、なんと五時前になっていた。これやぁ一日仕事だぜ!!

それほどまでに苦労したんだ、味の方はどうだね?大将。と訊きたいよな。何と云おうか、可もなければ不可もなしと云うところか。こっちは、あの美味い安田川の鰻を喰って育ってるからね。どうしてあの味が、基準値になるだよ。同じ大きさでも、皮の厚み・硬さ、身の柔らかさ脂の旨味が違うんだ。あれと比べるのは酷か・・・・。

とは云いながら、この山盛りにした鰻を大人七人が食べたのだが、充分であった。と云うことは、それほどパクパクは食べれないと云うことか?脂タップリ、特に身と皮の狭間は・・・。骨は、ウナギが大きいので食べるには一苦労、直ぐに止めてしまった。

 

鰻の脂でベタベタ、そんな夢でも見るかと思いきや。訳のわからん夢で目覚めた月曜日。今朝は妙い暖かいのだ。

弁当の用意に掛かったが、昨日の鰻の気分が抜かない。鰻のあとで焼いた鮎が、残っていた。こいつは可哀相にと「甘露煮』にして成仏させてやることにした。そして、「牛小間のプルコギ」「卵焼き」、土曜日に届いた釧路近海定置網獲れの「時鮭焼き」。以上が今日のお弁当。

                    

二人分を作ったが、長女は休みだとか・・・・。

                    

                   

 

明日の午後に帰省する。亡父の命日なので墓掃除・お供え作り。それに、柚の収穫と搾りがある。天候が帰京予定日(20日)まで悪い予報だ。状況によっては、帰京を延ばすか? 或いは、月末か師走の月初に帰省することになるか? 何れも・天候次第だ。

 

 

 

 

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週末は・・・

2015-11-16 | Weblog

11/16(月) 先週末の金曜日、夕方は某社の三十周年の祝賀会に、担当スタッフのITOU嬢と出席。盛況なパーティを早々に抜け出して、錦糸町のホテルで開催された「関東大高知県人会」へ。この会も例年より参加者が多く大盛況であった。が、我が田舎町出身者は、二人だけの淋しさ。町長や町会議長も来ていたので、さぞやガッカリしたことであろう。

この会では、県の市町村や企業が協賛して景品を出す。そして福引があるのだが、今年もハズレ。運はなかなかやって来ない。これじゃ日曜日の競馬、エリザベス女王杯も期待薄か?それでも、参加しないことには運試しも叶わぬ・・・。そんなことが頭をよぎった。大月町提供のマグロ解体ショーがあり、刺身や握り寿司となる。

                          

マグロ寿司の列に並んだ。一段高いテーブルでマグロを切り分けているのが見える。よく見るとオール「トロ」のようだ。後ろに並んだ女性が何か話しかけてきたので『あのマグロは蓄養だね、身は柔らかくて脂が乗ってるだろうけど、どうかねェ・・・』と、余計なことを口走った。

                         

マグロ寿司を食したが、やっぱり天然ものとは違う。脂はのって実に旨そうだが、歯応え旨味が違うのだ。その後で、タバコ部屋で我が町の町長達と雑談をしていると、くだんの大月町の町長が入って来た。蓄養マグロの状況を訊いてみると(大月町は、豊後水道に面し、穏やかな入り江・湾のある町)。

「年に一万匹ぐらい出荷している、「ヨコ」(マグロの幼魚、ヨコワとも呼ぶ)が獲れないんで養殖業界も困っているが、漸く卵からの完全養殖の可能性が見えてきた」とのことだった。

そんな状況ながら、二次会(多分カラオケだが)に町長たちを誘いもせず、人形町に戻って会社のスタッフと飲むことにした。なんと、薄情なやつだ・・・・。過去に何度か二次会に加わったが、唄うばかりで何の面白みもない、脳味噌の活性にもならぬ。何時までも同じパターンじゃ厭きてしまうし・・・、競馬の検討もある?

てなことで、人形町は何時ものパターンで「ちょっぷく」に集合。競馬談義でYAMAちゃん店長も参戦し、煩いうるさい!。立食パーティ二件でいささか草臥れたか、私は一足先に帰還の途に就いた次第。

 

翌土曜日の昼前、築地場外市場へと出掛けた。用件は「金串」を買うであったが、併せて蒸し桶や弁当用の肉を買う、であった。雨にも関らず、相変わらずの凄い人出。驚いたのは、何処もかしこも「寿司店」になっていたことだ。肉を買う予定だった安売りの肉屋まで「寿司」になっていた。どこもかしこも、寿司・すし・スシだ。観光客相手であろうが、どこも繁盛している様子だった。

目当ての買い物を済ませ、一旦帰宅。そして横須賀へと向かった。東横線で横浜へ、そこから京急電車に乗り換え「堀ノ内」と云う駅で下車。大凡一時間で着く。そこから歩いて12~3分で「埼玉屋」(今は”天まる”と店名が変わった)に着く。昔我らが住んだ単身寮の直ぐそばにある店だ。

堀ノ内駅で降りようとすると、偶然にも脇の席を立ったのが同じ会に向かうODAKA氏であった。横浜から一緒だったはずだが、全く気付かなかった。お互い「やぁやぁ、これはこれは」となった。雨の中を、氏と二人で店に向かった。

当時の店主夫妻は、息子に店を委ねているが、夫妻とも店の手伝いをしている。ここで「埼玉屋会」と称した、謂わば同窓会である。総勢六名に、ご夫妻の八名がメンバーであるが、急用のため一人欠席となった。

料理の方は「刺身」「マカロニサラダ」、メインは「河豚鍋」であった。幹事だったN君(急用で欠が、ご夫妻と相談して決めたのであろう。マグロ・ホタテ・ウニに、タコは小坪産か?大変宜しい。アルコールは飲み放題とか・・・、生ビール・魔王の湯割り、ヒレ酒と頂いた。

                     

                      小生と違い、紳士淑女の皆さんですよ?

約三時間程この店で過ごし、次のカラオケスナックで歌となる。これはお決まりのコースなんだ。堀ノ内駅前の通りにある「ぴあの」と云う店だ。

今年、春先に埼玉屋の旦那は、この店で深夜まで飲み、帰りに転倒して頭を打って大出血。救急車で運ばれたとのことだ。さらにつづきがり、その後遺症で慢性脳内出血で数か月後に、運転中に気を失い追突事故を起こしたとのこと。大事故にならずに幸いであった。転倒後、脳出血の影響が相当あったようだが、夫人は「認知症が始まった、どうしよう」と、悩んだそうだ。

飲んでいる間の会話、80%が病気の話。未だお寺・お墓の話には時間が在るようで、一安心した・・・。

残念ながら、私は所用があって「ぴあの」での歌合戦は辞退した。が、誰が何を唄っているか、凡そ想像するは難くない。NAWAさんが、新曲をどれだけ仕入れたか?UENOさんとNAWAさんのデュエット「小さな日記」は、すでに定番になってるし・・・。

と云うことで、土曜日の夜は更けいくのである・・・。

 

 

 

 

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蜆ご飯

2015-11-13 | Weblog

11/13(金) 週末の朝、昨夜の帰宅早かった。と云うのも、夕方前に友人のO氏が社長のT物産を訪問し、それから一献の予定がお茶で終わったのだ。そんなことで、自宅の最寄駅に着いたのは六時と超早。稀なる出来事であった。

そんなことで、晩飯を作ることにした。魚屋の店先を覗くと、イサキやエボタイそのほか並んでいた中から、鯛と鰺を買った。この時点では、どんな料理にするかは未定。魚屋の「調理しますか?」の問いを断り、自分で捌くことにした。帰宅してからどんな料理にするか決めるのだ・・・。

これが失敗のはじまり。先日秋田で買ったままの鰻を焼こうと、冷凍庫から取りだした。今夜は魚の日だ。味は塩焼きか、フライだな。鯛は刺身か?煮物か焼き物か?鰻に串を打ち、タレを作り、炭火を熾す・・・。ご飯は、干した蜆を使って「蜆ご飯」、それに蜆の味噌汁も作ろう・・・・。

先ずは、ご飯の準備だ。蜆は乾燥蜆なので手間は要らない。具にする人参・牛蒡・薄揚げを千切にし刻む、これを暫し晒す。米を磨いで、暫し浸し置く。後は、電気釜のお仕事だ。酒・塩・醤油を適量の加えて炊きあがりを持つのみ。

テーブルの上に置いた炭火がなかなか熾きない、網をコンロの上に載せ鰻もて並べて炭が熾きるの待つ。その間、鰺とタイを捌くことにする。鰺は背開きにして「アジフライ」にしよう。鯛は「煮付」だ。と、ウロコを取り捌いたが、これが面倒だ。鯛の骨は硬いしウロコ取るのも大えへんだ。魚屋に任せればよかったな、と思う。

                      

                       これは、中華鍋で煮ることに・・・

開いた鰺にパン粉をまぶし始めた頃に、煙が立ってきた。見ると鰻を乗せたコンロからモクモクと煙が・・・・、炭はカンカンに燃えウナギの脂が落ちて煙。だけならぬ、ウナギが焦げているではないか・・・・。みるみる部屋の中は煙に覆われた・・・。と「火事です!火事です、火事です・・・」と、煙感知機から音声が流れ始めたのだ・・・。

大慌てでコンロを外に出すも、煙は充満したまま。感知器は、火事です、火事です火事ですと、流しつづける。違うよ、火事じゃねえよ、煙だけだと心の中で叫ぶが、止まらない。報知器の下にあった紐を引くと、漸く止まった。が、煙は残ったままだ。部屋中が煙に巻かれていた。

折角の鰻も、焦げ焦げだ。それでも、自家製鰻タレに浸して蒲焼にした。何しろ、八郎潟天然ウナギとの触れ込みだから、喰ってみなくちゃ・・・・。味の方は、マアマアと云う処か、我が家安田川の幻の鰻に比べると、身の厚みが劣る。柔らかさが違う。然し、焼き方が悪かった。リベンジの必要があるな・・・・。

人生、失敗もあれば成功もあるはずだが・・・・、オイラにあるのは、訪れるのは失敗ばかり。間尺にあわねえことばっかだね~。

で、今日の弁当は昨晩の「蜆ご飯」の再登場。菜の方は、材料不足で「豚肉と茄子の味噌炒め」「ピーマンの肉詰め」「シメジの豚肉巻き炒め」「ポテトサラダ&ゆで卵」となった。

         

今夕は、某社の周年祝賀会(上野精養軒)に顔だし後、錦糸町マリオットホテルでの「関東大高知県人会」に出席の予定。県人会も、我が田舎の人たちの参加は、年々減っていくばかりだ。枯れ木も山の賑わいと、壁の花ならドライフラワーと云うこと。田舎町から出てくる町長が、大のカラオケ好きだ。これにも付き合わざるを得ないだろう・・・。

            

明日は、午後から横須賀。単身寮時代のメンバーが6人、寮の隣に在った店のご主人夫妻を交えての、年に一度の同窓会だ。これがまた、最後はカラオケと決まっている。カラオケのない、禁止の国に移住したいぜ

 

 

 

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