オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ギムレット

2018-06-29 | Weblog

6/29(金) 出勤すべく玄関を出てから鞄の表面が黒く汚れているのに気付いた。路面に落ちたガムが黒くこびりついて汚しているのを時折見かけるが、あんな感じで赤毛牛の色をしている鞄を黑染みのように点々と汚していた。今の今まで気付かぬと・・・迂闊なことだ。

家に戻り汚れを落とす時間が惜しくて、そのまま出勤した。会社に着くなり、ティッシュペーパーで汚れを擦り落とした。手前の顔や手の甲の染みはなにを今更と一向に気にしないが、鞄のシミだけは嫌だ。一体どこで付いたのか・・・心当たりを振り返る。どこぞの安酒場で、棚に置いた際についたとしか思えない・・・、二日前のあれかと、思い当たるシーンが浮かんだが・・・・。

出掛けからそんなことがあったが、メトロでは席に深く腰を下ろして文庫本を読みふけっていた。危うく人形町駅を乗り過ごすとこだった。30ページほど読み進んだ本は、再会したマーロウとレノックスがBARに行きギムレットをオーダするシーンであった。

「暫くギムレットを飲んでないな~、そう云えば先週、ローカーボで代打に立ったときギムレットを作ろうとライムを買っていった。が、作らず仕舞いだったな」などと思い出し、今や懐かしく浮かんだのが・・・・。

「美味いギムレットを出してくれたのは、日比谷の路地奥に在った日比谷BARだった。仕舞屋の二階へと薄暗い階段を上がると、L字を寝かせたような形のカウンターで、扉の直ぐ前か、奥の端に腰を下ろして、オーダーするのはキリッと締ったギムレットをだった」。三階にテーブル席があったが滅多に上がらなかった。

「あそこで飲むギムレットが一番だったのに、あの店は取り壊しでなくなった。同じチェーンのBARが日比谷のビルにも入っていたが、味が違った」。あれから四半世紀も経とうと云うのに、未だあのギムレットの味が舌先に甦るようだ。

ご推察のとおり、読んでいた本はレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」だ。村上春樹の翻訳版だが、私的には清水俊二訳の方が簡潔で好きだ。日比谷線、二十八分の車中で読む本がなくなり、机の隅で埃を被っていたこれを、久々に取りだした。何度読んでも飽きないのだ。

ギムレットと、これを盛んに飲んでいた時代を思い起浮かべながらページを捲るうちに、メトロのドアは閉まる寸前になっていた。危うくセーフだったが。

関東甲信越地方は梅雨が明けたそうだ。ここ2~3日の日差しと暑さは、梅雨明けの夏陽そのものだった。こんな夕、黄昏には霜を吹いたグラスに満たされた「ギムレット」や「ダイキリ」を飲みたくなるねぇ~。

 

昨夜の帰宅は22時前と早かった。「ローカーボ」で3杯ほど飲み、そのまま帰った。駅前の東急ストアにて弁当食材を買ってからの帰宅であった。お蔭で、夜中に目覚めたが・・・・。

だが、弁当作りは6時を過ぎてからのこと。珍しくTVでサッカー中継などを見ていたのだ。

今朝は「羊」にしてみた。ジンギスカン用の漬け肉のパックを買ってみたのだ。安さに魅かれたのもあるが、目先を変えてみたくてネ。これにタマネギと茄子(なぜナスになるか?)を一緒に炒めた。そして、アスパラ・トマト・ベーコンの炒め物、鮭に卵焼きであった。

                        

毎度、お馴染みで恐縮だが、そう云うことである。

                        

 

明日の午後、月例の料理教室が高輪台の先生宅にて開催される。珍しいものでもあればいいが、何の在庫もない。困ったねぇ~、アメリカに留学すると云う、小室君のお母さんがパート勤め(今は?)のケーキ店が近所なので、ここのケーキでも持参するか?。

 

 

 

 

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性懲りもなく・・・

2018-06-28 | Weblog

6/28(木) 昼前に目黒区役所に立ち寄ったが、蒸し暑くて汗が吹きだしてきた。それも酒臭い汗が?多分。今日も風はあるが、湿度が高くてクーラクーラな気分だ。昨夕は社内の冷房で寒かったと云うに、一夜経てばアッチチな気分だ。

KIYOTA兄貴のように、夏場は軽井沢の別荘暮らしという優雅な身分になりたいものだが・・・貧乏オヤジには望むべくもない。精々、下界でよく冷えたビールや旨いハイボールで喉を潤し、脳味噌を痺れさせて現を忘れるに如かずと云う処だ。

斯様な次第で、昨晩も退社後の行く先は「ローカーボ」の美味いハイボールにありつこうと直行した。七時過ぎ、未だ客の姿がないカウンターに腰を落ち着け、喉を潤した。マスターに一杯如何?と水を向けると、なんとチューハイを!。そこで思い出した・・・「一週間ぐいらアルコール断ちをしなきゃ」と言ってたマスターの言葉を。何時ものくせで勧めたが・・・。

日曜日に退院したばかりで、未だ三日しか経ってないじゃんか。『酒断ちするんじゃなかったけ?』と訊くと、既に昨日の昼から復活したとの応え。大した回復力である。

二杯目のハイボールを口にしているところへ、HOYA兄いが登場した。二人で雑談をしていると…Oh珍しくもマッチャンが登場。くちゃくちゃの千円札をカウンターに置いて「何時ものセット」とオーダーしたのだ。此処で云う何時のセットとは、ハイボールにゆで卵である。

終末の料理教室への参加の確認、6日の「セイジュ会」のことと、立て続けに可否を問う。そして、延期になった鎌倉日帰り旅の代りをどうするか?と鳩首。私的には、鎌倉の代わりに御岳山への神籠りを提案し、神おわす地で心浄めを推すのであった。浅田次郎の本を読んで以来、御岳山神社に行ってみたいのだ・・・。

そんなことで、最後は「ちょっぷく」に入った。遅い時間ながらも店内はそこそこの賑わいぶり。これならYAMAちゃんもご機嫌だなと、他人事ながら安心した。三人で白ワインをやりながら、あれこれと取り留めもない会話がつづくなかへ、YAMAちゃんが来て今度はカラオケの話になり「江連子の女」を兄いがユーチューブで懸命に探すのであった。

この歌は、おぼろげながら歌詞が口をつく。雨がね雪がね 肩に降りかかる 私はひとりで遅い列車まつ・・・なんてネ。そんなこんなで、今宵も夜は更けようとするのであった。

店j仕舞いの時間となり、店を後にして人形町交差点に向かう。信号を渡ってメトロの入り口に向おうとした時に…、声を掛けられた。そこに、蕎麦処「高松」の夫妻が・・・・。

「天下一が今週で店仕舞いだと云うので、これから食べに行くんだけど行かない?。息子夫婦も先にいって待ってるのよ」と、ミッチャンが誘う。女将も「ARIさんいこうよ」と・・・。意思の弱い、無いに等しいが我が意思は、酒で痺れた我が脳味噌は頷くのであった。

若い夫妻を前に。ハイイボールもどきを口に運びながらOYAJIは訓戒を垂れる。ここはまあ~最悪のパターンを想定して頂ければ宜しい。ローカーボのトイレの鏡の横にも貼ってあるが、酔っ払いの昔話と小言に自慢話は止しな、と。そんな禁じ手の話でもしたに違いない・・・きっと。

零時を廻り、終電だと席を立ったが、、、メトロに降りるエレベータの前まで一家が見送ってくれた。食事の途中にも関らず。一家の団欒と云うか、食事会に闖入し、すっかりバカOYAJIを演じてしまった。

日比谷線、東横線と終電を乗り継ぎ、学芸大学駅に着く。改札前の時計を見ると、25時を指していた。性懲りもなく、同じようなことを繰り返した夜、反省の二文字だけじゃ納まりがつかないように思えるが・・・。如何なものか?。

 

そんな挙句、今朝の起床は七時になっていた。重い体で台所へと向かう。米を磨ぎ、電気釜のスイッチを入れる。菜は?、前日に妹が送ってきた茄子・ピーマンに胡瓜を使うことにする。この野菜は自分が植えたものだ。今頃、胡瓜は採れ過ぎていることだろうな・・・・。

茄子と豚肉で味噌炒めを、キュウリはイカと和えて酢のものにする。ピーマンはチンジャオロースに使った。卵焼きは簡単にスクランブルだ。こうして今朝も、二つの弁当と、味噌汁を仕上げたのである。

                    

 

今夜こそ、前夜の轍を踏まず、反省と自重の時を過ごそうと思うのでありますが・・・・。果たして、その結果や如何に?です。

 

 

 

 

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プルコギ

2018-06-27 | Weblog

6/27(水) 昨夜は前夜の反省を踏まえ、酒場は一軒だけにした。昼過ぎに後輩のYOSHINO君から連絡が有り、六時に「ちょっぷく」にて合流することとなった。人形町で一番の大衆的な店であるが、彼との待ち合わせはここが多い。何よりも、駅から近くて判り易、その上に何を呑もうが食べようが、全て300円なのだから・・・・。

Yと会うのは一月振りになるか、乾湿性肺炎で十日ほど入院を余儀なくされ、退院後の診察を終えたとのことで姿を現した。病気に罹った時の状況など訊きながら酒を飲む、と云うのも乙なものか?。

病み上がりと云うことも有り、生ビールと日本酒三杯で切り上げた時は、時刻は七時半を過ぎたばかりだった。普段なら、ここから一二軒廻る処だが、この日はそんな気にもならず、駅に向かいメトロに乗った。早々のご帰還で、駅前の東急ストアにて弁当用にとカボチャとカツオを贖った。肉は先日買った在庫がある。

帰宅後は軽くソーメンなどを食し、早々と自室に籠ったのである。「ちあき なおみ」を聴きながら、何時のまにや眠っていたようだ。目覚めると明け方であった。

夜が明けたら、夜が明けたら・・・一番早い汽車に乗って、ならぬ。一番先に台所に立って、飯を炊き、弁当の用意をするのだ・・・。

斯様な次第で、今日の弁当は「南瓜煮」と「カツオの漬け焼」を最初に用意した。カツオは胡麻油と醤油、刻み生姜で漬けにした。九条ネギを少々入れて、フライパンで炒め焼きにした。弁当で余った漬は、炊き立ての朝飯に乗っけて食した。無性にビールが飲みたくなったが・・・我慢我慢。

                        

ついで、牛切落としをプルコギタレで炒める。しめじ&タマネギも一緒に炒めてスキ焼に近い仕上げとなった。これは長女の弁当では「プルコギ丼」になる。

                          

最後に定番の卵焼を作ってお仕舞である。そんなとこところへ、「オハヨ―」と、孫娘のSORAがやって来る。学校には早すぎるので、暫し時間を調整するのかアイスを食べるためか?であるが。

                           

かくして、今日も一日が始まる・・・・・。

 

 

 

 

 

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挽回だ・・・

2018-06-26 | Weblog

6/26(火) 代打稼業で先週は酒場巡りが出来なかった。その遅れを挽回すべく、昨夜はハシゴ酒となってしまった。そもそものスタートは昼酒。先輩のUDAさんから連絡があり、氏がメンバーになっている外国人記者クラブの和食レストランで落ち合ったのが昼のこと。久しぶりの記者クラブレストランであった。

生ビールから始まり、白ワインを飲みながら四方山話で二時間近くをすごしたのである。赤い顔をして会社に戻ったが、酔いはなかなかさめず、挙句に眠くなった。眠気覚ましに、早々と退社して「高松」へ。HOYA兄いとマッチャンを呼んで、明るいうちから金魚割となったのである。

二軒目は「ローカーボ」に挨拶がてらに寄り、ウイスキーを。三軒目は「ちょっぷく」にて白ワイン&日本酒。四軒目は「セイジュ」でカラオケ。その後、ローカーボに舞い戻ったかもしれないが・・・・。記憶にあるのは、零時半に学芸大学に着いたというおぼろげなことだ。

一週間分の酒場巡りの穴を埋めようとしたが・・・・、残ったのは苦い酔いだけである。俺も馬鹿な奴だ、なにも酒場の件数をこなすことはないのに・・・・。こんなことはイカンザキだね、と反省中。

 

それでも今朝も弁当だけはしっかり作ったのだ。大根・椎茸と豚バラの煮物、牛タン焼、豚の粕漬け焼きとホーレンソのソテー、スクランブルエッグ、そんな処である。

                       

日曜日に金沢の義妹が持ってきた、佃煮も弁当に加えたが・・・・・。

                     

 

 

 

 

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代打終了

2018-06-25 | Weblog

6/25(月) 先週の火曜日から始まった「ローカーボ」での、マスターの代打が土曜日に終わった。慣れぬ立ち仕事に草臥れたと云うのが本音だが、皆さんの協力で初期の目標であった、俺たちの停車場を開けると、マスターの入院費の一助になればの二つは、そこそこの結果ではなかろうか・・・・・。

代打最後の土曜日、早めに仕込みをしようと五時頃に店に行った。すると、店の灯りが点きドアが開いているじゃないか。なんとマスターが何時ものスタイルで立っていた。一日早く退院したのかと思ったら、病院に居ても暇なので外泊許可を貰って帰ったとのことだ。翌日の朝、改めて病院に行き退院の手続きをすると云う。

                          

『今日は暇でしょから、マスターはゆっくりして体を慣らして下さい』と、取り敢えず代打で最終打席に立つことにしたのである。この夜も常連の面々が数人姿を見せ、私が作るアヒージョや素麺、パスタ、ジャーマンポテトなどを食してくれた。意外に好評だったのが前日から煮込んだ「猪鍋」であった。

そんな次第で、23時まで代打を努めた後、マスターにバトンタッチをした。翌日の日曜日の午後、退院手続きを終えて戻ったマスターに売り上げと鍵を渡してお役御免となった次第。

 

今朝は五時過ぎに目覚め、五時半から台所に立った。代打稼業を終えたと思ったら、朝から立ち仕事だぜ

今日の弁当は、前日の人形町からの帰りに「日山」で切落としの牛を買ってきたので、これと野菜の炒め物がメイン。それに小カブを塩揉みにした漬物風。小松菜・万願寺に薄揚げの煮浸し、厚焼き玉子、以上である。

                   

面白味もない弁当だが、当たり障りのない代物だ。最後に四万十川海苔の佃煮をご飯に載せた。

                 

 

 

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アメゴ姿寿しなど・・・

2018-06-22 | Weblog

6/22(金) 週末がやってきた。これで明日の朝は、ゆっくりできそうだ。昨夜の帰宅は零時半、それからグズグズと時間を過ごして、蒲団に横たわったのは25時30分を過ぎていた。

今朝の目覚めは七時になってしまった。慣れぬことをしているので、疲れが溜まっている所為であろう。「ローカーボ」の昨夜の客は七人だったが、九人だった前夜より売り上げは少し上回った。HOYA大明神のご来臨のお蔭である。五百円のチップまで頂いたのだから、感謝感激雨霰と云う言葉古すぎるか・・・。

                           

今朝の弁当は、煮物で「鶏肉・大根・人参など」である。卵焼きにタラコ、シメジの豚巻炒、小松菜の煮浸しと定番コースになった。弁当の準備を終え、「ローカーボ」で今夜のサービスとして出すつもりの「筍すし」と「アメゴの姿寿し」を作る。処がこれが、酢飯の柚子酢の利きがよくなかった。

               

反省すれども覆水は盆に戻らず、酢味も調えようがないのだ。醤油でも付けて喰ってくれ・・・・・・。猿も木から落ちる、走りまわった丈夫な足も衰える、味付けの感も狂うとは・・・。天人も五衰といわれるのだ、ましてや凡夫の我なれば致し方なしか?。と、言い訳するのも面はゆいが。

               

 

ローカーボのマスターは、日曜日には退院出来るとのことだ。私の代打も今夜と明日で終えることになる。この三日で分ったことは、摘みで勝負する店じゃないと云うことだ。手間暇を掛けないでドリンクを楽しんでもらい、空けたグラスの数で打率を稼ぐ、これに徹するべきと。

                            

かといっても、折角の機会だ。何か面白いものを喰せたい、喰ってほしいのである。そんな次第で、今夜と明日は「猪鍋」を用意する。時期外れではあるが・・・・・。秋の「ベッタラ市」用に冷凍保存してあるからネッ! 

 

 

 

 

 

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代打、二打席目は・・・

2018-06-21 | Weblog

6/21(木) 昨夜は「ローカーボ」の代打として二打席目の夜であった。初打席の前夜は御祝儀客の大判振舞いもあり、センター前のヒットと云えたが、二打席目は雨も相俟ってかサードゴロと云う結末に終わった。サードゴロとはいいながらも、前走者を進塁さすぐらいの役にたった。と、云うことにしよう・・・・。因みに来店数は九人、うち三人は我が社のスタッフだる。

それにしても摘みが出ないね、ローカーボ自慢のハイボールはでても、折角用意した摘みは冷蔵庫の中で眠っている。昨夜は「アヒージョ」なんかも作ってみたが、二つ出ただけだ。それも、我が社のスタッフの御情けでだ。振り返えりゃ、自分も酒場じゃ摘みを取らない。

                  

用意した摘みは、二杯以上オーダーの客にサービスして、消化することにでもしよう。でなきゃ、持ち帰るか廃棄するしかない。

斯様な次第で、23時に閉店した。帰宅は零時前であったが、草臥れている、と云うより果てた。日頃は立ち仕事と縁がない生活、それに膝を悪くして以来、数年も歩くことから遠ざかっている身だ。体力の衰え、甚だしきものがある。

夜の風呂は滅多に使わないが、昨夜はカウンターの中の蒸し暑さで汗を掻き、その汗の匂い甚だしき。疲れを癒し、汗を流してサッパリしようと湯に浸かった。そして、IWASEマスターにショートメールで状況だけ伝える。早朝の返信メールには、「昨日、治療を無事に終えた。日曜日には退院できる予定」とあった。

と云うことで、私の不つつかな代打も土曜日で打ち上げれそうだ。昨夜のお客で「土曜日に来ますので」と、云うひとあり。そうなれば週休二日とは云えぬ、土曜日までなんとか持ち応えよう・・・・。

 

さて、今朝の起床は遅かった。なんと、七時前に蒲団から出た。六時間近くも眠ったことになる。少し体が楽になったようだ。

そんなことで、遅まきながらの弁当作り。今日は「鶏唐揚げ」「豚粕漬け焼き」「ジャーマンポテト」、唐揚げついでに、ウインナー・ポテトとインゲンの素揚げもやる。胡瓜の塩揉み、タラコと卵スクランブルを少々加えた。

               

 

 

 

 

 

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代打、初打席・・・

2018-06-20 | Weblog

6/20(水) 本降りの雨となった、九州や四国は大雨の予報である。旬の鮎が大洪水で海に流れ、大きな魚に喰われる。川の濁りがとれて生き残った鮎が再び遡上を始め、成長するまでにはどれだけの日時が必要であろうか?。釣り師ならぬ、喰いしとしては大いに気掛かりな雨である。

さて、昨夜は「ローカーボ」の打席に初めて代打として立った。一度聞いたとはいえ、何が何処にあるか、電気のスイッチは何処かなど戸惑いが多い。そんな中でスタートしたが、口開けの客は馴染のONOZUKA氏だった。ハイボールと思いきや、ビールときた。700円也を頂戴する。

暫くして、月曜日アルバイトのRYOKO姫が心配の余か顔を出し、暫し手助けをしてくれた。常連で強~い味方のHOYA兄いが威勢よく登場、店を盛りあげ、オーダーをバンバンしてくれる。サッカーの日本戦をスマホで観戦しながら、皆の分まで差配しながらである。

NAKAMURA大将は酔っ払ってからの登場、会社のAOKI/YOSHIO/FUJIKUR/NOBORUまで姿を見せた。余程OYAJIのことが心配なのか、不安なのか判らぬが、大した銭も持たぬのに感心である。

19時~23時までの営業で、売り上げは〆て19200円也。付け忘れもあるかもしれないので、凡そ二万両と云う処か。目標値を粗ほぼクリアといえるかな?。問題は、雨の今夜だねぇ~。頼みのHOYA兄いは来れないと云うし、NAKAMURA大将は今日の便で佐賀に帰った・・・・。

太っ腹の兩御大が不在というのは厳しいが、パトロール隊の名誉をかけて、マッチャンが御大の不在を埋めてくれるであろうと、期待する

昨夜の帰宅は、24時20分。駅前で弁当食材を見繕い、ローカーボの摘みを考えながら買い物をしてのことだ。

 

今朝は六時起床だったが、なれぬ立ち仕事で草臥れているのが分る。されど、弁当オヤジは台所に立つのが定めと、重い体を運んだのである。

ローカーボの客用に、ちょっと毛色の変わったものをと「筍すし&筍煮」を用意した。黑竹の筍だが、そろそろ旬が過ぎちょっと硬い感ありだが、柚子酢を使った筍すしなんて言うのは珍しかろう・・・・と云う次第。小さな筍に酢飯を詰めるのが面倒だが・・・。山形・東根からサクランボが届いたので、昨夜のヤマモモと一緒に客に供そう。

弁当の菜は「牛小間の炒めもの」と「ブリの塩焼き」「小松菜の煮浸し」「小松菜の卵炒め」、以上の四点である。今更、レシピ云々なんてこともない。ただただ作るのみであった。

                

弁当の準備を終え、後はひたすら「筍ずし」を作った。

                      

 

 

 

 

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代打

2018-06-19 | Weblog

6/19(火) 昨夜の酒の所為か、朝から頭がボーとしている。酒じゃなくて風邪か?、そうはイカンザキだが・・・。今夜から一週間の予定で「ローカーボ」のカウンターに入ることになっているのだ。

ローカーボのマスターが、今日から予防治療の為に一週間の予定で入院する。その間、不肖ヒゲオヤジがローカーボ城の守備隊長を務めることになった次第。マスターの入院を聞いたのは四月だったか、当初の予定では連休明けと云うことだったが、延期となって今日からである。

ローカーボのカウンターでハイボールを啜りながら入院話を聞き『それじゃマスターの不在中は俺が店を開けようか?』なんてことを言ったのが始まり発端なのだ。ローカーボ難民が出ても困るし、マスターの入院費の一助になればいいという、義理人情の世界だが、本当に代理・代打が務まるかは?である。

案ずるより産むが易しの諺も有る、それに常連が多いのでいざとなれば助っ人が現れるだろう。学生時代にはバーテンやら喫茶店のカウンターで遊び半分のバイト経験はあるが、半世紀も昔のことだからね~、どうなることやら・・・・。

それでも、昨日の帰京の折に自家栽培の胡瓜と、茗荷などを仕入れてきた。それと、こっちじゃ食さない「やまもも」も持ってきたから、これを酒に入れると綺麗だぜ。売上目標は、一日十人で二万円と踏んでいるが、足りなきゃ動員をかけるか・・・・・。食い物は乾きものとソーメン(400円)、苦肉の策は「猪鍋」(500円)でもやるか?。それと、「胡瓜の酢の物」に「筍すし」なんていう夏メニューもいいかな?。

常連は心優しき面々だから、バンバンと銭を使ってくれるだろうネ。と、云うことで久々にOYAJIの出番である。まあ、チョンボがあれば、マスターがお休みだからと、笑って誤魔化そう・・・・。

 

さて今朝の弁当だが、食材の仕入れをしなかったので冷蔵庫の有り合わせで済ませた。

「肉じゃが」と「イカと野菜(セロリ・シメジ)のバター炒め」、「ホウレンソウの卵和え」、塩揉み胡瓜である。手抜きのようで、そうとも言えぬ品だが、味の方は悪くなかった、ということにしよう。

                    

最後に、チューブの明太子を少しのっけたが・・・。如何なものか?。

                       

 

 

 

 

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星空に想う・・・

2018-06-18 | Weblog

6/18(月) 土曜日の午後から今日の昼まで高知に居た。土曜日、昼前に発つANA便は出発が40分も贈れが、高知空港に妹夫妻の迎えを受けて安芸市内の病院に直行した。前回と違い、母は病室を移っていたが、治療の方が一段落した所為であろうか?。

眠っている母の肩に、妹が何度か触れてボンヤリと眼を開けたが、暫くは焦点があわない。漸く私の姿が目に入った、そして私の名を小さな声で言った。

食事を摂るのが極端に少ないそうで、更に痩せていた。色もめっきり白くなっている。歩くことも全く出来ない、食事も自分では取れないうえに、口に運んでもらっても直ぐに嫌がる。水や茶も、好物だったメロンも食べようとしないとか。

耳元に口を寄せて「命は食にありだぜ、食べなきゃ駄目だよ」と声を大にして云うが、反応がない。日々、かくの如しとか・・・・。

食べれない、話せない、歩けないが、嫌と云う反応だけは出来る。只々、眠るだけの老婆になっている。今回の帰省は、病院からの転院先と、終末医療について相談することであった。食が摂れれば元気にもなろうが、こうも食べれないんじゃ行く末は明らかだ。

妹夫妻に我等夫妻、施設を併設する病院に勤務する妹の娘も加わっての話し合いであった。入院中の病院を出ることになれば、妹の娘が勤務する病院または施設で受け入れをしてくれるという。受け入れ先が決まったのでひと安心である。あの状態では施設での暮らしは難しそうだ・・・・。

日曜日、帰京する家人を空港に送ってから病院に寄る。今度は私の名を呼んだだけで、直ぐに目をつむった。水差しのお茶を飲ませるが、一口しか飲まない。

前夜、寝汗をかいて深夜に目覚めた。テラスに出て煙草に火を点けた。カエルの鳴き声が響く中、夜空を見上げると満点の星空が広がり、星々は見事に輝いていた。この季節、こんなに美しくそ輝く星々を、夜空を見るのは初めてか・・・・。

何時もであれば、私が隣の部屋に居るだけで安心して寝れると云う母はいない。ご飯だよ、早くきなよと呼ぶべき母もいない。同じ言葉を繰り返し、煩いな~何度同じこと言うんだと怒る母もいない。年寄りの繰り言並べる母もなし・・・。

母親の居ない実家は何故か、空気までも軽く他所の家に居るような落ち着かなさであった。これからず~っとそうなるであろう。

家が一番いいと、居間で座ったまま庭を眺めていた母であるが、それすらも叶わず病院のベットに眠るままである。もう、この家に戻れることはないであろう。あるとすればただ一度、黒い車に横たわってであるか。

こうなる日が早やすぎた。仕事を辞めたら戻って来ると言ったが、母はその日も待たずに家を出たままなってしまうか・・・・・。長男の役目を果たさぬままに、幕を下ろすことになりそうだ。そんなことを実感する、今回の帰省であった。

日曜日の午後遅く、畑を覗いた。ソルダムの実が大きくなり、色づく頃になっていた。この木が、こんなに実を付けて残っているのを見るのは初めてである。

                  

畑の草刈は、KATUOに頼んできた。胡瓜も茄子も大きくなっていたが、トマトは二本、枯れていた。

 

 

 

 

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