オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当納め

2016-12-28 | Weblog

12/28(水) 仕事納めとか竿納めとか、はたまた納棺などと云う一区切りを納めと人はいう。ならば、今朝の私は「弁当納め」と云うことになる。平成28年の弁当作りが終わると云う、区切りだ。

その区切りの日なので、何か気の利いたものをと考えるのが人情だ。が、残念なことにいつも通りの変哲もない弁当になっていた。今朝のメニューは自家製の粕漬けから「ホタテ」となった。そして、ギンダラの照り焼きと云うお魚系。肉系は「豚生姜焼き」、煮物は「鶏&大根・人参の旨煮風」、野菜と云えば生姜焼きに添えるマッシュルーム・スナップ、キャベツ・シメジのソテー。とってつけたような卵焼き、以上である。

                           

長女は夜勤だと云うので、夜食弁当にしろと連絡。そうでもしなければ、菜が余って困るのだ。かくして、弁当納めの儀を無事に終えたのであった。

                           

 ― 振り返れば・・・ ―

今年の仕事納めとなるが、この一年を振りかっても後には何もない。何も生まず、形造らず空しく過ぎていった時間の残像が尾を引いているだけだ。

確かに、新年には今年のやるべきテーマを示した覚えがある。二つの具体的な戦略ビジネスと、体質改善に向けた上流工程の仕事に舵を切る為の取り組み。リサーチとビジネスフレームの研究を。個別やミーティングの場で、進捗や課題について何度か話してきたつもりだが・・・・。

新しい芽生えの手応えがないばかりか、ルーチンともいえる仕事の気掛かりの多さよ。他人任せの虚しさをしみじみと感じる仕事納めである。

昨夕、友人のO社長と二人での忘年会。奈加野のオヤジが闖入する前に話していたのは「退け時、引き時」である。私よりも数歳若い彼も、後継をどうすればいいのか悩むと云う。老いていく己を自覚すると、それが、後継をどうするかが課題となる。ましてや私の如きは、己の能力さえないのだ。だからこそ、方向を指示するのだが・・・・・。

                               

これ以上虚しいことを繰り返しても何も生まれない。再生の道さえ創れない男は、姥捨て山ならぬ爺捨て山だろうが海だろうが、捨てて貰うに限る。が、誰もそんな親切はしてくれない。自分で其処に行くしかない。それが、今年を振り返った結論。考えれば考えるほど己を虚しゅうする大晦日、と云うお粗末。

とは云いながら、正月の夢に吉祥を見出し、来春は大いなる船出となるやもしれない 乞うご期待。一年間、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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あと一日か・・・

2016-12-27 | Weblog

12/27(火) 昨晩は零時頃に蒲団に潜りこんだが、ラジオをつけたままで寝ていた。朝がたからその音が耳について煩い。そんな中でうつらうつらして起きだす決心がつかないままに時間は過ぎていった。結局、起床は七時なってしまった。

そこから鍋で飯を炊き、菜の準備に入った。今日のメニューは「焼き肉」といっても、野菜のタマネギ・シメジ・分葱も一緒に炒める。どちらかと云えば「牛小間のごった炒め」と云うとこだ。

                      

魚は鮭を一切れ、生姜焼き用の豚肉で西京漬けを試したので、それもフライパンで焼いた。後は、卵のスクランブルでお仕舞だ。なんとも簡単なメニューだが、致し方なし。体が重い、おまけに朝から牛乳を二杯も飲んだので腹が・・・・・。

                              

長女は夜勤明けなので、今日の弁当は一つ。明日も一つだが、今年の弁当は明日でお仕舞になる。気張った弁当にしたいものだが、さてどうなることか・・・・・。西京漬けの豚ロースにホタテ、或いはギンダラの照り焼き、豚肉生姜焼きもありだが。早起きすることが先決か

 

昨夜はパトロール隊のHOYA&マッチャンのトリオで、「ローカーボ」「セイジュ」「ちょっぷく」と廻った。皆が気を利かして五百円玉ができると廻してくれる。お蔭で十枚も入手したが、ポッケが重くなっていた。これで今月の投入枚数は90枚を越えたが、あと10枚がノルマだ。

                              

                             セイジュの一コマ

今夜は渋谷・奈加野にてT物産のO社長との二人忘年会だが、奈加野の店主が割り込んできて煩いだろうねぇ。おまけに、高い魚を喰えとしつこいはずだ ― 俺たちにはボーナスとか云うやつは無いんだから - 明日もねぇかも。

それでは、今年最後となる明日の弁当をお楽しみに・・・・。さよなら・さよなら・サヨナラ

 

 

 

 

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鉢形城&鮎飯

2016-12-26 | Weblog

12/26(月) 今年の業務も本日を含めて三日となった。その土壇場になってトラブル連発、それも同じ案件でとなると「社長呼んでこ~い」と言いたくなるが、その当事者が俺じゃ二進も三進もいかねえ・・・

年末も押し迫った中の昨日、埼玉県寄居町にある古城跡「鉢方城」に行った。特段の城マニアでもないし ― 古城跡に佇み古を偲ぶ ―なんて、懐古趣味は持ち合わせていない。が、嫌いでもない。

鉢形城のことはネットで検索して貰えばすぐにわかる。この城が最後の大舞台となったのは、豊臣秀吉が天下の覇を握らんとする最後の大戦小田原攻めの時だ。その時の鉢形城主は北条の四男が養子として入っていたそうだ。ここを七万の豊臣勢が囲み、一月余も抵抗の末に降伏。守った側の兵は三千だったとある。

余談ながら、この城を落としたのちに「忍城」攻めとなるとか。その忍城を水責めした土手跡や新築の忍城(模型だな)らしきものを見に行ったのは、昨年の夏だったか。この時は鴻巣・本庄から行田と廻り、食い物は「鰻」だった。今回の城跡を散策した後のお楽しみは?な・・・・。

家を出たのは日曜日の九時前。赤羽から高崎線に乗って着いた処は「熊谷駅」、10:30分前の到着。ここで待ち合わせたのは、前回の忍城&鰻と同じメンバーのYOSHIO&FUJIKURAの両名。前回同様にちょっと心配ながらも、埼玉人のFの運転する高級車であった。案内役はFである、後部座席は余計なナビゲーションをするY。大人しい小生は、事故った時の生存率が一番低い助手席へと促された。

熊谷駅南口ロータリーは、日曜日の午前の所為か空いている。否、何時もそうなのかもしれない。Fが慎重にハンドルを握る赤い車は、一路鉢形城址へと滑り出した・・・。とまあ、こんな具合に記していると明日まで書いてなくちゃならない。以下省略するが、後部席からのYの頓珍漢なナビの煩かったこと・・・。

              

寄居町を流れる荒川沿いの絶壁に残る城址に着いたのは11:20分。城周辺の案内が不十分で、右往左往してしまう。加えて、着いてみるとただの原っぱなのだ。そこに、発掘調査によるものだろうが、若干の段々や凹凸があるだけ。絶壁を背にした本丸の在った場所からほど近い処に、田山花袋の歌碑が建っているのだが、これを探すのにひと苦労した。

                      

                             城址から京亭が!

この城跡にひかれたのは、七万の大軍を三千の守備で一月も守ったところ。その要衝は荒川の絶壁を背後の建ち歴史の一ページを飾ったと紹介されているが、このことを知ったのは池波正太郎のことを書いた「男のたしなみ」とか云う本による。

                      

                            京亭の庭から望む

池波正太郎が執筆の為に訪れた際の宿が、「京亭」(ボートじゃないぜ)という、城跡から荒川越しに望める小さな料理旅館だった。ここの名物料理が”鮎飯”で、作家は大いに気に入り通いこの店を秘密にしろと言ったそうだ。それじゃ俺たちも行ってみようぜ、とこの日の遠征となった次第。

昨年につづき今回も、城と川魚(鰻から鮎だが)である。予約を入れた時間、13時丁度に京亭に着いた。荒川沿いのここは隠れ別荘の趣で、料亭らしくない。そうなんだ、ここを建てたのは「君恋し」や「祇園乞小唄」などを作曲した佐々紅華さんが、この地を気に入り昭和7年に建てたとある。 

戦後、後を継いだ姪が料亭をはじめて、料理が名物となった。その鮎飯を大いに賞した一人に池波大先生がおり、若輩の我も知ったと云うことだ。

建築当時のままの建物で、畳を歩くと根太が鳴るようなところもあるが、荒川と向かいの城跡を借景にした眺めは格別のものがあった。YもFも大満足で、名物の「鮎飯」を三杯も喰いやがった。俺は二杯で押さえましたよ・・・・。

料理は、「鮎煮浸し(甘露煮にちかい)」と珍味「うるか」が最初に供され、これで生ビールを・・・。小芋や煮こごりの先付、茶碗蒸しに刺身に小鉢、鮎塩焼きがあり、最後にお待ちかねの「鮎飯」が登場した。鉄鍋がでて、蒸れるまで暫し待つ。そして鍋蓋を取ると鮎が3匹乗っている。ご飯は3合とのことで、薬味の分葱と大葉の刻みを鍋に入れて混ぜ合わす。

              

出汁の利いた香りがたちのぼり、何とも食欲をそそる。鍋底のおこげもほど良い加減に焦げている。釜飯のおこげは何とも言えぬ味があるのだが、Yはこれを知らないと言う。おこげを知らないとは余程の金持ちか貧乏、どっちの生まれだ

両人とも朝飯を控えて、この鮎飯に備えていたと言う。道理で、よく喰うこと・・・。それだけ美味しかったのだ。食い物を誉めない吾輩も『ウ~ン、美味いね』と唸った。

 オイラも今年、鮎飯を四度ばかり作ったがこの味には脱帽した。それに鮎はシーズンが過ぎたので静岡産の養殖鮎という。道理で骨が柔い、鮎の身も柔いが、出汁の利いたご飯が美味いのだ。レシピを訊くと「昆布だしと酒・醤油だけです」、のこと。何処かに秘訣があるだろうが・・・、年末始に帰省するので、この味にチャレンジだ

景色よし、雰囲気善し、味よし、お値段良しの四拍子揃い踏み。因みにここではクレジットカードは使えない、勘定を頼みいざ支払いと財布をみると・・・なんとなんと、まったく足りない。お金が二万円足らずしかない  。私的には、四枚ばかり大きいのが入っていると・・・、何でだ?

請求書払いも出来ますと、最初に聞いてはいたが、予約客とは云え一見がそんなことは言えない。こうなりゃ、15:25分発走の有馬記念の結果を待つしかねえか?然し、この馬券も俺とYじゃ連敗街道だから期待はできない。こうなりゃFが頼みだ! 

流石だね、有りますからと財布から三枚、大きいのを取りだした。これで事なきを得たが、上手の手から水が漏れると云う諺があるが、俺の財布から札が漏れるとは知らなかったぜ・・・・。

お~い満腹だぜ、と言いながら京亭を後にした。行先は川越駅、Yとオイラはそこから電車で帰る。三連休の帰り、道路は渋滞気味がつづく、生ビールとハイボール、心地よい揺れにうつらうつらしていると、車が止まった。時計は、有馬記念の発走時間になっていたのだ。

さて今年の最後のチャンスや如何に…、ファンファーレが鳴り愈々ゲートイン。スターしました・・・・、一コナーを廻り予想道理の展開だ・・・ったが、最後の伸び足が、一着二着はいい、処が三着が違う。予想屋YOSHIOが指名した馬は四着に・・・・。今年最後の運試しも・・・、逃げた要望と運は帰っちゃ来ない。川越に向かう車内の声は、心なし低くなっていた・・・。

そんなこともあるさ、と気楽に言うが。こんなことばっかだぜ! どなんにしてくれるねん!(急に関西風だっせ)。と、楽しい一日を過ごしたのでありました。

 

今朝、年賀状をポストに入れた。あとは元旦を待つだけだ。これが終わるとホッとする。私的年賀状は350枚、この枚数はこの十年程変化なし。増える枚数分だけ減るのがある。そう、ご当人がなくなるのだ。今年も何人かを見送った、私の番はどうなってんかな?

 

さて今朝の弁当は二つ。今日は「トンカツ」と「粕漬け焼き」に卵焼きだが・・・。

                          

米二合を炊飯器にかけてから菜に移る。トンカツは豚ロース、これにタマネギとスナップ・人参薄切の素揚げ。粕漬けは、ギンダラとホタテ。卵焼きは、万能ネギを刻んだ味付けにした。食材だけは何種類かあるが、今日はこれだけだ。

                       

 

 

 

 

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粕漬け

2016-12-22 | Weblog

12/22(木) 昨晩は、K大兄との二人忘年会が計画されていた。処が、大兄からノロウイルスに罹ったかもの電話があり中止となった。楽しみにしていたが体調不良では如何ともしがたい。

大兄からはお会いする度、激励をいただく。もう一人同じKの付く大兄、軽井沢の瘋癲老人がおられるがこの方からも叱咤激励を受ける。お二方とも、お会いする機会は稀だが得難い先輩である。この歳になっても、励ましの言葉を頂けると元気づけられる思いがする。が、それに応えることができない我が身の不甲斐なさを恥じるばかりだ・・・。

そんな訳で、押し詰まった年末に一夜の空白ができた。そこで、数か月前から一杯やろうと云いながら果たせていないY氏に声を掛けると、空いているとのこと。人形町駅に近い「ちょっぷく」で待ち合わせ、久々の懇談となった次第。

仕事の話はそこそこに、誰それの動向を訊き、その活躍の様子に頷いた。この日に届いた「柚子」を『今日は冬至だから、柚子湯に浸かって長生きしなよ』と渡した。今日届いた柚子は、先月の収穫のおりに青かったものを冬至用に採り残しておいたものだ。会社のスタッフ用にと、田舎の妹に頼んで送ってもらった。残り柚子で奇麗じゃないが、完全無農薬なので風呂には使えるだろう・・・・。

「ちょっぷく」から「ローカーボ」へと移動し、ハイボールを飲む。そこにはパトロール隊のHOYA兄いと悪徳チャンの常連が鎮座ましましていたのは云うまでもない。其処へ近所の会社に勤める若手のIMAE君が一人で現れた。椅子に座るなり、海外赴任を言われて悩んでいるとの言葉が出た。「若い者がそんな引っ込み思案でどうするんだ、云々」と、オヤジ達の口撃にあった。『週明けのここでの、パトロール隊忘年会で意見を言わせて貰うよ』と言って、店を後にした。

                             

9月、シンガポールへと赴任したミヤケッチも悩んでいたが、ここの会社の若手は悩むのが好きなようだ。それをオジサンたちは、激励なのかイジメなのか判らん言葉で弄っているかな・・・・・。弄ってなんかないか、若者の背中を押してやってるんだな。

帰宅は23時半頃であったか、前夜の寝不足で体調が良くなかった。零時にはラジオもスタンドも消して蒲団に入った・・・・。

 

前日の睡眠不足を補うように、眠っていたろう。今朝の目覚めは、7時であった。弁当作りにはギリギリの時間だ。幸いにも前日のご飯があったので飯を炊くつもりはなかった。シンプルな菜で間に合わそうと台所へ。

メインは「牛小間煮」、牛小間とタマネギだけで煮るというシンプルさ。魚は鮭と鰆の西京漬け焼。自家製のギンダラ粕漬けもあるが、ギンダラつづきじゃ厭きるかと、某先輩から頂いた西京漬けにお出まし頂いた。

野菜は、スナップとカボチャフライパンで焼き、ホウレンソウをソテーしてお仕舞。卵は、面倒な厚焼きは止めて、フライパンにそのまま割こんで、醤油を垂らしてかき混ぜたただけのシンプルさ。

                        

と云う次第で、手抜きの弁当が出来上がった。弁当を取に来た長女が「昨日の魚、美味しかったよ。もう一つあってもよかった」と言う。そうか・・・俺のギンダラ照り焼きや粕漬けもイケルな…、と自己満足。

                          

今夜は会社で忘年会。山賊の酒盛りとか、乞食の宴会とか云うやつだ。引っ越し祝いに頂戴した酒やワインがたっぷりとある。が、呑み助が少なくなって一向に減らない。社内で飲みことも殆んどない。普通の会社=面白くもない会社になちっまった・・・。誰の所為だ?☆はオレさ

 

 

 

 

 

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一年ぶりに・・・

2016-12-21 | Weblog

12/21(水) 昨日の午後、一年ぶりぐらいにO氏と新橋で会う。四半世紀ほど前に在籍した会社で、一緒に広告営業をした後輩にあたる。私は本体からの出向、彼は業界からの転職組だった。ゴルフ用品メーカや映画祭の事務局などの新規開拓や、所謂他企業と云うやつをした間柄である。

私が今の会社に転職後も、仕事上で彼との付き合いがあった。然しここ数年、年に一度程度しか会うことがない。二週間ほど前か、彼から「ご無沙汰解消」のメールがきて久々に会うこととなったのだ。

彼と会うのは新橋、それも早い時間に「赤札や」という烏森神社の先に在る超安酒場を指定される。昨日も待ち合わせ時間は午後3時、こんな早い時間ながら店内は込み合っていた。この店は、人形町で何時も行く安酒場より更に安い。ジョッキのチューハイは100円、ハイボールは220円という値段である。摘みも同様に安いのだが、味の方まで期待しちゃ贅沢と云うもんだが。

その安酒で喉を潤し、舌の廻りもよくなった頃合いに最近の状況を訊く。と云うのも、彼が別居生活を長くしていたからだ。昨年会った折に、奥さんの元に戻った方がいいよと、言った。すると、自宅に戻っているとのこと。

よかったじゃないか、と言ったが・・・。が「仕事を辞める時に別れようと思っている」と言う。その方がお互いに良いと言う。夫婦のことは他人には判らん、いろいろと話しは聞いたが・・・・。

そんな話や、一緒に仕事をした頃の話となり、O君は共通の友人である松山市在住のH氏に電話を入れた。なんと体を悪くして杖をついているとのことだ。何時の間にや、みな齢をとっている。O君も一年余で退職だというし、退職後の仕事のことも気になるであろう。

そんなあれこれを話をするうちに二時間以上が経過していた。混んでいた店内が、一時であろうが静かになった。100円のチューハイも飲み飽き、トイレに通う回数が・・・(私じゃないよ)。と云う塩梅で、一年ぶりの二人会はお開きにした。

然し「赤札や」は安かった・・・・・。この日の酒はこれにてお仕舞。人形町パトロールから、新橋パトロールに代えるか? 廻る店が多くて大変だろうな! 

 

今朝の目覚めは四時、四時だった。昨夜の帰宅は早かったが、蒲団に入ったのは零時頃だ。それを考えると、目覚めが早すぎる。未だに頭はボーっとしたままだが、弁当となれば別だ。

今日のメインメニューは「牛小間炒め」とシンプル。888円/100gの牛小間を塩胡椒味で炒め、炒めたタマネギを添えるだけ。手間が掛かったのは中華風「茄子と豚の炒め物」だった。合わせ調味料や豆板醤と、レシピ本に沿って作ったら随分手間が掛かった。豆板醤は四川を使ったので、辛い!

                             

他には、「ギンダラの照り焼き」と「ホーレンソウのお浸し」以上である。今日は弁当二つ。

                            

 

 

 

 

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お鍋会

2016-12-20 | Weblog

12/20(火) 昨夕は悪徳チャンの事務所で「人形町パトロール隊」のお鍋会。事務所に炬燵を買い鍋を揃えたマッチャンの願望が「お鍋」を囲んでの一杯だったようだ。以前、HOYA兄貴と二人で囲んだ鍋が最悪だったとかで、必殺料理人の登場となった次第だ。出来星料理人とは、勿論、八年有余の弁当作りの経歴を誇るオイラのことだ。

「食材もよろし~く」とか、炬燵と鍋の持ち主に云われていたので、事務所の一階にあるマイバスケットに寄った。豚バラ薄肉・白菜・木綿豆腐・ネギ・モヤシ・ウドン・餅・ビールなどを買い込み、50m程離れた悪徳ちゃんの事務所に着いたのは六時前。処が、HOYA兄貴とNAKAMURA大将は炬燵に座り込んで既に飲み始めていた・・・。おかみさん気分のオイラは手早く(とはいかない、包丁が切れない俎板もペラペラ-百均で買ったとか―)食材を下拵えした。

鍋のいいとこは、準備が早くて喰へるのも早いとこだ。鍋にたっぷりと水を張り昆布を敷いて沸かすだけ。 ― 今夜のメンバーで料理教室に行くので、二・三ヶ月もすればオイラが座って待ってればよくなるだろう ― 。椎茸を入れ、豚バラを入れ、白菜を入れて、後はじゃんじゃんと食しながら・・・。今夜の鍋のポイントは「柚子酢」だ。我が無農薬柚子酢を渡してあるので、汁と醤油・柚子酢を塩梅よく混ぜればいい。

                

                          鍋もお仕舞か?

四人仲良くお喋りをしながら、鍋をつつきながら飲んだ。最後のウドンと餅が入る頃には、三時間以上を経過。六時にスタートしたお鍋会がお開きになったのは、22時前であった。本来ならこれでお仕舞、サヨウナラをするところだが、今夜はそうもイカンザキ・・・。二次会は「セイジュ」でカラオケとなった。

                       

                        セイジュのカウンターにて

夫々が二曲ほど唄って中締めとなった。それから「ちょっぷく」に顔をだし、ワインを・・・。店長もチーフも、習ったばかりのマジックに夢中になっていた。この店にマジシャンサークルのメンバーが来るので、ネタを教えてもらっているのだ。HOYA兄貴もすっかりはまっていた。

                          

                        下手ね!と笑われ・・・

そんなことで、帰宅は丁度零時であった。

 今朝の目覚めは5時、夢を見ていたが・・・。なにやらバーゲンの品買えないかと、先輩からの問い合せを受けていた。その夢のことを暫く反芻し、その意味を理解しようと努めたが、もともとそんな夢に意味があろうはずがなかろうに。

六時前に弁当作りに入った。残りご飯で「チキンライス」を作り、それをオムライス風に仕上る。そんな弁当だが、今日は一つでいいのだ。

                          

菜の方は「茄子挟み揚げ」と、鶏肉・蒟蒻・大根・椎茸の煮物、自家製ギンダラ粕漬け焼きである。挽肉が余ったので、ピーマンに詰めて肉詰め揚げと、ポテトフライも追加となった。

                      

弁当が一つの時は、私の朝飯量が増える。これが悩みだ・・・。

                        

 

 

 

 

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年末繁忙

2016-12-19 | Weblog

12/19(月) 師走も半ばを過ぎて俄然と忙しくなってきた。とは云っても、昼間の仕事ではなく夜の部のことであるが。先週末の金曜日、「ちょっぷく」から始まった夜の部では、ワインを専ら飲んでいたら悪徳ちゃんから「今どこ? コールが」。結局、「ローカーボ」で落ち合うことになった。そこには、NAKAMURA大将のソフト関係の協会の役員が数名・・・。

その協会の理事長をみて『どこぞの不動産屋のオヤジみたいだな。マッチャンの商売相手じゃねぇか」などとうそぶいたのは、つい先日のことだったが。今夜の姿からは、そんな感じをうけなかった。

                             

そうこうする内にHOYA兄いが登場した。そこで、年明けからスタートする「オヤジの料理教室」の日程について確認。NAKAMURA&MATUOKAと云う半身(単身赴任の半分と云う意)生活の食生活向上と、オヤジ弁当の進化、メンバーの健全な交流と創造性の刺激を意図した企画である。

料理教室の師匠は神先生と云うが、白金台に教室を構える大先生である。随分前のことになるが、お米ギャラリーに置くご飯レシピ企画に参画して貰って以来、交流を願っている。オヤジの企画らしく、料理教室とお味見会&お酒までセットと目論んでいる。

ローカーボの後は「セイジュ」に寄るHOYA兄いと別れ、「ちょっぷく」に舞い戻る。先に店を出る際に「また来いよな」と、脅されていたのだ・・・。と、「先週の誕生日用に用意してあったんだが・・・」と、店長YAMAちゃんが、出し忘れていたと云うシャンパンと赤ワインを出してきた。これを口に運びながら、常連の助っ人隊と店長の競馬談義が・・・・。

                    

「明日も来いよ」と言われるが、オイラの方は『明日の午後は、今年最後のボート遊びさ。夜は、松山から後輩が上京するんで、渋谷だな』と、誘いを袖にした。客の姿が少なくなり、それまで競馬の録画から歌の時間へと流れてマイクがでる。こうして週末の夜は更け、最終電車の時間が迫ったのである。

終電乗り遅れを期待する向きは多かろうが、そうそう同じ轍は踏まないのが大人さ。此の夜は駅のホームで寝込むことも、乗り遅れることもなく帰った。時計は、25時を指していた・・・・。

そして土曜日、この日も朝から飯を作って食す。でも、ビールは控えた。午後は今年最後の舟遊びに行くのだ。それに備えて、心身・勝負方針と万端整えておかなくちゃ・・・・。と云う次第で、勇躍平和島「舟遊び場」へと向かったのである。勝って来るぞと勇ましく・・・・・(メロディーが聴こえるようだな)。

それがまあ~・・・、結果は先の大戦と同じさ。今年最後の遊びと云うことで、7レースから最終レースまでの6レースの予測をして行った。初めてのことながら。そうして挑んだのだが、なんとボート上に着いた時に7レース目がスタートしたのだ。五分遅かった。これが良くなかった・・・。

このレースの結果は、予想通りになったのだ。これを取っておけば後の展開が楽だったのだが・・・。参戦したレースは、ことごとく後一つが外れ・・・・。もう一歩のところまで来ているのに、勝利の女神はポロリ、ポロポロと・・・、昨夜のサッカーの試合のようなもんだ。

                          

11レース目だけは掴んだが、これじゃ焼け石に水だ。結果、この日も負け戦、トータルで5千円の出費。年間の収支バランスならトントンかな? 多分。奈加野のオヤジ風にいえば「大の大人が1日遊んで、一万や二万で済めば安いものだろう・・・」と、いうことです。

然し来年は、そうは許さん。勝利の方程式を確立し、連戦連勝、連勝街道を驀進だ 分析的に見る、データと感と運の三乗で勝利しよう

そんな午後を過ごし、渋谷へ。「奈加野」にて、愛媛県久万高原町から上京したKATUTA君と、同じ職場だったMASUDA先輩とKATUTAの朋輩TERASHIMA君の四人で懇談。KATUTAは胃の3/4を切ったそうだが、すっかり元気。酒の方も飲めるようになったとかで、生ビールと南二合を飲んだ。

最近の暮らしぶりや昔話に花が咲く。KATUTAは、久万高原は昨晩は雪が舞ったといい、折角買った畑は猪の襲来でどうにもならんとボヤく。気分はあの頃のままだが、俺たちが一緒に仕事をしてから三十年が経つ。組織や体制の変更で、少数精鋭?となりながらも業務範囲は減らしたくなかった。『死んでもやれよ、骨はひろってやる』そんなこと言って(今なら大変だな)檄を飛ばしたが、よく頑張ってくれたよ。よく遊びもしたが・・・・・。

散会し、オヤジに預けておいた魚(ギンダラ&鮭)を持って帰宅。魚が半解凍になった深夜、粕漬け用にギンダラを切り分けて漬けた。弁当用だが、上手く漬かるであろうか・・・。

そして日曜の午後、武蔵小金井のTUGAWAさん宅を訪問。今年の締めくくりを三人でやる。TUGAWA一族秘伝の「デラックス」と呼ぶ料理をHIROさんが作り、最近めきめきと料理の腕を上げた女史の「蕪とエビシンジョウの炊き合わせ」など、馳走になる。私は、台所を借用して「鮎飯」を炊いた。

                          

五時間弱の刻を喋り、聞き、話ておだやかに時が過ぎた。何時も落ちついた時間と、リラックスをさせてくれる。年末、得難いひとときを過ごさせてもらった。

一夜明けた今日、弁当作りが始まったのは6時半であった。

今日は、「ホタテ&イカ」のソテー、添える野菜は椎茸・シメジ・ピーマンである。そして、焼き魚は土曜日の深夜に漬けたギンダラと鮭を焼く。茄子と豚小間のオイスターソース炒め、ネギ入りの卵焼き、以上となった。

                         

二人分の弁当を用意したが・・・・・、長女から寝坊したと連絡が入る。仕事帰りに食べると云うことになった。この弁当で、今夜の飯は要らなくするのだろう。

                         

ガス台を一つ、中華鍋一つで料理した所為か、意外と時間を喰ってしまった。

 

今夜は悪徳不動産の事務所で、パトロール隊の「お鍋会」だとか。お尻に気をつけよう・・・・・。なんと言っても、炬燵がある事務所だからネ!因みに、風呂は有るがベットと蒲団はない。有るのはコンロ・鍋に寝袋だそうな

 

 

 

 

 

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ヒレカツ&椎茸カツ

2016-12-16 | Weblog

12/16(金) 早や週末を迎えた、今年も余すところ半月となった。昨夜は門限の22時に酒場を切りあげて帰宅。零時前には蒲団に入っていたので、今朝の目覚めは爽やか?かな・・・・。五時に目が覚めて、そこからもうひと寝入りした。

そのひと寝入りの一時間の間にみていた夢が・・・問題さ。なんと、税務調査が入っている夢だった。ああしろこうしろ、なにを準備しろなんてことを言っている夢だった。三年に一度入る税務調査が、未だきていない。例年なら三月にと、連絡が入るのだ。来年あたりに入るだろうと予測していたので、こんな夢を見たのかも。隠すものも、こともないのでどうってことはないが、時間を取られる。挙句にこの貧乏会社からでさえ、なにがしかの身代金を強請っていく。

徹底的に抵抗をしたい思いだが、それに取られる時間と労力を考えると、持って行かれるものの方が軽い。軟弱な男は、そんな天秤で計ってしまうのであった。

オイラも意外に思うかもしれないが、生真面目なところを持ち合わせている。間違っていれば素直に教えを乞う、正すべきところは正す。のだが、この件に関してはそうも思えないことが多いのだ。これまでの何度かの対応の結果のことだが・・・・。

本音はブチ切れて、「バカヤロウ~、そんな屁理屈を聞いてやってられるか。それなら店を閉めらぁ。」と啖呵を切って、店仕舞いをしてみたいのだが・・・・。現実となるとそうもイカンザキさ。会社となれば、我が身であって我が身でもない。憂さ晴らしに酒場で悪態をつくのが関の山よ。

さて、そんな夢のことは忘れて弁当だとばかりに、六時半から弁当作りとなった。今日は「豚ヒレ肉でトンカツ」、これがメインである。その前に、野菜煮の下拵えを済ます。揚げ物はそれからだ。

大根・人参・蒟蒻・牛蒡を下茹でし、椎茸と薄揚げを加えた煮物にする。出汁はこの前に採った一番だしの冷凍固形と酒・醤油・味醂で調整。チンゲン菜とスナッピ―を軽くソテーしてトンカツの添え物にする。魚は鮭を一切れ焼いた。

豚ヒレのカツを揚げる前に、椎茸カツを二枚揚げた。椎茸カツと云うのを初めて口にしてから、十七年か。それは、地球市民の会の現会長、佐藤さんのお宅(熊本・山都町、当時は蘇陽町)を訪ねた時であった。奥様が夕餉に出してくれたのだが、身の厚い椎茸の旨味が口中に広がり何枚も頂いた。その時の美味かった味は、未だ忘れられない。

                            

と云うことで、いい椎茸があると揚げ物ついでに作るようになった。今朝も、先日有楽町まで行って買った椎茸で作った。豚ヒレも、柔かな身で実に綺麗かつ美味そうな肉だ。流石に「日山」だけのことはある。

                         

 長女は夜勤明けで弁当は要らない。が、余るので家人にメールをさせて食べていくようにと連絡させた。勿論、私も炊き立てのご飯と一緒に朝飯で頂いた。実に美味かったねぇ~。処が、肝心の弁当の写真を撮るのを忘れていたとは・・・・・。

 

 ―前夜は・・・-

昨夜は先週の誕生日祝いと云うことで、当社のWEBニュース「ICT教育ニュース」編集長のTOKIOが、ローカーボで一杯奢るという。退社時間後に落ち合うことになっていた。処が、夕方になって地球市民の会・副会長のOONO氏から電話が入った。

「東京に来てますが、時間が空いたので電話しました」とのことだ。そう言われれば、時間を空けるしかないが、TOKIOとの先約がある。時間も早かったので、とりあえず人形町まで来てもらって、先ずは一献交わし、それから「ローカーボ」に向かうことにした。

待ち合わせたのは駅からすぐの「ちょっぷく」だが、客人を以前に誘ったいる。六時半頃に店に入ってチケットを買って待った。その間、この前に店長に差し上げた我が自慢の柚子酢を出して貰い、焼酎の湯割りに一二滴垂らして飲んだ。YAMAちゃん店長にも勧めると「いけるね!」と。

やってきたOONO氏も、ロック焼酎や生ビールに垂らして「これもいいですね」と言う。最近の佐賀の様子や、彼の事業、障がい者支援の学校のことなどを聞く。二人して「ローカーボ」に移動すると、OKIOが既に待っていた。

 言葉に甘えてバーボンウイスキーの「ワイルドターキー」を頂戴した。この夜は、仕事のことは殆ど話さない。話し始めると、ややこしくなる。それに客人も一緒だ。

そうこうすうるちに、マッチャンが姿をみせる。最後にNAKAMURA大将が妙齢の女性を同伴してきた。だんだんと会話が入り乱れ、盛り上がる。HOYA兄いが居なかったのは幸いだ。居るとどうなったことやら・・・・。来週の月曜日、マッチャンの事務所の炬燵で、鍋大会をすることになった。鍋奉行はオイラにだろうな。他の三人は、料理の方はダメらしい・・・(で、料理家の神先生に頼んで、オヤジの料理教室を年明けからスタートする予知)。

そして、一週間後には人形町パトロール隊の忘年会を若手の会員・準会員も加わり「ローカーボ」でやることになっている。変なオッサン・オヤジのグループに加わって飲みたいと云う若手(変人・奇人?ちょっと言い過ぎか)もいるのだ。

あれやこれやで、今年の夜の部は粗埋まった。先ずはメデタシ!

飲み会の〆は22時すぎ、帰宅は23時前と順調であった。だのに、今朝の夢とはね・・・・。

 

 

 

 

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酔態&悪態

2016-12-15 | Weblog

12/15(木) 今朝の起床は昨日と大違い、なんと七時前。それも家人に起こされてのことであった。前夜の反芻・反省をする間もなく台所に向かった。予定では「豚ヒレのトンカツ」のはずだが、時間を考えると?長女が取に寄る時刻から逆算すると厳しかった。前夜の酒精も抜けきっていないようで体が重い・・・。

飯の方は弁当二つ分だけようよう残っていた。が、こっちの方は「ホタテご飯」を土鍋で炊くことを決断した(ちょいとオーバーな言い方だが)。肝心の菜の方は、手早に出来るものにする。時間がないのだ。

豚バラ肉とチンゲン菜・シメジの炒め物、牛小間炒め、ギンダラの粕漬け焼、卵焼きは炒り卵風にして時間を短縮。尤も手間だったのは「ホタテご飯」の仕度だった。人参・薄揚げ・牛蒡を千切りにし、米を洗いと手間を要した。その挙句、炊きあがってからの蒸らしで長女の弁当には間に合わず、家人はこれを弁当にするのを嫌がった。

                         

折角の「ホタテ飯」は、私の朝飯となっただけ。とは云いながら、晩御飯で誰かが食べるだろう、と期待する。

                     

 

昨夜の帰宅は午前様、22時切り上げを大幅に過ぎた飲みとなった。と云うのも、昨夜は初めて飲む相手と一緒だった。相手は町内組の某社の社長。私よりは相当若いが、先代から社長を引き継いだのは32歳だったとか。だから社長歴は私よりも長い。長いだけでなく企業規模も大きく、新ビジネスの展開も着々進んでいる。

彼はYさんと云う名で、本社工場は福井県三国にあるそうだ。三国と云えば、今は越前カニのシーズン。そのことを話すと、「そうなんですよ、このシーズンになると工場視察がやたら多くなり、お目当てはカニなんですよ。その接待費に、もう200万は掛かっています」と、半ば諦め顔。

そんな話を聞き、メインビジネスとして展開中の”香り”商品のことなどを聞きながら焼酎やハイボールなどを飲んだ次第。Yさんを紹介してくれたのが、悪徳マッチャンだが、彼はこの夜最後まで姿をみせなかった。どっかにずらかったのか、しけこんでいたのかな?

Y氏は香りをベースにして様々な商品群を揃えている。そこで私が言ったのは『柚子の香りを使った商品はできないのかな?』と訊くと、「面白いかもしれませんね」と返ってきた。恋う、ご期待だ。

そのY氏が、カレンダーを届けてくれたのが不在中の昨日の午後。御礼のメールと、時間が有れば一献如何かと誘い、昨夜の席となった次第。

「高松」からスタートし「ローカーボ」へ。ここにHOYA兄いが姿を現し、一緒に飲み始めた。ローカーボから「ちょっぷく」と、何時ものコースだ。勢いがついてカラオケと云うことになって「SEIJU]に向かった。処が処が、セイジュのカウンターもBOXも一杯。珍しく立て込んでいた。ここで反省すべき〝悪態〟をついてしまった。

                            

余りにも楽しげに飲み騒いでいたカウンターの団体に「『何時までダラダラやってんだよ!早く席を空けろよ!』と、酔態・悪態をついたのであった。あっけにとられていたが、年配のご婦人が「私達まだ20分しかたってないのよ」と応えた。ということなら『そうか、じゃあしようねェな』と、店を後にした次第。

セイジュは、飲んで唄って一時間2000円の張り紙をしている。それが頭に在るので、混んでいる時は(滅多にないが)早目に交替しようね、というのが趣旨なんだが・・・・。拙いことに、俺たちが去ってから、ママさんが席が空いたと「ちょっぷく」まで呼びに来てくれたそうだ。これは、今朝のYAMAちゃんの話だ。

我等はそこから、甘酒横丁にあるY氏が知っていると云うスナックへと流れた。其処も混んでいたが・・・。

然し、これはイカンザキだった。楽しく飲んでいる処へ行って、お前ら早くでろとは・・・。酷い奴だと反省してます。それに店にとっちゃ営業妨害だ。大変申し訳ない 。

だんだんと辛抱が効かなくなるね、切れやすい老人が多くなっているそうだが・・・・。脳味噌と包丁の切れがいいのは、いいことだが、酒飲んでキレるようじゃ修行のやり直しだな。無論、酒のだよ! 反省足りてないな・・・・。

 蒲団の中では時間がなかった。電車の中で昨夜の反省しながら、築地市場へと。今日は鮭とギンダラを贖った。勿論弁当用だが、ギンダラは粕漬けにしようと云う魂胆さ。奈加野のオヤジと落ち合ったが、前夜眠れなかったそうでしょぼくれていた。『すっかりお爺さんだね、オジイサン』冷やかしたが、反論の元気もなく、そくさくと帰って行った。私が買った鮭とギンダラも持って・・・・すみませんね、魚を持って貰って。このために、オヤジが来る日に私も行くのだ。 

                             

オヤジと別れ、「愛養」で旨いコヒーを飲んでから出社となった。愛養のカウンターの中に居る小母さんが変わっていた。ちょっと若返っていた。

 

 

 

 

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目覚めれば深夜・・・

2016-12-14 | Weblog

12/14(水) 目が覚めた時はカーテン越しに薄く白けた気配を感じた。そのまま今日の弁当メニューや、昨夜あった剣道部忘年会で交わした会話のことなど反芻していた。起きるのが遅くなっちゃまずいと、時計を見た。なんと、3時20分を指していたのだ。

目覚める前、夢をみていた。それほど悪い夢じゃない。が、有り得ない内容の夢だった。そんな夢の中身は省略するしかない。

三時すぎじゃ行動を起こすにしても幾らなんでも早い、それほど勤勉じゃないのだ。夢のつづきはうっちゃって、昨晩のことを思いおこして時間の過ぎるのを待った。

昨夕、サラリーマン時代の最後を過ごした会社の、剣道部が主催する全国大会開催慰労兼会忘年会と云う会があった。なにもせんが、OBの端くれということで案内を貰った。全国大会と云うのは、N社グル―プの剣道大会のことで、毎年秋に各社の持ち回りで開催されており、今年の主管だった。肝心の大会当日は、私は郷里に居たのだが。

大会会長は主管会社の社長が務めることになっている。そんなことで、この慰労会には社長や副社長、部員の所属する上長・幹部も出席してくれた。大会で活躍した部員の紹介があったりし、労いと和気あいあいの夕べとなった。顔馴染のメンバーとの懇談、初見の幹部と名刺交換や挨拶と我がビジネス上でも意味があった。

                          

                          個人戦の部入賞の選手達

私がこの会社を去って十五年となる。当時主査だった若手が、部長や副本部長に、部長だったものは副社長にまでなっている。年月の早やさ、重さを実感する。そんな面々と話をしていると、ついつい当時の気分で気安くなるが・・・。

ある部長が「幾つになれましたか?」と訊く、一番苦手な質問だ。『俺に齢を訊くなよ、それほど立派に歩んできたわけじゃないんだ。恥ずかしいだろう』と、応えたが、本音だ。年相応のことをしてきたなら兎も角、流されるままに生きてきたんだから・・・・。

そんなことを思い浮かべているうちに五時になった。そろそろ弁当に取り掛かってもいい頃だ・・・。

 

今日の弁当は「ホタテ貝柱のフライ」にした。ホタテは札幌の友人T女史が送ってくれたものだが、例年この季節に届けて下さる。申し訳ないと思いつつ、有りがたく頂戴している。

その極上のホタテと、牛蒡を揚げた。煮物は「肉じゃが」にした。焼き物は自家製「ワラサ粕漬け」、ホウレンソウと椎茸をソテーする。酢物は、胡瓜と若布。フライ用のパン粉・メリケン粉の余でチジミにする。以上であった。

                        

今日は弁当二つ、それでも菜は余る。ご飯が見えないほど菜が載った弁当と云うのも如何なものか?。余った菜で朝飯を食す、肥満の元だが・・・・。

                         

 

 

 

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