オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

期末・大詰め・土壇場・・・

2016-07-29 | Weblog

7/29(金) 今日は七月最後の平日。と云うことは、実質今日で当社の32期が終わる。年末でいえば大晦日、年度でいえば3/31と云うことになる。今期の業績や如何に、結果は如何かと、問いたいであろうが、そんな無粋な話は止そう。何があろうとも心穏やかに過ごす、数字のことは水に流そうじゃねえか。週が明ければ新たなスタートが始まるのだ。未来を、先をみて生きようではないか・・・・・。明日と云う字は、明るい日と書くのだから。

とまあ、朝っぱらからバカなことを記している次第だが。これから、来期に向けた厳しいミーティングが始まるのだ・・・・。今夕は、打ち上げと暑気払いを兼ねた「乞食の宴会」をやる。ミーテイングが荒れると飲み会に影響するかな?

 

昨夜の帰宅は21時30分と超早だった。「奈加野」にて、HIROさんと早大のHANADA教授を囲んでの懇談であった。HANAOKA女史も加わり、春に会った沖縄・佐喜眞義肢の社長・佐喜眞 保さんとの出会いや、氏の並々ならぬ探究心について聞いた。

                             

佐喜眞さんが開発した、変形性膝関節症の装具「CBブレース」の絶大な効果、これを広める上での課題、所謂業界の壁についてなど自らがポリオ障害を持つ立場からの話は説得がある。また、HIROさんの書いた佐喜眞さんの記事「生まれてきてよかった」について、これまで数多のマスコミに取り上げられているが、秀逸であるとお褒め頂いた。

更に、日本に新のジャーナリストを育てるプロジェクト、「ワセダ クロニクル」の立ち上げについて、専門的な立場からその重要性を話されたが、。課題は、資金集めとのことだ。

そんな真面目な話を三時間弱に渡って聴き、訊いた。束の間なれど、時には真面目オヤジに戻るのであった。

帰りに、渋谷駅地下で弁当用にと「牛ロースステーキ肉」を贖った。家族思いだねぇ~(そうじゃねえよ、弁当思いなのだ)。

蒲団に入ったのは23時頃であったろう、目覚めると深夜の三時だ。眠れぬままに時を過ごし、五時過ぎから弁当作りを始めるしかなかった。

                          

「牛ロース」の他は、「ジャーマンポテト」「オムレツ」「鯖文化干し」と、云うことになった。早々と弁当が出来上がった。

                            

 

昨日、ライターの橋本氏から「古賀武夫伝」の二稿が届いた。が、未だ目を通せてない。今週末にゆっくりと読ませてもらうつもりだ。文字数は、初稿の28万文字ら20万文字にまで磨いてある。これだけでも、氏の苦労が忍ばれる。「ありがとうございます」と、この場でも伝えたい。

 

 

 

 

 

 

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盆踊り

2016-07-28 | Weblog

7/28(木) 昨晩の退社後、堀留公園の脇を通ると東京音頭が流れてきた。その音に誘われて公園に入ると、広場に櫓が組まれてその周りを盆踊りをするまばらな人垣が出来ていた。この町内でも季節になると夏祭り宜しく、盆踊りが始まり町会の屋台が出る。週末の金曜日には生ビールが振舞われるはずだ。 

                    

                       このノッタリ感がレトロだ!

東京音頭から炭坑節と、盆踊りの音楽が昔と変わらぬように、踊りの方も同じだ。そんな風景を見ながら中華料理「三浦」へと足を運んだ。三浦にはマッチャンが先行しているのだ。久々の「三浦」だったが、相変わらずの繁盛ぶりだ。カウンターに席をとり、ハイボール・紹興酒を飲む。肝心のラーメンは控えた・・・。 

                           

「三浦」の大将は、若い者が辞めたとかで大忙し。それでも「気を使わぬだけやり易い」と、強気だった。

「三浦」から「ローカーボ」へと移動し、ハイボールを頂く。HOYA兄いは、マッチャンとの昼酒が効きすぎたのか、帰ったとのこと。されど、ローカーボのカウンターは常連客ばかりで、飽きない。

                   

そんな中へ、RYOKO姫が少し酔った様子で現れた。彼女は以前、この店のカウンターの中でバイトをしていたことがある。本業はベリーダンサーで、トルコ料理店で踊っていたそうだが・・・。そこら辺りはマッチャンが詳しい。

                         

                           撮ったのはマッチャン

すっかり酔って、23時過ぎに店を後にした。「ちょっぷく」を覗くと、店仕舞いを終わって帰り支度をしていた。それじゃまたな、と店を出て腹が減っているのに気付く。ザルかモリを食したい気分だが…、開いているのは人形町交差点の角に在る「富士そば」だけだ。選択肢はここしかない。四百円(?)のトロロ蕎麦を喰ってしまった。釣りの五百円玉を手にして、今日は四枚目をゲットしたと喜ぶ。今月の五百円玉投入数は百枚を超えた、快調に溜め込んでる  。

帰宅は24時半頃になってしまった。

目覚めると、七時前。直前まで夢をみていた。面白くもない夢で、なんであんな夢をみているのか判んない  。

大急ぎで弁当だが、慌てもせず悠然と台所へ。予定では「オムスビ」のはずだが。先ずは鍋で米を炊く(電気釜では間に合わぬのだ)。鮭とタラコを焼き、ゆで卵だ。ここまではオムスビのコースだが・・・・。

途中から弁当箱を使うコースとの両面建てになった。「チンジャオロース」を作り、小松菜&平豆の胡麻炒め、ハムの卵炒めを作ってしまった。

                           

 

結局、オムスビは自分で食し、家人と長女は弁当になった。

                                     

 

 

 

 

 

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オムライス

2016-07-27 | Weblog

7/27(水) 連夜、真夜中に目覚めていた所為か、今朝は七時前まで寝てしまった。が、お陰でスッキリとした朝を迎えることができた。弁当の方は、残り飯があったので「オムライス」にしようと、昨晩から決めていた。そんなことで、遅いスタートながら取っ掛りは早い。

時間も押しているので、出来合の「鶏揚げ」と「塩秋刀魚焼き」に、野菜を素揚げ(オクラ・ズッキーニ・シシトウ・ニンジン)し九条ネギドレッシング和え。以上が菜であった。先ずはチキンライスだが、鶏を小口切りに、タマネギ・ピーマン・人参を刻んで炒める。単純な作業だが、これが大事だ。味付けは、塩胡椒・ウスターソース・ケチャップ。鶏の臭み消しにニンニクを一欠けら使った。

                          

チキンライスに乗せる卵を焼いていると長女が現れた。大急ぎで仕上となった。本当はチキンライスを卵で巻きたいのだが、小さな弁当箱じゃぁ難しいのだ。オイラには!

                           

 

昨夜のパトロール出動は20時を回っていた。事務所で資料を見ていると悪徳チャンから電話が入った。曰く「メンバーは”こま吉”に集合してます」と、たったそれだけ。呼び出しがあったんじゃ行かざるを得ない・・・。暫くして重い腰を上げた。

何時もの三人が、雁首を揃えていた。私が入って四人、これで席のバランスがよくなった。例の如く、ここではホッピーである。珍しく摘みに煮豚を貰ったが、これを辛子で頂いたら絶品だった。

                             

NAKAさんは仕事があると、一足先に帰った。我等は「ローカーボ」へと移動し、ハイボールとなった。マッチャンが、仕事の入金が小切手だったとボヤク。「入金があるだけでも結構なことさ。その金で奢れよ!」と、HOYA兄いと迫る。何処で飲もうが、オヤジ達の会話は他愛なく可愛いのだ。

                             

ローカーボから「ちょっぷく」へと流れると、前夜に青マンゴーを届けに来た客が帰るところだった。『牛小間のマンゴー炒めを作るぜ』と、YAMAちゃんに宣言してあったので、どうやらそれを期待してたようだ。『残念ながらあれはダメだったよ。いろいろ調べたら、使い道はサラダとかジュースぐらいのようだ』と伝えた。

白ワインを飲みながら、スマホから流れる(YAMAちゃんが)演歌に合わせて唄って遊んだ(仕事しろよ!)。大きな薩摩芋をレンジで蒸かしたのが出てきた。「蒸かしすぎて固いな~」と言いながらYAMAちゃんが芋を喰う。『屁すんなよ』と云った先から「アレ屁が出た!」とはYAMAちゃん。分かり易い男なのだ・・・・。

                       

                             笑顔のHOYA兄い       芋とワイン

そんなことで、23時10分過ぎにメトロに乗り  、帰り着いたのは零時前だろう。CDから流れる「ジェットストリーム」の城達也の渋く落ち着いた語りと音楽を聴くうちに眠ったようだ・・・・。そして目覚めると七時前、と云う次第だ。

 

 

 

 

 

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靑マンゴー

2016-07-26 | Weblog

7/26(火) 昨夜の帰宅は22:30と早かった。会社を出たのは19:20頃だったか、帰り道の最初に在る「こま吉」を覗くと顔見知りの姿がない。素通りして、20m先の「ローカーボ」に入った。ここは19時オープンなので、未だ客の姿はなかった。

何時もの端の椅子に腰を下ろし、ハイボールを頼む。ここでは専らハイボールなのだ。夏本番となり暑くなると、フローズンダイキリやギムレットを飲む機会が増えるが、今はまだハイボールでとおしている。暫くすると、前夜に佐賀から戻ったというNAKAMURA大将が同業の理事長なる方と姿を見せた。NAKAさんは、佐賀~東京をひっきりなしの往復で活躍している。半ボケオヤジとしては、敬服するばかりである。

                           

ここのところ、店によって飲む酒が固定しつつある。「こま吉」ではホッピー、「高松」は金魚ソーダ―、「ちょっぷく」では白ワインと・・・・。この夜の「ちょっぷく」でも、やっぱ白ワインとなった。

「ちょっぷく」も客の入りは四分と静かであった。白ワインを啜っていると、常連らしき男が現れて、店長に何やら渡してボソボソと説明をしていた。見ると「青いマンゴー」だった。YAMAちゃんは聞いたとおりにマンゴーの皮を剥いてスライスした。「これでいいんかな?砂糖と唐辛子をまぶして喰うそうだ」「タイのマンゴーだって」と、それを廻してきた。

                         

靑マンゴーなので野菜として食すのかな? スライスしたやつをそのまま齧って見ると、仄かに甘い味がした。砂糖と唐辛子をまぶして喰ってみたが・・・? 。いまいちの味であった。べトナム人のバイト君が、何やら説明しているが店長は  こんな感じだ。ベトナムでも青いマンゴーを食べるようだ。

沢山あったので『俺が弁当の菜に、牛小間と炒めてみるよ』と貰って帰った。が、青いパパイヤを使った料理は聞くが、マンゴーも同じようなものだろうと、レシピを調べもしなかった。

今朝の弁当は「カツ煮」と、「牛小間と青マンゴー炒め」がメインとなったが・・・・。青マンゴーをスライスし、アスパラ・ピーマンと一緒に牛小間と炒め、塩胡椒で味付けした。で、お味の方は?

                              

                  大きさは卵二個分か    一個だけスライス

これがちっとも美味しく感じない、スライスより千切りの方が良かったかな?一部は、水で晒してキャベツ・レタスのサラダにしたが、やっぱマンゴーを上手く活かせない。失敗作だぜ~、レシピを調べて作ればよかったと反省  。鮭を焼き、茄子味噌炒めを作って今日の弁当が完成となった。

                          

 

昨夜も、24時前に蒲団に入った。朝までぐっすりのつもりが…夜中三時に目が覚めた。見ていた夢が良くなかったかな・・・、それから眠れず。ラジオやCD聴き、眠ろうとスタンドの灯りを消しても駄目。カーテン越しに夜明けの薄明を感じながら睡魔を待つも、眠りの訪れはなかった。

痺れを切らし、五時半から弁当作りとなった・・・・。今になって、睡魔が・・・・・。

 

 

 

 

 

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OYAJIの遊び・・・

2016-07-25 | Weblog

7/25(月) 今日も涼しいぐらいの朝を迎え、快調に弁当作りに励んだ。ゴルフを止めてから久しい。銀座や六本木と、夜の巷を彷徨う遊びから遠のいてひと昔だ。唯一の遊びがこの弁当作りと云う次第だったが・・・・・。処が最近、新たな遊びが、ささやかな遊びが始まった。

一つは、会社が在る人形町の居酒屋の活性化を担い、地域の消費経済に些かの貢献をしようと云う趣旨の「人形町パトロール隊」と名付けた、オヤジ達との飲み会。こっちの方は、順調に梯子酒活動をしている。先週末などは、土曜日までパトロールをしてしまった。

その土曜日、この週半ばにランチを馳走になったお返しと、悪徳マッチャンを誘って渋谷へ出向いた。行く先は勿論、宇田川町の「奈加野」である。マッチャンが田舎者宜しく「うわ~渋谷は人が多い、変わったネ」と、喜んでるのか迷惑がってんのか?

店は暇で、オヤジが傍らに来てオイラの伊佐美を飲みやがる。被っていたハット(YAMAちゃん店長から巻き上げたやつだ)を被って「似合うか」と、遊ぶ。そんな処にHOYA兄いから電話が入った。今、「ちょっぷく」で唄ってるんだ~と。

                           

「奈加野」から、予約をしてあった元缶詰BARの「ルツール」へと移動した。さっきまでの焼酎から、今度はハイボール。先客は一人、この兄いが懐かしいヘネシーのボトルを置いて飲んでいた。何となく話の接ぎ穂ができたので『そのヘネシー、一杯奢れよ』と、粉掛けた。が、駄目ですよと乗ってこない。仕方なぇ、手前の財布で飲んだ。久しぶりに飲むヘネシーだった。旨いが、ちょっと甘く感じる。そう云えば、ヘネシーを止めたのは、この甘さを気にするようになったからだ。

遅れて入って来た姐さんが隣に腰を下ろした。話をすると同業だった。挙句に、ネットサイトのPVが伸びない、広告の入りがよくない。と、オイラと同じ悩みを抱えているじゃねえか・・・。同病相憐れむ、いい言葉だね~。そんな話ばかりしてちゃ、マッチャンがつまらない。そう思い、保谷兄いが居る人形町「ちょっぷく」に行くことにした。

人形町に舞い戻ったのは、午後十時前であったろう。店を閉めた店内では、YAMAちゃん店長・チーフのヨッチャン、助っ人隊ミムラッチとHOYA兄いがマイク合戦の最中だった。黙って座れば、黙って白ワインが出る・・・・。ここまで来るには・・・・だよ。YAMAちゃんが大張り切り、ミムラッチも唄う、ヨッチャンはデュエットだ。マッチャンまでマイクを持ったよ・・・。

                  

途中から帽子を被っての熱唱、ハット合戦になっていた。YAMAちゃんが「夜明けのブルース」を唄い“ここは人形町~粋な店長の夜明けのブル~ス~”なんて悦に入って替え歌を!

                  

 

こんな具合に散々遊び、最後の店は「こま吉」へとなった。ここではホッピー。ここの店長の中学の同級生オバタリアン四人組が、遅い時間ながら頑張っていた。日本橋七中だとかの金箔押しの卒業アルバムを見せられ、中学時代の話をする。が「それって、三十数年も前のことでしょう!」聞きたかねぇよ  酔っ払ってるし!。ヘロヘロになって零時直前に店を後にした。シンデレラの馬車が出るのだ・・・・。

                            

てなこんで、終電車を乗りついでの帰宅だが。なんと、またしても学大でラーマンを喰っちまった。これって、酔ってるてことなんだよ! 。駅員には「お客さん、これで終電ですが、乗らないんですか」って、親切にも起こされるし。この前は起こしてくれなかったぜ・・・  (この色は、飲み始めの俺の顔色だ)

                            

 

もう一つの遊びは、月に一・二度だが「ボート遊び」と云う大人のお遊びだ。これは、何時も行く「奈加野」のオヤジが、日曜日の午後のひと時を過ごす場で、其処が学生時代にアルバイトで警備員をやったことがある平和島だった。そんなこともあり今年になってから、日曜日にレースが開催される時にだけオヤジに同伴させて貰う。

で、昨日の日曜日の午後はレースがあった平和島に居た。夏になってレースの開催時間が遅くなり、一時前に平和島に着くと、未だ二レース目が始まる処だった。こっちは真剣に勝負をする気もないし、持ち金も知れている。精々五・六レースもやればいいのだが、昨日は三レース目から最終十二レースまで、十レースも遊んでしまった。

                      

最初の三レースは芽が出ず、今日も駄目かと思ったが、その次、次を取ることが出来た。とはいっても、掛け金が知れているので・・・・。結局、四勝六敗と云う結果で、持ち金は少し増えただけ。レース途中、何時ものように拙い串カツで生ビールを飲み、休日の午後を満喫した。

 

最後に、一番長く楽しんでいる「弁当」の報告を。近頃は、作る菜のパターンが決まって来ると言う弊害が・・・。せめて作るから、創るの方に移行したいんだが・・・。ここは、料理家のJIN先生の教室を早くスタートして、技を磨くのが一番だ。

今朝は、「牛小間煮」「掻揚げ」「ピーマン肉詰め」「鯖焼き」「卵焼き」、以上だった。たったこれだけ、使った材料は牛小間150g、オクラ・タマネギ・シシトウ、ピーマン・挽肉、人参・牛蒡・小エビ・卵、鯖文化干し一切れ、天麩羅粉、油、塩胡椒・塩・味醂・出汁、そんな処です。

                       

 

今夜のパトロールは「こま吉」からのスタートかな・・・・、でも早目に切り上げるよ。サイフと体の健康についても考えなくちゃネ!そう若くはないんだから。では、行ってきます

 

 

 

 

 

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たった六杯で・・・

2016-07-23 | Weblog

7/23(土) 今日もすっきりとしない空模様。土曜日なのでゆっくり眠ろうと思っていたが、目が覚めたのは夜中の三時。それから六時半まで眠れずに過ごした。漸く二時間ほど眠り、八時半から朝食。前夜、家人に朝食を作る旨、宣言してあったので「サラダ」「ゆで卵」「オムレツ&ハム」「野菜炒め」を用意した。

トースト一枚、これにTOKIOさん自家製のブルーベリージャムを塗って頂いた。ジャムはきび砂糖を使った新作だそうだが、甘さも程々で美味しかった。缶ビールを一本、朝食のお供にした。

昨夜は、新宿駅前の居酒屋にて「八丈会」の飲み会。メンバー五人が勢揃いし、近況などを語りながらの懇談。会費五千円で、飲み放題つきなのだ。とはいいながら、そうそう飲めるもんでもない。コース料理が付いているので、お腹が一杯なる。となれば、余計に飲めなくなる。食べると飲めない、損な体質なのだ。

                             

大した料理が有る分けじゃないが、ちょぼちょぼ出てくるので腹が張る。が、自分の分はしっかりと腹に収めた。

会の幹事役、KAWASHIMAさんは五月の初旬に早期がんで腹腔手術をしたが、至って元気。酒もタバコも、食べる方も衰え知らず。「ナニの方も止めないんだろう」とチャカされていたが、前々夜から二日連続で歌舞伎町のチャイナクラブに遊んだそうなので、ムべなるかなだ。

結局、秋の八丈島行は見送りとなり、来春の新年会で改めて決めようとなった。『おいおい、それじゃ鬼が笑うぜ』だが・・・。

八時半に会がお開きになり、渋谷に立ち寄るか否か迷った。何しろお腹がいっぱいで、これ以上飲みたくない気分。生ビール一杯と、ジンビームのハイボールを五杯か六杯。幕末に、「蒸気船たった三杯で夜も眠れず」て言う川柳が流行ったそうだが、こっちは『たった六杯で次に臨めず』てぇこった。

帰宅は21時30分前と、超早だった。こんな日があってもいいだろう・・・・。その分、今夜は渋谷で充電だ。まさか、人形町へ戻ることはあるまい。

 

 ― 余 談 ―

地球市民の会を創った、故・古賀武夫さんの伝記本、出版企画のことは何度か記した。その原稿、二稿が間もなく上がると、ライターのHASHIMOTOさんからの電話で判った。膨大な量の初稿を絞るようにお願いしたのが春先だった。この分なら、秋には出版の運びとなりそうだ。

HASHIMOTOさんは数年前に胃を全摘、それから腸閉塞に悩まされている。食べれないので、栄養失調と医者から言われたとのこと。そんな話を聴き、『代われるものなら代わってやりたいね』と冗談を言ったが、長期に亘る取材~執筆であり、氏の体調が気掛かりだった。急かしてはいかんと、氏からの連絡を待っていたのだ。以心伝心と云う訳だ。

HASHIMOTOさんの体調快復と、出版のお祝いを一緒にやりたいものだ・・・・。

 ― 記憶障害 -

昼過ぎ、銀行に寄って今夜の軍資金を整えた(勿論、小額さ)。その際に、残高を確認すると記憶している数字より多い額が表示された。一瞬、嬉しくなったが合点がいかない。会社に戻って、ネットで再確認をした。

すると、CD機に表示されたのと同じ数字であった。嬉しいような合点がいかないような半端な気分で、最近の出し入れを見た。見ていると、六月半ばに纏まった額が引き出されているじゃねえか? ??となった。どう考えても記憶にない。手帳も見て確認するが、なにも書いてない。

おかしいな?変だな?銀行のミスか?或いは暗証番号を盗まれたか?、謎が解けない。日にちは、6月14日だ。帰省の前日だが、それほどの纏まった金は要らない・・・・。

何時も一緒にランチ&コ―ヒータイムを取るYOSHIOが出勤している。CD機は、そのコーヒータイムのベローチェに行く手前に在るのだ。YOSHIOはオイラの行動監視人でもある。彼に訊いてみるか・・・・。

てぇことで、タバコを吸いながら訊いた。『俺の口座から、六月半ばに纏まった銭が消えたが、心当たりはないか?』と。

と、「知ってるよ、税金だかなんだか払うと言って、引き出して郵便局の方へ行ったじゃない。一括で払うのは止したらって言ったじゃ!」と、即答だった。『そうか、そうだったな。都・区民税の個人払い分だったか』『しかし、お前さんはよく覚えてるね。他人の銭のことながらも、偉い!』。

持つべきものは、財布のことを熟知している友だね! 然し、おれは本格的なボケだぜ。この前、悪徳ちゃんから「記憶障害」ていう、有難い忠告の書き込みを頂戴したが、惚けも障害だもんな・・・・。参ったネ!

 

 

 

 

 

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茄子に…ハサムニダ

2016-07-22 | Weblog

7/22(金) 昨日から天候が悪くなり、その所為か朝方には寒く感じるほど。梅雨時期の気候の典型だ。その寒い朝の弁当作りは、五時半過ぎから始まった。昨夜は地元で用があり、人形町パトロールはお休みとなった。アルコール摂取量が少なかったので早起きできたのか、五時前には目覚めた。

弁当メニューを何にするか、暫し蒲団の中で考えた。漸く纏まったのが「茄子の挽肉挟み揚げ」だった。挟み揚げとなって思い出したのは、NAKMAURA大将の「パンにハムハサムニダ」のコウリャン合言葉だった。「茄子に挽肉ハサムニダ」そんなことを呟きながら、挽肉・タマネギ微塵切り・パン粉などを混ぜたのであった。

                             

鶏肉と大根・人参・オクラなどの旨煮、小松菜の卵炒め、マカロニ&胡瓜・山根木・ゆで卵のサラダそんなものを作りながら、豚バラ肉を解凍してアスパラ巻きの準備に入った。電子レンジが止まり、豚肉を取ろうとすると・・・・。なんと、解凍の心算がレンジの方のボタンを押していた。豚バラはすっかり煮上がっていた。

                            

アスパラ巻きを諦めて、豚バラとアスパラの炒め物となった。呆けてるね~、二三日前の書き込みで「記憶障害」と、悪徳マッチャンに指摘されたが、それも惚けがなせる技かも・・・・。

揚げ物、煮物、炒め物にサラダ風と、一応はバラエティに富んだ弁当のつもりだが、如何であろうか。茄子に…ハサムニダは、美味かったよ。茄子の身のふんわり感と挽肉の食感がマッチしていた。それに、油の温度を低めにしたのが良かったかな? サラダも良かった! 自画自賛だ  。

                             

 ― 余 談 ―

ここで、チョット皆さんが知らないであろう川魚(肴でもある)を紹介します。その名は「みみなし」と我が故郷の地方では呼びますが、川底を遡ってくるハゼのような体形の魚です。が、鱗はなく表面には少しぬめりが有り、頭の下の吸盤で石・岩に張りつくようにして川底を渡ります。

ゴリと呼ばれる川魚(我が方ではチチブと呼ぶ)がいますが、これともかなりちがいます。「みみなし」の表面は虎のように黄色ぽくて、黒い縞があります。写真の「みみなし」は、今月の初旬の大水で下ったものを、河口近くでKATUOがヤスで突き、それを素焼きして、煮付けたものです。昔はもっと大きなものがいましたが、写真のものは5~10cm程度の大きさです。

                             

                            「ミミナシの煮付」

この「みみなし」の煮付が肴としては最高!先月の帰省でそんな話をしたら、KATUOが獲って煮付けてあった、と云う次第。酒・生姜・砂糖・醤油で煮付けたんだろう?が、久々の味を堪能。ついでに、『子持ちになったらまた頼むよ。鰻もな!』と、言ったが・・・・・。

洪水になると、魚は河口や海まで流される。が、また遡上してきます。海の魚の餌にもなるでしょうが、そんなことを繰り返して成長するのでしょう。これから、子持ちになります。洪水なると一斉に下りますので、頃合いの増水であれば大きな玉網を持って川に入り、「鮎」や「みみなし」を掬うのが夏から秋の風物詩でした・・・・、近年の洪水は鉄砲水のような大暴れで、玉網を持って掬いに出る機会は少ないようです。

 

 そうだ、今夜は新宿にて「八丈会」がある。八丈島にて遊ぶのが趣旨のオヤジどもの会。今秋には八丈島行の話になるかも・・・・・。帰りは渋谷辺りで沈没するであろう。パトロールは連続して棄権だな(渋谷へおいで!九時ごろには渋谷に居るはず)。

 

 

 

 

 

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初勝利

2016-07-21 | Weblog

7/21(木) 昨夕、OB会の理事会後の懇談中にメールが入った。なんと、某省の入札コンペに出した企画が通ったとの連絡であった。この春から官公庁の入札案件に応募するようにオーダーをしていた。応札して何件目になるか?多分数件程度のはずだが、結果が出たようだ。

金額の嵩は知れているが、公開の入札案件を取れたということが、先ずは大事。成功事例が生まれると、勝ち方が分かるようになる。勝利の方程式が生まれはずである。当社の32期が終わるにあたり。次の期に向けて仕事の大幅な見直しをオーダしたばかり。

『達成感のある仕事を、顧客と共有・共感ができる仕事にしよう』そんなことを伝えてきたつもりだが、中々そこに行けない。『やらされ仕事は、もう止めようぜ。自分たちの価値を高め、納得のいく仕事を。顧客のビジネスに貢献できる仕事創ろう』と、云っているのだが・・・・。そう云う中で、自らが企画し、参加した案件を受注できると云うことは、何ものにも代えがたい。

と云うことや、TOKIOさんの誕生日祝いで、昨夜も「ローカーボ」で祝い酒となったのだ。OB会理事会後の二次会で品川の路地裏で飲む予定を切りあげて人形町に戻り「、ローカーボのカウンターに陣取ったのは20時過ぎ。程なくしてTOKIOさんが姿を見せ、お祝いの乾杯をした。更に遅れて、今回の入札案件の立役者AOKIが姿を見せたのだ。

                           

メールと電話では「オメデトウ」を伝えてあったが、張本人が姿を見せるとは、これ如何にだ! 通りかかって店内を覗き、我等の姿を見付けたとのことだった。そんな次第で、気分よく飲んでいるとパトロール隊の三人、HOYA兄い、NAKAMURA御大、悪徳家が揃い踏みで登場した。どうやら俺たちは、ローカーボが屯所のようだ・・・・。

そんなことで、すっかり酔ってのご帰還だ。挙句、飯は喰わなかったが、エアコンを入れたままで寝ていた。朝方、寒さに起こされた。

で、今朝の弁当は「鶏唐揚げ」「茄子味噌炒め」「鮭・タラコ・メカジキの焼き物」「小松菜とオクラの胡麻和え」、卵はスクランブルとした。

                          

 

今夕は地元・学芸大学にて所用あり。と云うことで、パトロールはお休みを頂きます。後は宜しく!

 

 

 

 

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連休明けパトロール

2016-07-20 | Weblog

7/20(水) 昨夜は三連休明けに、帰京祝いの界隈パトロールとなり、大いに活躍した?。七時過ぎに会社を出、先ずは「こま吉」にてハッピーならぬホッピーでスタートした。メンバーは何時もの人形町退屈男HOYA兄いと、悪徳不動産のマッチャンである。小生からすると、五日ぶりの顔合せである。

                            

マッチャンの義母が、週末に逝去されたとの情報があったので、まさか「こま吉」に居るとは思わなかった。、訊くと、葬儀は今日で、朝早くに常陸太田の会場に行くとのことだった。「こま吉」から「ちょっぷく」へと移動した後、「セイジュ」に向かう我等と別れ、彼は自宅のある柏へと帰った。

連休明けの所為か「ちょっぷく」は、珍しく客の姿がまばら。YAMAちゃん店長が「歌を唄いたいな~」と言い出した。じゃあ「せいじゅ」へ行くかとなった次第。「セイジュ」も暇にしていた。我らが口開けの客とのこと、YAMAちゃんは三曲唄って店に戻ったが、入れ替わってチーフのヨッチャンが登場し、これも三曲唄って引き揚げた。その頃になるとオイラはすっかり酔っていた。

                            

HOYA兄いと別れ、独り「ローカーボ」へと歩いた。ひとわたり、廻っておかないと落ち着かないのだ。何しろ五日ぶりだし。「ローカーボ」も閑古鳥が鳴いていたとのことで、客は一人だけ。オイラ達が「こま吉」から「ちょっぷく」へと移動する時からカウンターに居たチーちゃんが、依然として孤塁を死守していた。

                           

朦朧とした脳味噌でハイボールを飲み、何やら話をしていたが、今となっては記憶にない。漸く五日分の酒精と酒場の空気で、渇いていた細胞を満たし、引き上げる時刻となった。23時42分・人形町発の東京メトロに乗車し、中目黒発の中華街行き最終電車で学芸大学へ。

零時25分、改札を出ると妙に腹が減っている自分に気が付いた。『これから喰ったんじゃ拙いな』と思いつつ、小銭入れの中を探ると400円ばかりあった。これで喰えるものはと、目の前に在る「松家」の店頭メニューを探った。カレーライス 330円、これが一番安い。ついつい、カレーライスを喰うという不始末をしでかしたのであった。こんなことを仕出かすなんて、やっぱ酔ってたんだね・・・・  。

帰宅すると、勿論だれも起きてはいない。リビングのテーブルに“桃”が数個  。美味そうなやつを手にし、半分喰っちまった。美味かった

暑くて寝苦しい・・・、エアコンを点けたままで寝ていたのだ。朝方、寒くなって目覚めた。六時半になっていた・・・・。

それから弁当作りに入るも、体は怠い。酒とエアコンで、体の方はすっかり狂っている。それでもベン・弁当だ!

今朝のメニューは「鶏肉と野菜の煮物」「野菜とエビの天麩羅」だが、両方で使った野菜はオクラ・シシトウ・ミョウガだけだった。鮭を焼き、卵焼きを作って弁当が仕上がった。

                     

 

今夕は、品川にあるN社のビルで、OB会の理事会がある。理事会の後は懇談会となり、立食で二時間ほど歓談する。その後は・・・、何時ものメンバーで品川駅南口の路地の酒場で二次会となろう。だが、前夜のように零時を過ぎることはない。されど、控えめにしよう。全てを控えめに、大人しく目立たぬように、清らかに・・・・。

 

 

 

 

 

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帰郷

2016-07-19 | Weblog

7/19(火) 15日・金曜日の午後に高知空港着。何時ものように妹夫妻が迎えてくれる。毎度毎度、空港の往復をしてくれる。有難いことだぜ。よっぽど出来のいい兄貴と云いたいが、ご承知どおりの不出来な兄さ。まるで渥美清演じる寅さんのような男さ。それでも兄妹と云うのは有難いね!

実家へと帰る途中、安芸市の魚店「寺尾」で刺身など買って行くのも習慣。店に「鮎」があったので、聞くと仁淀川産とのこと。小さいね~、15㎝もないぐらいの大きさ。値段は600円/百gとあった、一匹当たり300円とのこと。仁淀川の鮎だぜ、地元の伊尾木川産だと直ぐに売り切れとのこと。安田川産の名鮎は入らないのだろう。寺尾は、地元で獲れたばかりの魚が並び、種類も豊富なのだ・・・・。

今年は全国的に鮎が不漁とのことだが、真偽のほどは貞かでない。安田川の鮎は少ないとのことだが・・・・。それでも、帰ると従姉が昨日旦那が獲って来たと云う鮎を用意していた。そんなものしかない、と云うのが田舎ではあるが。

                          

土曜日の昼前から畑に行く。ミカン畑の草刈だ。その前に、茄子やキュウリなどを植えた畑を見ると、胡瓜はジャンボサイズが数本、茄子は長茄子はいいが、丸茄子は硬くなってきたようだ。胡瓜とトマトは、終わりになってきた。シシトウやピーマンは採れすぎだ。南瓜と瓜、スイカは期待できず。と云う状況だった。

                           

                        ジャンボになった胡瓜、普通サイズと比べると!

草刈は予定通り済んだが、汗水漬くだ。今夜の夕食は「カツ丼」をメインに肉じゃが、焼きナス、胡瓜酢の物などであった。KATUOが、鰻の小さいのを持ってきた。計ると290gであった。今の鰻は、脂の乗りがいまいちだ。身肉が薄いようだ。

                            

三連休となるので、県外からも鮎釣り人が相当入っているようだ。釣果の方はどうであろうか? 妹の亭主HIROKATUは、午前中は畑や田圃の仕事をし、午後から家の下で鮎を掛けているそうだ。十数匹ぐらいは獲るようで、大きい鮎は冷凍にして保存している。それをオイラが貰って帰るのだ。ここ数年、川で転んだり、竿を折ったりとしているそうだ。齢はとりたくないねぇ~、お互い。

日曜日、KATUOが仕事が休みだと言うので、昼まで手伝ってもら梅・ソルダムの枝を切る。岸かけに生えた蔓や梶の木を切りと、すっかり世話を掛けた。鰻を獲って来い、海老はどうしたと言われ、畑の手伝いと気の毒ではあるが、近所では一番若い親戚だ。勘弁な・・・。で、夕食は「天麩羅」「刺身」「野菜煮」などであった。

                             

                            早や、栗のちっちゃな実が落ちている

日が暮れるのは七時半頃か、陽が沈み夕闇は訪れると「カエル」の大合掌が始まり、三時間ほどつづくか。朝は、陽がのぼると蝉しぐれが始まる。然し、三日目を迎えると、これが気にならなくなるのだ。田舎の音と空気に馴れてくるのだろう・・・・。

飯を作り、畑で作業半分遊び半分で過ごし、池の掃除をして過ごす。専らの仕事は『飯作り』だが、品数と量の多さで閉口されている。かくして、私は頑張って食すのだが。その相手に、連日KATUOを呼び一緒に飯を喰って貰う。老婆と二人じゃ、面白くないし。オイラが居ない時に、時々KATUOが菜を作って持って来るそうだ。下旬の丑の日には鰻を焼いてくれるだろう。毎年のことだし、その分はキープしてあるとのことだ。

と云うことで、今日の午後便で帰京する。朝から晴天。暑い一日になりそうな気配。墓参りをし、序でに昨日買ってきた化成肥料を野菜の根本に撒いた。

空港ロビーで、ついつい生ビールに・・・・。機窓に青空がつづくが、遠くには雲霞が。富士山は見えなかったが、伊豆半島ははっきりと視認で来た。妻良・子浦の湾、昔よく行ったゴルフ場。弓ヶ浜、下田港から今井浜・・・・と。着陸前、木更津上空で、積乱雲か、機体が揺れた。束の間の、七月の帰省が終わった。

                               

 

 母の衰えが著しく進んできた。子どもにかえってきた・・・・。何時までも、独り暮らしをさせたくないのだが。

 

 

 

 

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