オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

今日も雨・・・

2024-07-13 | 弁当

7/13(土)雨は今日で四日目となるが、未だ降っている。雨の合間を見ては野菜の収穫をするが、そんな間にも降り出して濡れネズミになったりしている梅雨時です。

               

胡瓜やオクラは成長が早いのでジャンボ&お化けサイズになる前に収穫をするしかないが、収穫後の持っていき場所に悩んだりしている。遠方の友人達にわざわざ送るほどの野菜じゃない。近所は農家ばかりなので要らないだろうから、近所の〒局や豆電球さん、最近はメリーガーデンさんまで持って行くこともある。

丹精込めた?野菜故、誰ぞに食してもらいたいのだ。自分としても野菜の消費に努めているが、モロキュウ・酢物・糠漬けも流石に飽きてくるし、天ぷら・煮焼きに味噌炒めの茄子にしても同様である。とかなんとか言いながらも、生でソテーで、煮て焼いてと、胡瓜・ナス・ピーマン・万願寺・オクラが食卓に並ばぬ日はない。

食卓に並ぶのが野菜だけならいいが、そうもいかぬので縮緬ジャコや豆腐、時には肉や魚、デザートも・・・。と云う次第で、品数だけは充実?の食事を摂る。然も、雨が続くと畑に出れないので運動不足。で、腹回りが成長するという循環に相成り候。

先日、野菜畑のスイカが十個も狸に喰われて大ショック!。スイカを作り始めて三年目となるが初めてのことだ。おまけにカボチャまで齧っていった。

難を逃れたスイカを二つばかり収穫してみたが、いい感じにであった。

           

 

長雨になる前、酷暑がつづいた折、ウオーキング協会が主催する安芸市での会に、東京から佐藤君夫妻が来た。夫妻で全国を歩き廻っていると聞いていたが、我が地元までやってきた。

協会主催のパッケージツアーとのことで、足も宿もセットになっているとのことで、初日に歩き終えたヤッシーパークで合流し、山里まで案内した。奥様の方は、協会のバスツアーで動物園・牧野植物園に行かれたので佐藤君だけである。

日本酒が飲みたいとのことなので、地元の南酒造に立ち寄って「南 大吟醸」を入手。それと、ヤッシーパークで買ってきたパッションフルーツで焼酎のパッションフルーツ割(飲むのは、初めてとのことだった)を供して、ひと時の歓迎をした。

宿泊は高知市内のホテルとのことで、安田駅18時38分発のごめん奈半利線で見送ったが・・・。寝過ごして、高知駅を通り越してしまったと翌日に聴いた。

翌日のウオーキングは昼前に終わり、ツアーバスで岡山まで行ってから解散とのことで、ゴールの安芸市観光情報センターで見送ったが、暑さで相当疲れていた。

因みに、佐藤君は私がサラリーマンをしていた三十年ほど前の職場でご一緒し、その後もグループで飲み会・旅行会があり、その幹事をしてくれ、お世話になっている。グループでは一番の若手だが・・、退職して数年となる。

私が退職後、会社代表をしていた頃は、電話関係のことは全て彼が手配をしてくれた。

 

翌日から雨の予報だった火曜日、修理に出してあった草刈り機が出来たと連絡があった。受けとりに行った午後、そのままミカン畑に寄って気掛かりだった草刈りを済ませた。滅茶暑かった・・・。

          

斯様な日常、変り映えしないがこれが日常と云うものであろう。

来週末には義母の一周忌で数日だけ帰京する。人形町で一杯やり、法事を済ませ、日曜日は歯科から、佐藤君の幹事で飲み会があるそうだ。そして月曜日に帰郷する。

そうだ、26日から月末まで碓氷老が来高するとか言ってきたのだ!。八月になると、下旬に我が家で父母の法事があります。

 

 

 

 

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梅雨本番となり・・・

2024-06-27 | 弁当

6/27(木)木曜日となりても未だ夜明け前の時刻。深夜の三時を過ぎたばかりである。

遅れていた梅雨入りも本番となり、ここのところ雨の日が続いている。が、今日は朝は小雨だったが、その後は曇り、薄日が差す時間もあった。

そんな一日、日課である野菜の手入れと収穫などで過ごした。昼に喜夫君から電話があり、話の中で「トウモロコシ食べたい~」なんて言うので、急遽最後のトウモロコシを採ってズッキーニ・万願寺やピーマン、胡瓜・茄子と一緒に送る破目になった。野菜達とて、誰かの役にたてばこそである。

今年のトウモロコシとズッキーニの収穫は、好評?のうちに今日でお仕舞になった。来年は(来年があればだが?)、トウモロコシの植え付けを倍にするか、結構喜ばれるので、そんなことを思っている。晩秋の干柿作りと同様に増え続けるかもな。

今年、半年の作物の出来具合を振り返ると、タマネギは程ほどに良好?、ニンニクは今年も失敗。根物のジャガイモは田圃土のせいかあまりよくない。初夏の大根は駄目、網代さんから種「ノラボウ菜」は上々。レタス・ブロッコリやホウレン草は、そこそこの出来。初めてのソラマメは、良しとするか?。

胡瓜は順調に収穫が進んでいるが、問題はトマトとスイカだ。両方とも病気に罹ってるので時間とのせめぎあいだ。手当をしているが一向に効果が表れず、病は進行している。それに、茄子も害虫?か、病気か?。

野菜は季節に、天候に左右されやすいようだ。或いは、土壌の菌や虫なのか、いろんな症状がでる。そんなこともあろうかと、分散して植えたりしているが・・・。野菜作りをテーマにして二年目、二年生は荷が重い遊びである。

今日の収穫では、なんと白茄子と千両茄子が何者かに齧られていたのだ。妹に言わすと「鳥じゃないの」とのことだが。こんなことは初めてなのだが・・・。続くようなら対策が要る。

                

胡瓜とピーマン、私好みの万願寺唐辛子は順調に収穫ができている。これからは、オクラやジャンボシシトウなども採れるだろう。ただし、最盛期を迎えると、収穫物を誰に貰ってもらうか、それが悩みとなるのだ。

 

雨の日や、翌日は雨が続く前夜は今夜のように夜更かしをする。畑遊びしかない素浪人は、畑に出ないとなれば翌日は暇を持て余すのだ。カエルの鳴き声も途絶えた深夜に一人、過ぎ来し日々を振り返っては反省?、と悔悟の時を過ごすのである。

心配するのは、野菜達の元気な生育と実りである。未だ、十種類ばかりの野菜が畑で待っている、呼んでるぜ!。

               

 

余談であるが、平成30年末に完全に仕事から離れた。とはいえ、何かをしたいとは思っていたが、その夢も潰え、コロナも相まって山里暮らしとなった。この三年、夢の中に仕事をしているシーンがよく表れ、目覚めてから夢のシーンの続きを自分で描いたりしていた。

目の前の田圃が、従兄が亡くなってからたった一年で荒れ果てた。それを見るのが嫌で、慣れぬ野菜作りの手を広げることにした。一年目、そして二年目を迎え、鍬やスコップで耕し、育苗や植え付け、手入れ・・・、師匠はYouTube!。いろんな人の、いろんな野菜の、まさに十人十色の手法を飽きもせずに見続けて一年近くなる。

そんな日々となり、それまでの仕事の夢を見なくなっていた。野菜の手入れをしながら「野菜作りも、仕事も、人作りも同じだな」そんなことをつくづく思うのだ。いずれも難しい、簡単なことじゃないな、と。

斜向かいに住む高齢の従姉が言う、私の畑遊びを「仕事」だと。私は応える「仕事じゃない、遊びだ」と。仕事と云うのはお金を稼ぐ、お金が付いてくるのを仕事と言うんだよ。俺がやっているのは「遊び或いは運動だよ」と。

斯様な、山里での日々はまだまだ続きます。多分ネ!。

 

 

 

 

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山里日記

2024-06-13 | 弁当

6/13(木)先回の記載から六月になり、早や中旬となりましたが、相変わりなく畑に遊ぶ日々。一日から鮎漁が解禁となりましたが私はやらない。広勝が友釣りで掛けた鮎をありがたくいただき食しています。

今年も鮎の遡上が見えない、期待できない、との悲観的な観測が流れておりましたが、そこそこに捕れているようです。頂いた鮎の講釈ではあるが、例年の新鮎より旨いように思いますし、形もそこそこに大きい。頂くだけの当方としては、こんな調子で豊漁であるように願うばかりです。

私の遊び場である「畑」の方は、トウモロコシの出来はまずまずのようです。実を付け始めたスイカ、これが問題で、早くも病気「炭疽病」が、葉一面に広がってきました。いろいろと対策はしていますが効果なし、お手上げ状況になりつつです。トマトも茄子も病害虫に侵されてきました・・・。 

           

 

     

     

二年目となり、野菜作りの難しさ、奥深さを実感しています。今年の作柄は、冬大根はまずまずでしたが夏大根がトンでもない状況です。青虫に食害され、漸く残った20本ばかりがタコ足大根になっています。原因は不明!。土壌か病気か、害虫かでしょうが初めての状態です。

       

ズッキーニは沢山採れていますが、先日の強雨と風にあおられて半分ほどが倒れていました。何とか起こして事なきを得ていますが、今月で仕舞いのようです。

ジャガイモ畝の後作として「薩摩イモ」の植え付けをしています。これまでに130本のイモ蔓を植え、今週末までに65本を植え付ける計画です。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるの例えに倣って、数で勝負?と云うわけです。

ニンニクは八割が駄目になり、大根は前述の有様。ほどほどと云えるのが玉ネギ・ズッキーニ・トウモロコシ。これからが、万願寺にジャンボシシトウ、ピーマン・茄子・キュウリ・トマト・カボチャ・スイカと云うところです。葉物は全く植えていません。春キャベツの残りが少しありますが・・・。

 

以上のような野菜づくりに悪戦苦闘?する日々はまだまだ続きます。大人の遊び故にできることかな・・・。然し、色が黒くなるのよ‼。

 

ではまた、忘れた頃にアップします。

 

 

 

 

 

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久々にblogでも・・・

2024-05-28 | 弁当

5/28(火)昨夜から風雨強し・・・。昨日の昼間は雨が上がって蒸し暑かったが、今日は涼しくなった分だけ台風のような趣の一日。

こんな日は、何もしないしできないのだ。二週間以上もご無沙汰しているBLOGでも記そうと云う次第である。先ずは、13日の帰京~20日の帰郷までと野菜の様子などについて・・・。

先々週になるが、13日に帰京して歯科受診を経て「高松」にて、翌日からの津軽紀行のメンバーである保谷&中村の両氏との壮行会?。14日10:05分発JAL便で青森空港に飛んだ。空港には東京時代と打って変わった髭面の神パパが待ち受けてくれた。ここから帰京までの四日間、パパの案内&運転で津軽紀行となった。

私が希望していた、東郷夫妻(橋本葉子さん)の眠る新寺町の円明寺、岩木山の麓「森のイスキヤ」にも案内頂いたが、事前の下見までしてくれていたのには深謝しかない。

                 

旅行は、神夫妻宅で歓待(ご馳走攻め)を受けた翌日から、ご夫妻も一緒で岩木山神社・懐かしい森のイスキヤ(佐藤初女さんがご健在の頃に三度ほど取材で伺った)、深浦の大銀を経由して黄金岬の「不老ふ死温泉」に宿泊。以前から行ってみたいと思っていた、日本海が目前の泥色をした温泉に入った。残念なことに、混浴風呂(時間帯によるようだ)があるせいか写真はご法度だった。

               

三日目は鰺ヶ沢町(ここには三十年近く前に、トライアスロンの視察&激励できている)十三湖を一回りすべく、十三湖高原道の駅(ここも十年ほど前か、取材で竜飛岬からの帰路、時雄さんの運転する車で立ち寄っている)を経てから、黒石市の山中に在る「青荷温泉ランプの宿」へと向かった。

   

          

   

青荷温泉は国道から狭い山道に入り、延々とのぼっていく。そして、谷へと下って温泉の駐車場に着くが、駐車場から更に徒歩と2~300m下った谷川沿いに建っている。五十年以上の歴史があるそうだが、古くは湯治場だったようだ。

本当にランプの宿で、食事の広間も、便所も浴場も灯りはランプなのだ。勿論、スマホも繋がらない谷底のような場所にあり、瀬音だけが響き眠れないじゃなかろうかと思ったくらい。

だが、酔っぱらって寝てしまい明けやらぬ薄明かりの午前四時に目覚めて、本館の目の前の大風呂を独り占めして悠然とぬるめの湯を堪能した。浴場は露店風呂も含めて四ヶ所あり全てに入ったが、湯は温い。

浴場にシャワーもない、洗い桶も石鹸も置いてないと云う徹底で、木の感触を肌に感じながら、瀬音を聴いて長湯を愉しみ、世俗のことを忘れるにはうってつけの宿であろう。

そして、帰京の最終日を迎えたが・・・。なんと、前日までとは違って朝から悪天候になっていた。そんなランプの宿を後にし、十和田湖に向かい、それから酢ケ湯温泉を経由してから青森空港に向かう予定であった。

なんとなんと、神パパが事前のルート探索をしていてくれたそうだが、その道路が通行禁止になっているアクシデントが…。回り道をして十和田湖畔に辿り着いたら、20m以上の強風と豪雨だった。車の中から湖面を眺めるだけにして(ここも以前に訪れている)、奥入瀬気流沿いの道を下りそして酢ケ湯に向かった。

山道を登って行くと、残雪が処何処に残っていた。途中で写真など撮って初夏の雪に喜んでいるが、天候は一向に回復しない。ちょっと帰りの飛行機が飛ぶか心配になった。

                

酢ケ湯について休憩&昼食を摂った。ここの温泉も、数年前になるが八丈会のメンバーと訪れて、いくつもある大きな温泉に入ったのは夏、青森市の夏の祭典「ねぶた」を見物に来た時のことである。

私には青森県、特に弘前・津軽地方とは縁ができていた。佐藤初女さん、橋本葉子さん、なんと言っても演劇集「ばっけ」(解散して久しいが)の皆さんとの出会い。そして今回は、神さんのUターンである。

悪天候の中、予定通りに空港まで送って頂いたが…、飛行機が飛ぶか危ぶまれる状況であった。私のこれまでの経験では「すべて何とかなってきた」が、さて今回は?。我らの搭乗する前に離陸予定の札幌便は欠航になった!。

心配していたが、東京からの便が遅れながらも到着とのアナウンスがあった、これを聞いて七割がた安堵した。

定刻より三十分近く遅れたか?なんとか搭乗して帰路についた。「高松」で解団会?と費用清算を済ませて慰労会に突入した。

 

土日と自宅で休養?し、月曜日の二十日に野菜が待つ山里に帰郷した。たった一週間の不在で野菜達は成長し、野放図になっていやがった。それからは、ジャガイモの収穫(良くなかった)や、後作の畝作り、スイカ・カボチャの摘芯、トウモロコシ・ズッキーニの受粉等々・・・。

気忙しくも体は動かぬ日々を過ごしながら、今日のような悪天候にやきもきしているのであります。

              

               ズッキー二 三種

 

 

 

 

 

 

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暫くぶりに・・・

2024-05-12 | 弁当

5/12(日)三週間ぶりにBLOGを開いているが、この間と云えどもFacebookには日常をアップしてきた。何の変哲もない田舎暮らしの様子ではあるが・・・。

毎日が野菜作りの日々、野菜作り二年生として奮闘努力はしているが人生と同様、ままならぬのが実態!。

前回にアップしてから、26日に東京から沼田君が来高して一週間後に帰京、28日29日と松山から木原君一家の来高があった。この間は雨の日が多かったが、木原家族を迎えた28日は庭でBBQができた。

                 

雨の日と雨上がりの翌日は野菜畑に出れないので、買い物にでるか部屋で過ごすしかない。一年前の白内障の手術以来、読書が辛くなり本を手にすることがめっきりと減った。その代りにNETで野菜作りを見ているが、こりが多種多様千差万別で尽きない。便利な時代と云えるが情報の取捨選択と真贋を見分けるのが・・・。

斯様な日常であるが日曜日を迎え雨となる今日、高知市内まで出掛けて某衆議院議員の講演会を聞きに行く。応援している西内たかずみ県会議員から案内をもらい、前回の総裁選の時に一票を投じたこともあり参加費千円を支払ってまで出掛ける・・・、暇人故であろう。

そして、明日の午後帰京して翌日から弘前へと向かう。保谷さんのリタイア記念旅&神先生ご夫妻を訪ねる小旅行であるが、円明寺に眠る東郷夫妻(橋本葉子さん)の墓参もしたい。先生宅と不老不死温泉、青荷温泉に宿泊する三泊四日の旅です。

弘前へは数年ぶり、おそらく7~8年ぶりとなろうか。桜の頃の取材であったはずだ。親しくしてもらった方が何人かいるが会う時間は取れないであろう。また、佐藤敏行君が昨春からストーブ列車の終着駅となる中里町に帰郷しているが。

金曜日の夕に弘前から帰京し、反省会と称す飲み会があり、土・日と東京で過ごした月曜日に帰郷の予定。丸一週間、田舎を開けることになり、野菜の手入れが心配なのだ。

スイカの方は定着し、ソラマメ・ズッキーニは収穫を迎えている。トウモロコシとジャガイモは順調に生育しているが・・・。虫が・・・、ウリハムシ・カメムシにアブラムシ、これらが大量に発生してくる。それに、胡瓜の大敵うどん粉病が出てくるのだ。日々の管理が身に染みてきた二年生なのだ。

特に、ウリハムシとカメムシが大敵で、現時点でも相当な被害に遭っている。

野菜は上記の他に、カボチャ・トマト・ナス・ピーマン・ジャンボシシトウ・万願寺などを少しづつ作っている。キヌサヤ・エンドウ豆にタマネギは収穫が終わり、先週に全て撤去した。

                 

今年も雨が多いながらも、カンカン照りの日もありもう焼けてますよ!。インディアンもビックリなんて云うCMセリフが昔にありましたが、そんくらい焼けてきました。健康な証?。

 

野菜作りの合間?に、姪の店「いなかじかん」や、レトロな映画館「大心劇場」&喫茶「豆電球」でコーヒータイムを愉しむ。斯様な日々です。先夜は、豆電球のBBQ小屋で焼牡蛎を堪能させてもらいました。

            

 

 

 

 

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こんな雨の日は・・・

2024-04-21 | 弁当

4/21(日)日曜日の今日、朝から雨がつづく・・・。こんな雨の日は、買い物に行くぐらいが関の山。

日曜日と云えば休日、勤労者の皆様の大半は体を休め、或いは行楽や映画に買い物でもする一日かな?。こっちは、365日が日曜日の暮らしである。で、ありながら、ここんとこ仕事の夢を見ることが多い。殆どが冷や汗をかくようなシーンばかり・・・。これも辛いものがるんだよ、目覚めてから一生懸命言い訳など考えるんだから。

さておき、ブログを一か月近くもアップをしてないことになる。先月の25日に保谷兄いへの敬意を込めて記して以来だ。特に理由もないが、畑や飯つくりに時間を要すると落ち着かなくてblog を記す気が起きないのだ。気になりながらもキーボードが打てない!。

昨夜からの雨で、今日は一日中のんびりと過ごすことにしていた。そんなことで朝から、ご無沙汰だったblogでも打つ気になっていた。とはいえ、さしたる話題があるもなしだが・・・。

山里もすっかり春の陽気で、これはこれで畑作業が多くなる。と云うよりは、追われている!。春夏野菜の育苗した苗の管理、畝作りに植え付け、追肥や草引きと枚挙に暇なし。まああ、チンタラやっている所為でもあるが。

昨日の午前は生姜の植え付け、午後から延び延びになっていたミカン畑で草刈りをした。小さな甘夏と小夏ミカンの収穫もと思って畑に出ると・・・、なんと小夏が半分くらい喰われて皮が樹下に散乱していたのだ。

               

最初は、ハクビシンか狸の仕業と思っていたが、木に残った皮を見る限り鳥が食べた皮のようであった。そういえば、さっきひよ鳥が枝にとまってうろついていた。それにしてよく喰ったものだぜ。

                   

小夏と甘夏は五月に入ってから収穫するつもりだったが、妹から早く獲れと急かされていたのだ。残り少なくなっていたミカンを収穫した次第。

 

庭先でのホットなニュースが一つ!。なんと諦めていた枝垂れ桜(かの有名な三春滝桜の子孫と云うことだが?)が、5~6輪咲いていたのだ。殆ど気付かないぐらいの小さくて白っぽい花に気付いたときは「驚き桃ノ木山椒の木」だったよ。今年咲かないと伐っちゃうぜと言い聞かせた成果?。

十年以上にもなるのに咲かなかった、土壌か気候なのかと思うしかなかったのだ。憧れていた三春の滝桜を見れたのは、東北大震災の翌年の春だったはずだ。取材で気仙沼に向かう途中で立ち寄り、満開を過ぎて、葉桜に近い時期ではあったが、それでも満足した。そこで、幼木を買って田舎に送って植えた木である。

滝桜の子孫で印象に残るのは、女性登山家で三春町出身の田部井さんの埼玉の自宅を訪れた折、庭に綺麗に咲いた枝垂れ桜があった。それが、滝桜の子孫だと聞かされていたのだ。その時の桜のように薄紅の見事さとはかけ離れているが、取り敢えず咲いてくれたことが嬉しい!。

                 

取材で訪れた方、先輩や友人と遠くに旅立た人は増えていくばかりだ、何かの折、ふとした瞬間、甦ることがままある。そうした時、共有したシーンを思い返すのである。心の中に、脳裏に全ての記憶が現存している。

こんな雨の日は・・・、過ぎ去りし日々の中に戻ることが多い。

 

 

 

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保谷兄い、お疲れさまでした。

2024-03-25 | 弁当

3/25(月)月曜日の夜明け前の時刻。今週で三月も終わり、本格的な春を迎える頃となったが、菜種梅雨とかで雨の天気が続いている。

昨夜、保谷さんから電話をもらったが、日曜日の電話は稀有である。そこで思い出したのは・・・。

「そうか、今夜は酒場仲間が保谷兄いの送別会?、いや慰労会を開いている日だった」である。馴染の酒場「今宵 うまし」さんの店主夫妻とカウンターに陣取る常連さんが浅草のフグ屋で兄いを囲んでいるんだった。

夜毎、堀留町から人形町2・3丁目の酒場をパトロールして元気と現金を振りまく兄貴ならではである。かつては、我らで「人形町パトロール隊」と称していたが、孤高を死守しているのは兄貴だけとなった。

私もこの日の予定を二月末の帰京で夫妻から聞いていたが・・・、欠礼させて頂いた。と、云うのも我々(佐賀の中村氏)は、五月の連休明けに津軽地方へ「保谷さん卒業祝い&神さん夫妻を訪ねる旅」をすることにし、旅の計画は既に出来ているのだ。

保谷さんは、住友グループの会社に長く勤務し、別子銅山のある四国・新居浜市や、工事現場のインドネシアに駐在した経験がある。会社を定年退職後、友人数人で人形町に下請け会社を立ちあげて今に至る。

人形町の住人としては、私より遅いはずだ。何のゆかりない私たちが知り合ったのは、彼の300円酒場「ちょっぷく」である。

会社帰りのひと時、駅に近い賑やかな酒場、そこで保谷さんが三人組で飲んでいる姿を何度か見かけていた。ある時、すぐそばで飲んでいる三人から「高知」と云う言葉が聞こえ、それで関心を持ったのが始まりだ。

私たちも「ちょっぷく」から、レトロなスナック「セイジュ」へと廻ることが度々で、保谷さんたちも同じようなルートを辿っており、話をするようなり親交を深めて行った次第だ。

親友なんて言葉は嫌いだが、掛け替えのない友人のひとりである。人形町において文字通り、水魚の交わりを重ねてきたのだ。

兄いは、ものすごい常識人で人好き、話好き、ながら経験と知識、義理・人情、酸いも甘いも嚙分けた話、と敬服している。

4月末で仕事を辞めるが会社に出るのは三月いっぱいの予定と聞いている。いつか、この山里を訪れてくれることになっている。その日が楽しみである。

因みに、私と保谷さんとは同年齢だが、私の方が少し遅く生まれている。私は、兄いよりも五年も早くリタイアとなったが、兄いにはもっと現役でいてほしかった。が、工事現場に出向くこともある仕事故に退職を決めたのであろう。

兎も角、保谷兄さん永いあいだご苦労様でした。されど、付き合いはこれからも宜しく頼みます。

 

閑話休題

当初の予想よりソメイヨシノの桜開花が遅れている。昨日、高知市で漸く開花宣言があったようだ。

この山里においても、ソメイヨシノは未だ蕾のままだが、山桜の系統と思われる桜は咲いた。薄桃色とは違い、白っぽい花ながら桜は桜だ。それをお届けします。

         

これは、よく立ち寄る「豆電球」の駐車スペース&イベント広場の川岸にある桜で、一昨日の光景です。

 

では、また!。

 

 

 

 

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山里、三寒四温・・・

2024-03-18 | 弁当

3/18(月)昨日の昼前から夜中まで降り続いた雨も上がり、今朝はすっきりと晴れて風もなく穏やかです。

こんな天気なら畑遊びに最適なのだが、残念ながらぬかるんでいるので入らない。漸く最盛期のホウレン草、ノラボウ菜と収穫してやらないといけないのだが・・・。

大根に水菜、レタスとブロッコリ・小松菜はお仕舞いです。レタスとキャベツは次に播いた種が少しづつ成長しています。ジャガイモは昨年より一ヶ月も早く植えたのですが、昨年と変わらない時期の今、芽出しが始まりました。

実験と思って早く植えたり、育苗を始めたりしていますが、野菜の種は自分で発芽時期を決めているようで、こっちの思うようにはいきません。

育苗も三寒四温のこの時期ならではの難しさを実感しています。露地栽培ですので、季節を時期を見極めて育てていくしかないか。

余談ながら、先日町からの帰路、途中に数十本在る桜の一本が咲き始めていました。この桜だけは何時も早く咲き始めるのですが、山桜の系統のように思います。

         

そろそろ筍が出るなと思い、昨年の日記を見返すと「3月11日、小さな筍を掘った」とありました。二年前の日記では「3月18日、従姉から筍を貰った」とありました。

そんなことで、まだ早いだろうと思いつつも13日に竹林を探索しました。三十分ほど足裏の感触を頼りに探って、漸く小さな筍を取ることができました。

              

次いで16日、お彼岸前のお墓掃除を済ませてから、再度竹林を探索!。この時も乳児とも云うべき小さな筍をゲットしてきました。

          

三年前までは、今頃には猪が竹林を掘り返して土中の筍を食べていましたが、昨年からその傾向が表れていません。豚コレラのような病気の影響で猪が激減しているとのことで、今年も従弟が一頭捕っただけでした。

雨後の筍、というぐらいですから、猪も現れないのでこれからひと雨ごとに筍は出てくると思われます。が、旬に先駆けて食すのが楽しみです。筍ご飯と汁物で頂きました。

もう少し大きいのが採れるようになったら・・・、届けたいと思う誰それの顔が浮かぶが・・・、その頃には巷に筍があふれていることだろ。

この山里では、筍も山菜も時期が遅いのです。ボケるのだけは早いようですが?。

育苗を開始した「ズッキーニ」は順調に芽が伸びてきました。先日から、カボチャとスイカの育苗がスタートしました。今年こそ、良いスイカを育てたいものです。

以上、山里からのメッセージです。

 

 

 

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雨・・・

2024-03-12 | 弁当

3/12(火)昨夜から降り始めた雨は、朝を迎えても降り続いているが、深夜ほどの強い雨ではない。午後には上がるとの予報であるが、不安定のようだ。

帰郷してから丁度一週間となるが、帰郷した日と翌日も天気が悪かった。と、いうことは外遊びの畑に出れないと云うことだ。部屋で過ごせばタバコの消費が増えるのだが、なんとか一日一箱(ショートホープだから10本)で押さえている。

この1週間でやれたこと、やったことといえば、ミカン畑の草刈り、野菜畑の植え付け用の畝作りが二畝、育苗したトウモロコシ苗70本ばかりの植え付け。ホウレン草畝の草引きと、成長してきた豆(キヌサヤ・スナップ・ソラマメ・エンドウ)の手入れくらいである。心配は大きくなってきたタマネギの病気だが・・・。

ジャガイモは少しだけ芽を出していたのだが、数日続いた寒波で芽枯れしていた。

              

網代さんが種を送ってくれた「ノラボウ菜」が成長!、毎日のように摘んで食しているが、これが美味しいんです!。ここいらでは植えていないので珍しいが、食しかたが不慣れなので、お浸しやベーコンとソテーしている。今夜あたり、天婦羅にしてみようかな?。

    

日々、朝夕の食事はほぼ粗、野菜尽くしと云うところです。今、採れる野菜だけでも十種類以上あるので食べきれるはずもなし。小松菜・大根・ほうれん草にブロッコリなど、貰っていただけるところにお配りするばかりです。  

斯様にのんびりとした、時代離れした暮らしには、株価の急騰・急落、政治資金や内閣支持率などとは縁遠く、別世界の出来事。世に疎くなるのも良いものかな?と、思うのであります。

早く筍が出てこないかなぁ~。なんていうと、ノー天気な奴だ!バカヤローと云われそうだね・・・。それも、まっいいか!。

 

 

 

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そして、帰郷・・・

2024-03-05 | 弁当

3/5(火)二月の末、28日に帰京してから丁度一週間となる今日の午後便で帰郷します。

あっという間の時間であるが、最大のテーマであった五月の津軽地方への友人達との旅行スケジュールを固まめることができた。他、数年ぶりとなるオヤジ達との懇談、何時ものメンバーとの歓談と楽しいひと時を過ごした。

そんな一コマを振り返ると・・・。

帰京翌日の29日、正午から御徒町の「キリンシティ」で、年号が平成に変わったばかりの時代に職場を同じくした清田さん(上司)&高橋君(後輩)との懇談。何時もながらの与太話で盛り上がり、最後は上野駅前の蕎麦店でお開き。体調が十分でない清田さんだが、お口は元気。今月末には高橋君の運転で来高するとなったが?。昨年の夏にも来高の話があったが、体調不良で断念した経緯がある。こっちとしては、待つだけのことであるが・・・。待ってますよ!。

二人と別れ、私は人形町へ・・・。三越前駅から堀留町に向かう、コレド室町の裏通りを渡ろうとするとピンク色も鮮やかな「おかめ桜」が満開だった。懐かしい光景である。二月になると咲きはじめる花弁が小さな桜、これが並木になっているのだ。

              

そして、「高松蕎麦店」で保谷兄いと中村さんと合流した。今回の上京の最大目的「津軽旅行」の旅の詳細を詰めるためである。中村さんも前日に佐賀から上京したばかり。金魚湯割りを飲みながら歓談し日程を調整し、大まかなコースを提案・・・。私にお任せとなる!。

その後は、「こま吉」から「セイジュ」と廻ってお開きとなり、日付が変わる前に帰宅したが、些か飲みすぎたきらいあり。

月が三月となった金曜日、16時半から「人形町きんザざ通り歯科」で受診して、お手入れ?。五時、開店したばかりの「うまし」さんのカウンターに腰を下ろし、暫しカウンター越しにマスターを相手に雑談してウイスキー&ソーダ。18:30「ちょっぷく」へ移動。ここで、ナチュラル時代のメンバーと懇談するのだが、ユリカ&理恵は仕事が終わらないと欠席、藤倉君はコロナの症状で不参加。

閑な?喜夫と碓氷老人、沼田君と我がご学友?細川が顔を出して五人での飲み会。ここでもバカ話ばかりが・・・。いつも賑やかな店長、山影さんは五度目の脳梗塞発症で入院していた。五度目とは驚くしかないが、その生命力はしぶといねぇ~。最後は、前夜に続く「セイジュ」でカラオケとなった。

               

 

土曜日も正午待ち合わせは東急線・大井町駅。待ち合わせたのは、末娘が通った中高のバレーボール部のオヤジさん達で、山ちゃん、紺ちゃんに、名所河津桜の河津から今村さんであった。コロナや私は田舎暮らしのこともあり、顔をお合わせたのは数年ぶりである。

バレーボールの大会があると、オヤジ達も顔を揃えて昼休みの飲み、終わってからの飲み会と応援もそこそこに、よく飲んだものである。私の帰京に合わせて久々の歓談、懇談であった。大井町の細小路の酒場でビール&焼酎湯割りで盛り上がる。二軒目に移動してから三十分ほどで先に失礼する。横浜駅で岸本大兄と会う予定があった次第。

            

横浜で大兄と合流し、前回も入った昼間から開いているショットBARへ。ここはタバコを吸えるので、私にはいいが、肺の具合がよくないと云う大兄には辛い店であろう。申し訳ない!。ここでウイスキーやウオッカを啜りながら二時間近く歓談して帰宅した。

お節句の日曜日、午後から郷里の先輩であr「奈加野」のオヤジと二人、平和島でボートレースで遊ぶ!。便利なのは往復、店主の車に同乗できるのだ。遊びの方は惨敗!。所詮、こんなものだろう。

この日の夕食は、SORA(13歳)にMITO(2歳)という二人の孫娘一家と、我が家で手巻き寿司の夕食。お節句だからねぇ~。ハマグリが高い、魚の種類が少ないと家人がぼやいていた!。

帰京前日の昨日は、午前中に旅の詳細を詰めて、宿の手配。初日は神先生宅でお世話になり、二泊目は黄金岬の「不老ふ死温泉」、三泊目は「ランプの宿青荷温泉」が予約できた。全行程、先生ご夫妻も同行され、神パパが車運転をしてくれるとのことである。弘前城~岩木山~白神山地&竜飛岬、八甲田と廻れるかな?。個人的には、東郷夫妻(橋本葉子さん)の墓参、森のイスキヤを訪ねたいが・・・。

午後、渋谷のタバコが吸える喫茶「トップ」で、T物産社長の岡崎氏と歓談。一時間以上話を聞き、していた。既存のビジネスでは先行きが見えない時代・・・どうあるべきか?などと。

夕刻五時、「高松蕎麦店」で保谷兄と合流して旅の旅程、JALのチケットを渡して歓談。旅の主目的は、保谷さんの退職慰労だから・・・。店主のミッチャンも加わり、二次会で「こま吉」へ。疲れているのか、ミッチャンが酩酊したので店まで送り、保谷兄いと「セイジュ」でカラオケ。ここでお仕舞いにした。明日は、帰郷だからと・・・。

 

と、まあ斯様な日々を過ごしたのである。一週間ははやいが、帰郷を野菜が待っている?。育苗中のトウモロコシがどうなっているか心配であるし、ソラマメやキヌサヤ類の手入れも欠かせない時期。加えて育っているタマネギの病気はどうか?など等。心配は尽きない。

 

 

 

 

 

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