オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

月末、四年に一度の・・・

2016-02-29 | Weblog

2/29(月) 今年は閏年なので、2月29日の今日が月末となる。日本における閏年の制定は、明治三十一年勅令九十号で制定されて現在に至っているそうだ。神武天皇即位を紀元とし、それから660を引いた数を100で割って、割り切れる年らしい。因みに、今年は皇紀2676年。西暦の660年前が神武天皇の即位と云うことになる。

神武天皇即位日の1月1日は、暦年にすると2月11日で「紀元節」と呼ばれた祝日だったが、現在は「建国記念日」と云う名称になっている。余談ながら、この日が誕生日の友人がいるが、祝日のためにお祝いが出来ないでいる。誕生日ついでに、2月29日が誕生日の人は法律で前日の28日が戸籍上の誕生日となる。

世界的に使用されている暦は、教皇グレゴリオが作らせた「グレゴリオ暦」だが、これが広まったのは西暦1600年以降のことだろう。この暦では、西暦年が4で割り切れる年は閏年、100で割り切れる年は平年、400で割り切れる年は閏年。2月29日が閏日となっている。

出だしから、分かっていないことを記したが、要は四年に一度の日が今日だと言いたいだけのこと。だからと言って、特に何かをしようと云う訳でもない。偶々歯医者に行って、弄られている一時間ほどを、四年に一度やってくる今日の日のことを考えて、無様な姿に耐えていたのだ。

歯医者に行くたびに、新たなる悪かっ所が出てくる。どうも歯医者の陰謀、或いは腕が悪いがために次々と治療をする破目のような気がしてならぬが・・・。気が弱くて『悪くなる一方じゃねえか』とも云えず、かといって別の歯科に替えることもできずにいる。女房と歯医者は替え難し・・・・・。

 

 さて今朝の弁当だが、昨晩飯を喰いに来た長女曰く、「今週一週間は、お弁当要らないから」と。どうしたんだと云うと「ダイエットをするので、そのメニューがあるからお弁当は要らないのよ」とのこと。弁当作りの楽しみが半減だナッ!。さて置き、本気でダイエットをする気になったようだが・・・?。

そんなことで、今朝から一人分の弁当だ。今朝は、残り飯で「オムライス」にした。菜は「メカジキのバター焼き」と、「ホウレン草の胡麻和え」「豚シャブ肉のゴマダレ」とした。

                    

チキンライスを作り、メカジキと椎茸をバター焼きにし、ホウレンソウを茹でる。最後に溶き卵を焼いて弁当ご飯の上に載せた。これで、一丁上がりだ。

昨日も暖かかった、河津桜の枝に黄緑の新葉が出てきた。そして豊後梅が咲き始めた。何れも例年より二週間以上早いように思える。陽気もいいので、ボートレースにでも行きたかったが、平和島のレースがない。他所まで行くほどの情熱はない。午後は、競馬の中継を見て過ごした。束の間の平穏な一日と云えよう。

                            

土曜日は午後に会社に出て、夕方六時過ぎに「ちょっぷく」に顔出しした。助っ人隊のミムラッチとフナッシーが居り、客の居ない店内に演歌が流れ宴もたけなわと云う処だった。YAMAちゃんの今日の競馬は絶好調だったとのことだが・・・。

                          

                           フナッシー&ミムラッチ

何のお手伝いもしていないオイラだが、飲み会に参入だ。鍋の残りをつつき、ランチ用だった小鉢の菜をつつき、生ビールからハイボールと頂く。流れる曲のイントロあてで遊び、気分が載ったところで演歌の共演。これが十時過ぎまでつづいた。

                     

毎週繰り返されるシーンながら、夫々に背負っている人生が違うどうしが、こうして飲む酒も旨い。尤も、私が参加するのは月に一二度のことだが。

                          

                     岩手県代表?    神奈川県代表!   静岡県代表

熱唱する姿を見てやってくんなよ。マイクを握ってお酒が入りゃ、日頃の憂さと苦労は何処へやらさ・・・・。

 

 

 

 

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早いもので・・・

2016-02-26 | Weblog

2/26(金) 今朝も弁当を作る。バカの一つ覚えと云うか、弁当作りを日課としてから満八年となる。このBLOGを始めたのが弁当作りから遅れること半年余。BLOGを習慣づけるために、「オヤジの弁当箱」と名付けて日々の弁当をテーマにした。

何の趣味も取り柄も、勉強をする習慣もない小生が、唯一続けているのが「弁当作り」と「BLOG」だ。弁当の方は、一時は自分用に、バイトのKやスタッフにも振舞った時期があったが、今は娘と家人用に徹している。BLOGの方は、古くからの友人・知人に向けた『未だ生きてるぜ! 』メッセージのようなものだ。「あいつは、相変わらずバカをやりながら生きてるな」と、笑ってもらえればいい。

一昨日、昨晩に会った熊本のSEIさんから、メールで上京の知らせが。時をおかず、大阪の某社で監査役をしている後輩、UEDA君から電話をもらった。「3月のはじめに東京に行くので、予定はどうですか」とのことだった。最後に奴が言ったのは「おんちゃんも先が長うないにろうきに、今のうちにおうちょこう思うて」と、土佐弁だった。”おんちゃん”と言うのは、オジサンと云う土佐言葉だ。

斯様に歳若の友人が云うように、何時いなくなってもおかしくないが。そんなことよりも、こっちの気掛かりは齢若の友人たちのことだ。病気をするのも結構いるので、その連中のことを心配する。今のうちに会っておこうと、機会を作っては出掛けるようにしてはいるが・・・・・。

ついつい余談が長びーた。今朝の弁当に入ろう・・・。

今朝の起床は六時、前日より二時間も遅いが、前夜長時間飲んでいた所為かも。前夜は、六時半から「ちょっぷく」で、SEIさんが福島から帰るのをHIROさんと二人で待っていた。彼が一時間遅れで着き、河岸を変えるつもりだったのがそのまま安酒場に居続けとなった。

五十歳を過ぎて始めた専業農園主としての仕事、暮らし向き、これからの計画等々、話が尽きないが、途中でTOKIOが参入してから面倒な会話になった。会話のリードのし方を間違ったようだ。結局、四時間に渡って安酒を飲み続けたことになる。

 

今日のメイン・メニューは「焼き肉」。それに「ジャーマンポテト」「小松菜と薄揚げの薄味煮」「紅鮭焼き一切れ」「卵焼き」である。焼肉には、九条ネギとシメジを一緒に炒めた。他のメニューに言はない、定番・オーソドックスな食材と味付けである。

                         

長女の弁当は、焼肉丼風に。家人は今日も忙しくて「ご飯を食べる時間があるかどうか?」とかで、軽めの弁当にしてある(しっかり食べて、しっかり働けと言いたいが、殴られそうだ・・・)。

                         

最後に余談を・・・・。昨年の11月中旬に始まった500円玉貯金の貯金BOXが満杯になった。目標の百万円じゃない、十万円貯まるという小口BOXだ。今朝、小銭入れで見つけた一枚の玉を入れのにも苦労した。早急に大型の預金箱の準備をしなければ・・・百万円が遠くなる!

もう一つ、年末に注文した「土佐文旦」が漸く届き始めたようだ。今年の文旦は例年より玉が大きい。オイラの畑の文旦も、これぐらい綺麗で美味ければ皆さんにお裾分けできるのだが・・・・・残念!

                          

 

 

 

 

 

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雪が舞った・・・

2016-02-25 | Weblog

2/25(木) 昨夜遅くに小雪が舞ったようだ。昨晩の帰宅は21時前と滅茶早かった。17時30分前、吉祥寺駅前のハモニカ横丁でHIROさんと落ち合って懇談、HANAOKA女史も合流した。昔はお洒落な店、奇麗処がいる店が好みだったが、何時のまにや大衆酒場の雑多さが好きな齢になってしまった。昨夜の店も、その最たる店である。

HIROさんは薬切れのように、焼酎のポッピー割と云うより焼酎そのものを流し込みあっという間に酔ってしまった。酒とは今生の別れかのように、ピッチが早かった。幾つかの大事な話もしたような気がするが、飲むうちにお互いそんなものは何処かに打っちゃっていた。すっかり出来上がったHIROさんの酔いを醒ますために駅ビルでコーヒーを飲んでから別れた。

時間は早い、渋谷に着いたのは8時半前であったか。今日の菜でも見繕うと思い立ち、東急の渋地下売店を覘いた。魚屋で鰺の開きを買ってしまった。これは、吉祥寺で飲みながら女史に最近の料理について聞いたところ「鶏料理から、イワシや鰺のフライが多い」、そんなことを聞いた所為だ。弁当の菜としてはそぐわないような気もするが、アジフライを食したくなったのだ。

学芸大学駅に着くと、小雨がパラついていた。未だ雪にはなっていなかったが、遅くに小雪となったようだ。早い帰宅の所為か、今朝の目覚めはなんと四時前であった。幾らなんでも早すぎる、それでももう眠れない。眠れないままに弁当のメニューなどを思い浮かべていた。アジフライとハンバーグ、ポテトサラダがこの時点で当確となった。

早々と起きだして、弁当作りだ。鍋で飯を炊き、ポテサラ用のジャガイモ・人参・卵を茹でる。挽肉をボールに入れ、ハンバーグの準備。アジフライと鶏ささ身をフライにすることにした。付け合せ用のシメジ・ピーマンや刻みキャベツなどを用意する。昨夜買ったタラコも一切れ焼くことに。今朝は、二人分の弁当だからネ・・・・・。

そして揚げ、焼き、混ぜ合わせてとホビータイムが始まった・・・。

                     

二日酔いの朝とは大違い、旨そうな菜が出来上がった。弁当箱に詰め込むのが一苦労である。

                            

 

今日は山梨は石和温泉駅まで出掛ける。仕事関係で葬儀に参列するのだ。九時前に家を出て、中央線で向かったのだが、途中から、高尾辺りから雪景色が出現した。薄っすらとではあるが、木々も屋根も白く覆われていた。

                            

16時ごろに会社に戻った。一つ社内での打ち合わせがあった。今夜は、熊本・阿蘇は高森町の友人ESIさんが上京しているので、人形町で一献交わす。彼に会うのは、三年ぶりか?一大転身した彼の農業&養鶏の話をじっくりと聞くつもりだ。

 

 

 

 

 

 

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夢・・・

2016-02-24 | Weblog

2/24(水) 朝から冷たい風が吹き抜け、寒い一日となりそうだ。昨夜は新橋の居酒屋にて、後輩二人との懇談であった。一人は彼が入社して以来の付き合い、もう一人は支店長時代のスタッフであったので二十年程前からの縁となる。仕事のラインが異なっていた二人だが、再就職したグループ会社で同じ職場となり共通の関係ができたと云う次第。

そんなことで、昨晩は久しぶりに一緒に飲むことになった。剣道部の後輩で年長のYの方は、昨春に知人を介して某社に再々就職した。TUGANE君の方は、五十歳半ばを過ぎたが再就職先にいる。Tに、「髪の毛は減らんな、羨ましい限りだ」と、冗談を言いながら近況などを訊く。

Yの方は、好きな酒を楽しみながら与えられた職務を務めるだけと淡々とした人生のようだが、Tは未だ決まりきった路線で仕事人の人生を終わりたくないとの思いが強い。昨晩の酒席も、そんな思いのたけをぶつけ、ヒントやきっかけが生まれないかと云う気持ちが強く伝わってきた。

人生の、或いはサリーマンを止めて転身をした先輩として些かのサデッションや、ビジネスを始めるぬ当たっての注意すべきことは云えるが、なにをやりたいのか、やるべきかは本人の決意次第だ。冗談半分に、彼のお姉さんがいるハワイにでも行ったらどうか、なんてことを言ったが・・・・。

頭と勘所・機転の良さは認めているので、『改めて人形町に来いよ。ゆっくり話を聞くよ』と言って別れた。幾つになっても自分の夢を追う、結構なことだと思う由に。

そんな飲み会の後、一瞬は人形町に戻って飲みなおそうかとも考えた。が、そんなことばかりしてちゃ”立派な大人になれねえな”と、珍しく真直ぐに帰った。

 

そんな生真面目な夜だった所為か、今朝の殿下の目覚めは五時過ぎだった。弁当には早すぎる時間、おまけに今日も一人分だ。六時前まで、蒲団の中でうつうつとすごした。

で、今朝のメニューは「豚肉の生姜焼き」と「鮭のバターソテー」がメイン。「ホウレン草の卵とじ」と、胡瓜竹輪、茹でたインゲン・スナップエンドウを添えたメニューとなった。

                        

以上で、今朝のお遊びは終了!明日の弁当は、気合を入れて作ろう・・・二人分だ。

 

今夕は、吉祥寺・ハーモニカ横丁の私好みの大衆酒場で一献だ。相棒のHIROさんと、女史の三人で久々の懇談の予定。明日は、石和(山梨県)まで義理かけの葬儀に出掛けるが、夕方には出社して「ICT教育ニュース」の打ち合わせを予定している。

 

 

 

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バカだねぇ~

2016-02-23 | Weblog

2/23(火) 昨夕、元メンバーのUSUI老が人形町に来た。千葉の在から、月に一度くらいは出てきて飲んで帰るのだが、一月は奥さんの肺ガンの手術前でか、姿を見せなかった。二ヵ月振りの顔見世であった。

奥さんの手術も術後の経過も順調とのこと、なによりである。老が先ず行きたがる店は「高松」なので、そこで落ち合うことにしたが・・・。先行した老が、降りだした小雨の中をとぼとぼと歩いて来る。六時で既に満席になっているとのこと。「席が空いたら電話を貰うことにした」という。

それじゃ「うまし」で魚でも食べようと店の在る駅の方へと向かった。路地へと曲がって”うまし”の戸を引くと、ここも満席だ! 。パトロール隊長のマッチャンは、しっかりカウンター席の奥をキープしていた・・・・。席がないんじゃ仕様がねぇ、路地の突き当りが「ちょっぷく」さんだ。そこへと向かう!

「ちよっぷく」は未だガラガラの状態。老はハイボールを、小生は寒かったので燗酒にした。摘みを三品、一献交わしながら奥様の手術のこと、子供らのことなど、フンフンと聴いていた。燗酒一本がすぐに無くなり、追加しようと思ったところで、老の携帯が鳴った。高松から、席が空いたとの連絡だ。

「ちょっぷく」のYAMAちゃん店長に『なんだ、もう出るのかよ。後でまた寄れよ、早い時間に」なんて脅されながら店を後に。「高松」に舞い戻ると、先週末にキープした一升瓶の焼酎が”予約席”の札代わりにテーブルの上に鎮座、二人を待っていた。これを見て、飲み物は決まりだ。― 金魚 ―である。

明るくもない話のつづきをしながらも、老の元気がいい。ここの女将さんの大ファンなので、念願が叶って嬉しいのだろう。老だけでなく、常連客の全部と言っていいくらいに女将さんのファンが多いのだ。一時間ほど飲み、そろそろ河岸を変えようぜ、と云うところにスタッフのAOKIが現れた。これで席を立つのが30分以上遅れてしまった。

                          

次の店は「ローカーボ」と、夜の渡り鳥ルートは決まっている。些かの迷いもないのだ。篠つく雨をものとせず、ローカーボへとまっしぐらだ。扉を引くと、カウンターに常連がズラ~リ。上手い具合に、奥に三脚だけ空があった。三人並んで座ることが出来た(これが運の尽きだったが)。

老は久々に顔を合せたHOYA兄いと、抱き合わんばかりにして話し込む。オイラはマッチャンと取りとめなく喋り、カウンターの中のベリーダンサーのアルバイト嬢RYOKO姫をからかって遊ぶ。AOKIは独りでなにをしてたんだ?ワイワィ ガャガヤ ぺちゃくちゃにTVと、賑やかだ。TV画面に流れているのは、リクエストした「 ダーティハリー2 」・・・・・。

                        

そろそろ次の店か?、引き揚げる時間のはずだが今宵の老はしぶとい。結局「セイジュ」でカラオケとなった。相変わらず、お店は閑古鶏を飼っていた・・・・。今夜も酒飲みボランティアだ、飲み代の万札をそっと渡した。

酔っぱらいの老が「MASAKO(女将)を呼ぶ、呼べ」と携帯を弄るが酔っているので訳が分からん・・・。旦那のミっちゃんに電話しなよと、オイラが掛けてやった。老は「あんたはいいけど、マアちゃんに来るように言って・・・」と、殆ど呆け老の会話だ。オイラが『宜しければ、一緒におこし下さい』だろう?と、余計な口出しをした。

老人介護の気持ちでか、老い先短いと思ったか、ミっちゃんと女将は義理堅く来てくれた。これでまた、歌が盛り上がると云うものだが・・・よく覚えてない。記憶喪失症かな?老の毒気に当てられたか?

                        

                     奥でマイクを握っているのは、ミっちゃん

SEIJUのママさんは、23時30分で店仕舞い。それから、下りのメトロで竹ノ塚だか草加やらに帰る。従って我等は、その時間には店を出ることになる。先に見える「ちょっぷく」の看板灯りは既に消えていた。老は帰宅の意思がないようだ・・・・・。

それじゃもう一軒と「おたぬきさん」に向かった。人形町通りの信号を越えると、後姿に見覚えがある人物が同じ店の方に向かっている。大きな声で『マッチャン!』と呼ぶと、ギョッとして振り返った。五人プラス一人、「おたぬきさん」では顔利きのマッチャンの先導で入場だ。なんとかカウンターに席を作って貰った。

常連客か?マッチャンの誕生祝いだとシャンパン(発泡酒?)を開けて、ふるまってくれた。流石にマッチャンだ、何処に行っても人気者。何を飲んだのかな~? ハイボールだ。暫くして、ベリーダンサーのRYOKO姫が姿を現した。ここら辺りも流石にマッチャンだ。

刻は二十五時を過ぎた、当然電車は朝までない。老はホテルに泊まると言うが・・・、昔手に入れた無料券を後生大事に持っているのだ。『AOKI、ホテルまで連れて行ってやれよ。部屋が取れないかもよ?』そういって二人を送りだし、飲んでいると携帯が鳴った。案の定、「部屋、ありませんでした」との連絡。

                           

                            RYOKO姫&マッチャン

隣に座ったRYOKO姫をからかって遊んでいたが・・・。だんだん草臥れてきた。戻った老とAOKIに、女将が「家の五階に泊まりなさいよ」と、優しい言葉。女将さんのファンが多いのも頷けよう・・・。戻る四人に別れを告げて、タクシーにてご帰還となった。時刻は26時を過ぎていた・・・、今宵は五軒だったか。

 

それでも『弁当』は作る。一人分と云うのが淋しいが・・・。

                          

「茄子の挟み揚げ」「茄子&挽肉の味噌炒め」「豚小間&タマネギ・マイタケ炒め」「小松菜と薄揚げ・ウインナーの煮物」、最後に「卵焼き」だが、これが失敗作となった。

                        

卵焼きと焼芋は名人級のはずだが・・・・、まだまだ修行が足りんか、二日酔いの脳足りんか?

 

 

 

 

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連敗街道・・・

2016-02-22 | Weblog

2/22(月) 土曜日に、日曜日のJRA競馬のメインレースの馬券を買って貰っていた。昨日の昼、奈加野の店主の車に同乗して三週間ぶりに平和島のボート遊びへと。第五レースから参戦したが、一向に目がでない。それでも、発走前に流れる興奮を掻きたてるように流れる音楽を聴くと「よっし!」と云う気分になる。

僅か三・四分のレースながらも、目を凝らしてしまうだけの面白さはある。艇がゴールに入ると間をおかずに着順結果と配当額が、競艇場の真向かいに据えられた大きな電光掲示板にも表示される。概ね残念な結果に終わるが、舟券をあらためて確認する。購入した外れ番号に臍を噛みながら次のレースの検討をするが・・・。

ボートレースの途中で、競馬の発走時間を迎える。スマホのワンセグで競馬レースを見る。競馬の実況と、ボートレース場の大音響のアナウンスが混じりあって中継の声が聴き取りづらい。小さな画面をみて購入した馬券の馬を探すが・・・これがまた判りづらい。漸く結果が判明するが・・・、二人ともスカだった!

こんなことを繰り返すうちにボーレースは、最終の12レースを迎える。最後の望みを託して、投票券にひねりにひねった番号を記入して自動販売機で舟券を買うが・・・。毎度同じように負け戦で手仕舞いとなる。

駐車場にNAKANOのオヤジと向かいながら、「 まあぁ、遊びさ 」と、さして悔しがりもせずにお互いを慰めあう。そして、環状七号線に向かう車中で「随分と陽が延びたな~」と、季節の移ろいを実感するのが常だ。

『今日も負けたか、貧乏オヤジ! 』だが、悔しくもなければ、惜しくもない。元々が勝負師じゃねえからな・・・、これじゃ勝てねぇと分かっちゃいるが。所詮は一時の気晴らし、気晴らしだけの人生だ。この世にちょっと生まれて、気晴らしをしながら終えるの待っている。所詮がそんな人生さ!

 

その気晴らしの一つ、弁当作りを今朝もやったが、これも飛んだ手抜きさ。長女が水曜日まで休みだそうな。となれば、弁当は一つだけでいい。これじゃ、弁当人としても遣り甲斐が、作り甲斐に乏しい。

と云うことで「お手抜き弁当」となったが、最近はこの手のことが多いようだ・・・・。

手抜きその一は、昨夜の菜の残り「大根&豚バラ煮」であるが、これは家人が作ったものだ。当人が、これを入れてくれと言うので・・・。ご飯も昨晩の残り飯だ。私が準備したのは「鶏ささみ肉のソテー、スナップ&インゲン添え」、これが私的メインである。後は、「鮭焼き」「ホウレンソウの卵とじ炒め」、以上であった。

                      

                           同じものを表から、裏から・・・・。

弁当一つと云うのは、淋しいものがあるね。土曜日に買った、「和牛挽肉」と「味付き牛肉」の出番は何時になるやら・・・・・。
今週想定していた菜は、ハンバーグ・ピーマン肉詰め・ロールキャベツ・焼き肉・蓮根&茄子の挟み揚げ・ポテトサラダなどであるが・・・。果たして、これらの出番はあるのだろうか?

 

 

 

 

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雨・・・

2016-02-20 | Weblog

2/20(土) 雨の終末となった。夜には風雨が激しくなるとか、TVの予報である。昼過ぎに家を出て、人形町へ。肉の「日山」で今夜のスキ焼の肉と、来週の弁当食材を贖って会派に顔出したところだ。

出社しているはずのYOSHIOの姿はなく、NOBORUが一人出勤している。YOSHIOは半ボケになったお袋さんの面倒でも見ているのかもしれない。高齢の親を抱えた子供が避けてとおれない課題だ。我がお袋にも困ったもんだが、月に一度の帰省だけで済ませている身としては大きなことは言えない。

昨夜、元スタッフのBINが「高松」まで来た。小一時間、金魚ソーダを飲みながら「今年は地球市民の会のボランティアプログラムに参加する予定や、故・古賀武夫さんの伝記出版」について話をした。会社を去ったBINだが、会の事務局長は継続している。具体的な内容が決まれば、何度か打ち合わせをすることになる・・・。

その後、渋谷「奈加野」に顔を出して生ビール、明日の平和島(ボートレース)行を確認した。店は相変わらずの繁盛ぶりであった。そして、東急文化村の先に在る店「ル・ツール」に、久しぶりに顔出しすることにした。狭くて長い階段を上がった・・・。何時もの喧騒は漏れてこない。扉を開けると先客が三人、カウンターに腰を下ろして話こんでいた。

                          

カウンターに椅子は四脚、奥の空いていた椅子に腰を落ち着けた。ハイボールをオーダーし、軽くグラスを掲げて先客やママさんに挨拶だ。先客は常連のようだ、その話しぶりから三人はお仲間同志かと思いきや・・・。三・四十代と思える男性が入り口に、真ん中に若い男性と思ったが、トイレに立った姿を何気に見ると女性?化粧顔にスカートのようだ?。私の隣は、五十代後半とおぼしきえらく元気のいい女性。よくトイレに立っ連中だ、交互に用足しに立つ・・・。

三人の話を聞いていると(狭い店の隣同士だから耳に入るのだ)、真ん中に入る雌雄不明の声が…、どう考えても男性の太い声だ。歴史・経済・貧困について語っている。若者は、大学の博士課程で学んでいるようだ・・・。

場の空気に馴染んだ頃合いに訊いた『君は男かい、それとも女性?」と。すると「戸籍上は男です。が、・・・・」と返ってきた。『そうなの、今はその方面についても随分と寛容と云うか、理解が深まったからね…』「それでも親はそんなことは信じたくないようですよ。お前は違うよねと、言われます」「理解しないでしょ、したくないでしょう。高卒だし・・・」

『学歴は関係ないだろう、学歴が無くて立派な人はたくさんいるし、知っているよ。親の気持ちが、押しつけがましくなるんだろうな。それが嫌になるだ。親だけでのことでなく、何度も同じことを繰り返され無理強いされるとネ・・・』そんなことを言って、三杯目のハイボールを飲み干した。

店を後にする段になって訊いた、『お仲間同士じゃないの』と、なんと初めて会った者同士だった。酒場というのは、面白い。飲めば飲むほど、酔えば酔うほど・・・。

 

何時の間にや鉢植えの「河津桜」が満開になっていた。そういえば、田舎の畑に在る梅も満開で散り始めていた。昨秋の柿・ミカンと不作だったが、後二ヶ月もすれば、果樹の蕾が膨らみ始める。今年はどうなるのかな?

                          

幼木で旨味が出ない八朔の実を収穫した。殆ど食べないで腐ってしまうが、実ったものは収穫しなければならない。果樹も二十年三十年と経たないと美味しい実にならないそうだ。人間も、ある程度年数を経ないと味がでないように― 亀の甲より歳の功か ―。それまでこっちが生きているかだ・・・。

蜜柑畑の草刈は来月からだが、先日は剪定をした。秋に伸びた枝を切り、燃やす。燃やさないと柚子の丈夫で固い棘が刺さって痛い思いをする。4~5cmもある棘は、ゴム長靴の底を通すほどだから厄介なんだ。

                       

                  ハッサク          柚子の棘     剪定した枝を燃やす

 

 

 

 

 

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お誕生会

2016-02-19 | Weblog

2/19(金) 昨日は悪徳チャンこと、MATUOKA氏の51回目の誕生日だった。人形町・酒場巡りの最強メンバーなので、ここは謹んでお祝いを申し上げなくてはならぬ、と手ぐすねを引いていた。が、夕刻にNグループの某社の営業担当がセールスで来社した。以前に仕事上の繋がりがあったことから、話を聞いた後で一献交わすことになった。

ではではと、窓口になっていたスタッフのMURAKAMI君に「高松」へと案内をしてもらい、私も遅れて合流し懇談となった。先週は満席で入れなかったが、この夜は珍しく空いていた。久々に“金魚割”を飲む。寒いので、金魚湯割りにしたいぐらいだったがソーダ割りであった。

                           

一時間ほどご一緒し、マッチャンの誕生祝いに「ローカーボ」へと駆け付けた。カウンターにはパトロール隊のHOYA兄い、佐賀の御大将は取引先らしきメンバーを同伴していた。ハイボールで、オメデトウの乾杯をし誕生日を寿いだ。過ぎ越し五十一年の年月のあれこれ、行く末の五十余年の目標など大風呂敷を広げ包み込むが如くに語る主賓であった。

HOYA兄いと、我等はその歳で何をしていたかと披歴し「光陰矢のごとし、あっという間に俺らと同い年になるぜ」と、年下のマッチャンを戒めたが、ボケオヤジの話なんぞは聴いちゃいねぇわな・・・。

ローカーボから「うまし」へと三人で移動、ここでは燗酒を飲む。次いで「セイジュ」へと移動し、焼酎を飲りながらカラオケとなった。セイジュの奥にあるBOX席では若いグループ熱唱中、うら若き外人さんが演歌を唄って盛り上がっていた。彼等が引き揚げ際に素性を訊くと、会社で招いている英語教師とのことだ。

界隈NO1ラーメン店「三浦」の店主もやってきて合流。マッチャンにお祝いだと渡したのは、派手なトランクス。「これちいさくねぇ?」なんて言いながらもご満悦の体だ。何を聞いたか唄ったか、覚えちゃいない。この頃から酔いが廻っていたか?しかし時間は23時前だ、もう一軒と寄ったのが「ちょっぷく」だったが、店仕舞い前だと言われワインを一杯づつで移動となった。

                             

マッチャンが開拓した「おたぬき」さんへと、人形町通りを渡ったのであった。おたぬきさんで何を飲んだかな?焼酎かハイボールだろうな。HOYA兄いは先に帰り、何時の間にや24時を過ぎた、愈々終電の時間だ。マッチャンと中華三浦を残し、24時17分のメトロ終電で中目黒へ、東横線最終で学芸大学に着くと25時になっていた。深夜に吹き抜ける風は、寒かったね~・・・・。

一応六軒を廻ったが、マッチャンと中華三浦は、あの後何処ぞで飲んだことだろう。四十代と五十代のホヤホヤは元気だぜ!

 

そんな夜を過ごしたが、今朝も弁当は作るのだ。重い体に鞭うって台所へと向かう。今日は「鶏の親子煮」だ、魚は「秋刀魚の丸干し」、青物は「キャベツの浅漬け」、最後に「茄子と挽肉の味噌炒め」でお仕舞にした。

                   

 

 

 

 

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一週間ぶりに・・・

2016-02-18 | Weblog

2/18(木) 12日の朝家を出て、13日まで佐賀に居た。12日の夕方からポツリポツリと降りだした雨は、翌日には本降り、ドシャ降りの雨となった。そんな中で、地球市民の会「TPAテラネットワークミーティング」と称する活動報告&意見交換会が行われた。会場は、佐賀市ながら福岡県にに近い山里の大和町で、道の駅「そよかぜ館」の集会所を二日間借りての会であった。

会場が道の駅だから、休憩タイムには物産を見て楽しんだ。なかなか立派な施設で、産物も多い。値段は、我がふる里より安い!概ね高知の物産は高い!品質の問題ではなく高いネ!。全国津々浦々の道の駅を踏破し、各地の市場を、大都市東京の市場を探索している小生の目がそう云うのだ。この後、帰省して再確認したが・・・・。余計なことに話が逸れてしまった。

土曜日の昼にミーティングが終わり、福岡に戻る人の車に、岐阜から来た会員と一緒に同乗させてもらった。1時間弱で福岡市内に入った。福岡空港から高知への便が夕刻にあり、それで帰省した。飛行機は大揺れ、高知は大雨の最中だった。安田川も前夜から降った雨で、洪水だった。

                   

 

昨日の午後に帰京し、4時からOB会理事会に出席。5時からの懇談会の後、品川駅前の路地にある居酒屋で例の如く、小人数で2次会となった。すっかり出来上がったが、9時過ぎに人形町に戻り軽く一杯。最後は眠くなってしまった・・・だらしねぇな!。帰宅は23時だったが、思いのほか酔っていたようだ。

そんな晩を過ごした今朝、弁当だ。1週間ぶりの弁当作りに着手したが、いまいち乗りが良くない。弁当もシンプル(手抜きということ)なものにする。

ホウレン草のお浸しと、炒り卵。鮭を焼き、椎茸とインゲンをバターでソテーする。豚バラ肉を炒める。鍋で炊いた飯を弁当箱に詰め、高知で買ってきた「極上釜揚げシラス」を散らして「シラスご飯」にする。蒲鉾も二切れ程加えて口直しの一品だ。

                      

手抜きした割には、思いのほか美味そうに仕上がった。「美味しそうじゃん!」は、長女の弁だ。

                           

 

 

 

 

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カツ丼

2016-02-11 | Weblog

2/11(木) 今日は休日だが、家人は仕事に行くと云う。それじゃ、「カツ丼弁当」でよければ作るよと、休みにも関らず弁当を作ることにした。休日だろうが、日曜日だろうが仕事に出る家人は、気の毒と云うしかない。「それやぁ、亭主の稼ぎが悪いからだ」と、天の声が聴こえそうだが・・・・・。稼ぎが悪いのか、使う方が多いのか、そこん所はあやふやにしとこう・・・、確定申告も近い。

罪滅ぼし?懺悔?、そんなことはどうでもいいが、弁当を作った。但しトンカツの方は、駅横のサボテンで買った、20%引きの三元豚トンカツである。こんなこともあろうかと、昨夜の帰りに何気に買った。店が開いている時間に帰ったと云うことだが、割引タイムと云うことは22時過ぎだったろうと推測できる。

昨日は三時半に上野駅へ。駅の三階にあるギネスを飲ませる店で、KIYOTA大兄と不良冶と呼んでいるTAKAHASHI君の三人集合した。頸椎や腰椎いため、未だリハビリ中のKIYOTAさんを囲んで、久々の懇談だった。AD時代の上司と、同僚(後輩か)であるが、あの時代、好きなようにやらしてもらったので有難かった。そんな時代の話や、昨今の情勢と話題には事欠かない。まあ大半が、駄法螺話だが・・・・。

頃合いを見計らって、上野から人形町に移動して先ずは「うまし」へ。ここで生ガキ・刺身・馬刺しなどを頂いて燗酒を飲った。それから、当初の目的だった蕎麦の「高松」へと向かった。処が、満席!「ローカーボ」へと移動し、ハイボールとなった。八時を過ぎたので、「高松」に舞い戻ったが・・・。満席がつづいていた。

人気店なのだ・・・、満席がつづいていれば常連客は気を利かして程々で切り上げるものだが・・・。どうも酒場でのマナーが壊れているようだ。気の利かぬ輩が増えたということか・・・。諦めて、客人のお二人は引き揚げた。然し、オイラの方はもう一軒。「ちょっぷく」に不時着したのであった。

                           

「うまし」に向かう途中、YAMAちゃん店長と顔を合せていたのだ。「何処へ行くんだよ?」と詮議するYAMAちゃんに、『後でな ! 』と手を振ったんだ。すっかり酔っていたし、一人じゃ間が持たない。会社のスタッフで暇そうなのに電話して呼び出した。三人がやって来たが・・・。こっちや、すっかり出来上がり状態・・・・、連中を人質に残して先に引き上げた。だらしないオヤジだぜ  。

そんな状態で最寄駅に着いたのだが・・・、弁当用にトンカツを買うとは大したもんだぜ

 

で、今朝の弁当は「カツ丼」に、小松菜のお浸し、シメジ・タマネギの炒め物と、少な目の品数でまとめた。

                        

 

明日は朝の便で、佐賀へと向かう・・・・。天気悪そうだ!

 

 

 

 

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