オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

トンカツ

2017-06-30 | Weblog

6/30(金) 早いもので今日で六月が終わり、半年が経過することになる。なにやら、やたら刻の経つのが早い。うかうかしているうちに年末を迎えることになろう。但し、それまで生きていればのことだが・・・。

昨日の朝、会社に衆議院議員のSAKAI君が寄ったそうだ。「近くに来たので寄りました」との伝言を残していた。幸いと云うべきか、この日の出勤が遅かったので顔を合わすことがなかった。

思うに、都議選の応援に入ったのであろう。中央区はかなり分裂気味の選挙になっている模様。SAKAI君は、ここいらが地盤だった代議士の秘書時代に、この辺りを廻っているので土地勘があるはず。

今は、政治にも選挙にもさしたる関心を無くしている私だが。サラリーマン時代、ある仕事を通じて社会・政治への参画を強く意識した。自らが社会の問題にかかわる必要性を、政治を抜きにしてはならないことを。難しいことは云えぬが、市民社会の実現には、市民、自らが社会参加をしなければと。

SAKAI君の初めての選挙の時、十年以上も前になるが、うちからもボランテイアスタッフが行った。残念ながらこの時は、同盟系のベテランに敗れたが、二回目から連続当選を果たしている。

彼のことを知ったのは、地球市民の会の現会長SATOさんを通じてのことだった。彼は、松下政経塾を出た後、一年程SATOさんの処で、地べたの仕事をしている。そんな関係から、僅かながらも応援をしてきた(つもり)。

午後に、某参議院議員の秘書がやってきた。参議院に知り合いはないがと思って応対すると・・・。今月半ばに在った高知の会「東京黒潮会」で名刺交換をした相手であった。

『なんや、選挙のことできたんかい』と、ジャブを出すと「違います。先日の黒潮会のおりに、お邪魔して良いとのことでしたの伺いました」と言う。

 - そうか、そんなことは言いそうだ。何しろ、軽い男さオイラは。来たいと言われれば、どうぞと言うだろう。二週間も前のことを覚えちゃないが。 ―

取り敢えず、室内に案内して話を聞いた、した。三十六歳だと云う、前職は県会議員だったが落ち、秘書になった。『なんで落ちたんや?』「不徳の致すところで」と応じた。土佐人らしい顔と、土佐人には稀なるおおらかさをのようなものを感じた。

国会が閉会中で議員は地元、比較的に時間はあるとのことだ。それで、堀留町の田舎まで来たのか。ご丁寧にHPで、クライアントや地図をチェックしてきたのだろう。思うに、暇が出来たので名刺交換の相手を何社か訪ねているのだろう・・・。いいことだね、顔を合わせて人の話を聞くのは・・・・。

尤も、俺なんぞに会っても意味は無かろうが・・・、意味がないと云うことを知るか?

『じゃあ今度一杯やるか?人形町の安酒場を案内するよ』

「是非お願いします。余り飲めませんけど。」と、云うことで暇な時に連絡を貰うことにした。

今朝になって、彼の経歴をと検索すると。東京大学工学部・大学院卒、議員秘書~県会議員(一期)~議員秘書と云うことが分った。どうってことはないが、東大はトウダイでも、室戸の灯台らしい顔つきがいいネ!(意味不明か)。

なにが言いたかったのか?、昨日は、午前・午後と、政治の匂いがしたと云うことだ。

 

テーマの弁当に話をもどそう・・・。

今朝のメインは「トンカツ」です。露払いは「生鮭のバターソテー」、太刀持ちは「茄子・ピーマンの味噌炒め」、座布団もちは「茄子・オクラ・ピーマンの素揚げ青紫蘇ドレッシング和え」、草履持ちが「胡瓜酢物」、その他賑やかしが「炒り卵」となった。

                     

昨晩も帰宅時に東急ストアにて、豚肉・生鮭・大葉を贖っての帰宅。道すがら、弁当メニューを構成しながら家路へと。それほど酔ってなかったと云えよう・・・。

                              

 

 

 

 

 

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チンジャオロース

2017-06-29 | Weblog

6/29(木) 今日の弁当は「チンジャオロース」がメイン。昨日の生協の配達にあったものだ。肉とタレがセットで、ピーマン&筍を細切りして肉と炒めて、タレを混ぜあわすだけのこと。面白くもないが、在庫豊富なピーマンの消費にはうってつけである。

                             

後は、茄子と胡瓜の塩麹和えで、口安めの品とする。冷凍秋刀魚の塩焼き、ジャーマンポテトと卵焼き、以上で今日の弁当が完成した。

                     

六時に台所に入り、ご飯を仕掛けて菜が出来上がったのは七時。弁当に詰めてから、残った菜とホッカホッカのご飯で一膳。朝から飯の喰い過ぎを心配するが、美味いものは旨い 処が、このごろは飯を喰った後に疲れを感じる。飯はエネルーギーの源ながら、飯を喰うという行為はエネルギーの消費が大きいのだ。されど、飯を喰って草臥れるようじゃ人生もお仕舞か?

                      

 

自分のことはさておき、廻りの連中が思いのほか高齢になっていることに驚く。彼の若者たちが、退職をする年齢になっているのだからネ。

昨日の午前、9:45分に東京駅八重洲改札で後輩のUEDA君と待ち合わせた。前日に上京していた彼が、大阪に帰る前に会おうということになったのだ。彼は、大阪が本社のNグループ会社のの監査役をしているが、今月末で退任することになったとのこと。

ついては、最後に顔を合わせて帰りたいとのことで、新幹線の時間を遅らせた旨の連絡を貰っていた。東京駅地下のフルーツパーラ千疋屋で(こんな店しか開いてなかった)、コ―ヒーを飲みながら来し方行く末を一時間ほど聞いてから別れた。「いいサラリーマン人生を送らせてもらった」と、しみじみと言ったが、そのとおりであろう。

彼とはN社の県人会で顔を合わせて以来、三十五年ぐらいの付き合いになるが、四国・大阪がベースの彼とは東京での単身赴任時代の付き合いが長い。その後、大阪・松山・高松・大阪と勤務した彼とは、その先々に立ち寄り、また東京出張では毎回のように飲んだ。妙に気が合ったのだ。

昨年会った折には、「来年で終わりそうだ」と言ってたが、その年齢になったということだ。サラリーマンの宿命である。退任後は家族が居る高知で暮らすというので、地元で一緒に飲むこともあろう。長い間、ご苦労様でした。

 

そんな午前があり、夕刻には銀座「エスカイヤクラブ」で友人のT物産社長OKAZAKI氏との食事があった。先週の始めに電話を貰って「偶には食事でもどうです」と誘われた。

改まって「食事」と言われるのも珍しい。取引先が日本橋界隈に多い氏とは、毎週のように会う。私が昼食をまともに摂らなくなってからは、専ら喫茶店での雑談が多いが。

今月は氏の会社の決算月である。数字の方は良かったようだし、月末を迎えて食事を摂りながら息抜きの雑談でもと思ったのか・・・・。彼がメンバーのこの店になった。

外の明るさと裏腹な薄暗い店内に入り、バニーちゃんに案内されて席に就いた。バニーガールの衣装は前と変わって、お洒落になったように思ったが、なにせ銀座のここに来たのは五六年ぶりだから、どうだか、記憶も怪しい。

                            

コースの料理を口に運びながら生ビールからハイボールへと。話は具体的な仕事のことと云うより、個と組織を活性化させる方法論。答えが出そうで出ないテーマになっていた。社長にとっての最大の仕事であろうが。

俺たちは結構こんな真面目な話をするんだが、解がでない。尤も解は、行動・実践の結果でしかなかろうが・・・・。そんな真面目な会話のところへ、「三陸産の生ウニは如何です?」と、バニーちゃんが、砕氷の上に載った殻つきのウニを勧めに来た。値段は一つ1500円とのこと。

 ―閑話休題― 『どうせ君の支払いだろうから、貰おうよ』と、バニーちゃんに協力した。大きな皿に乗ってやってきたウニは、美味しゅうございました・・・。

「金曜日に、期の打ち上げと来季に向けたキックオフを某宴会場でやるんだけど。何を話そうかと迷ってる。精神論を話そうかと思うんだが・・・」と云う。

『精神論ね・・・、それよりも具体的なことを伝える方が理解するんじゃないかな。人は自分が理解したいことしか理解しない、だからリアルなことを示し、それの補完としての精神論なら通じやすいんじゃないか。具体的なことが7~8割、リアルを達成するありようとしての精神論が2~3割。そんなとこじゃないかな・・・。』

OKAちゃんも社長になって十年近い。それでも個・組織の活性については悩みは尽きないようだ。何処も同じだろうが・・・・。

『俺なんか大企業育ちで、ヒエラルキーがはっきりしてるとこに長く勤めたろう。今の会社に居る連中の仕事のやり方、考え方、行動様式が未だにわかんねぇ!そんなことがいっぱいあるよ。口で何度言っても理解できないようだし、やらないねぇ~。目の前にあることは出来る、やる。それをより創造的なものしていく、付加価値というかプラスαを生み出すことがやれないんだ。出来ないっていうべきかな。』

「今の会社に入ったのは間違いじゃなかったの?そう思うね。企業体質が出来上がった処に入る、そこから自分のやり方に変えていくのは至難ですよ。だから、今のとこに行くと聞いた時はビックリ。むしろゼロから起業した方がいいと思ってましたよ」

『それはね、これからのビジネスはITだと思ってたからね。そのベースが有る方が仕事を創りだせるだろうとね。ゼロから始めたんじゃ時間と資金が掛かり過ぎるとね。だからベースがあるとこにいったんだが、上手く行かなかった。すべては自分の所為だけどな』

『サラリーマン時代の方が仕事はたくさんできたように思えるね。一人じゃないし、社内・外の知恵も力も使ったしね。』『ただ、生涯現役と云う思いがあったからサラリーマンは辞めたんだ。何があろうが、自己責任だもん』と云ったが、自分だけじゃないというのが重いわな!

「キックオフで話す内余は、もう一度考えてみます」彼はそう言った。

彼との付き合いも長くなった・・・・・三十年余か。彼は社長に就いた後、数年は苦労をした。バブル時代からつづく負の遺産の整理に大ナタを振るって、漸く一息つける時を迎えた。また、新規のビジネス開発に力を注いできたが、今は顧客視点で何が出来るか、すべきかを第一に考えているようだ。

 『毎期毎期、今年は安心だと思ってスタートしたことは一度もない。』そう云うと、「同じですよ。社長と云う立場はそういうものでしょうね。」と応じた。

 

人生いたるところに青山あり、とか云うが、至る所に友人と酒場仲間だけは在る。これ以上のことを、望むべくもなしか・・・・。

 

 

 

 

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久々の・・・

2017-06-28 | Weblog

6/28(水) 久々の、と表題をにしたが、さにあらず。弁当作りから離れていたのは四日だけである。四日をもって、久々とは云いにくいのだが、私の気分からするとそうなる。尤も、飯作りの方は帰省中も欠かさず、というよりは弁当作り以上に品数と量を増やして励んだ?

弁当は帰省する金曜日の朝、「五目チラシ」弁当を一つ作って以来。今日の弁当は二人分ながら食材が乏しい。田舎から持ってきた、茄子・胡瓜・ピーマンだけは潤沢に在る。

                           

そこで、ピーマンを活かすために「ピーマンの肉詰め焼き」を作ることにした。茄子は、乱切にして「味噌炒め」に。胡瓜は、竹輪に差しこんで「竹輪胡瓜」となった。ピーマンだけは自宅栽培で、茄子と胡瓜は一部が自家栽培。我が田舎町は、ハウス園芸が盛んな地域で、今頃は茄子の植え替え時期だそうな。苗をあげる前の茄子が沢山に届いたと云う次第。

                             

実家に滞在中も茄子の煮物、茄子炒め、茄子の酢物。胡瓜はサラダは勿論、大葉との酢物を何度か作った。夏大根はすり大根と煮物にしたが、煮物は二日ぐらいたつと旨くなった。ズッキーニは、もっぱら炒めものした。

弁当のことから話がずれたが、夏は野菜が豊富なのでいいね。これをどう料理するか、そこが問題だが、こっちは素人ゆえ同じようなものばかり。少しは研究しなくちゃイカンザキだ。

弁当のことに戻すと、後は「鯖文化干し焼き」「炒り卵とタマネギ・オクラのソテー」、以上の五品が今日の弁当である。

                     

朝から弁当事の遊びで、東京での今週が始まった・・・・。

                         

 

田舎では雨が心配だったが、一日降られただけですんだ。土曜日は朝からミカン畑で草を刈り、HIROKATUが手伝いに来てくれたので昼前に終わった。夕方から雨は本降りとなり、日曜日の昼までつづいた。日曜は物置代りに使っている部屋の整理となったが、これも妹夫妻が来てくれたので大助かりだった。

野菜畑では、買ってきた苗を植えた胡瓜は終わりを迎えたが、種を撒いた胡瓜の方が育ってきた。ピーマンは元気に実をつけ、トマトが赤くなるのはこれから。ズッキーニは、黄色が数多く実を出しているが、グリーンは数が少ない。夏大根はそろそろ終わりになるか?花目を出してきたのがある。スイカとまくわ瓜は幾つかなっているが、私が口にすることはないだろう。次の帰省は三週間さきになるのだから。

                     

オクラと唐黍はこれからだが順調に伸びている。従姉が手入れをしてくれているので元気だ。その従姉は、ここんところ体調が思わしくないと、晩飯にも顔を見せなかった。夕餉に作った「トンカツ&エビフライ」を届けた。

蜜柑畑の方は、小さな青い実をつけているが、今年豊作だった古い小夏の樹は殆ど実を付けていない。一方、未だ若い小夏の樹は、今年が不作だった反動でびっしりと実を付けている。果樹は表裏の年があるが、これを平均するには摘果しかないのか?一度だけ実を付けた「晩白柚」は、今年は幾つか実が残りそうな気配。

                         

こうして日々、月ごとに変わり行く樹木を見るのは愉しいものだ。至らぬ手入れながらも、それぞれの生命力を感じる。

畑に在る枇杷も終わりだが、袋掛けしたのが少し残っていたのでもいできた。今から旬を迎える「ヤマモモ」をHIROKATUが採ってきてくれた。この甘酸っぱい小さな実を私が好物なことを覚えている。

                            

田舎の暮らしと云うのも、こうして季節季節の恵みを知るといいものである。最後に、「鮎」も食したが、未だ身は柔らかで鮎独特の味わいに乏しい。今年の鮎は形が小さい上に不漁とのことだ。

 

 

 

 

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茄子味噌炒め

2017-06-22 | Weblog

6/22(木) 昨夜の帰宅は22:30と、”お早い帰宅。パトロール隊のメンバーとも顔を合わさなかったので、健康的な夜となった。飲んだのは「ちょっぷく」で白ワイン&ハイボール、それと”岩手の純情ワイン”とラベルに記された白ワインのマグナムボトル。

                            

ちょっぷくの助っ人隊の面々と、地方競馬の放映を見ながらであった。九時半に店を出て、そこから渋谷に向かう予定だったが隣のラーメン屋「空」に入ってしまった。ここで塩ラーメンを食すと、渋谷まで出かける気が失せた。動物、腹が張ると動くのが嫌になるようだ・・・・。

駅前の東急ストアにも寄らず、真直ぐ家に向かった。この時点で、今日の弁当の行方はほぼ定まったことになる。

蒲団に入って本を捲りながら、何時の間にか眠っていた。連日、夜中に目覚めている所為であろうが。朝まで眠れればいいものを・・・、目覚めると二時半であった。どうやら、私の連続してとれる睡眠時間は三時間になっているようだ。これやぁ 睡眠障害というやつかも?

 眠れずとも蒲団の中でまどろみつつ朝のスタート時間を迎えた。六時、台所へと向かう・・・・。いざ出陣! と、云うほどのこもないが。

今日の弁当はヘルシーにいきたいと、肉は鶏だ。鶏肉と椎茸・蒟蒻・万願寺で煮る。最後に少々のトロミをつけて、煮汁が垂れないようにする。焼き物は紅鮭を一切れ。春雨と野菜のサラダは胡麻ダレ味にする。

                            

「茄子と挽肉の味噌炒め」「オムレツ」が仕上がり、今日のラインナップが勢揃いした。なにが、どこがヘルシーなのかようわからんが、こんなものだろう。

                      

 

今日も弁当は二つ、小さな弁当箱に目いっぱに菜が詰まる。詰めたかないが、致し方ないのだ。何時もは菜の詰めかたを変えるのだが、今日は二つとも同じように詰めてしまった。

                     

 

明日から帰省する。上京は27日の夕刻を予定。弁当の代わりに、実家で暫くはおさんどんと云う次第。今年の鮎は小さいとのことが、これも食せるだろう。

野菜たち(茄子・胡瓜・トマト・夏大根・ピーマン・スイカ&瓜・唐黍・オクラ)の成長ぶりが愉しみだ。が、天気の方が?草刈もままならぬようだと困りものだ。

 

 

 

 

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ハンバーグ

2017-06-21 | Weblog

6/21(水) 朝から雨になった。午後には買い物に出たいのだが、相当強い雨になるとの予報が・・・。月末までに区民税の振り込みや、NPO団体・社会福祉団体の年会費の振り込み、更に田舎の実家の屋根の修理代と今月は支払いが目白押しだ。

五月は車検が有り、田舎の固定資産税、OB団体や加入団体の会費と振り込みをしたが、こう多いと漏れているのがあるのじゃないかと心配になる。そんな中で、昨晩は地球市民の会副理事長のOONO氏が上京。氏から、少額ながらも氏が経営する障がい者自立支援事業の配分金を貰った。

この事業の立ち上げの折に出資を依頼されたので、求めに応じた。まさか配分金が出るようになるとは期待してなかったが、毎年この時期になると前年度の収支報告と一緒に封筒入りの金員を持参する。まあ頂いた金が飲み代になると云うことだ。

昨夕、上野精養軒で今月でグループ会社の社長を退任する後輩の退職慰労会があった。丁度、精養軒に着いたタイミングでOONO氏からの電話が入った。それまで、氏が上京することを忘れていた。

十日ほど前か、上京する旨を聞かされていた。その折には、遅くなるが会えるとだろうと返事をし、当日に電話をするように伝えた。そのスケジュールを記してなかったのだ。電話に出て、そのことを思い出したと云う体たらくだ。退職慰労会の方は、お開き前に失礼をすることになった。

OONO氏とは、何度か案内をした「ローカーボ」で落ち合うことにした。上野から人形町に戻ったのは午後八時前。ハイボールを飲みながら氏が現れるのを待った。ホテルを取った浅草橋の中華屋で、店主との会話が長引いたと、遅れて来た氏と、飲みながら状況を聞く。そして、会の事業活動についての意見交換や、創立者、故・古賀武夫の物語の進捗について話した。

話の途中から、執筆中のHASHIMOTO氏に電話をいれたが繋がらなかった。ショートメールで、OONO氏と会っていることを知らせた。後でスマホをみると「早く佐賀へ行けるように頑張ります。飲み過ぎ注意の」のメールが届いていた。早く佐賀へというのは、原稿を早く仕上げてと云うことであろう。初稿、二稿を没にしたので、HASHIMOTO氏も呻吟苦闘つづきであろう・・・・・。体調が優れない氏の、健勝と健闘を祈る

「ローカーボ」にHOYA兄い、マッチャンが連れ立って現れた。HOYA兄いの知人を交えて飲んでいたようだ。兄いは「四軒目だ」とか言ったが、まだ正体を無くしてはなかった。ローカーボから「ちょっぷく」に移動して白ワインを飲る。解散したのは23時頃じゃなかったか。

学芸大学に着いてから東急ストアで弁当食材を買った。ハンバーグ用の牛挽肉と生ラーメンである。零時に近い帰宅ながら、そのラーメンを喰ってしまった。最悪のパターンだが、これをやるということは酔いがまわった証拠だ。案の定、そのまま椅子で眠り込んだようだ・・・・。

 

ネコが足を掻き、舐めた。「ニイサン、ここで寝ちゃいけないよ!部屋に行きなさい」とでもいうような、優しい掻き方だった。時計の針は三時十五分を指していた。よたよたと部屋に行き蒲団を敷いた・・・。次の目覚めは六時過ぎだった。連夜の睡眠障害である。これって、病気?障害?自堕落が適切な診断かな

今日のメニューは「ハンバーグ」ですよ。その他大勢は「小松菜の胡麻和え」「胡瓜・大葉・茗荷の甘酢和え」「ギンダラ西京漬け焼」、スクランブル風エッグである。

お米を磨ぎ、電気釜へ。次いで、胡瓜をスライスして塩揉みし大葉・茗荷を加えてひと揉みし、砂糖・酢で味加減。そうだ、黑酢を買っとこう。椎茸をバターソテー、小松菜を湯がいて白出汁で胡麻和えにする。

                           

タマネギを刻み、炒める。挽肉に塩胡椒・ナツメッグを振り、炒めたタマネギ・パン粉を黄身を加えて揉み混む。形を整えてフライパンへ。よく揉みこんだ成果か、旨くできたようだ。最後にケチャップ・ウスタ―ソースなどで特製のタレを。

                           

最後にキャベツを千切にし、卵をスクランブル風に焼いてお仕舞にした。ハンバーグは四枚焼いたが、二枚は冷凍庫へ。

                        

                                                                                                                                                                        

 

 

 

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コロッケ

2017-06-20 | Weblog

6/20(火) 昨日の予定では、料理教室のおさらいを兼ねた「ハンバーグ」と「コロッケ」が今日のお弁当になるはずであった。処が、昨晩の帰りに東急ストアに寄り、菜を物色した。そこに「メカジキ」があったので漬け焼にでもと思って買った。

ハンバーグ・コロッケ・メカジキ照り焼きとなると、小さなお弁当箱には荷が重い。未だ起きていた家人に訊いた『ハンバーグとコロッケ、両方じゃ重いだろう?どっちがいい?』と、すると「コロッケ」と応じた。と云う次第で、コロッケとメカジキがメインとなった。

それは良しとして、今朝の目覚めはなんと三時半だった。朝といわず、深夜に目覚めたというべきか。そこから寝ないで本を読んで時間を過ごし、漸く眠くなったのは六時。起きて台所に入る時間帯であった。眠る分けにもいかず、悶々と三十分分程を過ごしてから台所に向かった次第。

メニューは決まっている、淡々と作業をすだけのことだ。米を磨ぎ、湯を沸かしてジャガイモを茹でる準備をした。前夜に漬け置いた「メカジキ」を取り出し、牛挽肉を冷凍庫から出す。野菜庫から茄子と前夜に買っておいた大葉・茗荷を出す。これで概ねの食材が揃う。

ジャガイモは残り少なくなったが、後輩のKOMATU君が丹精したもので、これを使う。手抜きのため、途中から卵と茄子も一緒に茹でるが。タマネギを刻み、牛挽肉と一緒に炒め、塩胡椒を振る。

大葉と茗荷を刻み、茹で上がった茄子を自家製のポン酢で混ぜあわせた上にふる。これで一品が完成。次いで、メカジキを熱したフライパンに載せて焼く。これで二品目が直ぐに仕上がる。

                             

最後に、揚げ鍋に油を入れて熱し始める。並行してジャガイモとゆで卵を潰し、バターで炒めたタマネギと挽肉を混ぜる。味付けは塩胡椒のみだ。弁当に入るぐらいの大きさに握り、卵と小麦粉を溶いた中に潜らせてパン粉の海を渡らせてから、湯加減がよくなった油の浴槽でキツネ色になるまで油浴させてから引き上げると、三品目の出来上がったのである。付けあわせの野菜は、キャベツならぬレタスの千切。

                        

今日のお弁当は二つ。家人は今日は仕事が立て込んでないという。ならば、ゆっくり食べてくれとばかりに量を増やしたが…、弁当箱は同じだからしれたもんさ。

                               

 

 ― 昨夜は・・・・・ ―

昨晩の帰路、「ちょっぷく」に寄るとHOYA兄いが相談役と二人で居た。マッチャンは店前のコインランドリーが終わるの待ちながら一人でビールを飲んでいた。マッチャンは運よくゴールドカード(五枚分の大当たり)をゲットしたとかでご機嫌。私は、HOAYA兄いたちと一緒に白ワインを頂き、最後は舞い戻ったマッチャンとその酒場仲間の四人でテーブルを囲んだ。

最初から最後まで白ワインだけ、二時間ほど経ったので店を出た。三人はセイジュかローカーボに向かったが、私は一軒で引き揚げることにした。恨めし気に振り返る兄いに手を振って別れた。学芸大学煮ついてから、弁当用の食材を少々贖ったが、それでも帰宅は22:30分と早かった。

何時もより早く蒲団に入ったのが良くなかったか、目覚めは三時半と云う結果になった。真面目な生活は、不健康になる元凶か?そんな気がしないでもない・・・・・。

 

 

 

 

 

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テーマはレトロ

2017-06-19 | Weblog

6/19(月) 先週の土曜日、第四回目となる「オヤジ達の料理教室」が開催された。教室主催のJIN先生と相談した結果、今回のテーマを懐かしき”昭和の洋食堂”ということにした。作る料理は「ハンバーグ」と「コロッケ」に決定。後は先生任せで、我等は当日に飲み物を片手に先生宅へ向かう。

当日の午後二時、高輪台の先生の自宅兼教室に参集。今回は、NAKAMURAさんが頸椎の再手術で、写真家のHANADA女子は「父の日」を祝うために実家のある福岡市に里帰りとのことで欠席した。従って、今回のメンバーはHOYA/MATUOKA/AOKI/FUJIKURAに小生の五人である。

先ずはベランダで一服、手洗いをしてから調理台の前に立った。ハンバーグ&コロッケとメニューは決まっていたが、詳細は先生のレシピと指示である。ハンバーグの挽肉は、和牛を肉屋さんで挽いて貰ったものを使い、ステーキに近いものにするとのこと。調味料にナツメッグを使うのは初めって知った。

タマネギの刻み方から始まり、挽肉を捏ねて空気を抜くための肉玉の扱い方では、誰かがキャッチボールでもやるんじゃないかと、心配した。左利きのFUJIKURAの包丁使いは、リズムを取っているのか単なる癖か、腰を上下させながら切るので見てて可笑しい。ハンバーグの準備が済むと、次いでコロッケの下準備へ。

またしてもタマネギを刻み、豚ひき肉と炒める。茹で上がった新ジャガの皮を剥き潰す。これらをボウルに入れて調味料を加えて混ぜる。揚げ用に形を整えるが、HOYAの兄貴は「一口コロッケにしよう・・」、AOKIは「定番の小判形がいい・・」と、結果、自分の好みにしようぜ!で、不揃いなリンゴならぬ、不揃いのコロッケが・・・。

今回の発見は、溶き卵と小麦粉を一緒に混ぜたものにコロッケを潜らせ、パン粉を付けるという手法。自分が家で作る時は、小麦粉を付けてから溶き卵に潜らせるのだ。違いは他にもあるが、おしなべて応用か・・・・。

                       

                     椅子に座した監督官は、先生の旦那。ウルサイよ!

下準備が整うと焼く、揚げるの仕上に移った。ハンバーグの焼き方は片面が焦げができたら裏返して蓋をし、5~7分中火で焼いた。コロッケの揚げ方は、キツネ色になるとOkだが、油の鮮度にもよるとか。これまで、そんなことは一向に気にせず揚げていたが・・・。油が新しいとキツネ色が遅くなるとか。

途中のタバコタイムやお喋りの所為で、目鼻がついてビールにありつけたのは五時前になっていた。乾杯をした時点では、AOKIは未だコロッケを揚げ終えていなかった・・・・。

自分たちが作ったものを(料理の五割程度ながら)頂きながらお酒を飲み、更に先生と助手を務めてくれるJINNOさんの料理が出てくる。至れり尽くせりとは、このことだ。

先生が別に用意してくれたのは「ハモの梅肉」「コーンの掻揚げ」「湯引き茄子の茗荷・大葉添え」「エシャレット&胡瓜の味噌添え」、ご飯もので「生姜ご飯」「塩鮭ご飯」まで。最後にマッチャンが持参した日高屋の餃子焼まで登場し、満腹満腹・・・・。こんなに料理を頂いちゃ、酒が飲めない

                           

振り返りと呼ぶ食事タイムに近所に住むと云うNARUTO夫妻がケーキなど持参して参加。今回も大いに賑わい、高輪台の宴はつづいたのであった。いけねぇ! 前回に借用した傘を返さなかった・・・。

次回の教室は7/8(土)の予定である。中華と云うことにしたが、マッチャンがインスタントラーメンの美味しい食べ方を知りたいと言っている・・・・。

最後に、父の日で帰省したHANADA女子から、両親のためにこれまでに教わった料理をお披露目。両親に大いに喜ばれたそうだ。ただ、料理が並んだのは夜の九時になったそうで、「随分掛かったね」の一言もあったよし。

それでは、私も負けずに明日の二人分の弁当は「ハンバーグ&コロッケ」と「湯引き茄子」の菜でも作るか・・・・・。で、ご飯は「塩鮭ご飯」?。

 

最後に今日の弁当だが、一人分だった。残り飯で「卵焼き飯」、菜は塩秋刀魚焼き・タラコ焼き・インゲン・人参の油揚げ煮、小松菜・タマネギ・シメジの炒め物、椎茸・万願寺のバターソテーと、お手軽な弁当にした。

                            

家人の「軽めにしてくれる」のリクエストに応えたのだが?

                            

 

 

 

 

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満艦飾

2017-06-16 | Weblog

6/16(金) 昨夜は、今月の一日に入社したY氏と歓談。当社の成り立ちや課題など、「うまし」のカウンターで話しながらハイボールなどを啜った。別れた後、「ちょっぷく」にて助っ人隊の面々と一杯。山形のワインなどを飲み、気勢を挙げて酔っ払う。そこから「ローカーボ」のカウンターに辿り着いたはいいが、すっかり出来上がっていた。

                   

                     面白い味だね!と、助っ人隊の面々と。

マッチャン不動産が、酒場仲間の証券マンと一緒に入って来たのは覚えている。その相方に、なにやら石をぶつけるようなことを言ったような記憶が微かにある。失礼千万なことだが、そこはマッチャンが弁舌爽やかにとりなしたことだろう・・・・。と、期待したい。

そんな次第で、帰宅が零時を廻っていたのは確かだ。今朝の目覚めは、爽やかとはいかなかった。この頃は、酔いがまわるのが異常に早い。

で、今朝の弁当作りのスタートは6:30分になった。

先ずは米を磨ぎ電気釜で炊く。菜は、豚バラのアスパラ巻き揚げと、豚バラ・ピーマン・タマネギを素揚げした甘酢和え、胡瓜&キャベツの塩麹揉み、パスタサラダとタラコ&ギンダラ西京漬け焼、最後が卵焼。以上である。

                            

面白くもない菜が並ぶが、マンネリだねぇ~。人生も遊びもマンネリ症状が甚だしい・・・この頃でありんすへ

 

 

 

 

 

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チキンライス

2017-06-15 | Weblog

6/15(木) 今朝と云うか、夜中と云うか午前三時半に目覚めてしまった。それから眠る気にならず、台所に向かう時間まで本を読んで過ごす。前夜、蒲団に入ったのが23時過ぎと早かった所為か?

今日の弁当は一つ、おまけに電気釜に残りご飯があった。それじゃと云うことで「チキンライス」にすることになった。菜の方も簡単な「小松菜&椎茸煮」と「ジャーマンポテト」ということに。手抜きに非ず、シンプルを旨とした次第。

で、チキンライス由、鶏とタマネギ・人参・シメジ・ピーマンを刻んで炒める。ケチャップに塩胡椒、ウスターソースを隠し味にして炒めてお仕舞。溶き卵をオムレツ風にしてチキンライスにのっければ「オムライス」だ。

                        

小松菜と人参・椎茸を油揚げの小口切りとで煮ると「野菜煮」の完成。後は、ジャガイモとタマネギを茹で、ベーコンで炒めると「ジャーマンポテト」いう塩梅になった。我ながら鮮やかな手並み?と、自画自賛で弁当作りはアッと云う間に終わった。

                        

 

昨日の夕方近く、築地の聖路加に入院中のNAKAMURAさんを見舞った。前夜ベリーダンスを踊っていたRYOKOちゃんも、仕事の連絡があるとのことで一緒だった。

個室(聖路加は全てそうだ)のベットに横になっていたNAKAさんの顔色は、入院前に比べて格段に良くなっていた。頸椎の手術は上手く行き、後は持病の心臓の方の手術がどうなるか、その判断が週末にでるとのこと。

酒もたタバコも止めて一月、血糖値も体重も下がって健康体になっていた。これぞ、怪我の功名というやつかも・・・・。おまけに看護師が若い人ばかりと、楽しげに言う。これじゃ元気になるはずだ

そんな話の最中、スマホの呼び出し音が  出るとYNAGISAWAさんからだ。「ARIさん、今日来るって言ってたけど大丈夫なの?」と訊く。アッと驚くタメゴロ~だ   。それにしてもギャグが古いね!

すっかり失念、度忘れのコンチキチン。そうだった、訊かれて甦る記憶とは ――― 先週末のOB会でのことだ。Yさんやそこの社長ISHIKURAさんとの会話で、NAKAJIMAさんが来週、会社に来る。と聞き、差し支えなければご一緒させて下さい。――― そんなお願いをし、曜日も時間も聞いたのだった。   

そのことをすっかり忘れていたのだ。我がボケも本格的になったようだ。NAKAJIMAさんとは暫く会ってないので、丁度いい機会と喜んでいたのに、それを忘れていたとは・・・・。『今、お見舞いに来てるんで、遅れますが顔を出せてください。そちらに着いたら電話しますので、店を教えて下さい』そう伝えた。

大急ぎで会社に戻り、指定された駅に向かったのは云うまでもない。素早かったねぇ~実に。高円寺駅に着いたのは丁度5時30分。16:30分に聖路加の病室で電話を受け、会社に戻ってからPCの電源を落し、デスクとロッカーに鍵をして神田駅へ。中央線が直ぐに来たのもよかった。築地~人形町~高円寺と、スピーディーだった。

高円寺駅でロータス社の社長ISHIKURAさん、YANAGISAWA&HIRAIIさんにNAKAJIMAさんと合流し、高円寺南口のISHIさん馴染の店に入り歓談。

大いに盛り上がり、ビジネスのこと、かつての仕事のことや人物評へと、組織社会に生きるものの話題になる。そして余計なひと言を「NAKAJIMAさん、あなたの悪口と云うのは何処からも聞いたことがない。でもそれが良くないんじゃないの?」と。本流会社のトップになるべき人物と、衆目が一致し、願うところであっただけに・・・。

忌憚なき話と、若干の未来を語る。楽しくかつ有意義な時を過ごした。メンバーよし、店よしであった。

 

 

              

 

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ベリーダンス

2017-06-14 | Weblog

6/14(水) 昨夕、退社する前の一服折の折に、スタッフのAOKI君が「今夜、RYOKOさんのステージがありますよ」と言う。そのことは、当人から以前に聞いていたが、すっかり忘れていた。話の口ぶりから、彼は行きたいようであった。

RYOKO嬢は、週に何度か「ローカーボ」のカウンターに入っている。時にはカウンターに座して客にもなる。加えて、半年ほど前からNAKAMURA大将の東京事務所でアルバイト事務員をするようになった。歳若の酒場仲間と云えようが、パトロール隊のオジサンたちからすれば格好のカンフル剤でもある。

ベリーダンスにさしたる興味はないが、RYOKO嬢のステージを見るのも悪くない。それに、聖路加に入院しているNAKAMURA大将を見舞う予定がある。お見舞いに行っているRYOKO嬢から病棟の部屋を聞いておくと便利だ。『じゃあ行こうか』と、応えた。場所も店も、ステージの時間もAOKIは控えていた。

雨上がりの街へ出たのは19:30分を過ぎていた。店のある田町・シーバンス館までは30分は要す。店に着くと八時を廻っていた。このビルには取引先があるので馴染深いが、ベリーダンスをやるような店があったとは・・・・・。

ステージの上では剣を持った女性が二人で踊っていた。ステージ付の広い店ながら、客はステージ前に二十人弱と少なかった。僕たちはステージから離れた席についた。生ビールをやりながらRYOUKO姫の登場を待った。

メニューを見ながら「なんだか一貫性のない料理ばかりですね」と、AOKIが呟く。アラブ風の食い物(どんなものか知らないが)らしきものなく、メキシコからインドetcで『これやぁ無国籍料理か?』と応じた。

「海老のニンニク・・・、タコス、チキン・・・」などをオーダしたが・・・、味付けが?してないようなものばかり。ハイボールを飲み始めた頃に、お待ちかねの姫が登場。ステージで踊りはじめた。奥に居る我等に気付き指をす、こっちも応えて手を振る。学芸会みたいだな・・・・。

                           

アラブの曲は判らんが、中には軽快なコメディタッチな曲も流れ、それに併せてダンサーが踊る。どれも同じように思えたが・・・・意味合いはあるのだろう。途中からテーブル席の客をステージに誘い、一緒に踊る。そんな場面が二度三度、前方の客がステージ上でタコ踊りをするのを見て楽しんだ。

                        

ステージを横目に『この踊りって、女奴隷が王侯を楽しませるために始まったのかな?』と言いながら、『オスマン帝国の王宮には、世界中から攫ったり献上された三百人の女奴隷がおり、それはすべて処女でなくてはならず、その管理をする宦官が大きな権力を持ったそうだ』とか『王の愛妾となっても身分は奴隷のままだったそうだ』なんて、塩野七生の受け売りを喋っていた。

 ベリーダンス発祥の歴史や如何に 後で、調べるとしよう・・・・。

人形町に戻るには遅い時間となった。同じルートのAOKIと一緒に帰宅することに・・・・。前夜と同様に、改札前の東急ストアにて今日の菜を買ってからの帰宅は、22:30頃であったか。

 

そして朝を迎えたが、夢をみていた。夢は、二年半前に亡くなった黒田と、『なんでこんなもんが美味いんだ。素材が違うだろう・・・』と、食い物の真贋を論議していた。なんでそんな夢を・・・。と、思い返せば・・・・・。

昨夜の帰路、車中でAOKIと話をしたのが黒田の話題だった。黒田に対する私の期待、それはAOKIに対しても同様であるが。どう思っていたかを、今更、幽明を堺にした者のことを話しても、せんないながらもAOKIに云うと「そりゃ無理でしょう。背中を見てないんだから」と返ってきた。要は、背で見せろという。

そんなんだ、背中を見せないと、みてないと出来ないのか? 。背中を見なくたってお手本は幾らでもあるんだがなぁ~。観たいと思うものしか見ない、見えない。創造するってことは自分で描き、積み上げていくもんだと思うんだが・・・・。寂寥感を覚える会話となった。今更ながら・・・、繰り言になるが。

 

夢のことごとをうっちゃり、今朝の弁当に・・・・。今日のメインは「肉じゃが」です。それに「ギンダラ&鮭の西京漬け」「椎茸&カラーピーマンのソテー」「胡瓜の塩麹揉み」「出汁巻卵」「パスタdeタラコ」以上であった。

                   

肉じゃがの味付けがお粗末であった。パスタdeタラコは、パスタのタラコ炒め、胡瓜の塩麹揉みには大葉と刻み生姜を加えた。六種類からの菜があると、一部分しか表に出てこない・・・・まるで氷山のようにだ。

                       

 

 

 

 

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