オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

肉じゃが

2012-11-30 | Weblog

11/30(金) 昨日、今日と寒い、すっかり冬の様相となってきた。昨夜帰宅途中に駅前のスーパーで牛小間やアボガドを買う。今朝の弁当の菜である。昨夜のうちから今朝のメニューを決めておいた。準備は万端である。

五時ごろに目覚めるが、弁当作りにはまだ早いと蒲団の中でスタンバイ。外はまだまだ暗いようだが台所に向かった。先ずは、ご飯を仕掛ける。

肉ジャガ用のジャガイモの皮を剥き、タマネギをカットする。鍋に軽くごま油を引き、食材を炒め出汁を作る。酒と味醂・醤油を加えて煮るだけのこと。味付けを調整しながら煮込む。ジャガイモは取材に訪れた稚内の勇知イモである。つい先日、二箱(10kg入り)を取り寄せたばかり。余談ながら、会社の人間にも旨いとの評判であった。

                        

次いで、ピーマンの肉詰めを用意する。ピーマンは芯を取ってレンジで1分程、軽く熱を通しておく。挽肉は、刻んだシメジとタマネギ、繋ぎのパン粉を加えて炒める。味付けは塩胡椒と中華スープの素を少々。炒めた挽肉をピーマンに詰めて、フライパンで焼き目を付けて完成となった。

                        

途中で野菜ジュースを作る。小松菜とバナナ・水晶分担をひと房の簡単なジュース、これをごくごくとやりながら弁当作りが続いた。

                        

サラダは、アボガドとセロリ、茹で人参とレタス。オリーブオイルと酢をひと垂らし、塩胡椒とマヨネーズを少々。最後の一品は、小松菜をごま油でさっと炒め、スリ胡麻を加えたシンプルな代物。

                    

こんなことで、今日の弁当が出来上がった。定番の卵焼きも考えていたが、肉ジャガで弁当が満杯と、断念した。

                        

自賛ではあるが、中々結構なお味の弁当であった。

 

 

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簡略に・・・

2012-11-29 | Weblog

11/29(木) 父の逝去を知った方から、香典や線香を頂戴したりと真に申し訳ない限り。かような気遣いをさせてはならないと、なるべく知らせないようにしていたのだが、浮き世の義理で知らせざる得ないこともある。そのような次第から気遣いをさせてしまった。私は私、父は父だと思っているが・・・。

 

さて今朝の弁当は何を作るかと迷ってしまった。メインに据える品が定まらず、取り敢えず揚げ物・炒め物・煮物・焼き物ということで冷蔵庫の在庫品を取り出した。       

煮物は、小松菜とキツネを薄味に煮た簡素なもの。焼き物は、冷凍の鯖の塩麹漬を焼くだけ。揚げ物は、小エビの天ぷらと勇知イモの素揚げ。炒めものは、豚小間とシメジ・ピーマン・タマネギの中華風炒め。

           

と、まあ~簡略なものばかりを作ったのであった。

                        

 

 

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哀しみを弁当に・・・

2012-11-28 | Weblog

11/28(水) 昨日、今日と弁当を作る。父は去れども弁当は去らない、“敗北を抱きしめて”という本があったが、差し詰め私の場合は哀しみを弁当に変えてと云うところか。そんなオヤジギャグともつかぬことを言っている場合じゃないが・・・。

凡そ二週間ぶりの弁当は、昨日が「カキフライ&トンカツのカツ煮」何れも出来合のフライを前夜に贖って作った手抜き菜。そしてホーレンソウとキツネの胡麻炒め、人参と大根&キツネの煮物、以上であった。久々の弁当で足慣らしならぬ手慣らしと云うところか。レギュラー陣三人の弁当であった。

                    

 

そして今朝、レギュラー陣に次女のオムスビが加わった。敢えて云うなら四人分の弁当ということだが。今朝の菜は「レンコン&牛蒡&人参と鶏肉の中華味の煮物」と「四方竹と舞茸&キツネの炒めもの」、四方竹は高知空港で水煮のパック販売を見つけて買った。(頭の片隅には何時も弁当が住み着いて囁く、これいいじゃない、と。)

                  

そして定番の卵焼き、パスタ&ブロッコリーのサラダ。サラダにはゆで卵と胡瓜も入り塩胡椒とマヨネーズで味付け。以上のラインナップとなった。オムスビは、7年物の古梅干しとオカカとなった。

 

                  

 

もっともっと弁当人生を楽しまなくては・・・、唯一の趣味、唯一の遊びなのだ。今度の日曜日、ローフードの講習会?体験講座に行く羽目となった。ひょんなことで、知人から紹介されたローフード講師の教室に体験入門。一人では淋しいのでスタッフのRie嬢も一緒に行ってもらうこととなった。

スローフードは分かるが、ローフードは知らなかった。何でも自然の素材を低温で調理することで、素材の持つ栄養素を最大に引き出すとか・・・?要は、要分からんが、これも行が掛かりと云うやつ。頭がよくなり、性格がよくなるらしい?今更遅きに失しているが。

 

 

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帰京

2012-11-26 | Weblog

11月26日(月) 夕方に帰京した。高知には、思いがけずに長い滞在となった。先々週の土曜日、夕方にいったん帰京したが翌、日曜日には高知に取って返すこととなった。術後の経過は順調と思っていた父の容態が、急変したとの連絡による・・・。

17日昼前、集中治療室の父を見舞った。前々日の手術の後遺症で何時ものようではないが、それでも酸素マスク越しに会話をし「来週には退院できるだう。その頃に迎えに来るよ」と云うと、『今度は何時帰ってくれるんだ?』と返ってきた。「22日に来るよ。その頃に退院できるだろう」と、言葉を交わしたのが最後となった。

心臓弁膜症の手術であったが、危険率は平均値より低い、との医師の説明。手術も無事に終わり、輸血もなく成功でしたと術後の説明もあったが・・・。三日目の朝、朝食も摂り、リハビリの歩行訓練もしたそうだが、昼に突然倒れて人事不省となり逝った。多分小一時間もしないうちの死ではなかったろうか。痛みを感じる間もなく・・・苦しみも殆どなかったでしょうは、医師の言葉。せめてもの救いであった。

そんなことで、すっかり郷里に長居をすることとなった。

父のこと、その死について、改めて記したい。今は、少々疲れた。

 

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チャーハン

2012-11-13 | Weblog

11/13(火) 今朝も残りご飯を使う、炊き立てではないのでそのまま弁当に詰めるのも気が引ける。そこで、昨日も考えた「チャーハン」の出番となった。

ベーコンとパプリカ・シメジ・タマネギを刻みチャーハンの材料とした。卵二個を使ってご飯を炒め、塩胡椒と醤油を少々、先に炒め置いた具材を放り込んで炒める。と、まあ簡単な調理である。

                         

菜は中華系とし「ホタテと野菜の中華味炒め」、パプリカ・ピーマン・セロリを一緒に炒める。これと、焼き鮭、ジャガイモ&人参&ゆで卵の「サラダ」となった。他に、自家製鮎の甘露煮とジャコ佃煮、大根&蒟蒻煮もスタンバイしていたが・・・これらは弁当を詰めてからのスペース次第。結局スペースがなく出番が廻らなかった。

                    

私の野菜ジュースは、ホウレンソウとセロリ、バナナ半分と甘柿を半分。半分残った柿をどうするか?Kは果物なんぞは喰ってないだろうと、彼の弁当に入れようと思ったが、サラダに入れた。口にして驚くだろう・・・が、旨いんかな?

                         

そんなところで、今朝の弁当二人前があっという間に完成したのであった。

                         

 

  「激論・空論・噛みしめよ・・」

昨夜は、立て込んでいた仕事が一段落したスタッフのYOSHIOを誘い「ローカーボ」で軽く一杯と考えていた。それに月曜日なので休日は酒を抜くという、U老からも声が掛かった。私は一足先に行って、カウンターでマスターと雑談をしながらハイボールをやる。

マスター曰く、「お宅の皆さんは元気ですね、先日は社長が帰った後、大論議をしてましたよ」と。先週の木曜日のことであろう、夕方から新ビジネスPTの打ち合わせを社内でやり、第二部をここ「ローカーボ」でやった。

三々五々、スタッフ5~6人が集まり、奥の円卓に陣取って飲みながらあれこれと話をしていた。この日、風邪気味で体調不良な私は一足先に引き揚げた。その後のことであろう・・・。『煩くなかったですか?申し訳ないね~』。「大丈夫ですよ、奥でしたから」とのことである。

酒が入ると、だんだんと声が大きくなる。日頃出来ない話題が出る。そして自我がでるものだ。大いに結構だと思っている。その為に飲んでいるようなものだ。知らない人が聞けば驚くかもしれないが、私なんぞは何時も為口を利かれている。

マスターに云った、『うちは、年齢もキャリアも異なるメンバーの集団、仕事も区々なので、こういう機会にお互いに言いたいことを云うのは大いに結構なことなんですよ。店の迷惑になるようなことがあれば、言って下さい』と。

昨夜は、渋谷・奈加野へと行く用を思い出し、三杯ほどハイボールを飲んだところで先に失礼をした。今朝、その後の様子を訊くと、私が帰った後、AOKI、AKAGI、YOSHIOで、またしても大激論があったとのこと。内容については概ね推測できる・・・。

大いに結構、結構毛だらけ(これじゃ大阪の橋下か)だが、一歩引いて相手の謂わんとするところを噛みしめてみることも肝要だ・・・。どうだったのか?
幸いにも、昨夜は他の客は居なかったとのことだが、マスターも流石に呆れているかもな・・・。


私の方は、奈加野で用を済ませ、店主相手に焼酎を飲った。その後、店の従業員を連れてお定まりのコースとなった「缶詰BAR」へ。ここでハイボールをやってからの帰宅となった。然し、ローカーボのハイボールを飲んだ後では、どの店のハイボールも薄く感じ、スイスイと喉を越すのであった。

  さて、明日は午前の便で帰郷する。病院に直行して手術の説明を聴くこととなっている。明後日が朝から手術室とのこと。いつもなら、親父は一緒に酒を飲もうとて手ぐすねを引いているところだが。今回ばかりはそうはいかん。心臓の手術台に乗るのだから、四日ほど側にいる予定。

 

 

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オムライス

2012-11-12 | Weblog

11/12(月) 朝方には上がるはずの雨が降っている。気温の方の下がったままであった。最近の夢見がよろしくない、挙句に寝汗をかいたりしている。今朝も清々しいには程遠い寝覚めとなった。

昨日の日曜日、部屋に垂れこめたまま本を読んで過ごした。山田風太郎著「人間臨終図鑑Ⅲ」と、佐野真一著「東電OL殺人事件」であった。臨終図鑑の方は、古今東西、歴史上の人物の末期の様子を文献などから再現・創造した本で、臨終の年齢順に綴っている。十五歳から始まり、漸く七十歳の人物まで辿り着いた。果たして、私はここまで永らえているのだろうか・・・。

もう一冊、「東電OL・・・」の方は、以前から読もうと思いながら買わなかった本。著者は、最近週刊朝日の「橋下記事」で話題となった佐野さん。丁寧に深堀した取材と、筋金の入ったストーリーを文字にするルポルタージュ作家として著名。私の好みのライター・作家である。

長い間読もうと思いながら、買わなかった本を買う気になったものだが、本の筋立ては概ね承知していた。相棒のHiroさんは、この事件がありこのルポが発表された頃、事件の舞台となった渋谷・円山町界隈を歩き、殺されたOLの足跡、残滓・残り香を尋ね歩いたそうだ。事件の犯人とされ長い間拘束されていたネーパール人が、晴れて無罪となったのはつい最近のことで記憶も新たである。

著者の佐野氏が、週刊朝日の件で話題になった時期とも相前後する。タイミングよくと云うか、妙な重なりもあり書店で平積みにされた「東電OL殺人事件」を手にしたのであろう。何か読み物が欲しいと思っていた時に、前から気になっていた本を偶々目にしたと云うこと。

しかし、私の夢見の悪さは、読んでいる本に影響されているのかもしれない・・・。

まあ~そんな夢見のことはさておき、今朝の弁当だ。今朝は「オムライス」となった。昨夜の残り飯がほどよく有った。これを使う為の炒めご飯である。チャーハンにするか迷ったが、菜がハンバーグなのでオムライスとした。他の菜はホーレンソウの炒めものと茹でた根菜が少々。以上の簡単なものである。

               

何時もどおりに、野菜ジュースを途中で作ってグビリとやる。野菜はホーレンソウ・レタス、リンゴ4分の1、バナナ半分であった。

                         

今日の弁当は二人分、長女は今週は要らないとの仰せであった。遊びの弁当人としては、二人前ではどうも面白くない、面白くもないが致し方なし。

                     

                      最終形が右側、左との違いは二ヶ処、判るかな?

 

土曜日のことに話題を転じる。お江戸日本橋亭での三遊亭社会人落語会で渡邉一雄さんの一席を聴いた後、会社に立ち寄った。その後、渋谷・奈加野にて弊社の役員HiroさんとH女史の三人で懇談。女史の方は、それまで続けていた仕事から離れて完全なフリーとなり、暫く郷里に里帰りしていた。

女史の田舎での暮らしについてあれこれと話を聴く。そんな中でHIROさんが云った言葉「仕事を辞め、田舎でのんびりして顔つきが変わったね~、主婦顔になってるよ」だった。

まあ決して誉め言葉で言ったのではないだろう・・・。女史は、長い間ファッション関係の仕事の一線にいた、仕事を辞めてホッとしたのか、女を張って(こんな言葉あるんか?)生きてきた、女史の顔つきが少し柔らかくなったように見えたのか、HIROさんはそう表現した。

いい言葉だね・・・『これからの呼び方は、女史をやめて、主婦にしよう』と応じたが、女史は承服しがたい表情であった。

その後、缶詰BAR「mr.Kanso」にてハイボールは何時ものことだが、早々と切り上げた。写真を撮ろうとすると、女子ならぬ主婦は、この言葉が気になっているのか遮ったのであった。

               

 

急遽、水曜日から高知へ帰省となる。帰京は土曜日の予定としたが、状況によっては延びるかもしれない。金・土曜日とサラリーマン時代の仲間と福島に出掛ける予定であったがお断りしなくてはならない。このメンバーとは、毎年小旅行会があり楽しみしている。処が、私のスケジュールが合わず中々参加できない。今年は大丈夫と、早々と参加を表明していたが・・・。

田舎にいる父が心臓手術をすることとなった。先週末に検査入院したが、その手術日が15日と決まったと連絡があった。前日の午後一番に手術の説明があるとのこと。長男の身としては、術後の様子も見て置く必要がる。状況によっては、暫く居続けということも想定した方がいいだろう・・・総領の甚六なれど。

とまあ、予定外のことも間々である。水曜日から暫らく、BLOGから遠ざかることとなる。

 

 

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落語会

2012-11-10 | Weblog

11/10(土) 今日の午後、地下鉄の三越前にある「お江戸日本橋亭」という席亭にて落語の会があり聴きに行った。この落語会は、三遊会という社会人落語家の公演。主催は落語協会真打の三遊亭圓王師匠で、師匠が指導する落語会に弟子いりしているメンバーの公演であった。

過日、渋谷でロシア料理を馳走になった渡邊一雄さんが出演するとのことで案内を貰っていた。相棒のHiroさんと二人して聴きに云った次第。圓王師匠を挟んで四人づつ、社会人・OBからなる八人の弟子が席にあがった。何れも寄席に上がるメンバーなので上手であるが、それぞれの個性が出て聴いていて面白みを感じた。

我らがナベさんは、「やかん」という落語を演じた。門下生となって三年とのことだが、大したものであった。 

                          

昨夜は、関東大高知県人会なるイベントで、錦糸町のホテルマリオンにて大懇親会。ゲスト(昨年はペギー葉山さん)に「いちむじん」というギターデイュオが出演した。同郷とのことであるが、知らなかった。会の後は、郷里の町長を交えてカラオケとなり帰宅は23時30分ごろとなった。

今朝は、8時頃から朝飯を作る、野菜ジュースは水菜・レモンハーブ・ルッコラとバナナ半分・リンゴを四分の一。目玉焼き&ハム・鮎の開き・甘露煮・焼き物と鮎が主体、当然朝からビールが並ぶ。そんな朝食を摂り、風呂で身を清めてから三越前・お江戸日本橋亭へと出かけた次第。

                       

昨日の昼、京都に在住のOさんが立ち寄ってくれた。この方は、十年前に雇用保険関係の就業支援スクールで席を並べた縁。暫らくの間であるが、休日に会社の清掃をお願いした。今は、京都で娘さんと孫との三人暮らしだが、東京都違いのんびりしていて暮らし易いという。何よりも感心するのは、これまですべて幸せだった、いい方たちとばかり巡りあってきたと云う。

私の基準からすると、それほど幸せな人生ばかりじゃないだろうと、推測するのだが・・・。自分自身で幸せな人生を送ってきたいえる、思えることは、何よりも幸せなことだ。

そう云うOさんと、束の間であったが三越前の鰻屋「伊勢定」でランチをご一緒した。私は、セイロ蒸し定食(これが一番安い、1500円弱)を、Oさんは鰻丼であった。鰻重でないところがいじましいが・・・。

                      

縁も所縁もないような土地で暮らしながら、良い処だ、良い人たちに巡り合えてと話すOさんの話を聴きながら・・・。幸せな人だな~と、却って元気を貰った。

 

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浅利飯

2012-11-09 | Weblog

11/9(金) 今日はスケジュールが立て込んでいる。珍しいね~こんなことは。先ずは午前に役員との打ち合わせ、昼前には放射能が怖いと京都に移り住んだOさんが来る予定。ランチをご一緒の後は、有楽町で国際協力基金主催のシンポジュウムへ。これを途中で抜けて、吉祥寺の展示会の視察。夕方は。錦糸町で関東大高知県人会に出席し、二次会で郷里の町の方々と懇親・・・。

そんな私のスケジュールはどうでもよか、弁当・弁当だ。今朝は浅利ご飯を作ることとなった。浅利は生ではなく、缶詰を使う。生姜・醤油・酒・みりんで牛蒡と油揚げ、浅利の煮物を準備。炊き込みご飯ではなく、煮上げた後で混ぜるスタイル。初めて作るような気もする、味付けも材料も適当なのだ・・・。

                       

後の菜は、ポテトサラダと卵焼き、小松菜煮物、メインは鶏の照り焼きとなった。今日はご飯に重点を置いた弁当である。

           

何時ものように、途中で野菜ジュースを作りグビグビとやる。材料は、小松菜とバナナ半分、リンゴ半個であった。                        

昨夜の帰宅時に、駅前のスパー東急ストアにて浅利缶を二個贖って今朝に備えた。と云うことは、昨夜からメニューが決まっていたことである。中々準備がよろしい、仕事もこうであれば申し分なしだが、これだけは難しい・・・。

                      

出来栄えは、上々ということにしておこう・・・。

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牛炒めなど

2012-11-08 | Weblog

11/8(木) 本日のメニューは「牛焼肉」がメイン。昨日の昼、ランチに出たついでに人形町”日山”で今日の弁当用に肉を贖った。趣味と云えば弁当作りだけのOYAJIは、そんなことをして遊んでいる。

メインメニューは決まっていたが、他に何を作るかは考えていなかった。冷蔵庫を覗き食材を物色しながら、最近は三色弁当を作ってないなあ~と、思いが至った。急遽、三色弁当を作ることにしたが・・・。食材の問題もある、合挽きの肉と、炒り卵はOKだが、後の一色が・・・結局、ホウレンソウを小口切りにして炒めることでお茶を濁した。

次女が昨夜帰っていたのでオムスビが要るかと、鮭を焼く。合間を縫って、朝食用の野菜ジュースを作る。ホウレンソウとトマト、リンゴ半分と水カップ一杯の野菜ジュースを弁当を作りながらグビリグビリとやった。

                       

挽肉を炒め、炒り卵を作り、ホウレンソウ炒める。これで準備は整った。焼肉を炒めえる、タマネギを一個加えて完成。なんだか、これだけでは物足りない。

                       

そこで、鮎の甘露煮を入れることにした。この鮎は、自家製ではなく近江は鮎家の既製品。以前に誰かから頂戴し置いてあった代物。小ぶりの鮎甘露煮が五匹も入っていた。

                            

これで準備は万端、弁当箱に詰める。長女の弁当は、いたく気に入った様子の私の弁当箱を使うことにした。Kの弁当は、焼き肉丼にするつもりだったが、三色ならぬ二色丼に変更。次女が起きてきて云うには、今日はオムスビは要らないとのこと。オムスビ用に焼いた鮭が、弁当箱に参入となった。

                       

以上が、今日のお弁当。

 

  「感謝・感謝のこと」

 昨夜帰宅すると、富山のマス寿司や焼き鯖寿司、その他の名品が届いていた。送り主はO氏であった。手紙が添えられており「故郷の富山に旅行中。温泉や紅葉を楽しみ、妻も歩けるようになりました」と、あった。O氏とは、入社以来の付き合い。奥様が病気をしていると、以前に訊かされていたが・・・。若かりし時代、同じ電話局の庶務課で一緒に仕事をし世話になった。

氏の結婚式では、司会を仰せつかった。その彼が富山に縁があったことは記憶にない。奥様ともども、東京で生まれそだったはず、どちらかの父祖の地が富山だったのか?。遅い帰宅時間であったが、折角の品、有難く頂戴した。

この日、もう一つの嬉しい便りがあった。一関市に在住するC氏からであった。「暫らく東京に出ていかれない、来春には柏に戻れたらと思っている。ミャンマーの学校支援の足しにしてほしい」と、募金を寄せてくれたのだ。Cさんは、東京での勤めを終えて、故郷の一関に帰郷、両親の面倒をみている。

C氏とは、津田沼・前原の独身寮で一緒になり青春を謳歌した仲間。このBLOGでミャンマーの件を知ったのか、近況とともに、わざわざ募金を寄せてくれたのであろう。有難いことであった。

Oさん、Cさんともに私より三歳ほど若い。が、既に仕事から退き引退生活である。その両氏から、奇しくも同じ日に嬉しい便りや心尽くしのものが届くとは、嬉しい限り、感謝をするばかりである。一方、引退生活の後輩に気遣いをさせ、散財をさせたことは心苦しいものがある。

何のお返しも出来ないが、両氏とご家族の安寧な日々を祈るばかり。ありがとうの言葉とともに。

 

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芋・イモ・いも

2012-11-07 | Weblog

11/7(水) 今日は芋の日となった。種子島の安納芋がまだ沢山残っている。それに田舎から里芋も来た、芋を食うこととした。と云いながら、喰うのは弁当を持つ人たちだが。

安納芋は家人の友達が、この芋の特産地に居るのでここから毎年送ってくれる。先月のベッタラ市では取り寄せ、蒸かしイモで販売したが完売。昨年よりは今年の芋味は良かった。難は、値段が張ることだ。米よりも高いのだ、何れも産直価格での比較だ。但し我が家の芋は贈答だが・・・。

戦前・戦中・戦後とコメ不足で芋飯は当たり前の時代や、地域もあったようだが、私は食した記憶がない。この飽食の時代に、敢えて芋飯の弁当を作ることとした。とは云いながらも、米より高い芋なのだ。どんな味になるやら、出来上がってのお楽しみさ・・・。

次の芋は、里いもである。先日は煮物を弁当にしたが、今回は揚げ物とする。里芋を茹でる、ついでに安納芋も二三切れ。これを覚ましてから、塩胡椒を振って団子にしてフライにする。要は、馬鈴薯の代わりに里芋を使うだけのことだ。気持ちばかり、安納芋も素揚げにした。

              

後の菜は、豚小間肉と野菜の炒め物。それに鯖とイカのカレー風味炒め焼き。鮭焼きを一切れ追加し、味に変化をつけようとと魂胆。

                         

以上が今日のメニューだが。豚小間肉は中華風の味付け、付け合せの野菜はエリンギ・ピーマン・タマネギとなった。鯖のカレー風味焼きは、生姜醤油に漬けてから、オリーブオイルとバーターで焼いた。冷凍の烏賊も一枚追加したが、どうも半端な感あり。

                     

一番シンプルで味すっきりは「時鮭の焼き物」だった。いずれにせよ、品毎に味に・色合いに変化を持たせて(つもり)料理するのはボケ防止に効果ないかな~と、願望する。

                          

昨日同様、途中で野菜ジュースを作り、飲みながらの弁当作り。今日は、ホーレンソウとキューィ・バナナ(半分)と水カップ1杯。

 

そうこうすうるちに、ご飯が炊きあがった。ほっかほっかで美味そうだが・・・、喰った人の感想を訊くしかない!

                          

今日も三人分の弁当が完成した。

                      

弁当を取りに来た長女曰く「私も、曲げわっぱ弁当箱が欲しいな」だって。私は「自分で買ってきな!一万円だよ」と、返したのであった。

 

  「夢のような夢」

昨夜、U老と薄いハイボールをやりながら雑談をしていた。そのとき、老曰く「宝くじが当たったんだ。その配分を考えていたんだけど、考えれば考えるほど自分の取り分が多くなっちゃって・・・」と云う。

で、幾ら当たったんだ。「2億円。最初は、自分が半分取って残りを10人くらいに千万円づつ分けようと、子供や弟など、ARIさんもNATURAL入ってるよ。処が、配分を考えれば考えるほどだんだんと減っていき、千万円もやる必要がないかなと、数百万になっていったんだ。金を持つとケチになってきたんだ」と、そんな話になった。

とまあ、夢の中での話だったが、その金を持って終の住家を何処にするかにまで及んだ。老は、温泉があって川があって暖かいところと云う。さらに原発の心配がない場所ときた。『もう年なんだから、原発なんかどうでもいいんじゃないの?』と云うが、ダメだとのこと。さらに、買い物に行くのに車で10分~30分と、だんだんと具体的になってきた。

もう日本の中では無理だから、ハワイにでも行ったら?と云うと、ハワイはダメだと云う。じゃあミャンマーか?いいところだよ。と言ったが、結局結論に至らなかった。

そんな埒もあかない話となったのも、私が夢で目覚めたとの話から、老のみた夢の話となった次第。そろそろ、二億円当たりそうだというので、真剣に終の住家を考えてやるか・・・。

 

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