オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

肉じゃが風

2017-04-26 | Weblog

4/26(水) 今夜あたりから天気が崩れるとの予報。明日、午後一の便で帰省する予定だが、天気はどうであろうか?。今回の帰省では、ミカン畑の草刈り、野菜の種蒔きがある。加えて、高知市内で先輩と軍鶏鍋の試食会、高校の校長との懇談と、珍しく外出の予定がある。

もうひとつ、母の老人ホーム入所についての話し合い、状況によっては施設探しに及ぶ可能性もある。旧宅部分の雨漏り対応や庭の改装についても考えなくては・・・・。田舎が在ると云うのは、いい反面、面倒なことも多いのだ。日本中にある悩みの、一シーンに過ぎぬのであろうが。如何せん、メンドウとヤットウは苦手なんだ・・・・・。

さて、今朝の弁当は「肉ジャガ風煮物」がメイン。昨夜の帰宅時に、駅前のスーパーで牛小間・糸蒟蒻などを贖った。他には、「ギンダラの西京漬け」と「小松菜の煮浸し」、「百合根&アスパラ茹」「炒り焼卵」である。

                           

肉じゃが風煮は、牛小間とジャガイモは勿論、タマネギ・人参が入っている。ギンダラは脂分が旨い。六時半からの弁当作りは、鍋で飯を炊き、煮・茹・焼きと順調であった。

                       

 

明日から5月3日まで帰省するが、帰京後から会社が始まるまでの四日間をどう過ごすか。そこが悩みどこだ?。 平和島のボートレースは、この間、開催しているが、果たしてそれだけの間、資金がつづくか・・・・?。

それでは皆さん、ゴールデンウィークが明けるまで暫しのお別れです。ごきげんよう、お過ごしください。

 

 

 

 

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久々のパトロール

2017-04-25 | Weblog

4/25(火) 昨夜は久々に人形町のパトロール。久しく顔を出してなかった「こま吉」からスタートし、次いで「ローカーボ」へ。ローカーボから「セイジュ」に寄ろうかと扉の前まで行くと、カラオケ客の声が聞こえたので止して、最終コースの「ちょっぷく」になった。

「ちょっぷく」のYMAKGE店長の手術は、無事に済んだと当人からのメールが届いたのは日曜日だったか。術後の微熱があるが、二週間程で復帰の見込みとあった。先ずはひと安心である。

最初の店「こま吉」に、昨年だかに顔をあわせたことのある小母はんが一人で飲んで居た。たしか、阿波の出身とかで「隣同士の県か・・・」と、パトロール隊の面々と一緒に飲んだ記憶が甦った。こっちは未だ一人だったので、一緒に飲みはじめた。話は前回と同じことの繰り返しで面白くない。ホッピーを三杯やり、ローカーボへと移動。

「ローカーボ」には、オヤジの料理教室=パトロール隊のメンバーが既に飲んでいた。NAKAさんにマッチャン、遅れてHOYA兄いも顔を出した。居眠り大王のカトちゃん、若手のナカムラ君と常連が並び、こま吉からついてきた小母はんで、カウンター席はほぼ埋まった。美味いハイボールとスパークリングワインを飲る。カウンターの中のRYOKO姫も遠慮なく飲みやがる

五月の料理教室の日程やメニューについて検討、そして第三回となるオヤジ旅 ―行先は水郷に決まっている― のスケジュールなどなど・・・・。話題は尽きないが、独り先に失礼してセイジュの前から「ちょっぷく」となった。ちょっぷくの助っ人隊と一緒に飲んでいたら、HOYA兄いが現れ、次いでマッチャンまで来た。席を替えて飲み始めたが、なにを話したのか記憶にない・・・。

多分、十一時ぐらいになったので店を出たんだろう。マッチャンに交差点まで見送られ「天やはやってませんから・・・」なんて、釘を刺されたように思う。帰宅は23時半過ぎだったか、定かでない。

そんな夜から、朝を迎えた次第だが、起床は七時を過ぎていた。夢をみていたようだが、目覚めと共に記憶から消えた。幸いにも今朝の弁当は家人だけだ。そんなこともあって寝過ごしたのであろう・・・か。

家人は「お弁当はいいわよ」なんて言うが『未だ時間はあるさ』と、応えて飯を炊いた。家人の事務所は地元だし、九時からの仕事だ。私が会社に向かうのは九時過ぎ、十時始まりなんだが・・・・・。

と云うことで、簡単な菜の弁当にした。

                            

胡瓜と若布の酢物、鶏肉&筍・人参の煮物、絹ザヤの卵とじ、ズッキーニ・タマネギと豚小間の炒め物、冷凍シューマイを一つ。以上である。ご飯が炊きあがる前に仕上がった。

                        

簡単すぎて、達成感と云うやつがない・・・・。遊びも仕事も、達成感がないものはイカンザキだ  。

 

 

 

 

 

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茶碗蒸し

2017-04-24 | Weblog

4/24(月) 土曜日の午後、オヤジ達の料理手習い会でJIN先生宅に伺った。この日のテーマは茶碗蒸しと刺身の切り方である。久々に築地市場に行き、手習い会で使うマグロとカツオ(一本)を入手。他に、自宅用のギンダラ・塩鮭・マグロの他にアスパラなどを買い込んだ。重~い、重くて汗を掻いた。魚の重さに加え、氷がたっぷりと入っている。

買い出しだけで疲れ果てたが、帰宅後は鮭とギンダラを下ろして粕漬けや西京漬けにする。更に、今日の料理主題「茶碗蒸し」の予習までやったのだ。茶碗蒸しは、以前に二・三度作ったが、改めてレシピを検索し、その中からベストと思われる方法で作った。

出汁を採り卵を溶き、具材の鶏肉・小エビ・椎茸などを準備。銀杏が在ったが行方不明。銀杏抜きである。オヤジ風「特製茶碗蒸しとでも云おうか?。それほどの代物でもないか・・・・。十五分程セイロ蒸して出来上がった。

                  

上々の出来栄え? 味は薄味?上品な味わいと言っておこう。家人に味見をさせたところ「良いんじゃない」だった。これを作る気になったのは、孫が茶碗蒸しを食べると聞いたからだが、その孫は学童保育のイベントでこの日は来なかった。

予習を終えてから白金台の先生宅に向かった。子供の頃から、これくらい予習復習に励んでいれば、さぞや立派な大人が出来上がったろうに。残念!

先生宅に、何時ものメンバーが三々五々と集まった。先ずは、先生から今日のレジュメを渡されてレクチャーがある。それからマグロの柵で刺身の切り方を教わる。一本カツは持ちこんだ小生が下ろす破目に。そして、茶碗蒸しへと進んだ。

                     

茶碗蒸しの下拵えと出汁の用意がされており、卵を溶いて出汁と混ぜるところからスタート。そして茶碗に入れて、蒸し器に置く。蒸し上がりのチェックなどレクチャーされてお仕舞。大凡二時間が経過。この間、四・五度のタバコタイムをてんでに取っている。

四時過ぎから、料理した品を前に「ふリかえり」の時間にはいる。これが長―――い、のだ。冒頭、仲間内で『今日は六時には失礼しようよ』と誓いあったのも木阿弥さ。

                        

夕方から雨が降りだした。その雨は、闇の訪れとともに本降りになっていた。先生から白エビ天麩羅・鯛めしと、摘みやご飯まで供される。ビール・ワイン・焼酎の空き瓶が並ぶ。「チョっと、拙いぜもう九時じゃねえか」となり、漸くお開きになった。またしても、賑やかな宵となっていた。

 

日曜日の晩飯は「手巻き寿司」、私は「鯛めし」と「茶碗蒸し」を作った。手巻き用の魚「マグロとタイ」は、その昔に木屋で贖った刺身包丁でお作りにする。茶碗蒸しは、前日の作よりは少し出汁を濃いめにしてみた。

                             

こんなことしてると、飯喰い過ぎる!・・・・・。

 

そして今朝の弁当だが、五時半に目覚め、六時から台所入り。昨晩の「鯛めし」、食べたのは吾輩の一杯だけ。その残っている鯛飯が、弁当になるのだ。

菜の方は、土曜日に漬けた粕漬けのギンダラ&鮭、百合根とタマネギの掻揚げ、豚バラのアスパラ巻き炒め、残りマグロを味付けしたオリーブ油炒め。定番卵焼き、以上である。

                        

 

 

 

 

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牛小間煮

2017-04-21 | Weblog

4/21(金) 六時前に起床し、台所に入った。今日のメニューは昨晩の買い物と一緒に決めてある。淡々と進めるだけのこと・・・。

先ずは飯を炊き、食材を取だす。食材は東急ストアで買った「牛小間」と「するめイカ」「椎茸」、タマネギ、ピーマン・ズッキーニに小松菜。卵は三個で出汁巻の卵焼き。

牛小間とタマネギ・椎茸で牛煮を、木綿豆腐も少し加える。イカは、オリーブオイルでソテー、ピーマン・ズッキーニを炒めて添える。これでほぼ終わったようなものだが。小フライパンで、小松菜と薄揚げを出汁煮に。最後に刻みネギ入りの出汁巻卵を作る。

                         

以上で、今週の弁当事が手仕舞いとなった。

                           

 

出社すると、昨日につづき税務調査が・・・・。書類関係はよく整理されているとのお褒め、が、年度末処理のことで若干の食い違いがでた。大したことじゃないが、労務費の繰り越し案分の%で指摘があった。細かいことで競り合っても埒があかん。よしなに! とした。毒蛇は細かなことに拘らないのだ。

明日の土曜日、白金のJIN先生宅にて、第三回のオヤジの料理教室がある。刺し身の切り方を覚えたいと云う、HOYA兄いの希望に応えるため、築地でマグロを贖ってくることにした。大トロや中トロのいい処を買っても、所詮は宝の持ち腐れ。しっかりした赤身を、生マグロの赤身を「米岩」で見繕う予定だ。

併せて、弁当用に塩鮭とギンダラも買う予定だ。冷凍庫に入るか?それが心配だ。満杯ならギンダラの粕漬け・西京漬けを直ぐに作らねばならない。           

 

 

 

 

 

 

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極まりて・・・

2017-04-20 | Weblog

4/20(木) 人形町駅から会社に向かう途中、烏が数羽煩く鳴き騒いで頭上を舞っていた。烏が騒ぐ日は縁起が悪い、と云うのは我が田舎の迷信か?。今日は、ちょっぷくの店長YAMAちゃんが、脳梗塞の手術をする日なのでチョット嫌な気分になった。手術そのものは安全率が高いと聞くが、頭を開けるんだからね…、心配もするさ。

昼、彼が入院している病院が在る西方に向ってエネルギーを発した。が、果たして届いたであろうか・・・・。

今日は朝から税務署の調査であるが、来たのは若い人が一人だった。訊くと、入署二年目とのこと。こんなことは初めてで、些か拍子抜けの感あり。お勉強なのかな?

昨夜は、品川であったOB会理事会の懇談後、人形町に戻り「うまし」にてNOBORUとの意見交換会。品川で日本酒を飲んだので、ハイボールにした。肴は、メヒカリ焼きを二つだけ。極力食べないように努力だ。NOBORUとの懇談を終え、「ローカーボ」の美味いハイボールで口直し。

最後に「ちょっぷく」にて白ワインを。この夜の「ちょっぷく」は珍しく静かだった。HOYA兄いと悪徳を改名し、正直不動産になったマッチャンが並んで飲んでいた。両重鎮の間に、恐る恐る座らせて頂いたが、どんな話をしたのか記憶が定かでない。帰宅は、零時直前だった。

明けて今朝、六時前に目覚めたが体が重い。気分爽快には遠すぎる状態であったが、為すべきは弁当作りだ。台所へと向かった。

昨日の残り飯があるので「チキンライス」弁当に決めてあった。菜は、先週だかに弁当用に作り置いた自家製ハンバーグと佐賀牛ハンバーグ、小松菜の卵とじ炒めなどを想定していた。

台所に入り、冷凍庫のなかを探すが肝心のハンバーグが見当たらない。幾ら探してもない  。さては、誰かが喰っちまったか?家人に、冷凍庫のハンバーグ食べたのか?と訊く。「在るはずよ、よく探して」との返事が。

『ないんだよ、幾ら探しても。誰か食べたんじゃないか?』と、「何処を探してるのよ、昨夜自分が冷蔵の方に移したじゃない」と。

参ったねぇ~、そう言われりゃそんな記憶が朧に甦る。冷蔵室を見ると、確かに在った。無事に今日のメインメニューをキャッチした。それにしても、前夜に自分でしたことを忘れているとは・・・ 。冷蔵庫を漁りながらも、その記憶が甦ってこないとは・・・・ボケも極まったか。皆さんにお願いをしよう「ボケ老人だから、優しくしてネ」と。蹴とばされるのがオチか。

品物も無事確保、菜作りだ。蓮根が長らく冷えているので、これを少し使う・・・、で、「蓮根の挟み揚げ」と「筍の天麩羅」の揚げ物。「ジャーマンポテト」「小松菜の卵炒め」、塩秋刀魚を焼いたが、これはチキンライスにマッチしないと弁当に入れるのを却下された。

                      

以上が、今日のラインナップである。それにしても本格的にボケたな。ボケ極まりて、行く末は・・・・海か山か?。

                            

 

 

 

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稲荷寿司

2017-04-19 | Weblog

4/19(水)今日も暖かい、と云うよりは暑いと云う感じだ。急ぎ足になると汗ばんでくる。とは云え、急ぎ足なんぞは滅多にないが・・・、毒蛇は急がないのだ。

この陽気で眠気に襲われ、翻弄されている。頭の中はボーッとしたまま、眼は虚ろである。こんなことじゃ人生航路の先行きは、お先は真っ暗。暗礁に乗り上げ座礁する前に、沈没しそうだ。

不思議なことにこの眠気は、夕暮れがくるとなくなる。胡散霧消するのが常である。昨日も陽が暮れると俄然元気になった。夜の帳が下り、灯が輝きをましてくると、あれほど執拗だった眠気は何処ぞへと去り、緞帳が上り白々とするまで刻を待つ。

19時30分、退社の時刻を迎へた。行先は未定。取り敢えず事務所を後にし、街を歩くうちに腰を落ち着ける処を決めればいい。と、会社を後にした。

100mも歩くと「ローカーボ」がある。入り口の扉が開いており、そこから馴染の姿が、しばらくぶりの若手が奥に居た。一月以上まになるが、彼が「うまし」で支払いをした。そのお返しもしないままにいる。チョット挨拶をしようと店に入った。

すると手前にHOYA兄いが、その隣にチーちゃんが居た。『いやぁ~久しぶりだね』と、ご挨拶。ハイボールのグラスを手にして乾杯、口に含んだ。美味い!うまいねぇ~と、思わず口にでる。久々に顔を合せたチーちゃんの近況を訊く。「年度末に予算消化で、飲み会がつづいて疲れた」とのこと。

『いい会社だね~、予算消化で経費を使えといわれる会社は。今時は少ないぜ』『言ってくれれば、幾らでも協力したのに・・・』なんて会話から、社内の若手の酒の飲み方にまで及んだ。

「この前、六本木に行ったけど、全然合わない。人形町が肌に合うわ」「社内の若手じゃ、私が、一番オヤジ度が高いの」と仰せられる。『俺たち相手に飲んでるんじゃ、間違いないね』。そんな話をしている処に、マスターが「お知り合いが覗きましたよ」と言った。

席を立って通りを覗くと、AOKI&RIEの姿が。『おーい、入れよ』と声を掛けた。二人が加わり、カウンターはほぼ満席となった。其々が話をしている最中、スマホの呼び出し音が。発信を見ると、なんとあの古本BARのオーナーだったHIRAISHI・鼠オヤジだ。

 ―貧すれば鈍す・・・―

久しぶりだね、生きてたの?と、出た。久しぶりの挨拶もそこそこに、「お金を貸してくれない。今月末に返すから、一万円かして。」と、淋しいことを言う。それも、「十時までに振り込まないと生きてられない」と、これまた情けない話。

それっぽっちで、電話を。それも、客だった俺にだ。余程行き詰ってるのか、どこも誰も相手にしてくれなくなったのか・・・・・。捨て置くのも気の毒か、『分ったよ、9時45分に駅の改札で』と、返事をした。

言うことが可愛いよ、一万円だって。この額なら、ないよ、と断れる額じゃないし、仕様ないなと思える額だからね・・・・・。

と云う次第で、楽しく飲んでいる最中ながら、先にローカーボを後にしたのである・・・・。

いましたよ、改札の向こうに鼠オヤジが。そして一枚を渡すと、急いでコンビニに向った。何かの入金であろう・・・・。

戻った鼠オヤジと、ステーキ肉を口にしながらワインを。近況を聞いたが、面白くもないので省略する。が、一言だけ。なんと、焼きあがってきたステーキの大きい方を取りやがった。どう転んでもしっかりしたオヤジである。

 

そんな半端な夜の所為か、今朝の目覚めは五時頃であった。生暖かく淀んだ空気、冴えない頭。その冴えない頭で目覚めようとするが、体が反応しない。暫く本を読んで過ごした。漸く蒲団を出た時は六時になっていた。

今日は「稲荷すし」にすると、前夜から決めてあった。稲荷寿司といっても、油揚げは味付けの出来合だ。温めるだけで、酢飯を創ればいいだけ。そのお酢も「てまいら酢」と云う柚子酢の出来合。ご飯に刻生姜&炒り胡麻を加え、混ぜ合わすだけのことだ。

                              

菜の方も、豚小間入りの野菜炒め、ゆで卵、絹ザヤの卵とじ、冷凍シューマイ、ホウレンソウのお浸し、茄子の味噌炒め、こんな処である。

                          

ノリの悪い弁当作りであった。

 今夕はサラリーマン時代のOB会・理事会がある。品川のN社の最上階にあるOBサロンで会合の後、意見交換会と称する懇談会がつづく。されど。今日の懇談会は早目に失礼し、人形町に戻る。実務を委ねているNOBORUと、久方ぶりに意見交換を行うのだ。静かな店がいいのだが・・・・・。

そして明日、明後日と税務調査が入る。三年に一度のペースだったが、今回は四年ぶりとなる。来るたびに、なにがしかのお土産を欲しがるのが癪だ。貧乏会社を強請ったところで、屁もでねぇよ。と云いたい処だが・・・・。難癖をつけて、なけなしのお宝を取るんだろうな・・・。

 

 

 

 

 

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炊き込みご飯

2017-04-18 | Weblog

4/18(火) 今日のお弁当は炊き込みご飯にした。それも「鶏飯」である。季節的には、タケノコご飯とか、グリーンピースの豆ご飯など季節を感じさせる食材があるが、タケノコや豆ご飯の弁当を家人は好まない傾向にある。

筍は、先週末に妹や従姉が送ってきた(重なるねぇ~)のがあるが、山の神のご機嫌を損ねちゃいけないので、敢えて季節を問わない「鶏飯」にした。が、今思えば、鶏と筍をセットで炊きこめばよかったか。これが後の祭り、と云うやつだ。

六時前に蒲団から出た。昨夜の予報では暴風雨が・・・なんていってたが、平穏な朝であった。些か拍子抜けしたよ!

鶏飯に唐揚げと云う、鶏三昧を考えていたが止した。唐揚げを止して「鶏と根菜の旨煮」と、云うことにした。君子は常に豹変すると云う。ましてや凡人の小生が、七変化はおろか一瞬の時を捉えて変化できなくて、この有為転変の時代を生き抜けるはずがない・・・・。とまあ、余計なことを言ったが、鶏の菜は台所に立っているあいだに、若干カーブしたのである。

米を磨ぎ、薄切にした牛蒡を晒し、人参・薄揚げを刻み、釜に酒・醤油・塩に若干の出汁を加えてスタンバイ。後は、電気釜のスイッチをONするだけ。

菜の方は、鶏肉と大根・人参の旨煮。小松菜の煮浸し風(小松菜と薄揚げを湯通しし、後から出汁で混ぜる)、ポテトサラダ、ブロッコリ&キャベツの温サラダ、出汁巻卵、鯖文化干し、以上である。

                         

実は、弁当箱が小さいので、収まらん菜もでるのだが、そこは適当に・・・。今週は毎日弁当二つなのだ、こうじゃなくちゃねぇ・・・・・。

                             

 

昨晩は月例の「モナリザ会」と云う異業種交流会であった。銀座四丁目?(と思うが)の喫茶モナリザの地下で開催される故にモナリザ会だが、昨夜は珍しく参加者が少なかった。暴風雨の予報の所為か、ドタキャンも相当あったようだ。例月だと、狭い会場にぎっしりの参加者だが、随分と椅子が空いていた。

                         

冒頭「少ない人数なので、今日はゆっくり自己紹介や、PRに努めて結構です」と、主催のTAKAHASHI前区議が言った。そう言われても、こっちにゃ材料もないのだが。隣の初参加も方とあれこれお喋り。訊くと、沖縄で捕れるマグロ(カジキやキハダ)を商売にしている会社の役員であった。

「折を見てマグロを持参しますから、解体ショーをやりましょう」と云う。新鮮なキハダやカジキは、本マグロと違った美味さがあるが、それは現地で食べればこそ?解体ショーをやって喰うほどのものか・・・? と、内心の思いは隠して『それやぁ、いいですね』と。小生もなかなか大人になったよ。

あっと云う間に二時間が経過し、お開きとなった。中には「この前お会いした方の処と、仕事ができました」なんて言うメンバーもいたが・・・・。散会後、マグロやさんと、他の沖縄出身のメンバーに悪徳チャン(挨拶で「これからは悪徳改め、正直でいきます」と宣言した。すかさず、不正直じゃねぇか?と、水を差したが・・・)の四人で、何故かお茶でもとなった・・・・。

オジサンたち四人は喫茶「ルノアール」にて暫し懇談。されど話は、盛り上がりに欠いた・・・・。天候も宜しくないよなので、と早々に引き揚げた。お蔭で、帰宅は22時30分と早かった。

 

 

 

 

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春眠暁を・・・

2017-04-17 | Weblog

4/17(月) 春と云うよりは初夏、急に暑くなった。昨日の日曜日は、早々とアロハでも着ようと思ったぐらい。Tシャツで歩いてる若いのを何人も見かけたぐらいだからね・・・。と云うわけで、今日も暑いよ・・・、夜には暴風雨が近づくとのことだが。

春眠暁を覚えず、なんて言葉があるが。先週は深夜や明け方に目覚めた日が多く、そんな言葉さえ出てこなかった。一転、今朝は眠い眠い! 眠くてしょうがなかった。それでも六時半には起きだして台所に入ったが・・・。通勤電車の中でも眠気は去らず、二三駅毎に目は開くものの、殆ど眠っていた。眠り病か?

てな朝、それでも弁当は二つ。メニュー構成は昨晩、眠れぬままに(眠い原因はこれか)考えておいた。暇な時は、こういう時間の使い方がある。の典型だった。

メインは冷凍肉と野菜を加えるだけの「チンジャオロース」、残っている茄子を活かすために考えた「挽肉の茄子挟み揚げ」、野菜系は「ホーレンソウのお浸し」「胡瓜の酢物」、更に「絹ザヤの卵とじ」、最後が「鮭焼き」となった。

台所に入ってすぐにご飯を炊き、冷蔵庫から食材を取りだした。チンジャオロース用に、筍&ピーマンを細切にする。茄子を縦割にし、挟み揚げ用のタマネギを刻み挽肉と混ぜ合わす。胡瓜をスライスして塩揉み、千切生姜と大葉を加えて甘酢へ。ホーレンソウを茹で、流水で粗熱を取ってから4cm程に切り、出汁にまぶし白胡麻を振る。鍋に酒を煮きりして出汁を加えて絹サヤを入れ、溶き卵を加えて卵とじに(ちょいと失敗)。

                      

挟み揚げの茄子を、小麦粉をまぶし、溶き卵に潜らせパン粉で砂遊び、油の海で泳がせて揚げる。焼きあがった薄切の紅鮭を二切れ、皿にのっけて、今日の弁当の準備は万端整った。後は、弁当に詰めるだけ。ここまで約一時間、あっと云う間に時間が経っていた。

                       

 

土曜日の午後、日本橋界隈で「日本酒利き歩き」と云うイベントがあり、その前売りチケットを付き合いで二枚買ってあった。誰と行くかと思ったが、ここは日々、ランチタイムコヒーを一緒にしているYOSHIOがベストフレンドだろと誘った次第。

日本酒ながら、参加している店は小料理屋からレストラン・中華店と様々。四十六の店舗に、それぞれ違う蔵元が付いて自慢の日本酒を利き酒するという趣向。参加費は前売りが2500円、当日は3000円である。受付店舗で地図やパンフレットと共に、利き酒用のチョコ(杯)を貰ってこれで飲むのだ。

店は幾つ廻っても、何杯飲んでもいいが、摘みは別料金である。人形町界隈をイベント袋を提げた男女がゾロゾロ歩いている。参加店舗の前は、どの店も三十人ほどの行列が出来ていた。他所まで出っ張る気もない、近所の店で並び杯に注いで貰う、或いは自分で注ぐ。

「高松」の前も、大勢の行列が出来ていたが、並んだ。カツ煮と肉団子を注文し、飲みながら食べる。これが全て立ち飲みなんだよ!福井県は永平寺町の「越前岬」と云う酒であったが、美味い酒だった。

                   

                   終了後、未だ屯している面々。六時過ぎに高松の前にて。

長蛇の列を前に、常連客の油や、祥ちゃん他、助っ人が忙しく働いていた。『しっかり働けよ!』と、こちらはサービスに頂いた肴を喰らい、飲む。それにしても、よくこれだけの人出があるもんだと感心した。一度参加すれば、もういいね。落ち着かない、酒を楽しむには忙しすぎる。と、感じました。

 

 

 

 

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月とスッポン

2017-04-14 | Weblog

4/14(金) 週末を迎え、今日も上天気だ。毎朝うちに寄ってから学校に行く、孫のSORAも元気に一年生をしているようだ。ひきかえ、こっちは相当にガタが来ているが、なんとか夜のパトロールをこなしている。

昨夕、友人のT社社長のOKAZAKI氏と六本木・赤坂と長年にわたり歌を聴いているYOOKOさんとダーナが我が町、人形町にやってきた。甘酒横丁辺りを散策案内し、食事はなにがいいかとなった。和食、それも美味しい和食がと云う。生憎、それほどの店は不案内だ。結局、馴染の店「うまし」に案内した。

四方山話に花が咲き、亡くなったYOOKOさんの旦那、東郷好彦さんとのゴルフのことや、六本木に在った店「禅」の時代を懐かしんだ。あれから三十年が経ったが、歌姫は変わらないねぇ~。食事の後、時間があると云うので「カラオケでも指導してやるよ?」と、セイジュへ。店内に客の姿はなかった。

                       

OKAZAKI氏が、何時もの松山千春を唄って露払いを努めた。そして二人の歌姫にバトンを渡した。聞き馴れたデュエット曲のあと、YOOKOさんに「津軽の故郷」をリクエスト。ひばりのこの歌は、以前にYOOKOさんが唄ったの聴き、うろ覚えに唄うことがある。流石に上手い、俺よりは数段か?否、月とスッポンとはこのことだ。

俺も唄ったさ、臆面もなく・・・・。駅に送りながら、ダーナが「ARIさん、酒場の~の、サカのとこが高いので、あそこを低くね」と、歌唱指導をされた。ニックニューサのサチコと云う歌だ。暗ーい酒場のかぁ~た隅で・・・が、出だし。歩きながら二三度口ずさむ・・・が、今一つ。癖は直ぐには直らんねぇ。今朝の風呂でも、口ずさんでいたよ。

三人を駅に送った後、「ちょっぷく」に顔だしして軽く一杯。今夜のちょっぷくは、珍しく静かだった。来週末になった、YAMAちゃんの手術の無事を、助っ人隊の面々と語り合った。帰宅は23時前と、平穏である。

さて、今朝の起床は五時半。それから起床まで、今日のメニューについて考えた。揚げ物を暫く作ってないな~、トンカツ用の豚肉はない。掻揚げでもするか?と、実にイージーな考えしか浮かんでこない。卵焼きは、ホウレンソウを巻いた出汁巻か?など・・・。

丁度六時に台所に入る。冷凍の豚ロースステーキ味付けを取り出し、小エビを解凍する。掻揚げ用の牛蒡と人参をカットして晒す。キャベツ・ホウレン草と春雨を茹でる。ズッキーニとピーマンを素揚げして、ポン酢味にすることに・・・。

                     

こんな次第で、弁当の準備は進む。冷凍シューマイを温める。茹でホウレン草に味付けし、ゴマ和えにする。「厚焼き玉子」と、「茹でキャベツと春雨のサラダ」、「掻揚げ」を揚げる。こんな塩梅で、今日も弁当が出来上がった。

                     

 

週末だが、明日は「日本橋エリア 日本酒利き歩き」なんていうイベントがある。その前売りチケットを浮世の義理で買ってある。買った以上は使うに如かず。と云う次第で、明日の午後は、この辺りで日本酒を飲まなくちゃなんねぇんだ。今からへべれけの我が姿と、ゲロッパで胃が痛んでいるのが浮かぶよ 。

 

 

 

 

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名残りの桜

2017-04-13 | Weblog

4/13(木) 今日も上天気の朝を迎えた。機嫌よく朝のお仕事、弁当作りに入ったのは六時前であった。今日は一人分を作るのみ、ご飯も昨夜の残りご飯だ。冷蔵庫の残り物を整理したいが、一人分じゃ使う量もしれたもんだ。野菜系をメインの弁当にした。

「かき菜のお浸し」「キュリイの酢物」「シメジとレタスのポン酢和え」「アスパラの豚バラ巻炒め」「大根・人参と鶏肉の煮物」「塩秋刀魚&鯖文化干し焼き」「厚焼き玉子」以上を作った。敢えて云えば、少量多品種か? まあぁ、これだけで弁当は満杯だ。

                   

昨日も弁当を一つ作ったが、アップしていない。ついでだ、それも載せよう。ハンバーグをメインに、茄子&豚味噌炒め、温野菜や卵焼きなどである。

                           

昨日は午後から「小金井公園」の桜を観に行った。小金井には、TUGAWA&HANAOKAさんの住いが在る。四年余り前になるか、三鷹からここに越した。その住いから遠からぬ処に小金井公園があり、そこの桜がいいと云うことで、昨年からか花見に呼んでくれる。

それまでは、三鷹で花見の宴を開いてくれた。玉川上水沿いの桜や、駅北口の山桜がいいのだ。旬のホタルイカの鍋や鱒寿司など馳走になり、ワインや酒でいい気分になった。今の小金井の住いは、小さいながらも庭があり、柿・ボケ・山茶花があり、HIROさんが丹精する野菜が栽培される。夏には採れたてのハーブやトマト等が食卓を飾るだろう。

そのような次第で、昨日が三人の花見会となった。一週間も前に予定していたのが「山桜は未だ」とのことで、漸く昨日の運びとなった。駅まで迎えに来て貰い、バスにて公園口まで向った。僅か十分ほどのことであったが、歩けば結構な時間を要すだろう。二人とも、歩みのノロイ 亀さんのようなものだからネ!

公園西口から入る、直ぐの処に白い大振りの花びらをした桜樹が満開を迎えていた。案内板に「太白」とあった。これが、かの太白か?とあらためて花びらを見、香りをかいだ。かの太白と言ったのは、随分古い記憶になるが、作家の水上勉氏が「我が家の太白」だったか、そんな表題のエッセイを文芸誌に寄稿していた。

作家の庭に大きな太白の桜樹があり、それが咲いたことを書いてあった。その一文を読んでから、「太白」の桜のことを記憶の奥に閉じ込めたままになっていたのだ。何十年か経ってその記憶が甦り、太白を目の当たりにして解き放された。

                           

散ってしまったろうと思っていた「ソメイヨシノ」も、その色を保ったまま青空の下で大きく枝を張り、辺りに花絨毯を広げていた。そしてお目当ての「山桜」は、満開の時を迎えていた。 花見のコースは、事前のリサーチで定まっていた。園内の「桜の」を廻り、公園からすぐの海岸禅寺と禅宗の寺に向かった。ここの門前の「枝垂れ桜」を、コースに入れてくれてあった。

 

                    

寺は、臨済宗妙心寺派とあった。禅寺らしい落ち着いた佇まいの山門と本堂、庭はさほど大きくはないが自然な配置の樹木と、その先に堂宇が配されていた。臨済宗妙心寺派と寺の佇まいから、富士の小澤先生のことが甦った。

                      

小澤先生は、富士川町の臨済宗妙心寺派の東光寺と云う禅寺の出身で、身延町の南松陰の住職をされていた当時に、剣道部の合宿でお世話になった。その後、東光寺に戻られた。二度の合宿がご縁で、丁重なお便りを頂くようになったが、ご無沙汰つづきであった。

先生が黄泉に立たれて十年を過ぎようか。奥様からは未だ、賀状や時折に便りが届く。富士にお寄り下さいと案内を頂くが、ご無沙汰ばかりである。

 臨済宗の寺の佇まいに、昔のことが蘇り厳粛な気持ちになった。花を見て様々にと思いを巡らす。HIROさん宅に戻っての一献も、共に過ごした時代時代の思い出に尽きた。

北の南の、友人たちのその後と今を語りあう内に電話をすることになった。久留米のJOUJIMA女史、隠岐のHANAOKAさん。女史は相変わらずの元気な声を聞かせてくれたが、HANAOKAさんの声は力なく聞こえた。小児麻痺と筋萎縮症、二人とも病気は違えども回復はおろか、進行する病気との闘いの日々にいる。闘える体力があればこそなのだが、もうそんな体力はなくなっている様子。それでも、二人の声を聴けてよかった。

飲むうちに、「誰が一番先に逝っちゃうのかな」。そんな会話になった。誰が先に逝ってもおかしくないが、三人が一緒に逝けるのは飛行機ぐらいだね・・・。そんな話が自然にでる、そんな関係であり齢と云うことか・・・・・。

 名残りの桜を愛で、春の宵を愉しんだ一日であった。

 

 

 

 

 

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