オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

牛小間炒め&ポテサラ

2011-03-31 | Weblog

3/31(木) 今日で平成22年度も終わる。スタッフの中には、連日泊り込みや明け方まで仕事を続けている者もいるが、今日をひと区切りに楽になってほしいものだ。

さて、今朝の台所仕事は「牛小間炒め」と「ポテトサラダ」、小松菜の胡麻炒め卵とじであった。牛小間とアスパラガスと炒め。仕上げにレタスも少々入れてみた。味付けは塩胡椒・中華スープの素をひと箸、それでも味が引き立ってこない。醤油を垂らしてフライパンを振って仕上がり。

ポテトサラダは、当初ポテトと人参の小口切りをゆで卵&マヨネーズで和えるつもりでいた。ところが途中から気分が変わり、潰したポテトサラダに変身。

                        

小松菜は茎・葉が硬いので湯とおしをして胡麻油で炒め、炒り胡麻を振り仕上げに卵を入れる。味付けは塩のみであった。

かくして、本日も心を込めた弁当が仕上がった。

                        

そして私の朝食は、残り物の人参二切れとネーブル&文旦のフルーツ。美容食と云えるか?

                        

 

昨夜は定時に退社。久々に自宅近所にある古本BAR「ひらいし」に立ち寄った。カウンターで(カウンターしかないが)赤ワインを舐めながら本を捲る。今夜の店長は、あの電撃ネッワークの「三五十五」氏である。

湯豆腐のメニューがあったので夕食代わりにそれを注文。豆腐を摘みに、ワインを飲る。

                        

本と云えば、通勤電車の中で今読んでいるのが「食と日本人の知恵」小泉武夫著(岩波現代文庫)だが、これが面白い。日本のあらゆる食材・調理法に至るまで学術的・民俗学的な見地から解説、紹介している。参考と勉強になる本なのだ。

小泉先生は、東京農業大学で醸造・醗酵学を研究、つい先年まで教授だった。著書も多く、マスコミでよく取り上げられている。日経新聞の夕刊に毎週、食をテーマのコラムも執筆している。

渋谷「奈加野」の常連でもあるようで、私も安くて旨いと思っている『いわしのつみれ鍋』を新聞で紹介されたことがある。店主は儲からないので止めようと思っていたメニューが、小泉先生の評価で注文が増大。止めれなくなったと、ぼやいていたこともあった。

 

 

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牛丼

2011-03-30 | Weblog

3/30(水) 今日は牛丼となった。先日買ってきた食材を、消化しないといけない時期となり冷蔵庫で出番待ちだった牛小間を使う。後はホ-レン草のお浸しと定番卵焼きである。

                                      

一緒に煮るのはタマネギを主体に、蒟蒻・椎茸・エノキをそれぞれ少量だが使う。すき焼き風の煮物だが、汁を少しだけ多めにする。

                          

なんだか彩りが良くないので、人参とアスパラを茹で、温サラダの付け合せにする。

                          

ホーレン草は、出汁と醤油を垂らして白胡麻で合える。卵焼きにも出汁を加えて、ホーレン草とエノキを巻き込んだ出汁巻き卵とした。

                          

ホッカホッカのご飯を詰め、姪とK君のご飯には牛煮を載せた牛丼仕上げ。家人にはお菜としての詰め合わせ。今朝も何時もの如く、三人前の弁当が出来上がった。

                          

今朝の私の朝食、弁当の残り物。ホーレン草のお浸しと人参・アスパラを二切れ、卵焼きを一切れ、それにネーブルと文旦を少々。
昼は、何時ものように野菜ジュース一杯の予定。そして、夜はどうなるか?アルコールが入ることは間違いないが、野菜系と魚か?

昼はグレープフルーツが半分付くメニューでスタートしたが、安いグレープフルーツを買った所為で酸っぱいのだ。最初の日で止めた、とても食す気になれない・・・。

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サンドイッチ

2011-03-29 | Weblog

3/29(火) 今朝はサンドイッチでいくこととした。昨夜の帰り、イギリスパンとマフインを買って用意をしておいた。

実は、今日のサンドイッチに至る経緯がある。土曜日の午前、TVを点けていたところ「レタス」を食材とした番組が流れていた。東京ガス提供の「食菜の王国」であったか。この日のテーマがレタスであった。

番組の中で、アメリカ人の料理家がレタスとベーコンを使ったアメリカの家庭では定番と云う「レタスとカリカリ・ベーコン」のサンドイッチを紹介した。それを見て、作ってみようとした次第である。
残念ながら、朝作り昼に食すサンドでは、番組のようにレタスのパリパリ・しゃきしゃき感を望めそうにないが・・・。

取敢えず、何時ものように二枚重ねでパンをトースト。マヨネーズとマスタードを混ぜ、胡椒を一振り。今日の具は、当然レタスたっぷりに胡瓜、卵4個(目玉焼き二個・ゆで卵二個)、ベーコン6枚、タマネギ半個、トマトである。(残念なことに、家人と姪のkeikoはトマトが苦手、必然的にK君用となるが)

                        

少し残っていた鶏肉もソテーすることとした。ベーコンをカリカリに炒め、続いて鶏肉をソテー。タマネギも鶏肉に合せて少量炒める。ゆで卵をつくりマヨネ-ズ・塩胡椒を加えて潰す。卵二個を目玉焼きで裏表焼く。以上で準備が完了した。

                        

中々美味そうだが、手を出さない。此処はじっと我慢のしどころ。変わりに、捨てるはずのレタスの外葉と残りトマトで野菜スープを作った。味付けにウィンナーを一つ入れてみた。グツグツと煮込み、塩と中華スープの素を一つまみ。いや~絶品であった。(喰ってない所為か)

レタスたっぷりのサンドイッチが完成した。お疲れさん・・・俺も喰いて~!

                   

 

  「 あ・り・さ・ん・歩 」

昨日の午後、郵便局に行ったついでに日本橋界隈を歩いた。三越前から日銀、「一石橋」を越え、東京駅八重洲口に至った。其処から中央通にでて日本橋方面に戻る。日本橋の手前を右折して昭和通を越えて「千代田橋」を渡り新大橋通に出た。

新大橋通から「茅場橋」を渡って、人形町へと向かう。駅を云うと三越前・東京・日本橋・茅場町そして人形町と経由した勘定となるが、高々45分の散歩である。

 今朝は、定番のルートとなった中目黒駅までを歩いて行く。東横線沿いに行き、途中から駒沢通りを歩く。歩きながら、昨夜のU老との会話を思い出した。

昨夜、お馴染みの「ちょっぷく」にてハイボールを啜りながらの老との会話。
とみに腹がせり出してきたUさんに「健康のために何かやってるの?」と訊くと。

「忍者歩きをやってますよ」と云う。なに、それって?まさか腰をかがめて小走りなんてのじゃあ・・・。「違いますよ、通常より歩幅を5cm延ばして歩くのよ。すると足の筋が伸びる。15分も歩くと汗が出る。これを心掛けて歩いているのよ・・・」だそうな。
それ位の歩きなら僕は毎日やってるけどな~・・・。

じゃあ、呆け防止には何かやってるの?いや~よく聞いてくれたと還ってきたのが、
「毎朝駅に着くまでに、出会う車のナンバーを見て足し算をするのよ」であった。そうか、いろんな方法があるんだ、と納得した。

そして今朝、駒沢通りを歩きながら昨夜の会話を思い出していた。そうか、今の歩幅より更に5cm伸ばして見ようと歩く。すると、なかなか心地よく足が運ぶのであった。


それに頭の体操だ!行き交う車のナンバーをみて足し算を始めた・・・。

「13-59」=18、「47-63」=20とかである、そのうち上り車両は「47-36」=83とかパターンを変えてやってみたりと、大忙し。何しろ朝の駒沢通り、U老の住まう田舎道とは大違いのはず。忙しいこと限りなしであったが、面白かった!

 

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ハンバーグと鶏・大根煮

2011-03-28 | Weblog

3/28(月) 平成22年度も余すところ4日となった。弊社のスタッフは例年に比べると落ち着いているが、一部ラストスパートのメンバーもいる。
仕事の量は例年の半分近くまで落ち込んでおり、平穏であるはずだが・・・。

今朝は、来期に希望を繋げる朝に相応しい上々の日より。風も無く、穏かである。

さて、今日の弁当だが、表題のとおり「ハンバーグ」と「鶏肉煮」、定番の「卵焼き」である。

                      
                        本日の食材群

ハンバーグは土曜日に大量作り置きしたもの。解凍し、フライパンでソースを作りそれにハンバーグを混ぜ合わて味を馴染ませた。付け合せに茸のソテーを用意した。茸は、シメジ・椎茸・エリンギ等冷蔵庫にある全種が参加。一つ残ったピーマンまで飛び入りとなった。

                  

鶏肉の煮物は、大根と人参を小口切りにし弁当サイズとしたもの。それに、TV番組の県民ショーでお馴染みとなった「ニンニクの葉」を最後に加えてみた。味付けは何時もの煮付け風である。

                       

最後に卵焼きを作る。ミルクを少々加えてボリューム感と柔らかな味に仕上げる予定であったが、卵焼き器を熱しすぎた。少々焦げが気になる処。

                       

今朝も三人前の弁当、残り僅かとなった椎茸昆布をご飯の上に載せて完成した。

                  

私の方は変わらず被災地の皆様を慮って食事謹慎中の身。不思議に食欲が湧かないのだが・・・筋力(金力?)は落ちたようだ。今朝の食事は、ヨーグルトと卵焼一切れであった。

 

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U老の得難い話

2011-03-26 | Weblog

3/26(土) 昨夜は遅い時間に某TV番組制作会社の常務をしている永の友人、H氏に会うこととなっていた。会議が長引くとのことで、取敢えず待ち合わせ場所の銀座の店で落ち合うこととした。

相変わらず銀座は暗くて人出も少ない。天下の銀座がこの有様では、後はおして知るべしか・・・。

東電の本社が線路を隔てた日比谷側にある所為でもなかろうが、池袋や渋谷の方が活気があるし明るい、元気を感じる。

そんなことはさて置き、H氏待てど暮らせど現れない。学生時代、中野駅前の小さな喫茶店で彼を7時間待ち、店が閉まる直前に現れたという実績がある。


空いた腹にハイボールを7・8杯流し込んだ頃、携帯が鳴った。会議がエンドレスでまだまだ終わりそうにないとのことだった。

確か、震災の取材でクルーを十数組も現地に送り込み、4月からの新番組のスタートと忙しいことであろう。会議を抜け出して、電話を寄越すだけでも大した成長と言えるか・・・。

私の依頼事項は、今日明日を競ることではないので改めて会うこととなった。
それにしても、腹が減っているとハイボールの吸い込みも早く、効目も早かった。電車があるうちに家路に付いた次第。

今日は午後に出社、久し振りに会社のトイレ掃除をした。トイレ掃除というのは気持ちがいいものである。

しかし、飯を喰わない所為かどうも力が出ないようだ。とはいえ、何かを喰いたいと云う欲求は甚だ少ない。引き出しに入れてあった最後のチョコレート一枚を食す。チョコレートがあれば2・3週間は生き延びれそうだ。このチョコはドバイからのお土産で頂いたものだが、すこぶる美味い。こんなに美味いチョコレートは初めてである。

そして冷蔵庫に置いてある野菜ジュースを一杯飲んで、今日のランチとした。


今朝は、ネーブル蜜柑を数切れと太刀魚の味醂干しを一切れであった。完熟・極上の甘味たっぷりのネーブル、味醂干しも美味かった。思わずビールが飲みたくなったほどである。

昨夜帰宅すると、愛媛県久万高原町に在住する後輩のKatuta氏から宅配便が届いていた。それが、今朝頂戴したネーブルや味醂干し。この他にデコポンや干物、十穀米のパックまで入っていた。江戸の惨状を心配して何や科やと入れてくれたに違いない。ありがたいことである。

 「 U老のチョットいい話 」

我が社の最長老のUさんは名古屋育ち。終戦後、疎開先の岐阜から戻った頃は、名古屋に進駐軍の米兵が沢山いたそうな。

Uさんの父上は、軽食堂を営みカツレツやスパゲッテイなど供していたと言う。それを目当てで、米兵がよく食べに来たそうな。そして支払は品物。チョコや歯磨き粉、チューインガム等であったそうな。その米兵たちが皿のソースまで拭い食す綺麗な食べ方、残さない食べ方に子供ながら感心したと言う。

暫くして、その父上が丁稚小僧を何人か置いて靴の製造販売を始めた。田舎から出てきた少年達が同じ屋根の下で暮らし、寝食を共にする。そして食事も家族と一緒に摂る。
その時、雇人達には暖かなご飯を食べさせ、Uさん達家族は残りご飯の冷や飯が常であったそうな。

お父上が「この人たちは親元を離れて働いているんだよ、だから大事にしなくてはいけない」と教えたそうな。そんな幼少の頃の教えが、U老の遺伝子や細胞として沢山残っている。

そんな話の彼是を聞きながら、チャリン・チャリンと呼ぶ安酒場「ちょっぷく」で、焼酎やハイボールを飲っているひと時が、私は好きである。至福、やすらぎの時間となる。

 

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母の手術

2011-03-25 | Weblog

3/25(金) 昨日、母が手術をするとのことで、9:10のJALにて高知に帰る。飛行場へ向かう前、5時30分から弁当だけは作って行こうと準備に入った。私の悪い癖で、何かを始めるとしつこい、日課をこなさないと気が済まないのだ。

そんな訳で、弁当つくりに45分その後風呂に入り出掛ける準備で45分と云う時間配分である。次女も泊まりにきており今朝もオムスビが要る。弁当二つとオムスビである。出勤しないのでk君の分は省略となる。

さてメニューだが、冷凍イカとシメジ・人参のオリーブオイル&バターソテー、アスパラガスの豚肉巻き炒め焼である。それに定番の卵焼き。

オムスビは焼タラコと椎茸昆布の佃煮。アスパラ巻きの味付けは、塩胡椒と醤油味の二種とした。節食中のため、味見は箸で汁の味見をするに留めた。

急ぎで作っているつもりだが、そんなには手際よく行くはずもなし。時間がどんどん押して来た。それでも弁当箱に詰め、オムスビに海苔を巻くまで止められないのであった。

                       

風呂と準備の時間が段々と減って行く。それでも日課の風呂に入り、準備をして駅に着くと乗車予定時間の1分前。まあ、悠々間に合ったと云うべきか?            

予定通り高知に着き、11時半病院に入った。妹と従兄弟が病室で待機しており、母は9時ごろに手術室に入ったとのことで手術中であった。手術そのもは難しいものではないと聞いていおり心配はしていないが、高齢であり其処が心配なだけ。

母は昨年9月、丁度帰省しているときに廊下で転び、脊椎と腰骨の繋ぎ目辺りを圧迫骨折した。三ヶ月ほど入院し、年末に家に戻ったが、予後が良くなかった。結局骨が繋がらず、神経を圧迫しているということで手術となったのだ。

13時30分過ぎに病室に戻ってきた。レントゲンも撮ってきたとのことでドクターが術前・後の状況を解説してくれる。上手く行ったとのことでひと安心する。

しかし、輸血や点滴、痛み止めのチューブ・注射針、酸素マスクと老人には辛い処であろうが、麻酔から醒めきってないのでウメイているばかり・・・。目覚めて、喉がいがらっぽいと云うので、嗽の手助けをする。

                          

今夜は手伝いすることも無いだろうと21時頃まで病室に付き添い、直ぐ傍のホテルにチェックインした。

今朝は、8時30分に病室に行くと酸素マスクも取れ、声が少し出るようになっていた。ただ背中の手術なので起き上がることはできない。少し横向きになるのはいいそうだが。背中が痛いと云うがさすることも出来ず、我慢しろと言うしかない・・・。

熱があるそうだが、徐々に収まるであろう。昼前に病院を後にして妹夫妻と食事、帰京の便に搭乗するため「高知竜馬空港」に向かった。私は節食のため生ビールと冷奴であるが、昼間からビールでは意味なしか・・・

                        

                    my lunch?         妹達のlunch

何でも羽田空港が混雑とのことで到着便が遅れた。その煽りで帰京は40分以上の遅れとなった。(羽田が混雑とは、原発で東京などを脱出する人が増えたか?)

何処へ行っても原発と震災の話題。妹が水を送ってくれると云うが、この田舎にもペットボトルの水は品薄になっているようだ。

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オムスビと掻揚、節食考

2011-03-22 | Weblog

3/23(水) 今日は家人の都合でオムスビを所望された。しかし、K君には昨日オムスビも用意したので、K君は弁当箱を使う。金沢の実家に帰っていた姪のkeikoが戻ってきたのでkeikoはオムスビ弁当に。

オムスビの具はメンタイコと鮭である。弁当のお菜に「小エビ・人参・タマネギ・ネギの掻揚」を作る。他には椎茸とほうれん草の卵とじである。

                        

オムスビ五個と弁当一つ、keikoが戻ったので三人分の弁当となった。少しは作り甲斐があると云うものだ。家人はオムスビ二つ、keikoはオムスビ二つと掻揚、K君は掻揚丼弁当となった。


丁度、掻揚を揚げ終わるころに地震警報が、急いで火を止めて鍋を移動した。それにしても、今朝は地震が多い。

                        

昨日の朝は東横線が目茶混み、三列車やり過ごしたがそれでも超満員、四台目で無理やり乗り込んだが大変な思いをした。今朝も同じ状況だろうと推測、中目黒駅まで歩き、始発のメトロに乗った。こんな状態が常態となるのか・・・。

 

  「喰うこと・喰わないこと」

先週、16日から先ずは節食をスタートした。動機は不純である、歩いても一向に体重が落ちない、昨年の夏も歩いたが効果なし。その程度では如何ともし難いことが明白となった次第。

何しろ、喰うことだけが生甲斐のような人生を送ってきた。或る意味、喰うことでストレスを発散させて来たようなところがある。若い頃は夜中まで酒を喰らって散じてきたものが、幸か不幸か、今やその元気を無くしているし、それでは散じ得ない。その分、食に向いているのかも知れぬ。

とは云え、私が喰うものなどはしれたもの。子供の頃に食べた(要は自然のもの)味や、ホカホカの飯が旨くて食が進む。元気な証拠ではあるが、これが齢を重ねることで消化しきれなくなった、と感じるようになった。

これまでも何年かに一度、大減量作戦してきた。一番落としたときは3~4ヶ月で13・4kg落ちたか。この時は周りからエイズを心配されたが、清廉潔白な私には縁の無い病気。体質もあるだろうが、脂身の付き易い体と云える。

知恵やお宝が付かず、余分なものだけがくっいてくる。まるで私の人生そのものだが、それはそれでまた面白いのだ・・・。多分、人の何倍かは人生を面白くしているはずだ。

処で、今回は何度目かの体の掃除と決めたわけだが、一応期間を一月と定めた。4月の半ばまでの予定でいる。この結果を踏まえて後のことは決めよう。
この間で、どれだけの結果が出るのか、それにより自分の体がどれだけ変化しているのか知れよう。

この間の食事メニューは一応作ってある。とは云え、これに拘るつもりも無い。例えば、博多で旨い魚を沢山頂いたり、お彼岸のオハギや、猪鍋を食したりと。その時々で必要なもの、その時期に食べるべきものは喜んで頂戴するのだ。得手勝手節食と呼ぶべきか・・・。

酒を止めるのが効果ありと人は云う。しかし、大の大人が酒を止めてどうるのよ?それなら毎日4~5杯飲むコーヒーから、20本程に減ったタバコも、凡そ健康的でないと云われるものは全部当てはまる。

健康的に生きるために夜毎酒をやり、煙を吹かして生きているわけだ。飯を控えるのは、健康的に生きるためにである。そして自分の心・身を再確認するための行為である。

さて私的『ラマダン』のメニューであるが、朝は「ゆで卵orバナナ&ヨーグルト」、昼は「グレープフルーツ半分&野菜ジュース」、そして夜「野菜&豆腐or蒟蒻系料理と酒5杯まで」以上が基本で目安である。体が慣れれば、2~3日野菜ジュースか豆乳だけで過してみたいものだが・・・。

さりとて、このとおりに行くはずもなし、謹厳実直にやろうとは思っていない。現に今朝は、ミニトマト二個とヨーグルト、野菜ジュースであった。

一昨日の彼岸に食したのは、豆乳&ミニトマト三個、野菜ジュース、オハギ一個、ほうれん草お浸し・豚肉と茄子炒め(各小一皿)、猪汁一杯であった。なっ何と、知らぬうちにお酒を抜いていた・・・。昨夜はU老としっかり飲んだが!

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煮物と炒め物

2011-03-22 | Weblog

3/22(火) 今日は、姪のkikoが連休を利用して帰省したので弁当は二人前となった。二人分の弁当では気合も入らぬが取敢えず作る。

メニューは、昨夜の残りものの「大根とイカ煮」、それに「豚肉の炒め物」、ミートボールの甘辛煮、定番の卵焼き、以上である              

                         

豚肉はネギと一緒に炒め、仕上げに焼肉のタレを加えて味を調える。ミートボールは砂糖・醤油で小フライパンで煮付けた。卵焼きにはワケギを刻んで入れ「ネギ玉焼」である。

                         

                          右端は私の朝食

簡単な弁当が瞬く間に仕上がった。K君に大オムスビニ個と昨日家人が作った「おはぎ」三個をおまけに用意した。食料危機だが暫くは喰いつなげるだろう。

地震以来、東京のスーパーでも品不足、或は、お一人様一点限りの商品が多い。こんな状況はそう長くはないだろうが、停電・節電で店内は暗いし、開店・閉店が繰り下げ・繰り上げで何とも活気がない。

TVのCMも公共広告と災害ダイヤル、そしてお見舞い広告では気分は滅入るばかりだ。何か元気が出ることをしなければならぬが・・・。どんなことを、何時からやるか・・・。

 「 大宰府・道真公 」

先週末の土曜日、福岡に居た。前日のMさんとの打ち合わせ、懇談を終え、ホテルでバッタリと倒れこんで眠っていた。朝は、ホテルのバイキング。バイキングとなれば意地汚い私などは、皿を点こ盛にするのだが、流石にこの朝は控え目にした。それでも食パンを半切れ、サラダ、ベーコン二切れ・スクランブルエッグ、トマトジュースを食した。

相棒のヒロさん(別のホテル)に何度か電話を入れるが出ない。心配になり駅の反対側のホテルまで足を運んだ。ご老体・病持ち故、ひょっとして倒れでもしていてはと気になった。

ホテルのロービーから部屋に電話をすると「メガネが見つからず、捜しまわっている」と、焦った声が返ってきた。暫く待って漸く落ち合った。

さて、これからどうしようかとなった。本来であれば福岡在住の友人に会う、或は久留米在住のJ女史を訪ねる。の、予定であったが、生憎二人とも所用のため断念した。

ヒロさんは「任せる」というので、珈琲を飲みながら行き先を検討。結局、ヒロさんは行ったことがないという「大宰府天満宮」に向かうこととした。私は、福岡に転勤して戻った友人にニ十数年前案内してもらったことがる。

天神駅から西鉄に乗車、二日市駅で乗換えて大宰府に着いた。駅前から参道に並ぶ土産物・食べ物やを覗き、7・8分ほどで神社に至る。途中、其処かしこで販売している「梅が枝餅」をヒロさんが味見、「旨い」の一言。

境内は梅が満開。道真公を偲んでか梅の木が多く、名物の梅が枝餅もその一つであろう。連休の初日、参拝客もまあまあの人でと見受けた。太鼓橋を渡り山門から社殿へ。

                               

社殿に拝することもなく辺りを見回し、早々に山門を出ようとすると見事な紅白の枝垂れ梅。まるで作り物の雪洞のようである。ヒロさんも痛く気になった様子で盛んに感心の呟き。

                

ブラリと歩いていると「避難してきた」と中年女性の声が聞こえる。そう云えば、博多駅でもそんな会話を耳にした。金曜日の福岡便、子供連れなどの家族で満席であった。そう云う方が結構多そうだ・・・。

境内で観光用写真をやっている年配の方に訊ねる「梅が枝餅は何処が善いのかね」。と、『私等は其処の大樟館で買いますよ』と還ってきた。

池の傍らにあるその店に向かい、振る舞いの梅茶を手にして外のテーブルに腰を落ち着けた。先ずはビール、摘みはタクアンと酢蛸。池を眺めながら、取りとめもなくボソリ、ボソリと会話。帰りに作りたてホカホカの「梅が枝餅」を一箱購った。

購ったついでに、訊ねてみた。「どの店も値段が同じようだけど、どうして?」と、『四十数件ある店が組合に入っており、値段を統一しています』との応えであった。後は、味で勝負しましょうとのようだ。

この味・大きさで一ヶ、105円は安いと思う。が、節食中の身には、うんと小さくて50円があってもいいような気もする・・・商売としては難しいところか。

しかし、沿道から続く店の殆どがこの餅を作り、販売している。全部を味見できるわけもなし、観光客は何を頼りにすべきかな?これこそ、道真公に尋ねたいところだが(学問の神様だからご利益があるか・・?)。

結局、大宰府を訪れただけで飛行機の時間が迫った。空港では、Mさんから教えてもらった「稚加栄」の安くて旨いと云う切子メンタイコを買って搭乗となった。

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雨のお彼岸

2011-03-21 | Weblog

3/21(月) 今日は彼岸だが、朝からの雨。狛江・戸塚・横須賀と墓参に行きたいところだったが、雨と放射線に挫かれて狛江の千手院に眠る故上田雄一さんの墓参だけで済ませた。

粉糠雨に煙る千手院に着いたのは昼過ぎ。墓前は何時もながら花とお供え物が副えられご家族の思いが伝わってくる。墓前に頭を垂れ、感謝と安寧を祈る。

                        

                           千手院

思い起こせば九年前、私のサラリーマン時代最後の上司が上田さんであった。私が辞めた二年後、上田さんは現役のままに逝去された。亡くなる前、お骨折り頂いた仕事が今だ途切れれることなく続いている。稀有なことである。

現役時代の上田さんの思いでは「生真面目、朴訥」である。不遜な言い方をすれば「不器用」な方とも云えるか。


何故そう思うかと訊かれれば「生真面目に上司(社長・副社長となるが)の意向を大切にされた。ノウと云わないことが身上」ではなかったのか。
その上司を補佐すべき立場の私であったが、力及ばずであった。申し訳ないという思い、未だ消えず。

 

 「風雨に負けず・・・歩く」

狛江からの帰路、代々木八幡駅で下車。雨風があったが、歩いて帰宅することとした。山手通りから駒場、三軒茶屋を経由し学芸大学に至るルートを選定した。予測所要時間は1時間30分とみたが・・・。

風が強くなり、傘を差すのが面倒だが放射線交じりの雨も気になる(何を今更だが)。傘を傾げて歩く、手荷物が煩わしい。近所のスーパーにヨーグルトが無いので、狛江のスーパーで見つけ購った、ついでに野菜ジュースまで。

淡島通りから坂道を下り、烏山&北沢緑道に至る。此処から烏山緑道を三軒茶屋へと向かった。緑道に沿って再生水の小川が在る。昨秋、この道を辿った時は金魚や鯉、メダカ・アメンボウ、ザリガニまで住んでいたのだ。

                    

                  左:烏山緑道      分かれ道のモニュメント

でも気になっていたのが「水の放流を止めることがあります。生き物を放さないで下さい」の看板である。どうなっているのかと気掛かりであった。

緑道を進むと小川が見えた。が、水は流れていない。暫く歩くが魚が住めそうな水溜りもない・・・。みんな何処に行ったのだろう・・・。暗い地下で生きることは出来ない、その生を終えてしまったのか・・・。

                         

三茶に着き、学芸大学方向に進路を取る。商店街も雨の所為か地震の影響か寂しい。漸く見つけた喫煙所で一服点けるが、湿っぽい。秋の散歩のように生ビール・焼き鳥の誘惑も感じず黙々と(とぼとぼが正しが)歩く。

漸う我が家に辿り着くと、予定を大幅にオーバーして二時間近くも要していた。疲れて節食中の身ながら「オハギ」をパクリとなった・・・とはいえ、節句の物、ありがたく頂戴しなければならぬ。

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魚と海そして道真公

2011-03-20 | Weblog

3/20(日) 金曜日、福岡へと赴いた。取引先の某社で、広告部長をされていたMさんが福岡支店に転勤されている。そのMさんから話があり、プラニングや足回りの利く制作会社を探しているとの話を受け手であった。

何の役に立てるのか分からんが、私と相棒のヒロさんで現地に赴いた次第である。空港から街へと向かう途中、菜の花畑が黄色の絨毯を敷き詰めたように綺麗だった。 

                       

Mさんが東京に勤務されて居る頃、大変お世話になった。それにまして、Mさんの真摯・実直、胸の熱さ、粘り、ビジネスマナー、そんな人柄が、私とヒロさんは大好きなのだ。

事務所に伺い話を聞く。福岡支店長とされて、実績をあげておられることが伝わってきた。我々との仕事の話は具体的な案件がでてから、これからのことである。積もる話を訊くのは夜の部である。結局、魚料理の店へと案内してもらった。

店は魚好きのMさんが一番のお気に入りとか、これまでで一番旨い魚を食べさしてくれる店と云う。博多山笠で有名な「櫛田神社」を横に見ながら、川端通の手間へに在る「みやび」と云う店に着いた。

                        

                        櫛田神社 裏門(?)

店はカウンターと、入り座敷だけの小体ながら、カウンターには何匹ものグレの泳ぐ水槽があった。この魚、店主のオヤジさんが釣ってきたものとか、釣が趣味の店主のようだ。丁度、川崎から孫娘が来ておりオヤジさんはニコニコ顔であった。

刺身善し・煮魚な善し、酒の相手善し、節酒、節食中を忘れて話と魚・酒に酔ってしまった。

                   

店は大繁盛のようで、御上さんとオヤジさんは大忙し。酒も進んだ頃、Mさんから聞かされたのが「オヤジさんは、釣に出た船が沈没して10人の中で、一人だけ助かった方だよ」と云う話である。その後、暫くは釣りを止めていたそうだ。

漸く客も帰り閑になった。オヤジさんが我々の傍に来てくれた。釣の話、魚の事などを聞き、遭難のことも訊いてみた。

                         

天候が悪い日だったそうな、船長以下10名が乗って出港したそうだが転覆、船の腹にしがみついたが、手は滑る、波が叩くで力尽きて海に呑まれていったそうな。巡視艇が来ても力が尽きており救命具に捉まれないで往生したと云う。

この海難事故に遭ったのは平成元年のことだとか。新聞のスクラップを見せてもらった。写真入りで大きく何紙もが扱っていた。ただ一人生還、その後がまた大変だった云う。謂われなき誹謗であろうか。生かされし者の辛さを誰が知ろう・・・。

いい話、旨い魚、そして得難い体験を聞いた。こうして博多の夜は更けたのである。

  道真公は後日に・・・

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